2017年06月25日

ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ――ロシア文学の鬱蒼たる森を探索する

という案内が来ました。

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いまだに世界文学の巨木のようにそびえ立つ文豪ドストエフスキーとトルストイ。

その後に森のキノコのように生え出てきたチェーホフ。

いまでも人気の高いこの3人のロシア作家について、その魅力と現代的意義を考えます。


ロシアだけでなく、世界文学を代表する、ドストエフスキーとトルストイ、

ここに挙げられているチェーホフとさらに「はつ恋」のツルゲーネフ、さらに時代を下って「ロリータ」で有名なウラジーミル・ナボコフ

のように、ロシアは偉大な文学者を輩出しています。

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ドストエフスキーは「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などの長編、トルストイは「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」などの長編が有名ですが、

ドストエフスキーは「白夜」、トルストイは「イワンの馬鹿」などの短編が入りやすかったりします。


ロシアに限らず、外国文学を味わう上で、障壁となるのが翻訳です。

英仏独以外では原書で読むのは困難で、英仏独露以外の少数言語では日本語訳は期待できず、英訳があればよい方、

ということで、世界中に優れた文学作品がたくさんあるにもかかわらず、翻訳という障壁により、アクセスすらされません。

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翻訳については、

文章は言語を使って表現するアートである




「ロリータ」で有名なウラジーミル・ナボコフ

1955年「ロリータ」中年男が少女に魅了される。本人ではないか?との憶測。

小説の中の話と、本人を混同するのはレベルの低い話。

芸術作品には、詩の精密さと純粋科学の興奮(詩の興奮と純粋科学の精密さ、ではない)の間から生まれる類のものがある

「細部を愛撫せよ」素晴らしいことを言っていても、細部で破綻していることも多い。

文学作品は忠実な翻訳(パラフレーズ的、語彙的な翻訳ではない)でないと通じない

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文化、思想を表現する媒体が、言語ですから、外国語のように、異なる言語体系で表現される文化、思想も当然異なるものになります。

異なる言語体系で表現される文化、思想を翻訳することは、単なる言語の置き換えではなく、文化、思想の背景を踏まえることが必要になります。

上のウラジーミル・ナボコフの忠実な翻訳(パラフレーズ的、語彙的な翻訳ではない)でないと通じない、というものです。


と書いたように、翻訳とは単に言語を置き換えるだけでなく、文化、思想の背景を踏まえることが必要になります。

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さて、ドストエフスキーとトルストイが活躍した19世紀は、帝政ロシアの末期、貴族社会が終焉を迎えようとしていた時期、

凍らない港がほしいロシアは南下政策を推進していて、クリミア戦争(1853〜6年)、1877年に、イギリスやフランスが介入しない形でトルコと露土戦争、東アジアの南下で1904年に日露戦争を起こしています。

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特権社会が崩壊する直前には、淫蕩、堕落、頽廃が露呈し、社会の矛盾が噴き出します。

そんな社会状況だからこそ、人間の弱さなど本質を、複雑に絡み合う社会の中で、生々しく描写した文学作品が生まれたのかもしれません。


わずか90分の講演だったので、とても語り切れるものではありません。

トルストイ、ドストエフスキーの名言で締めくくります。

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トルストイ

孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。

強い人々は、いつも気取らない。

わたしたちは、踏みなれた生活の軌道から放りだされると、もうだめだ、と思います。

が、実際はそこに、ようやく新しいものが始まるのです。生命のある間は幸福があります。

謙虚な人は誰からも好かれる。それなのにどうして、謙虚な人になろうとしないのだろうか。

悔恨がないのは、前進がないからである。

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逆境が人格を作る。

幸福は、己れ自ら作るものであって、それ以外の幸福はない。

人間にとって最高の幸福は、一年の終わりにおける自己を、その一年の始めにおける自己よりも、遥かに良くなったと感ずることである。

悔恨がないのは、前進がないからである。

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ドストエフスキー

人間の後半生は、通常、前半生で蓄積された習慣のみで成り立つ。

苦しみと悩みは、偉大な自覚と深い心情の持ち主にとって、常に必然的なものである。

絶望のなかにも、焼けつくように強烈な快感があるものだ。ことに自分の進退きわまったみじめな境遇を、痛切に意識するときなどはなおさらである。

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人は笑い方でわかる。知らない人に初めて会って、その笑顔が気持ちよかったら、それはいい人間と思ってさしつかえない。

恋の悩みや嫉妬はすべて、退屈のなせるわざなのだ。惰性に押し潰されたのだ。

コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。

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ツルゲーネフ

幸福の絶頂にある者ですら、運命をコントロールすることはできない。




2017年06月21日

日本の文化政策の新たな姿を探る

という案内が来ました。

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日本の文化政策は、文化財の保護、芸術文化の育成といった伝統的領域に限られることなく、メディア・アート、デザイン、ファッション、食などの領域も視野に入れ、観光、産業発展、地域活性化など多様な政策分野との連携も深めつつある。

また、従来のような「保護」のみならず、文化の活用、文化を源泉とする新たな経済のあり方への模索も始まっている。

この10数年推進されてきている「クール・ジャパン」戦略に照らしても、日本文化の国際発信は今や政府の関心事となっている。

文化政策が変化しつつある現状に照らし、今後2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けてどのような展開があり得るのか、どのような課題があるのか。

各界の最先端で活躍し、発言が注目を集める論客とともに探っていく。

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アートと社会、経済だけでなく、文化の力を育て、活用する

に書いたように


社会の発展を考える上で、経済の力だけではなく、文化の力が見直されてきています。


であるにもかかわらず、必ずしも、このイベントに書かれたように、日本の文化政策はうまくいっている、とは言い難い面があります。

スピーカーの前文化庁長官の青木保氏も「文化庁の業務は文化財の保護、修復が中心」と述べていましたし、日本の文化というと、伝統的な芸術文化だけに限定してしまうこともしばしばです。

