2011年08月

2011年08月31日

グローバルファイナンスの基本(各国の国債)

東工大のMOT有志で国際金融の実務家を招いて自主ゼミを開催しているのですが、聞きっぱなしでは「有意義なゼミだった」で終わってしまうので、ゼミの内容をもとに簡単なレポートをブログにまとめます

今回は、グローバルファイナンスの基本(各国の国債)

まず金融の基本です

景気がよい時はお金は株式へ、よくない時は安全な債権へ流れます。金利が上がると債権の値段は下がります

国債は本来、利率が低いけれども、リスクも低い、比較的安全な金融商品です。

しかし、国の国債発行が増えて、償還滞りリスクが危うくなると、そのリスク分だけ、金利が上がります

110830国債利回り


掲載しているグラフのデータは古いのですが、ヨーロッパではギリシャ、次いでアイルランド、ポルトガル、それに続いてスペイン、イタリアの国債金利はリスク商品並みに上がっています

ギリシャだけであれば、規模が比較的小さいため、EU全体による救済も可能かもしれませんが、スペイン、イタリアまで加わると大変です

110830国債GDP


次に日本に目を向けます

日本、アメリカの債務残高が増大していますが、対GDPでは日本が突出しています。実は上記のリスク商品並みの国々よりも債務残高のGDP比が上です

アメリカ国債の償還滞りが先日何とか回避されましたが、対GDPで考えると、実は日本の方が深刻なのです

1990年以降、日本では歳入が減少しているにもかかわらず、歳出が増えており、国債増刷で対応しています。歳出増は主に社会保障費、国債の償還、利息対応などによるものです

企業が景気の悪化により、設備投資を控えているので、借入が減り、貯蓄残高が増えており、だぶついています

さて、債務残高を増やしたくないから、国債は買わない、という人もいるのではないか?と思います

でも、国債の70%は銀行、生保、郵貯が購入しています。それゆえ、個人の貯金、生保積立金で国債が買われています。個人で国債を買っていなくても、結果として国債を買っていることになってしまっています

ただ、人口の高齢化により、収入減、それによる預金の減少により、国債購入が減少する可能性も出てきています


さて、日本の債務残高は上に書いたように、リスク商品並みの国々よりも債務残高のGDP比が上です。では、償還滞りリスクが高いはず、ではないでしょうか?

実は、以下の2つの理由により、何とかヘッジされています

・日本国債の多くは国内投資家が購入しており、海外投資家の購入はその1/10程度。それゆえ、海外投資家の売買があまり影響しない

・歴史的円高のため、お金が海外に流れないため、預金が国内にとどまり、国債購入が可能

とは言え、決して楽観できる状態ではありません


何はともあれ、自主ゼミのおかげでグローバルファイナンスの基本(各国の国債)がわかりました




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2011年08月30日

科学史散歩から現在を見る

科学史散歩と言っても、実際に散歩する訳ではありません

お茶の水女子大学附近の科学史散歩(立花 太郎)

をいただいたので、何気なく読んだのだが、示唆に富む、興味深い内容でした


お茶大周辺には江戸幕府に縁の深い護国寺や伝通院、六義園、後楽園などの名園が点在している。また樋口一葉、森鴎外、夏目漱石等の文人の旧居跡も遠くない。お茶大周辺はさながら江戸東京博物館の感がある(立花太郎)


110830お茶大


では、PDFを読みながらお茶大周辺の江戸東京博物館を探索してみることとしましょう


夢の中で運慶に「無造作にノミを使って、思うように眉や鼻が出来るものだな」と言うと「あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを彫り出すまでだ。土の中から石を掘り出すようなもので決して間違うはずがない」と運慶が答えた(夏目漱石)

自然科学においても真に創造的な理論は自然に無理なく構築されるのが理想の姿で、美しさが感じられるのはそのせい。建築物の美しさとも相通じるものがある。(福井謙一)

池田菊苗(グルタミン酸ナトリウムの発見者)は理学者だけれども、偉い哲学者であったのには驚いた(夏目漱石)池田は触媒の研究と共に、「科学とは何か?」という科学思想上の問題に思索を巡らし、マッハの実証主義的認識論に傾倒していた

自分は自然科学を育てる雰囲気のある国を後にして帰国する。自分の結論だけ持って帰るのではなく、将来発展すべき萌芽も持って帰る。しかし帰っていく故郷にはその萌芽を育てる雰囲気がない(ドイツから帰国する際の森鴎外)

日本の学会は、目先の成果ばかり気にとられて、「萌芽を育てる」基礎科学の研究を疎かにして、新しい学問を自らの手で開拓できない状態にある。しかし、日本で結んだ学術の果実をヨーロッパに輸出する時もいつか来るだろうと思っている(ドイツから帰国後の森鴎外)

