2016年05月26日

科学技術外交シンポジウムー科学技術を通じた日本外交の新たな方向ー

という案内が来ました。

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外交というと安全保障、国際経済、工業製品、農林水産物などのイメージが強いのですが、科学技術が、これら安全保障などに与える影響は大きく、また多岐に渡り、科学、技術を外交に活用する動きが活発化しています。

社会の変化が激しく、技術の進歩も急速な時代に、1社単独での技術開発は難しく、数社での共同開発、あるいは産学官共同プロジェクトが組まれます。

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山崎直子さん「宇宙飛行士という人生〜宇宙に出るまで、帰って来てから」

に書いた「国際宇宙ステーション」

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「理論を現象で検証する」から「現象から理論を導き出す」へ

に書いた「スーパーカミオカンデ」

などは、ひとつの国での研究開発は難しく、複数の国の共同作業になります。

研究施設、プロジェクトによっては、イスラエルとパレスチナなど、国同士は対立関係になるけれど、研究者は共同研究、ということも、よくあります。

このような状況下で、科学技術は重要な外交項目になりました。

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技術、学問、社会は絡み合いつつ、一体となって進むから、面白い!

に書いた


スーパーコンピューター「京」は民主党政権下で、事業仕訳の対象になり、話題となりました。

「1番でなきゃ、いけないんですか?」

の質問が印象的です。

科学技術、その中核となる、スーパーコンピューターは世界中がしのぎを削りつつ、急速な進歩を遂げています。

現時点で1番でも、すぐに追いつき、抜かれていきます。

最低限、現時点では最新鋭のスーパーコンピューターを活用しなければ、とても科学技術立国など、おぼつきません。

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「1番でなきゃ、いけないんですか?」

は民主党が政権担当能力に欠けることを象徴する言葉で、強く国民の印象に突き刺さりました。

それが、現自民党安倍政権が安保法整などで、強気に出られる原因かとも感じます。


の愚かさを歴史が検証することにもなりました。

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国際社会でのパートナーシップとは、複雑で、常に動き、変化する生態系




・パートナーシップ構築には、周辺国との状況も重要

・今後の協調関係を築いていくうえで、過去の難しい話を蒸し返すことは得策ではない

・イギリスの歴史家イアン・ニッシュ「同盟がひとつの状態にとどまっていることはありえない」

・「外交とは可能性の芸術である。状況が激しくうねる中で、一瞬のチャンスを捉えて可能性を追求する」

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日本人が国際社会で活躍するためには、逆説的ですが、日本という国がしっかりしていなければなりません。

そうでなければ、国際社会でも説得力がありません。

国境のない世界、と言われますが、国際紛争の時など、役割を果たすのは、最終的には国家になります。

グループを作って、グループ内のメンバーに優遇する。グループ同士で、綱引きをしたりする。なるべく強い人についた方が有利。

国際社会と言っても子供の社会と変わらなかったりします。

一方で、旧ユーゴスラビアなどは、東西冷戦時にチトー大統領の非同盟運動など、国際平和に大きく貢献し、国際的な存在感も大きく、サラエボ冬季五輪なども開催されました。

ただ、チトー大統領の死後は、分裂、紛争を繰り返すことになってしまいました。


科学技術を外交のカードとするには、

日本発の優れた技術、人材の育成が不可欠です。

これなしに、手ぶらで出かけて行って、土足で踏み荒らし、他人の成果を、お金で買い漁ろうとしても、誰も相手にしてくれません。

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研究もビジネスも、幅を広げ、継続させ、キャリアを切り拓くのは、人のネットワーク




研究もビジネスも、幅を広げ、継続させ、キャリアを切り拓くのは、人のネットワーク


と書いたようにネットワーク力

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パブリック・ディプロマシー、日本の存在感を高めるには?




日本は世界に何を伝えるべきか。世界にどのような日本を魅せるべきか。

情報発信の手法としても従来のような国対国のレベルではなく、相手国の市民に直接働きかけ理解を促進する外交活動「市民外交」や「広報外交」、すなわち「パブリック・ディプロマシー」への期待や関心が最近はにわかに高まっています。


と書いたように、タイムリーな情報発信力も求められます。

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5/26〜27のG7伊勢志摩サミットに先立ち、5/15〜17に、つくばでG7科学技術大臣会合が開催されました。

こういった関係大臣会合が開かれることこそ、科学技術が外交の重要なファクターになっていることを物語ります。





2016年05月23日

最近、各大学が年に1回、卒業生をキャンパスに招く、ホームカミングデーが盛んにおこなわれるようになりました

「TAK」さんは、東大の大学と大学院、東工大の大学院を修了しましたが、東大のホームカミングデーは13回目を数え、毎年10月に行われます。

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東工大はホームカミングデーは5月に開催され、今年で5回目、第1回から参加し、その様子は、

東工大ホームカミングデー・池上彰教授特別講演に行ってきました

東工大ホームカミングデーに行ってきました

東工大ホームカミングデー2014に行ってきました

東工大ホームカミングデー2015に行ってきました

に書いてあります。

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東工大ホームカミングデイ2016(大岡山キャンパス)

2つの大学のホームカミングデーに出るので、自然と比較することになり、「TAK」さんは、いつも東工大に辛口です。

いつぞやかは、


まず、着いて、驚いたのが、キャンパスが「閑散」としていて、人の姿が、まばらなことです。日程を間違えたかしら?と不安になったほどでした。

総合受付のスタッフも、ろくにおらず、

「何のおもてなしもできませんが」と言いつつ、さりげない心遣いがある「場」と思うのですが、これでは、本当に「何のおもてなしもありません」

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基調講演とは、誰もが知っている、旬な著名人が行い、集客を高める意味があります。

