2017年07月10日

東京大学制作展2017「すきま」

東京大学制作展2017

という案内が来ました。

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通知文によると、


見知らぬ場所へ抜ける、排気口や配線ひしめくビルの「すきま」

住人の暮らしが垣間見える、風に揺れるカーテンの「すきま」

ホラー映画を窺う、顔に添えられて開いては閉じを繰り返す指の「すきま」

世の中にあるいろいろな「すきま」。

人はそこに、少しの不安を見ながらも抗えない好奇心を抱きます。

入り口のドアが少し開いて、光が漏れ出しています。
さあ、その「すきま」を開けて。

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「SUKIMANIAC」な作品を覗いて見ませんか?


東京大学制作展の様子は、

東京大学制作展「FAKE FUTURE」ありえない未来を考えることで本質を見出す

東京大学制作展「補序線」に行ってきました

東京大学制作展「わたしエクステンション」に行ってきました

に書いたのですが、

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インターネット、スマートフォーンなど、今では当たり前の技術も、1990年代前半には思いもつかなかった世界です。

今は、まだ先端技術である人工知能、AR(拡張現実)、VR(仮想現実)が、生活の一部になる時代も、もうそこまで来ている、かもしれません。

「ありえない未来」にこそ、未来の本質のヒントが隠れているのかもしれません。

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石器からiPhoneにいたるまで、古今東西の技術は、「わたし」を拡張してきました。

時代が進むにつれて、わたしにできることはどんどん広がっていきます。

今や、電話やネットのおかげで遠くの人にもわたしの声や思いは届き、Googleマップによってわたしの土地勘は世界の隅々にまで及びます。

技術に媒介されることで、わたしや社会そのものがますます便利に、自由に、広がっていくのです。

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一方で、拡大とともにその境界は曖昧になっています。

「ネットの声」と紹介された「わたし」のつぶやき、Amazonに薦められて買った「わたしの欲しいもの」、「わたし」の代わりに会議に「出席」してくれるロボット…。

一体、どこまでを「わたし」と認めればよいのでしょうか。

「自分」という言葉があります。 自らを分けると書いて、自分。

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制作展では「わたしエクステンション」というテーマを通じて、「自分」つまり、わたしと社会とそれらを拡張させていくさまざまな技術との境界について問うてみたいと思います。


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「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ

にも書いたのですが、

視覚、聴覚、触覚あるいは記憶について、

目で見る、耳で聞く、手、身体で触れる、脳で記憶する、だけでなく、

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目に止まらぬ、瞬時の動きを、スローモーションで観察する、3次元の映像を体験する、ノイズを除去し、リミックスした音楽を聴く、

参加したイベントについて、Instagram、Facebookに掲載された写真をもとに、記憶を修正しながら、再構築していく、などなど

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すると、コンピューターは人間のツール、道具ではなく、

既に、拡張された人間の機能の一部となっている。

人間のあらゆる感覚に、コンピューターが深くかかわるようになりました。

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そして、VR(仮想現実)、AR(拡張現実)で体験したこと、と、実際の生活で体験したことの「境界」はあいまいになり、すでに、その区別はつかなくなりつつあります。

夢か、現か、は、もうどちらでもよく、融合して混然一体になっています。




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