★日々良く生きる一粒

2016年06月08日

★No.90【小さな嘘の大きな罪】



日常良く目にする光景に、

「こういうことにしておけば良いんじゃ無い?」

といって、ちょっとした嘘やごまかしを通して言うようなことがあります。

当人達は、

《別に誰かに迷惑かかるわけじゃないし。これで万事うまくいくならそれで問題なし》

と思っているでしょう。

まさか日常のちょっとした嘘やごまかしが、世間を大きく
騒がせるようなことになるとは思っているはずもありません。

しかし、昨今の大企業の粉飾決算の問題や、昨今の燃費偽装、
さらにお金に関する政治スキャンダルなどはこういった小さな嘘を
許容する組織文化がその根源にあるのです。

とても簡単な原理ですが、


組織人が上役のこういった言動を見る
         ↓
迷惑がかからないなら多少の嘘はOKだという合意が形成される。
         ↓
迷惑の範囲がどんどん内向きになる。(内輪に迷惑がかからなければ良い)
バレなければみんな幸せだと考え出す。
         ↓
組織全体がそれを許容し、嘘の範囲がどんどん拡大する。
         ↓
コトが表に出たときには取り返しの付かない状態になっている。


これは以前に書いたカント哲学からくる私の
考え方(どんな場合も決して嘘をつかない)にも共通します。
http://blog.livedoor.jp/srcblog01/archives/1883934.html


例えば、

人殺しは悪いことだが、人殺しをした人は見せしめのために殺しても良い。
とすれば、人殺しは悪いことと言い切れるのか?

つまり、悪は条件を付けることによって善の衣を纏い、どこまでも
拡大、増幅し、そしていつか必ず限界に達し、コントロール不能に陥ります。


これは正義の議論でも当てはまります。正義の判断は一つでな
ければなりません。条件を付ければ何でも正義になってしまうからです。


私の経験では、一つの行為に善悪を定め、それを守ることができれば、世間に
惑わされることなくまっすぐに自信をもって生きていくことが可能になると感じています。


まずは「嘘」

これを無くすことからはじめてみませんか。少しまわりの景色が変わると思います。



srcblog01 at 14:39

2014年10月18日

★No.89【継続する勇気】



「一歩踏み出す勇気」


よく言われる言葉です。

最近では、


「嫌われる勇気」


なんていうのも流行しています。


でも私は、最近(特に若い世代に)必要なのは、


「継続する勇気」


であろうと考えています。

特に若い世代に。と書きましたが、若い世代にかかわらず、常にあふれる情報にアクセスしている全ての人に当てはまることかも知れません。もちろん私も含まれます。

当然ですが、何事も一定期間、集中して継続しなければ、それなりの成果を残すことはできません。

しかし、ここまで情報が簡単に手に入ると、自分のやっていることの正しさを疑ったり、さらに良い方法を見つけようと思ったり、もっとラクに実現する方法を探してみたり、もっと楽しそうなことを見つけたり、もっと簡単に稼げるかもしれない方法がみつかったり、もっと良い会社が見つかったり、もっと良いサークルを見つけたり、もっとイケテル彼を見つけたり、

といったことがあまりにも安易に、容易に、素早く見つけることができる(実際にそうかどうかは別にして)ので、そんなことを探し出したらキリがありません。

当然ながら、集中するよりも目移りしている時間が長くなります。

せっかく何かに興味を持って目標を定めても、インターネットを眺めれば、


「果たしてこれで良いのだろうか」


と言う気持ちが頭をもたげてくることは、想像に難く選りません。

そうなると、気持ちが揺れ動き、集中する気持ちも薄れ、継続して努力することができなくなってしまいます。

そうして、自らの力で何か成果を残すという貴重な経験を通した実力を獲得する前に、違うことに興味を持って行かれてしまうと言う結果になってしまいます。

つまり、人そのものが持つべき力を得る機会を逃してしまうことになってしまうのです。


だから、今必要な「勇気」は、「継続する勇気」なのだと思うのです。


一度決めたことを情報に流されず、一定の成果を生み出すまで努力し続けるという経験は今や相当意識しなければできない程貴重なものになってしまったのかもしれません。




srcblog01 at 21:35

2014年02月26日

★No.88【人が称賛より批判が得意な理由】


世の中、新聞やテレビなどの報道を見ても、
批判的な記事や意見が大変多く見受けられます。

ネット上の書き込みなどはその傾向がさらに高まることは言うまでもありません。
(匿名では批判が多く、実名では称賛が多いという傾向はありますが)

総じて言うと、人は、称賛より批判が得意な生き物であるような気がします。


そこで、なぜ人は、称賛より批判が得意なのか考えてみました。


まず第一に、


「嫉妬が称賛を妨げ、批判には優越感が伴う」からです。


これはtwitterでもつぶやきましたが、具体的には
ある著名人が、著名な政治家に対し、批判を繰り返しているtweetを見て感じたことです。

その批判の中には、

「俺の方が分かっている」「俺の方が正しい」と言った、
自分自身を大きく持ち上げるような意図が見え隠れしていました。

心理的には、相当な優越感を感じつつ、嬉々として書き込んでいるような姿が目に浮かびます。


称賛については、プライドが高ければ高い人ほど、それに抵抗があるように感じます。
つまり、「称賛する=自分より優れていることを認める」という式が成り立つからでしょう。

そこには嫉妬が同居していることになります。
つまりは、称賛する行為を妨害する要素が嫉妬であると言えるでしょう。


しかし、こういった人たちでも、上から目線での称賛はよく行います。

「〇〇の割にはがんばってるじゃないか」的な見下し型の称賛です。
ここには嫉妬心が生まれないので、プライドの高い人でも気軽に称賛することができます。


第二に、


そもそも批判は容易であることです。


何を行うとしても、100%完璧に行うことはほぼ不可能です。
かならずどこかに批判できるポイントが潜んでいます。

たとえ90%素晴らしくても、逆に言えば10%至らないところがあるのです。

批判は、その10%を突けば良いのですからとても簡単です。
その批判は、素晴らしいほうの90%を認める必要もそれを行う努力も必要ありません。



私は、いつも、


人を素直に称賛し、批判には対案を持って望むこと。


を「心がける」ようにしています。


人を素直に称賛することは、自分の至らなさを認める勇気が必要であり、
批判に対案を持つと言うことは、常に思考を高め、学習することが必要です。



人は弱いもので、「心がける」ということをしなければ、
安易に人を批判し、悦に入ってしまう生き物です。

そういう意味でも私は自分の弱さを補うために、文章を書き、公開することで、
自分自身を戒め、マネジメントする一助としています。


生きて行くには何かと工夫が必要ですね。


srcblog01 at 16:18

2013年08月30日

★No.87【謝辞】



受験勉強から、修士論文まで。
約2年間にわたる、学生生活が終わろうとしています。

思えばこの2年間は、人生で最も勉強した期間でした。
高校受験、大学受験など比較にならない時間と量を費やしたと思います。

そもそも、今まで、私は、自分が勉強する努力が
継続出来る人間だとは思っていませんでした。

中学も高校も遊んだ記憶しかありません。

その私が、この2年間、仕事以外の時間の殆ど全てを学問に費やしたのです。
「人間やればできるもんだなあ」と、妙に感慨にふけっているところです。


ところで本題ですが、

論文を書くと殆どの人が、最終章のあたりに、

「謝辞」

という項目を作って、論文作成にあたってお世話になった方や、
指導教員に対する感謝の言葉を書く項を設けます。

学術的には、余分だという意見もありますが、
「謝辞」だけで、5ページを費やしたクラスメートもいます。

当然のように、私も「謝辞」を書こうと考え、色々と思いを巡らせました。

御礼を言うわけですから、

「誰」に「何」を、という当たり前の順序になります。

感謝していることは事実なのですが、
この論文を完成させることが出来たのは、誰の何のおかげか。

考え出すとキリがありません。

まず、この世に誕生させてくれた両親、
いや、両親だけじゃなくご先祖様。(ところでどこまでがご先祖様なんだろう?)

先生、友人、上司、部下、家族、同僚、クラスメート、、、、、、

それ以外に私にとって嫌な思いしか残っていないような人たちも、
(それによって、自分が成長できたこともありますから。)


そうです。「謝辞」を書き出すと、それだけで論文の文字数を超えてしまいそうです。

結果、私の「謝辞」は、とても短くまとまりました。


『本稿を完成に導いて頂いた全ての方々に心から感謝する』


「感謝する」ということを、一度落ち着いて、
書き残すことを考えてみることはとても良いことかも知れません。


srcblog01 at 21:22

2012年05月15日

★No.86【なぜ嘘をついてはいけないのか?】


カントはいかなる場合も嘘をついてはいけないと説きました。

カントの道徳理論はともかく。
なぜ「嘘」をついてはいけないか。
ということについて考えてみたいと思います。

嘘に関する問答を行う場合、必ず問題になるのは、

「嘘も方便」

という言葉です。

「嘘」が、相手の為になるのであれば、それは許容されるという考え方です。

■末期がんの患者にショックを与えないように事実を語らない。
(※最近は、本人の希望を事前に確認した上で告知するのが主流になっていますが)

■ストーカーから友人を守る為に嘘の居場所を伝える。

■人を傷つけない為に本当のことを言わない。

等々。

「嘘=悪」とは言い切れないことが往々にしてあります。

そして嘘にはいろいろな種類があります。

1 陥れる為の嘘
2 利益を求める為の嘘
3 傷つけない為の嘘
4 守る為の嘘
5 楽しませる為の嘘
6 悲しませる為の嘘

その他にもあると思います。また、状況に応じて、
上記の複数が組み合わされる事も起こることでしょう。

しかし、実は大きく分けると嘘は2種類しかありません。

それは「自分の為」か「他人の為」かです。

ちょっと自分自身に照らし合わせて
今まで付いた嘘について考えてみましょう。

「自分の為に付いた嘘」がその後どのような影響をもたらしたか。
「他人の為に付いた嘘」がその後どのような影響をもたらしたか。

少し考えてみるとすぐに分かるのですが、
「自分の為についた嘘」が長期にわたって自分自身の為になっていることは殆どありません。
「他人の為についた嘘」もよくよく考えてみると、本当に他人の為にはなっていないことも多くあります。

理由は二つです。

まず、殆どの場合「嘘」はばれます。
嘘は永遠に嘘なので、永遠にばれる可能性がいつまでも残るからです。
その場で逃れる利益よりも、先にばれる不利益の方が大きかったり、
良かれと思ってついた嘘が、かえって物事を悪い方向へ導いて
しまったような経験が、殆どの人にあると思います。

もう一つは、精神的な問題です。

自分でついた「嘘」はいつもでたっても自分自身の心に傷(罪悪感)を残します。
たとえ、他人にばれていなくても、自分自身にはばれているからです。
だから嘘はいつまでも頭にへばりついて離れてくれません。


「だから嘘はついてはいけないのだ。」


などと大上段から宗教家のごとく言うつもりは全くありません。

でも、「嘘」は本当のことを言うより、エネルギーが必要であり、
精神的な負担をもたらすことに違いはありません。


これはビジネスの現場にも共通します。


おだてるマネジメントはうまくいきません。
指摘するマネジメントが重要です。

その場でうまいこと言う営業は長期的にはマイナスの成果が生まれます。
事実に基づいてしっかりと提案する営業が必要です。

粉飾決算は、企業を窮地に陥れます。
正確な経理が企業に利益をもたらします。


ノウハウ本に「褒めて伸ばす」と書いてあるからと、
褒めるところも無いのに褒めてもうまくいくはずがありません。

目先の利益を追っていい加減なことを言ったら、
二度と発注はもらえません。

正確な数字にのみ、経営の神様は微笑みをもたらします。
(根拠はありませんが、なぜかそうなるのです。税理士や会計士に聞くと異口同音に「正確な経理を行っている企業ほど利益を計上し、伸びていく」と言います)