東京スカイツリーの話も、利用開始から1年たった段階では、どこかで聞いたことがあり、「賞味期限切れ」です。

卒業生での講演にこだわるよりも、旬のテーマの話ができる講演者にお願いするのがよさそうです。


と、非常に辛口のコメントをしました。

今年の印象を言えば、とってもよくなった、ということです。

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テント、屋台もいくつか出ていて、これまでは「閑散」としていて、人の姿は、まばらだったキャンパスですが、人の出も、ある程度あり、にぎわいも出てきました。

ホームカミングデー、年に1回、卒業生に懐かしいキャンパスに来てもらう、普段着でありながら、ちょっと「よそゆきの場」です。

その、ちょっと「よそゆきの場」をようやくセットすることができたかな、という感じです。

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今回のホームカミングデーでは、現役の学生さんたちが参加する企画が数多くありました。

ホームカミングデーは、卒業生と現役学生が、いくつかのテーマを通じて、触れ合う場でもあります。

このような企画がたくさん出てくるとよさそうです。

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今回のホームカミングデーの大きな特徴が、いわゆる「基調講演」的なものがみられず、それぞれのクラスターでの講演があったことでしょうか。

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「基調講演」では、例年、

「おれたちは、日本の理工系大学のトップだぞ。東大になんか、負けないぞ!」

のような「気負い」が見られたのですが、今年は、そういった、肩の力が抜けて、ありのままの、変わっていく東工大の今の姿を、卒業生に示した、という感じでしょうか。

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今年はリベラルアーツ研究教育院講演会に参加します。

「TAK」さんは、東工大のリベラルアーツ教育についても、以前、辛口のコメントをしました。

理工系大学のリベラルアーツ、教養教育はどうする?

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「日本の理工系大学のトップ」としての「意地と面子」は、置いて、

リベラルアーツ、教養、人文、社会系の教育について、東工大内でまかなおうとするよりも、

この分野に豊富なスタッフを有する、東大、慶応などと単位交換制度などを活用して、コラボ、交流する方がよいのでは、と考える


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今、東工大では、理工系大学であるにもかかわらず、西田亮介氏、池上彰氏ら文系教員を結集し、本格的なリベラルアーツ教育を開始してます。

招集された文系教員たちが「点」の寄せ集めではなく、「幅広く、奥行きが深い、厚い層」になることを期待します。

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など、いろいろ感じた、東工大ホームカミングデー2016でした。



2016年05月22日

一橋大学開放講座「コウタローの体験的戦後史」

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という案内がきました。一橋大学開放講座については、

一橋大学開放講座「ビッグデータとFintech」

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に書きましたが、今回はテーマが、ガラッと変わります。

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山本コウタローさんは学生時代に「走れ、コウタロー」で大ヒット。

これだけだと「一発屋」なのですが、その後、「岬めぐり」が、まあまあのヒット。

「TAK」さんの印象が強いのは、深夜放送「パックインミュージック」のパーソナリティーです。

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永六輔さん、ラジオの深夜放送による中高生への音声による開放空間の創作

に書いたのですが、


1970年代と言うと、既にテレビが普及しており、ラジオは全般的には「隅に追いやられた」感がありました。

ただ、テレビが普及したといっても、まだまだ高価で、大きくて、20万円以上しました。薄型の液晶テレビなどなく、ブラウン管の大きなテレビの時代です。

1人1台ではなく、1家に1台、茶の間にあり、家族みんなで見る、ものでした。

一方、その頃、ラジオは小型で安価で中高生でも手に入るものでした。

それゆえ、みんなで見るテレビに対し、中高生がパーソナルユースで1人で聞くラジオ、という感じでした。

受験勉強をしながら、ラジオを聞く、「ながら族」という言葉が生まれました。

もちろん、インターネットなどない時代で、孤独な中高生にとって、ラジオとは、深夜放送という開放空間へ導いてくれる、今のスマートフォーンのような存在でした。

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放送作家を交えたワールドカフェ。これからの都市コミュニティを考えよう 




深夜放送、一人で勉強している受験生にとって、DJが読むリスナーからのハガキは、「苦しいのは自分だけでなないんだ」とリスナーを勇気づけた。ラジオがみんなの中心で結びつける役割を果たしていた。 


と書いたとおりです。

ラジオは映像がない、文字がない、ため、トークが聴取者の想像力を掻き立て、共感を呼びます。

聴取者は時折、葉書を放送局に送り、さながら、今のSNSのような存在でした。

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そんな、ラジオの深夜放送ですが、大学に入学すると同時に途端に聞かなくなります。

受験勉強をする必要がなくなるため、深夜に起きていないことが大きいのですが、

高校までの友人がクラスメート、部活など、限られた関係なのですが(特に男子校は)、

大学に入学すると、クラス、サークル、諸活動など、男女を含めた友人関係の輪が輻輳化、複層化していきます。

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このリアルな輻輳化、複層化した男女の友人関係の中に、自分の居場所を求めることが第一で、深夜放送という開放空間へ行く必要がなくなります。

永六輔さん、小沢昭一さん、斎藤安弘さんら、ラジオ全盛時代を築いた人たちは、音声メディアを駆使して、人々の「第3の場 サードプレイス」である、開放空間を創作してきたのです。


と書いたとおりです。

今日は山本コウタローさんから伺ったお話し、というよりも、それをもとに考えたことを書きます。

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●「一発屋」ではダメ、別の分野での、もう一発

上に書いたように、山本コウタローさんは学生時代に「走れ、コウタロー」で大ヒット。

これだけだと「一発屋」なのですが、その後、「岬めぐり」が、まあまあのヒット。

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世に出るきっかけが「走れ、コウタロー」、長持ちしたのは「岬めぐり」のおかげ。


●名門も後輩が頑張ってくれないとダメ。

山本コウタローさんは、日比谷高校から、二浪して一橋大学へ進学しました。

この頃の名門進学校は、開成でも灘でもなく、日比谷高校でした。残念ながら、東大合格者という面では、今は、没落して見る影もありません。

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名門は、今も名門だから名門です。今は見る影もなく、かつての名門、と言っても、さびしいだけです。


