2019年05月26日

教養教育、現状の社会分析ではなく、文化、哲学の立場からメタに考える

東工大ホームカミングデー2019に行ってきました

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で、リベラルアーツ講演会に参加して、


理工系大学である東工大が、本格的なリベラルアーツ教育を行うべく、中島岳志氏、西田亮介氏、池上彰氏ら文系教員を結集しています。

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このことは素晴らしいのですが、

招集された文系教員たちが「点」の寄せ集めではなく、「幅広く、奥行きが深い、厚い層」になる」ためには、

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現状の政治談議をするのではなく、

昨年の「国民女優としての原節子と戦後日本の風景」

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のような、政治、経済よりも、それらを少し離れた場所から、文化の立場からお話してもらいたかった、と感じます。


と書きました。

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専門性が豊富で、幅広い教養があるのだが、奥行き、懐の深さが今ひとつ




最近、大学、研究機関など、アカデミアの人々と話していて感じることがあります。

「専門性が豊富で、幅広い教養があるのだが、奥行き、懐の深さが今ひとつ」

どういうことか、と言うと、自身の専門分野には、深い知識、洞察があり、加えて、幅広い教養もお持ちの方がほとんどです。

ただ、氷山の水面下の巨大な塊のような、奥行き、懐の深さ、オーラを感じることが少なくなったかな、という感じがしています。

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「層が厚く、豊富な人材」の東大(村上陽一郎氏、船曳建夫氏、小林康夫氏)、「知の巨人たち」の東工大の先生方(江藤淳氏、宮城音弥氏、鶴見俊輔氏、橋爪大三郎氏)とお話をしていると、

その奥行き、懐の深さが、氷山の水面下の巨大な塊、あるいは、火山の地下のマグマ、のように伝わってきたものです。

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なぜ、それを感じることが少なくなったのか?

1.時代の変化が急激で、ネット主流の時代で、情報が氾濫、時間が全く不足

2.「わかりやすさ」が求められ過ぎ、難解なことを考えることが少なくなった

などが原因では、と考えています。

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アカデミア、知識人と呼ばれる人たちは、専門外であっても、人工知能、IoT、ブロックチェーン、などについては、最新の情報をアップデートしています。

こういった作業に時間がとられ、原書をゆっくり、ひもとく、ような、ことには時間を割けなくなっています。

自身の分野の専門的な研究、その周辺分野について、わかりやすく説明できることは大切です。

ところが、「わかりやすさ」が求められ過ぎた結果、難解なテーマについて、深く構造的に考察、分析する機会が少なくなってしまったかもしれません。


と書きました。

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東工大リベラル教育に招聘された、中島岳志氏、西田亮介氏、池上彰氏ら文系教員は、現在の政治、経済、国際問題について、独自の視点から、分析、解説されます。

一方、知の巨人たちは、現状を社会を、そのまま分析する、というよりも、一度、文化、哲学のメタの立場から、ある意味、難解なテーマを設定し、参加者に考えさせ、深く構造的に考察、分析していました。

参加者にすんなりと入ってくるのではなく、参加者が自らテーマについて、考察し、自らの中に構築していった、というところでしょうか。

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「わかりやすい」だけでなく



東大の社会学研究所の玄田有史先生から、伺ったお話を思い出しました。

「ぼくの授業は、学生から「とてもわかりやすい」と言われます。」

本当にその通りで、とってもわかりやすい、です。

「先生、この調子なら、予備校の講師だってできますよ!」

「いや、予備校の講師なら、それでいいんです。

でも、大学院って、高度な能力を持っている人たちに対して、とっつきにくい、難しい最新の課題を紹介して、それぞれの人たちに自分なりに考えてもらう、という場所でもあるんです」

「もし、それをさらっとわかりやすく紹介して、「わかったつもり」になってしまうのであれば、大学院生の考える機会を奪っているんことにならないでしょうか?」


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教養教育の奥の深さについて、考えてみました。



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