2011年05月

2011年05月26日

地域社会から都市型社会へ移行して、コミュニティーへの帰属が希薄になった、と言われて久しいでしょうか?

その一方で、ネット社会の普及により、実社会だけでなく、ネット上の社会で、会ったことがない同士のコミュニティーが形成されています

このコミュニティーが現代のキーワードですが、生活ステージを考えると、一応の強制参加が基本の高校までと、一見、参加が義務のようでありながら、自由である大学、社会人とで、その展開が異なるようです

「3・11以降の「空気」と若者のこれから」に参加しました

で本田由紀氏から伺ったお話です


個人は望まないのに、あるコミュニティーに強制的に所属することを求められます。それが会社、学校、学級あるいは家族であったりします

コミュニティーを維持するために、個人はむりやり同調することを求められ、個対個の関係は極めて表層的なものになります

そのコミュニティーは、「選択と排除」が苛烈になります。そして、その責任はコミュニティーが負うのではなく、個人に帰結します

若者は、「自分は能力がある」と思っている者、と、「自分は能力がない」と思っている者に二極化します

前者は、社会は自分を受け入れているので、特に社会を変える必要はない、と考えます



小学校、中学校、高校では、とにかく家族と一緒に暮らし、学校へ行くことが求められます

つまり、あるコミュニティーに強制的に所属することを求められ、脱退することが困難なのをいいことに、「いじめ」があったり、します。

どこでも、出入り自由であれば、「いじめ」があれば、別のコミュニティーへ行けばよいのですから、あまり問題はなくなります

つまり、「あるコミュニティーに強制的に所属することを求められる」ことが問題の一因です


ところが、大学以降は様相がガラッと変わります

一応のクラス分けはあっても、取る授業は自由だし、ゼミ、課外活動のサークルだって強制参加はなく、原則自由です

でも、社会人は会社に就職するのだから、会社というコミュニティーへの強制帰属が求められるだろうって

異分野融合から創職時代へ

に書きましたが、


創職とは起業とイコールの概念ではない。

創職とはもっと広い概念なのだ。

社内での新規事業の立ち上げ、フリーランス、コミュニティビジネス、社会起業、ベンチャー起業、・・・そのそれぞれすべてを包含した概念が創職なのだ。

何も、全財産なげうって起業し、上場することだけが創職じゃない。自分のちょっとした強みとネットワークをいかして、人々を巻き込み小さな仕事を生んでいく。社内でも社外でもどこでもいい。それも立派な創職のあり方なのだ。


あるいは、

創職時代の生き方

に書きましたが


創職の例として、「副業男子」「プロボノ女子」が挙がっていますが、同窓会の幹事でも、地域コミュニティーのまとめ役でも、「自分のちょっとした強みとネットワークをいかして」できることを指します。


つまり、コミュニティーとは自分のネットワークを活用して、所属する会社の壁等、関係なく超えて、どんどん作っていくものです。

その考え方を更に進めたのが、

「評価経済社会 僕らは世界の変わり目に立ち会っている」に参加しました


このような社会では、人は会社のような一つの組織に属しているのではなくなります。


複数のコミュニティーに属することになります

コミュニティーにはそれぞれの価値観があります。自分の価値観と合致しているものを選んで属することになります

優れたコミュニティーに属していると、すぐに情報が得られ、また間違った情報が流れていても、すぐに訂正されます

メディアリテラシーとは、個人の能力よりも、コミュニティーの力になります

このような社会になると、注目を集めたい人は、お金をもらうのではなく、タダで、あるいはお金を払ってでも、やるようになります


ただ、ここで気をつけなければいけないことがあります

誰でも、どこのコミュニティーに参加することは可能であるとして(実際には条件がある)自分の価値観とそのコミュニティーの価値観が合致していることが前提です

さらには、そのコミュニティーから情報を得るなど、だけではなく、そのコミュニティーにおいて、役割を果たし、ある貢献をしなければ参加する意味がありません

コミュニティーに「ぶらさがっている」だけの人など、誰も相手にしてくれません

また、コミュニティーとて、参加の魅力が薄れれば、優良な参加者が離脱し、さらに魅力を失っていくことになります

複数のコミュニティーに参加していると、株式のポートフォリオのように、その時の自分、コミュニティーの状況により、それぞれのコミュニティーへのコミットメントの割合が変わってきます

