2015年08月

2015年08月30日

工部大学校卒業生の活躍と日本工学会の役割

工部大学校と日本の工学形成




工部大学校とは、明治はじめ1873年に工部省に設置された、日本初の工学の高等教育機関で、その後、1886年帝国大学令により東京大学工芸学部(前年に理学部より分離)と合併、帝国大学工科大学となりました。


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工部大学校資料




日本の産業を支えてきた、電気、通信、機械、造船、土木、建築、化学工業、鉱山、金属などの分野での、メーカーや企業、大学 について、その提唱者や設立者の多くが、この工部大学校から巣立っています。

工部大出身者は、その一人一人が明治の日本の殖産興業の中心人材となり、、日本の殖産興業を支えました。中には「電気の父」「鉱山の父」と、その分野の開拓者 、先駆者としての称号を担った人物も少なくありません。


とあります。

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卒業生の給与は、上記

工部大学校資料

によると、


1等卒業は月給30円で工部七等技手


明治時代の近代工学を担うエリート中のエリートですから、大変希少価値があったのだと思います。

明治時代の30円とは、現代の価値に換算すると60万円相当ですから、初任で月給60万円という高待遇だったようです。


さて、卒業生の活躍に大きな役割を果たしたのが、卒業生の同窓会組織である「日本工学会」でした。

日本工学会


日本工学会は、創立当初は「工学会」と称し、明治12年(1879)11月18日旧工部大学校の土木、電気、機械、造家、化学、鉱山、冶金の7学科第1期卒業生23名が相互の親睦、知識の交換を目的とて創立。

創立当時は工部大学校の卒業生だったが、同大学以外の関係者に門戸を開放し、我が国の工学・工業の発展に貢献


個々の卒業生は優秀でもひとりひとりができることは限られてしまいます。個々の優秀な卒業生の活躍の場を、広げる役割を果たしたのが、卒業生の同窓会組織である「日本工学会」でした。

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東大ワールドカフェ、卒業生ネットワークは学部・世代を超えた「ナナメのつながり」さらには大学の枠も超えて




もともと、同窓会は、同じ時期を、同じ教室で過ごした仲間が、卒業して、離れ離れになってからも、年に1回くらいは集まって、近況報告やら、懐かしい昔話やら、しましょう、という主旨でしょうか?

同窓会ネットワークとは、昔を懐かしがるためだけでは、もったいない、ものです。卒業生というつながりで、必ずしも同じ時期ではない先輩後輩も時代を超えてつながることができれば、強力な社会インフラになります。