テクニックにさえ、嘘があってはうまくいかないのです。

つまり、ほとんどの場合

「嘘をつかないこと、が、結局は自分自身の為になる」

と、考えて間違いないと思います。

嘘をつかずに自分を守る。
嘘をつかずに人を傷つけない。
嘘をつかずに人を指導する。
嘘をつかずに人を守る。

安易に嘘に頼る前に、立ち止まって考えたいと思います。



srcblog01 at 22:42

2012年03月21日

★No.85【女子学生の就職は不利?】



女子学生が就職に不利である現実を取材した本日の日経新聞電子版の記事より。

>ある素材メーカーの人事担当者からはこんな本音が漏れた。

>「今年春に採用する女子学生も、10年後には育児や
>介護の制度を使って休職や時短勤務になっている可能性が高い。
>採用を絞り込んでいるので、戦力がそろわないのは正直痛いんですよ」


一方で女子学生の本音を取材した別の記事より。

>「私にできることは、支える仕事」「転勤しながら子育ては無理」「ノルマが
>ある営業職はイヤ」。都内のある女子大では、「一般事務職セミナー」を開くと、
>事務職志望の学生ですぐに埋まる。



この二つの記事から何を感じるでしょうか。

前者は、人事担当者の偽らざる本音だと思いますし、
現実的にその時点で企業の戦力はダウンし、
組織力の低下に悩まされる事になるのだと思います。

それを事前に避ける意味でも、積極的に総合職で
女子学生を採用しないという選択肢をとることになるのでしょう。

そして女子学生の就職難は続いています。


一方、後者も女子学生に多く見られる意見です。

数年働いて、結婚する。子供が出来たら育休と産休を
とって同じく一般職で復帰。もしくは夫の稼ぎで専業主婦。

と言うパターンを選びたい女子学生が今も非常に多いのです。

ところが一般職の求人は業務IT化に伴って減少する一方です。

そして同じく女子学生の就職難の原因となっています。


これを言うと怒られるかもしれませんが、
このような傾向はごく自然に起きる事であり、男女の性差や
人間という生物の特性から導かれる傾向であろうと考えられます。

また、少なからず国の文化にも左右されるでしょう。


昨今、企業は、自社の事だけを考えるのでは無く、
社会全体の事を考えて企業責任を全うべきと言われています。

一般的にはそれらはCSRという言葉で言い表せられ、
日本語では企業の社会的責任と訳されています。

私はそれらに加えて、

企業が社会の構成要素の一つである以上、
その存在が、人間そのものの豊かさや子孫繁栄にとって、
有益でなければならい。

とのスタンスを持っています。

それが結果的に利益が生まれる源泉となり、
その利益を通じてさらに人間社会に貢献していくのが、
企業の正しい姿だと認識しています。

この立ち位置から考えると、企業の採るべく姿勢は、
これまた昨今の言葉であるダイバーシティ(多様性)となるでしょうか。

ダイバーシティは、CSRの一環として論じられる事も
ありますし、企業繁栄の一手段として論じられる事もあります。

私は、ダイバーシティは、本来の人間社会への
貢献を目的としなければならないと考えています。


企業の都合と社会の都合、また人間本来の生存に関する都合。

企業の本音と女子学生の本音。


つまり企業はこれらを総合的に組み合わせて、
最善の策を常に考え取り組んでいく事が重要なのです。

最善の策とは、「人間そのものの豊かさや子孫繁栄
にとって、有益かどうか」ということに向って結論を導き出され
た策のことを指すのだと、個人的には結論づけています。



srcblog01 at 18:12

2011年10月09日

★No.84【自分を疑え】




疑うことが成功の確率を上げていきます


人間は誰しも経験を積み、また知識を蓄えていくと、
ついついそれを自分自身の完成形だと思い込んでしまうことがあります。

特に成功体験は今後も同じようなことが
何回あっても同じように成功できるような気持ちになります。

また、その成功体験を他人に
押しつけてしまうこともよくあることでしょう。


また、経験は、その期間が長いだけで、自信になってしまうこともあります。


「俺はこの業界で○○年やってるんだ」


とか威張って言う人がいます。
私はひねくれているので、ついつい。


「それがどうかしましたか?」


と、聞いてみたくなります。
そして実際に聞いてしまったこともあります(笑)。


知識に関してはどうでしょうか。


勉強家であることも、多くの情報を持っていることも
素晴らしいことですが、それだけでできることは限られます。


「知識があること」と「出来ること」は全く違うからです。


そんなことは分かっている。と叱られそうですが、
そのことを常に頭の定位置に置いているでしょうか。


自信があること、知識があること、経験があること。


それらが未来に与える確証は一つもありません。


自信や知識が経験で何かを興そうとするとき、
それが本当に正しいかどうか、一歩立ち止まって考えること。



自信、知識、経験、

その何れもが過ぎ去ったものでしかありません。


それらは当然活用するのものではありますが、
果たして未来に通用するかどうか「常に疑うこと」が重要です。

疑いが修正をもたらし、さらに慎重さを生むことで
ものごとの成功の確率を上げていきます。


自分を信じてはいけないのです。



srcblog01 at 23:41

2011年06月01日

★No.83【良いこと。それは欲求が満たされること】



前回「良いこと」が起きると書きました。


良いこととは欲求が満たされることだと私は考えます。


人間の三大欲求は、「食欲、性欲、睡眠欲」と言われています。その他様々な説がありますが、これに加えて人間が持つ最大の欲求があると私は考えています。


それは、「人のために役に立ちたい欲求」です。


この度の東日本大震災では、多くの方がボランティアとして現地で活動されています。報道によるとゴールデンウイークだけでも8万人もの方々が参加されたようです。


彼らは、誰かに頼まれたわけでもなく、決して金銭的メリットがあるわけでもなく(金銭的には明らかにデメリットしかありません)、社会的地位の向上も、自己顕示欲が満たされることもありませんし、それを目的としている人もいないでしょう。


唯一、「人の役に立ちたい」という欲求が満たされるのみです。


このように考えると、ビジネスでも同じことが言えます。


立派な企業が、よく本業以外での社会貢献を標榜しますが、事業が長く継続し、本業以外に社会貢献ができるような、大きな利益を得ている会社は、その企業が本業で充分に社会貢献(人の役に立つこと)を実現しているケースが殆どです。

敢えて本業以外で社会貢献を行おうと思わなくても、立派にその役割を果たしているのだろうと思います。

だからこのような企業で働いている人々は、やりがいが大きかったり、顧客や取引先から感謝される機会が多かったりといった「良いこと」が訪れます。
(昨今話題の作られた既得権益でインフラを担っているような会社は違うかも知れませんが)

つまり「人の役に立ちたい」という三大欲求に匹敵する本能とも言える気持ちが満たされること。

それが「良いこと」だと私は考えています。


従って詐欺師や泥棒が、一時的に大金を手にしても、決してそこに「良いこと」が生まれることはありませんし、本来の欲求が満たされないのでいつまでも不幸であるとも言えると思います。


と、そんなことを考えていると、アダム・スミスの著書、「道徳感情論」(1759年)の中に

「人間の本性には明らかにいくつかの原則があり、その原則ゆえに、人は他人の幸せに関心を寄せ、そうした他人の幸せから自分が得るものといえばそれを見て楽しむ以外何もない場合でさえ、他人の幸せを自分の幸せのように感じるのである」

という一文がありました。


私が考えてることなど、遙か昔に既に明らかになっていたことでした。





※東日本大震災チャリティセミナーにパネラーとして参加させていただくことになりました。仙台の有名な税理士先生を講師にお迎えしています。司会進行は元スケバン刑事の森川あやこさん http://osaka-seminar.com/


srcblog01 at 18:07

2011年05月28日

★No.82【起きていることは全て正しい】?



勝間和代さんのベストセラーの本の題名を拝借しました。


私はこの本を読んでいませんが、大変インパクトの
ある題名で、この題名だけで何か期待させられるような感じがします。

本の題名というのは、それだけで相当売れ行きが変わるそうですが、この題名は、
私のように読んでいない者にとってもとても考えさせられる秀逸なる題名だと思います。


もちろん目一杯誤解が生まれる題名でもあります。
(ただ彼女に不謹慎な意図がないことは十分想像できます)


今回敢えてパロディでコラムを書きたいと思いいます。


題名は、「起きていることは全て正しい方向に向かう」です。


これを書くに当たってまずは何が正しいかを定義しなくてはなりません。

以前、神様について書きましたが、最近、さらに神様の定義を明確にすることができました。


神様は、「人の善意の集まりのことである」。


これが私の神様論です。


つまり神様は、人間社会の中だけに存在し、人が本来持つ「善意の集まり」なる
ものによって社会を正しい方向へ導いていくということです。


世の中には、神様が関与しない天災や事件、事故など不幸なことが起こりますが、
何があってもその後においては、それらを正しい方向へ導こうとするのが神の役目です。


では善意とは何か。

私はこれを、「人が人のことを想う気持ちやそれに伴う行動」と定義しています。

人が人を思いやり、人の為に何かをすることが善意であり、
それが集合して大きな力となったとき神が力を発揮します。

自分さえ良ければいいという発想では、神はその人の味方をすることはありません。

だから自分だけ良ければいいと思ってる人には良いことがおこりません。
人を思い、人の為に生きている人の元には、良いことがおこります。


良いこと?


「良いこと」とは一体どんなことを指すのでしょう。

これは次回に。





※東日本大震災チャリティセミナーにパネラーとして参加させていただくことになりました。仙台の有名な税理士先生を講師にお迎えしています。司会進行は元スケバン刑事の森川あやこさん http://osaka-seminar.com/


srcblog01 at 18:30

2011年04月20日

★No.81【やっぱり頑張らなくていいんです】



このテーマは以前にも書いたことがあります。
またこのコラムのサブタイトルは「今日も一日がんばらなくてもいいんです」でした。


最近「がんばる」という言葉がとても多く使われていますのでまた書きたくなりました。


私は基本この言葉を使いません。(ついつい出てしまうことはありますが)


とても辛い思いをされた方がたくさんいます。


そんな人たちに「がんばろう」などと声をかけることは私にはできません。


成果が上がらない営業マンにも「がんばれ」とは言いません。


なぜか。


がんばるは続かないからです。
がんばるには無理があるからです。
がんばるには実態が無いからです。
がんばるは辛いからです。
がんばるには結果が求められるからです。


何か成果が得られた時に、「がんばったね」とねぎ
らいや、ほめ言葉の意味でこの言葉をかけることは良いと思います。


でも、「がんばる」という「経過」を求めてはいけません。


「今、目の前にある自分に出来ることを粛々とやる」


いくらがんばろうと思ってもこれ以上のことができますか。


出来るか出来ないか分からない先々の「結果」を求め、
気持ちにプレッシャーをかけてやっても心が折れてしまうだけです。


ですから、



「今日も一日がんばらなくていいんです」


srcblog01 at 22:40

2011年04月13日

★No.80【政治家は他者批判をし経営者は自社優位性を語るの法則】




批判に耳を傾けず、本質を見抜け。



テレビや新聞を見て、思うことはありませんか?