ある時はAコミュニティーへ、また、ある時は、Bコミュニティーと、時空を超えて、タイミングに合わせ、また、生態系を図りつつ参加することになります


これって、今の段階でとても結論は述べられません。これから、どう展開していくのか?楽しみです





2011年05月25日

いささか、このブログに似つかわしくない、哲学的なタイトルです

研究活動とは美しいアートである

で書いたアーティストの方々と恋愛の話もしました。興味深いので紹介します

なお、もちろん性的描写などの話もありましたが、もちろん「TAK」さんはリライトしちゃいます。残念でしょ。


作品が重視されがちだけれども、アーティストにとっては、作品以上に創造するプロセスが重要であったりする


と書きました。


恋愛には、

・まず恋愛対象をゲットする

・そのゲットした恋愛対象と紡ぎあげていくプロセス

があります


まず、恋愛対象ですが、

・恋愛のことだけに必死な「面白い人間」なんて、お目に掛かったことがない

・恋愛自体が目的の恋愛ってイメージできない

・本当に好きになるって、しようと思ってできるものでもない


なるほど、では、どうやって恋愛が始まるのでしょうか?

・恋愛自体が直接の目的ではなくて、どこかに共感する部分があり、そこから恋愛が起こることもある

・共感って言うか、そのひとの価値観と、それを表明するアティテュードのひりひりする感じに感銘を受けるような相手。そうじゃない人を好きになることもたまにはあるけど、めちゃめちゃ好きにはならない


なるほど、では、どんなフィールドの方々が恋愛対象となるのでしょうか?

・フィールドが近いと思想的な細かい相違が苦しくなるのが経験的に読めてるので、同業は避けたい

・ちょっとだけ見方をずらしてくれる人ですね。やはり距離感大切です


恋人でも夫婦でも価値観がある程度共通しますが、お互い相補うのであれが、あまりに、がちんこで全く同じ価値観、よりも、少しだけ違う見かたが出来る同士がいいようです



・いいおとこに会って(何かしらの意味で)磨かれる、っていうのは、いいおんなの形成の必要条件。

もちろん、逆も真なり。いい男、いい女になるためには素敵な異性に出会って磨かれる、というプロセスが欠かせないようです


・インフレーションは起こるし、インフレーションが起こるってことは、機会の不平等によって簡単に格差が拡大するってこと

これって、実感しますよね。いい男、いい女には素敵な異性がたくさん引き寄せられて、一方、そうでない人たちは・・・・・



・美人とかモテとかっていうのは、半分はオーラ、思い込みの後から付いてくる

一度引きつけられて思いを寄せると、後は勝手に自分の中で妄想を拡大させていくのでしょうか?



・これまでに本当の本気で好きになったり影響を享けたり信頼を寄せたりした異性は複数名いるんですけど、そのうちの誰が欠けても、わたしは今みたいになれなかった


それぞれの人について、自分のなかで占めている場所が、他の人で埋まることはこれから先もずっとない。「フォルダ保存型」みたいなもの。
だから、ある人を失ったことを他の人で補充することはできない


本当に参考になりました。「TAK」さんとお話してくれたアーティストの方々、ありがとうございました。




2011年05月23日

『成長』をテーマにしたワールド・カフェ

に参加します

ブログをいつも見ていただいている方には恐縮ですが、毎度毎度のワールド・カフェの解説です

ワールドカフェとは、

知的に創発する場「ワールド・カフェ」

に書きましたが、


自然発生的に各テーブルでテーマについて対話が始まりました。

しばらく経過したところで、各テーブルにホストを残して、他のテーブルに移って対話をします。

また、元のテーブルに戻って、他のテーブルへの旅で得たアイデアを紹介しながら、対話を続けます。

最後に、全体で対話の内容をシェアしたところ、全体で共有化できた、というものです。


これが広がって、あるテーマに関する会話の生きたネットワークを意図的に作り出し、知恵を共有し、行動を引き起こす、ことに使われるようになりました。



今日のテーマは「成長」です

案内文によると、


大人になっても学び続ける姿は、まさに成長を意味していますね。 
 
一方で、個人や組織の「成長が止まった」と感じるときもありませんか。
  
構造の発達と大きさの増大とも言われる成長。

それを実感するときもあれば、そうでないときもあると思います。
  
人は何を求めて成長し、どこに向かっていくのでしょうか。

ぜひ皆さんで「成長」をテーマに対話を楽しんでみませんか。


あえて漠然として、抽象的なテーマを設定して、参加者の考え、経験をシェアし、そこから何かが生まれるのがワールド・カフェ の醍醐味です

ただし、出たアイデアは模造紙に書くので、メモするのが難しいです。今回はメモを取れなかったので、思い出しながら書きますが、これってもったないので、次回からはノートにもメモします(スマートフォーン等もいいかしら?)


