2008年07月

2008年07月29日

「週末の達人」の小石雄一さんからメールをいただきました。

小石さんは『土曜日力の鍛え方』という本を出版するそうです。

その案内分がとても印象的だったので、紹介します。


週末は二泊三日の「時間旅行」

毎週末、わたしには土曜日を中心とした二泊三日の「時間旅行」が巡って来る。

平日は、実に地味な仕事をしながら、一年間でなんと五十二回ものイベントを組むことができるのだ。

もちろん、本書の読者の皆様にも全員、巡ってきているはずである。

土曜日力とは、ひとことで言うと、平日の常識や行動パーターンを打ち破る力である。

そして、週末の「時間旅行」を楽しく、有意義に過ごすための技術のことである。

技術であるから、繰り返し習慣化することによって、誰でも身につけることが出来る。

また、土曜日力は、小さな技術の集合体である。どんなに小さな技術でも集合となることによって大きな力を、効果をもたらす。

逆に、瑣末なことと言って、行動に結びつけなければ、知識だけでは何の効果も与えてくれない。注意が必要である。

土曜日力を身につけるには、平日の常識を一旦見直していただきたい。習慣化されて埋没した常識を折に触れて発掘し、新鮮な空気、光の下で改めていただきたい。

「蚤の法則」(天井制限を与えられた蚤は、天井を外してもその高さよりも飛べなくなる)、「象の法則」(動物園で鎖に繋がれた象は、鎖を外してもその鎖の長さより先には歩かない)に見られるように、人間にも法則がある。

「人間の法則」とは、平日に仕事で常識が与えられると、週末にもその常識外のことが出来ない、である。これをまず打ち砕いて欲しい。

本書では、総論としての常識の見直し方、各論としてわたしが実践している「土曜日力の法則」を紹介した。

土曜日に発想を変えることによってそれを「テコ」の力として、自分の生き方を良い方向に向けようとするものである。

人生の中心は、土曜日を中心とした二泊三日であり、コントロールタワーである。年間五十二回のチャンスを見逃してはいけない。

週末と平日、言い換えると生活と仕事は相互に刺激を与えながらスパイラル状に向上してゆくのだ。積極的なバランス崩しと、フォローアップのチャレンジのために人生がある。

一緒に「時間旅行」の旅に出よう。




2008年07月28日

原油高の影響で、夏休みのレジャーに自動車を使わずに、電車など公共交通機関を使う人が増えています。

1リットル180円もするガソリンを何十リットルも使って、さらに高速代もかかるのでは、無理からぬことかもしれません。

ところで、首都圏で自動車を使わずに、公共交通機関を使う、という生活は不便なものなのでしょうか?


「TAK」さんは少し前に自家用車は売却しました。二束三文でしたが。

つい最近までは、自家用車を持っているのは、あまりに当然で、疑いもしませんでした。

ところが、首都圏で生活するには、公共交通機関で十分で、自動車は必要ない、ことがわかりました。

買い物はどうするって?

郊外の量販店でなく、駅前のスーパーで買い物すれがいいのです。大きな物は配送サービスがあるし、日常的に買う「量がかさばる物」はインターネットで注文し、宅配してもらえばOKです。

レジャーはどうするって?

これは少し困ります。レンタカーを借りるか?行き先が電車で行ける所に限定されます。

でも、渋滞で悩まされることもないし、ビールも飲めます。駐車場を探す苦労もありません。かえって快適です。

経済的には大きな影響がありました。

駐車場代、保険代、ガソリン代、高速代、税金などで、月に5万円以上かかっていたことがわかりました。

これらは、レジャーシーズンにだけかかるのではなく、オフシーズンの使わない時期にもかかります。


ということで、

今まで、あまりに当たり前で疑いもしなかった「常識」はたいした根拠がなく

自家用車がない暮らしは、困るものではなく、かえって快適なこと

を首都圏で暮らす多くの人が、原油高のせいで「知ってしまい、経験してしま」いました。

この人たちは、買い替え時期にもう自動車は買わない、あるいは自動車を売却する、動きも出てき始めています。

参考:08年上半期の新車販売、2%減──25年ぶりの低水準

自動車メーカーは原材料費は上がるし、販売数は減るし、散々です。

自動車メーカー向けの薄板鋼、自動車保険加入数、自動車による来場を前提とした郊外大型ショップの来場数、高速料金収入、駐車場収入なども減るでしょう

さて、自家用車がなくても困らないことを知ってしまい、経験した人たちは、どのような生活に移行するのでしょうか?