●テレビの絶大な威力、中産階級が欧米世界の生活を知る

室町、安土桃山時代に南蛮船が日本に来るようになってから、西欧の進んだ文明が伝わりました。ただ、それを知ることができたのは、一握りの上流階級に限られました。

その状況は明治に開国し、文明開化と呼ばれた時代になってもそれほど変わりませんでした。

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ところが1953年にテレビ放送が始まり、当初日本の放送局は独自に番組を作ることができなかったので、ポパイ、奥様は魔女、など、主にアメリカの番組を放送しました。

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その結果、上流階級だけでなく、中産階級も、華やかで、楽し気なアメリカの生活を見るようになり、大いに憧れることになりました。

●「お荷物」のように言われている「団塊の世代」は、激動の時代を生き抜いてきており、結構強い。

「団塊の世代」は、戦争を知らない、最初の世代、軍国主義、お国のため、という社会から、「自由、平等、平和、民主主義」という新しい社会になりました。この新しい時代を、大人たちは熱く語り、ワクワク感があったようです。

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GDPは未曽有の急成長、日米安保、学生運動から体制側への転換、など、激動の時代を切り抜けている、つわものぞろい、です。

決して、のほほん、と生きてきたわけではありません。

●反体制側から体制へ転換する、現実的な賢さ

いちご白書をもう一度・荒井由実

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に、

「就職が決って髪を切ってきた時に、もう若くないさと、君に言い訳したね」

というフレーズがあります。

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何気なく、口ずさんでいたフレーズですが、山本コウタローさんから、このフレーズの持つ意味について伺いました。

当時、まだエリートだった大学生が、単に若さへの決別だけでなく、自分たちが反発していた体制側へ、強制的に組み込まれるのではなく、自ら選択してはいっていく、その葛藤。

作詞したユーミンは天才です。

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ひるがえって、バブル期の大学生は、正社員よりもフリーターを選択し、正社員側になることもできず、貧困中年にあえいでいる、今の大学生は正社員を目指す、いつの時代も若者は時代に波に翻弄されつつ、生きていく。

自ら体制側を選択した、団塊の世代は、ある意味で現実的で賢かった、など感慨深かったです。

●機会は与えられるのではなく、自ら、つかみ取る

●ある考え方、感じ方、それが文化である。

●現代は社会が「輪切り」になっていて、「輪切り」同士のつながりがない。



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まだまだ思うところはありますが、今日のところはここまで。




2016年05月17日

5/14(土)15(日)と東大五月祭に行ってきました

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学園祭は秋に開かれることが多いのですが、東大では初夏に本郷キャンパスで五月祭、秋に駒場キャンパスで駒場祭が開催されます

東大五月祭は学園祭の雰囲気を味わえるのですが、質の高い講演、ワークショップも盛りだくさんで、スケジュールを組むのが大変ですが、楽しみです。

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一昨年は、

グローバル化時代の日本の教育「変わる世界で、変える人に」

で、元文部科学副大臣鈴木寛氏、百ます計算などの「陰山メソッド」で知られる陰山英男氏、「2012年度ヤング・グローバル・リーダーズ」に選出された小林りん氏がスピーカーの講演会

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東大イノベーション・サマープログラム五月祭企画に行ってきました

で、東京大学i.schoolの主催するワークショップに参加したのですが、

講演会、ワークショップに参加すると、2時間くらいはかかって、いろいろなプログラムを見れなくなってしまいます。

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そこで、昨年

東大五月祭に行ってきました

に書いたように、今年もキャンパス全体のいろいろな企画を回りつつ、講演会、ワークショップものぞきつつ、全体の雰囲気を味わうことにします。

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五月祭には、ここ数年、訪れているのですが、年々参加者が増えています。

以前は大学生が中心で、大学院生になると、「ついていけないよ」という感じだったのですが、企画者側も大学生、大学院生、参加者側は中高生、あるいは小学生から中高年まで、幅広い世代が参加します。

また、留学生の企画も目立ちます。

まず、赤門を入ってすぐの案内書でパンフレットを受け取り、正門、安田講堂方向へ歩こうとするのですが、もの凄い、人!人!人!

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でも、空いていたらさびしいですから、混んでいるくらいがいいのです。

ひしめく模擬店、コーラス、演奏、パフォーマンスの中に身を置いていると、次第にワクワクしてきます。

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数十年前にタイムスリップして、学生の頃に戻った感じです。模擬店で、ユニフォームを着て、一緒にお客さんの呼び込みをしたくなっちゃいます。

屋外企画も面白いのですが、室内企画も上に書いたように高い講演、ワークショップが盛りだくさんで、ちょっとずつのぞいていきます。

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実は、最近大きく変わった、あるいは既に変わっていたのに、「TAK」さんが気づかなかったのが、

理学部、工学部の展示です。

これについては、B面ブログ

東大五月祭は近未来のデモンストレーション?

に書きます。




2016年05月09日

応用哲学会シンポジウム「哲学は視覚イメージ化できるのか――媒体に応じた表現のあり方を探る」

という案内が来ました。

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SNSは、学術分野の広報手法を大幅に変えつつある。

テキスト以上に写真やイラストなどの視覚的イメージが重視され、メッセージをコンパクトにまとめた動画が重宝されるようになった。

BBCラジオでは「A History of Ideas」で哲学的テーマのアニメーション動画が配信され、国内でもサイエンス・コミュニケーションの分野で、漫画やイラストを使った科学の広報手法の研鑽が進んでいる。

本シンポジウムでは、サイエンス・コミュニケーションの分野で漫画家として活躍してこられた理系漫画家はやのん氏をお迎えし、哲学分野での視覚化の取り組みを紹介しながら、これからの哲学の届け方を探る。