出たアイデアの中から覚えているものを書くと、

・成長は自分で実感できる場合と自分では実感できないけれど、成長している場合がある。

・自分では気づかないけれど、周囲は自分の成長を感じている場合がある。

・ある時点で、過去の自分を振り返って、成長を感じることがある

・成長するといままで目標と考えていた「山」に隠れたもっと高い山に気づくことがある。

・得意分野以外の仕事をして、結果はでないが、幅が広がることがある。これも成長

むしろ、後になってこういった時の方が、大きな結果を出すことになる。

結果が見える、見かけの成長に惑わされてはいけない

・良いか、悪いか、は別として、成長は周囲、他者との比較、で、気づくことが多い

特に、同級生の活躍を見たり、聞いたりすると、「自分も頑張らなきゃ!」と思う

・会社の中で、「同期で一番出世」と喜んでいたら、同級生が果てしない活躍をしていて、つまらないことに満足していた自分を恥じた。

やはり、他者との比較はあるので、出来る限り、比較対象となる社会は狭いものではなく、広く、かつ、優れたものとしたい


などなど


自分だけ、あるいは普段所属する職場だけでは得られない「気づき」をくれて、考えもしなかったアイデアを創発させてくれるカフェでした

アイデアだけでなく、素敵な人々との出会いもあったことを書き加えておきます







2011年05月18日

東大駒場キャンパスで行われた

3・11以降の「空気」と若者のこれから

に参加しました

講演者は「「ニート」って言うな!」などの著作がある本田由紀氏と「自分探しが止まらない」などの著作がある速水健朗氏

当然ながら、会場は満員で、学生さんの中に相当数の社会人がいます


3・11以降の「空気」と言っても、まだ2カ月しか経っていません

被災地から遠く離れた首都圏でも、震災直後の帰宅難民、その数日後の計画停電、それに伴う電車の運行の乱れ

などなど、便利で豊かな時代では、空気や水のように、当然だった前提が脆くも崩れました

首都圏では震災直後に比べると平穏を取り戻しつつあるものの、

日本の価値観の大きな転換点 2011.3.11

に書いたように、


「生きていくために必要なもの」が欠乏するそれがあり、「おまえが無駄遣いしているせいで」と非難されることを回避し、欠乏してする時は、生活上の不便を余儀なくされる、社会になってしまいました

「こんなに危険な原発は廃止」とするのか?「こんなリスクがあるけれど、やはり原発は必要」とするのか?は今後の世論の動向をみる必要があります

「生きていくために必要なものは取りあえず、そろっている」社会から、「生活上の不便を余儀なくされる」社会への移行が、日本人の価値観のどのような変化をもたらすのか?


など、何がしかの変化をもたらすことは間違いありません


本田氏は現代社会を「充満と欠落という両極端の混在」と表現しました

個人は望まないのに、あるコミュニティーに強制的に所属することを求められます。それが会社、学校、学級あるいは家族であったりします

コミュニティーを維持するために、個人はむりやり同調することを求められ、個対個の関係は極めて表層的なものになります

そのコミュニティーは、「選択と排除」が苛烈になります。そして、その責任はコミュニティーが負うのではなく、個人に帰結します

若者は、「自分は能力がある」と思っている者、と、「自分は能力がない」と思っている者に二極化します

前者は、社会は自分を受け入れているので、特に社会を変える必要はない、と考えます


一方、後者は、自分は社会を変えること等できない、と考えます

震災後、若者のボランティアがたくさん集まりました

この若者ボランティアには両方の若者が含まれています

「能力がある自分は社会に貢献できる」と考える前者、「能力がないなりに、社会に対して何か出来ることがあるのでは?」という後者

つまり、震災前後で、「社会は変わらない」から「社会を変える」に変わり始めました


この変化が何をもたらすのか?まだまだ見守る必要があります


速水氏は避難所を例に挙げ、コミュニケーション能力について話しました

東北地方等の被災地中心以外でも、震災直後は首都圏あるいはその他地域でも短期間ながら、避難所が開設されました

地方の避難所では、自宅から集まってきた独居老人たちが、自宅が復旧しても帰宅しない、という現象があったそうです

仲間がいることを発見した、被災ユートピア現象です

一方、震災が起こった日は、知らない同士が助け合う、などが見られましたが、すぐに避難所から離れて行きました

自宅には帰れなくても、誰も知らない避難所ではなく、自分が知っている人が何人かはいる場所に移動しました

速水氏は、転勤族だった自分のご両親を例に挙げ、若者のコミュニケーション能力が問題となっているが、実は年齢を増すにしたがって、コミュニケーション能力の重要性が増し、サバイバル能力につながるのではないか?と言っていました

