2017年04月22日
人間の機能は、人工物により拡張、進化し、規定される
東京工業大学工学院 第1回ヒューマンセントリックシンポジウム
という案内が来ました。
デザイン・エコノミクス・情報処理といった多面的な視点から人間中心のエンジニアリングを推進していくため、系の枠組みを超えた研究グループ「ヒューマンセントリックG」を組織しました。
人間中心イノベーションと技術革新のかかわり
に
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AIやIoT、ブロックチェーンなど、先端技術が以前にも増して注目を集める時代が到来しました。
それら技術によって、人間の知性に関する観念やモノとの付き合い方、貨幣の役割や仕組み等、私たちの社会生活や価値観の特に基盤部分において、これまでの常識的枠組みが大きく書き変えられようとしています。
技術起点で私たちが暮らす社会と市場に存在していた常識の枠組みが組み替えられる、リフレーミングの時代が到来したと言えるでしょう。
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と書きました。
人間が使う技術、人間を取り巻く社会環境が急速に進化することにより、人間自体の機能も拡張、進化していきます。
パソコン、ネットで拡張する脳の機能、人工知能時代に備えて
に
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パソコン、ネットが普及する前の、「紙」の時代には、頭が記憶していることが、大切でした。
「これ、書いたことがあるな」と思って、引き出しを調べたり、「これ、確か、どこかで読んだことがあるな」と思って、本棚を調べても、多くの場合は、その資料、本を見つけることができず、「どこかで見たんだけれど」と忘却の彼方に忘れ去られました。
ところが、今では、「これは、書いて、このディスクに入れてある」ならば、検索すれば、すぐに出てくるし、「これ、ウェブで見たことがある」ならば、Googleで検索すれば、やはり、すぐに見つかります。
つまり、脳の機能が、パソコンのディスク、ネットと「結びついて」いるかのような働きにすら、思えます。
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人間中心イノベーションは、意図的に起こすよりも、結果として起きている
に
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アナログからデジタルへの進展により、写真館、レコード店なども大幅に減りました。
以前はなかった、ネットを活用したビジネスは大きく伸びています。
デジカメは、当初はアナログカメラに比べ、解像度が低く、バッテリーはすぐに切れ、使い物にならない、という評価でした。
ところが、これらの欠点が急速に改造されると、とたんに普及しました。
フィルム、現像という手間が不要で、ランニング・コストがほぼ0というのが、普及のポイントでした。
上記のようにフィルム、写真館は大幅に姿を消しました。
さらに、スマフォに、デジカメと同性能のものが組み込まれると、
人々は、日々の生活のスナップショットを撮っては、Facebook、Instagramなどに投稿するようになりました。
アルバム、生活の記録、という概念は大きく変わっています。
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人間は(人工)物にしたがって生活する
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電車の座席は、昔はずっと平らでしたが、最近は、一つ分ずつ、くぼみができています。
すると、乗客はその一つ分に座って、以前のように、席を余分に占拠して、7人掛けの席に6人しか座れない、ということは、ぐんと減っています。
それだけではありません。
例えば、スーツケースを買うとします。
前のスーツケースのサイズ、それで足りない思いをどれだけしたから、一回り大きいサイズを買うべきか?
前のスーツケースのキャスター、取っ手で不便だった記憶から、どういうキャスター、取っ手がよいか?
など、に加えて、押入れに入るか?値段は?などを考えて、どれを買うべきか?検討します。
その結果、ある一つを購入します。
すると、その時点から、あなたはそのスーツケースにしたがって行動することになります。
そのスーツケースは、押入れのスペースをその分だけ占拠します。
海外旅行、海外出張に持っていけるものは、最大でもそのスーツケースに入るだけ、です。
海外旅行先では、便利だろうが、不便だろうが、そのスーツケースのキャスター、取っ手を使わざるを得ません。
つまり、(人工)物は所有した時点から、それにしたがって、生活することになります。
プラズマ・液晶テレビ、パソコンを買う時、こだわりたいポイントが何点かあるでしょう。
でも、それ以外は、別にどうでもよくて、あまりこだわらずに、買います。
ところが、買って使う時点から、その「別にどうでもよくて、あまりこだわら」なかった特性にも合わせた使い方をしなければなりません。
と、人間は(人工)物にしたがって生活する、ことになる訳です。
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最近は写真を撮る時に、Instagram、Facebookへのポストを想定して撮っている人が多い、と思います。
すると、Instagram、Facebookは、その人たちの生活の中に取り入れられているだけでなく、生活を規定するモノにもなっています。
セックスに関するタブーがあるから、芸術、文学になる、というパラドクス
に
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テレビによるマスメディアの時代から、インターネットの時代になって、
テレビをにぎわせていた、巨乳露出系アイドルが廃れ、インターネットには、おびただしい数のアダルトビデオが無料で流れています
セクシャリティーあるいはエロスは、家族、友達など他の人とテレビで鑑賞するものではなく、
個人専用のインターネットで、鑑賞するのが適していることの表れ、と考えます。
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と書きました。
感覚と情動の科学技術
に
>
行動や情動は感覚から生まれる
ウェラブルコンピュータを用いれば見たり聞いたりしたことがそのままとっておける。記憶と記録の境界があいまいになる。
感覚や情動は「気のせい」と紙一重である。「気のせい」技術によって変わるのは単なる「気のせい」ではない。この技術によって、現実が変わるのである。
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現実とネットの経験も境界があいまいになり、融合されていきそうです。
