November 2010
November 28, 2010
芸能考現学 9 新内三越公演、副家元就任
11月20日恒例の新内・富士松鶴千代の公演が三越劇場で開催されました。今回の鶴は夜の部だけ、明烏のお吉、一本刀土俵入りの二本に出演しました。
と、ここまでは毎年のことなのですが、実は、先立つ10月28日に、新内千歳派の副家元に就任したのです。弟子入りしてから30年あまり、名取り、師範と昇格(?)し、還暦すぎての副家元就任です。名取りになっての初舞台が歌舞伎座というのも懐かしい思い出、継続は力とはよくいったものです。まだまだ芸は未熟なのですが、新内をはじめとする邦楽の発展のために精進せよということだろうと、お引き受けした次第です。5人の同僚が副家元が就任、家元も次世代を考えてのことなのでしょう。就任の式は同門の名取式と一緒にいつものように神田明神、江戸の歴史を背負うような思いを改めてもちました。
公演では、今人気の中村福助丈が口上を務めてくださり、気も引き締まりました。福助丈は今回、丹頂千歳(昼の部)と蘭蝶(夜の部)を踊ってくださったのですが、当代きっての女形の妖しさというか艶めかしさはさすがのものでした。歌舞伎座改装がなったときには新内との共演も提案されており、楽しみです。
鶴は明烏のお吉では桜川七好さん、一本刀土俵入りでは山田吾一さんとの共演、どちらも「語り」のプロですので、なかなか大変なのですが、新内ではこちらが先輩ということで一生懸命語りました。いろいろの芸人の方々とご一緒できるのも勉強になります。
という鶴の芸術の秋でしたが、みなさま、新内のご支援引き続きよろしくお願いいたします。
と、ここまでは毎年のことなのですが、実は、先立つ10月28日に、新内千歳派の副家元に就任したのです。弟子入りしてから30年あまり、名取り、師範と昇格(?)し、還暦すぎての副家元就任です。名取りになっての初舞台が歌舞伎座というのも懐かしい思い出、継続は力とはよくいったものです。まだまだ芸は未熟なのですが、新内をはじめとする邦楽の発展のために精進せよということだろうと、お引き受けした次第です。5人の同僚が副家元が就任、家元も次世代を考えてのことなのでしょう。就任の式は同門の名取式と一緒にいつものように神田明神、江戸の歴史を背負うような思いを改めてもちました。
公演では、今人気の中村福助丈が口上を務めてくださり、気も引き締まりました。福助丈は今回、丹頂千歳(昼の部)と蘭蝶(夜の部)を踊ってくださったのですが、当代きっての女形の妖しさというか艶めかしさはさすがのものでした。歌舞伎座改装がなったときには新内との共演も提案されており、楽しみです。
鶴は明烏のお吉では桜川七好さん、一本刀土俵入りでは山田吾一さんとの共演、どちらも「語り」のプロですので、なかなか大変なのですが、新内ではこちらが先輩ということで一生懸命語りました。いろいろの芸人の方々とご一緒できるのも勉強になります。
という鶴の芸術の秋でしたが、みなさま、新内のご支援引き続きよろしくお願いいたします。
November 25, 2010
北海道の企業家・企業家
毎年、この時期におたるの友達たちを訪ねて次の年のカレンダーを買い、なじみの鮨屋に寄ることにしています。この写真はおたるの田中酒造という造り酒屋で「五穀祭り」のどぶろくのかざりです。このどぶろくはお土産に友達が買ってくれました。この酒屋と友達の光合金製作所は2代、3代と続いているのですが、2人とも研究熱心で酒屋は小樽商大の修士、金属加工の方は北大、室蘭工大などで教えていました。そして、昆布屋、ガラス加工などは起業家がこの小樽商店街の主要メンバーに成長しています。観光も重要だが物づくりが基礎になるというのが彼等の考えです。札幌では元通産省の審議官までやった友達夫妻と会いました。生食用のぶどうを醸造してワインを作り、ワイナリーで起業した