東大は法、経、文、教育、工、理、農、医など、いろいろな学部があり、年間3000名の卒業生を送り出しています

在学中は、日常の学業、サークル活動などを通じて、学生同士の交流があります

ところが、卒業すると、途端に交流が減ります

同じ学科、同じ学年、研究室、サークルなどでは、同窓会などにより、ある程度の交流が図られます

ところが、この「同窓会」も、

・研究室の場合、学年の「序列」が、そのまま持ち込まれる

・折り合いの悪かった先輩などが、幹事をやっていると、行きづらい

なんてことがあります

さらには、年次、学部を超えた卒業生同士の交流は、格段に減ります

学部、学科ごとの「縦のつながり」は、まずまずあるものの、学部を超えた「横のつながり」さらには世代を超えた「ナナメのつながり」が極めて弱い、

というかんじでしょうか。

実は、組織、コミュニティーの「縦のつながり」、それらの垣根を超えた「横のつながり」に加えて、さらには世代を超えた「ナナメのつながり」が大切なのです。


と書きました。

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上に書いたように、

個々の卒業生は優秀でもひとりひとりができることは限られてしまいます。個々の優秀な卒業生の活躍の場を、広げる役割を果たしたのが、卒業生の同窓会組織です

同窓会とは、同じ所属の出身の「内輪」が集まる、という内向きのベクトルと、

ひとりひとりでは持ちえない、知識、特性、を共有し、活用する、という外向きのベクトル、があります。

「内輪」「内向きのベクトル」というとネガティブなイメージを持ってしまいがちですが、「質」の担保には欠かせません。

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東大ホームカミングデー、年に1度、懐かしいキャンパスへ




卒業生限定のクローズドのイベントだけだと、どうしても規模が縮小していきます。

いつも同じメンバーでは、最初は懐かしくても、そのうち「飽き」「マンネリ」も出てきます。

「今年はパスしようか」

なんてことになり、だんだん参加者も少なくなったり、幹事もやる気がしなくなり、やがては行われなくなってしまいます。

ところが、有名卒業生の講演などで、卒業生に限らず、誰でも参加できるイベントが含まれていれば、いろんな人を巻き込むことができます。

すると、閉じた内輪、ではなく、大きなスパイラルになっていきます。

このオープンとクローズドの組み合わせが、大きなスパイラルを生み出します。


と書きました。

明治維新の頃の、エリートの育成、育成したエリートの活躍から、現代も学ぶものに思いをはせてみました。



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2015年08月28日

「女の子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」鹿児島県知事

伊藤祐一郎鹿児島県知事の県総合教育会議での発言

「女の子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」

「社会に事象とか、植物の花とか、草の名前を教えた方がよい」

がSNS上で波紋を呼んでます。

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教育とは、誰もが受けてきて、それゆえ、誰もが自らの経験に少なからず左右されます。

伊藤祐一郎鹿児島県知事のプロフィール

を見ると、

東大法学部卒で、自治省に入省し、学問は「乱読と麻雀に没頭。学問は少し」だそうです。

例えば、

ソーシャルベンチャーとしての政治家

に書いた下村文部科学大臣は


現職の大臣が学生に向けて話す場合、国会の場、報道機関向けと違い、多くの場合、「本音」が混ざります。

下村文部科学大臣は群馬県の山間部で育ち、小学生の頃、父親を交通事故で失い、奨学金を受けながら、高校卒業後、早稲田大学に進学し、その後、都議会議員を経て、衆議院議員になり、現内閣で文部科学大臣を務めています。

小学校の時に、恵まれない環境でありながら、先生から「文部大臣になるかもしれないね」と言われた一言が、心に残ったそうです。

いわば、日本版アメリカンドリームを果たした、とも言えます。


反面、群馬県の山間部の交通遺児だったにもかかわらず文部大臣になった自分、早稲田大学に進学、の影響が色濃く残っている面もある感じがします。

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女性に対する、不適切な発言としては、

東大駒場寮・女学生掃除アルバイト論争にみる、記述された言語と、述べたい真意のギャップ

で紹介した1952年の、高橋健二(ドイツ文学者)教授の


それにしても、駒場寮の部屋の不潔さは論外である。

アルバイトの女学生をやとって、きれいにしてもらったらどうか


が議論を呼んだのに似ています。

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ここでは、この女性蔑視発言問題よりも、三角関数など、数学を学ぶことの意義、について考えてみます。

「TAK」さんは工学系なので、フーリエ級数とか、複素積分を学びました。これらを使う機会は工学系卒業者でも、それほど多くはありません。

では、無駄だったか、というと決してそんなことはありません。

学んだことが大切か?学ぶプロセスが大切か?




多くの工学系の学生は、複素関数論、フーリエ変換、ラプラス変換、などを講義で学びます。

ところで、これらを社会に出てから、使った人がどのくらいいるでしょうか?

実は、大学の先生、研究者になった人を含めて、ほとんどの人が社会に出てからは使っていません。

では、これらの勉強はムダ、なのでしょうか?

「学んだこと」は使う機会がないかもしれないけれども、学ぶ時にいろいろ考えたこと、学んだプロセスは、社会に出てから、とても役に立った、という企業の技術者のコメントがありました。

「学んだこと」だけでなく、「学ぶプロセス」も大切です。


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学生時代の「記憶に残る授業」から自分の興味関心を分析する





(1)教養課程:「法学」「社会学」「統計学」 学問と現実社会の融合

大学入試準備の全般の勉強(国語、数学、理科、社会、英語)および大学教養課程の人文科学、自然科学、語学(英語、ドイツ語)は、現実社会とゆるやかで、極めて細いつながりはあるものの、あくまで現実社会からは遊離した「学問」という独立した世界、という感じがしてました。

ところが、社会科学の「法学」は身近な現実社会を規定し、「社会学」「統計学」は現実社会を解明に活用できる学問である、ことを知りました。

この学問と現実社会の融合の感覚は新鮮なものでした。


(2)工学専門課程進学決定時:「応用解析学」 学問による社会の開拓

工学部への進学が決まると、「応用解析学」を修習するのですが、教養課程での解析学が、厳密さを追求し、概念の世界での「純粋数学」であるのに対し、「応用解析学」では、数学の成果を実際に工学の世界への応用を学びます。

無味だったフーリエ級数、ラグランジュ関数、複素積分が、工学を切り拓く、有力なツールとして、俄然意味を持ちだしました。

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(3)工学専門課程「流体工学」「伝熱工学」 学問による社会の解明