17世紀中・後期の和算の発展期は、日本では西洋のように自然科学(物理学)と結びつく契機に恵まれず、租税の徴収、富裕者の道楽であった(立花太郎)

人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まることを知らない科学は、我々に止まることを許してくれたことはない。どこまで行っても休ませてくれない。文明開化は生活を楽にするものとされていたが、実際には生存競争は激化して生活は苦しくなるばかり。(夏目漱石 文明開化のパラドクス)

西洋の文明開化は内より起こった内発的なものだが、日本の文明開化は西洋からもたらされた外発的なもの。我々は足元に埋もれている宝を忘れてはいけない(寺田寅彦)



漱石、鴎外、寅彦ら明治の先人たちの知恵は現代にも通じることがよくわかります

ひと時の楽しい科学史散歩でした





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2011年08月29日

「ビジネスデザイナーの時代?デザイン思考をどう実践するか」に参加しました

東大本郷の福武ホールで開催される イノベーションフェスティバル Day-1: 夏のシンポジウム

「ビジネスデザイナーの時代?デザイン思考をどう実践するか」

に参加します

110829ischool


東京大学i.schoolは、


i.schoolが目指すのは、これまで世界に存在せず、誰も生み出しえなかった、新しい答えを創り出す人材の育成です。

分野・領域の枠を越えて、横断的・統合的な視野を持つ。論理的な思考の先に、クリエイティビティを羽ばたかせ、いままでにない発想を産み出す。

人間中心に考え、人間の幸福を見据えて行動する。

イノベーション ?-画期的な価値の創出につながる新しい変化 ?-を創り出す人間こそ、 21世紀の行政・産業・学術をリードする人間になる。

i.schoolはそう考えています。


という考えのもとに運営されています


今日の「ビジネスデザイナーの時代?デザイン思考をどう実践するか」の案内文には、


「デザイン思考(Design Thinking)」という言葉が、今の、そしてこれからのビジネスを牽引する思想として広く知られるようになりました。

同時に、この言葉が何を指すのか、見解は定まらず、創造的実践をめぐる新たな「バズワード(流行り言葉)」に過ぎないのではないか、という批判も聞こえてきます。

論理的思考と創造的直観を効果的に融合・活用することをデザイン思考と位置づけ、その実践を担う人材、すなわち「ビジネスデザイナー」がこれからのイノベーションを牽引します

ビジネスデザイナーの育成を、アートスクールではなく、論理的思考に特化してきたビジネススクールに求め、創造的実践の学びの場に変革し、成功を収めた(トロント大学ロットマン経営大学院)同校学長・Roger Martinが本年度イノ ベーションフェスティバルのメインゲストです。

「創造的直観は誰もが持ちうるものか?」「育成可能か?」「論理的思考と折り合えるのか?可能だとして、どんな手段で」「論理的思考が卓越する組織の中で創造的直観が存在可能か?」


とあります。



会場の東大本郷の福武ホールは超満員。このテーマの関心の高さが伺われます

それでは、シンポジウムでは以下のような話が出ました



論理的に分析するだけでなく、クリエイティブなイノベーションは、どうやって生み出すか?が課題

多くの組織がイノベーティブであることを望んでおり、時間、労力、金をかけているが、ほとんどがうまくいっておらず、自組織のイノベーションに不満

論理的分析は過去の出来事に基づいていて、未来の予測、クリエイティブな未来の創造にはあまり役に立たない

過去の経験に基づいて仕事をする人は新しいことを学ぼうとしない。論理的思考と直観的思考ができる人がイノベーティブ。ただ、直観的と言うとブラックボックスになってしまいがち

企業はビジネスデザインをしていると言うが、ビジネスデザイナーはいるのか?いるとしたら、who,what,why。 ビジネスデザイナーは必ずしもデザインのバックグランドはいらな い。マインドセットが大切。組織の至る個所にいるとよい

少し前まではイノベーションは技術分野を中心に起きていたが、現在は、どの分野でも起こり、また、それら各分野のイノベーションを統合する形でのイノベーションもある

イノベーションを起こす人は点ではなく、線を見る。いろいろな分野のイノベーションを見た上で、構造的なイノベーションを起こす

いろいろな環境でいろいろな経験をすることがイノベーティブにつながる。マインドセットが大切。論理的かつ直観的なコミュニケーションが求められる

日本の企業はロジカルとクリエイティブでは、前者の方が安定していて、強く、クリエイティブだった人が次第にロジカルに移行していく

批判的に考えることは大切だけど、それだけでは新しいことは生まれない。失敗しても「ナイストライ!」と評価する環境が大切

ある既存のシステム下で、うまく機能していないことを改善しようとしても、ダメなことがある。システムそのものを一度壊して立て直すとうまくいく

直観が弱いのは、単なる思いつき、と考えられてしまうこと。直観にその根拠、その直観に基づくストーリーが構築できると強い

企業の中で、新製品の開発、企業戦略などにi-schoolをやりたい、とよく聞くが、ある企業文化の中で、企業の人が行ってもうまくいかないのではないか?企業からi- schoolに来て学ぶ環境が大切