政治家は、他者批判ばかりしている。


経営者は、自社優位性や将来性の話ばかりしている。


もちろん100%ではありませんが、そういった傾向が顕著であることは間違いありません。


何故なのでしょうか。


経営者が自社優位性や将来性を語ることは会社のブランディングを考えれば必要なことです。


しかし、個人的には、政治家こそ自らの優位性や将来性を
メインにアピールをすべきであり、他者批判は極力避けるべきでは無いのかと考えています。



経営者が他社批判をあまりしないのは、
日本に於いては他社の批判はタブーとされており、
逆に自社の価値を下げてしまうことを知っているからです。


日常生活においても他者批判はあまり歓迎されるものではありません。


他人の悪口ばっかり言っている人には人望がありません。


でも、政治家は他者批判を頻繁に行います。
重箱の隅をつつくようなことばかり行い、あら探しをします。


何故なのでしょうか。


彼らの目的というところから考えてみました。


本来、政治家の目的は、国や自治体を良くすること(のはず)です。


そして選挙で票を取ることは手段です。


その手段であるはずの票を取ることをが、実は目的化していると言うことではないのでしょうか。


ある政治家の演説を聴いていて思ったことです。


自分に何ができるかと言うことよりも大きな声で他者批判をすることの方が、
自分自身の価値を簡単に持ち上げることができるのです。


それが票につながります。


「あいつは悪いやつ、あいつは能力が低い、あいつは誠実では無い、あいつはリーダーシップが無い」


結果どうなるか。


人は、それを聞くと、まるで言っている人が、逆に、

「良い人、能力が高い、誠実だ、リーダーシップがある」

と思い込んでしまうのです。


一種の集団催眠でしょうか。


その勘違いや思い込みが票につながり、結果その人がリーダーとなることになります。


つまり人の批判が得意な人がリーダーになる。


その人がリーダーになって初めて人は気がつくのです。


「言ってた本人は何も出来ないじゃないか」


批判ばかりしている人は、実は自分自身に何ももっていない。


今の日本のリーダーを見ていていればよく分かります。


政治家が目の前の票に目を奪われているのを見ると、
経営者が目の前のカネばかり追いかけていると必ずどこかで躓くことと似ている気がしています。


常に本質を見抜くことを意識しなければなりません。







まあ人の悪口を聞くのが好きという人が多いのも事実ですが・・・。

srcblog01 at 12:17

2011年03月18日

★No.79【マスコミ情報とデマ】





マスコミは信用できないとデマを無条件に信用する危険




この度の大震災では、大変な思いをされておられる方がたくさんいらっしゃいます。


私自身も阪神淡路大震災を経験していますが、
それを遙かに超える被害状況に日々心が痛み、殆ど何もできない自分に大変なもどかしさを感じています。


今、私たちができること。本当に役に立つこと。
を日々考えながら、行動していきたいと思います。


そんな中で様々な情報が飛び交い、
何が正しいのか分からなくなっている方も大勢いらっしゃると思います。


阪神淡路大震災当時とは異なり、現在では誰もが情報を手軽に発信できるようになった結果、
様々な情報が巷にあふれ、何を信用して良いのか分からなくなっています。



マスコミは信用できない。
大本営発表に過ぎない。



などと思い込み、ネット上のデマをそのまま信用してしまうこともあります。



当然ながら、所謂大手マスコミから流れる情報が、
全て正しいなどと言うつもりはまったくありません。



彼らは自らの意図する方向へ世論を操作したがったり、
意図的に取材内容を取捨選択したり、
伝えたいイメージで写真を選択したり、


これらは事実としてあります。


また極端に反権力であったりすることもあります。


そのなかでも最も気をつけないといけないのは、

「〜という」

この表現です。


新聞やテレビによる報道を注意深く見聞きすると、
「〜という」という表現が多用されていることが分かります。


例えば、

「相撲界では八百長があったという」

といった具合に使います。


自ら得た確信のある情報でもあくまで第三者が
言ったこととして万が一の責任を逃れます。


また確信のない情報でも「〜という」という表現で
情報の不確かさを醸し出したりします。


というわけで、こういったことがクローズアップされることで、
マスコミは信用できないとし、デマが正しいと思い込んでしまう事があるのです。


しかしながら、彼らの取材能力が非常に高いことも事実です。


マスコミの取材記者は、自らの直感や情報網で正しいと判断したことでも、
客観的な裏付け無しには決して記事やニュースにすることはありません。


逆に言うと、確からしい情報でも、
裏付けがなければ、情報として出すことをしません。


つまり私たちは、裏付けのあるマスコミ情報と、
裏付けのないあふれる情報を両方見比べながら、
自らの判断で何が正しいのかを理解しなければなりません。



もちろんそれらの情報にはデマも含まれていますが、
情報を組み合わせていけば、自ずとデマと正しい情報を
自らの判断で区別することが可能になってきます。



偏った情報に振り回されないようにしたいものです。




srcblog01 at 12:37

2011年01月15日

★No.77【信頼を定義する】



信頼は一日にして成らず。


日々生きていくことに最も神経を使うのが「信頼」です。


「信頼」は「信用」とはちょっとニュアンスが違います。


敢えて辞書を引かずに全く個人的にイメージで表現すると、


「信頼」=時間をかけて培ってできる人と人との基本的な関係

「信用」=社会的背景や客観的データに基づいて判断される指標


辞書には違う答が書いてあると思いますが・・・。


また違う側面から、


「好き嫌い」と「信頼のあるなし」には関係がありません。


嫌いだけど信頼できる。
好きだけど信頼できない。


恋愛関係で考えればよく分かります。


恋人のことは大好きだけど、行動が信頼できない。
ということはままありますね。


また「信頼」を構築するには、時間がかかります。


「信頼」はその人の普段行われている言動の繰り返しが、
長期的に評価されて初めて生まれるものだからです。


短期的な、有利不利で判断して行動していると、
決してそこには信頼は生まれません。


そして「信頼」は「思想」とも関係ありません。


考え方は全く違うが信頼はできる。ということもあるからです。


そこで信頼を私流に定義してみました。


「社会において《正しいこと》を《長期的》に《継続》して行っている様」


でしょうか。


こうして得られた「信頼」は、ちょっとした誹謗中傷や、攻撃にも揺らぐことはなく、またビジネスを成功に導く大きな要素の一つになります。


そして「信頼」には、これで充分といった基準もありません。


日々「信頼」を育てることを忘れぬよう、
精神レベルを高め、普段の言動に活かしていこうと思います。




srcblog01 at 12:57

2010年11月29日

★No.76【捨てるということ】




残すことに意思は不要ですが。



先日財布を落としました。


なんとも間抜けなことに、セルフサービスのガソリンスタンドで給油をしたときに、車の屋根に財布を置き、そのまま走ってしまったのです。


気がついたときには既に遅し。


同じ道を繰り返し走りましたが影も形もありません。



こんな馬鹿な人間はそういないだろうと思いながら警察に届けを出したところ、

「あーそれって良くあるんですよね〜」

といわれました。


ちょっとほっとしてしまいました。


ちなみにいまだ戻ってきません。


気になったので、ごく身近な人たちにアンケートをとったところ、財布を落として戻ってくる確率は、20%くらいであることが分かりました。


世の中はこんなものでしょうか。。。。。



前置きが長くなりましたが本題です。


財布をなくしてみると、免許証やクレジットカードなどを
再発行したこと以外には殆ど困ることがありません。

(幸いお金が少ししか入っていなかったこともありますが)


お金以外の様々なものが入っていた分厚い財布だったのですが、
今や何が入っていたのかさえ思い出せません。


そう考えると私たちの周りに大事にしまってる
ものたちの如何に無駄が多いかということが分かります。


1年以上見ても触ってもいないものがたくさんありませんか?


それらは無くて良い物です。


少なくとも日常生活には関係ありません。


分かっていてもなんとなく残してしまっているものはありませんか?


そんなときは捨てる事に積極的になってみましょう。



「なんとかこれを捨てることは出来ないか」



と考えるのです。


手元にあるものに対して、積極的になるのです。


残すときは積極的にな意思は必要ありませんが、
捨てるときには積極的な意思が必要です。


何かを仕舞うときにそれにたいして必ず捨てることを問いかけることで、様々な無駄が省かれることでしょう。



今目の前にあるもの。それを捨てることはできませんか?



srcblog01 at 19:36

2010年10月16日

★No.75【努力は偉いのか】



持っているものを見直してみましょう。



「持って生まれた才能、または親から受け継いだものや立場」


「自らの意思と努力で手に入れたものや立場」



前者は、あまり尊敬もされず、妬まれたり、時にはそれを蔑んでみたりすることさえありますが、逆に後者は、賞賛のみを得ることが殆どです。


有名なスポーツ選手でも、才能の部分よりも隠れた努力にスポットが
当たることにより、その実績をより素晴らしいものに感じたりしてしまいます。



果たしてそれは正しいのでしょうか。



私は持って生まれたものも自らの努力で
手に入れたものも同じ価値だと考えています。



持って生まれた才能は、先祖の遺伝子により恵まれたものであり、
立場やお金も先祖より引き継いだものです。


それでは努力をする力はどうですか。


これも先祖より授かった力なのではないでしょうか。


「自らの意思で自らを向上させることのできる才能」


と言えばわかりやすいかも知れません。



したがって努力をして何かを成し遂げた人を賞賛するのであれば、
同じように生まれながらの才能や立場も賞賛されなくてはなりません。


生まれながらの才能や立場を妬むのであれば
努力している人も妬みの対象となるでしょう。



問題は、才能であろうが立場であろうが、お金であろうが、
努力する力であろうが、それを持って生まれているのに
使い切らずにいることなのではないのでしょうか。


自分に才能があれば使わなくてはなりません。


自分に立場やお金があればそれを活用して世の中に貢献しなければなりません。


自分に努力する力があれば、努力しなければなりません。


先祖から与えられた力を世のため人のために
一生かけて使い切ることが、私たちの使命なのだと私は考えます。



あなたは与えられたもの無駄にしていませんか?


srcblog01 at 21:46

2010年08月14日

★No.74【失敗を恐れろ】




あなたは既に失敗しているかも知れません。



物事を起こそうと思った時に、どの程度失敗を恐れていますか?