速水氏の父親は、郵便局に送金に行っても、市役所に手続きに行っても、行く先々で相手と喧嘩してしまい、誰からもお呼びがかからない状況だったそうです。どこに転勤しても同様の現象が続きました

一方、母親は面倒見がよくて、近所の集まり、学校の集まり、で、どんどん友達を増やしていきます

転勤で全国を回るため、日本中に友達がいます。

老人ながら、ブログ、メール、FacebookなどのIT技術を駆使し、友達のネットワークの維持、拡大を図っています

両極端なご両親を見ながら、ある程度の金、IT能力、コミュニケーション能力があれば、どこでも暮らしていけるのではないか?と感じるそうです

震災が与えた影響はまだまだ不明な点、これから起こることも数多くあるでしょう

これまでのトレンドにブレーキをかけるもの、一層加速するものがあるでしょう

お二人の講演はこれらについて何がしかのヒントをくれました。これらについて見守っていきたい、と思います






2011年05月16日

5/14東京MOT会「MOT(技術経営)を専攻に活かす方法」

に参加しました(講演会編)

東京MOT会は「MOT大学院同士の横のつながり、があるといいな」というニーズをもとに、

MOT、MBAの在校生に限らず、MOTで学びたい人、MOTを修了した人など、 とにかくMOTに関心がある人が「ゆるやかに横のつながり」を持つ場です

今回は「MOTを専攻に活かす方法」をテーマとしました

案内文では、


大学院に進学する時に、

「自分の専攻の大学院に進むか?それともMOTに進むか?」

迷っている方がいるのでは?と思います

また、社会人で大学院に行こうと考える場合も同様の悩みがあるのでは?と思います

どちらかひとつを選ぶのではなく、両方選んでしまう方法があります

自専攻の他にMOTを副専攻とできたり、博士課程に在学しながら、MOTでも学べる大学もあります

実際にこれらのコースで学んでいる方々からお話を伺い、「MOTを専攻に活かす」にはどういう方法があるのか?

みなさんと考えてみたい、と思います

現役学部生、大学院生に限らず、広く社会人の方も対象に、MOT大学院への進学を検討されている方に是非ご参加いただきたい!と思います

博士課程に在学しながら、MOTでも学んだ方、自専攻の他にMOTを副専攻とした方4名からお話を伺います


としています。

「TAK」さんもスタッフとして、早めに会場に行って、準備をしていたのですが、予想以上に参加者が来て、机、椅子が足りません。あわてて、隣の教室から持ってきます

参加者は大学生、大学院生、から社会人まで、かなり多様な年代です。男女比率は7:3というところでしょうか?


「博士課程に在学しながら、MOTでも学ぶ、自専攻の他にMOTを副専攻とする」訳ですから、単純に考えて、通常の大学院の2倍のスケジュールが積み込まれることになります

それゆえ、その期間は多忙を極めます。特に、社会人学生は職場、家族に理解してもらうことが大切です(もっとも、この職場、家族の理解を得ることも実力のうち、ですが)

平日は深夜、明け方まで論文を読んだり、レポートを書いて、土曜日も終日、授業、ゼミ、グループワーク、日曜日すら、それら当てること毎日になります

それだけの覚悟はもって臨むことになります

加えて、主専攻の研究室の教授から、MOTの授業、ゼミに参加する際に、「研究をさぼっている」などと思われないような配慮も欠かせません


研究とは、専門的で、条件を限定し、深掘りする、ことが必要になります

一方、技術経営とは、俯瞰的、横断的なものです

それゆえ、脳の活動の使い方が相当異なります

研究成果を社会に活かす、ことまで考えるのであれば、主専攻とMOTの履修は大変有効です

特にありがちなのが、工学系大学院の修士レベルの研究では、研究テーマを自分で決めると言うよりは、研究室全体(博士および先輩修士の研究テーマとの調整、卒業生テーマの継続など)の都合で研究テーマが割り振られることが多く、ある前提条件で、決められた変数を少しだけ変える、のような、極めて狭い範囲での研究になります