ナビエ・ストークスの定理、パイプの中の流体の流れ、熱の伝わり、など、実際の現象が方程式できれいに表現できることに神秘を感じました。

(2)の裏返しですが、実際の現象が、数学、物理学を利用することにより、解明できることに感激しました。


(4)大学院修士課程「理論流体学演習」 覚えている必要はない、使えるものは何でも使って問題解決

今では、グループワーク、プレゼンがある授業は珍しくなくなりましたが、以前はゼミ以外では、あまりありませんでした。

演習の授業では、テキスト、ノート、持ち込んだ参考文献、何を見てもよい、とにかく時間内に問題を解決する、正解が求められない場合は、次善の解を求める、というものでした。

試験ではカンニングは厳禁ですが、現実社会では、自分が利用可能なリソースが広ければ広いほどよく、決められた時間内で、それらを効率的に使って最善策を提案する、ことになります。

試験による評価から、実務作業、結果による評価というパラダイムチェンジでした。


(5)MOT社会人大学院「ネット社会のビジネスモデル」 グローバルな環境でのビジネス

MOT社会人大学院はほとんどが実用的授業でしたたが、この授業は英語で行われ、日本人学生が履修を取りやめる中、留学生に囲まれ、国内にいながら、この時間帯だけは、あたかも、自分が留学しているような気分でした。

これからのビジネスは、このような文化、宗教、政治体制も違う人々が、ブロークン・イングリッシュを使って行う、と予感させる授業でした。


「TAK」さんの場合、学問と社会の関連、がいつもキーワードになっています。


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上記のとおり、「学んだこと」は使う機会がないかもしれないけれども、学ぶ時にいろいろ考えたこと、学んだプロセスがもの凄く大切です。

数学に関して言えば、上に書いたように、無味乾燥だった、フーリエ級数、ラグランジュ関数、複素積分が、工学を切り拓く、有力なツールとして、俄然意味を持ち出したりしました。

教育とは、自らの経験、という狭い見識だけではなく、多様な人々と、もう少し、広く、高い立場から検討することが望まれるのではないでしょうか?

地方自治体の県総合教育会議での知事の発言としては、お粗末に過ぎます。

ただ、逆説的に考えれば、多くの人が中学・高校の数学の教育について考え直す機会となったのかもしれません。



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2015年08月24日

工部大学校と日本の工学形成

日本科学史学会「工部大学校と日本の工学形成」

という案内が来ました。

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工部大学校とは、

工部大学校

工部大学校資料

明治の文明開化を開いた工部大学校

工部大学校 - 東京大学総合研究博物館

に書かれていますが、

明治はじめ1873年に工部省に設置された、日本初の工学の高等教育機関で、その後、1886年帝国大学令により東京大学工芸学部(前年に理学部より分離)と合併、帝国大学工科大学となりました。

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科学技術史のすすめ、科学技術は振り返って見ても、面白い




科学技術というと、最先端の分野で、未知の領域を研究・開発していく、というイメージですが、実はこれまでの歩みを振り返って見ると、社会環境に応じて、人々がどういう道をたどってきて、今後どういう道を歩むのか?わかったりします。

これは、歴史を振り返ると、政治・経済が見えてくるのに似てます。


と書き、日本科学史学会から

「18世紀ヨーロッパの力学研究―学者たちの交流、学者たちの論争」

のお話を書きましたが、今度も同様な振り返りができそうです。

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さて、世界の工学の高等教育の始まりは、

村上陽一郎氏『 科学・技術と社会』

にあるように、フランス革命で技術者がブルジョアとみなされ、大量に処刑された結果、技術者が不足することになり、

技術者の大量養成機関「エコール・ポリテクニク」が1794年、フランス革命の真っただ中にでき、これが市民革命が起こらなかった当時のドイツ語圏にも直ちに普及し、「テヒニッシュ・ホッホシューレ」ができます。

それまで、技術は「技術者の飯のタネ」であり、非公開とされ、親方徒弟制度の中で縦に伝承されてきましたが、学校という枠組みの中で、誰でもが学べる、という、大きな転換点でありました。

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明治初頭に西洋列強諸国の近代技術を導入したかった日本が、同様の工部大学校を設置することとなりました。

教授陣はすべてイギリス人、授業はすべて英語で行われました。

十分な英語のテキスト、ましてやiPodのようなリスニング機器などない、明治時代の学生には、これは大変なことだったに違いありません。



工部大学校資料




当時、ドイツやフランスなどの大学では理論的・体系的な教育を重視し、実地経験は軽視していました。一方、英国では実践的な職人訓練は行われていましたが、高等教育としての技術者教育は疎かでした。

同時代の理工系高等教育機関には、東京大学がありました。東大のほうは学術理論に重きを置く一方、工部大学校には実地経験教育を重点視しました。


とあります。



この辺の事情は、

科学と技術の融合




「科学技術」と一言で語られますが、「科学」と「技術」は、本来は違うものではないでしょうか?

