このブログ、放置状態。

フェイスブックにかまけてしまって、放置プレイが続いてしまいました。
少し前はフェイスブックと連動投稿ができたけど、いつの間にやらその機能がなくなり、過疎化に加速がかかり、もう全く手つかず。今見たら、前の記事、2月やん。

というわけで、このページそのものはなくさずに置いとくことにしますが、本格的にフェイスブックに移行することにします。ただ、フェイスブックそのものはいろんな人が見てるので、書けないことが多くなるけど、まぁ、そこらへんは何とかしながら‥‥。
あと、ときどき鍵かけて吐き出し場所にすることはあるかもしれません。


それでは、みなさん、そろそろ現実に帰りましょう。ではでは、長い間、ありがとうございました。
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高校のころ、柔道部に入っていました。
生意気盛りだった当時は、二つ上の先輩方によく怒られたけど、結局なんだかんだとかわいがってもらい、今でも付き合いがあるのは非常にうれしい限り。(おもちゃにされたなぁ…。)

数年前、4つ上のH先輩が自宅で倒れてなくなっているのが見つかり、後輩一同大きくショックを受けました。そんなことがあって、二つ上のT先輩は「もうみんなええ年なんやから、たまには生存確認をしとかないかん」とおもわれたそうで、生存確認を兼ねた飲み会を催すようになったそうです。昨年、その会に参加させてもらい、大いに笑わせてもらいました。

高校のころ、柔道部で3人の先生にお世話になりました。
T田先生。直接練習に参加することはなかったけど、地域の柔道のえらいさんであり、某大学の1期生のすごい先生でした。練習試合で勝ってくると「調子ええやないか」とニコニコされていたのを思い出します。
T山先生。私が入学した時には転勤でうちの高校にはいなかったけど、なにかと気にかけてもらい、合宿などで鍛えてもらいました。「お前らがしっかりせんと下のもんがついてこんのやぞ」とよく言われました。
S田先生。3年生の時に移ってこられ、短い期間でしたが、面倒を見てもらいました。特に2段昇段時に練習を付けてもらったことが印象に残っています。後輩が[S田のおっさん」と先生の前で行ってしまったときのニタァと笑った顔が面白かったなぁ。

このうち、T田先生、T山先生は残念ながら亡くなられてしまいました。S田先生とももう10年以上連絡を取っていませんでした。
「おまえ、先生に連絡とれ。俺らみたいに連絡がつかない間におらんようになるのは悲しいぞ。」
先輩にそういわれ、電話を入れてみました。

「え? 島根におるあれか?」(いやいや、先生、鳥取です。)
久しぶりに聞く先生の声は相変わらず元気そうで何よりでした。

高校の頃ってはるか昔のことになるけど、こうして連絡をとってあの頃にちょっとだけ戻ることができました。来月には大きなOB会が開かれるそうです。どの先輩もええ歳になって丸くなっているんやろうけど、集まった時にはやっぱり体育会系のノリになってしまうんやろうなぁ。
それが怖いとおもいながら、ちょっと嬉しく感じてしまう今日この頃なのでした。
(ちなみに、うちの代は幸か不幸かお声がない!ラッキー!!)

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診察の都合で約2週間くらいに一度、大阪に帰ります。
帰るたびに母親に連絡を入れていて、昼ご飯を一緒に食べます。
別に母親に連絡を入れなくてもいいんやけど、心配をかけても・・・という気がするので、顔を見せておこうという意味もあったりします。

で、今日は。
藤井寺界隈でお好み焼きといえばこの店、「しのぶ」であります。
(写真はないの!)
ここのお好み焼きはなんか知らんけど、おいしいのです。
粉?ソース?なんかしらんけど、とにかくおいしいのです。
母親が言うには、ソースが違うんとちゃうかな、とのことですが‥。

今日は焼きそばも食べたのですが、やっぱりソースがおいしい…。
ちなみに、溶き卵をつけて食べる、というのもあるのですが、いつも焼きそばに混ぜてもらいます。

今の帰阪パターンになってから、母親とゆっくり話す機会が増えました。
他愛のない話をするだけなのですが、元気な姿を見られるし、こちらもなんとかやってる姿を見せられるし、多少は親孝行してる気分になるのです。

もう少しゆっくり過ごせられればいいんやけどね。
(実家に帰らないのは突っ込まないで…。)

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普段何気ないことをボソボソとやってみよう、なんて考えながらこのブログを続けているけど、正直、ネタ探しって結構大変。これ、いいよね、なんて思っていてもすぐに忘れてしまって、あれ?なんやったかいな、なんてことは結構たくさん、いや、もう頻繁、いや、もうよくあるを通り越してしまった感じです。

いろんなことに興味を持ってちょっと気になったことがあればメモをする、というすごいことをしてる人たちがいるけど、そこまでのモチベーションって何なんかな?と思ってしまいます。

もう少し日常に興味を持って生きていかないかんねやろか、とじっと手のひらを見つめて思うのでありました。

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今の職場に就職して、はじめはあまり時間外勤務はしなくてもよかったし、しなかったのです。
実際、図面を書いたりちょっとした文章を書いたりして多少遅くなっても時間外がつくこともつけてもらうようなこともほとんどなかったように記憶しています。
自分としては、そんなもんか、くらいにしか思ってなかったし、仕事ができないから人より多く動いて、とか、ペナルティとして、くらいな感覚になっていました。

それが「おかしい」という話は周囲の人たちから指摘されてはきたけど、大して気にはしませんでした。それにそういう仕事なんだ、と自分に言い聞かせて我慢してきたことは否定しません。

そうやって20年以上たって、今更それがおかしいから、といって直せるもんでもなく、違和感は感じるものの、気にしないことにしているので、どうにもこうにもなりません。これはたぶん、自分の根になる部分に刷り込まれていて、治らないんだろうな、と思います。

確かに青天井で金をくれ、といってももらえるものでもないし、上司の裁量というものもあるんでしょう。
でも、自分がもっとできていればそういう時間外や休日に出なくても済むって思ってるんやから、どうにもならない。
なんか、間違ってますかね?
だって、当時の私の仕事を誰も理解してくれないし、理解しようとしてくれないんやから。

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