2015年03月15日

「日本再発見」構造が変わる時、合理化、効率化は延命策に過ぎない、新たな価値を見出すこと

記録映画上映『「日本再発見」福岡県』

という案内が来ました。

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昭和36年から翌年に亘り、各都道府県を紹介する教育番組「日本発見」シリーズが日本教育テレビで放送されました。当時の名監督が各都道府県の紹介映画を担当し、社会学的観点から高度成長期の日本を紹介しています。

詩的なナレーション、当時の映画におけるフレーミングや編集と一部共通する実験が見られるほか、写されている日本の姿が非常に興味深いものとなっています。各地域を特徴づける風土をはじめ、グローバル化以前の「日本人の顔」、そして工業化の最中の「日本の風景」が見事にとどめられていると言えるでしょう。

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「映像の考古学」上映会の第一シリーズを成す一連のフィルムは、映像における「日本再発見」にほかならない記録映画です。

昭和35年1月、土門拳による戦後フォト・ルポルタージュの名作『筑豊のこどもたち』。モノクロ写真をザラ紙に印刷した安価の写真集は、衰退している九州炭田地帯の寂しい暮らしを率直に伝え、全国の人々がそれに胸を打たれました。

厳しい転換期を生きた当時の「日本人の顔」は、映画においても鮮明に描かれています。本上映会では、当時の記録映画をもとに社会状況を振り返ります。


前回の参加記

「日本再発見」活かしてきた、強みが失われる時、どうするか?

に書いたのですが、


昭和36年と言えば、日本はオリンピックを迎える直前で、鉄道、ビルの建設が進む、高度経済成長時代ですが、

経済成長からキャリアを考えるとわかりやすい




GDPが伸びている時は、市場が伸びているため、工場などの生産設備を増強し、会社の組織も大きくなっていきます。

雇用は安定した「終身雇用」で、役職、収入も年齢と共に上がっていきます。

工場はたくさんの労働者を必要とし、家族も含めると数万人の規模に達し、「企業城下町」と言われるようになりました。

製鉄の釜石、北九州、室蘭、石炭の夕張、いわき、造船の播磨、長崎、下関などでしょうか。

市場が伸びて、会社の組織も大きくなっているので、とにかく、いろいろな仕事があります。

その仕事をこなしていくことが、会社の利益、みんなのため、になりますので、「やりがい」なんて、特に考える必要もありません。

高速で回転している物体が、多少の外乱があっても、安定して回転し続けるように、このように「うまく回っている」時は、多少のトラブルがあっても、うまくいってしまいます。


と書きました。

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高度成長時代には、「多少の外乱があっても、うまくいってしまいます。」なのですが、実は、この時期に、課題が見え始めるのですが、人々の努力、創意工夫により、さらには伸びているGDPにより、課題は「解決されている」か、に見えます。

ただ、このGDPの伸びがゆるやかになる、停滞する、と、課題、問題が顕在化します。

高炉を用いた近代製鉄には、大量の鉄鉱石と石炭が必要です。

そこで、鉄鉱石の産地の釜石、筑豊炭田をかかえる八幡に官営製鉄所ができ、その後、釜石、八幡は製鉄の町として栄えます。

ただ、釜石、八幡がその後、順調な歩みだったかと言うと、釜石は何度か三陸地震津波の被害があり、戦時中には釜石も八幡も、アメリカ軍から激しい攻撃を受けます。

実は、昭和36年の、この記録映画において、既に釜石の港には、オーストラリアなど海外産の鉄鉱石が輸入されていることが映されています。

釜石鉱山の坑道掘りよりも、大規模なオーストラリアの露天掘りで取れる鉄鉱石を輸入する方がコストが安いのです。

筑豊炭田をかかえる八幡の同様で、炭鉱は次第に深くまで掘らなければ石炭が取れなくなり、落盤事故もあり、露天掘りの海外産の石炭を輸入する方がコストが安くなりました。

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つまり、釜石、八幡の製鉄所は立地上の優位を失い、海外産の鉄鉱石、石炭を入手できるところに、最新鋭の製鉄所を作る方が、いいことになります。

釜石製鉄所の富士製鉄と、八幡製鉄所の八幡製鉄は、合併して新日鉄となり、世界最大の製鉄会社となり、東京湾岸の君津に最新鋭の工場を建設します。

八幡製鉄所は、その後、アジアに近い立地条件から、増大してきたアジア向けに製造を続けていますが、釜石製鉄所は1989(平成元)年 高炉・転炉を休止し, 100年以上続いた製鉄産業が釜石から消えました。

