2011年02月

2011年02月25日

成長している時は、「軸」がブレる

東京大学国際交流機構から

世界で通用する人材になるために〜絶対にブレない軸のつくり方

という講演会の案内が来ました。

これについては、早速参加申し込みをしましたが、

「軸」がブレると、最も困るのは、華麗なジャンプを決めるフィギュア・スケートの選手ではないか、と思います。


キャリアトランジション勉強会:人生の分岐点に 八木沼 純子さん


で伺ったお話を思い出しました


●成長している時は、「軸」がブレる

浅田真央、安藤美姫選手など、ジュニアの時に、世界レベルの超一流の選手でも、高校生の時に調子を崩すことがよくあります

というよりも、ジュニアで大活躍した、ほとんどの選手が、そういう経験をします。唯一の例外が、伊藤みどり選手くらいでしょうか

高校生の時には、身長が伸び、体重が増えます。フィギュア・スケートの選手だって、例外ではありません。

身長が伸び、体重が増えれば、物理学的に考えると、回転軸が変化するのは当然です

したがって、この時期にジャンプの調子を崩すのは、物理学的に至極当然のことです

身体の成長が落ち着く、大学生の時期になると、また安定感が出てきます


物理学を少し離れて、比ゆ的に考えてみます。

いろいろな知識、経験を身につけている時には、「軸」があちこちにブレる、のは至極当然ではないでしょうか

「軸」がブレないことの大切さ、がよく言われますが、「軸」がブレないとは、成長していない、のかもしれません


●考えたら、飛べない

フィギュア・スケートを見ていると、ジャンプの前には、必ず静止の態勢をしばらく取ります。

この時に、選手は何を考えるのでしょうか?

八木沼さんの答えは簡単でした

「何も考えません。考えたら、飛べません」

どのタイミングで踏み切ろう、とか、ワン・ツー・スリーのタイミング、とか、気にし出すと、必ずタイミングが狂う、そうです

逆説的だけれど、「こうやって飛ぼう」と考えてしまうと、飛べなくなります


「軸」がブレる、から、いろいろ考えてみました





2011年02月24日

知的財産マネジメント研究会(Smips)


の全体セッションのテーマは「顧客ニーズと知的財産」

この「顧客ニーズと知的財産」について、考えてみるお話がありました


動物は、必ず「群れ」を作って、生活します

1匹、1頭では、敵が襲ってきた時に、なすすべがないし、個よりも集団の方が、突発事項に対する知恵、経験では、必ず勝ります

それゆえ、生存のためには、集団生活が欠かせません

太古の人間についても、同じことで、集団生活が営まれました

集団においては、長老が他のメンバーに比べ、知恵、経験が優位であり、集団の存続に、その知恵、経験が活用されるため、尊敬されました

顧客ニーズ=集団のメンバーのニーズ、知的財産=長老の知恵、経験、と考えれば、これが太古の「顧客ニーズと知的財産」となります



象形文字など、の文字が生まれ、さらには紙が発明され、文字が記録されるようになると、

長老の頭の中に蓄積されていた知恵、経験は、紙に記録されるようになり、長老の優位はゆらいできます

ただ、外敵から守る、農業などの運営に集団生活は必要で、集団を束ねるリーダーは必要とされ、長老がそのままリーダーになる場合もあれば、別の人がリーダーになる場合もありました



さて、現在では、少なくとも先進国では、外敵から身を守るために、集団生活が必要、ということはないでしょう

生活に必要な知恵、経験を個人だけで得ることは困難ですが、さりとて、その知恵、経験を取得するために、集団に所属する必要もありません

必要であれば、インターネットで調べればよいし、医師、弁護士などの専門家に相談するために、集団に所属している必要もありません

地縁、血縁などのコミュニティーはその価値を失いました

ただ、大きくて複雑な仕事、プロジェクトはひとりではできません。

そのために、企業に就職しました

ところが、企業を取り巻く社会環境の変化が激しく、個人よりも企業の方がむしろ、生存が困難になりました

すると、個人は特定の企業に属するよりも、自分の持っている技術、知恵、経験が活かせる複数の組織と、ゆるやかに、かつ、結びつく、離れる、自由でつながっている、のが、これからの生活スタイルでは、と考えました