週末に郊外大型店でのまとめ買い、から、駅前スーパーでの少量買いと、かさばるものの宅配サービス?

遠出ドライブから近場の地域コミュニティー?

週末のランチは、ゆったりビール、ワイン?

まだまだ予測がつきません






2008年07月26日

東工大大学院社会人MOT(技術経営)コースでのお話です。

ここでは経営戦略論を学んでいますが、実際に経営陣として企業経営に携わる訳ではありません。

むしろ、自分の現在の業務守備範囲に活かすため、あるいは将来のキャリア構築のため、あるいは、現在の自分という財産を磨くため、ということでしょうか?

最近の経営戦略論ではオハイオ州立大学のジェイ・B・バーニー教授の提唱するVRIOフレームワークが参考になります。

VRIOとは、

・経済価値(Value):経営資源が置かれている環境における機会や脅威に対して、適応することを可能にしているか?

・希少性(Rarity):その経営資源を持っている企業は、少ないか?

・模倣困難性(Inimitability):他企業が模倣困難か?

・組織(Otganization):その経営資源を活用、持続できる組織か?

です。

このうち、特に大切なのが、希少性(Rarity)、模倣困難性(Inimitability)です。

企業で説明するよりも、人で説明した方がわかりやすいでしょう。

あなたが「余人をもって替え難い」貴重な存在であるためには、他の人ができないことをできる能力がある必要があります。

あなたの、その能力で組織に利益をもたらすことが必要です。

さて、あなたの能力が有効なことがわかれば、他の人はまねしようとします。

簡単にまねできてしまえば、できる人がたくさんいて、あなたは「余人をもって替え難い」貴重な存在ではなくなってしまいます。

それゆえ、簡単にはまねできない「バリア」が必要になります。

この希少性(Rarity)、模倣困難性(Inimitability)で優位な立場を築くことが大切です。

この立場を築くことなく、努力しても、効率化しても、あまり有効ではありません。

さて、あなたはどのような希少性(Rarity)で価値がありますか?

それは、模倣困難ですか?

一度検証してみませんか?




2008年07月25日

ある大学の先生から伺ったお話です。

「「TAK」さん、学生の就職対策が急務です!」

えっ?最近は超売手市場で、学生さんは引く手あまたで、就職は氷河期が終って、比較的容易なのでは?

「その通りなのですが、学生の意識が、変なのです」

社会経済生産性本部の2008 年度新入社員意識調査によると、

・処遇に関して、業績・能力主義的な給与体系を希望する回答が、調査開始以来はじめて6割を切る結果(57.7%)となり、ピーク時(2002 年 73.3%)に比べ15.6 ポイント低くなった。

・業績・能力主義的な昇格を希望する回答についても、過去最低(63.4%)を更新し、ピーク時(2002 年 74.6%)に比べ11.2 ポイント低くなった。

・転職・勤続に関して、「条件の良い会社があれば、さっさと移る方が得だ」とする回答が、4年連続で減少し、過去最低(23.4%)となった。また、「今の会社に一生勤めようと思っている」とする回答は4年連続で上昇し、過去最高(47.1%)となった。

・キャリアプランに関して、「起業して独立したい」とする回答が過去最低(1.8%)となり、過去最高(2003年 31.5%)と比べ15.7 ポイント減少した。


つまり、「年功序列、終身雇用」を望むようになったのですか???

これではAround 30いや、40、それどころか50、いえいえ退職間際の団塊の世代より、保守的かもしれません。

最近、就職市場が超売手市場なのは、少し前の就職氷河期で若年労働者が不足、団塊の世代の大量退職、が重なったせいでしょうか?

また、超売手市場で大量採用とは、裏返せば、数十年後には、この世代が「団塊の世代」になる、ということなのですが。

退職間際の団塊の世代と今の世代が明らかに違うことがあります。

前者の時代は、「右肩上がりの高度成長時代」でした。

それゆえ、「年功序列、終身雇用」を期待する根拠がありました。それでも、この世代が退職する以前に「年功序列、終身雇用」は破綻しました。

今の時代は「低成長の時代」です。

経済成長は鈍っているのに、時代の変化は著しく激しいのです。

会社の寿命も短くなりました。

昔、山一證券、日本長期信用銀行が倒産する、と誰が考えたでしょうか?