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日本のアニメ、ゲームなど、ポピュラー・カルチャーが、台湾、香港、韓国で人気を博したため、「クール・ジャパン」などと呼ばれました。

ただし、この「クール・ジャパン」は、現象の本質ではなく、表層を見ただけでは、という批判もありました。

方法としてのトランスアジア、ポピュラー文化がアジアをひらく


1990年代、ネットがまだ、それほど普及していない時代でしたが、台湾、香港、韓国などアジア諸国と一緒に、欧米化ではないグローバル化が始まりました。

この時代を振り返り、今後のアジア諸国との文化の普及、醸成を探ることができそうです。

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1990年代の日本のポピュラーカルチャーのアジアへの普及、それまでのグローバル化は欧米化が前提だったが、欧米化せずとも普及

2011年以降、尖閣諸島、竹島問題など、政治的に関係は冷え込んでいる一方で、日本への中国、韓国からの観光客、留学生は増えている

文化の普及、浸透と政治は、異なるステージで進む

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日本のポピュラーカルチャーのアジアへの普及は文化的近似性ではなく、むしろ日本文化を極力抑えた無臭性がポイント、普及後は日本の臭いをつけていく。

グローバル化が新しい文化を呼び込む

予想が裏切られることは、ある意味、新たな発見につながり、楽しい

逆説的だが、ポピュラーカルチャーを研究していると、日本の枠を出ることができない

ポピュラーカルチャーだけでなく、人の流動性がポイント

ポピュラー文化を制度としてみるのではなく、それを通じて、人を見ると面白い


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ネットの時代になって、世界中への文化の発信が容易になった、と言います。

ただ、文化とは人々が醸成するものであり、他への「発信」とは、他の地域の人々にとっては、余計なこと、いらぬおせっかい、かもしれません。

伝わってきた「文化」の中で、適するもの、気に入ったもの、役に立つもの、は、勝手に取り入れます。

例えば、日本人は中国から伝わってきた漢字を、外国語としてではなく、自国の言語として、展開して、活用しています。

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文化の醸成に大切なのはふれあいの場


文化的環境の整備を目的に帝国劇場が作られたが、劇場で上演される演劇もさることながら、実際にはより重要だったのが、開幕までの時間を過ごす場、通路では政財界の知名人、文化人が挨拶を交わし、談笑するサロンの役目を果たした

いろいろな人たちが出会い、談笑する場が文化の醸成には欠かせない


ネットの時代とは言え、文化に大切なのは、伝え、醸成する「人」だったりします。

触れた人々が、楽しむ、感動する、のでなければ、文化は醸成されないし、伝わりもしません。

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日本文化財専門家のデービッド・アトキンソン氏から指摘がありました。

「日本の文化財、博物館などは、外国人観光客を歓迎するものになっているだろうか?

口では、歓迎する、と言いながら、実態は、とてもそうとは言い難い。

外国人観光客の目線ではなく、地元の目線になっていないか?「おもてなし」と言いながら、外国人観光客には伝わらない、内輪だけの、自己満足の「おもてなし」になっていないか?

英語の表示、アナウンスは少ない。飲食禁止、座るところもない、ので、長時間滞在は困難。撮影禁止も多い」

日本に観光で来る、とは、わざわざ自分の金、時間を使ってくる人たちです。

その人たちに、楽しみ、感動してもらえないのであれば、日本文化が伝わるわけありません。

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そんなことを感じたイベントでした。






中国人の眼に映る今の日本は「20世紀」、では、日本人の眼に映る今の中国は?




中国だけでなく、いろいろな国の方々が東京に来るようになり、駅、電車、街で外国人の方を見かけるのは日常の風景になりました。

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ほとんど英語が話せなかった日本人も、駅員、警察官、店員の方で英語が話せる人が多くなり、また英語のアナウンス、表示も増えてきました。

秋葉原のヨドバシカメラなどでは、日本語だけでなく、英語、中国語の表示、アナウンスだけでなく、日本語、英語、中国語を話す中国人の店員の方が数多く働いています。

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香港→成田→東京→つくば、そこにいる人々の多様性、交わされる言語、このエリアは、完全につながっている。連続していて、国境によって分断されてはいない。

東アジア地域の国際都市のグローバル化は進んで、国境による分断を既に超えている


と書きました。


金融、経済はネット社会になり、既に国境を超えていますが、文化はネットで発信は可能なものの、国境を超える人々の交流、インタラクションによるところが大きい、と感じます。

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もちろん、東京がシンガポール、香港、上海などと同様、国境を超えてくる魅力がある、ことも意味します。

「砂漠の探究者」から都市、境界を考える




大きな集落に人が集まるようになると、その大量の人々の水、食料をまかなうことが必要になります。

また大量の人々に対するサービス業、商業も発生します。

すると、そのサービス業、商業を得ようとさらに多くの人が集まるようになります。

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このようにして、大きな集落が都市になります。

多くの人が集まるところには情報も集まります。

都市居住の魅力とは、そこにあるサービス業、商業、情報、多様な魅力的な人々である反面、水、食料など社会インフラの整備、確保が課題となります。


と書いたとおりです。

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「越境」「外界」未知の世界により新しい状態へ、やはり「境界」は難しい



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地球の水は、もともと地球にあったわけではありません。

いろいろな説がありますが、大量に水分を持った天体(おそらく彗星ではなく、小惑星)に衝突してもたらされた、という説が有力です。

つまり、外の天体との衝突がなければ、地球は現在のような、生命を持つ惑星にはなり得ませんでした。

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天体だけでなく、人、組織などについても、同様かなと考えます。

