2010年05月

2010年05月29日

投資が社会にもたらすもの〜インパクト・インベストメントの可能性〜に参加します

従来の投資からさらに踏み込んで、より直接的な社会への影響を与えることを主眼としたインパクト・インベストメントは、近年において注目を高めています。

インパクト・インベストメントとは、経済的な利益を追求すると同時に、貧困や環境などの社会的な課題に対して解決を図る投資のこと、だそうです

日本でも、開発途上国におけるインフラや医療へのアクセスを高めるためのウォーターボンドやワクチン債が組成されています。

これまで、貧困や環境などの社会的な課題に対して解決を図るためには寄付、ODA(政府開発援助)が使われていました。

寄付は出資したら、全額まるまる返ってきません。寄付した人は、「自分は社会によいことをしている」という満足感がありました

これは、継続は難しく、サイクルとはなりません

投資に対しては、リターンがなければサイクルは回りません。

では、1%程度のリターンがあったらどうでしょう?

金融商品のリターンに比べれば、ずっとリターンは低いですが、銀行に預けておくのと変わりません

ならば、インパクト・インベストメントに投資してもいいよ、という人も出てくるかもしれません

投資しながら、社会によいことが出来ます


さて、社会起業家や社会的企業が成長するために必要な資金が潤滑に流れるための社会貢献投資の仕組みづくりはできるのか?これからが楽しみです




東大の五月祭に来たのは久し振り(数年ぶり、数十(?)年ぶり)でしょうか?

土日に開催されますが、土曜日は大学院の授業があったり、研究会があったり、日曜日はテニスをしてゆっくりしたいし。

でも、今回は、

BEATセミナー「電子書籍時代の教材:誰が作りどんな形になるのか」

「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」出版記念イノベーション・フェスティバル!


が土曜日に本郷キャンパスで開催されるので、少し早めに行って五月祭を見ることにしましょう

とにかく、キャンパス中、人、人、人・・・歩けないくらいです

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図書館の噴水の前では民族ダンスをやっています


band1























安田講堂前ではバンド演奏です


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取り壊しが進んでいる工学部三号館


久し振りの学園祭気分に、しばし浸ってセミナーにいくこととします





2010年05月27日

大昔は情報の伝達は地域・血縁コミュニティーで行われました。

マス・メディアの発達と共に情報は、日本あるいは世界でほぼ同時に伝わるようになりました。

これは同時に情報の均質化も意味します

情報があふれかえる世の中で、ある人にとって価値がある情報は、マス・メディアではなく、「口コミ」によってもたらされます。

この「口コミ」が実際の「口コミ」ではなくて、ネットを通じた「口コミ」によるものです

という訳で、最近のネットを通じた「口コミ」を集めてみます


・Mixiは「友達の友達は友達」理論だったが、twitterは「友達とおもしろい会話をしているあの人はおもしろい」理論

・自分の中の矛盾に対して、安易に割り切るのではなく、葛藤しながらも向き合っていくことが大切。矛盾が自分の中で統合されたとき、これまでより高い視点での気づきが生まれる。

・よい研究の構造はシンプルである。図にしたときに複雑になったり、コンパクトに要約できないとすれば、問題・目的・方法・結果の接続がどこかずれている。

・男性側の幻想によりつくり上げられた虚構の女子像がポップカルチャー等で消費されていったすえ、その「女の子像」が女子の本質だと女子サイドにも刷り込まれている気がする。その女子像を裏切る行為を女性が行った時に、男性はドン引きする。でも多分そっちが本質