希有な例です。彼等と彼のワイナリーで作ったシードルやワインを出している店に行って飲みました。彼の製品は特徴があり、ファンになっている店が何軒もあります。3日目は千歳で農園を作っている北電の友達の家に行き、収穫された今年のじゃがいも、タマネギなどで彼が作るランチを楽しみました。そこへIT系で起業して成功した別の友達がやってきて、阿寒とスエーデンのプロジェクトの話になりました。いずれも地域の特色を生かしながら最近の技術を使って頑張っているのは頼もしい限りです。
November 24, 2010
起業家村から 3 第一回日本起業家大賞・国際版
11月22日(月)椿山荘・フォーシーズンズホテルで開かれた、
2010 Entrepreneurship Mentoring Initiative(EMI) Roundtable and First Annual "The Entrepreneurs Awards Japan"(TEAJ)に出席しました。主宰は、EMI TEAJ それぞれの実行委員会なのですが、Ernst & Young、United Airlines のほか在日米国商工会議所(ACCJ)がスポンサーになっています。
その名のとおり、日本でのEntrepreneur(起業家)の支援をしようというもので、 ACCJ賞(業績の優れた人)、米国大使賞(日本人)、革新者賞(女性)、UA特別賞(ジャンルなし)の四つが選ばれ、この日は、その発表・表彰式とそれに先立つ起業家をめぐる問題特に日本のビジネス風土の問題についてのパネルディスカッションが行われました。この賞は英語でコミュニケーションができることが条件で、必ずしも、オールジャパンでということではないのですが、グローバルスタンダードでという位置付けなのでしょう。一人一人は紹介しませんが、最後の特別賞が明らかにアメリカ人の顔をした若い男性だったほかは、すべて日本人の若い女性というのが印象的でした。みな完璧な英語をしゃべるのは当然ですが、なるほどでした。パネルディスカッションの議論では「起業の成功にはMagic Salesmanの存在が不可欠だ」という言葉がアメリカらしいなと感じました。
米国大使賞は大使館の経済担当の高官から手渡されたのですがそのときのあいさつで「米国は安全保障の見地からも強い日本に期待している。それには起業家の輩出を推進すべきだ」ということを話されたのが心に残りました。ご存じのように大使が起業家支援を重要視しているからということもあるのでしょうが、鶴は現在の中国、アジアとの関係のなかで、旧い同盟国の日本の経済力再生への期待がずいぶん強いのだなということを改めて感じました。
そもそもこうしてACCJや米国大使館が日本での起業家を支援しようというのが、興味深いところです。旧い産業界を超えた構造改革、規制緩和への期待もあるのでしょうし、新たな投資チャンスということもあるのかもしれません。起業家をサポートするMentorやファンドの方々も多数きていたのも目につきました。
鶴は、ACCJの会合でこのプログラムの主宰者とあったときに、アジア起業家村の話をしたところ大変関心を示され、大賞への応募するよう誘われ、エントリーしたのですが、残念ながら落選しました。「失敗してもまた挑戦するのが起業家だ。Next Chance」とかいわれて励まされましたが、受賞者の顔ぶれをみるとどうも、起業家としては少し年をとりすぎているのかなという感じです。それでもレセプションでは多くの方に関心をもっていただき、日本の国際ビジネスコミュニティが同じ方向を向いているのだなということに大いに力づけられました。日本人も頑張らねばと改めて思ったところです。
2010 Entrepreneurship Mentoring Initiative(EMI) Roundtable and First Annual "The Entrepreneurs Awards Japan"(TEAJ)に出席しました。主宰は、EMI TEAJ それぞれの実行委員会なのですが、Ernst & Young、United Airlines のほか在日米国商工会議所(ACCJ)がスポンサーになっています。