i-schoolで直観に何らかの根拠を見出そうとする時は、例えばカードなどのツールを使うとか、通常とは違う切り口を使って、求めようとする



すべて興味深いのですが、特にエッセンスを取りだすと、


論理的思考と直観的思考ができる人がイノベーティブ。

ただ、直観的と言うとブラックボックスになってしまいがち

直観が弱いのは、単なる思いつき、と考えられてしまうこと。直観にその根拠、その直観に基づくストーリーが構築できると強い


と考えます

直観と言われると、言語化できない、と考えてしまいがちです

アート、とか、感性なども同様で、抽象的で、イメージでは何となく描けても、言語化して、表現することはできない、と思ってしまいます

実は、スポーツでも、アマチュアレベルのテニスでは、足を踏み込んで、とか、手首をリリースなんて、意識すると却ってうまくいかず、何も考えない方がよかったりします。

ただ、プロレベルでは、それでは、そこそこのレベルは維持できても、さらなる進歩はありません。

好調時とそうでない時の比較、技術的進歩のために、個々のプレーを言語化、イメージ化して表現して、自分自身が納得できる形で吸収しなければなりません

経営は経験、勘でやるもので、理屈うんぬんじゃない、ましてや学問で扱えるものでない、と言われていましたが、MBAなどマーケティング、ファイナンスなど背景にある理論体系を整理し、学問として学ぶことが出来るようになりました

同様にアート、感性、直観と言われる分野もブラックボックスではなく、背景理論を整えて学問とすることができないか?

それが、できた時に、論理的思考と直観的思考ができる人を養成できるようになるのでは?

そんなことを考えたシンポジウムでした












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2011年08月26日

ネット時代の今こそ、哲学の出番

東京ミッドタウンのスルガ銀行d-laboで行われたセミナー


いま、哲学の時(早稲田大学教授 藤本 一勇 氏)

に参加します

110826ギリシャ哲学



・不確定な時代で、スピーディーに決断し、行動しなければならない

・ネット社会、ディジタル社会が進展し、リアルな社会とバーチャルな社会が混在しているカオスの状態

の今こそ、思考の自由な力、想像力が求められており、哲学の出番です


会場は満員なのですが、参加者を見渡すと、年齢層が高く、男性が多い感じがします


以下、出た話を集約します


まずは、哲学の基本です


18世紀以降の近代がヨーロッパの帝国主義、植民地主義の時代であったことを考えると、西洋哲学を学ぶことが大切。

西洋哲学は、夢を見ている場合ではないと、夢を壊してきた

西洋哲学の出発点はプラトンのドクサ批判。多くの人が当たり前、世間で通じると考えていることは自然の真理ではない。人々が創り上げたものである。時代、社会が変われば覆るかもしれない

どうしてこういう答えになるのか?問いかけが基本。もしかしたら、魔法にかかっているのかもしれない。目覚めよう!(マックスウェーバー 脱魔術) 

「プラトン 哲人王」為政者は哲学者でなければならない

「キリスト 隣人愛」自分を殺そうとしている敵も愛せよ、それが本当の愛

「ニーチェ 運命愛」どんな悲惨な状況でも運命を受け入れる

答えなき問い、としての哲学。答えられない問いが世界の根本にはある。応えられることだけに答えていたのでは、世界は成り立たない

哲学とは、簡単に答えが出ない問いを考えること。スピーディーに答えを出さなければならない、効率性、有効性の時代に哲学は下火になった



次に、主にネットを中心とする技術の時代の哲学の役割です


神の領域である、遺伝子の操作まで技術の進歩により人間が出来るようになった。人間は技術を活用するが、コントロールできないこともしばしば起こる 

人々が意識しないまま、現実の中に、コンピューターが埋め込まれ、様々な動作(人、物、情報、社会)を「自動的」に判断し、決定していく(マーク・ワイザー)

コンピューターのプログラム、データにより、決定、行動がなされ、人間の思考、判断はどんどん介在しなくなっていく

モラル、ルール、罰だけでなく、コンピューターのデザイン、アーキテクチャにより、人間の行動や社会秩序をコントロールする(飲酒運転防止システムなど)人間はシステムの中身を知らないので、自分がどうコントロールされているのか?わからない

コンピューターのアーキテクチャ、データによる判断が進み、人間の判断がなくなる中、人間は何を思考、判断するようになるのか?