・言い訳は人を育てない。

・これからの社会は理系、文系ではなく、これらの融合でなくては対応できないのに、区別したがる人が多い

・孤独から脱出するには、これまで築いてきた関係性を改めて認識し直すこと

・文系への羨望として,彼らの思考能力・文献参考能力の高さがある.実験・観測に依拠する僕らと違い,文系は自分や先人の思考に依拠するしかないから

・目一杯やるからこそ、達成感や楽しみを更に味わうことが出来る

・成長は日々の頑張りのその先にある。しんどいということは確実に成長している証拠

・こうしたい、ああしたい・という個人の夢の実現から、経営者の夢の実現に変化していく。世の為人の為に何が出来るか・・、何を残すことができるのか

・これからは「規制で新たな市場を創造する」

・プロ意識とは何か?執着心と責任感とは何か?プロの世界においてミスは許されない。プロセスを重視されるアマチュアの世界とは大きく異なる。

・今やっていることで結果を出せないなら、何でもいいから新たなものにチャレンジする

・前もって許可をもらうのではなく、あとから許可を求める方がよいとされる文化は、新たなアイデアを生み出す際のひとつの大きな障害を取り除く

・「苦労は買ってでもしろ」と言いますが、研究の世界では「批判は買ってでもされろ」と言い換えられる。





2010年05月25日

ほんのちょっと前までは、テレビ局あるいは、テレビ会議設備を備えたグローバル企業でないとできなかった、講演、セミナー、会議などの中継がUstreamとtwitterで簡単にできるようになりました。本当に隔世の感があります

講演、セミナーは東京など、大都市で開催されることが多く、地方からは参加が難しかったのですが、Ustreamで中継され、twitterで意見を述べることができます

また、打ち合わせ、会議を行なう場合も、その場にこられなくても、参加できるようになりました

「TAK」さんが参加する講演、セミナー、会議などでも、Ustreamとtwitterによる中継を行なうことが増えました。

ただし、利用者がUstreamとtwitterによる中継のやり方にまだ慣れていません。

使い方を間違えると、かえって「やらない方が良かった」なんてことにもなりかねません。

「TAK」さんが気づいたポイントを挙げてみます

●講演、セミナー

主催者が中継に気を取られ、twitterから入ってきた質問だけを取り上げる場合、その場に集まった人は「取り残される」ことになってしまいます。

あるいは、「場」から質問が出ようとした時に、「twitterからこんな質問が来ています」とやってしまうと、その「場」で醸造されつつあった雰囲気を壊してしまう、ことになります。

あくまでも、「その場」が主体で、「場」がさめてしまった時に、「twitterからこんな質問が来ています」くらいの割合でよいのでは、と考えます

なお、自分が参加した講演、セミナーでは、後からtwitterを読むと、「こういう見方もあったんだ!なるほど」と振り返りに適しています

●会議

もっと難しいのが会議でしょうか?

会議とは、予め決められた議題について、限られた時間内に、関係するメンバーで結論を出す、のが目的です

どうしてもその場に来られないメンバーもUstreamで中継され、twitterで意見を述べることができるようになりました

ところが、Ustreamによる中継は公開状態で、誰でも見聞きすることができます

それゆえ、公開を差し控えたい内容は議論できない、そうでなくても、発言が公開されていることを前提にしなければならない、という制約があります

公開していますので、本来、会議に参加する必要のない第三者がtwitterで意見を述べてくることがあります

参加者が見落としている盲点を指摘してくれる場合もありますが、多くの場合は、参加者は既に了解していることをわからないための誤解であったり、取り上げる必要がないものです

「予め決められた議題について、限られた時間内に、関係するメンバーで結論を出す」ためには、このような「招かれざる客」の的外れな意見は無視するのが良いでしょう。

とは言え、来てしまうものは気になってしまうものです。困ったものです

先日、「TAK」さんが参加した会議も、来られないメンバーのため、Ustreamとtwitterによる中継を使いました。

約2時間の会議でしたが、本来、会議に参加する必要のない第三者がtwitterで2時間にわたり、「何の目的か?わからない」「そんなことをしても意味がない」など、ずっとつぶやいていました。そうならば、さっさと見るのを止めればよい、と思うのですが。