「科学技術」と言われる場合、自然科学において、科学的な発見、根拠があり、それをベースに、実社会に適用する技術に応用する、というのが一般的です。

ただ、人類の歴史において、「技術」は人間の生活と共に、科学的根拠など伴うことなく、ほとんど経験により、活用されてきました。

医術は人類と共に、発祥したのでしょう。

この当時のお医者さんは細胞試験、基礎実験など、行いません。実際の患者を扱う臨床の経験がベースです。

でも、紀元前の歯科技術は、現在と比べても、遜色ないことが発見されています。

農業が営まれると、水路をひく灌漑技術も発達しましたが、物理学の発見がベースではなく、これも経験によるものでしょう。

当然ながら、重力の法則も、作用・反作用の法則も発見されてはいませんでした。

測量技術により、直角を作るには、三角形の直角をはさむ二辺のそれぞれの平方の和と斜辺の和が等しい、ことを経験により知り、適用していました。

これを科学的、論理的に証明したのが、ピタゴラスです。

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このように「技術」は人間の生活に密着したもので、生活を便利にするために、経験をベースに作られていきました。

つまり、「技術」は「役に立つ」ことが基本です。

「技術」は極めて閉鎖的で、親方から弟子へ、教わることもなく、見よう見まねで伝承されました。

「技術」は自分たちの存在価値、意義、飯のたね、ですから、他の人たちには教えません。

「技術」が書き物にされて、学校で広く教えられるようになったのは、近代に工科大学が設置されてからです。

一方、「科学」は、人間の生活とは、特に関係があった訳ではありません。

「同じ体積であれば、質量に関わらず、風呂からあふれる水の量は同じ」というアルキメデスの原理は、結果として、いろいろな技術のベースになりましたが、アルキメデスは人間の生活のために発見したのではないでしょう。

ニュートンの一連の法則、万有引力の法則、作用・反作用の法則、慣性の法則も同様です。

科学は、哲学、芸術、文学、などと同様、生活にゆとりがある人々の教養に基づく、知的欲求によるものです。

新しいことを知ることが楽しい、から行うのであって、特に、「人間のために役に立つ」ことを目的としたものではありませんでした。

「科学」は早くから大学で教えられてきました。もっとも、その当時は「科学」というよりも「哲学」であったかもしれません。

「科学者」は世の中から離れて、実生活とは関係のない、真理を追究する人たち、というイメージが最近までありました。

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「科学」と「技術」が融合したのは、つい最近です。

「技術」が経験だけでなく、「科学」も根拠とするようになりました。

「科学」も何か「技術」に結びつかないか?検討し出しました。

そこで、「科学」が人間の生活に役に立つ、ようになりました。

「新しいことを知ることが楽しい」科学が「人間の生活に役に立つ」ようになりました。

こう考えると、科学はむやみに人間の生活に役に立つように、というよりも「新しいことを知ることが楽しい科学」と「人間の生活に役に立つ技術」がバランスを取って融合するのがいい、みたいです。


と書いたとおりです。

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当時の「工」は、日本だけでなく世界的にも、現在の数学、物理学などの科学と密接に結びついたものというよりも、経験に基づく「ものづくり」、交通インフラ、建物の工事、に近いものでした。

測量、交通インフラ、建物の工事、簡単な電気通信工事は、例えば、戦場では大変重宝で、評価が高かったようです。

当時の工部大学校でも、学問理論重視か?実地経験重視か?で、だいぶ意見が分かれていたことが伺えます。

いつの時代も、すぐに役に立つ、という点で、学問理論よりも実地経験の方が望まれます。

一方で、新しい技術を生み出すには、学問理論をベースとした研究開発があり、それが実地に展開することが大切であることは、後の歴史が示す通りです。

結果的にみれば、工部大学校は帝国大学令により東京大学工芸学部(前年に理学部より分離)と合併、帝国大学工科大学となり、理論と実践を融合させることになり、日本の技術の原動力となりました。

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国立大学の人文社会系学部削減とは、エリート大学の集約




人文・社会・自然科学、リベラルアーツ、教養の大切さについて書いてきました。

これくらいのことは、文部科学省の委員会、審議会に参加している委員の方々とて、認識している、と考えます。


と書きましたが、同様のことが昔から議論され、試行錯誤を繰り返し、結果も出ています。

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一高理科へようこそ―科学する心




戦前期の高等学校、いわゆる旧制高等学校を代表する存在であった第一高等学校では、卒業後さらに法律・政治・文学・科学・工学・農学・医学等を帝国大学に於いて学び、各分野の指導者となるべく督励された若人のための基礎教育が実施されていました。