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このテーマは、これまでにも考えてきて、

アーティストの表現と受け手の共感、想像


映像文化が普及してから、表現が豊かになった半面、言葉の表現がもたらす、想像は薄くなってしまった感がある。

映像による描写は、わかりやすいのですが、反面、これまで、言葉の表現が、受け手にもたらしていた想像を薄くしてしまった感もあります。

一方で、言語だけでは伝わりづらかったものを、映像によって、ぐっと伝わりやすくなり、受け手に新たな想像をもたらすこともあります。

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谷崎潤一郎の「痴人の愛」、太宰治の「人間失格」などは、何度か映画化されましたが、小説の境地を見いだせることはなかった感があります。

谷崎潤一郎の「痴人の愛」では、それぞれの読者が抱く「ナオミ」のイメージと、実際に「ナオミ」を演じる女優が設定された段階で、違和感を感じてしまうことになったのでは、と思います。

庄司薫「赤頭巾ちゃん、気を付けて」、柴田翔「されど、われらが日々」など、自分の人生を掛け合わせて、共感しつつ読む小説では映画化がなじまなかったりします。

一方で、川端康成の「伊豆の踊子」は映画化された主演の吉永小百合、山口百恵、あるいは「さよならも言えず、泣いている」の三浦洸一の「踊子」の歌と共に楽しまれ、人々の記憶に残っています。


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科学技術史のすすめ、科学技術は振り返って見ても、面白い


・ニュートン「プリンキア(1687)」数式が使われておらず、文字と図のみ。幾何学を用い、数式を使わず、古代ギリシア数学の厳密性、極限操作

・ラグランジュ「解析力学(1788)」数式で延べられ、図が使われていない。18世紀に幾何学から数式、方程式へ大きく移行した


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「理論を現象で検証する」から「現象から理論を導き出す」へ

で梶田先生がノーベル賞を受賞した、ニュートリノ振動、素粒子標準理論について書きましたが、

イラスト、写真がなしの、言語だけでは全く理解するのが難しい、と考えます。(イラスト、写真があっても難しいのですが)

科学、技術については、言語、数式、イラスト、写真を駆使しつつ、情報の表現、記録、発信、伝達が進んでいます。

一連の作業のコンピューター、インターネットの発達が大きくかかわっているのは、

多分野の研究が生み出す、応用と相乗作用

に書いたとおりです。

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科学、技術では、それ自体は高度であっても、それを表現する文章力、コミュニケーション力が稚拙なことが、往々にしてあります。

基本的な「てにをは」ができていない。伝えたい内容について、ストーリーができていない、など

これについては、場をあらためて、考えたいと思います。

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哲学、文学など、これまで、ほとんど言語で表現していた分野についても、写真、イラストによる表現が、より活用されることになると考えます。

ただ、上記のように、

映像文化が普及してから、表現が豊かになった半面、言葉の表現がもたらす、想像は薄くなってしまった感がある。

映像による描写は、わかりやすいのですが、反面、これまで、言葉の表現が、受け手にもたらしていた想像を薄くしてしまった感もあります。

一方で、言語だけでは伝わりづらかったものを、映像によって、ぐっと伝わりやすくなり、受け手に新たな想像をもたらすこともあります。

というトレードオフがあり、映像、音響と言語の絡み合いは、複雑なプロセスかもしれません。

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理系漫画家はやのんさん、ということで漫画について、考えると、一番わかりやすいのが、

物理とわたし、どっちが大事なの!?

でしょうか。

漫画だと、とにかく、わかりやすい、という長所があります。

もちろん、正確性が損なわれないこと、が基本です。

また、与えられた情報、を鵜呑みにすることなく、正しい情報なのか、確認することが大切です。

さらには、自分が発信したい情報が、押し付けになっていないか、読み手がほしい情報は何か、をチェックすることが大切です。

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さて、既にかなり「脱線」気味ですが、もう少し「脱線」します。

アート、スポーツの人々で、「言葉では表現できないことが大切」という人が少なからずいます。

実は、これって、自分がよくわかっていないために、言葉で表現できないのでは、と考えます。

すると、Twitterで、

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今にして思うこと、スポーツに限らず趣味でも仕事でも「言葉にできないコツ」というのがよくもてはやされるけど、あれ、半分くらいは成功者の国語力がpoorなせいでうまく言葉にできていないだけではないかと思っている

俺は剣道をやっていた 高校までに出会った指導者すべてに、「頭でやってもだめだ、体に覚えさせろ」と言われ、反復練習でずっとやってきた。

「体に覚えさせていた時期」はほとんど勝てなかった。大学時代に「理論を添えて」剣道をするようになると、インカレ出場者とも勝ち負けできるようになった

というツイートを見つけました。

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直感、感性というたびに、ブラックボックスしなってしまい、言語化できないものは再現できません。

言語でも、写真でも、イラストでもいいから、とにかくしっかり、まずは自分に、できれば他者にも表現し、伝達することが大切です。




2016年05月03日

共生のための国際哲学研究センター2016年度キックオフシンポジウム「共生の転回」

という案内が来ました。

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この研究会は以前は小林康夫先生が主催されていて、その様子は

学問を実践に即して、自分の中で、再構築するのが人文科学

に書いています。少し抜粋すると、

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・人文科学の源泉としての哲学を、紙面上で言語で表現される思考ではなく、身体を媒介して現場に適用できるものに。人文科学とはカッコつきの「教養」ではなく、学問、研究を深い次元で結びつけるもの。学問は人と人の付き合いだから長く継続する。組織同士の付き合いだと変化で消滅する。

・ひとつの場から出発して、いろいろな経験、大変なことがあったけれど、すべて自分のためになっている。自分が楽しいと周りも楽しい。

・哲学は現場には役に立たない、紙面上の観念的なものだけではない。高度な思考は紙面上でなければ展開できないが。コンセプトだけではなく、現場に結びつくもの、身体を媒介して実行する。

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・思考が育つ場所、哲学は自分一人だけでなく、他者と対話して築いていく。他者の存在が不可欠。

・大学教員は専門を超えたアウェイのことをやってこそ、意義がある。

・相手の言うことを単に認めるのではなく、批判するのでもなく、対話により、思いがけない価値を築いていく。

・組織に頼らない、人と人とのつながりで始まる。組織の付き合いは変化で消滅するが、人と人の付き合いは、1回こっきりではなく、長続きする。 

・人文科学を「」付きの「勉強」「教養」にしてしまってはいけない。現場から遊離してしまっては、意味がない。

・異なる言語間でどれだけ対話が成立し得るか?文化的背景をどれだけ踏まえることができるか?