2011年02月20日

コミュニケーションの本質は変化である

で、


「自分たちは社会によい活動をしている」

押し売りになっていないか?よく確かめた方がよいかもしれません


と書いたところ、すぐにそれを実体験することになってしまいました。


イベントを主催する人は、「これをみんなに伝えたい!」という熱い思いがあります

会場を用意する、参加者を集めるべく、周知する、など、いろいろ面倒くさいことをしなければなりませんが、それをしてでも、伝えたいことがあるのでしょう

ただ、その熱い思いが、空回りすると、単なる押し売りになってしまいます

主催者はホスト、参加者がゲスト、ホストは集まってくださったゲストに有意義な時間を過ごしていただくべく、もてなします


具体例を話した方が、わかりやすいでしょう

あるワールド・カフェに参加しました。ワールド・カフェについては、

フューチャー・イノベーション・カフェ「夢」に行ってきました

ワールドカフェ「学び」に参加しました

を参照していただければと思いますが、「あるテーマに関する会話の生きたネットワークを意図的に作り出し、知恵を共有し、行動を引き起こす」ものです。

それゆえ、参加者同士の対話が大切になります

主催者が当初意図したところと別の所に会話が進んだとしても、それがカフェの自然な成り行きで、それを主催者が批判してはいけません

このカフェでは主催者は

「芸能界、アスリートをはじめとして、女性の社会進出が進んでいる。一方、男性は草食化している。アイドルを崇拝するなど、女性の強大化、男性の弱体化がまずます進む」

という、なかなかおもしろそうなテーマを設定しました

ただし、

「そもそも男性優位な社会であるからこそ、女性の社会進出が目立つ」

「出産、子育てなど、女性には、いろいろなハードルがある」

「就職活動では女子学生が苦戦」

なども見られます


ところが、参加者のテーブルに加わったこの主催者は、

・テーマに関して、自分の考えを「・・・という事実がある(単なる思い込み?)」と断定的に主張し、

・その方向と異なる発言が参加者から出ると、怖い顔をして、その発言を批判します


このような行動は、カフェの参加者として失格なのですが、カフェの主催者としては失格どころか、あり得ない暴挙です。

ファシリテーターの役目は、場の雰囲気、参加者の発言を活性化することです。

断定的なものの言い方、参加者の発言の否定、怖い顔をするようでは、ファシリテーターをする資格がない、と言わざるを得ません


自分の考えをもとに、他の人たちの見解を聞こうと、ワールド・カフェを主催したのでしょうが、このように自分の意見に固執するのであれば、
対話をベースとするカフェを主催してはいけません

自分の考えを聴衆に語るセミナーにすべきです


さて、参加したイベントがこのように「ハズレ」であることは、よくあります

いろいろなイベントに参加すれば、ある程度の割合で「ハズレ」はあるのが当然で、百発百中にしようとすれば、極めて限られたイベントしか参加できず、自らの活動を限定してしまうことになります

さて、このような「ハズレ」のイベントの時は、どうするか?


・なぜ、このイベントは「ハズレ」なのか?

・何が悪かったのか?

・どうすれば、「ハズレ」でなかったか?

自分なりに分析してみます。そして、今後自分が主催するイベントの教訓とします


このように、失敗体験を今後の教訓とすることにより、このイベントに参加したことによって費やした時間、労力、金を別の形で少しでも回収することができます


と、具現化したアイデアをすぐに実体験し、教訓に活かす、というプロセスでした








2011年02月18日

「TAK」さんは大学院がお休みのこの時期は、本業のMOT(技術経営)だけでなく、興味があるイベントに、いろいろ参加します

今日は、科学コミュニケーション研究会

に行きます。

この会は、



科学コミュニケーションに関する活動・研究を行っている人々が広く集い、定期的にお互いが顔を合わせて議論する場の創 出を目指して、活動しています。

この活動の一環として、科学コミュニケーショ ンに関連する勉強会を開催しています。

勉強会では、従来の科学コミュニケーションの枠組みを広げる可能性のある活動・研究を行っている方をお招きし、その考え方に触れることで、科学コ ミュニケーションという概念の発展可能性を探ります。