旧制高校では教養教育、特にデカルト、カント、ショウペンハウエルが登場するデカンショ節のように、文学、哲学など文科系領域が重視されました。

その一方で、西洋近代化を急ぎ、理学、工学、医学の基礎教育もしっかり行われていました。

この時代は、西洋文明を急速に取り入れると同時に、取り入れた文明の普及も積極的に行われました。

工学については、官営八幡製鉄所、富岡製糸場のように、産業として導入され、また科学については、ニュートン、ラグランジェ、ライプニッツなどの業績を取り入れるだけでなく、上記のように、事実を観察し、記録し、実験する手法も普及していきました。


と書いたとおり、帝国大学へ入学する高等学校の教育も充実をみせます。

興味深い日本の科学技術黎明期の振り返りでした。




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2015年08月21日

高校野球は日本の夏の風物詩、懐かしさがポイント

夏の高校野球、最近は世界陸上、サッカー、錦織選手が活躍するテニスなどに押され気味でしたが、今年は100周年ということで、王貞治さんが始球式をしたり、早稲田実業の清宮選手のような注目選手もいて、例年よりもにぎやかです。

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100年続かせた「価値」を考えた 為末大さん




感動とはいうけど、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が男子100メートルの世界記録の9秒58で走った時の感動とは違うんです。

早稲田実の清宮君がいるけど、怪物がいない大会の方が多いでしょう。1人に頼らない魅力というのが高校野球の強みだと思うんです。

高校野球を100年も続かせた「価値」は何なのでしょう。

様式美、献身性、全力でかけてきたという思い、この3点のような気がする。それは日本人の美徳でもあるんです。これからの100年、その時々の変化に適応も必要です。でも、高校野球が共感を呼ぶその本質だけは変えてほしくないですね。


「TAK」さんは、これに加えて、日本の夏の風物詩として定着していること、をあげます。

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これに大きな役割を果たしているのが、

夏の高校野球の行進曲「全国高校野球選手権大会行進曲」明治の人の多才さに感動

に書いた、第21回大会(1935年)から80年使われている、山田耕筰作曲の

「全国高校野球選手権大会行進曲」

です。

この、おなじみの行進曲を聞くと、「さあ、また夏の甲子園がやってきた」という感じになります。

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「風物詩」とは、時代と共に、変わりつつも、引き継がれていく「懐かしさ」が大切です。

これに大きな役割を果たすのが、伝統校の存在、でしょうか。

今年は、優勝した東海大相模、準優勝の仙台育英、ベスト4の早稲田実業、関東一など、伝統校の活躍が目立ちました。

耳になじみのある伝統校が、活躍していることが、懐かしさを支えてます。

また伝統校はブラスバンドもしっかりしていて、

天理高校などおなじみの応援歌、曲の演奏

を聴くのが楽しみです。

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みんな、それぞれ応援する出場校があります。

母校であったり、出身地の高校であったり、地元の高校であったり、

「TAK」さんの母校、開成高校は、甲子園に出たことは、もちろんありません

さりとて、順当に1回戦コールド負けで敗退、ではなく、強豪校がひしめく東東京大会でベスト32、あるいはベスト16まで勝ち進んだこともあります

この辺の事情は、

「弱くては勝てません」開成高校野球部が強豪校に勝つには?

に書いてあります。

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母校が甲子園に出場することは期待できないので、「TAK」さんが応援するのは、地元、出身地である千葉県の伝統校になります。

今年は千葉県代表として専大松戸高校が出場しました。専大松戸高校の選手、関係者の方々には、申し訳ないのですが、古くからの千葉県民の「TAK」さんとしては、県予選決勝で敗れた習志野高校に甲子園に行ってほしかった、です。

習志野決勝で涙

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最近は今一つですが、昔は千葉県勢は強くて、習志野高校、銚子商業が全国制覇をしていました。

特に、習志野高校は2度、全国制覇しており、初めての全国制覇の時は、「TAK」さんが子供の頃で、当時の国鉄市川駅から優勝パレードがあり、見に行ったのを覚えています。

この、どこか、懐かしさを呼ぶ、毎年の夏の恒例行事、風物詩であるところが、夏の高校野球が人々を惹きつけるのではないか、そんな気がします。


さて、高校野球が終わると、夏も終わりに近づきます。行く夏を惜しみつつ、この文章も締めくくります。




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2015年08月18日

テレビのない生活からわかった、現代のテレビの役割

最近、身の回りの製品が次々と壊れます。

6月上旬に20年以上使ったシェーバーが壊れ、新しいモノを買い、

同じく6月上旬に、スマートフォーンが、再起動を繰り返すようになり、1週間ほどかけて、修理し、

7月には

家庭用プリンターが壊れた!さて、どうする?