このような状況下で「専門バカ」にならないためには、俯瞰的、横断的なMOT的視点を持つことが有効です

加えて、研究成果を特許化、さらには事業化、起業など考えるのであれば、専門的知識だけでなく、経営に関する知識、スキルが不可欠です


主専攻でもゼミ、研究発表はありますが、MOTではより多い頻度で、しかも異なるメンバーでグループワーク、プレゼンテーションがあります

グループワークではいろいろなメンバーとのチーム活動、プレゼンテーションでは発表して、いろいろな聴衆に理解してもらうアート、が必要になります

これらの能力は通常の研究生活からは得にくいのですが、これらが加わると非常に強力になります

また、主専攻で知り合う人々はその分野に比較的限定されますが、MOTでは幅広い分野の人たちが集まります。人的ネットワークは確実に広がります


主専攻が工学ではなく、理学が専攻の講師もいました

「科学は面白いけれど、すぐには社会には役立たない。

科学と社会をつなぐツールがMOT。自分がやれること、幅が広がる」

という説明がありました

ただし、講師全員が共通した見解が、

「博士もMOTも学位取得を目的化してはダメ、学位取得は通過点で、どう活かすかがポイント」

ということでした


その後、懇親会がありましたが、その模様は

B面ブログ:創造とコミュニケーションの実践:5/14東京MOT会「MOT(技術経営)を専攻に活かす方法」懇親会は大盛況!

に書きます






2011年05月12日

東京大学情報学環林香里研究室「メディア研究のつどい」

に参加しました

案内文によると、


近年の米国で、長い歴史を誇る新聞社の休刊や廃刊が相次いでいます。

生き残っている新聞社も多くは取材拠点を縮小し、記者や編集者をレイオフしています。

このためジャーナリズム大学院を卒業しても報道機関への就職はきわめて困難な情勢です。

しかし、米国ジャーナリズム界は必ずしも「暗いニュース」に満ちているわけではなさそうです。

なぜなら、従来型の新聞に変わって、「ハイパーローカル」と呼ばれるメディア活動が活発におこなわれているためです。


講師はTBSワシントン特派員を経て、UCバークレー校ジャーナリズム大学院で学位を取得したジャーナリストの三重綾子さんです

Information wants to be free.

「情報は自由になりたい」という意味と「情報は無料になりたい」という意味があります

以下、三重さんの講演よりも、むしろ三重さんの講演を伺いながら、「TAK」さんが考えたことを書きます


日本だけでなく、アメリカでも新聞の有料購読者は減少し、報道関係者が職を失っています

新聞は紙からWebへ急激に移行しています

紙の記事では、どの記事が読まれているのか?わかりませんが、Webではどの記事が、どんな媒体(PC、スマートフォーンなど)で、いつ読まれているのか?詳細にわかるという利点があります

テーマ、題材によって、発信手段(活字、写真、動画など)を選ぶと有効な伝え方ができそうです

実は日本の報道機関が弱いのがこの部分だったりします

すなわち、報道機関がウェブサイトを持って、一部の記事をウェブに移行すると、それで終わりだったりします。これをマルティメディアと呼んだりしています

本当のマルティメディアとは、インターネットの特性を駆使して、読者が求める情報を、媒体に適した形で発信するものではないでしょうか?



インターネットの普及によって、個人が情報発信するブログが盛んで、口コミ情報もブログで伝わります

ただ、ブログは何らかの2次情報であったり、個人が趣味でやっているので、発信が不定期、情報の正確性が欠ける、などの問題もあります

ジャーナリズムが、記事を一次取材し、事実かどうか、確認し、洗練された記事を読者へ、というものであるとするならば、ブログはジャーナリズムとは異なります

一方、アメリカで活発になってきた「ハイパーローカル・メディア」は、ジャーナリストが、大手メディアが扱わないニュース、あるいは、国際的、国内的な大ニュースが地域にどのような影響をもたらすか?のような部分を対象に、記事を一次取材し、事実かどうか、確認した上で、発信します


最初に「情報は無料になりたい」と書きました。そういった状況で、ジャーナリズムがどういう収益モデルを目指すのか?難しいところです

ただ、「ハイパーローカル・メディア」の「ローカル」が地理的な意味だけでなく、分野的なローカルであるとすれば、例えば、


・難病にかかっていて、名医にかかりたい。ウェブ上に情報、口コミはたくさんあるが、信頼できる情報が欲しい

・あるテーマの研究をしたいが、どの大学のどの先生の研究室が最もふさわしいか?