コミュニケーションも「人と人」から「人とモノ」「モノとモノ」へ変容、Twitterはつぶやきをモノに掲載しておくことにより、それを誰かが読んで反応することを予想した、間接的コミュニケーション

ディジタル化、コンピューターのアーキテクチャが進む世界だからこそ、人間の思考の自由な力、想像力が試されており、哲学の出番である

知識のみが大切なのではなく、知識をどう使って生きていくか?(倫理)が大切である


技術の力が小さい時、個人の力が及ぶ範囲は狭い、伝統的な倫理は今一緒にいる(現在)、人間が対象、倫理は個人が持つ、でよかった

技術が地球を損傷する力すら持つようになり、原因(1クリックなど)とそれによりもたらされる結果がアンバランス。従来の倫理観では理解不能



東大立花隆ゼミ主催の池上高志氏 × 村山斉氏トーク「繰り返す問い、終わらない科学」に参加しました




「学問」の源流は古代ギリシャで、数学と物理学もその例に漏れません

真理への執着から、「哲学」を生み出し、ヨーロッパの学問の基礎になりました

「物理学」は自然哲学から分離し、ガリレオやニュートン以降、「自然現象の中から数量的関係を見出す」方向へ進みます

この過程の中で、自然科学に、個人の主観から脱却した客観的な視点と、予測能力を与えました


と書きました

むしろ、個人の主観と向き合い、真理を追及する哲学、が求められる時代になった、と感じました





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2011年08月18日

「学びのデザイン」はいつも発展途上の作業

東大福武ホールで開催される

Educe Cafe「ヘルシンキで始まったEmotional Journey」

に参加します

110818フィンランド


ゲストは『フィンランドで見つけた「学びのデザイン」』を書かれたユタカナのお二人(大橋裕太郎さん、大橋香奈さん)で、フィンランドのお話は

「創造性を育む場としてのミュージアム」 に参加しました

で伺っており、このブログでも紹介してます

この時は、ミュージアムがテーマで、会場も広めで講演形式でしたが、

今回は、こじんまりとしたカフェ形式で、会場からの質問にその場で答える形でインタラクティブに進めていきます

ベースは『フィンランドで見つけた「学びのデザイン」』でゲストも同じユタカナのお二人(大橋裕太郎さん、大橋香奈さん)なのですが、参加者の顔ぶれ、人数、場の設定、雰囲気が違うと、話される内容も随分変わってきます

110818EduceCafe



そこで、ここでは上記ブログでは紹介していない内容について書きます




フィンランドにはもとから、いい教育制度があった訳ではなく、市民、教育担当者が創り上げていった。だから、思い入れもある。

フィンランドの冬は長く、暗い。また、世界最高の教育水準と言われているが、不登校、ドラッグの問題もある。だからこそ、学びにより、明るく楽しい社会にしようと努力している

スクールオペラでは、移民の軋轢、魔女狩りなど、社会的に重い課題をロールプレーを取り入れ、生徒が体感できるように行っている

フィンランドでは成人教育も盛んだが、企業内ではなくアフター5で行う。資格取得に類するものと教養に関するものがあるが、後者の方が参加者が多い

フィンランドでは小学校で第2外国語まで学ぶが、理科は週1時間だけ。公的教育は実は豊かなインフォーマルな教育の上に成り立っており、例えば、この公的教育をそのまま日本に導入したら破綻する

フィンランドはロシアとドイツというヨーロッパの大国にはさまれ、独立からまだ100年も経っていない、という地政学上の事情から、母国語の他に小学校から英語、ロシア語、ドイツ語を学ばざるを得なかった

デザインは終わりのない作業。ベストセラーの商品も変わらないようで、実は少しずつ変えている。フィンランドの高い教育水準は通過点で、社会、教育のデザインは続いている






さて、大橋裕太郎さん、大橋香奈さんご夫妻の講演なのですが、どちらがリードするというのではなく、テーマ、質問への答えによって、適宜お二人が対応されます。

その二人の役割分担が、自然、スムーズというよりも、二人で見つめあい、語り合い、ちょっとぎこちなさを持ちつつ、行われます。その、ほんわりした雰囲気が会場を何とも言えない、優しい雰囲気にします


さて、大橋裕太郎さん、大橋香奈さんご夫妻は9月にはフィンランドに戻られます

まだ、講演を聞いていない方は、

フィンランドで見つけた「学びのデザイン」 workshop「学び」は自分でデザインできる 8月30日(火) 19:00〜(開場18:30)

がありますので、お見逃しないように










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2011年08月15日

終戦の日を迎えて これからのグローバル社会は?