世の中には、寂しがり屋が多いようです




2010年05月24日

東京大学五月祭という案内が来ました。

昨年は新型インフルエンザの影響で、開催はしたようだけれども、案内は来ませんでした。今年はそんな心配もなく、よかったです

案内文によると、


五月祭(ごがつさい)とは、毎年五月末に、本郷キャンパスで開催される東京大学全学の学園祭です。

今年で83回目を数える五月祭は、戦争による中止も含めて80年以上に渡って、東大生の学術・文化発表の場として、学生のみならず、一般の人にも親 しまれてきました。

五月祭の歴史は古く、大正12年(1923)に旧東京帝国大学で催された「大園遊會」をその始まりとし、途中「全学大懇親會」、「全学公開」と名を変更しながら続けられ、昭和8(1933)年に現在の「五月祭」になりました。戦争によって開催が休止されることもありましたが、世紀をまたぎ今年で83回目を迎えます



いろいろな企画が多過ぎて、とても紹介し切れないけれど、ひとつだけ選ぶならば、

若者のいま、そしてそれから


若者が夢を持たないと言われてどれだけ経っただろう。

夢や目標を持たずとも家庭を築いて幸せに暮らせる時代においては、それでもよかったかもしれない。

しかし、時代は変わった。自分と日本、ひいては世界の”これから”を見据え、確固とした”いま”を生きるにはどうすればいいのか・・・。

28歳の若さで衆院議員に当選し、さらに昨年まで横浜市長も務められた前横浜市長の中田宏様と、元TBSアナウンサーの生島ヒロシ様が、若者に熱く語ってくださいます!

将来に光を見出せない。いまを漫然と生きている。


ということで、今週末は東大本郷キャンパスへ行きましょう






2010年05月20日

東工大で行なわれたJポップと現代社会に参加します。

宇野常寛さん(評論家)、水無田気流さん(詩人、東京工業大学世界文明センター・フェロー)が80年代後半以降の主要アーティストによるポップソングの歌詞を、社会評論と美学的な観点の双方から読み解きます。


80年代後半以降の主要アーティストによるポップソングの歌詞を、社会評論と美学的な観点の双方から読み解きます。

流行歌の歌詞に表現された若者の自意識の変遷や、アフターバブルの自分探しを軸に、近年のネオ郊外化現象、情報技術の進展によるコミュニケーション形態の変化、消費空間のテーマパーク化、さらにはグローバル化や低成長など経済社会構造の変化が、ユース・カルチャーにもたらした影響などについて、省察していく。