日本興業銀行が第一勧業銀行、富士銀行と合併して、みずほ銀行になる、と想像したでしょうか?

今の新入社員が定年になる頃まで、会社が存続する保証はないし、そもそも「定年」なんてなくなっているかもしれません。

「年功序列、終身雇用」と考える根拠がどこにあるのでしょうか?幻想にすらならないのでは?

もう絶滅したと思っていた「年功序列、終身雇用」を若い世代が期待している、と聞いて、いささか驚いた「TAK」さんでした。




2008年07月24日

「見える化」が、はやっています

ウィキペディア(Wikipedia)を調べると、


見える化(みえるか)とは、現場における目に見えない活動の様子を目に見える形にしようとする取り組みを表す言葉である。

その本質は「見る」ことよりも「見える」「見せる」ことに重点を置く。

作業についての情報を組織内で共有させることにより、現場の問題等の早期発見や効率化や改善に役立てることを目的とする。

業種等により適用方法は異なるが、一般的には問題や課題の認識に利用される。

図やグラフにして可視化する場合もあれば、音や光による体感認識を用いる場合もある。

問題の解決策を講じる際にも見える化を行うことがある。


とあります。

見えていなかったものを見えるようにすることにより、隠れていた問題、課題が顕在化し、対策を講じようという「動き」が起こる、というものでしょうか?

実は、「見える化」だけでは不十分です。

見えた状態、状況を定量的に計測できる「計測できる化」

計測した状態、状況は記録しないと、あとでわからなくなります。そこで「記録化」

また、記録した結果は、あとで追跡調査できるように、「履歴トレース化」しておくとよいでしょう


「見える化」が期待されているのは、省エネルギー、コスト削減、などでしょうか?

わかりやすいように、あなたの生活費で考えてみましょう。

住居費、食費、光熱費、交通費、教育費、などなど、「どれも必要なもので、1円たりとて、削減できない」と思うかもしれません。

いつ、どこで、何に、いくら、使ったか、計測して、記録して、履歴をトレース、できるようにしてみませんか?

気がつかなかった削減しろが「見えたり」します

実は、「いつ、どこで、何に、いくら、使ったか、計測して、記録して、履歴をトレース」しただけで、出費が大幅に削減したなんて事例もあるようです。

やってみませんか?




2008年07月21日

夏休みですが、大学院の入試シーズンです。

受験をする皆さん、ご苦労様です。

ところが、試験勉強に一生懸命かというと、そうでもなさそうです。

お話を伺うと、

「入学試験は、英語がTOEFL、TOEICのスコアを提出します。これに筆記試験、小論文、口頭試問です。

ところが、筆記試験は非公開なので、勉強しようがないんです。

英語は以前受けたTOEFLのスコアを提出しますので、小論文、口頭試問の準備くらいしかないんです」

そうですか?筆記試験が非公開なのですか?何やら大分県の教員採用試験を思い浮かべますが、そうでもないようです。


過去の試験問題が公開であれば、それに対して、事前の対策をすることになります。

採用する側として見たいのは、「どれだけ事前対策をしたか?」ではなく、「入学した場合、有効な活動を行える潜在能力を認められるか?」です。

少なくとも、採用する立場からすれば、そうです。

それゆえ、事前対策の効果はなるべく除いて、純粋にその学生の潜在能力を見たい訳です。


これは大学院に限らず、企業も同様です。

「これまで頑張ってきた」人ではなく、「組織に入ってから、有効な活動を行える潜在能力を認められる」人を採用したい訳です。

もちろん、「これまで頑張ってきて」、なお、かつ、「今後も活躍が期待できる」人もたくさんいます。

だけど、残念ながら、そうでない人もいます。


ところが、応募する側はなぜか、「こんなに頑張ったのだから、是非採用してほしい」と考えてしまいます。

こんなに努力したのだから、認めてくれても、よいではないか?