・学問は自由に行うだけではなく、時として、望まないものを強制的に学ぶことから、あたらしいものが生まれる。「自分の専門ではないから」と枠の中に閉じこもっていては、勉強にならない。

・身体のリズムがコミュニケーションの源泉、教育は場、身体、リズムが作る。

・人はどう生きるべきか?倫理は問い続けなければならない。

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・「現場へ行く」という言い方。「現場」は自分とは離れた場所、通常関わることはないが、ある時だけ関わるというニュアンス。実際には、自分がいつも関わっている「現場」がある。

・ビジネス最前線の「現場」とアカデミアの「大学」の「ずれ」(視点、立場)が有効だったりする。

・学問、ビジネス、生活はお互いの境界を侵さないように行われてきた。今後は、境界を超えていくことにより、あたらしい価値を創っていく。ただし、衝突は避けられない。

・現場が「対象」で、研究者が表現するのではなく、現場の当事者が自ら表現する場をつくる 

・哲学は哲学者ごとに異なる。正解は全くない。 

・知識を蓄えた老教授ではなく、常に新しいものを求める学生であり続ける。

・「場」は自然にはできない。意識しなければ作れないし、維持するにはパワー、労力が必要 


さて、偉大な小林康夫先生の業績を受け継いで、この研究会がどう展開していくのか?楽しみです。

早速出たお話をまとめてみます。

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性別、国籍:身体的特徴を利用して個人を識別する「実体的個人識別」、他者との関係性

正常性の問い直し、解放ではなく、ズレや攪乱、失敗地点を明るみに出す

境界をめぐる議論、侵犯、越境、そもそも正常性、健常とは何か?

目玉ブランドとしてのパラリンピック、多様性、障害者、マイノリティーの活用。障害が作りかえられている。

フェミニズム、障害、個人的、身体的問題と制度的問題の混同

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子供が存在するだけで哲学が変わる。難しいことや損得からの離脱

デザイン、生活に秩序や価値を提案し、実現するもの。モノに意味を与えるもの。

デザイン、道具としての人工物をつくる活動。モノ、カタチだけでなく、形を持たないサービス、政策、プランなども含める

人間が何らかの意図をもって生み出したものは、すべてデザインの成果である。

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20世紀の空間、モノ、情報のデザインから、21世紀は領域をつなぐデザイン、関係性を重視したデザイン

人間を中心に据えたデザイン。コンセプト・デザイン、コミュニティー・デザイン、ユーザー体験・デザイン

デザイン思考、アイデアを生み出す思考プロセス、1.観察、共感、洞察、2.問題定義、3.創造、視覚化、4.プロトタイプ、仮説検証、5.テスト、評価、フィードバック、このプロセスのらせんサイクル

クライアントからの要望、「本当の要望なのか?」検討する。「本当の要望」ではない場合、うわべだけの対応になってしまう。

問題が複数あることに気付かず、漠然と「大きな問題」に捉われてしまっている

「問題の中身、本質」よりも、「誰が言ったか?」だったりする。「あいつが言うならば反対」「彼が言うならば従う」など

当事者間の合意形成

調整、必ずしもデザイナーの仕事ではないが、これをやらないと成果物が「よいもの」にならない

「○○のためにしてあげる」は○○のために必ずしもなっていない、ことがよくある。

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デザインはモノ、形、人工物から、サービス、計画など、人間中心に価値を生み出すものへと、「デザインの哲学」は大きく広がっていきました。

では、「哲学のデザイン」は言うと、深く進展はしているが、狭い領域にとどまっている感がします。

あらゆる物事のおおもとに哲学を適用していくと、面白い展開がありそうです。

これは哲学の専門家よりも、他分野の人々が哲学を学んで普及していきそうな予感がしました。







2016年05月02日

お茶の水女子大学 第43回創作舞踊公演

という案内が来ました。

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お茶の水女子大学芸術表現行動学科

によると、

人間の身体による表現は、人間の発育発達をうながし健全な心身をたもつために、そしてすこやかな人間関係や社会、よりゆたかな生活をきずくために重要な表現手段のひとつとして、現在さまざまな分野で注目をあつめています。

今日では舞踊・音楽・スポーツといった既成の領域の枠をこえたパフォーマンスが急増し、芸術・表現行動の領域はめざましく多様化してきました。

こうした社会的背景をふまえて、舞踊や音楽を主軸に、人間の根源的な問題としてよりグローバルな視点から人間の表現行動を実証的に探求

とのことです。

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身体表現については、これまでも考えてきていて、

アートとクリエイティブティーのトーク「身体は「うそ」をつかない。」


相手と触れあったり空間を通して身体で「会話」しながら一緒に動く。

一瞬一瞬をもっと敏感に感じて表現できるように、『場』を制することの出来るパフォーマー。

単なる美しさだけでなく、社会について表現するアート。

身体は「うそ」をつかない。


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計画、予測と想定外の事項に対する対応、偶然と必然、この微妙で奇妙な関係


即興ダンスを演じるダンサーは何を考え、何を感じ、また観客との空気のインタラクションの中で、どう演じていくのか?