とあります。

80年代後半と言うと、インターネットが普及する以前です。

インターネット、メールが普及してから、コミュニケーションの媒体は「話す言葉」から「書いた文字」へと大きく移行します。

ただ、携帯メールで交換される「書いた文字」には、「おはよう」「おやすみ」のように、情報としては価値がないもの、が大きく増えます。

情報を交換して、つながっていることを確認すること、に意味が置かれています。

一方、80年代後半以降の主要アーティストによるポップソングの歌詞は、「書いた文字」よりも、口ずさんだ時のリズム感に意味があります。

昭和の歌謡曲、フォークソングの歌詞は、最初から最後まで、起承転結の流れが
あり、「サビ」が強調されるものの、すべてに存在感がありました。

ところが、ポップソングで口ずさまれるのは、「サビ」の個所だけです。それ以
外は、「サビ」を活かすための背景に過ぎません。

何も、これはアーティストによるものではなく、時代の流れによる推移を反映したものでしょう。


心に響いて口ずさまれる歌詞は喜怒哀楽のどれかを反映したものです。

しかも、自分の中にあるものを単に並べただけでは、あまり人々に感動は与えません。

それを外側にぶつけて、跳ね返ってきたものを歌詞にすると、ずっと強くなります。


さて、この辺の話は面白かったのですが、これ以降は、Mr.childrenの歌詞の分析になりました。

これは、「80年代後半以降の主要アーティストによるポップソングの歌詞を、社会評論と美学的な観点の双方から読み解きます。」の、ほんの一部に過ぎませ
ん。

それならそれで、「Mr.childrenの歌詞の移り変わりを例として」が案内にあるべきです

言いたくはありませんが(実は、言いたい!)、他人の歌詞を批評するからには、自分たちに関する文章にもっと注意を払ってほしいものです





2010年05月19日

「自己責任」という言葉が、これほど叫ばれた事件はありませんでした。

2004年にイラク武装勢力がイラクに入国している日本人を誘拐・拘束し、自衛隊の撤退を求める事件がありました。

日本政府は当時イラクへの渡航自粛勧告とイラクからの退避勧告を行なっており、被害者らがそれを無視して渡航した、ことになります。

被害者家族が、政府関係者に対して、声高に自衛隊撤退を要求しました。

被害者が解放された後、被害者の女性が言った「またイラクに戻りたい」という言葉が日本中に批判の渦を巻き起こしました。

当時の小泉純一郎首相は、「徹夜で対応した人たちのことを考えているのか?何考えているんだ」と激しい口調で非難しました。

邦人保護は国家の役目であるけれども、渡航自粛勧告、退避勧告を無視した人の
救出に国費を使うべきか?

「自己責任」という言葉が、これほど叫ばれた事件はありませんでした。

あれから、6年がたった今、当事者のお話を伺うのもよいかもしれません


第37回 放送フォーラム「命に国境はない〜イラク戦争とは何だったのか?〜」

去る3月3日放送NHK「クローズアップ現代」(『終わらぬイラク〜高遠菜穂子さんの6年〜』)は、改めて「イラク戦争とは何だったのか」、「日本のメディアがどこまでイラクの真実を伝えていたのか」を人々に重く問いかけました。イラクの人々の支援活動を続ける高遠菜穂子さんをゲストに迎え、メディアが伝えないイラクの現状とこれまでのイラク報道について、共に考え議論します。

ゲスト 高遠 菜穂子 氏 (イラク支援ボランティア)

(高遠さんからのメッセージ)

「大儀なき攻撃でイラクにもたらされた破壊と死。残されてきた人々はこれまでにない苦境におかれている。イラク戦争とは何だったのか。私たち日本人は何をすべきなのか。現場から見えるイラクと日本の姿を報告します。」

2010年5月21日(金) 18:30〜21:00

場所 渋谷勤労福祉会館 第一洋室
(渋谷駅から公園通りをNHK方面へ。パルコのある交差点)

終了後懇親会を予定(会費 2000円程度 )

主催 放送を語る会  協賛 メディア総合研究所・日本ジャーナリスト会議





     

2010年05月17日

Creative Cafe' 「アーキテクチャシリーズ」「汚しうる美 stainable beauty」という案内が来ました


早速、案内文を見てみましょう


「汚しうる美」とは,例えば,裏通りに見られる壁のペンキのはがれや雨だれの跡に見出す美しさのことをいう。

それらは,通常,美術館などで指一本触れることができない作品として成立する「汚せない美」とは異なる。

「汚しうる美」とは何か。その「汚しうる美」を空間に取り入れることは,人にどのような影響を与えるだろうか。

また,「汚しうる美」をつくることができるだろうか。

室内装飾をはじめ,美的空間を作るためのマテリアル,強度,構図,そして美の設計。サイエンス&アートの最前線の発想をめぐって語り合う。


とあります。

おもしろそうです。行ってみようかしら


日時:平成22年5月28日(金)18:30〜20:00 (会場18:00)

場所:日仏会館 5F 会議室5
    (東京都渋谷区恵比寿3-9-25)

Speaker:田中 稔郎(たなか としろう)
      土木/建築家 グリッドフレーム代表

ファシリテーター:津田広志(フィルムアート社編集長)