その名のとおり、日本でのEntrepreneur(起業家)の支援をしようというもので、 ACCJ賞(業績の優れた人)、米国大使賞(日本人)、革新者賞(女性)、UA特別賞(ジャンルなし)の四つが選ばれ、この日は、その発表・表彰式とそれに先立つ起業家をめぐる問題特に日本のビジネス風土の問題についてのパネルディスカッションが行われました。この賞は英語でコミュニケーションができることが条件で、必ずしも、オールジャパンでということではないのですが、グローバルスタンダードでという位置付けなのでしょう。一人一人は紹介しませんが、最後の特別賞が明らかにアメリカ人の顔をした若い男性だったほかは、すべて日本人の若い女性というのが印象的でした。みな完璧な英語をしゃべるのは当然ですが、なるほどでした。パネルディスカッションの議論では「起業の成功にはMagic Salesmanの存在が不可欠だ」という言葉がアメリカらしいなと感じました。
米国大使賞は大使館の経済担当の高官から手渡されたのですがそのときのあいさつで「米国は安全保障の見地からも強い日本に期待している。それには起業家の輩出を推進すべきだ」ということを話されたのが心に残りました。ご存じのように大使が起業家支援を重要視しているからということもあるのでしょうが、鶴は現在の中国、アジアとの関係のなかで、旧い同盟国の日本の経済力再生への期待がずいぶん強いのだなということを改めて感じました。
そもそもこうしてACCJや米国大使館が日本での起業家を支援しようというのが、興味深いところです。旧い産業界を超えた構造改革、規制緩和への期待もあるのでしょうし、新たな投資チャンスということもあるのかもしれません。起業家をサポートするMentorやファンドの方々も多数きていたのも目につきました。
鶴は、ACCJの会合でこのプログラムの主宰者とあったときに、アジア起業家村の話をしたところ大変関心を示され、大賞への応募するよう誘われ、エントリーしたのですが、残念ながら落選しました。「失敗してもまた挑戦するのが起業家だ。Next Chance」とかいわれて励まされましたが、受賞者の顔ぶれをみるとどうも、起業家としては少し年をとりすぎているのかなという感じです。それでもレセプションでは多くの方に関心をもっていただき、日本の国際ビジネスコミュニティが同じ方向を向いているのだなということに大いに力づけられました。日本人も頑張らねばと改めて思ったところです。
November 18, 2010
November 10, 2010
エイジランナー鶴 2010年秋 余呉湖健康マラソン
マラソン続きですいません。
おくればせながら10月31日(日)、滋賀県は琵琶湖と北東部でつながる余呉湖を回る健康マラソンに参加しました。早朝の新幹線で米原乗換え、8時半ころに余呉駅着、日帰り圏です。元の余呉町が合併して今は長浜市の一部、塩津街道でひと山越えると福井県・敦賀市、昔の日本海から京都へと向かう街道筋の要衝です。湖を囲み農地が広がる風景は近江特有のゆったりしたもの、心がなごみます。もっとも、要衝ということとあって、天正11年、柴田勝家と羽柴秀吉が争った賤ヶ岳の合戦が行われたのがこの地、つわものどもが夢のあとです。
遡ればここは羽衣伝説の地、天女が羽衣をかけたという柳の樹が今も現存します。おそらくはこれも、日本海から畿内への様々な人の行き来のなかで生まれたものかと思われます。鶴が大阪にいたころは長浜と敦賀の再生に関わっていたのでしばしば通りすぎた場所、これから始まるアジアの時代は日本海時代ということを思うと格別の思いです。
コースは余呉湖を2周する15km、湖畔を回るコースなので、少しのアップダウンはありますが、ほぼ平坦、のどかな湖面と刈り入れ後の豊かな農村風景をながめながらで気持ちもゆったり!と言いたいところですが、走るのはなかなかきついもの、必死です。結果は1時間34分、エイジラン換算では62分強、少しオーバーでしたが、そこそこと納得でした。