など、ある特定分野について、本当に必要としている人向けの情報であれば、もちろんタダではなくて、相当な値段であっても、ほしい人は求めます


「良質な情報はタダではない」


始まりと逆の言葉で講演は締めくくられました










2011年05月09日

「TAK」さんが食事、懇親会でご一緒させていただく人たちは、ほぼ例外なく、「夢を実現していく途上の人たち」です

夢を実現していく途上の人たちと会って、お話をしているとたくさんの元気をいただいて、物凄く元気になります

(「ほぼ」と書いたのは、寂しいおじさんたちの会社の愚痴をいう飲み会も完全に断る訳にもいきません。極力早く切り上げますが)

プライバシー、個人情報もあるので、伺ったお話をそのまま掲載することはできませんが、「TAK」さんがひとりで持っているよりは、シェアしたいので、公開可能な範囲でシェアさせていただきます

なお、女性から伺ったお話に限らせていただきます(素敵な話を聞かせていただいた男性の方々、ごめんなさい。でも、気持、わかりますよね?)


Aさんは笑顔がとっても可愛い女子大生。

大震災後は、居ても立ってもいられず、単身で被災地にボランティアに出かけてしまいました

ちょっと心配だったのだけれど、無事に帰ってきて、笑顔が見れて、よかったです

「被災地の人たちと、どんどんつながりができて、帰ってくるのがつらかったです」

「普通に就活することも考えたのですが、途上国にちょっと長い期間滞在してから、現地の貧困層の方々を見てから、途上国ビジネスがどうしてもしたくて」

と途上国でのビジネスプランを紹介してくれました

「私はビジネスの経験はありません。海外のビジネススクールに留学して勉強したいです」

Aさんは5/10全国女子大生ネットワークフォーラムでも、プレゼンするとのこと、これからも支援します!


Bさんは理系大学院を修了した新社会人

「大学院で研究した内容を分野は少し違うけれど、新たに研究開発して、ビジネスに展開していける仕事になりそうです」

そう話してくれる瞳がとても輝いていて、チャーミングです

「3月にシリコンバレーツアーに行ってきました。

やっぱり世界中の研究、ビジネスの頭脳が集まるところは違いますね。物凄く刺激を受けました。

留学か、ビジネスか、まだ決めていませんが、必ずもう一度シリコンバレーに行きたいです。」

Bさんは「TAK」さんもスタッフとして関わる、5/14東京MOT会「MOTを専攻に活かす方法」にも参加してくれるそうなので、再会が楽しみ


Cさんは知財分野では著名な大学の先生。政府の審議会の委員も多数務めています

そのCさんから「大学の先生を続けながら、博士課程に入学するので、また女子学生です」という知らせを聞いた時はびっくりしました

「国際的に遅れていた特許など、日本の知的財産戦略はまがりなりにも進んできました。

でも、それ以前の研究、開発のステージで、未熟なところだらけでは、せっかくの知財戦略も活きません。

ある分野の技術の進歩に伴って、予想もしていなかった別の分野の技術がどんどん進歩しています。

発達途上の未開拓分野の研究と知財をつなげることで、いろいろな展開が期待できます」

Cさんも、5/14東京MOT会「MOTを専攻に活かす方法」にも参加してくれるそうなので、楽しみ


お酒はあまり飲めない「TAK」さんがバーのカウンター越しにママDさんとお話しすることになりました。こんな経験初めてです

「大学の時は、法学が専攻だったのですけれど、アートに興味をもってアートプロジェクトに参加したり、イベント・コンパニオンをやって、事務所を通さなくても、依頼が来るようになったので、引き受けたりしていて、卒業まで少し時間がかかってしまいました」