入場無料。

申込: creative-flow@ryu.titech.ac.jp


Creative Cafe' 「アーキテクチャシリーズ」の案内文も面白いので紹介します



建築、社会設計、情報アーキテクチャなど、わたしたちの都市のライフスタイルは、サイエンスとアートが合体した「アーキテクチャ」によって成り立っています。

その「アーキテクチャ」にいかにみずみずしい魂=設計を吹き込むか。

人間や自然と調和するマテリアルや構造、エネルギー、そして私たちの感性への影響など、クリエイティヴ都市を生み出すサイエンス&アートの着眼点/発想の原点を語りあいます。




シリーズ:第1回
「汚しうる美 stainable beauty」
田中稔郎(たなか としろう)
土木/建築家 グリッドフレーム代表


シリーズ:第2回(予定)
「情報アーキテクチャ〜未来のパターン・ランゲージ(仮)」
長谷川敦士(はせがわ あつし)
株式会社コンセント代表 / 情報アーキテクチャアソシエーションジャパン主宰
NPO法人人間中心設計推進機構理事


シリーズ:第3回(予定)
「建築を着る〜ファッションとアーキテクチャ」
深町浩祥(ふかまち ひろよし)
ファッションプランナー


ファシリテーター(第1回〜第3回):
津田広志(フィルムアート社編集長)






2010年05月16日

東大Wimbledon テニスクラブ30周年パーティーという通知が来ました。

こういったイベントは現役の学生さんが企画、運営してくれます。

いい後輩を持ったことに感謝!

実は、「TAK」さんはこのテニスクラブの創設者です。

ちょっと待ってください。「18才?」の「TAK」さんが、30周年を迎える大学のテニスクラブの創設者ってどういうことでしょう?