新しい考え方、ライフスタイル、文化、知識は、「外界」の人、組織からもたらされます。自分だけでは難しかったりします。

あるいは、これまで自分の中にあった知識、考えが、「外界」との接触により、再編、再構築され、新たな状態になります。

よく「答えは自分の中にある」と言いますが、一人で自分をいくら掘ってみたところで、答えは見つかりません。

それよりも、人とのふれあいの中から、再発見があります。


と書きました。

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東京のグローバル化は中国をはじめとする外国人旅行客の人々によるところが大きいように、見て取れます。

これらの人々にスキップされてしまうことがないように、東京をさらに魅力的にすること、

それが文化のグローバル化に大切なのではないか、そんな気がしています。




2017年06月15日

中国人の眼に映る今の日本は「20世紀」のままだった(過去の栄光にしがみついてる場合か)

というサイトが話題を呼んでいます。

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中国ではもう数年前から、キャッシュレス社会になっています。スーパー、コンビニ、タクシー、レストランから屋台に至るまで、すべてスマホ決済です。

私は現金を使うなんて、20世紀の映画かドラマの世界のことと思っていました。だから北京から東京に引っ越したら、まるで21世紀の世界から20世紀の世界に舞い戻ったような気分になったんです

東京のデパートやスーパーで買い物をしたり、レストランで食事したりしていても、北京よりだいたい2割ぐらいは安いです。

東京には、北京にはない3つのものがあるからです。それは安静(静けさ)、幹浄(清潔さ)、安全です。


というものです。

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日本は数年前に、世界2位の経済大国の座を中国に奪われ、しかも、その差は2倍以上に広がっています。


「TAK」さんは中国に行ったことは2回あります。10年前に香港へ行き、また最近香港へ行きました。

その雑感を書いてみます。

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香港は1898年から99年間、イギリスが租借していた、特殊な場所です。

租借を始めた当初は、占有ではなく、租借にしておいて、期限が迫ったら、租借を延長すればよい、と考えたのかもしれませんが、100年前とは国際情勢は様変わりし、中国に返還されました。

10年前に香港へ行った時、そんな事情から、英語が通じるだろう、と考えていたのですが、空港、ホテル以外では、ほとんど英語が通じないことにびっくりしました。

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「TAK」さんには、中国人の留学生、研究者などの友達が日本にたくさんいます。一人の例外もなく、彼ら彼女らは親切で、礼儀正しい人ばかりです。

ところが、香港では、多くの人が、列に割り込む、信号を守らない、のに、あきれ果てました。

ということで、香港には、あまりいい印象は持ちませんでした。

香港滞在後すぐにマレーシアのリゾート地コタキナバルへ行ったのですが、多くの中国人旅行客の方が来ていました。

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やはり、多くの人が、列に割り込む、信号を守らない、など、あまりいい印象は持ちませんでした。

この頃から、多くの中国人旅行客の方が東京にも来るようになったのですが、同様に列に割り込む、信号を守らない、路上喫煙禁止地区で平気で喫煙する、など、あまりいいマナーではありませんでした。

そんな事情から、夏の海外旅行は、中国人旅行客の方が比較的少ない、ヨーロッパに行くようにしていました。

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それから10年が経ちました。

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中国だけでなく、いろいろな国の方々が東京に来るようになり、駅、電車、街で外国人の方を見かけるのは日常の風景になりました。

ほとんど英語が話せなかった日本人も、駅員、警察官、店員の方で英語が話せる人が多くなり、

また英語のアナウンス、表示も増えてきました。

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秋葉原のヨドバシカメラなどでは、日本語だけでなく、英語、中国語の表示、アナウンスだけでなく、日本語、英語、中国語を話す中国人の店員の方が数多く働いています。

列に割り込む、信号を守らない、路上喫煙禁止地区で平気で喫煙する、外国人旅行客の方はずいぶん減りました。ゼロではありませんが、同様のことをする日本人と同じくらいの比率でしょうか?

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そんなことを考えつつ、10年ぶりに香港へ行きました。

あれほど嫌だった、列に割り込む、信号を守らない、路上で喫煙する人がずいぶん減りました。

街中でも英語が通じるようになりました。

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アメリカ、ヨーロッパにいると、日本人は目立ちます。しかし、アジアでは風景に溶け込んでいます。全く注目されません。

「TAK」さんが英語で話しかけるので、中国人ではなく、日本人なのだな、と認識されます。

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香港は国際都市です。アジア人だけでなく、アメリカ、ヨーロッパの人々もたくさんいます。

「香港もずいぶん変わったな」そう感じながら、日本へ帰国しました。

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その後、成田、東京、つくば、と移動しました。

その時、面白いことに気づきました。

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香港→成田→東京→つくば、そこにいる人々の多様性、交わされる言語、このエリアは、完全につながっている。連続していて、国境によって分断されてはいない。

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中国と言っても香港しか行っていません。

ただ、感じたことは、東アジア地域の国際都市のグローバル化は進んで、国境による分断を既に超えているのではないか、そんな感じがしました。










研究もビジネスも、幅を広げ、継続させ、キャリアを切り拓くのは、人のネットワーク

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研究の幅を広げ、継続させ、キャリアを切り拓くには、研究、勉強と並行的に人のネットワークを構築していくことが大切。

ひとりで研究するよりも、プロジェクトに参加して研究すると、テーマも広がり、人のネットワークも構築でき、キャリアの可能性も広がる。

国際シンポジウム、ワークショップ、できる限り参加する。「聞き」に行くよりも、発表する。発表すると、覚えてもらえる。プレゼンは「読む」のでなく、「話す」。自分の魅力をアピールする。自然なリズムで話す。自信を持つこと。アイコンタクトが大切。

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学会、シンポジウムで、ネットワークをつくるには、興味のある発表に質問する、懇親会にも参加する。