「アートプロジェクトはアートを社会に取り入れたり、逆に、社会にアートを取り入れたり、いろいろと面白いです。

ここのバーもクリエーターの人たちが集まるので、アイデアが融合したり、発信する場にしたいです

でも、仕事をしながら、アートプロジェクトとバーのママを2軒、やるので大変です

でも、20代を走り抜けないと、その後の人生、走れない気がするんです。ちょっと大変ですけれど、走り抜けます」

Dさんは、5/14東京MOT会と同じ時間帯に、まれびとハウスで開催されるパーティ「Without」 のスピーカーなので、ちょっと残念



実現途上の夢を聞かせていただき、元気をくれた美しい女性のみなさん、本当にありがとうございます

また、やはり夢を聞かせていただいたのに、紹介もしない男性のみなさん、ありがとうございます。そして、紹介せずにごめんなさい

これからも、夢を実現していく途上の人たちとたくさん会って、元気をいっぱいチャージします






2011年05月06日

「TAK」さんのお友達の女。MGさん

が、

新貴族の誕生〜賃金労働からの自由が精神不安定につながらない生き方の模索〜

で、


まったく賃金労働しないという極端なスタイルではなくても、1年のうち半分とか、1週間のうち半分だけ、賃金労働、他は、自分の赴くままに生きてみるというスタイルも取ることが可能になる。(むろん、全員がそうなれるわけではなく、いろんなスキルがいることは言うまでもない。)

そして、このようなスタイルを採用する人々をわたしは、「新貴族」とひそかに呼んでいる。新貴族は、「時間」も「お金」もある程度ある。だからこそ、あの冒頭で述べたような贅沢な問いに向き合うことができる。

さきほどから、このスタイルを採用する人々が増えるだろうけど、少数派だとしつこいぐらいに言ってるように、これは結構大変だ。教養やスキルも必要だし、なにより、労働しないで精神不安定にならない心の強さのようなものも必要となる。決して万人にオススメできるような生き方ではない。

とはいえ、わたしは、「新貴族」が増えるといいなと思う。新貴族は、文化をつくる、社会をつくる、浪費する。



と書いているのを見て、「TAK」さんの周囲に、私費で大学院に来ている社会人が、この新貴族ではないか、と考え、それについて書いてみることにします

社費、公費で会社派遣で来ている社会人大学院生は「新貴族」ではありません。彼ら彼女らは、365日出社せずに大学に通うとしても、会社に縛り付けられたままで、「自分の赴くままに生きてみる」とは、程遠いからです


「TAK」さんがいる東大、東工大の社会人大学院に来る人は、ほとんど大企業、官庁に勤めています。一流大学から一流企業へ進んだ人でないと、現役の大学生と対等に試験を受けてうかるのは難しいのかもしれません

彼ら彼女らの年収は

キャリアと収入(1)(年収分布の実態)

に書いた「中の上」(世帯収入 800〜1300万)あるいは「上の下」(世帯収入 1300万〜2000万)クラスがほとんどです

「貴族」を扱うので、ここでは「上の下」(世帯収入 1300万〜2000万)クラスの社会人大学院生について書きます

このクラスの人たちは、上記のように大企業、官庁の管理職で、十分な収入があり、社会一般から見れば、「何の不自由もなく、申し分ない」ことになります

ただ、彼ら彼女らは、在籍する組織の中で「上の中」「上の上」へと上がっていくのは、極めて狭い難関になります。

そのままでは、「上の下」止まりで、やがて「中の上」へ、いや、リストラで「下」へ落ちるリスクもあります

さらに、グローバル化する世界の中では、在籍する組織自体が、いつなくなるかわかりません

であるならば、自分のスキル、経験を活かして、やりたいテーマを大学院で勉強し直そう、と考えています

大学院での学び直しが、在籍する組織でのキャリアアップにつながることもあります。「中の上」クラスの人は、それを期待しているのですが、「上の下」はそれよりも在籍する組織以外でのやりたいテーマでのネットワークの構築に興味があります

「上の下」の人は、在籍する組織の中の激烈な競争を勝ち抜き、「上の中」「上の上」へ上がったにもかかわらず、あっという間に退任、という例をいやというほど見ています

それゆえ、人生を楽しむ意味からも、リスクヘッジの意味からも、在籍組織内でのレースよりも社会人大学院を選択しています

ただし、彼ら彼女らは在籍する組織での仕事、業務をいい加減にしている訳ではありません

仕事のプロでもある彼ら彼女らは業務を効率的にこなし、100%以上の出来栄えです。ただし、120%、150%の残業、休日出勤などは、必要最小限しかしません。定時になると、さっさと仕事を切り上げ、大学院に向かいます。

それを周囲も咎め立てはしません。周囲の認知は十分に得ています

ある意味、彼ら彼女らにとって、在籍する組織での業務は年収1300万〜2000万のアルバイト、であるかもしれません。

「異業種交流会」「勉強会」に参加している人たちは、会社生活にどこか物足りない、キャリアアップしたい、という向上心は持っています。でも、ここまで書いてきた「上の下」(世帯収入 1300万〜2000万)クラスの社会人大学院生のゆとりはありません