会場は東大理学部1号館ですが、ほとんどすべての東大の建物の中は迷路です。行き慣れた建物でないと、目的地にたどり着けません

ともかく、会場にたどり着くと、大きな教室なのですが、大入りの人気です

ゲストは、

東北大学の長神風二准教授

です


まず、「コミュニケーションとは?」から入ります

コミュニケーションの本質とは変化である。

誰かに、何かを伝えたい、のが、コミュニケーションであれば、伝えた結果、現状から何かしら変わる、ことを期待します。

つまり、現状のままでよいのであれば、そもそもコミュニケーションの必要がありません

こう考えると、異なる出身、立場の人たちが、異なることを話し合うから、コミュニケーションが成立します

それゆえ、コミュニケーションを行う人は何がしかの出身があるはずで、「コミュニケーター」なる職業はない、ことになります

もちろん、科学コミュニケーター的な、主として広報活動を行っている人はたくさんいます

この人たちのミッションは、異なる立場の人たちへの伝達、多層間の対話であり、同業内での活動には意味がありません

科学コミュニケーションを学術化、組織化することは、すなわち同業者の集まりを作ることであり、本質に反することになります



さて、科学コミュニケーター的な活動をする方々の中に、「科学は社会の役に立つ。だから、科学を伝えることはよいこと」と思い込んでいる人が少なからずいます。

それはその人の価値観としてはよいのですが、エスカレートする場合がよくあります

「自分たちは社会によい活動をしているのに、それを受け入れようとしない社会はおかしい、間違っている」

さらには、

「社会によいことをしている自分たちに、適切な処遇、報酬が保証されないのはおかしい」

などなど

押し売りになっていないか?よく確かめた方がよいかもしれません



活動に対する対価も問題になります

ほとんどすべての活動において、活動について、クライアントから適正な対価を受け取ります

例えば、演劇、音楽などのアートであれば、観衆、聴衆より、採算がとれるかはともかく、ある程度の対価をもらう、というのはわかりやすい、と思います

ところが、これが科学であると、無償でおこなわなければならない、という無言の圧力があります

科学の活動の多くが、税金が出るために、逆に営利がいけない、ようなイメージがあります

「活動について、クライアントから適正な対価を受け取る」ものになっていかないと、科学コミュニケーションはいつまでも保護下のまま、という気がします



つれづれ、思いが生まれた研究会でありました









2011年02月17日

東大弥生講堂で開催された「越境する数学」

に参加しました。



このパネルディスカッションは

カソウケン内田麻理香さん

の司会で行われました


でも、「越境する数学」のパネリストたちは、みんなゴツゴツしていて、一癖も二癖もある、つわものぞろい、です

ぶつかりあって、物別れで、終わり、なんて、ことにならないかしら?


実は、そんな雰囲気とか、デス・スパイラルにはまりそう、という危ない場面もありましたが、ゴツゴツぶつかる中から、異分野の人たちとの交流から生まれる創発について、おもしろいお話がありました

かいつまんで書きます



・新しいヒラメキが生まれるのは、異分野の人との対話から。同じ分野の人が考えることは既にわかっている


・異分野といっても、あまりに遠い人だと、難しい。逆に近過ぎると、ありきたり。近過ぎず、遠過ぎず、ヒラメキが生まれる適度な距離があるのでは?


・全く違う分野(例えば、土木と医療と電機)の人、それぞれとの話を組み合わせると、結びつくものがあり、自分が仲介になることもある

・異分野の人と話していると、「重要なのにやられていない課題」、「自分が持っている武器がぴったりはまる課題」が見つかることがあり、そういう場合だと、最小の努力で最大の成果が得られる

・異分野の専門家が、経験と勘で行っており、本人も気づいていないのだが、定式化できそうなことがある。これができれば、素人もプロの技術を獲得できる

・異分野の人と話していて、「来た!」と感じる瞬間がある。その「来た!」と感じたテーマを研究対象とすると、かなりの場合、成功する




2011年02月13日

成長するためには次々にビジネスを出す モバゲーだけじゃない DeNA社長南場智子さん

で、


●選んだ選択肢を正しくする

正しい選択肢を選ぶことは大切だが、もっと大切なのは、選んだ選択肢を正しくすること


と伺いました


「ハーバードの人生を変える授業」ポジティブ心理学

で、


最高の出来事が起こるのではありません

起こった出来事を最高のものにできる人がいるのです


とあります。


これは、解釈と行動という2つの面から、なされると考えます

これをアスリートの例で考えます

オリンピックで金メダルを取って、燃え尽きてしまった人もいれば、オリンピックに次点で選ばれなかったが、その後、コーチとして多くのオリンピック選手を育て上げた人もいます