学会は最先端の研究を知るためだけでなく、人のネットワークをアップグレード、再確認するため

他の人々に話すと、自分の考えが整理でき、理解が進み、思いがけない切り口から、進展することがある。

自分の国以外の人の考え方に触れると、自分も変わっていく。人は交流し、シェアすることが大切。


と書きましたが、最近、スピーカーとして参加した

World Sustainable Built Environment Conference 2017 Hong Kong(世界建築環境会議)

を例に、これを検証していきます。

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講演中はもちろんお話しすることはできませんが、各講演のセッションの間にコーヒーブレークがあります。

このコーヒーブレークが、人のネットワークを構築する機会です。

スピーカーの良いところは、同じセッションのスピーカーと仲良くなれる、参加者が話しかけてくれる、ことでしょうか。

上記にもあるように、「聞き」に行くよりも、発表すると、機会がぐっと広がります。

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「聞き」に行く場合は、このコーヒーブレーク中に、関心を持った発表者に挨拶に行きます。「大変興味深いお話でした」

講演中に質問すると、このプロセスがスムーズにいきます。

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コーヒーブレークの他に、人のネットワークを構築する機会として、ランチ、ディナーなどの食事の機会があります。

人のネットワークを構築する機会ですから、公式ランチ、ディナーには、多少割高でも参加したほうがよさそうです。

ここで対照的なランチのスタイルがあったので書いておきます。

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ひとつは、広くて余裕のある会場で、コース料理のランチでした。

広くて余裕のある場所では、知り合い同士で食事をとるのは、何も日本人に限ったことではありません。ただ、これではネットワークは広がりません。

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もうひとつは、ギリギリの広さの場所での、ブッフェ形式のランチでした。

すると、「隣、いいですか?」とか、自然に会話が生まれます。

「どこから来ましたか?」「日本からです」「私は東京大学の〇〇先生と共同研究しています」「〇〇先生、よく知ってます」

のように、どんどん関係が構築されていきます。

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ブッフェ形式ですので、「これ、美味しいですよ」など、会話も進展していきます。

このように、パーティー、ランチの会場のデザイン、レイアウトはとても大切です。

通常、参加者は選択できませんが、会場のデザイン、レイアウトに合わせたネットワーク作りが大切です。

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さて、国際学会の公式言語はもちろん英語です。

ただし、イギリス人、アメリカ人が話す英語とは少し違います。

インドネシア、タイ、ベトナム、マレーシア、フィリピン、中国、カナダ、フランス、ドイツなど、世界各国の人々が話す、

世界共通語として「英語」です。それぞれに、独特のなまり、アクセントがあります。

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「TAK」さんの場合、発表終了後に、スピーカー全員とチェアを交えたパネルディスカッション、その後、会場から質問を受けながら、パネルを進行していきました。

同じセッションのスピーカーはスウェーデン、ドイツ、台湾、マレーシア、シンガポールの人々、会場からの質問者は香港、カナダ、メキシコの方々でした。

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使われる言語は、上記のように、独特のなまり、アクセントがある世界共通語として「英語」です。

この時、大切なのは、リアルタイムで英語で考えつつ、参加すること、日本語で考え、言語構築した瞬間に脱落します。

また、自分に向けられた質問、発言が、全くわからないのならともかく、半分くらいわかるのなら、とりあえず、自分が考えていることを話してみましょう。

聞き返すと、このリアルタイムの流れを損ない、脱落していくことになります。


以上、いろいろ考えたことを書いてみました。






2017年06月10日

World Sustainable Built Environment Conference 2017 Hong Kong(世界建築環境会議)

にスピーカーとして参加してきました。

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折から、アメリカのトランプ大統領がパリ協定からの離脱を表明したところです。どんな雰囲気かしら?

結論から言えば、トランプ大統領はG7先進各国、中国、インドあるいは発展途上国、あるいはアメリカ国内からも、強い反発にあい、四面楚歌の孤立状態、ということでしょうか?

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「地球の想像力」地球レベルで考える時代に




地球の問題というと、温暖化防止、汚染対策などが思い浮かび、石炭、石油など化石燃料の削減、再生可能エネルギーの導入、というシナリオに結びつくのですが、それだけでなく、それぞれの国、地域の経済、教育、文化なども大きく関わります。

周辺領域を含めて、俯瞰すると、新たな、いろいろな切り口が見えてきそうです。


と書きました。

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温暖化対策として世界規模で始まった化石燃料削減、省エネルギー、再生可能エネルギー導入は、産業革命以来の人類が得た豊かさ、便利さの反面のひずみを元に戻すもの、とも言えます。

ところが、実際に行っているうちに、大気汚染抑制による健康改善、エネルギー・セキュリティー強化による中東・ロシアなど産油国の影響削減など、

その効果は温暖化防止を超え、世界の経済、社会、政治など多様に及び、かつ、世界がつながっていることを人々が認識し始めています。

もう、この流れは止まりそうにありません。

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参加しながら、考えたことをつれづれ書きます。

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温暖化対策の主役はG7からアジアへ。

(1)京都議定書(1997)参加しなかった中国がパリ協定(2015)では主役に

(2)成熟飽和のG7に対し、成長が続くアジア

(3)アジアは世界のバロメーター(いい意味でも悪い意味でも最初に兆候が出る)

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建築物の温暖化対策に万能薬はない。

(1)寒冷地域の暖房エネルギー(北欧、カナダなど)

(2)暑熱地域の冷房エネルギー(東南アジアなど)

(3)途上国の都市化(先進国がたどった道はショートカットすればよい)

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建築物の温暖化対策は都市部の対策が重要。

(1)都市部の集中が進む。(特にアジア)エネルギー消費のほとんどは都市部。

(2)既存建物の改修時に大幅な省エネの可能性。

(3)交通手段の省エネ化、マイカーから公共交通手段、ガソリンからバッテリーカー

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建築物の温暖化対策技術

(1)暖冷房、換気など個別要素技術の進歩

(2)再生可能エネルギーの導入(太陽光、風力などの発電は増加しているが有効利用は今一つ)