今日8月15日は終戦の日、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ソ連を皆、敵に回しての戦争など、どう考えても無謀な訳ですが、なぜそうなってしまったのか?振り返ってみましょう

戦争の問題を振り返る時、よくやってしまうのが、現在2011年の世界観、価値観で判断してしまうことです

20世紀前半はどういう時代で、どういう社会情勢だったのか?ただ単に戦争反対、と言っても始まりません(同じことが最近の原発問題にも言えます。建設当時の社会情勢を省みることなく、現在の価値観をそのまま適用しようとしてもうまくいきません)


戦前、憲法の下、議会、内閣、司法の三権がありながら、軍部、特に陸軍の暴走を止められなかった理由として、

帝国憲法(明治憲法)第11条

「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」

と陸海軍の統帥権が内閣になかったことが問題で、明治憲法は欠陥憲法であった、という議論があります

「TAK」さんは工学系なので、法律議論は

統帥権の独立

など他に譲りますが、明治憲法は伊藤博文、井上毅らがヨーロッパの先進事例を十分に調査した上で、天皇と議会、内閣という制度に適した立憲主義のドイツ憲法を手本に作成したもので、アジアでは初の憲法であり、当時としては優れたものです

また、上記URLにある通り、統帥権とて、平時ではなく、有事のもの、というのが法的解釈です

法律とは制定する時点から推定できる程度の将来しか見越すことはできません。

どんなに優れた法律であっても、社会が変化していく過程で、うまく対応していくことが出来なくなる、ことを示しています

特に、憲法のように一度制定されると、変更が難しい法律ではなおさらです

これは、現行憲法にも言えることで、第9条で戦力を保持しない、となっていますが、自衛隊が保有する最新鋭の戦闘機、イージス艦が「戦力」ではない、とは、とても言えません

それでは、自衛隊が憲法違反かと言うと、例えば、長くそのように主張していた社会党が政権を取った際に主張が変わったことでもわかるように、難しい問題なのです



日本が軍事力を背景にアジア諸国で行った暴挙は、決して許されるものでは在りません

この時のアジア諸国はどういった勢力図だったか?振り返ると、欧米列強の植民地であったことがわかります

110815アジア植民地


この当時の日本では、強い軍事力を持たなければ、自らが植民地にされかねない、という危機感を持つのは、至極当然です

また、植民地については、その後の歴史を振り返ると、アジア、アフリカ諸国の植民地からの独立は手放しでは歓迎できません

欧米の支配がなくなると、現地の独裁政権が誕生し、内戦、虐殺により、国土が荒廃してしまった国が数多くあります

また、ほとんどの国が貧困にあえいでおり、食料、医療などが不十分です

植民地は現地に産業、雇用を誘致し、資源、製品の販路を設定し、経済を循環させた、という利点もあったのです。もちろん、政治的、経済的搾取はいけませんが

アジア、アフリカの貧困国からのヨーロッパへの移民、難民が馴染む事が出来ず、事件を起こすことも頻発しています



ということで、終戦の日とは、日本が過去の帝国主義を反省する、だけではなく、幅広く、奥深い問題を抱えており、戦後66年たっても、まだ、その総括すら途上である、なんて感じております




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2011年08月11日

避暑地で過ごす夏休み in 軽井沢

今週は東京の鉄道も少し空いています。夏休みを取る人が多いようです

クラブ活動、サークル活動、ゼミなどで合宿に行っている人も多いかと思います

合宿は涼しい避暑地、高原で行うことが多いでしょうか

「TAK」さんは軽井沢によく行きました

今の軽井沢は新幹線、高速道路で大規模なショッピングモールに行くのが特徴的ですが、以前は昔は夏休みになると、暑い東京を離れて、泊り掛けで涼しい軽井沢で緑陰講座、というパターンだったでしょうか