いいでしょうか?その時点ではオリンピックに選ばれたほうがいいし、金メダルを取った方がいいんです

ただ、その起こった事実をどう解釈し、行動していくか?はその人自身の選択次第です

「オリンピックに次点で選ばれなかった」というネガティブな出来事にだって、次のチャンスが潜んでいるのです


自分では選ぶことができない「起こった出来事」はともかく、自分で選んだ選択では、「あちら選択肢を選べばよかった」と悔やむことがあるかもしれません

しかし、選んだ以上は、そのようなことを考えるよりも、選んだ選択肢を最高にするように行動した方が、ずっといいでしょう


これからのモットーです

「最高の選択をする」よりも「選んだ選択、起こった出来事を最高にする」




2011年02月12日

「TAK」さんは好きではないけれど、世の中には、文系、理系という大きな壁があります

大学入試の時に、法学部、経済学部、文学部などが文系、工学部、理学部、医学部などが理系、ということでしょうか。

大学入試のために行われた区分けなのだから、学生同士はそんな壁を取り払って付き合えばいい、と思うのですが、「壁」の影響は大きいです

1年生の時は、それほど壁は意識されないのですが、専門が決まる2年生後期からは壁が大きく、友達関係にも影響します

理系の学生の立場から書くと、実験、演習で時間的、空間的に拘束され、同じ学科の学生としか、一緒に過ごさなくなる

たまに、文系の友達と会う機会があっても、法律、経済を勉強している彼ら彼女らとは、だんだん話が合わなくなる

こうやって文系、理系の間の壁は、どんどん強固になっていきます


文系の道を歩むとしても、IT技術の基本は必要だし、金融には確率密度関数など、理系の知識が必要です

また、理系の道を歩む多くの人たちにとって、フーリエ級数、複素積分よりも民法・契約編の方がはるかに利用頻度が高いでしょう


理系でやっかいなのは、文系と理系の壁に加えて、学部後期、大学院に進むに連れ、専門の壁が高くなることです

例えば、同じ理系であっても、機械と化学、など、専攻が違うと、付き合いがなくなります

それどころか、同じ専攻でも、隣の研究室は何の研究をしているのか?知らない、ほど、壁は強固になります


最近、専攻の壁、大学の壁を超えたつながりを築こう、という学生同士の試みが、行われるようになりました

「TAK」さんもこのような試みを応援しています


ただ、ひとつ気になるのが、多くのイベントが「理(工)系学生同士の」というもので、専攻の壁、大学の壁を超えようというものでありながら、文系と理系の間の壁を自ら築いていることです

いきなり、文系と理系の間の壁を超える、と言っても、共通の話題も少ないので、まず、「研究」を切り口に、専攻の壁、大学の壁を超えるという試みには賛意を表します

でも、できれば学生の内に、文系と理系の間の壁を超えたいものです

「社会に出れば、文系も理系も一緒に仕事するのだから、文系と理系の間の壁なんて、なくなるのでは?」

という人もいるでしょう。

確かにその通りです。ただ、社会に出ると、今度は業界の壁ができます。

異なる業界では付き合いが少なくなります。異業種交流会が盛んに行われるのは、その業界の壁を超えようとする試みです


ということで長くなりましたが、学生の間に、文系と理系の間の壁を超えた友人関係を築きたいものです

5年先の夢を名乗って、未来の名刺

に「TAK」さんのこの辺の事情を書いていますので、再掲します



研究室の先輩とのつながり、研究室が事務局を務める研究会活動などは結構しっかりしたものでしが、極めて狭い業界、会社に偏っており、そのため、先輩方、研究会に集まる社会人の方々の発言も似たもの、でした。

その研究室が直接携わる業界とは違う分野に職を得た私は、研究室、学科を中心に形成され、信じられていた考え「日本で最も優れた企業は○○」が、その世界でしか信じられていない、他の世界では全く通用しないもの、であることを知りました。その後、しばらく研究室に行くこともありませんでした。