(3)IoT、人工知能、ビッグデータ、モバイル技術(ポテンシャルは大きいが、現状ではどう適用するか、わからない)

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スマートシティー

(1)モデル都市から既存都市への適用へ(新設よりも、人々が住み続けながら、都市をスマートに)

(2)出始めている失敗事例から学ぶ

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モニタリングからコントロールへ

(1)オンライン・モニタリングの活用

(2)見える化、は第1歩だが、人間は必ずしも合理的な対応ができない。

(3)進歩し、価格が低下してきているセンサリング技術を使った自動コントロール

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コスト評価、ペイバックタイムの難しさ(太陽光、蓄電池、SOFC、モニタリング・システムなど)

導入時コスト、ランニングコストが数ヶ月で大きく変動、数十年スパンのコスト評価は事実上無理

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さて、国際学会では、科学技術だけでなく、世界中の人との触れ合いが楽しいものです。

スピーカーとして参加すると、同じセッションのスピーカーと仲良くなれる、参加者が話しかけてくれる、などメリットが大きいです。



2017年05月28日

東工大×ロンドン芸術大学セントラル・セントマーティンズ校合同シンポジウム 「科学・アート・デザインの実験」

という案内が来ました。

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科学・技術と創造・芸術。

この、一見離れた分野において、東京工業大学とロンドン芸術大学が手を組み、シンポジウムを実施することになりました。

選んだテーマは「実験」。専門分野と文化の隔たりを超え、両者が繰り広げてきた「実験」とは何かを見つめ合い、学び合う機会です。


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アートとサイエンス、アートとテクノロジー、芸術と科学・技術

これらは対極というよりも、交わりなどない、別次元のもの、と考えられます。

アート、芸術に必要なものが想像と創造、イメージングとクリエイティビティー

真理を探究する科学、探究した真理を社会に適用する科学・技術にも想像と創造、イメージングとクリエイティビティーが欠かせません

実は、芸術と科学・技術は相性がよくて、違う視点からの相乗作用があります。

さらに共通しているのが、コンピューター、インターネット、デジタル技術の利用でしょうか

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科学・技術については、言うまでもありませんが、アート、芸術においても、デジタルアート、メディアアートの展開にめざましいものがあります。

芸術と科学・技術、これらは常に変化、進化していきます。あるいは変化、進化があることが本質だったりします。

新しい手法、技術をどう取り入れていくか?

単なる変化、進化だけでなく、忘れられていた概念、価値観を掘り起こしたりもします。

科学は常に真理の探究を続けますが、技術、芸術はスタート、普及には社会、時代とのタイミングが重要だったりします。

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実は、東工大では、こういった活動を以前から細々と続けておりましたが、最近ようやく花開いた感じです。

6年前に、

「サイエンス×芸術×テクノロジーはどこへ行くのか」に参加しました




サイエンスとアート

サイエンスの発見なしで、私たちは生活できない。

アートの美しさなしで、私たちは生きていけない。

2つは互いを必要とし、あるときはぶつかり、水の流れのように、ゆらぎながら進んでいく。

それを私たちはCreative Flowと呼びます。

サイエンスとアートの波がエネルギー、サスティナブル、ディープ・エコロジーの流れになり、わたしたちの住む<都市の生態系>を変えていく。

希望と思えるのは、小さなゆらぎでさえも成長して、全体構造を変えるからである(Ilya Prigogin)

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サイエンス、芸術、テクノロジーは、イノベーションや創造性を生み出す重要な側面をもっています。

この三者の関係を比較したり、結びつけたりすることは一見困難ですが、昨今では、多くの関心が集まっています。

芸術からサイエンスへ、サイエンスからテクノロジーへ。この三者間の矛盾や結びつきを発見し、社会的にダイナミックな動きを分析する


シンポジウムでは、いろいろな個別事例が紹介されましたが、ここでは個別事例の紹介よりも、これまで考えてきたことを整理します。

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芸術とはコミュニケーションである


千住博さんは、著書『美は時を超える』の中で、古代ギリシャの詩人ホメロスの言葉を引用して説明しています。

「芸術とは、人に知らせたくなる行為のこと」

もっと明るい場所で「多くの人に見てもらいたい」という本能が、神の領域であった「美」を、人間の領域の「美」へと転換させていったのではないか、と千住さんは言っています。

多くの人の目に触れ、批評を受けることが、描く側の創作意欲を刺激し、次の作品が生まれていったに違いありません。

「描く」・「創る」と「見る」・「評価する」という相互作用のもとで、芸術は発展してきました。

「芸術とはコミュニケーションである」

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内面から沸き起こるイマジネーションを他者にどう伝えていくか、そのための創意工夫のプロセスが芸術活動であり、「伝えたい」という想いの強さこそが、優れたアートを産み出す源泉だそうです。

モーツァルトの音楽、レオナルド・ダヴィンチの絵画など、すぐれた芸術は、時代、国境を超えて、人々の心に伝わります

芸術とふれ合い、鑑賞する過程は、芸術作品が持つ感性的価値を通じて自らの感性に気づく営みでもあります。

アートを通して、人と人、人と芸術、人と場等など、新しい絆を見つけることができる、かもしれません。


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研究活動とは美しいアートである




アートとは音楽、絵画、写真、彫刻などの媒体を使って、自分が表現したいことを表現するもの、でしょうか?