に書いたとおり、15年以上使ってきたプリンターが壊れました。

そして、地デジチューナーが壊れて、テレビが見れなくなりました。

もちろん、それぞれの製品の故障は「独立」現象であり、相関関係はありません。

製品は、当然のことながら、半永久的に使えるものではなく、寿命があり、壊れることを前提に使用する、ことを再認識します。

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さて、今のテレビを購入したのは12年前の2003年の年末でした。

地上デジタル放送が一部地域で開始される頃で、また、液晶テレビ、プラズマテレビ(今はなくなってしまいましたが、この頃は次世代テレビと言われていました)

が急成長していた頃で、32型が30万円、40型が40万円、ほどでした。

こういった急成長の製品は、短期間で性能が急上昇し、価格も下がります。

また、地上デジタル放送も普及には、まだまだ時間がかかりそうな頃でした。

そこで4万円台のブラウン管型の25型のテレビを買いました。全く不自由は感じませんでした。

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8年後の2011年7月に全国一律に地上デジタル放送に切り替わります。

ただ、マンションが契約しているケーブルテレビ会社が2年ほど、デジタル放送をアナログに変換するサービスを継続するので特に問題はありませんでした。

2年前の2013年にデジタル放送をアナログに変換するサービスが終了する時に、

1.地デジチューナーを買うべきか?

2.地デジ対応テレビを買うべきか?

の選択に迫られました。

テレビが何の問題もなかったので、新しく買う気も起きず、当時4000円程度の地デジチューナーを購入しました。

ただ、結果として、この地デジチューナーが、たった2年で壊れました。

製品としての、地デジチューナーを考えれば、

・あまり電子回路などに詳しくない顧客

・おそらく1回限りの需要

ということで、1年間の保証期間をクリアする、最低限の品質しか、保証されないものであった、ということでしょう。

今では地デジチューナーは大型量販店にも置いておらず、ネット通販で買うしかなく、種類も減り、価格も1万円前後します。

そこで、地デジ対応液晶テレビを買うことにします。

2003年当時30万円前後した32型のテレビは、今ではずっと性能がよくなり、5万円前後です。

4:3の画面で奥行きのあるブラウン管型から16:9の画面で薄型の液晶型に移行したので、

従来型のテレビ収納ラックに収まるか?がポイントだったりします。

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2日間ほど、テレビがない生活をします。

ネットが普及してから、テレビの存在感は確実に減りました。

ネットがない生活は、数時間でも困りますが、テレビのない生活は、さほど困りません。

そもそも、スマートフォーンのアプリ、ワンセグにより、テレビを見ることができます。

テレビがない生活をしてわかったことは、今のテレビの役割は、

映像がある、時刻表示機能がある、BGMで、生活ペースメーカー、かな、

というところでしょうか?

PCにも時刻表示はあるのですが、作業をしていると時間を忘れてしまうことがあります。

テレビをつけていると、ニュース、天気予報など、定時に放送される番組があるので、時間の認識ができます。

PCでは、自分が興味あるニュースしかクリックしませんが、テレビのニュースでは、それ以外のニュースも流れます。

大きな役割が、家族との会話のトリガーでしょうか。

イヤフォーンをつけて、スマートフォーンでテレビニュースを聞いて、PCで作業をしていると、

各自が「個」に閉じこもり、家族との会話を遮断し、作業することになってしまいます。

ところが、それぞれが別の作業をしていたとしても、BGMとしてのテレビ放送が流れていると、

それが会話のトリガーになったりします。

茶の間で家族団らんでテレビを見る、という時代ではないのですが、別々の作業をしつつも、共通の情報BGMとしてのテレビ、

という役割は健在のようです。

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さて、2日間のテレビがない生活も終了し、32型の液晶テレビがやってきました。