卒業する側の学校関係者、家族・友人など周囲の人間も、そういう考えかもしれません。


でも、採用する側としては、自分の組織に入って、活躍できる人がほしいのです。

応募する時には、採用する側の考えをしっかり理解することが大切です。




2008年07月19日

大学の先生は教育が苦手、というよりも関心がない?へいただいた意見を紹介します。


「TAK」さんも講師として講義をされていますよね。

すると、集まってくれた学生に、とにかくひとつでも何か講義から身につけて、つかんでほしい、と思うでしょう。

専任の教員の私たちの思いはもっと強いでしょう。半年、1年の講義から学生に伸びてほしいのです。教育に関心がない、なんてことは全くありません。

ただ、難しい問題があります。

「課題を自分で設定し、各自調査し、グループワークをし、実際にうまくいくか?検証し、レポートにまとめ、発表する」課題演習型の授業をやれば、学生は確実に伸びます。

ところが、「きつい授業」という評判になり、次の学科から、学生が集まらなくなります。

また、高校までは大学入試の科目にあるから、嫌いな科目でもムリムリ勉強して、そのうちに好きになった、なんてこともあります。

ところが、大学の講義は選択が多いので、「きつい授業」を避けて、「楽な授業」を選ぶ学生がたくさんいます。

「TAK」さんは生きることは表現すること で、


楽しくなければ、続かない。

でも、楽しいだけでは続かない。

感動体験がほしいのです。

苦しいけれど、楽しい、「たのくるしい」経験を通じて、学んでいく、変わっていく、人とのつながりを広げ、深めていく

理論だけでは、伝わらないものが、経験を通じて伝わっていきます


と言っています。その通りです。

「たのくるしい」経験を学生にしてほしいのですが、「楽苦しい」ではなく、「楽な」方を選んでしまうのです。

もしかしたら、社会人学生の方が変えてくれるかもしれません。

社会人学生の方は、レポートを読む方のつらさ、せっかく資料を準備、精査して行ったのに、出席率が悪いときの憤り、を理解されています。

「きつい授業」とは、裏返せば、「投資効果が高い授業」とわかっています。

教員と学生、それを結んでくれる社会人学生、これが効果的かもしれません。




2008年07月18日

大学の先生は教育が苦手、というよりも関心がない?に対して、いろいろなご意見をいただきました。

ただ、そのまま掲載すると、ブログが炎上してしまうので、ほとんど削除させていただきました。コメント下さった方、申し訳ありません。

「TAK」さんはずっと、大学で教える立場でした。

産学官プロデューサーの立場で、「技術の産業界での活用事例」「産学官連携の事例」などを講師として講義をしておりました。

その時から、何となく、違和感はありました。

最近、教える立場だけでなく、大学院で学ぶ立場にも加わり、その違和感がはっきりしてきました。

久し振りに学ぶ立場になった時、「研究内容を伝えられない」「考えさせることができず、自分の意見を押し付ける」「異論を唱えられるとプッツンする」大学教員があまりに多いことに驚きました。

大学という総体は、教育で評価されても、個々の教員は研究で評価される。だから、教員は教育に関心がない、と言ったら怒られるでしょうか?

例えば、工学部で考えます。

工学部の機械工学科、電気工学科、建築工学科、など学科全体としての教育の効果、成果は評価できるかもしれません。

しかし、個々の教員の教育の効果、成果を評価するのは困難でしょう。

一方、機械、電気、建築の各学会での、個々の教員の研究成果は、比較的容易に評価可能です。この場合の研究には産学官プロジェクトも含まれます。

また、大学は企業に比べると、組織を超えた異動ができやすい、と考えられます。異論もあるでしょうが、A大学の機械工学科からB大学の機械工学科へ異動することは、できます。

その場合、機械工学会での研究成果がしっかりあることがポイントであったりします。

そんな訳で、教員としては、評価されない教育よりも、評価される研究に集中する、と考えられませんか?


いただいたご意見で、先生からのものと、先生以外の方のもので、大きく分かれました。

先生以外の方からは、

「大学の学生の中で、研究者になる人は決して多くはなく、企業、官庁などに就職する人の方がずっと多いのです。

そう考えると、研究しかできない先生よりも、ビジネスを教えられる先生が必要なのではないでしょうか?」

という意見が多かったです。

先生からは、

「立派な研究をしている先生の研究室からは、いい研究者が育っています。

これこそ、教育の成果ではありませんか?」

というもの

「そもそも大学の教員は個性のかたまりで、他人の意見などには耳を貸さない、くらいでないとやっていけない」

なんてものもありました。


今日は、主に先生の立場を中心に書きました。後日、学生の立場も入れて書きます。






2008年07月15日

小学校から高校までの先生の役割は、教育であることは、誰もが認めることでしょう。

この場合の教育とは、いわゆる英語、数学など学科の教育だけでなく、人間性、道徳、コミュニケーションなどの教育も含まれます。

大学の先生の役割とあると、教育、研究、社会貢献でしょうか?