作品を作る時は自分の概念を具現化させて自分の世界を構築させようという出発点から始まる

無から有を生む、というものよりも、既に自分が抱いている、持っているコアをベースに未知のものを創造していく

作品が重視されがちだけれども、アーティストにとっては、作品以上に創造するプロセスが重要であったりする

研究も既存の研究成果(自分、他者を含めて)をベースに、ある特定の分野を掘り下げて、探究し、真理を発見したり、仮説を構築し、何らかの手法で検討したりして、未知のものを創造して、自分の世界を構築していく


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「街にあるものを使いこなす」学びのプロジェクト




アートと言っても、特に芸術性の高いものに限られません。

実はアートは日常に潜んでいます。この日常に潜んでいるアートを引き出すのが、アーティストの役割、

それをムーブメントに結び付けるのがプロデューサーだったりします。


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アートは鑑賞するものではなく、生活の中に取り入れるもの


アートというと、人々の生活からかけ離れた世界で、孤独なアーティストがクリエイティブな作品を生み出す、

というイメージがありますが、それよりもむしろ、

人々が生活の中に取り入れて、活かしていくもの、なのではないでしょうか?






2017年05月25日

自民党の憲法改正原案「年内にまとめる」と安倍首相が明言

のように憲法改正が取りざたされています。

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アメリカ南北戦争と明治維新の複雑、密接な関係

では、アメリカ合衆国憲法についても触れたかったのですが、アメリカ南北戦争と日本の明治維新の複雑、密接な関係だけで、いっぱいになってしまったので、あらためて書きます。

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東部海岸沿いの13植民地から始まり、1776年に13州の連邦国家として独立宣言をしたアメリカ合衆国ですが、1787年に、フィラデルフィアに各州の代表が集まり、アメリカ合衆国憲法を制定します。

自由、平等を求めて建国したアメリカですが、工業化が進む北部とプランテーションによる大規模綿花農園運営中心で、黒人奴隷が不可欠の南部では様相が異なります。

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様相が異なる各州が、その違いを乗り越えて、州の連合体 States ではなく、連邦、合衆国 United States として機能するための最低限の7条が制定されます。

1860年には、大統領選挙では通商政策、奴隷制が争点のひとつになり、奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーンが当選すると、南部各州は合衆国からの脱退を宣言し、アメリカ連合国を結成します。

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南北戦争は、装備、人口、工業力など総合力に優れた北軍が優勢に戦いを進め、リンカーン大統領は、1862年に奴隷解放宣言、1863年にはゲティスバーグ演説「人民の、人民による、人民のための政治」を行い、1865年に北軍勝利で終結するのですが、リンカーン大統領は勝利宣言の6日後に暗殺されてしまいます。

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南北戦争後、憲法に修正13条「奴隷制を廃止」など、修正が加えられ、現在は修正27条まであります。


法律の意義と歩み、ハンムラビ法典から大憲章(マグナカルタ)を経て

に書いたように、

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古代バビロン王朝は、王朝の各部族ごとのルールがまちまちで、部族間の争いが絶えないため、法典の整備に務め、王朝としての統一ルールである、全282条からなるハンムラビ法典を制定しました。

「目には目を、歯には歯を」という復讐法の原理が有名ですが、上記のように、王朝としての統一ルールを制定しただけでなく、法典がない時に、強者と弱者が紛争になった時は、弱者は泣き寝入りするしかなかったのが、法典が制定されてからは、弱者は法典を根拠に強者に主張できるようになるなど、弱者保護の効果もありました。

なお、かつては世界最古の法典とされていましたが、現在はハンムラビ法典は先行したシュメール法典を集大成したものとされており、「世界最古の法典はシュメール法典」と訂正されているそうです。

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イギリスでは、国王の圧政に苦しむ諸侯、市民が、国王に、1215年にマグナ・カルタ(大憲章)を制定させ、国王といえども完全に自由ではなく、憲法の制約を受ける、立憲君主制を始めることとなりました。

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明治維新の日本は、ドイツ憲法を参考に立憲君主制の明治憲法をほぼ輸入するものの、その際の天皇を位置づけを示す、天皇機関説を「神である天皇を機関とは何事だ」など、憲法の運用、育成が未成熟で、戦争への道を歩むことになってしまいます。

近現代史を振り返り、なぜ戦争へ突き進んだのか?探る

終戦の日を迎えて これからのグローバル社会は?


戦前、憲法の下、議会、内閣、司法の三権がありながら、軍部、特に陸軍の暴走を止められなかった理由として、

帝国憲法(明治憲法)第11条

「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」

と陸海軍の統帥権が内閣になかったことが問題で、明治憲法は欠陥憲法であった、という議論があります

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明治憲法は伊藤博文、井上毅らがヨーロッパの先進事例を十分に調査した上で、天皇と議会、内閣という制度に適した立憲主義のドイツ憲法を手本に作成したもので、アジアでは初の憲法であり、当時としては優れたものです

明治憲法下では主権者の天皇といえども、憲法の制約を受け、それを説明するのが美濃部達吉教授の「天皇機関説」なのですが、美濃部の著書『憲法撮要』などの発売頒布禁止処分、岡田啓介首相が天皇機関説を否定する「国体明徴声明」を2度にわたって出すことで事態を沈静化させたが、これにより明治憲法下における立憲主義の統治理念が公然と否定されることとなっていきます。

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国際的には、1931年満州事変、1933年国際連盟脱退、国内では1932年5・15事件、1936年2・26事件と、時局は悪化の一途をたどります



現行憲法は、終戦後、占領国のアメリカの意向を受けたものですが、いつも議論の中心になる、憲法第九条について見てみましょう。

憲法と安保関連法案、戦争と平和の条件


日本国憲法 第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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第九条はよいのですが、第二項に無理があります。

第九条第一項で戦争の放棄を謳っている以上、第二項「国の交戦権は、これを認めない。」は重複です。

第二項に「戦力は保持しない。」と「交戦権は認めない。」と二つのことを同じ項で述べるので無理が生じています。

「陸海空軍その他の戦力は保持しない。」のか?「前項の目的を達するための陸海空軍その他の戦力は保持しない。」のか?で解釈が分かれてしまいます。

ここをごっちゃにするので、いつも無理が出ます。あるいは、意図的にごっちゃにしています。

最新鋭の戦闘機、イージス艦を有する自衛隊が「陸海空軍その他の戦力」と考えるのが相当です。

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日本国憲法は、アメリカの統治下で制定されたものであるため、制定時は、他国からの侵略があった場合は、アメリカ軍が対応するので、「陸海空軍その他の戦力は保持しない。」で問題はありませんでした。