「若いうちは失敗を恐れるな」

とか

「失敗を恐れていれば何もできない」


という事はよく言われますが、私は思います。


「失敗を恐れない人は成功しない」


では失敗を恐れるとはどう言ったことを言うのでしょうか。


2つあります。


一つは、これから起こすことの結果を恐れること。

もう一つは、今現在が失敗ではないのかという恐れを持つこと。



これから起こすことの失敗を恐れるということは、先例とか、マーケティングとか、最悪の事態に対する対応など、しっかりしておくという意味で、恐れることは当然です。


大切なのは、自らの失敗のパターンに入り込んでしまう恐れがあるかどうかの見極めです。


人には、癖があり、失敗にもパターンがあります。


過去に失敗した同じ考え方や行動をしていないか。


それを確認することが、これからの失敗を恐れることの最も重要な要素です。



そして、今が失敗ではないのか。



今現在、順調に見えることが、ビジネスでも、生活でも、これは失敗ではないのだろうか。


常にその疑いを持つことは、順調を維持するのに欠かせない思考ルーチンであることを覚えておいて下さい。


必ず変化は起こります。その時の見極めをしておかなければ、今現在の選択が将来の失敗の原因となってしまうのです。



ただ、あまり考えすぎるのも良くありませんね。




srcblog01 at 22:05

2010年07月12日

★No.73【見られたいように見られる方法】



あなたはどのように見られていますか。



人は必ず「△△のように見られたい」という思いがあります。

特に初めて会う人の前ではその思いがよく生まれます。


格好良く見られたい。
知識が豊富なように見られたい。
真面目に見られたい。
仕事ができるように見られたい。
謙虚に見られたい。
おしゃれに見られたい。


さらに、それが発展すると、


格好良く見せる。
知識が豊富なように見せる。
真面目に見せる。
仕事ができるように装う。
謙虚さを醸し出す。
その時だけおしゃれをしてみる。


と自らを偽るようになっていきます。


ところが、「見られたい」という欲望も、
「見せる」という詐欺的行為も殆どの場合簡単に見破られてしまいます。


つまり、装っている本人だけがそのことに
気がついていないという喜劇的な現実がそこに存在するのみとなるのです。


格好良く生きてきた人は格好良く見えます。
勉強してきた人は知識が豊富に見えます。
真面目な人は真面目に見えます。
仕事ができる人はそのように見えます。
謙虚な人は謙虚にしか見えません。
おしゃれな人はやはり洗練されています。


つまりその人そのものを越える見かけなどは存在しないのです。


だから私たちは、「見られたい」と思うときは、無理に装う必要はありません。


ただ単に「そのように生きる」ということを選択すればよいのです。


とても簡単なことだと思いませんか。



srcblog01 at 00:18

2010年06月20日

★No.72【四十にして惑わぬように】




惑うことに終わりはないですが。



四十歳は不惑の年と言われます。


「論語」の為政にある言葉で人は四十ともなれば、
ものの道理を理解し惑わないという意味です。


この言葉のように四十になれば惑わずに済むのかと思っていましたが、
果たしてそうはならず、日々惑うことばかりの連続です。


実際、いくつになっても惑うことは終わることなく
延々と死ぬまで続くことだと思います。


ただ四十にして惑うことがあってはいけないのは、生き方だと思います。


漠然と年を重ね、四十になったとき、


「これからどうやって生きていくか」


てなことを考えても後の祭り。時既に遅しです。


四十歳は誰がどう見ても大人です。
ビジネスの世界でも若手という言葉が通用しなくなる歳です。


つまり四十の歳になるときには、自分の生き方に惑いがあってはいけません。


なぜなら四十になってから生き方や目標を決めても
残された時間でその目的にを成就するには時間が無さ過ぎるからです。


四十でも五十でも六十になっても惑うことはいくらでもあると思います。


でも生き方だけは惑うことがないよう、
四十までに決めておくことが必要なのではないかと思います。


自分が四十になったとき生き方を決められているか。


それをひとつの区切りとして人生設計をしてみるべきだと思います。



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2010年06月06日

★No.71【悲観論バンザイ】



時代の流れで勝者は変わります。



人が幸せに生きる方法として、「楽観的」であることと言われます。


先々の心配ばかりしていても、心がすさむだけで
決して良いことはないということだと思います。


私はこれを否定するつもりはありません。


確かに何事も悪い方に考えている人と一緒にいると楽しくありませんし、
本当にそうなってしまいそうで、暗い気持ちになったりもします。


それでも敢えて私は「悲観的」であることをお勧めしたいと思います。


時代の大きな流れの中で捉えていくと、
今までは世界全体が右肩上がりであったと言えると思います。


経済は成長し、娯楽は増え、文化は栄えてきました。


これからはどうでしょうか。


経済は停滞、又は下降しています。


娯楽は増え続けていますが、もはや
人間が持つ能力で楽しめる限界に達しようとしています。


情報が氾濫しすぎて、何を持って文化なのかすら分からなくなってきました。


そして、世界的に少子高齢化が進んでいます。


さらに気候変動リスクが高まっています。
(私は地球寒冷化論者なので、温暖化とは言いません)


つまりこれからは、世界全体が右肩下がりへ向かっていきます。



全体が右肩上がりの時は、楽観論者が勝利する可能性が高かったと思います。


そしてこれからは、


全体が右肩下がりであり、悲観論者が勝利する可能性が高まるということです。



「悲観論=マイナス思考」ではありません。



この先どうなるか、と考えた時に、
「悪くなる」という予想から思考をスタートすると言うことです。


その上で、物事を構築していく、そして準備するということです。


いつの時代も流れに乗ることが大切なのだと思います。


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2010年03月21日

★No.70【働く覚悟か楽しみか】



仕事の出来る期間は長ければ長い程良いのです。


昨今、年金に関するテーマがマスコミなどで大きく取り上げられ、関心も非常に高くなっています。


そこでよく議論されているのが、何歳からいくらもらえるのか。


といった内容です。


つまり仕事を引退した後に楽隠居が出来るのどうかという問題に終始します。



仕事柄、私は60歳以上のビジネスマンの方々ともお会いして話を聞かせて頂く機会も少なからずあります。


そ殆ど方に対して、あと数年で定年を迎えられるのが非常にもったいなく思います。


気力や行動力、長く深い経験をしてした独特の雰囲気、多大なる尊敬に値する考え方など、ぼちぼち年金をもらいながら生活するなどということはとても想像が出来ません。


彼らがあと数年でリタイヤし、年金生活者になってしまうことは、国家的な損失と言っても良いでしょう。


早期の制度的な改善が求められます。


ただ、何れにしても。


あと数十年先には、70歳であろうが80歳であろうが、働かなくてはならない時代がやってきます。


国家の財政的に年金額が減ることは確実であることもありますが、それにプラスして絶対的な労働力の不足が起こってくるからです。


といいつつ、このことが起こる重要な要素はこういった外的要素によるものではないと私は思っています、


それは、それなりに年をとってもまだまだ働きたいという意欲のある人が大幅に増えてくるだろうと言うことです。


冒頭の繰り返しになりますが、楽隠居が本当に人が望む姿なのでしょうか。


わたしたちはあと何年働けるのか。


その期間が長ければ長い程、充実した人生を送ることの出来る期間が延びるのではないのでしょうか。


定年などのように年齢で仕事期間を計るのではなく、「気力」「体力」「能力」で計るべきであり、年齢に全く関係なくそのレベルに応じた報酬を得られるような仕組みを構築するべきなのです。


年齢で計る定年制度そのものを撤廃しなくてはなりません。


これからの時代は、定年まで働くという辛い覚悟をするのではなく、どれだけ長く働けるかを楽しみに考えながら過ごすことができるように自分の仕事を創りあげていく必要があると思います。




srcblog01 at 15:13

2010年02月22日

★No.69【未来を手に入れる】



未来を手に入れること、できます



旬な話題を。


高橋大輔は銅メダル。織田信成は7位入賞。


個人的には何れも素晴らしい結果だと思いますが、明らかに世間の評価も彼ら自身の満足度にも雲泥の差があります。


それは天国と地獄程の差があると言っても言い過ぎではないようにも思えます。


高橋大輔には賞賛と満足。織田信成には同情と後悔。


この差はどこから生まれたのでしょうか。


実はこの二人の思考には決定的な差があるのです。


もちろん私自身は、この二人と話をしたこともなければ、実物を見たことさえありません。


しかし、テレビのインタビューで決定的な二人の差を感じ、何れはこのような結果になるであろう事は、彼らの考え方の中にあったことが分かってきました。


高橋大輔が、4回転ジャンプを失敗し、演技を終了したとき、実況アナウンサーは、

「4回転ジャンプの失敗から見事立て直して高得点を獲得した」と評しました。

しかし、本人は演技後のインタビューで、

「4回転ジャンプを失敗することを想定した練習もしていたので、その後の演技に集中できました」と答えています。


つまり、彼は、「立て直した」のではなく、単に「想定の範囲内」であったに過ぎないのです。


高橋大輔の演技は、自ら想定する未来の中に収まりました。


もし彼が4回転ジャンプの失敗を想定していなかったなら。


結果は想像に難くありません。



そして織田信成は、競技の前に既に靴紐が切れており、応急処置をしています。理由は、「感覚が狂うのが嫌だったから」です。


一流のアスリートの感覚はちょっとしたことで狂うものでしょうから、この判断は正しいものだったのだろうと個人的には理解しています。


では、彼は、「競技中に靴紐が切れたらどうするか」というところまで想定していたのでしょうか。


後のインタビューからは、そのような準備をしていたといった発言は聞くことは出来ませんでした。


織田信成の演技は、想定する未来以外の結果となりました。


もし彼が靴紐が切れることを想定していたら。

感覚よりも切れないことを優先して交換するか、切れても後悔しない覚悟を持って演技に挑んでいたことでしょう。


私たちが生きていく中で、何かに挑戦するとき、また、何かを判断するとき、最も悪い結果から最も良い結果まで、そんなに多くの幅があるわけではありません。


殆どの場合、その結果如何でどうなるかは想像できる範囲内だと思います。


重要な挑戦や判断を行うときに重要なこと。


それは考えうる未来を想定して、対応できる準備をしておくことです。


挑戦や判断が重要であればある程、人は動揺し、緊張し、また失敗を恐れます。


そんな時にこそ、あらゆる場合を想定して準備をしておくこと。特に失敗したときの心の準備が重要です。


先回りして、考え得る未来を手中に収めておくことで、より成功への確率が高まっていくことでしょう。


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2010年02月08日

★No.68【建前が本音であること】




意見の違いはストレスではなく楽しみなのです。



人には建前と本音があるというのが一般的な考え方です。


しかし、私には、建前と本音は殆どありません。


こんなふうに書くと、まるで私が、自分自身をまるで聖人君子かのごとく喧伝しているように思われるかも知れませんが、当然ながらそうではありませんし、残念ながら聖人君子にはほど遠い人間です。


では、なぜ建前と本音が無いのでしょうか。


例えば、ある一つの問題にAという考え方とBという考え方があるとしましょう。


私はAを主張する人の前では、そのAに賛同し、Bを主張する人にはBを賛同するということが良くあります。


見方によっては、お調子者とか八方美人といったところでしょうか。


ところが私がある意見に賛同するときには、殆どの場合その意見に心から賛同しています。


その理由は、自分自身の意見がどうであれ、その人の生き方や価値観、さらには目指す目的によって考え方が異なることは明白であることを常に意識をしているからです。


また別のシーンでは、


公的な場である意見に同意しながら、その後の気の置けない仲間達との会合で、その意見を否定するようなことを言っていることもあります。


これも同じくどちらも本音です。


つまり私自身の中でも一つの問題に対して常に2通り以上の考え方を持っているということなのです。


一つの意見や方針は、何を目的にするかによって答えは異なります。また目的は同じでもその達成に向けての手法によって考え方は全く違います。


そう考えると、人の意見を否定すること自体が、無意味だとも言えます。


人の意見を否定すると、相当なエネルギーが必要ですし、否定される側もエネルギーを消費します。


ですから、意見が食い違うときは、否定するのではなく、全てを肯定することから始めてみてはいかがでしょうか。


そして、なぜその意見を持っているのかをじっくりと聞き、分からないところは納得できるまで質問していくのです。


そうすることで人の話は自分の考えを決定づける為の貴重な素材として、あなたの考えを醸成させる糧になります。


そして実際の行動においてどれを選択するかということだけは、自分自身の責任で決めればよいのです。


意見の違いを楽しむ余裕があれば、考え方の異なる人たちとの会合もとても楽しく価値あるものになっていくことでしょう。


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2010年02月01日

★No.67【火中の栗を拾え】




火中の栗は放っておくと灰になります。



「火中の栗を拾う」という言葉は日常的に良く耳にします。



「自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒すたとえ」「他人の利益のために危険をおかして、ばかなめにあうこと」といったような意味として辞書に書いてあります。