同じ頃、テニスサークルを始めました。スケジュールは同じ学部の方が立てやすかったけれど、気のあった創設メンバーがいろいろな学部に分かれていたため、文理融合型で、法、経済、文学、工学、理学、農学、医学と、いろいろな学部の者がいました。

一応、一緒にテニスをするために集まったのだけれども、結果的にもっと大切だったのが、それによってできた人と人とのつながりでした。卒業生の就職先は銀行、商社、官庁、メーカー、大学と極めて多方面に及び、また、サークルが縁で家庭を築くことになったカップルも数多く、参加した人たちの人生に大きな影響を与えました。

研究室とテニスサークルでは、目的も活動内容も根本的に違うので、単純な比較はできません。ただ、研究室に閉じこもっている人たちが、同じ趣味、関心をベースに集まるところがあれば、何か変わるのではないか?そんなことを考えました。








2011年02月09日

久しぶりに
ソウルオリンピック銅メダリストの田中ウルヴェ 京さんの

キャリアトランジション勉強会

に参加します。


110208yaginuma今日のゲストは元オリンピック日本代表でプロフィギュアスケーターの八木沼 純子さん

テレビで見るよりも、少し小柄で、きりっとした感じのきれいな方です

いつも通り、「TAK」さんは前列に座りますが、今日は入場者が多く、会場を詰めているので、八木沼 純子さんに、手が届きそうな間近でお話を伺います

「ちょっと「TAK」さん、勉強会よりも、八木沼 純子さんを見に行ったんでしょう?」って?

否定はしません


さて、ちょっと失礼な書き方になってしまうかもしれませんが、正直に書きます

八木沼 純子さんは、1980年代後半から1990年代前半にかけて、日本では2、3位を争う女子フィギュアの選手でした

断然トップは女子で世界初のトリプルアクセルを飛んだ伊藤みどり選手でした

中学3年の時に、世界ジュニアでクリスティー・ヤマグチ(1992アルベールビル金メダリスト)に次いで2位になり、全日本選手権でも2位となり、伊藤みどり選手と共に、1988年のカルガリ・オリンピックに出場します。

この時は、世界ジュニアが目標で、まさかのオリンピック出場で、結果は14位に終わるのですが、次のアルベールビル(1992年)、リレハンメル(夏と冬の同時開催を変更するため、変則的に1994年)を狙っていたそうです

初出場のカルガリ・オリンピックは金メダリストのカタりーナ・ビットなど、世界トップ選手のオーラを感じて、自分の実力不足を実感する場、だったそうです

しかし、まさかで出場したカルガリ・オリンピックが唯一のオリンピック出場、となってしましました

アルベールビル、リレハンメル共に次点で選出されませんでした

もちろん、アルベールビル、リレハンメル・オリンピックに出たかったそうです。14歳ではなく、大人の視点でオリンピックに出たかった、ということです

「TAK」さんは、どうしても聞きたかった質問があります。

失礼かもしれませんが、この機会を逃すと、次はない、と思った方がよい、でしょう。勇気を出して質問します。

「私はアルベールビル、リレハンメル・オリンピックに八木沼さんの出場を期待していました。今から振り返ると、どうすればオリンピックに出場できた、と思いますか?」

八木沼さんの答えは簡単でした。

「選考会の4分の演技でジャンプに転ばなければ、オリンピックに出場できました」

同じレベルの選手たちが、選考会でひとつの椅子を争います

選考会の日に、たった4分間に、調子をピークに持って行って、実力を出し切らなければ、オリンピックには出場できません


これ以外にも、面白いお話がありましたので、紹介します


●伊藤みどり選手は凄かった。格が違った。

今でこそ、荒川静香、浅田真央など、世界レベルで戦う日本選手が出てきています

当時は、世界レベルで戦ったのは、伊藤みどり選手だけだったでしょうか?

