2012年01月16日

☆No.54【生産年齢人口の罠】



生産年齢人口という言葉を聞いた事があるでしょうか。


経済の議論が行われる時に共通の認識としては、一般に15歳から64歳までのことを指します。

この生産年齢人口が減っていくのだから、経済構造の変化に伴って社会保障関係費は増加し、結果的に国家の財政は破綻に向かうという方向であるという議論が最近最も強力であると感じます。


私は、ここに生産年齢人口の罠が存在すると考えています。


江戸時代、人生50年と言われていたそうです。
今は、人生80年から90年くらいでしょうか。


時代と共に、寿命が延びます。


生産年齢はどのように変化するのでしょうか。


65歳を過ぎても充分に「生産年齢」である人の比率はどうでしょうか。


65歳からは仕事をしないと決めつけていませんか。


70歳でも、80歳でも、「生産年齢人口」の一翼を担う事はできませんか。


前節で書きました、「終身雇用を目指せ」も
議論の出発点は、この「生産年齢人口」です。


年齢で、生産的かどうかを定義づける現在の認識そのものを変化させなければ、社会保障費の問題など解決するはずがありません。

「生産年齢人口=仕事に対する能力と意思がある人」と定義づける事はできませんか。

これができれば、社会保障の問題などすぐに解決します。

さらに高齢者の社会的存在意義の高まりによって、
生き甲斐にあふれた元気な社会が創造されるのでは無いでしょうか。



私がこれに関して考えを巡らせ始めたのは、きっかけがあります。


私の父は、健在で、75歳を超えていますが、まだまだ元気です。今は年金生活者です。

その父親が先日、

「生きていてハリが無い」と言います。

ハリとは何かと、訪ねると。

「責任も無い、やりがいも無い、朝起きる事に意味を感じない」

などと言います。



父は、現役時代はバリバリのビジネスマンでしたから、余計にそう思うのかもしれません。



しかし、誰でも人は、元気で、仕事ができるうちは、「誰かに頼られたい」とか「何かに貢献したい」という意識が無くならないのではと思います。


それを、「生産年齢人口」という、作られた定義の元で、奪い去っているのではないか。
そしてその定義に振り回され、社会運営そのものを困難にしてしまっているのではなか。


私は、「生産年齢人口」にとらわれない発想を持ちたいと思います。



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