ラ フォンテーヌの寓話をもとにしているということです。


それはともかくとして、「なんでわざわざそんなことするねん」と関西弁で思いっきりつっこまれてしまうようなことに、敢えて取り組むと言うことを私は推奨しています。


推奨していると言っても、一部の辞書の言葉の意味にあるように「ばかなめにあうこと」が可能性として高く存在しますから、表だって勧めると言ったことはありません。


あくまで心の中で推奨し、そして火中の栗を拾う行為を行う人を尊敬します。


もちろん結果として、寓話の猫のように火傷をしてしまうこともあるでしょう。


ただその勇気をもってリスクを取る行為が、結果的に人のためになり、多少の火傷をしてもその経験が自分自身の糧になることがあると思います。


もちろんただ単に火傷をするだけで、結果的に後悔だけが残るということもあるでしょう。


それでも何度も懲りずに拾うことで、稀にとっても美味しい栗を人に振る舞ったり自分自身でもそれを食べることもできるのではないかと思っています。


逆に拾わなければその栗は、灰になってしまいます。


当然ですが、拾い方には工夫は必要です。間違っても何の準備も工夫もなく火の中に素手で突っ込んではいけません。




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2010年01月13日

★no.66【ときに太陽を考える】





悩み、時々、太陽。



日々様々なことが起こります。

その殆どが自分の思い通りになることではなく、ストレスの原因になっていきます。

時にはそんな自分の存在を嘆くようなこともあるでしょう。


仕事がうまくいかない。

失恋した。

努力が実らない。

受験に失敗した。

将来が不安だ。

友達に裏切られた。

上司とそりが合わない。


このようなことで落ち込んだときに、私は太陽について考える事にしています。

想像も出来ない程の大きさの物体が、まったくエネルギーを補給されるこなく、何十億年も燃え続けている。


この何とも言えない壮大なスケール。


これに比較すれば、自分の悩みなど、砂粒ひとつの存在価値すらありません。

しかも私たちは、その太陽という想像を絶するとてつもないものによってかろうじて生かされている、とても小さく弱い存在に過ぎません。

そう思えば、日々感謝の気持ち意外に湧いてくる感情はないのではと思います。


私は宗教家ではありませんから、日々太陽に感謝しようと呼びかけているのではありません。


ただ、時々、太陽に思いをめぐらせることで、自分自身の悩みの馬鹿馬鹿しさに気がつくことも悪くない事だと思いませんか。



srcblog01 at 23:59

2010年01月04日

★No.65【「誠実に」さらに「誠実に」】




「誠実さ」が「生きやすさ」につながる。



新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


新年最初のテーマは、誠実に生きること。です。

人の生き方として私はこれがいちばん生きやすいと思っています。


具体的には、人に対して誠実であることです。人のことを心から思いやり、嘘偽りなく接するということです。


これはなかなか難しい。


人と接するときは、必ず自分自身にとって有利になるように考え、行動し、時には嘘をついてでも自分の思い通りにしようと思ってしまいます。


また逆にこちらは誠実に行動していても、相手が自分を陥れたり騙したりすることで、こちらの誠実さが萎えてしまうこともあります。


でも、どのようなことがあっても、誠実さを失わないことが、生きやすいと私は思っています。


人はよくストレスを感じます。


あなたが感じるストレスの中には、自分を有利に導く為に、人に対して誠実さを失ってしまったときに大きく感じるものがありませんか。


逆に自らの誠実さに完全な自信があれば、どのような精神的な仕打ちを受けても、意外と平気でいられます。


それは自らの考え、行動に、曇りがないからです。


自分自身の誠実さに常に自信を持つことができれば、日常におけるストレスの大部分は解消していくことでしょう。




srcblog01 at 18:12

2009年12月14日

★No.64【一生懸命をはき違えるな】



一生懸命に何もしないということもあるのです。



一生懸命に努力するとか、いわゆるがんばるという言葉に基づいた行動を行うことでなぜか自分自身や周りが納得してしまったりすることがあります。


例え失敗しても。結果が出なくても。


一生懸命にやったんだから仕方がない。
頑張りは評価すべきだ。


などと一定の価値を認められることがあります。


実はここに大きな間違いが隠れていることが往々にして存在します。


それは一生懸命の意味を履き違えていることが非常に多いからなのです。


あなたにとって一生懸命とは何ですか?


夜もロクに寝ずに勉強したことでしょうか。
休み無しでやたらと仕事をしたことでしょうか。
やたらと営業飛び込みを繰り返したことでしょうか。


客観的に見ると、これらの行動は、一生懸命やっているとか、がんばっているとか見られているケースが殆どだと思います。



これらは一生懸命におけるほんの一部分に過ぎません。



私の考える一生懸命の定義とは、


「求められる結果を出すために最も有効と思われる方法を導き出し、実際に実行し、その結果を鑑みて創意工夫を行いながら、最短距離での結果到達手法を導き出した上で実際に行動していく。そして時には行動しない」


ということになります。


一生懸命やがんばってるが単に「動いている」にならないよう、その中身の検証を怠らないこと。


それが本当の一生懸命なのです。




srcblog01 at 01:00

2009年12月08日

★No.63【人を信用するな】




信用は自らが与えることにより決定される。



過激なタイトルになりましたが。


信じていた人に裏切られたなどと嘆く人をよく見かけます。


はたしてこの裏切られた人は本当にその人を信用していたのでしょうか。


人を信用すると言うことは、大変な労力を伴います。

例えば、あなたが信用している人は多少何かがあってもあなたの望む通り、又は約束通りに行動してくれる人のことと定義していると思います。

そしてその人があなたの望んでいない行動をしたとき、あなたは裏切られたと感じるはずです。


そして嘆きます。


でも何に対して嘆くのでしょうか。

裏切った相手を恨み、または非難することでしょうか。


基本的に人は、自分に有利になることを基準として行動の方向性を判断します。

つまり裏切った相手は、裏切ることがその人にとって有利であることを認識したのです。

あなたの信頼に応えるよりもその人にとって大きな事がそこにあったのです。

単に足し算引き算の問題に過ぎません。

どちらの判断が自分自身のプラスになるのか。


このようなことを書くと、人は損得勘定だけで生きていないと、お叱りを受けそうですが、自分にとって損であることを敢えて選択することもその選択に何らかの損得勘定が隠れていることを理解すべきです。

一時的には損な選択に見えてもそれが結果的に自分自身にとって「得」または精神的に「満足」が得られると判断した時にその方向に行動の選択を行います。

つまりあなたが人を信用しようとするときには、その人があなたにロイヤリティを持った判断をしたほうがその人自身にとって物質的または精神的に有利である要素をその人に提供していなければなりません。

そのことに自信を持ってこそ、初めて「信用する」という言葉を使うべきだと考えています。

自分に都合の良い一方的な信用は、最初から裏切られることが決まっているのです。


srcblog01 at 19:17

2009年11月27日

★No.62【最後に愛は勝つ】




思いを実現するときに第一に考える事



歌の題名ではありませんが、何事も最後に愛は勝つと思っています。


例えばビジネス。


顧客を思いやる心(愛)が、顧客からの信頼を勝ち取り、結果、その心を持った企業や人に多くのファンが集まってきます。

そしてビジネスは成功します。


一時的には、市場における戦略とか、創意工夫のみによって市場を席巻することはありますが、あくまで一時的であり、その戦略と創意工夫に「愛」がなければ継続して市場における優位性を獲得し続けることは出来ません。


目的が「利益を出すこと」で、戦略は「市場占有率を高めるため」のものであれば、その目的は達成しつづけることはないでしょう。

目的が「世のため人のため」であり、戦略は「より多くの人のお役に立つため」のものであるならば、その目的は自ずと継続的に達成されることでしょう。


人間関係や日常生活の様々な場面ににおいてもこの法則は当てはまります。


身近にいる人たちに対しては言うまでもありませんが、会ったことのない人や世間そのものに対しても、常に愛の気持ちを持つことが、結果的に自らの人生は豊かなものにしていくのではないのでしょうか。


創意工夫や戦略、企画、人に対しての物事の伝え方。


それらの中身を考える前に、何に対して愛を追って取り組むのか。そのスタート地点を自分自身の中で明確に持っている必要があると考えています。



srcblog01 at 11:43

2009年11月04日

★No.61【命を考える】




自分の命をどう考えるか。



私事ですが、先日義父が亡くなりました。

亡くなる少し前から、亡くなった直後、通夜から葬儀、初七日から香典の確認、整理まで、私自身は何もお手伝いすることはありませんでしたが、傍からその様子を見させていただくことが出来ました。

この年になるまで、こういったことを一連でかつ間近で経験することは無かったので、人が一人亡くなると言うことは大変なことなのだと改めて認識することとなりました。

通夜も葬儀も大勢の方にお越しいただき、故人にとっても遺族にとってもせめてもの慰めとなったことだと感じています。


ところで、人が一人亡くなると、しばらくの間、その人はこの世にいないのではなく、ここにいないだけなのではないかという錯覚に陥ります。


突然現れても何の違和感もないような感覚を持つのです。


さらに、故人と毎日のように密に接していた人以外は、一通りの儀式が終われば何ら変わることなく日々の生活を続けることとなります。


そしてさらに時間が経つと、故人が存在しないことが当然のこととなり、人ひとりがいなくなったという空間が徐々に他の何かによって満たされていくこととなります。


そして100年も経たずして誰もそのことを記憶している人すらいなくなってしまいます。


そう考えると、人ひとりの命は、とてもはかないものであり、地球というと大げさですが、人類史上全体から見ても殆ど意味のないものであることが分かってきます。

たとえそれが歴史上重要な意味を持つ人物であったとしても、教科書の活字に残るだけのことであり、知識としての意味しか無くなると言うことになります。


こういったことから私は私自身に対して常に言い聞かせていることがあります。


「自分自身の命や人生を大げさに考えるな」


もちろん他人に対してこれを求めるようなことはしませんが、私自身は常に自分自身の存在価値を大げさに考える事はありません。


自分一人いなくなっても100年もしないうちに誰も気にしなくなるどころか記憶にすら残している人もいなくなるわけですから。


ですから私は、目の前のことに思い悩むことより、今自分が存在しているということ一点にのみ感謝の気持ちを持って日々一生懸命生きることに集中していくことを心がけているのです。



srcblog01 at 14:06

2009年10月16日

★No.60【志(こころざし)を考える】




あなたに志はありますか?


