2012年08月17日

グローバル社会の基本は植民地政策に?

お盆期間中は、産学官ともにお休みモードで、メールも極めて少ないので、ここ2日ほど続けた、終戦を巡る、近現代史発掘の最終編をやってみます

グローバル社会と言われるようになって久しいですが、塩、胡椒などの香辛料、絹などの繊維の東西交易、それに伴う文化の伝達は大昔からありました

産業革命以降、海洋交通手段がぐっと向上して、拍車がかかりました

イギリス、フランスなどのヨーロッパ先進諸国は、国土、資源、人工も限られており、海外進出をもくろみ、アジア、アフリカ諸国を植民地としました

120817植民地


圧倒的な武力を背景に、奴隷貿易など、資源、労働力を搾取したことは論外ですが、途上国に産業、技術、文明を誘致し、秩序をもたらし、近代化を図った、というメリットも見逃せません

事実、20世紀後半にヨーロッパ先進諸国が撤廃し、独立すると、独裁国家となり、虐殺、貧困など、大きく秩序が乱れる事例が多いようです

120817アフリカ


さて、20世紀前半の植民地(世界、アジア、アフリカ)を見ると、イギリス、フランスが活発な動きを見せ、ドイツ、イタリア、オランダなどがそれを追いかける形で、アメリカもフィリピンを植民地としています

このような状況下では、軍事力、経済力に加えて、他の国々との交渉、協調、さらには現地国での対応が重要です

110815アジア植民地



大英帝国と呼ばれた、イギリスの事例を見てみましょう

アメリカとて、もとをたどれば、イギリスの植民地で、1783年に独立戦争の結果、独立しています

ヨーロッパに近いアフリカ大陸では、古くは奴隷貿易、その後、金、ダイアモンドなどの天然資源が発見され、イギリスはエジプト・カイロから南アフリカ・ケープタウンへ縦断政策、フランスは西アフリカから東海岸への横断政策をとりました。

縦断と横断ですから、当然、どこかで交わる訳で、1898年にスーダンのファショダで両軍が衝突するファショダ事件が起きました

同じ頃、東南アジアでも、インドの東インド会社を起点にパキスタン、バングラデシュ、ミャンマーを植民地とするイギリスと、ベトナム、ラオスを植民地とするフランスがタイで衝突します

アジアでもアフリカでも双方の間で小競り合いはあったものの、1904年に英仏協商を締結し、アフリカではエジプトはイギリス、モロッコはフランス、アジアではタイを緩衝地帯とし、東側をフランス、西側をイギリスとすることで妥結しています

ただ、アジアでは日清戦争による清の敗戦、弱体化により、代わってロシアが勢力を伸ばし、イギリスの植民地に迫ってきました

終戦の日を迎えて グローバル社会とパートナーシップ

に書いたように、日本と日英同盟を締結することにより、日露戦争(1904〜1905年)の日本の勝利につながります。

ここで、アジアにおけるロシアの脅威がなくなると、中東におけるドイツの進出を、ロシアと協力して食い止めるべく、英露協商を1907年に締結します

1882年にドイツ・オーストリア・イタリアが3国同盟を締結にしていたのに、対抗する形で、1904年にロシアとフランスは露仏協商を結んでいたので、イギリス・フランス・ロシアがお互いにブリッジする形で3国協商が出来上がりました。

ただ、この3国同盟と3国協商が、1914年に第1次世界大戦を引き起こす、引き金にもなってしまうのですが。


近現代史の発掘はこれくらいにして、何が言いたかったかと言うと、小競り合いはしながらも、昨日までの敵ともパートナーシップを組む、柔軟さにより、イギリスは自国の数十倍の領土、人口、産業をまかなっていけた、ことがわかります

また、英語と言う自国の言語を、世界共通語にもしてしまっています

21世紀のグローバル社会にも、この大英帝国の手法は参考にしたいものです

stake2id at 13:31│Comments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加

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