それは、置いておくことにしましょう

30周年と言えば、1学年30人として、900人の人が在籍したことになります

会社ですら、30年もつのは難しい時代に、30年継続したことは偉大なこと、と言えるでしょう。

「創業よりも継続の方がずっと難しい」と言われます。

「TAK」さんは、「いい後輩」に本当に恵まれています。なにせ、1年よくない世代があったら、その時点で消滅してしまうかもしれないのですから。

パーティーには100人近くの人が来ましたので、なかなか、ひとりひとりの方とはお話できませんでした。

そこで、ブログでその辺の話を少しすることにします

創設時の物語としては、

採用されるのがいやならば、採用する側になればよい

に書きましたが、


「TAK」さんは大学3年生の時に、テニスをやりたくなったのですが、どこのテニスサークルに行っても「申し訳ないけれど、3年生は入れておりません」と断られました。

仕方がないので、テニススクールに通うことにしました。それゆえ、ラケットを持ってキャンパスを歩きます。

すると、友達から、「あれっ、「TAK」さんって、テニスやるんだ?今度一緒にやらない?」なんて誘われます。

学内のテニスコートでその友達とテニスをしていると、通りがかった別の友達から「今度一緒に入れてくれない?」なんて頼まれます。

「僕のゼミ、研究室、後輩でテニスやりたいのがいるんだけど、今度誘っていい?」

なんて、どんどん輪が広がっていきました。

東大の女子学生からも、相談がきました

「東大のテニスサークルって、女子は○○女子大系と××女子大系ばかりで、東大の女子学生が入ると雰囲気が変わるって、断られるんです」

他女子大の学生からも相談がきました

「私と仲のよい友達が、部員との恋愛トラブルでサークルを辞めなきゃいけなくなったんです。私たち二人入れてくれませんか?」

あれよ、あれよ、という間に、「テニスサークル」ができてしまいました。わずか1、2ヶ月のことです。


ということで、「TAK」さんは採用を断られる方から、採用する側に変わりました。


新しいサークルは、一度聞いたら忘れない、覚えてもられる名前であることが大切です

「テニスならば、やっぱりウィンブルドン!」です

一年生の女子からは、「友達からサークルの名前を聞かれると恥ずかしい」

なんて声もありましたが、この名前にしました

30年も続いているのですから、いいネーミングだったのでしょう


練習スケジュールが合わせ易いからと、学部、学科指定のサークルも多かったのですが、法学部、経済学部から工学部などまで「学部横断的」なサークルでした。

卒業後のネットワークの多様性、異分野の話がいっぱい聞けること、を考えると、「学部横断的」がおすすめです。


同窓会に集まる人は、いつまでも「昔のまま」です。

卒業してから、しばらくたつと、仕事でも生活でも、いろいろ難しい時期もあり、足が遠のく時期もあるかもしれません。

でも、学生時代の仲間と他愛ない思い出話、近況報告、あるいは現役学生メンバー、若いOB、OGとの交流はいいものです。


皆さん、お疲れ様でした。また、会いましょう!





最近、東京の田端にある「まれびとハウス」が話題になっています

「まれびとハウス」とは、「学びの場としての家」を目指したシェアハウスであり、ゆったりできる語りの場としてのリビングのほか、またイベントスペースでもあります。


私たちが投じるのは「学びほぐす」という一石。

自分が「いた」場所を振り返ること、それがほぐれの起点となります。

無目的であることが価値である場所がいい。

目的が無いからこそ、そこに集う人々は自分で役割や目的を「発明」しなければいけない。

そうした無目的な場に多様な人々が集まり、相互作用することで、新たなアイデアや活動の創発に繋がるのではないだろうか。


日々の生活の中で、ひらめいた小さなアイデア。

それは只の妄想、違和感でしかない。

それが他人に話され、他人の経験を通過することによって現実味をおびてしまうことが確かにあるからだ。

他者の創造的な誤読によって閃きが企みに変わってしまう経験。

まれびとハウスは、そんな経験を多量発生させることを企図している。

社外や学外へ飛び出すことで、1つの見方、考え方でいたことに気が付き、自分が暖めていたアイデアが承認され、即座に実現に向けたネットワークが生まれる。

それが「ふらっと寄れるプラットフォーム」と称した背景である。


この「まれびとハウス」で、テーマ「研究のエコシステムをつくる」で東大准教授の中原淳さんからのトークをネタに参加者と意見をシェアするイベントがありました

中原淳先生とは、

聞く・考える・対話する・気づく Learning Bar

家庭でもない、職場でもない、「第3の場 サードプレイス」

でお会いしたことがありますが、ゆったりと語るのは初めてです

また、参加者の中に、

京大は出たけれど 没落エリートの出現

の@sayuritamakiさんがいたりして、びっくりしました


この場でシェアされたのは、

・方法論は本を読んだだけではダメ。方法論を実際に使う場に身を置くこと

・自分の俯瞰図、見取り図が世界地図なのか?マンションの見取り図に過ぎないのか?離れた位置から見つめる 

・勉強会の成果は、「ぱくられるかも?」などと恐れることなく、ネットに公開する

・これからの大学の教員は研究能力に加えて、プロジェクトに巻き込む力が問われる

・これからは一人では何も出来ない。プロジェクトに身を置くこと。ライバルだと思う人ほど誘う

・時代の先端を走る研究者には、次の時代の研究のネタが集まる 

・まず、コアを身につけること。これがないと、誰も相手にしてくれない

・ルーティン化できるところはルーティン化して、肝心なところに集中する

・形式知はコピーできない(というよりコピーしても意味がない)。
だからこそコンテクストを共有した者同士が集う学びの場は今後も要請されていく。その場を耕し維持していく役割を担うことでナレッジワーカーはメディア化していく

というかんじでしょうか?


意識の高い人々との交流で時間を忘れ、遅くまで楽しませていただくことができました。

早朝型の「TAK」さんとしては少し眠いのですが、このような「場」は大好きです

「まれびとハウス」には、これからも出没する予定です。皆さん、お会いしたらよろしくお願いします







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