志とは辞書的には、目標とか信念、また相手のためを思う気持ちといった意味があるようです。


語感的には、何か「おおきく健全で且つ壮大な自らが向かうべき道しるべ」みたいな意味を勝手に想像したりしています。


今回は語感的な「こころざし」をテーマにしたいと思います。


人を動かす原動力は、「欲」以外にもあるのではないか。と常々考えている私は、その一つに「志」を「欲」以外の原動力候補として捉えています。


志の例を考えると、

「政治家になって国を良くしたい」
「地域の活性化のお役に立ちたい」
「プロ野球選手になって子供たちに夢を与えたい」

と、なぜか社会や人の役に立つようなそんなものが志という言葉に合うと感じます。


「お金持ちになりたい」
「プロ野球選手になりたい」
「出世して部長になりたい」


これらはちょっと志という言葉には合わない感じがします。

このように考えると志とは、「人や社会のために何かを成し遂げようと思うこと」という意味だと感じることが出来ました。


その為には、目の前の欲を捨ててその志に向かって行かなくてはなりません。


では、志に向かっている人は欲そのものを捨てているのでしょうか。


そうではありません。


その「志」を成し遂げたいという「欲」があるからです。



なかなか「欲」以外に人の原動力は見つかりません。

srcblog01 at 15:06

2009年09月24日

★No.59【コネとか人脈とか】




効果的な人脈の作り方あります。



「コネで会社に入った」

「人脈を活かしたビジネス」

コネ(?コネクションの略でしょうか)とか人脈は何かと役に立ちそうな気がします。
ですから、コネを作るための異業種交流会みたいなものがあったりするのでしょう。

私は良く「ルート」という言葉を使います。
コネや人脈があるではなく「ルート」があると言います。

ルート=道とか経路といった意味です。

何らかの接点があるといったようなニュアンスかも知れません。


それはさておき。


普段から様々な方のビジネスマンとの交流がありますが、人脈やコネがあるからビジネスが成功したという人は見たことがありません。

でも成功した人は人脈とかコネをたくさん持っています。

そもそも人脈とかコネとはいったい何なのでしょうか。


人脈とかコネは人が大切にしたい人との繋がりです。

では大切にしたい繋がりとはどんな繋がりでしょうか。


・役に立つ
・楽しい
・世話になった
・儲かった
・苦楽を共にした
・共通の趣味がある
・好き

なかなか作ろうと思ってできる関係では無さそうですね。

人脈とかコネは作るものではなくできたものなのです。

つまりコネや人脈を作りたい人は、それにつながる行動をすべきだということが分かってきます。


人脈は、目的ではなく結果なのです。


異業種交流会に参加してもコネも人脈もできません。



srcblog01 at 11:45

2009年08月17日

★No.58【人生はたった一日でしかない】




一日を無駄にしない。その為の秘策あります。



人は過去に縛られ、未来に悩まされる生き物です。

では過去とは何のことでしょうか。

私は、「過去=昨日までのこと=変えられないもの=死んでいるもの」と捉えています。

また「未来=どうなるかわからないもの」と捉えます。


つまり


「過去は知識に過ぎず、未来は考えるに及ばない」


というのが私の結論です。



生産的な概念からすれば、寝ているときは死んでいるのものも同じです。

そう考えると、朝は、人生の始まりであり、夜は人生の終わりが訪れます。

夜は、今日という人生はどうだったのか、まるで穏やかに死を迎える瞬間のように回想する時だと思っています。

まるで輪廻転生を繰り返すが如く、一日を一人生と捉えて生きてみることが最も心穏やかに生産性高く生きていける唯一の方法ではないのでしょうか。


私たちの生き方を考えてみましょう。


昨日以前の過去を顧みるが故、最も生産性の低い行為である後悔の念に多くの時間を使ったり、明日以降の未来を考えるが故に今日一日を疎かにしたりしていませんか。


人生は今日一日しかないのです。過去も未来も今日一日の出来事です。


そう考えれば、一日をもっと有効に使えるはずです。



srcblog01 at 13:20

2009年08月03日

★No.57【幸せとは何か】




幸せは結果ではなく状態のことを言うのです。



相当に根本的なテーマですが。

最近は選挙も近くなったことで、政治家主導で、国民の幸せを実現する等といった言葉がやたらと聞かれます。

国民やマスコミの側も困ったもので、政治が何をしてくれるのか、みたいな論議に集中しています。


果たして誰かに何かをしてもらうことで幸せは実現するのでしょうか。


「物心両面での満足を得る為に、自らの努力や試行錯誤を繰り返すこと」


私は人間本来の幸せをこのように定義しています。


人間の欲には限りがありませんので、何かで満足を得ると、その状況が当然になり、次の欲求を求めていきます。

それを満たすためにさらに努力をし、到達していく課程そのものが、実は本当の幸せだと言えるのではないのでしょうか。


私自身は経営者でもありますので、従業員の幸せを如何にして実現するかということに日々腐心しています。

但し、その手法においては、私自身が何かを与えるのではなく、ひとりひとりが、自らの努力と試行錯誤によって、自らの物心両面での満足を得られるよう導いていくことであり、その為の環境を整備することだと考えています。


もちろんそれを実現する為の過程に対して努力することができるという状況に感謝し、少しずつ実際にそれが成し遂げれられる過程そのものが、私自身の幸せにつながることは疑いようのない事実です。


現在のように経済環境が厳しい時だからこそ、ひとりひとりが本来の幸せの意味を噛み締めながらさらなる努力と試行錯誤を繰り返していくべきなのではないのでしょうか。



srcblog01 at 10:07

2009年07月30日

★No.56【助けてほしいと思ったとき】




助けて欲しいときにその気持ちを180度転換するのです


仕事がうまくいかない。

彼氏彼女ができなくて寂しい。

お金がない。

仕事がない。

友達がいない。

人間関係がうまくいかない。


ごく普通に生きていても、様々な場面で誰かに「助けてほしい」と思うことは数多くあります。

そのような状況に陥っているときは、ひとは大抵、「助けてもらうための労力」を使ってしまいます。


誰か仕事まわしてくれないだろうか。

彼氏や彼女を紹介してくれる人はいないか。

誰かお金貸してくれないか。

仕事を紹介してくれないか。

誰か友達になってくれないか。

誰か嫌な人を自分から離してくれないか。


とまあこんなことに頭と時間を使ってしまいます。

でも、ほとんどの場合いくらこのようなことに時間を使っても解決することはまずありません。


不思議なもので。


これらの状況を解決するのに最も早い方法は、誰かを助けることです。


仕事がうまくいかないなら、誰かの仕事がうまくいくように手伝ってあげましょう。

彼女がいなくて悩んでいる友達がいたら、自分の知り合いを紹介してあげましょう。

お金に困っている人がいたら・・・。これは少し考えなければなりませんが・・・。


自分が誰かに助けを求める程困っていることが起きたなら、自分自身が誰かを助けることで自然に自分のことを誰かが助けてくれます。

日常生活でも仕事でも同じ事が言えます。

自分が困っているからと言って、自分以外に助けを求めるだけでは、誰も助けてはくれません。

ただ、頭で分かっていても、実際に苦境に立たされると忘れてしまうことがあります。

自分が困ったら人を助ける。

この発想を忘れなければ、あなたの苦境は早晩解決することでしょう。



srcblog01 at 14:34

2009年06月26日

★No.55【考えが足りない】




あなたはあなたが思う以上に考える力を持っています。



普通ひとは考えが足りません。


何かを興そうとするとき。

判断を迫られたとき。

将来を考えたとき。


自分が行動することによって何がどうなるかを深く真剣に考えることはあまりありません。


とは言うものの、何かする度に真剣に深く考え込まれてもまわりは迷惑ですが。。。


でも、


とっても大切なことなのにその時の気分やまわりの雰囲気に流されて、深く考えないままに物事を決めてしまって、後々で後悔することってありませんか。


ありますよね。


実はこれは、習慣とか本能の問題です。

ほうっておくと、何事に対しても深く考えないで本能的に結論を出してしまうのが人の自然な姿です。


となると、後悔しない決断のためには、自らに深く考えさせるという能動的な働きかけが必要になるということになります。


一度何か決断の前に、深く深く考えることを自らに課してみましょう。


悩むのではないですよ。

ロジカルに考えるのです。



「本当にそれでよいのか」



繰り返しますが悩んではいけません、全身全霊を持って深く論理的に考えるのです。



自分自身に深く考えるよう指示を出します。



そして答えを導き出しましょう。



これであなたは自分の結論に後悔することはありません。


考えに考えた結論を実行して、起きた結果を残念に思うことはありますが、それ以上の結論を持っていなかったのですから、諦めるより仕方ありません。


時々でいいです。深く考える事を実行すること。


そうすることで、自分が気がついてない自分の力を発見することができることでしょう。


srcblog01 at 19:03

2009年06月08日

★No.54【幸せのレベル】



実はあなたはすでに充分満たされているかも知れません。


人間の欲望には限りがありません。

何かを達成すると、すぐに次の何かを求めます。

これは、一般に言う「金銭欲」とか「名誉欲」また「食欲」「性欲」「睡眠欲」といったような人間本来が持つ基本的なものだけではありません。

「もっと遊びを楽しみたい」
「時間を有効に使いたい」
「人気者になりたい」
「趣味を充実させたい」
「自分の時間が欲しい」
「友達がたくさん欲しい」
「センス良くなりたい」
「賢くなりたい」
「座り心地の良い椅子に座りたい」
「癖毛を直したい」

といったような日常的なことに至るまでどんどん出てきます。

これは一見成功者で、全てを満たしているような人でさえ、共通に、というよりもさらに多くの欲を持っていると場合すらあります。


これらの欲に対して、それらをひとうひとつ満たすための過程を楽しみながら進んでいくと言うのが理想であり、毎日をそのように過ごしているのであれば何ら問題はありません。


ところが、


これらの欲はそう簡単に満たされることはありません。しかも満たされないこと自体が人生の苦しみとなり、日々生きていくことに苦痛を感じることもあるでしょう。


そんなときに私は、幸せのレベルを一旦下げることをお勧めしています。


方法は簡単。あなたが健康なら、1日食事を抜いてみて下さい。


「ごはんがおなかいっぱい食べられるってなんて幸せなことなんだろう」


と感じるはずです。

これがきっかけで、日常の些細なことに「大きな幸せ=欲を満たす出来事」たくさんあることに気がつくはずです。


欲が満たされない苦痛を感じたら、日々満たされている自分に目を向け、そこから上の欲(=目標)にむかって楽しみながら向かっていきましょう。


満たされない自分を嘆いていても、日々おもしろくないだけです。



srcblog01 at 11:23

2009年06月01日

★No.53【信ずる者は救われない】




人の言うことを信用してはいけません



ちょっと過激なタイトルですが。


近年ネットの普及も手伝って、様々な人が様々な意見を自由に言うことができるようになりました。

これ自体は、全く否定するものでもなく、逆に素晴らしいことだと思っています。

言うまでもなく私自身もこうやって自ら情報を発信しています。


今回のテーマは、ネットの書き込みだけのことではなく、どちらかというとしっかりとした肩書きを持った方々が発信する情報や、意見についてです。


例えば、経済や投資に関する情報を発信する立派な肩書きを持ったアナリスト。

私の興味ある分野における個人的な調査(ある予測が出たときに、それらをファイルしておき、時が経って実際にどうなっかを検証する)では、彼らの言うことは90%の確率で「はずれ」です。


つまり10回に9回は「はずれ」ということです。


そしてたまに(ほんの10%の確率で)「あたり」がでると、いかにも自分がそれだけを予測していたかのごとく大げさに自慢したりします。


また別の分野では、著名な方によって、「人間こうあるべきだ」とか、「これが成功へのプロセスだ」みたいな情報が本や雑誌、またまたテレビなどでも紹介されることがよくあります。