新幹線もまだ通っておらず、高速道路も途中までしか行っておらず、

横川駅で「峠のかま飯」を買って、碓氷峠を越えて、軽井沢に行きました。

その頃の、軽井沢駅は「高原の駅」という雰囲気です。

「高原の駅」だった頃の軽井沢駅


朝もやの白樺の道を散歩、朝はテニス、午後は緑陰講座、夜は花火、バーベキュー、と楽しい夏休みでした。

でも、新幹線が通って、駅が改造され、駅のそばに大規模なショッピングモールができてから、行かなくなりました。

実世界では、懐かしい軽井沢はもうありません

そこで、昔の写真を探し出して、懐かしい軽井沢をバーチャル上で構築して、夏休みを過ごすことにしましょう


110808昔の軽井沢


幕末に日本が開国してから、欧米からたくさんの人々が来ましたが、高温多湿の東京、横浜の夏は、エアコンもない時代には辛かったことでしょう


110808昔の軽井沢5


そのため、夏は涼しい高原で避暑、ということで、軽井沢は外国人の避暑地として、開発されます


110808昔の軽井沢2


この頃の軽井沢って、ある意味モダンな避暑地って感じがします


110808昔の軽井沢1


戦前は日本人は別荘を持てる、あるいは高級ホテルに滞在できる富裕層しか過ごすことができませんでしたが、

110808昔の軽井沢3


手ごろな値段で泊まることができる民宿、ペンションができて、学生でもテニス合宿などに利用するようになりました

110808昔の軽井沢4


朝はテニス、午後はサイクリングで街の中には素敵なカフェがあったり

110808昔の軽井沢6


ちょっと足をのばすと白樺の林がありました

110808昔の軽井沢8


110808昔の軽井沢7


残念ながら、時代は移り、避暑地もその姿を変えていきます

懐かしい夏休みの思い出があるのは幸せなこと、なのかもしれません

こうやって、ブログ上で再構築する夏休みもいいものです

本当の夏休みは9月にヨーロッパに行きます。




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2011年08月09日

大学院入試 口述試問、面接編

A面ブログに「大学院入試 考えていることを、とにかく書くこと!」を書きましたが、

B面ブログでは、

大学院入試 口述試問、面接編

を書きます


口述試問、面接で質問されることは、

●専門事項

●「なぜ志望したか?」「これまで何をしてきたか?」「入学後何をしたいか?」「(社会人の場合)勤務と両立可能か?」

ではないか?と思います。

それゆえ、これに絞って話します。

これ以外のことを質問されたからって、「「TAK」さん、どうしてくれる?」なんて言わないでください。


●専門事項 「知っていること」をわかりやすく話すこと


聞かれている質問に的確に答えられるか?が主なポイントです。

無意識にでも、論点をずらしたり、はぐらかしたり、ごまかすと、大きなマイナスになります。

質問する方の教員は、その道の一流の専門家です。知識、経験でも、あなたよりずっと上です。

そんなの、当たり前のことです。

「知っていること」をわかりやすく、話してください。


質問「どんな方法で検証していますか?」

回答「この課題は、複雑でいろいろな方法で試しています」


これでは、回答にならないことは、わかると思います。

しかし、実際に質問していると、「いろいろな」で終わってしまう回答が多いのです。


これは、「理解していない」「専門知識が全く不足」という判定になります。

具体的に、自分が行っている方法を、答えてください。


●「なぜ志望したか?」「これまで何をしてきたか?」「入学後何をしたいか?」「(社会人の場合)勤務と両立可能か?」「大学院で学んだことを、どう活かしていきたいか?」

面接に臨む際には、この質問には、当然、準備している、と想定しています。

にも、かかわらず、はっきり答えられない人が多いのも事実です。

上記事項は、明確にして、しっかり答えられるように、してください。

相手が期待しそうな事柄を想定して、取り繕うとしても、どこかでボロが出ます。


9月の残暑の頃には、皆さんからの合格通知を待っております。

最後の追い込み、頑張ってください!




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2011年08月08日

3331 Arts Chiyodaは、たくさんの表現と出会える場所

中心市街地の活性化というと、地方都市を思い浮かべますが、東京都心も例外ではありません

東京の中心の千代田区、中央区では働く人は多いのですが、居住者は少なくて、小中学校が閉校になる例もあります。

3331 Arts Chiyoda

は千代田区立旧練成中学校を改修して誕生しました

中学校を改修したとは思えない、おしゃれな外観です

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さまざまなジャンルの第一線で活躍するアーティストやクリエーターたちがそれぞれの表現を自由に発信する場所です。最新のアートから、誰もが身近に感じられるものまで、そのテーマはいろいろ

入口の向こうには、アートの香りが漂っています

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中に一歩入ると、ホールはとてもにぎやかです

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イタリアンレストランからガーリックの香ばしいにおいが

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アイスクリームを買っていこうかしら?