サンフランシスコ講和条約(1951年(昭和26年)9月8日調印、1952年(昭和27年)4月28日発効)により、日本がアメリカの統治から、主権を回復するに際して、日米安全保障条約が締結されることになりました。

本来であれば、アメリカの統治下から離れるに際して、日米安全保障条約に併せて、憲法九条第二項「陸海空軍その他の戦力は保持しない。」についても、「陸海空軍その他の戦力は、自衛のための、最小限に限り、有することができる。」などと改正すべきであった、と考えます。


目まぐるしく変化する国際情勢と安全保障、憲法の問題


世界の国々は、時代の要請に即した形で憲法を改正しています。主要国を見ても、戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、イタリアは15回、ドイツに至っては58回も憲法改正を行なっています。しかし、日本は戦後一度として改正していません。

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法律とは、その時の時代、社会、慣習に応じて、人々が円滑に生活するための取り決め、と考えられます。

時代、社会、慣習が変化していくのですから、それに適合するように法律を改正することが必要です。



最初に、アメリカ合衆国憲法、ハンムラビ法典、大憲章(マグナカルタ)など、代表的な憲法の制定過程より、それぞれの国々が、その国ごとの事情、出来事など、歴史を踏まえつつ、憲法を制定、修正していったことがわかります。

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日本は明治憲法、現行憲法共に「輸入」する形で、自国の事情、文化を踏まえた検討ができておらず、現行憲法は、制定から70年を経て、上記のように国際社会との不整合も目立ってきていますが、修正ができないどころか、修正を口にすること自体、タブーだったりしています。

結論めいたことは言いませんが、代表的な憲法の制定過程を参考にした検討が望まれます。






2017年05月22日

5/20(土)21(日)と東大五月祭に行ってきました

東大五月祭2017

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学園祭は秋に開かれることが多いのですが、東大では初夏に本郷キャンパスで五月祭、秋に駒場キャンパスで駒場祭が開催されます

東大五月祭は学園祭の雰囲気を味わえるのですが、質の高い講演、ワークショップも盛りだくさんで、スケジュールを組むのが大変ですが、楽しみです。

以前は、

グローバル化時代の日本の教育「変わる世界で、変える人に」

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東大イノベーション・サマープログラム五月祭企画に行ってきました

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のように、講演、ワークショップを中心に参加していたのですが、

講演会、ワークショップに参加すると、2時間くらいはかかって、いろいろなプログラムを見れなくなってしまいます。

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そこで、最近は、

東大五月祭2016に行ってきました

東大五月祭に行ってきました

に書いたように、今年もキャンパス全体のいろいろな企画を回りつつ、講演会、ワークショップものぞきつつ、全体の雰囲気を味わうことにします。

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五月祭には、ここ数年、訪れているのですが、年々参加者が増えています。

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以前は大学生が中心で、大学院生になると、「ついていけないよ」という感じだったのですが、企画者側も大学生、大学院生、参加者側は中高生、あるいは小学生から中高年まで、幅広い世代が参加します。

特に、若い卒業生が子連れで参加する方が多い感がします。また、留学生の企画も目立ちます。

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まず、赤門を入ってすぐの案内書でパンフレットを受け取り、正門、安田講堂方向へ歩こうとするのですが、もの凄い、人!人!人!

でも、空いていたらさびしいですから、混んでいるくらいがいいのです。

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ひしめく模擬店、コーラス、演奏、パフォーマンスの中に身を置いていると、次第にワクワクしてきます。

数十年前にタイムスリップして、学生の頃に戻った感じです。模擬店で、ユニフォームを着て、一緒にお客さんの呼び込みをしたくなっちゃいます。

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いくつかのミニ会場でコーラス、演奏、パフォーマンスが開催されているのですが、それぞれ質が高くて、興味深いものです。

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屋外企画も面白いのですが、室内企画も上に書いたように高い講演、ワークショップが盛りだくさんで、ちょっとずつのぞいていきます。

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合唱、ミニ講演、たたら製鉄の実演、など、

本当はひとつひとつじっくり見学したいイベントが凝縮されています。

中でも、最近顕著なのが、理工系のイベントです。

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これについては、

東大五月祭2017は近未来のデモンストレーション?

に書きます。





2017年05月17日

福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会「福澤先生の訳した憲法:アメリカ合衆国という国のかたち」

という案内がきました。

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ウェーランド経済書講述記念講演会

とは、

「慶應義塾は一日も休業したことはない」(福翁自伝)

福澤先生が、戊辰戦争の最中、新政府軍が上野の寛永寺に立てこもる彰義隊を総攻撃する日も、普段と変わらず、講義を続けたことを記念する講演会「学問に休みの日はない」

というものだそうです。

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アメリカのペリー提督来航(1853年)は、当時の日本にとって安全保障上の大事件でした。

もっとも、日本の安全を脅かそうとしていたのは、アメリカだけではありません。

クリミア戦争から考えるウクライナ情勢


クリミア戦争(1853〜6年)の影響を振り返り、考えてみることにします。

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ロシアの南下は、フランスだけでなく、インド、パキスタンを植民地としていたイギリスの権益とも反するもので、ロシアとイギリス・フランスなどの戦いになりました。