新日鉄も2001年までは世界一の製鉄会社でしたが、その後、アルセロール・ミッタルなどに抜かれ、2012年に住友金属を合併し、現在世界5位の粗鋼生産量です。


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この映像の昭和36年には、かつては日本の石炭産出量の1/4を占め、「月が出た出た、月が出た。三池炭鉱の上に出た。あんまり煙突が高いので、さぞや、お月さん、煙たかろう」の炭坑節で知られる、筑豊炭田も、エネルギーの石炭から石油への流れ、海外のコストの安い露天掘り、などの影響で全盛時を過ぎ、衰退期を迎えていました。

落盤事故も加わり、多くの炭鉱が閉山しました。筑豊地方の自治体は、高額納税者が去り、生活保護者が増えて、財政危機を迎えます。

筑豊地方の炭鉱は400年の歴史があります。江戸時代までは、自給自足で必要な分だけ採掘すればよかったのですが、上記のように明治になって、八幡製鉄所ができて、大量の石炭が必要になり、大量に産出するようになりました。

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上記の三井三池炭鉱など、少数の最新鋭の炭鉱は、最新の採掘技術、運搬技術を導入しましたが、それ以外の中小炭鉱は、特段の技術を導入することもなく、昔ながらの採掘、運搬でしたが、大量の需要があったので、問題ありませんでした。

炭鉱は、夏は涼しく、冬は暖かく、当時としては快適な環境。仕事は特に頭は使わず、簡単で楽で、給料がよく、労働者は好況時にはストライキなど尊大な態度を取ってました。

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ただし、上記のように、エネルギーの石炭から石油への流れ、海外のコストの安い露天掘り、などの影響を受け、多くの炭鉱が合理化、効率化を進めようとしました。

ところが、「仕事は特に頭は使わず、簡単で楽で、給料がよく、労働者は好況時にはストライキなど尊大な態度」から急に転換できるものではありません。

炭鉱はいつかは復活するのではないか、という漠然とした期待があったようです。しかし、現実は厳しく、弱者から廃業し、最強の数社だけ生き残りました。

しかし、徹底的な合理化、効率化を行った、最強の三井三池炭鉱でさえ、石炭から石油への流れ、海外露天掘り採掘の低コストには勝てず、やがて閉山します。

筑豊炭田はこのように閉山しましたが、八幡製鉄所は、その後、アジアに近い立地条件から、増大してきたアジア向けに製造を続けています。

八幡も筑豊炭田をかかえる利点はなくなり、代わりとして、増大してきたアジア市場に近いことがメリットとなっています。

北九州は、古くから、大陸との商業、文化の接点でした。

以前は、商業、文化を受け入れる拠点でしたが、これからは発展する東南アジア諸国に近い立地条件を活かすことが考えられます。

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シリコンシーベルト構想の挑戦




福岡は東京よりも、韓国に近い位置にあります

マレーシア、シンガポール、台湾、香港、上海、福岡、ソウルを結ぶシリコンシーベルトが、世界のIT市場の70%を占め、世界の半導体の60%を生産しています。

この地帯がクラスターを形成すれば、世界をリードする拠点を形成できる可能性があります


と書いたとおりです。


ここからの教訓は、

・強みがある分野では、特に努力しなくとも利益が上がるため、改善の努力を怠り、態度も尊大になり、いざ強みが失われる変化が始まった際に、対応が難しい

・特需は一時的に大きな利益をもたらすが、長期的な利益の源の寿命を早めてしまう

・合理化、効率化は一時的には有効だが、構造的な変化に対しては「延命策」にすぎず、業界内で強いものが生き残るが、やがて消滅を迎える

でしょうか。

「日本再発見」活かしてきた、強みが失われる時、どうするか?

と同じ記述でまとめます。


「強み」とは、他者と比べた場合の、相対的な価値です。自らの能力は、何ら低下しなくても、それを上回る競合が現れれば、「強み」は失われます。

「強み」は何か?他から脅かされる恐れはないか?その「強み」を失った場合の、代わりとなる「強み」は?

いろいろ考えさせられた事例でした。




stake2id at 19:15│Comments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加

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