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こんなアート作品が展示されています

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ところで、「3331」の由来ですが、江戸一本締めは、おめでたい席で感謝の意を表す風習として、古く江戸時代から受け継がれてきた手締めの文化です。

かけ声の「イヨーオ」は、「祝う・祝おう」が語源といわれ、さらに「シャン・シャン・シャン」と三回打つことが三回で合わせて九(苦)となり、最後に「シャン」と一回打つことで苦を払い、「九」に一画加えて「丸」になるとされています

ということです















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2011年08月04日

イノベーション社会の原動力はアート、デザイン、想像力

【イベント】Post 3.11の日本 Vol.2?創造力の「今まで」と想像力の「これから」ゲスト:川村真司さん

に参加します

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川村さんは文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞した SOUR のプロモーション・ビデオ「日々の音色」をはじめ、広告や日本という枠を越えクリエイティブ・ディレクターとして活躍されており、会場は若い学生さんで超満員です

世界最大の広告賞のひとつカンヌ国際広告祭の名称が変わり、「広告」の表記がなくなり「クリエイティビティ」に置き換わることが発表され話題を呼びました

この件に象徴されるように、今、広告の世界でも、今までの考え方では太刀打ちできない、新しい「想像力」と「創造力」が必要になっています


広告とアート

広告はクライアントが伝えたいメッセージを代わりに伝える

アートは自分で設定した課題を自分で表現する

ただし、アートと広告に境界はない

広告は表現したいこと、伝えたいことが、伝わらなければ意味がない。自分が表現したいことと、伝わることの間、製作者と受け手の間に「ずれ」がないか?十分に検討する


IDEA × MEDIA

Creative idea, Creative media

制作するプロセスが違うと、違うものができる。それゆえ、新しいものは新しいプロセスで創る。既存のメディアを少し違う使い方をすると、違う表現物になる

新しいことを試すには、いろいろなステップを踏まなければならない

創りながらでないと、改善点が見えて来ない


Everything is Social, Everthig is Interactive

一方向 or 双方向 というよりも、これからの時代は、すべてがソーシャル、すべてがインタラクティブ

リアルよりもバーチャルで合える人の方がずっと多い。人のつながりを通して、自分を知ることができる


Simple is uneveral

シンプルな方が多くの人に伝わる

まずアイデアが先だが、技術で何ができるか?しっかり把握しておく。すべてをひとりでやるのではなく、できる人を連れてくる

アップルの製品ぐらい、作りたいこと、やりたいことがはっきりしているものには、広告なんて必要ないぐらい、それじたいが明確なメッセージになっている。その前提となるのがシンプル&ユニバーサル、もしくは、シンプル=ユニバーサル



アーティスト、クリエイティブ・ディレクター、デザイナーの方々の講演では、作品のスライドの紹介だけのことがよくあります

ところが川村さんの講演は、制作のプロセスを逐次記録されていて、それを公開してくださいました。

作品だけでなく、それを制作したプロセス、苦労したポイントを公開してくれたことがとても「刺激的」だったのでは、と思っています





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2011年08月03日

夏休みのメモランダム 学び・コミュニティー編

8月上旬は研究会、勉強会も夏休みで頻度が減ります

この時期に夏休みの自由研究の雰囲気で、学び・コミュニティーについて、普段考えていることをメモランダム的にまとめてみます


・自分の積み重ねが未だ見ぬ未来を作る。なにをしても自分という人間はついてくる。本を読んでも、映画を見ても、そこに感じ取られる思いは、自分の心から出たもの。作品は、それを作るにせよ、楽しむにせよ、そのひとの心を映し出す鏡のようなもの

・他人を騙して何かを得ようとする人や、人気を取りたい人は、結局自分の心も裏切ってしまっている。それでお金や権力が手に入っても、心が満たされることはないです

・自分が心の底から納得できないことで、心が満たされることはない

・言葉の持つ力を前提にすれば、約束という行為は、特別な意味を持つ。法による強制執行の担保を待たずとも、言葉として自らの外に出してしまった、まさにその時点で、既に自らを拘束するものになる

・同じ人と2度離婚した、という人がいる。よりが戻っても、同じ別れのパターンを繰り返すことになる 

・欲しかったものは、入手すると、実はそれほど欲しくなかったことに気づくこともある 

・受験情報にやたら詳しくてそれを得意げに語るやつはロクな大学入らなかったり、恋愛のノウハウや小悪魔テクニックみたいなものをよく読んでいてそれを語ろうとする人に良い恋人が居ない

・「自分の回りは素晴らしい人が多い」ってのはきっと素敵な人生。「自分の回りにはロクなヤツがいない」もしそう思ったら、あなた自身も回りからそう見られている。類は友を呼ぶ、というが、なぜか同じような者が集まる

・夏目漱石の言葉を思い出します「文学、芸術は道楽でなければならない。商売でやろうとすると、客に世辞のひとつも言って媚びようとする。媚びようとしたら、自分が表現したいものなど、表現出来やしない」