社会生活の多くは、大まかな計画はしつつも、想定外のことが起こり、即興で対応していきます。

ダンサーの経験、対応から学ぶことは多そうです。


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アンサンブル、共演者の音を取り込み、支え、観客の反応を見つつ、関係を構築していく


物理学の場合、偉大な先人、例えば、ニュートン、アインシュタインらの業績を踏まえつつ、未踏領域を目指し、歩んでいきます。

偉大な先人の業績を踏まえることなく、自分だけで歩むのだとしたら、アルキメデスの業績を超えることなく、ほとんどの研究者が生涯を終えることになります。

一方、アーティスト、演奏家の方々は、偉大な先人の業績については、当然、認識しつつも、必ずしも、それらを踏まえる必要はなく、自らの未踏領域を目指し、歩んでいきます。

面白い対応の違いの発見でした。


と書いています。

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以前は、クラッシックダンスをベースとした表現だったのに対し、今回は、身体を媒体に、表現したいことを創作する、という進化を感じました。

芸術とはコミュニケーションである


「芸術とはコミュニケーションである」

内面から沸き起こるイマジネーションを他者にどう伝えていくか、そのための創意工夫のプロセスが芸術活動であり、「伝えたい」という想いの強さこそが、優れたアートを産み出す源泉だそうです。

モーツァルトの音楽、レオナルド・ダヴィンチの絵画など、すぐれた芸術は、時代、国境を超えて、人々の心に伝わります

芸術とふれ合い、鑑賞する過程は、芸術作品が持つ感性的価値を通じて自らの感性に気づく営みでもあります。

アートを通して、人と人、人と芸術、人と場等など、新しい絆を見つけることができる、かもしれません。


と書いてきました。

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身体表現の可能性、身体表現と音楽のアンサンブル、身体表現と聴衆が受け取るもの、など考えることたくさんありそうな感じがした公演でした。



2016年04月27日

東大心理学研究室セミナー「人間による信頼性判断の特徴・バイアス」

という案内が来ました。

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人間は,外見,評判,実際の行動など,様々な手がかりから他者がどの程度信頼できるか,あるいは信頼できないかを判断します。

(1)人間は他者の信頼性をその顔を見て即座に,自動的に判断する傾向があります。

このような信頼性の“知覚”は当てになるものなのでしょうか。また,そうした知覚の源は何なのでしょうか。

(2)人間は他者の信頼性を第三者からの情報(評判)を通じて学習できます。

しかし,評判はしばしば歪めて伝えられます。人間は学習した評判が不当なものだとわかった時に,それを無視して他者の信頼性を判断し直すことができるのでしょうか。

また,もしそれが困難だとすると,なぜなのでしょうか。

(3)現実社会では,他人を欺こうとする人は信頼できそうな外見を装うかもしれません。

そうした人に騙されないためには,外見ではなく,実際の行動から信頼性を判断する必要があります。

高齢者の詐欺被害が社会問題になっていますが,こうした信頼性判断に加齢は影響するのでしょうか。

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社会生活の基本となるのが、信頼関係を構築する、ことでしょうか?

信頼は時間をかけて、期待に応えながら、築いていく。一瞬で壊さないように要注意


産学官プロジェクトでも、「信頼できる」が最も大切なポイントです。

どんな仕事でも、模倣、盗作するような人は信頼できません。そのような人とは、絶対にコラボは組みません。

信頼は期待に応えることによって、築いていきます。

そして、信頼が形成されると、それにより物事が回っていきます。

一度、信頼を築いたからと言って安心はできません。築いた信頼を壊さないようにしなければなりません。

多少の「期待外れ」は形成した信頼でカバーできますが、大きな「期待外れ」は形成した信頼を一気に壊すことになります。

この場合のリカバーは大変難しくなります。

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信頼関係が構築されると、それをベースに物事が動き、回り始めます。

何をする、何を言う、という内容よりも、「この人がすることだから」「この人が言うことだから」

という信頼をベースに物事が進みます。

信頼はブランド、と言えるかもしれません。

自分が信頼される人になることはもちろんですが、自分の周囲に、どれだけ信頼できる人のネットワークがあるか、が大切になりそうです。


継続できる、信頼関係はwin-winから生まれる


信頼関係は、基本的にwin-winの関係の中で、構築されます。

一方がwinで、他方がloseという関係からは生まれません。

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一時的には、win-loseであったり、見えたりしても、長い目で見たらwin-win、

あるいは、一見loseに見えても、本人にはwinでないと、継続しません。

もう少しわかりやすく言うと、自分が楽しめない時、周囲に楽しんでもらうことは難しくなります。

単純ですが、周囲に楽しんでもらうには、自分が楽しんでいることが基本です。


このように信頼関係は継続が大切ですが、最初のきっかけも、やはり大切です。これがないと始まりません。

入社して初めての上司、3年目くらいの仕事経験が大切、と言われても


後から振り返って、「あれがターニング・ポイントだったな」と感じることがあります。

ただ、その当時は、「たまたま」だったりすることがほとんどです。

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つまり、重大な人生の決断、よりも、「たまたま」がターニング・ポイントだったりします。

もちろん、振り返ったときは、いろいろな理由をつけたり、説明できたりします。でも、その時は、「たまたま」だったりします


この「たまたま」選んでもらえるのが、外見だったり、評判だったりします。


さて、今日は配布資料がないので、セミナーを聴きながらのメモ書きで進めます。

「この人は信頼できる人か?」当然のことながら、外見、第一印象に大きく左右されます。

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誰が好印象で、誰がそうでないか?は、異なる世代間でも一致性が高い、そうです。

では、印象がよい人が、実際に信頼できるか?

この評価は大変難しいのですが、ざっくり言って、60%の確率で当たる、くらいです。

逆に言うと、40%くらいは外れます。

人をだまそうとする人は、もちろん、好印象を装います。外見だけでなく、言動、行動による判断が大切です。

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「この人は信頼できる人か?」外見以外で、判断材料になるのが、他者の評判です。

もちろん、評判がいい人は信頼されやすく、そうでない人は信頼されにくくなります。

また、いい評判よりも、よくない評判に人は敏感です。

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ただ、これを悪用して、うその評判を流す、意図的に事実と異なる評判を流す、ことがあります。

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興味深いのは、以前聞いていた評判が根拠がないものだと判明した場合、

よかったと聞いていた評判はゼロクリアされるのに対し、よくなかった、と聞いていた評判は必ずしもゼロクリアされずに、残ってしまう、ということでしょうか?

