日本の品格はどこへ(mm)私たちができること(mm)

2015年06月20日

大学の役割(mm)

文科省は、今月になって全国の国立大学に対し、
人文社会科学系や教員養成系の学部の廃止や他分野への転換を求めています。
要は「文系の学問は実社会に役に立たない」ということなのでしょう。

大学の起源は、中世ヨーロッパにあります。
ローマ時代からの市民の一般教養とされた7学科(文法、修辞、論理、数学、音楽、幾何、天文)を修め、
その後、3つの専門過程(神学、法学、医学)の学部の進みました。
神学というのは、今でいえば哲学にあたると考えられ、文系がむしろメインでした。
(これらは当時の高度な専門職に必要な学問だったのでしょうが。)

今日の高度な専門的学問は、大学ではなく大学院に移行しています。
アメリカでは、医師になるには医学大学院、法律家になるには法科大学院に行くことが必要です。
日本でも、理系の専門職の場合は、大学院に行くのが当然視されています。
高度な専門職であればあるほど、幅広い教養が必要であると考えられているからです。

今の大学は、半数近い人が進学するようになっていますが
その目的は、高度な発見をする研究者を生み出すことではなく
幅広い教養を身に着けるとともに、新しいものを発見する「考え方」を学ぶところにあります。
「文部科学省検定教科書」には書かれていない、
これまでの既成観念に縛られない、自由な考え方をしていい教育機関は、大学以外はありません。
切り口は、法学、文学、哲学、心理学、教育学などさまざまでしょうが、
共通する「自由な考え方」が、新しいものやサービスや組織運営を生み出す上で生きてきます。

非常に狭い意味で「役に立つ」ことだけを追求すると、人材を薄っぺらいものにします。
迷走する新国立競技場問題や、国立大学へ国旗・国歌を要請するのを見ていると
廃止すべきは、文科系ではなく文科省ではないかと思えてきます。



ssk23ww at 06:58│Comments(2)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by マイマイ   2015年06月26日 06:09
確かに今朝の新聞に「国立人文系改廃を」の記事が載っていました。「要請」連発大学圧力   従わないと・・交付金で締め上げ? などという文字が踊っいます。私個人的に大学に対してモノ言いたい事が多々ありますが。今回の国立大学長会議での下村文科相の「お言葉」には何か嫌な臭いを感じます。人間が本来身に着けなければならない「知」の否定を行っているのです。
2. Posted by mm   2015年07月21日 13:30
大学には問題が多いですが、大学に代わる自由な知的空間はないことも事実です。この空間を味わうためだけのためにでも、大学生になる価値があると私は考えています。

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