スタートとゴールの余呉湖観光館周辺には、地元産の野菜やお米、搗きたてのお餅や鮎の塩焼き、田舎汁などの模擬店のテント、おりしもハッピーハロウィンの日、さまざまのかぼちゃも出品されていたのはご愛敬でした。鶴は走ったあと、きれいな空気の元ということで、鮎の塩焼きとビールで始まり、うどん、田舎汁、お餅と食べ歩き、せっかくの運動で減ったはずの体重もリバウンド、しょうがないですね。地元のおやじバンドの演奏も結構聞かせるもの、参加者も地元の方々が多く、31回という歴史もあわせ、素朴なコミュニティマラソンで地域の豊さを感じることができました。走ったあとはアルコールの回りも早く、早々に引き上げ、翌日の講義の中身をほろ酔い加減で考えながらの新幹線、7時ころには家に着きました。
おくればせながら10月31日(日)、滋賀県は琵琶湖と北東部でつながる余呉湖を回る健康マラソンに参加しました。早朝の新幹線で米原乗換え、8時半ころに余呉駅着、日帰り圏です。元の余呉町が合併して今は長浜市の一部、塩津街道でひと山越えると福井県・敦賀市、昔の日本海から京都へと向かう街道筋の要衝です。湖を囲み農地が広がる風景は近江特有のゆったりしたもの、心がなごみます。もっとも、要衝ということとあって、天正11年、柴田勝家と羽柴秀吉が争った賤ヶ岳の合戦が行われたのがこの地、つわものどもが夢のあとです。
遡ればここは羽衣伝説の地、天女が羽衣をかけたという柳の樹が今も現存します。おそらくはこれも、日本海から畿内への様々な人の行き来のなかで生まれたものかと思われます。鶴が大阪にいたころは長浜と敦賀の再生に関わっていたのでしばしば通りすぎた場所、これから始まるアジアの時代は日本海時代ということを思うと格別の思いです。
コースは余呉湖を2周する15km、湖畔を回るコースなので、少しのアップダウンはありますが、ほぼ平坦、のどかな湖面と刈り入れ後の豊かな農村風景をながめながらで気持ちもゆったり!と言いたいところですが、走るのはなかなかきついもの、必死です。結果は1時間34分、エイジラン換算では62分強、少しオーバーでしたが、そこそこと納得でした。
スタートとゴールの余呉湖観光館周辺には、地元産の野菜やお米、搗きたてのお餅や鮎の塩焼き、田舎汁などの模擬店のテント、おりしもハッピーハロウィンの日、さまざまのかぼちゃも出品されていたのはご愛敬でした。鶴は走ったあと、きれいな空気の元ということで、鮎の塩焼きとビールで始まり、うどん、田舎汁、お餅と食べ歩き、せっかくの運動で減ったはずの体重もリバウンド、しょうがないですね。地元のおやじバンドの演奏も結構聞かせるもの、参加者も地元の方々が多く、31回という歴史もあわせ、素朴なコミュニティマラソンで地域の豊さを感じることができました。走ったあとはアルコールの回りも早く、早々に引き上げ、翌日の講義の中身をほろ酔い加減で考えながらの新幹線、7時ころには家に着きました。
November 03, 2010
November 01, 2010
シャーロックホームズの像を訪ねて
軽井沢は台風が来ると3日雨が続くといわれています。今日はやっと晴れ間が出ました。少し厚着で家を出て中軽井沢の駅まで歩いていくと、少し汗ばむ日差しになりました。東京から車でやってきた友達に中軽井沢の駅でピックアップして貰い、信濃追分の笹倉というそば屋で新そばの野菜天ざるを2人で食べ、追分コロニーという古本屋へ、河村目呂二展を見に行きました。前に書いたかも知れませんが、店をやっている主人はわれわれ銀行時代の後輩です。さすが元副社長のお出ましというので私が行くときと違って、主人が2階にある特別隠れ家のようなところでコーヒーとお菓子の接待、そして、歴史的文化財保存信託の検討会をやりました。帰りに本好きの彼をシャーロックホームズの像に案内しました。さて、チコちゃん、この後ろ姿はだ〜れだ。