「教育」「研究」「社会貢献」どれも大切ですが、どれが一番大切か?と言われれば、もちろん「教育」でしょう。

何十人、何百人の次代を背負う若い人材のパワーアップ、レベルアップが何よりも大切です。

ところが、大学の教員の採用条件には、これまでの研究業績、成果、論文などが厳しく審査されますが、教育に関しては、「これからの教育の抱負」など軽い扱いです。

これって、おかしくない?って、考えていたら、大阪大学の春日匠先生がメルマガに、いささか過激な記述を掲載していました。


基本的に、日本の大学教員というのは研究がしたくてその職を目指した人々であり、雇用のさいの資格も研究能力が厳しく問われる一方、教育能力はほとんど問われない。

だから、元々教育に対しする意識も低いし、往々にして教育能力も高くはない(高い場合ももちろんあるが、そこにスクリーニングをかけていないのだから、高い人ばかりというわけにはいかない)。

アメリカの大学の人事に関する記事などを読むと、「研究・教育・社会貢献」をバランスよくチェックし、三分野において最低基準を定める足きり的なことは行うにしても、「合計点の高い人」を取るのではなくて、学内での役割分担に配慮して取るよう
に求めていることが多いように思う。

それに比べると、研究能力、それも「自分で研究を進められる能力」だけを評価する日本の大学の人事基準は、極めて危険である(教授は研究し、学生はその背中を見て育つ、という大学であればそれでもいいのだが、現代のマス化した大学にそれを求めるのは無理がある)。

大学教員は日本の大学行政や一般市民の理解に文句をいうことが多いが、その一方で、本来自分たちがどれほどの責任を果たしているのか自覚していないように思う。

学生に対するきちんとした教育を行い、学問の魅力と必要性をきちんと教えることができれば(そしてそういう学生たちが社会で活躍するようになれば)、大学の権威が
疎んじられることもなくなるだろう。

ところが、実際は多くの教授たちは教育にほとんど関心がないし、残ったわずかな関心も自分のクローンとしての「研究者」を育てるということに集中してしまっている。 これでは大学が社会的に評価されないのもしかたないのではなかろうか。




2008年07月14日

産学官プロジェクトも結果が出てきて、そろそろアピールしたい頃です。

そこで、報告会、セミナーを開催することにしました

でも、公開イベントにするには、まだ時期尚早

取りあえず、専門家の間の輪を広げたい、ところです。

関係者の「知り合い」の「知り合い」の、そのまた「知り合い」くらいまで、輪が広がればいいな、と思っていました。

みんな、それぞれ専門は違います。プロジェクトの成果報告だけでは、ちょっと分野が狭くて、退屈かも?

広く横断的な視点からの話もほしいな、と思っていたら、なんと建築家の安藤忠雄氏が講演してくれることに(ちなみに、このイベントではありません)

非公開イベントのため、ウェブには掲載せずに、メーリングリストだけで、「知り合い」の「知り合い」の、そのまた「知り合い」くらいまで連絡です。

どのくらいの人が集まるかしら?と思っていたら、500名の会場が満員で、立ち見が出るほどの大盛況でした。

安藤忠雄氏の凄いところは、専門の建築をベースとしながら、教育、行政、環境、都市、グローバル化を自然に話されるところでしょうか?

「TAK」さんたち主催者は、最初に「石をポンと池に投げた」感じでした。

すると、波紋がどんどん広がって、準備段階から盛り上がって、大盛況となりました。

当たり前ながら、周りに人たちの協力が、いろいろな人を巻き込んでいく、ことをあらためて実感しました。

さらに、参加した皆さんの顔が、楽しそうなのです。

もしかしたら、みんな「場」「イベント」を待っているのかもしれません。

タイムリーな夏祭りを開催できたのかもしれません。

参加した皆さんに感謝!






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