ほとんどの場合それを真似しても成功しませんし、立派な人間にもなれません。


なぜでしょうか。


私たちは、やはり活字とかテレビに弱く、ついついそう言った「メディアの発信=本当のこと」と思いがちです。


そしてそれをまるまる信用して鵜呑みにする傾向が強くあります。


しかしながら実際には正確に事実を伝えてるケースのほうが少ないと考えて良いでしょう。

なぜかというと、全てのメディアは、まず「結論ありき」で文章を書き、番組を制作し、発信するという傾向が強いからです。


つまり「その結論」と違う結論が出そうな現象、意見、情報などを極力無視して、最終的に作り手や書き手の思う方向へ持って行くからです。



だから彼らを絶対に信用してはいけません。



では、どうすれば良いのでしょうか。


唯一の方法は、それらの情報に対して、「信用」するのではなく「消化」する習慣を持つことです。

自らの経験や、知識に合わせて、自分のおなかの中でしっかりと消化することで、いらないものは排除したり、危険なものは最初から食べないという意志を持つことが大切です。


例えば、経済や市場の先行きに関するアナリストの予測意見は読まないし、聞かないというのが正解です


90%外れの人の話を聞いても仕方ないですから。


但し、なぜ彼らがそう思ったかという根拠に関してのみ耳を傾け、また目を通し、自分自身の判断の一要素とすることは良い習慣でしょう。

また、著名な方々の成功体験にまつわる書物や情報は、知識として蓄えるに留め、猿マネは決してしないようにすべきです。


それは、あなたにはあなたにしかないオリジナルな能力があるからです。



人は「信用」するのではなく「教材」としてみては如何でしょうか。



srcblog01 at 12:56

2009年05月07日

★No.52【自分の心を支配する】




心は頭ではコントロールできません。



「ストレス」「欲求不満」「イライラ」「もどかしさ」

予測される「怒り」「悲しみ」「悔しさ」


人はある一方に引っ張られるマイナスのベクトルによってこういった感情が生まれてきます。

よく「感情をコントロールする」という表現が使われますが、なかなか自分の意志だけでこういった感情を抑えることは難しいですね。

なぜ難しいかというとそれは、頭の中だけでコントロールをしようと思っているからです。

感情は必ずある現象によって生じます。

仕事がうまくいかないとストレスが発生します。

好きな異性が振り向いてくれなければ欲求不満になります。

全てにおいて現実に起こっていることがそれらの感情発生の原因になっているはずです。


ですから自分の心を自分の支配下に置くためには、今、発生している感情の逆の感情を生み出す現象を意識的に作り出すことが必要です。


最近の技術では騒音防止には防音ではなく、逆位相の音を人工的に発生させることで騒音を打ち消すということが可能になっています。

まさに、このことを自らの心を支配するために応用するのです。

マイナスの気持ちに陥ったら、それと逆の感情を呼び起こしてくれる行動に踏み切るのです。

自分の得意な仕事だけしてみる。

自分のことを好きな異性に声をかけてみる。

そうすることで、現象によって発生する感情を逆位相の現象によって打ち消すという作業をしていくのです。


心が平穏でなければ何事もうまくいきません。


マイナスの現象にはプラスの現象をぶつけることで打ち消しながら自分の心を支配していくことが日々良く生きる最善の方法でしょう。


srcblog01 at 10:48

2009年04月21日

★No.51【安定なんてつまらない】




究極の安定に向かって人は生きています。



基本的に人は安定に向かおうとします。

収入

仕事

恋愛

家庭

健康

人間関係

これらが安定するようにと日々努力しています。

でもなかなかうまくいかないもので、仕事も収入も安定していると思ったら、家庭が不安定になったり。

幸せな家庭になったと思ったら健康を害したり。

健康になったと思ったら職を失ったりするのです。

でも奇跡的にこれらが全て安定したらどうなるでしょう。(そんな人は殆どいませんが)

そう、趣味に走ります。

趣味と言えば、そうですね、

ゴルフ

盆栽

釣り

絵画

音楽

etc.

どれもなかなか奥が深くて安定してうまくいくものでありません。


不思議なもので、人間は安定に向かいながらもその一方で不安定や困難を求めるという性質を持っているようです。

言い換えると不安定を安定に変えていくことが人生そのものだと言えるでしょう。

そう考えれば普段の不安定も少しは楽しめるかも知れません。


そして最後に究極の安定「=死」を迎えるのです。


srcblog01 at 13:55

2009年03月24日

★No.50【もっと悲観的になろう】



あなたには、まだまだ悲観度が足りません。


「悲観的」

とてもマイナスのイメージのある言葉です。

「悲観的に考えるな」

落ち込んでいるとこんな風に励まされたりします。

私は思います。

「もっと悲観的に考えよう」

悲観的な考えに出会うために、私自身は、とても嫌な気分になります。それは大抵の場合、悲観的の度合いがめいっぱい悲観的だとは思えないからです。

悲観度が足りないと言えるかもしれません。

なぜかというと、悲観的な発言をする人は、そこに慰めや励ましを求めていたり、言い訳を作ろうとしていることがよくあるからです。

本当に真剣に悲観的になっているか。

では、その悲観的な結果になったときに自らがどのような行動をするかというところまで考えているか。

自分の心が悲観的になったら、徹底的にホントのホントに悲観的になり、その悲観的な結果がもたらす状況を想像してみて下さい。

どうなりますか?

拷問にかけられますか?

生きていくことが出来なくなりますか?

その後もずーっと悲観的な結果しかありませんか?

徹底的に悲観的になり、本当にその結果訪れることを想像してみれば、意外と希望が見えてきたり、違う道筋がそこに表れたりするものです。

悲観的になっている自分に気がついたら、徹底的に悲観的になってみましょう。そしてその結果を想像し、現実として受け止めてみましょう。

そこには何かしら光が見えてくるはずです。

そもそも悲観的になる必要すら無くなるかも知れません。



srcblog01 at 21:33

2009年03月03日

★No.49【不安を歓迎しよう】



不安がない人に不安な結果が訪れるのです。


最近人の話を聞いても、テレビを見ていても「不安だ不安だ」の大合唱です。

煽りすぎ煽りすぎ。

第一今までの人生の中で不安の無い時があったのでしょうか?「仕事の不安」「健康の不安」「恋愛の不安」「友人関係の不安」「人間関係の不安」「死への不安」「生活の不安」「将来への不安」等々、いつも不安を抱えていたはずです。

もっと言えば、生きていくことそのものが「不安との戦い」だと言ってしまっても良いでしょう。

過去を振り返ってみましょう。

不安があるから頑張れたのではないですか?

将来に不安があるから勉強して学歴や資格を築いて来られたのではないですか?
健康に不安があるから食生活に気を遣って健康でいられるのではないですか?
生活に不安があるから仕事を一生懸命やって今の地位があるのではないですか?
人間関係に不安があるから嫌われないように努力して、多くの友人が出来たのではないですか?

不安のある人は先を見通せる人です。
不安のある人は準備が出来る人です。

不安が無く、のほほーんと生きている人は、準備も心構えも出来ませんから、現実に悲惨なことが起こってから慌てふためいてしまうのです。

そうなってしまっては後の祭り。取り返すことができません。

つまりあなたが日々抱えている不安は、将来にわたって幸せに生きていくための必要不可欠な感情だということです。

不安を歓迎し、その不安を現実のものにしない為に日々努力していきましょう。


srcblog01 at 17:34

2009年02月16日

★No.48【自分らしく生きなくてもいいんです】



自分らしくという言葉に悩むことはありません。


「自分らしく生きる」

この言葉ってなんか魅力的ですね。人は人、自分は自分。それで良いじゃないか。

でも、よーく考えてみて下さい。それで良いはずはありません。

何をするにしても、人との関係は欠かすことは出来ません。人の感情を無視する事もできません。人との繋がり無しに生きていくことは困難と言うより不可能でしょう。

当然のことながら様々なシーンで自分自身を押さえることが必要になってきます。本当は違うのに。とか、殆どの人はそんなことを思いながら日々過ごしているのではないでしょうか。

自分らしくと言う言葉に、個性とか、存在意義とかを重ね合わせることで、さらにプレッシャーを感じてしまったりしているかもしれません。

私たちが大切に理解しておかなくてはならないことは、人は無理して個性を出さなくてそれぞれ充分に個性的だということです。

「無理しなくてもいいから、自分らしく生きればいい」などという言葉に振り回されることはありません。なぜなら本当に自分らしく生きるためには、相当「無理」をしないといけませんから。

私は、「自分らしく」ではなく、「一所懸命」に生きることをお勧めしています。


srcblog01 at 18:27

2009年02月04日

★No.47【間違いだらけのワークライフバランス】



ライフの中にワークがあるのです。


最近ワークライフバランスという言葉が流行り出していますが、日本においてはその意味が完全に間違って使われているケースが数多く見受けられます。

確かに言葉だけを見れば、仕事と生活のバランス?というように訳すことが出来でしまうが故に、仕事と仕事以外の時間のバランスをとりましょう。とか仕事をしすぎないように注意しましょう。みたいな間違った使い方をされるケースがあります。というよりも残念ながら殆どの日本人は間違った使い方をしています。

実はもともとアメリカの労務管理の一策として導入されているもので、現在では

「企業から必要とされる人材になるためにはスキルアップが必要であり、そのためには自分で勉強しなければならないと従業員の心が変わってきた。自分の身は自分で守るしかないと考えるようになったのである。そのために早く帰宅して勉強したり、家族との関係を密にすることで満足度を高め、さらにそれによって仕事の生産性が上がれば、結果的に会社にメリットをもたらすことができる」

と言う考えを表す言葉です。

ですから訳すとすれば、「つまり生活の中での仕事のバランスまたは位置づけ」とすれば近いでしょうか。

以前からの私自身の考え方でもありますが、人には、まず生活があって仕事とはその中の一部なのです。ですから「仕事とプライベート」などという言葉には大変な違和感を持っています。

人は、活動する時間の多くを仕事に振り分けているわけですから、仕事そのものもあなたの個人の生活(プライベート)の重要な一部ではないのでしょうか。

つまり、仕事を充実されるためにも、仕事以外の時間を有効に使うべきであり、仕事以外の時間のためにも仕事の時間を有効に使うべきなのです。

豊かな人生を送るためには、仕事もそれ以外も充実させることが出来るように努力を続けて行かなくてはなりません。

仕事と生活を切り分けて、仕事は適当にやってプライベートを充実させようなどという考えでは、どちらも充実させることは出来ないでしょう。


srcblog01 at 14:45

2009年01月20日

★No.46【究極のダイエット】



意志のないところに意志を持たせてみましょう。


世の中には様々なダイエット手法があり、またそれに付随する食品や商品もまさに星の数程存在します。

それらの種類は大きく5つに分かれています。

カロリーが低くて栄養素がある程度含まれる食品。
カロリーや脂肪の吸収を押さえると言われている食品。
運動の方法を指南したもの。
楽して脂肪が燃焼するとうたっているグッズ。
食事制限を伴うダイエットを指南する書物。

といったところです。

何れも費用がそれなりに必要であったり、自らの意志が強くないと続けることは出来ないものばかりですね。

そこで私は自律神経に注目してみました。

以前医師に、肝臓に脂肪がたまる(いわゆる脂肪肝)と肝臓はさらに脂肪を貯めたがる、つまり以前にも増して脂肪肝になりたがる。と言われたことがあります。

肝臓が意志を持っているかのような表現でした。

私たちは、自律神経は自らの意志ではコントロールできないと教わってきたはずです。

しかしながら、自律神経そのものに意志があるのであれば、その意志をコントロールすること、または教育することが可能なのではないでしょうか。

一般的に、私たちは、おなかにたまった皮下脂肪や内臓脂肪を、自らの意志で、普段の活動エネルギーに変換することはできません。それはあくまでも緊急時のためのエネルギー保管だからです。(逆に言うと緊急時には大変な力を発揮してくれるということですが)