という案内が来ました。
デザイン・エコノミクス・情報処理といった多面的な視点から人間中心のエンジニアリングを推進していくため、系の枠組みを超えた研究グループ「ヒューマンセントリックG」を組織しました。
人間中心イノベーションと技術革新のかかわり
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AIやIoT、ブロックチェーンなど、先端技術が以前にも増して注目を集める時代が到来しました。
それら技術によって、人間の知性に関する観念やモノとの付き合い方、貨幣の役割や仕組み等、私たちの社会生活や価値観の特に基盤部分において、これまでの常識的枠組みが大きく書き変えられようとしています。
技術起点で私たちが暮らす社会と市場に存在していた常識の枠組みが組み替えられる、リフレーミングの時代が到来したと言えるでしょう。
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と書きました。
人間が使う技術、人間を取り巻く社会環境が急速に進化することにより、人間自体の機能も拡張、進化していきます。
パソコン、ネットで拡張する脳の機能、人工知能時代に備えて
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パソコン、ネットが普及する前の、「紙」の時代には、頭が記憶していることが、大切でした。
「これ、書いたことがあるな」と思って、引き出しを調べたり、「これ、確か、どこかで読んだことがあるな」と思って、本棚を調べても、多くの場合は、その資料、本を見つけることができず、「どこかで見たんだけれど」と忘却の彼方に忘れ去られました。
ところが、今では、「これは、書いて、このディスクに入れてある」ならば、検索すれば、すぐに出てくるし、「これ、ウェブで見たことがある」ならば、Googleで検索すれば、やはり、すぐに見つかります。
つまり、脳の機能が、パソコンのディスク、ネットと「結びついて」いるかのような働きにすら、思えます。
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人間中心イノベーションは、意図的に起こすよりも、結果として起きている
に
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アナログからデジタルへの進展により、写真館、レコード店なども大幅に減りました。
以前はなかった、ネットを活用したビジネスは大きく伸びています。
デジカメは、当初はアナログカメラに比べ、解像度が低く、バッテリーはすぐに切れ、使い物にならない、という評価でした。
ところが、これらの欠点が急速に改造されると、とたんに普及しました。
フィルム、現像という手間が不要で、ランニング・コストがほぼ0というのが、普及のポイントでした。
上記のようにフィルム、写真館は大幅に姿を消しました。
さらに、スマフォに、デジカメと同性能のものが組み込まれると、
人々は、日々の生活のスナップショットを撮っては、Facebook、Instagramなどに投稿するようになりました。
アルバム、生活の記録、という概念は大きく変わっています。
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人間は(人工)物にしたがって生活する
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電車の座席は、昔はずっと平らでしたが、最近は、一つ分ずつ、くぼみができています。
すると、乗客はその一つ分に座って、以前のように、席を余分に占拠して、7人掛けの席に6人しか座れない、ということは、ぐんと減っています。
それだけではありません。
例えば、スーツケースを買うとします。
前のスーツケースのサイズ、それで足りない思いをどれだけしたから、一回り大きいサイズを買うべきか?
前のスーツケースのキャスター、取っ手で不便だった記憶から、どういうキャスター、取っ手がよいか?
など、に加えて、押入れに入るか?値段は?などを考えて、どれを買うべきか?検討します。
その結果、ある一つを購入します。
すると、その時点から、あなたはそのスーツケースにしたがって行動することになります。
そのスーツケースは、押入れのスペースをその分だけ占拠します。
海外旅行、海外出張に持っていけるものは、最大でもそのスーツケースに入るだけ、です。
海外旅行先では、便利だろうが、不便だろうが、そのスーツケースのキャスター、取っ手を使わざるを得ません。
つまり、(人工)物は所有した時点から、それにしたがって、生活することになります。
プラズマ・液晶テレビ、パソコンを買う時、こだわりたいポイントが何点かあるでしょう。
でも、それ以外は、別にどうでもよくて、あまりこだわらずに、買います。
ところが、買って使う時点から、その「別にどうでもよくて、あまりこだわら」なかった特性にも合わせた使い方をしなければなりません。
と、人間は(人工)物にしたがって生活する、ことになる訳です。
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最近は写真を撮る時に、Instagram、Facebookへのポストを想定して撮っている人が多い、と思います。
すると、Instagram、Facebookは、その人たちの生活の中に取り入れられているだけでなく、生活を規定するモノにもなっています。
セックスに関するタブーがあるから、芸術、文学になる、というパラドクス
に
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テレビによるマスメディアの時代から、インターネットの時代になって、
テレビをにぎわせていた、巨乳露出系アイドルが廃れ、インターネットには、おびただしい数のアダルトビデオが無料で流れています
セクシャリティーあるいはエロスは、家族、友達など他の人とテレビで鑑賞するものではなく、
個人専用のインターネットで、鑑賞するのが適していることの表れ、と考えます。
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と書きました。
感覚と情動の科学技術
に
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行動や情動は感覚から生まれる
ウェラブルコンピュータを用いれば見たり聞いたりしたことがそのままとっておける。記憶と記録の境界があいまいになる。
感覚や情動は「気のせい」と紙一重である。「気のせい」技術によって変わるのは単なる「気のせい」ではない。この技術によって、現実が変わるのである。
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現実とネットの経験も境界があいまいになり、融合されていきそうです。