企業に入り数年目で「中の中」(世帯年収 300〜800万)で、組織内のキャリアアップを必死に狙ったり、定収入がなく「下」(世帯年収 300万未満)でとにかく、安定した収入を狙ったりと、「ゆとり」がありません

ここで、異論反論が聞こえそうです

「どうやって、「上の下」(世帯収入 1300万〜2000万)クラスになるのか?」

これは、女。MGさんが言うように、


少数派だとしつこいぐらいに言ってるように、これは結構大変だ。教養やスキルも必要だし、なにより、労働しないで精神不安定にならない心の強さのようなものも必要となる。決して万人にオススメできるような生き方ではない。


ということです

さて、新貴族(上の下クラス)のライフスタイルは着実に増えてきているけれども、その結果が社会的影響を及ぼすまでには至っていません

これまでは大組織内の新貴族(上の下クラス)が作家、ミュージシャンなどでマスコミで有名になると、組織は潰す方向で動きました

ただ、Twitter、Facebookの影響でマスコミを使わずとも、新貴族(上の下クラス)が活動できる世の中になりました

今後の新貴族(上の下クラス)の活躍が楽しみです






2011年05月01日

三文会

とは、


毎週水曜日、本郷三丁目駅付近で開催している朝食会です

早起きして、いろいろな学生や社会人と意見交換することによって、自分の世界をちょっとずつ広げていけるようなコミュニティにしたいと思っています。

三文会は、東大生、慶應生、東大院生、東大OBなどによる三文会運営事務局によって運営されています。


「TAK」さんが本郷に行くのは、いつも夕刻です。それゆえ、残念ながら参加できず、twitterで流れてくる様子を見るだけでした

ところが、


春の三文会――本の”交差点” 本と人に出会う春

三文会では4月30日(土)13時〜22時

場所 LAB+CAFE(文京区本郷三丁目交差点付近)

で、本をテーマにしたワークショップを開催いたします。

春の三文会――本の”交差点” 本と人に出会う春

13:30 本×本――「人が紡ぎ出すモノガタリ」
本の交換会です。一人一冊お持ちください。テーマは、あなたが「一歩踏み出す」きっかけになった本。あなたの「物語」を聞かせてください。

17:00 本×人×人――「これからの本の話をしよう」
某出版社の新人社員2人によるトークセッション。本を起点に、本の可能性について語り合いましょう。

18:30 人×人――「本、人、宴、、、そして酒」
ワークショップで作った本の地図を見ながら、交流を深めましょう。

もちろん、夜からの参加も大歓迎です。


という案内がありました。

早速、夕刻の懇親会から参加することにします

参加者は30〜40名、学生と社会人の比率は6:4、男女比率は8:2というところでしょうか

一見すると、女性比率が少なそうですが、東大周辺で開催されるイベントとしては通常のパターンでしょうか

むしろ、少数精鋭の女性たちの活躍、輝きが目立つのがポイントでしょうか

社会人の人たちは、卒業した運営スタッフだったり、彼等彼女等の知り合いで参加した人、あるいはホームページを見て参加した人など、様々です

いろいろな人たちが集まるので、初対面の人も多かったりします

そこで、すぐに会話が始まり、仲良くなれる仕掛けがいくつかありました

まず、参加者全員が集まってアイスブレークのしぐさから入ります

また料理は料理サークルのメンバーの方々が、いろいろテーマを凝らして作ったもので、そのテーマを紹介してくれます

乾杯の後、その料理を口にしつつ、参加者同士の会話が始まります

「本」をテーマとした集まりですが、参加者同士の会話はいろいろな方向へ流れていきます

さて、「TAK」さんは三文会には初参加で、運営スタッフの方々も、どなたも知りません

ところが、「○○にいらした「TAK」さんですよね?」「××でお会いしましたよね?」なんて感じで、壁際でひとりでぽつん、なんてことにはなりません

運営スタッフの方とイベント企画、運営に関する話に盛り上がります

「私、イベントの企画って、好きなんです。ただ、実際にイベントが盛り上がるようにどうやって運営すればよいのか?難しくって」

イベントの企画と実際に参加者が集まった状況での運営って、関連しつつも別物なのですが、これについては、また別の場で話すことにしましょう


三文会イベントを企画した皆さん、参加者の皆さん、とても楽しかったです。ありがとうございました




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