だから、私たちの脳は、おなかがすくと脂肪燃焼よりも食物の摂取を促していくのです。

そこでやるべき事は、これです。

「おなかがすいたら、おなかの脂肪をエネルギーに使うように自分のおなかに指示する」

いくらおなかがすいても、おなかには立派なエネルギー源をため込んでいるのですから食べる必要はないですね。そして余分な脂肪をエネルギーに使うようにおなかに命令するのです。

勝手気ままに活動しているおなかを教育して、おなかの脂肪量のバランスをとるよう立派な人格?へとおなかを導いていきましょう。

おなかに指示命令しておなかを教育する。

教育には多少時間と繰り返しが必要ですが、これであなたのダイエットは完了すること請け合いです。


srcblog01 at 11:58

2009年01月06日

★No.45【夢との対話】



夢は実現したら終わりではありません。


私は、誰もが夢や目標を持っていると思っています。

世間を驚かせるような壮大な夢から、家族の幸せを願うささやかなものまで千差万別、またそれぞれに価値があり、困難も伴うものだと感じます。

しかしながら(前にも書きましたが)夢や目標に向かっての努力は、報われない可能性の方が高いのが現実です。

それ以外に意外に気がつかない落とし穴があります。それは、夢が実現したときに自分自身がどのような気持ちになって、何をしているかということです。

例えば、「独立してお店を出すこと」が夢だとしましょう。

もちろんそれまでに技術の習得や、独立資金の貯蓄などが必要であることは言うまでもありません。

そして念願のお店の開店。つまり夢の実現です。そして実はここから夢との本当の対決が始まります。

形になった夢を無くさないためにどうすべきか。
夢実現の感動を継続して持ち続けることが出来るか。
実現した夢の中でやりがいを持って取り組み続けられるか。

つまり「夢の実現はその瞬間に夢を失う恐怖と戦うことの始まり」を意味します。この戦いは、夢に向かっていく過程での戦いよりも遙かに多くに困難を伴うことでしょう。

まさに夢を壊すような話になってしまいましたが、ここでお伝えしたいのは夢の実現が単に新たな困難の始まりにすぎないということではありません。

夢を実現した後、さらに夢を充実させていくための心構えです。

具体的には、今、心に持っている夢を将来実現したならば、その時からどのような人生を展開していくのか。それを想像することです。

夢は実現したら終わりというものではありません。

夢を実現した自分がどうなっていくのか。そうやって「自分の夢と対話」することで本来の夢の実現に着実に近づいていくことが出来るでしょう。

努力を楽しむための一つの答えだと思います。


srcblog01 at 18:19

2008年12月17日

★No.44【失敗しないと分からない】



今更ながら、失敗は成功の母であります。


「徹底的に思い切って失敗するのです。失敗と失敗の間に成功があるから、思い切って失敗したところから微調整を重ねて、ここだっていう成功の場所を見つけるのです。やるまえに(どうかなー)って考えても始まらない。思い切ってやってみて失敗を見つけるのです。それで初めて何が失敗か分かる。」

さらに、

「成功に決まった形はないのです。同じスポーツをやっていてもその人の本来持っている力によって成功の形は違う。だから成功者はひとりひとり言うことが違うのです。だから成功者の言うことを鵜呑みにしてはいけないのです。」

これは先日お会いした、私の最も敬愛する著名なプロアスリートに直接聞いた言葉です。

私はどうしてもテレビに出てくるようなアスリート達は、人並み外れた才能に恵まれて楽しい日々を過ごしている人たちように見えてしまいます。

実際には、彼らは、人並み外れた才能に加えて人並み外れた努力をし、明確な思想を持って、実際に実行し、結果的に運にも恵まれた人たちである、ということなのでしょう。

実際に日々やっていることは失敗の連続です。
そしてその多くの失敗の中に僅かな成功を見つける。
結果、自分自身にしか通用しない成功のプロセスができあがる。

この日々の地味な作業の繰り返しが、彼らを大きな成功へと導いていったのでしょう。

思い切って失敗しない人に、大きな成功は無い。

座右の銘になる言葉です。

でも、思い切って失敗したら、必ず大きな成功があるということではありません。ここが難しいところですね。

srcblog01 at 12:14

2008年12月09日

★No.43【目的】



目的は、積極的に生きるための原動力です。


「あなたの目的は何ですか」と聞かれたら何と答えますか。
「目標」ではありません、「目的」です。

例えば、日々の行動のある一つについて、その目的は何か。またその目的の目的は何か、さらにそれの目的は何か。きりがないですが、こんなことを考えているでしょうか。

例えば、あなたが仕事をしている目的は何ですか。

お金のためですか。生活のためですか。生きていくためですか。

まるで宗教的な謎かけのようになってしまいました。行動の目的を突き詰めて考えていくと、最終的には「生きるため」みたいなことになるかも知れません。でも人間にとって「生きること」そのものが目的であるとは思えません。

「生きること」は何かをするための手段であるはずです。

そう考えると、今やっていることが無駄なことであってはいけないと思います。仕事であっても、プライベートなことであっても一つ一つの行動にその目的を問うてみるという作業は一定期間ごとに行うべきだと考えます。

そして、日々の行動にその目的を見出すことが出来れば、その行動に意味が加わり、より積極的に物事に取り組めることでしょう。

また意味のない行動で貴重な時間を費やすことも少なくなるはずです。

ところで、今あなたがやっていることの目的は何ですか?

srcblog01 at 15:14

2008年11月28日

★No.42【いわゆる心の病】



恋人にふられて落ち込んだら新しい恋を見つけましょう。


うつ等に代表される心の病が今流行っています。

流行っていると言う言葉が、適切ではないと感じるかも知れませんが、明らかに流行っていると言える状態でしょう。

いくつか理由は考えられますが、一つにはこれまでは、病気だと判断されてこなかったものが、精神医学の進歩や判断基準の変化によって病気だと判断されるケースが増え、それに伴っていわゆる「うつ病」等と診断された人が「自分は病気なんだ」と思い込むことで様々な感情に冒されたり、自分自身を何かに対して不適合だと思い込むというようなことが起こる悪循環があります。

うつ病には、「心因性」「内因性」「外因性」というものがあり、詳しく解説はしませんが、今増えているのは「心因性」といわれるものです。

例えば、「会社で仕事がうまくいかなくて食欲がない」「恋人にふられて夜も眠れない」「遺産相続の悩みでイライラが収まらない」なども実は現代の精神医学では心因性の「うつ病」と診断され、処方箋が出ます。
(一昔前にこれらを病気などと言おうものなら一笑に付されたことでしょう)

ストレスとうつ病の境界線も曖昧です。

企業も診断書を持ってうつ病になりましたと言われれば、原因究明して根本的な解決を図ることよりも、腫れ物に触るように扱ったり、とにかく休ませるといったようなその場凌ぎの対応をすることで、その人が復活する機会を損失させてしまう場合も多くあります。(企業側からすればリスクヘッジの観点からも仕方がないことですが)

果たしてそれで良いのでしょうか。

何を隠そう、私自身も心因性のうつ病と診断され、薬を処方されたことのある人間のひとりです。今の薬は便利なもので、多少の落ち込んだ気持ちなら、その力で一時的に解決をしてくれます。

でもいつまでもそれに頼る訳にもいきませんね。一生飲み続けるというのも無理があるでしょう。

大切なのは、ストレスも心因性のうつ病も全てに解決可能な原因があるので、その原因を知り、コントロールするか、若しくはその原因を取り除くことで根本的な解決を図ることです。

そういう意味では、長期にわたって前向きな人生を送るために、一時的に薬に頼ることは間違いではありません。

それを上手く利用して、自分自身が「病気」と診断されることでそれ自身に振り回されたりすることなく、根本的な解決を考え、実行していくという心持ちが大切なのだと思います。

つまり自分が「病気」と診断されたことに対して、過度に反応してさらに落ち込む必要はなく、また「病気」という言葉に甘えることもなく、他の治療可能な病気と同じように「原因を解決する、又は取り除く」というプロセスを通じて前向きに健康を取り戻すということが重要なのです。


srcblog01 at 11:23

2008年11月21日

★No41【できないものはできない】



できないことに時間を割かないことも大切です。


「何事もやればできる」

子供の頃によく言われた言葉です。今のビジネスの世界でも「できない」という言葉は禁句に近いと思います。

できない=やる気がない

と、思われるからです。

またこうも言います。

『成功する人はできる可能性を探り、失敗する人はできない言い訳を探す』

確かにこれは真理である側面を持っていますが、少し言い方を変えてみましょう。

『成功できる人で成功する人はできる可能性を探り、成功できる人でも失敗する人は言い訳を探す』

成功というとあまりのも抽象的ですから「ある事柄を成し遂げる」という意味で考えていただければ良いと思います。

なんでもできると思ってしまうと、「できないののやってる」という不幸な時間の使い方をしてしまうことがあります。

当然のことながら人それぞれ得意不得意があり、向き不向きがあります。持って生まれた才能も千差万別。

何事もやればできるわけがありません。

自分自身にとって何ができて何ができないのか。子供の間は考えなくても良いと思いますが、年を重ねるになるにつれてできるだけ早い時期にそれを認識しなくてはなりません。

簡単なようで難しいです。自分の過去を振返り、今までの成長スピードなども勘案し、かつ相当考えないと答えは見つからないでしょう。

自分自身の力で最大限充実した人生を送るのはどんな道でどんな方法か。

それを見極めることで、本当の意味で自分自身の成功を得ることができるのだと思います。


srcblog01 at 20:03

2008年11月05日

★No40【おとなの我が侭と贅沢には程が無くていいんです】



我が侭と贅沢は本当の自分を教えてくれます。


いろんなことを一度に求めようとしたりすると「贅沢にも程がある」と戒められてきました。

また、やりたいようにやろうとすればするほど「我が侭にも程がある」と叱られてきました。

こんな経験から、私たちは、なぜか自分のこういった気持ちを控えようとしてしまいます。これくらいで我慢しなきゃ。と思ってしまうのです。

子供時代のこういった教育は間違っていないと思いますし、私自身も自分の子供には同じように教育をしています。

なぜかというと子供は自分自身でそれを実現する力もなければ環境も与えられておらず、それらを実現するためには大人の力に頼るしか方法が無いからです。

でも大人は違います。

自分自身の力で道を切り開き、自分自身の我が侭や贅沢を実現する権利が与えられています。

妙な道徳意識で自らの気持ちを制限するのではなく、素直に自分自身の我が侭と贅沢に向き合ってみましょう。そして実現に向けて動いてみるのです。

動いてみて初めて分かることですが、自分自身に出来ること、出来ないことが明確になってきます。

つまり自分自身の今現在の器を知ることができるのです。やればできると言う気持ちに過ぎないものが、やればここまで出来るという明確な基準に変わる。

この現実に向き合ったとき、自分自身の本当の進むべく道が見えてきます。

自分自身の精一杯の力で得ることの出来る我が侭と贅沢が、あなたに本当の満足を教えてくれるでしょう。

srcblog01 at 16:23
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