どういう生活になるか、楽しみです。





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2015年08月15日

大学院入試、考えていることを明確に(口述試問、面接編)2015年版

大学院入試 考えていることを、とにかく書くこと!(筆記試験編)2015年版

で、筆記試験への対応を書いたので、

今日は口述試問、面接への対応を書きます

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口述試問、面接で質問されることは、

●専門事項

●「なぜ志望したか?」「これまで何をしてきたか?」「入学後何をしたいか?」「(社会人の場合)勤務と両立可能か?」

ではないか?と思います。

それゆえ、これに絞って話します。

これ以外のことを質問されたからって、「「TAK」さん、どうしてくれる?」なんて言わないでください。

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●専門事項 「知っていること」をわかりやすく話すこと


聞かれている質問に的確に答えられるか?が主なポイントです。

無意識にでも、論点をずらしたり、はぐらかしたり、ごまかすと、大きなマイナスになります。

質問する方の教員は、その道の一流の専門家です。知識、経験でも、あなたよりずっと上です。

そんなの、当たり前のことです。

「知っていること」をわかりやすく、話してください。


質問「どんな方法で検証していますか?」

回答「この課題は、複雑でいろいろな方法で試しています」


これでは、回答にならないことは、わかると思います。

しかし、実際に質問していると、「いろいろな」で終わってしまう回答が多いのです。


これは、「理解していない」「専門知識が全く不足」という判定になります。

具体的に、自分が行っている方法を、答えてください。

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「なぜ志望したか?」「これまで何をしてきたか?」「入学後何をしたいか?」「(社会人の場合)勤務と両立可能か?」「大学院で学んだことを、どう活かしていきたいか?」

面接に臨む際には、この質問には、当然、準備している、と想定しています。

にも、かかわらず、はっきり答えられない人が多いのも事実です。

上記事項は、明確にして、しっかり答えられるように、してください。

相手が期待しそうな事柄を想定して、取り繕うとしても、どこかでボロが出ます。


9月の残暑の頃には、皆さんからの合格通知を待っております。




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2015年08月14日

大学院入試 考えていることを、とにかく書くこと!(筆記試験編)2015年版

さて、大学院入試がもう間近に迫っています。

専門試験、論述試験の準備は怠りないかと思いますが、試験中の対策について、毎年書いていることではありますが、受験者は毎年変わるし、追加事項もあるので、今年も書きます

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大学入試は受験者が極めて多くて、ある程度、学力の差が出るような問題の設定にします。

一方、大学院入試では受験者は比較的少数です。

ここで、見たいのは、大学院教育に対応できる、基礎学力、論理的な判断力、思考を組み立てる力、などです。

これらを見るために、論述試験が出題されることが多い、と思います。

論述試験では、あなたは頭の中でいろいろ考えを組み立てます。

ただ、うまく行かずに、一度組み立てたものをばらして、再構築したりします。

採点官が採点するのは、「あなたが頭の中で考えたこと」ではなく、「答案用紙に記述されたこと」です。

なんだ、当たり前じゃないか?ですって?

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何度か書いては、消して、結局、数行しか書かれていない答案をよく見かけます。

おそらく受験者は、頭の中でいろいろ、何度も考えたのでしょう。

但し、採点対象となるのは、この書かれている数行だけ、です

例えば、「600字程度で記述せよ」という設問に、100字程度しか書かれていなのでは、合格ラインには達しないでしょう

なんでもかんでも書けばよい、とは言いません。

でも、考えたことはとにかく書いてください。完全には満足いくものではないかもしてないけれども、とにかく書いてください。

書かれていないと、採点のしようがないんです。点があげられないんです

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数学でも、大学院レベルでは、基礎的な計算能力も大切ですが、それに加えて、論理的思考もみます。

工学系では、「工学では結果が間違っては意味がない」と答が不正解だと0点の採点官もいますが、大部分の採点官は部分点をくれます。

計算だけ、書きなぐっていると、答が不正解だと、部分点をあげられません。

「○○の定理により、××を求めると」

「ここで、○○の公式を適用して」

のようにプロセスを書いておけば、たとえ最後の答が間違っていても、途中まで正しければ、部分点がもらえることもあります

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繰り返しになりますが、採点の対象となるのは、あなたが頭の中で考えたことではなく、答案に書かれていることです。

考えていることを、とにかく書いてください!

いい知らせを待っています!




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2015年08月11日

想い出は、夏にたくさん創られる

夏休み、真っ盛りのシーズンです

思い起こせば、林間学校、キャンプ、海水浴、夏祭り、バーベキュー、夏合宿、と、夏は懐かしい思い出がつくられる時

楽しい経験があるから、夏休みが待ち遠しい

今年の夏は、猛暑日が続いて、本当に夏らしい夏、この暑さ、なんとかしてくれ!なんて言っているくらいがいいのかもしれません

冷夏で、毎日雨じゃ、寂し過ぎます

さて、毎年夏になると、夏休みの雑感を書きます。

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楽しい夏休みの経験があるから、ウキウキ?