・イベントの計画作りは大切。でもイベントは主催者と参加者が創り上げていくものだから、雰囲気を見ながら臨機応変の対応も大事

・プレゼンで伝わることはせいぜい二つか三つ。だから、あれもこれも伝えようとしないで、大切なことに絞る

・創造は想像から、異なるものをあるコンテキストで組み合わせることにより生まれる。自由に行うだけでなく、時には敢えて型にはめ込むことも大切

・即断即決即実行ができない人は、自分が迷っている間、世間は自分を待ってくれていると思っている。実際には、その人だけおいて、世界はどんどん進んでいる

・教育の機会は待ってくれない。準備が完全には整っていないから、と言っていると教育の機会を逃してしまう

・「理想的な教育実践」は存在しない。いかなる実践も人の営みである以上、課題と限界を内包している。その理想と現実のギャップを埋めるプロセスにも意義がある

・スポーツ選手:頭でゴチャゴチャ考えている時はダメ、身体で感じる通りやるといい結果が出る。身体は正直、思考よりも直感、直観

・すべては夢から始まる

・「わかったふり」「わかったつもり」は恐い。それがクセになると、薄い理解でもわかったことに。「おー!これかー!わかったぞー!」って感激まで自分を持っていくことができなくなっちゃう

・個人はきっかけに過ぎなくて、人と人の間に、そのダイナミクスも記憶もあって、まるで生き物のようである。今までどこにもいなかったのに、誰かと顔を合わせると突然それは現れる。人によって異なる生き物が現れる。だから、誰とどうつながるかが大切

・学際は自分が持つ専門が確立しているから成り立つ

・共感は、場所との親密な関係に向かう前奏曲、共感には場のデザインが大切

・人間関係には、意図的に自分から動いて築くところと、その後自然に展開していくところがある

・楽しくなければ続かない、と言う。これはある意味、真実。ただ、歯を磨くという行為は、別に楽しくなくても、続けている人が多いのではないか。習慣で続ける、という方法も有効

・経営でも国際経済でもアートでも、多くのケースに適用できる、背景となる理論がある一方、個々のケースに依存する事項がある。自然科学以外では、すべてに普遍的に適用できる理論は少ないが、その探求をせずに、個々のケースによる、とするのは、もはや学問とは言えない

・場を作ればいいのではなく、場のデザイン、オペレートなど、融合、創発が起こる仕組みつくりが大切

・1日情報発信することをサボると、入手した知識とそれに関する思考が整理、排出される前に、新しく入ってきた知識、思考が脳内を占拠し、互いが融合することもなく、占有を主張し合っている。やはり知識、情報の整理、発信はリアルタイムで行う

・相手を言い負かす、のではなく、対話から新たな価値を生み出したい


・決勝では、皆実力が拮抗している。そんなときに、普段、自分が決めたことをやり通してきた何かがあると強い自信になり、勝ちにつながる

・メディアリテラシー、コミュニケーション、MOT(技術経営)など、必要性はずっと前から認識されていたにもかかわらず、学校教育では十分に取り入れられていません。理由は簡単、先生が教えられない、教えられる人材がいないから

・新しい知識を取り入れることも大切だけれど、時代を超えて廃れることなく磨かれてきた古典の意義も再評価したい

・自分と真剣に向き合って、自分を創っていくならば、「楽」に流れるなんてあり得ない

・定量化の意義は計測、管理、記録、評価が容易に行えるようになること。ただ、偏差値の高い大学、価格が高い商品、サービスが、必ずしもすべての人にとってよい訳ではないように、利用できる範囲を正しく捉えることが大切

・ネット上でコミュニティーが形成され、そこで情報、意見が交換されるようになって、リアルで会う必要がなくなったか?というと、そうではない。リアルで会う意義が変化し、またリアルで会った際に行われるやり取りが深まった

・コミュニケーションの語源はcommon。共通の何かがきっかけで共感を呼ぶことが多い

・人生のパートナーとして共に生活を築いていきたい、知的な対話を楽しみたい、セクシャリティーを求めたい、等の望みがライフステージ毎にあるのでは?もちろん一人の女性にすべてを求めるのは無理

・恋人にしたい女と妻にしたい女は、やはり違う

・技術研究は「創造型研究」であるはずなのに、科学に対する真理探究型の研究方法を適用してきた。技術研究が単に応用理学であったときはそれでよかったが、すでに限界に来ている。大学の研究において創造型がほとんど育っていない 

・自分の研究についても言及してもらう課題だが「○に強い興味を持ち,明らかにすることが最終目的」嘘つけ。たまたまそのラボに配属になったからでしょ。視野狭窄甚だしい

・ギリシャ時代の自己の主観と向き合う哲学が学問の基本。Scienceはそこから客観的、定量的分野へと進み、ある意味、自己の主観とは決別。一方、Artは自己の主観をどう表現するか?さらにどう伝えるか?ArtとScienceは本来とても相性がいい




stake2id at 15:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加
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