つまり、一度よくない評判がついてしまうと、うそだとわかっても、評判は戻りません。気をつけたいものです。

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もう一つ興味深かったのは、「協調行動の継続は難しい」ということでしょうか。

以前は、ソビエト連邦など、社会主義国家がたくさんありました。

これらの国では、みんなで、能力に応じて貢献し、分け前は平等の集団農場と、少しだけ個人農場がありました。

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当初は、それなりに集団農場も機能していたのですが、次第に確実に自分の分け前となる、個人農場にだけ、集中し、集団農場は、手を抜く、ことになってきました。

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グループワークなどでも、ただ乗りする人が顕在化してくると、他のメンバーもやる気を削がれてきます。

つまり、「協調行動」は放っておいても継続されるのではなく、「協調行動」を継続するには、仕組み、仕掛け、デザインが必要なのでしょう。

企業、個人の不正が問題視されていますが、「協調行動」だけでなく、「正しいこと」も継続するには、仕組み、仕掛け、デザインが必要なのかもしれません。

仕組み、仕掛け、としては、「協調行動」が低い人を公表するシステム、さらには、排除するシステムがあると、当然ながら、「協調行動」が高く維持できるそうです。

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エントロピーの増大、ということでしょうか?

特にまとめる気もありませんが、興味深いセミナーでした。




2016年04月25日

東大高校生のための金曜日講座

が今学期も始まります。

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東大の教養課程でも、選りすぐりの先生たちによる無料の講義で、この講座に出ておくと、高校の受験勉強から大学の教養課程への移行がスムーズになること、請け合いです。

新学期のせいか、会場は高校生、社会人で立ち見が出るほどです。

ただ、ちょっと残念なのが、参加している高校生の半数ほどが、授業から脱落している、ことです。

わざわざ、金曜日の夕刻に東大駒場キャンパスまで来る、やる気満々の高校生なのですが。

一方、年長の大学院生、社会人は目を輝かせて、熱心にメモを取り、聞き入っています。

いつも学期当初は高校生の参加が多いのですが、次第に少なくなり、一方、大学院生、社会人は出席率よく参加します。

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教養教育の大切さについては、

教養とは、よくわからずに学んで、後から学び直すもの

に書いてありますので、

ここでは、第1回

フィクションの冒険者たち─クルーソー、ガリヴァー、サルマナザール

について書きます。

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『ロビンソン・クルーソー』(1719年)と『ガリヴァー旅行記』(1726年)にはさまざまな共通点があります。

どちらも18世紀のイギリスで出版された文学作品であること。架空の旅行記であること。そしてなによりも世界中の人びとに親しまれていること。

この講義を受講する皆さんのなかにも、原作は読んでいないけれど、子ども向けの本や映画を通じて内容の一部を知っている方は多いのではないでしょうか。

船が難破して無人島に流れ着き、物資もなければ仲間もいない苦しい状況に置かれ、髪も髭も伸び放題の姿で辛抱強く救済を待つクルーソー。

小人の国で地面に縛りつけられたり、巨人の国で見世物にされたりと、不思議な冒険の旅を続けるガリヴァー。

また、宮崎駿の名作『天空の城ラピュタ』の「ラピュタ」が『ガリヴァー旅行記』に登場する飛行島ラピュータから取られているなど、上記の二作は文学以外にもさまざまな影響をあたえています。

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今回は、この『ロビンソン・クルーソー』と『ガリヴァー旅行記』をさらに面白く読むためのヒントをいくつか提示したいと思います。

まず、最初はどちらの作品もノンフィクションとして、つまり本当にあった話として出版されたことをお話しします。

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ちょっと信じられないかも知れませんが、当時では十分にあり得ることでした。それを理解してもらうために、この二作ほど有名ではないものの、荒唐無稽さにかけては勝るとも劣らない『台湾誌』(1704年)をご紹介します。

著者のジョージ・サルマナザールは、本当はフランス生まれなのに、自分は台湾生まれの日本人だと主張して、まんまと当時の人びとを騙しました。

どうしてそんなことができたのでしょうか? 18世紀イギリスにおける事実とフィクションとの曖昧な関係について、この時代の本や地図を見ながら一緒に考えましょう。

次に、『ロビンソン・クルーソー』、『ガリヴァー旅行記』、『台湾誌』、さらにはスウィフト晩年の怪作『慎ましき提案』(1729年)も取り上げて、すべてに登場するカニバリズム(人肉食)の問題について、その背景と意味を考えます。なぜ当時のイギリス人は、これほどカニバリズムに興味を抱き、恐怖を覚えたのか。それを考えることは、意外にも他者をどう理解すべきかという、現代にも通じる問題を解くための鍵をあたえてくれるでしょう。

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歴史的な背景ですが、『ロビンソン・クルーソー』(1719年)と『ガリヴァー旅行記』(1726年)は、名誉革命(1688年)の後に書かれています。

名誉革命(1688年)

とは、

1988年、イギリス議会がジェームズ2世を追放し、オランダからウィレムとメアリを迎え、二人は「権利の宣言」を受けいれて国王となり、さらに「権利の章典」を制定した。これによって議会政治と国教会制度を柱とするイギリスの立憲君主政治が確立しました。

1760年以降に始まる産業革命以前で、植民地支配は、まだ本格化していませんでした。

1826年世界初の写真

ということで、写真はまだ存在せず、スケッチによる描写でした。

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『ロビンソン・クルーソー』『ガリヴァー旅行記』は、旅行記として出版されました。