夏と言えば、いろいろな思い出があります。読書感想文と自由研究以外の宿題を、夏休み入ってすぐに終え、1ヶ月ほどのお休みを満喫していた小学生のときの夏休みが、とても楽しい思い出として、特に強く残っています。

花火、夏祭り、プール、海水浴、ラジオ体操、バーベキュー、旅行、昆虫採集、スイカ、とうもろこし・・・、挙げればきりがありません。自然に囲まれて育ったためか、外で元気いっぱいに体を動かして遊ぶことが好きでした。夏休みは、遊び三昧の毎日だったような気がします。

夏休み終盤には、残していた読書感想文と自由研究に泣かされたことも多かったですが、それもいまでは、とてもいい思い出です。

そんな経験があるからか、大人になったいまでも、7月のこの時期に、夏の陽差しを浴びると、心と体が夏モードになり、気持ちがはずみます。


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いつまでも忘れない夏休み


夏の朝

もうギラギラ照り付ける太陽、でも、空気は爽快

真っ青な空、白い雲

あさがお、ひまわりに水をやり

ラジオ体操

新鮮なトマトを収穫

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夏の午後

青い空に入道雲

ザリガニを取りに小川へ、ちょっと足が涼しい

日陰で扇風機をまわして、涼む(エアコン、当時はクーラー、は、あったはずですが、なぜか扇風機)

壊れかけたラジオから高校野球(カラーテレビはあったはずですが、なぜかラジオ)

お店に行って、かき氷、氷ミルクが大好き(氷イチゴ、メロンではなく氷ミルク)

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夏の夜

ようやく涼しくなってくる

線香花火、ねずみ花火、ロケット花火

まだまだ夏の夜は終わらない

カブトムシ取りを仕掛ける

ブンブン蚊が飛んでいる

蚊帳の中で寝る

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もう、こんな日本の夏の風景は見当たらないのでしょうか?

日本の夏、どこへ行った?



子供の頃の楽しい夏休みの思い出が、あるから、大人になっても、夏は心弾むんですね

こうやって、振り返ると、朝早くから、夜遅くまで、たっぷり楽しむのが、「TAK」さん流の夏休みの楽しみ方みたいです


大学サークルの同窓会は、ひりひりした原体験の再現ドラマ





「ゆるやかなつながり」と「インタラクションが食い込むつながり」のバランス




「弱い絆」「ゆるやかなつながり」が提唱されていたのですが、最近、風向きが変わってきた気がします。

リアルな「場」に、表面上を「つるっと」流れるだけの関係ではなく、インタラクションがあり、お互いに「食い込む」、時には「ひりひり」するかもしれない、「つながり」を求めているのではないか、そんな気がします。


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クリエイティブ・スタジオという実験場から。創造(Think)と実験(Do)の間、いまどんな変化が起こっているか?




「合宿をやる」盛り上がっていると互いの共感、これがあると継続できる。原体験が大切

メンバーの共感により、自分事として取り組む。メンバーのアイデアを他のメンバーが引き出していく

オニオンピール、自己紹介後に、自己紹介で隠していたことを問い詰めていくと、本音で話せる

アイデアを実現するには、そのアイデアにオーナーシップを感じる人が、実現に向けて、奔走することが必要になります

オーナーシップを感じる人を増やすには、合宿のような、強烈な共有体験が必要だったりします


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大学時代のサークル活動とは、長い人生の中の、ほんの1,2年のことです。

でも、その1,2年の活動は、お互いに「食い込む」、時には「ひりひり」する、強烈な原体験で、末永く人生に影響するものだったりします。

「ゆるやかなつながり」だけでなく、学生時代の、お互いに「食い込む」、時には「ひりひり」する、強烈な原体験にもとづく、つながりの大切さを気づかせてくれる


と書いたように、夏の合宿の原体験は、強烈で、一緒に体験を共有することは、末永く人生に影響するものだったりします。



さて、子供、学生の頃は1か月に及ぶ、長い夏休みがありますが、大人になるとそうもいきません。

そうすると、SNSなどを活用して、友達の経験をシェアすると、いろいろな夏休みが楽しめそうです。

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大学のテニスサークルの後輩の方々が、夏合宿の写真のアルバムをリアルタイムでSNSに流してくれています。

1日でも半日でも、実際に夏合宿に参加できればよいのですが、スケジュール的にも体力的にもそうもいきません。

リアルタイムでというところがポイントだったりします。

後でアルバムが送られてきても、「ああ、そう言えば夏合宿の季節だな」で、ろくに見ずに終わってしまいます。

ところが、リアルタイムで刻々と流れてくると、ある種の臨場感があって、

擬似的に参加している気分になって、自分たちの「あの頃」がよみがえってきたりします。

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さて、終戦の日8月15日を過ぎると、夏もそろそろ終盤で、行く夏を惜しむ雰囲気になります。

高原、避暑地、ビーチに行かなくても、身近なところにも、夏を楽しむイベントはまだまだありそうです。

まだまだ夏本番真っ盛り、楽しみたいです。







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