彼女だけは、ダントツに格が違ったそうです

通常、ジャンプは飛び出しで成功、失敗がきまりますが、彼女は失敗ジャンプを途中で修正して、成功させることが出来たそうです

また、競技だけでなく、国際試合でのマナー、ルール等を後進に教えたのも彼女だったそうです

また、カタりーナ・ビット、クリスティー・ヤマグチなど、金メダリストたちは、そばにいるだけで、発するオーラが伝わってきたそうです


●メダルを取れなかったオリンピック選手だからこそ、やれることがある

金メダリストの重圧、達成した後の燃え尽き、は相当なものです

一方、メダルを取れなかったオリンピック選手だからこそ、やれることがあります

一回一回が勝負です


●調子の出来不出来は、すぐに伝わる。観客から「頑張れ!」が出た時はつらい

演技の出来不出来は競技者本人もわかりますが、観客にもすぐに伝わります

観客から「頑張れ!」という声が聞こえた時は、不調が観客にも伝わっていることを確認することになり、つらい、そうです


●ひとりで滑るのが選手、観客と対話しながら滑るのがプロ

選手の時は、実力を最大限に出し切るのがミッションです

引退後、プロスケーターになってからは、それだけでは不十分で、観客に伝えながら、対話しながら滑る、ことの大切さを感じている、そうです







2011年02月06日

東大本郷キャンパスで開催された

知の構造化センター シンポジウム

に参加します


20世紀までの知的成果は、主に紙、書籍の形で生産され、蓄積されてきました。

これらの紙、書籍による知的集積は、どんどん埋もれていき、活用されない、という残念な宿命がありました

どんなに意義深い文章であっても、何百ページもある書籍の中に書かれたものは、再び読者の目に触れなければ、活用されずに埋もれていきます

ところが、インターネット時代の到来とともに、これまでの紙による知的集積がデジタル化されるようになりました。

するとコンピューターによる検索技術により、埋もれていた知的遺産が、再び活用されるようになりました

文献資料だけでなく、放送局、一部のマニア収集家が持っていたフィルムなどの映像資料もデジタル化され、専門家でなくても活用できるようになってきました


現在の知的遺産再生化は、Googleなどの検索エンジンによる「検索」による、知識の掘り起しが主体です

しかし、その後、掘り起こされた知識同士が有機的に結びつき、新たな知識を生み出す、ことも期待できます


「知の構造化」は始まったばかりで、どのように展開していくのか、まだまだ多くの可能性があります

このシンポジウムでは、いろいろなヒントが示されました


・知識は探されるためにある。

・知識社会では知は急速に変化する。

・知識は、構造化され、解体される。

・獲得した知はすぐにサービスに使う


機械化、交通機関の発達により、人類ができる仕事は爆発的に増え、行くことができる場所が広がり、それまでは、不可能と考えていたことができるようになりました

コンピューターの発達、および一般市民への普及により、知的検索、知的生産なども、これまでは不可能と考えていたことが可能になります

知的資産のマイニングには気付き、対話、出会い、があります

「知の構造化」により、これからどんな世界が創られるのか、楽しみです











2011年02月02日

「ハーバードの人生を変える授業」ポジティブ心理学

で、


ポジティブ心理学とはポジティブ・シンキングとは違う

ポジティブ心理学とは、「なぜオプティミストは成功するのか」を書いたマーティン・セリグマンが提唱したもので、「人がよりよく生きるためには」を研究する心理学で、欝などの状態に陥るのを予防するもの

例えば、庭の草むしりをするにしても、ぶつぶつ文句を言いながらも、楽しく歌を歌いながら、もできます

すなわち、ポジティブは選ぶことができます。さらには、学習することもできるそうです

幸せだから、もっと幸せを引き寄せる、幸せなことが起こる、ともいうことが出来そうです


と書きました。

ポジティブ心理学は、幸福、楽観性、ポジティブ感情、強み、レジリアンス(逆境からの立ち直り)など、多岐に渡ります

と読み直していると、


シンクロナイズド・スイミングの銅メダリスト田中ウルヴェ京さん

と神戸大学の金井壽宏先生

が、



レジリアンス(逆境からの立ち直り)は、しなやかさ

強いメンタルは必要ないと

もっとも大事なのは、しなやかなメンタル

強いメンタルは、壊れやすい


という会話をtwitter上で見つけました


頑強で少しくらいのことではへこたれないメンタルもいいかもしれません

でも、頑強なメンタルは、プッツリ折れてしまった時に立ち直れないかもしれません


ちょっとしたことでへこたれてしまうかもしれないけれど、すぐに立ち直ることが出来る「しなやかな」メンタルの方がずっと実用的かもしれません


レジリアンス(逆境からの立ち直り)は、しなやかさ

しなやかなメンタルを目指します

今日もまたひとつ勉強になりました







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