今から考えれば、とても現実のことではありえない内容ですが、当時のヨーロッパ以外の世界、として書かれました。

実は、当時の世界旅行記などは、同様のモノだったので、特に疑いもせず、信じられました。

ただ、インターネットで世界中がつながり、世界中を見ることができる、現代でも通じる話だったりします。

南仏コートダジュールからプロバンス、パリに行ってきました(文化、習慣編)

のように、「TAK」さんは年に一度は海外旅行に行きます。

海外旅行に行く際には、ある程度、現地のことを調べておきます。

ただ、その際に検索するのは、地球の歩き方、などのガイドブック、あるいは、日本語、せいぜい英語によるサイトで、

現地語、例えば、フランス語、スペイン語、イタリア語などのサイトは言語が不明なこともあって、検索はしません。

すると、現地に行ってみると、事前の情報が不十分であったり、または事前の情報とは違っていることがよくあります。

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これって、何も旅行に限ったことではありません。

社会の出来事を見る時は、テレビのニュース、インターネット、新聞などのメディアを通して見ます。

自分が専門の事項、よく知っていることだと、「あれ、これって違うんじゃない」と思うことがあります。

でも、専門外のこと、だと、メディアの情報を鵜呑みにしてしまっていたりします。

さらに進んで、情報を集め、選別する際に、自分にとって「都合のいい」情報だけ、集めていたりします。

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名誉革命では、権利の章典により国王の権限が制限され、イギリスにおける議会政治の基礎が築かれることとなりました。

それ以前では、国王の権利が絶大で、能力があるものよりも、国王の寵愛を受けた、お気に入りが、政治の世界の中心となっていました。

『ロビンソン・クルーソー』『ガリヴァー旅行記』は、そういった時代を風刺するものでもありました。


冒険記として読まれている『ロビンソン・クルーソー』『ガリヴァー旅行記』には、そういう深い背景があります。

高校生には少し難しいかもしれないけれど、楽しい授業でした。








2016年04月21日

熊本地震について、元・耐震技術者の視点から

と書いたところ、

「「TAK」さん、なぜ現在は耐震工学をなさっていないのですが?こんなに重要な学問なのに」

という質問をいただきました。

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熊本地震について、元・耐震技術者の視点から

と書いたように、


耐震工学とは、建築物、橋梁、ライフラインなどの人工物を地震から守る、被害を最小限にする、被害を受けても、人命には被害を及ぼさない、

被害を受けた場合は、可能な限り、早期に復旧する、

ことを扱う工学です。


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強靭で、耐性のある、いわゆるレジエンスに優れた社会基盤を構築するためには、大切な学問です。

ただ、一方で、新たな時代、社会を切り拓いていく、変革していくのは、IT、バイオ、人工知能など、だったりします。

あるいは、技術をビジネスにつなげる技術経営が大切だったりします。

つまり、耐震工学とは、「守り」の学問で、「攻め」ではありません。

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今回の熊本地震関連のニュースで地震学、耐震工学の専門家を見ていたのですが、

地震学の専門家は、ずっと以前からの研究者なのですが、

耐震工学の専門家の中には、ゼネコンの研究者、技術者の中から、大学、研究機関に移った方をお見受けしました。

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阪神大震災(1995)当時は、耐震工学者は優遇され、ゼネコンの研究者、技術者は高給で、やりたい研究ができました。

その後、バブルがはじけ、阪神大震災の教訓を受けて、社会の耐震対策が進むのと、裏返しに、耐震研究の位置づけは低下していきました。

その結果、給料は下がるけれども、ゼネコンから大学、研究機関に移る方が、相当数いました。

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キャリアは「粋な別れ」を繰り返しながら、形成していく




終身雇用制は既に崩壊し、人生においては、何度か転職するのが、当たり前の時代になりました。


と書きました。

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職業だけでなく、専攻も、ずっと同じものではなく、何度か転換するのが、当たり前の時代ではないでしょうか?

「私の専門は○○だから」「私は××が好きだから」と言って、ずっと同じ専攻の人が多いのですが、

これって、もったいない、だけでなく、変化の早い社会には対応が難しいのでは、と思います。

職業は、兼業規制の問題もあり、複数持つのは、難しかったりしますが、

専攻はいくつでも持つことができます。複数持って、適宜組み合わせて使うと面白そうです。

これから何が当たって、伸びて、広がっていくのか?誰もわからない時代ですから、

「選択と集中」よりも、「幅広いポートフォリオ」で、うまくいったものを追求するのがよさそうです。

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多分野の研究が生み出す、応用と相乗作用




いわゆる「王道を一直線、まっしぐら」ではなく、「いろいろな所に立ち寄りながら」のキャリアですが、それが先生の研究が、普遍的に、いろいろな分野で応用でき、さらには、それぞれの研究が相乗作用を生み出していることがわかります。


と書いたとおりです。

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そうは言いながら、何の素地素養もない状態で、いきなり、IT、バイオ、人工知能、技術経営などを身に着けようとしても難しかったりします。

研究もビジネスも、幅を広げ、継続させ、キャリアを切り拓くのは、人のネットワーク


研究の幅を広げ、継続させ、キャリアを切り拓くには、研究、勉強と並行的に人のネットワークを構築していくことが大切。

ひとりで研究するよりも、プロジェクトに参加して研究すると、テーマも広がり、人のネットワークも構築でき、キャリアの可能性も広がる。

他の人々に話すと、自分の考えが整理でき、理解が進み、思いがけない切り口から、進展することがある。


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キャリアは「粋な別れ」を繰り返しながら、形成していく


「関係を断ち切る、苦い別れ」ではなく、「これからもいいお友達の、粋な別れ」の場合、「粋な別れ」をするたびに、いろいろなところにコミュニティーが構築されていくことになります。

そして、この「粋な別れ」コミュニティーを、意図せずか、意図してか、キャリア形成に活用していきます。


専攻を広げる、増やすにも、人のネットワーク、コミュニティーの活用が有効です。

まだ、練れていませんので、これについては、また後日考えます、




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