産業革命を経験したイギリスとフランス、産業革命を経験していないロシアの国力の差が歴然と証明され、ロシアが敗戦国となる形で、1856年に、パリ条約が成立しました。

主戦場は黒海、クリミアでしたが、バルト海、カムチャツカでも戦いが行われました。

クリミア戦争は、日本にも影響を及ぼしました。イギリス、フランス、ロシアは東アジアに目を向ける余裕はなく、影響が少なかった、アメリカのペリーが浦賀に来航し、日米和親条約が締結され、ロシアのプチャーチンは、クリミア戦争の影響で日本到着がペリーより遅れ、それでも、日露和親条約が締結され、この条約で北方4島を日本領とし、樺太は国境を決めず両国民混住の地とすると定められました。

ただ、冬に凍らない港の確保を目論む、ロシアが南下政策は、これで収まるものではなく、1877年に、イギリスやフランスが介入しない形でトルコと露土戦争、東アジアの南下で1904年に日露戦争が起きています。

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1855年に日露和親条約が締結され、この条約で北方4島を日本領とし、樺太は国境を決めず両国民混住の地とすると定められました。

ところが、1856年にクリミア戦争が終結すると、ロシアの樺太開発が本格化し、日露の紛争が頻発するようになります。

そこで、樺太に国境を設定し、北側をロシア、南側を日本とすることで妥結を試みようとしますが、不調に終わります。

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日本は幕末から明治維新の時期で、1875年、ペテルブルグにて、樺太全島をロシアに譲る代わりに千島列島(クリル諸島)を受け取るという「樺太・千島交換条約」が調印されました。こうして日露間の国境が確定します。

1853年にペリーが浦賀に来航し、日米和親条約、1858年に日米修好通商条約を締結したアメリカですが、1861〜65年には国内で南北戦争があり、日本の対応どころではなくなりました。


上記では、ロシアについて書いたので、以下はアメリカについて書きます。

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東部海岸沿いの13植民地から始まり、1776年に13州の連邦国家として独立宣言をしたアメリカ合衆国ですが、1787年にアメリカ合衆国憲法を制定します。

西部開拓のフロンティア精神により、辺境(フロンティア)を西に移動させていきましたが、1848年にカリフォルニアを獲得して太平洋岸に到達し、逆に言えば、フロンティアが消滅してしまいました。

その後、米西戦争(1898年)の結果、フィリピンをスペインから購入し、同じ年にハワイを併合した、ことより、

実際のところ、アメリカは日本の植民地化、併合を目論んでいた、と考えられます。

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さて、自由、平等を求めて建国したアメリカですが、工業化が進む北部とプランテーションによる大規模綿花農園運営中心の南部では様相が異なり、南部では黒人奴隷が不可欠でした。

1860年には、大統領選挙では奴隷制が争点のひとつになり、奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーンが当選すると、南部各州は合衆国からの脱退を宣言し、アメリカ連合国を結成します。

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南北戦争は、装備、人口、工業力など総合力に優れた北軍が優勢に戦いを進め、リンカーン大統領は、1862年に奴隷解放宣言、1863年にはゲティスバーグ演説「人民の、人民による、人民のための政治」を行い、1865年に北軍勝利で終結するのですが、リンカーン大統領は勝利宣言の6日後に暗殺されてしまいます。

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さて、これだけでは、太平洋をはさんだ、遠い海の向こうのこと、のようですが、実はそうでもありません。

1866年に日本では、幕府による第2次長州征伐が行われるのですが、長州藩は同じ年に薩摩藩と薩長同盟を結んでいました。

薩摩藩は1862年の生麦事件、それに端を発する薩英戦争(1863年)、長州藩は四国艦隊下関砲撃事件(1864年)を受けて、西洋列挙各国を攘夷することは不可能であることを知り、積極的に西洋の近代兵器を取り入れていました。

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そして、1865年の南北戦争終結により、大量の大砲、銃が余ることになり、それがイギリスから薩摩藩を通じて長州藩にわたることになり、古い装備の幕府軍による長州征伐は失敗に終わり、幕府の弱体化を露呈することになりました。

その後、戊辰戦争(1868年)で薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍が幕府軍を破り、幕府体制は終結し、明治維新へとつながりました。

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つまり、アメリカの南北戦争と幕末、明治維新は、このように密接に絡み合っています。

日米それぞれが、戦争が終結して、みんな幸せか、と言うと、そうでもありませんでした。

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上記のように、アメリカの南北戦争で勝利した北軍側のリンカーン大統領は6日後に暗殺されました。

南北戦争後、修正13条で憲法により、奴隷制を廃止したのですが、南部を中心に人種問題は根深く残り、現代になって、黒人出身のオバマ大統領が誕生しても、人種問題は残っています。敗れた南部各州の不満は根強いものだったようです。

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アメリカ合衆国憲法は、上記のように、立場が異なる、北部と南部の各州が、州の連合体でなく、統一国家である連邦として機能するため、1787年のフィラデルフィア憲法制定会議では、最低限の7条が制定され、その後、修正が加えられ、現在は修正27条まであります。

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日本も、明治維新の最大の立役者である西郷隆盛が明治6年の政変で下野し、西南戦争で非業の死を遂げる、同じく大久保利通も1878年に暗殺される、全国で新政府に不満な旧士族の反乱が起こるなど、平坦な道ではありませんでした。

アメリカが引いた形の、当時の日本の明治維新は、ドイツ憲法を参考に立憲君主制の明治憲法をほぼ輸入するものの、その際の天皇を位置づけを示す、天皇機関説を「神である天皇を機関とは何事だ」など、憲法の運用、育成が未成熟で、戦争への道を歩むことになってしまいます。

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自国での運用、育成が未成熟なのは、現憲法でも同様で、制定から70年を経て、社会との不整合も目立ってきていますが、修正ができないどころか、修正を口にすること自体、タブーだったりしています。


「福澤先生の訳した憲法:アメリカ合衆国という国のかたち」について、その背景について考えてみました。憲法について考えるのは、後日にとっておきます。









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