2015年03月

2015年03月30日

「弱い絆」が提唱されたのは、スタンフォード大学グラノヴェッター教授の"The strength of weak ties"でしょうか

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「希望」は「ゆるやかなつながり」から

に書いたように、


「weak tie」は「弱い絆」と訳されることが多いのですが、「ゆるやかなつながり」という方がしっくり来そうなので、以降、そのように書きます

・転職がうまくいくのは、たまにしか会わない、信頼でつながっている人の紹介によるもの。有用な情報も「ゆるやかなつながり」からもたらされる

・日本は伝統的に「強固なつながり」の社会だが、仕事は組織ベースから、プロジェクトベースに移行し、「ゆるやかなつながり」の重要性が増す

・「強固なつながり」安心感、「ゆるやかなつながり」情報、気付き、ヒント をもたらす

・「ゆるやかなつながり」を持っている人ほど、復興が早い

・「ゆるやかなつながり」は「コネ」ではない。「遊び」として役に立つのか?立たないのか?わからないもの


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コラボレーションできるネットワークとは?

には、


・転職時に有効な「弱いつながり」とは、自分と位相を共有していない、つながり

・ネットワークは創れない、出来上がるもの。知られる、貢献できるの偶然性

・ネットワーク、つながっている人が自分を規定する。「コミュニティーの橋」「ハブ」に価値がある

・フィルタリングの重要性、時間、リソースは有限であり、良質の人、モノを選択する重要性が増す

・ハブがよいのは、ネットワークが成果を生むこと

・私の成功は、私の周りの人の成功によって、測定される

・コミュニティー(地縁血縁に由来する同一の価値観を共有する)からヘテロニティー(異質体が、ある一点の興味や思いで、ほんの一瞬、部分的につながる)へ移行

・学校、教育の価値だけでなく、同級生のネットワークにつながる価値が大きい

・ビジネススクール:ケースメソッドを行うのに、個人ではなく、グループワークが行われる。多様な人々のチームを形成することが、ネットワークになる

・公式なネットワークよりも非公式なネットワークが役にたつ

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・ネットワークを形成するには「ギブ」できるものが必要。大量のインプットによるアウトプットとコミュニケーション力

・カリスマリーダーにより変わる時代から、参加者のつながりで変わる時代へ

・ゆるやかなつながりは、ビジョン、目標の共有により起こり、参加、離脱が自由

・グループディスカッション:自分のアイデアを説得し、優位に立ち、通そうとするのが一番ダメ、メンバーの意見をつなぐハブの役目が大切

・これからのチーム、小さいコミットから必要性が実証された人を選別し、少数のコアメンバーと多数の周辺メンバーからなり、スキルは、お互いを補完しようとする結果の学習により獲得され、流動的

「コラボレーションできるネットワーク」には、実社会のネットワークだけでなく、ネット上のネットワークも含まれます。

実社会でも、ネット上でも、ネットワークは無理やり、創ろうとしても、うまく機能しません。

それよりも、意図した結果でも、そうでなくても、行動、活動の結果、出来上がっっていくのが、ネットワークであり、それがさらに、行動、活動を広げ、深めていく、ということです


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「弱い絆」「ゆるやかなつながり」が提唱されていたのですが、最近、風向きが変わってきた気がします。

「ゆるやかな加入・離脱が可能なオープンコミュニティー」から「顔が見えるコミュニティー」へ


「個人の自立」「ゆるやかな加入・離脱が可能なコミュニティー」と言いながらも、人が集まるところでは、衝突、対立は避けられません。それゆえ、衝突、対立を避けるために、個人の内部に撤退し、妥協することになったりします。

「参加可能」なはずのコミュニティーがたくさんあるのに、人々は居場所を得ることができず、分断され、孤立化してしまいます。

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ソーシャルメディアを通じて、普段は知り得ないような、多様な人々が集まる、オープンコミュニティーが行われるようになりました。シェアハウスなどはその例です。

ところが、オープンでだれでも参加できるため、宮台真司氏の言うところの「感情が劣化した人」いわゆる「問題児」が来てしまい、雰囲気が壊されてしまうことがあります。

例えば、数人のワークショップなどで、一人で場を占有し、話し続け、他の人が口を挟もうとすると、怒り出したり、居合わせた他の人々に「命令」する人がいたりします。

このような「感情が劣化した人」とは、基本的に関わらないことです。ワークショップなどで一緒になってしまったら、何かの機会を見つけて離れることです。

「感情が劣化した人」と関わることが業務であるならばともかく、そうでないならば、基本的に関わらないことを勧めています。

私たちは有限の可処分時間、労力を、いろいろな活動に分配します。「感情が劣化した人」との対応に、貴重な時間、労力を費やすだけでなく、極めて不快な気分になります。

「感情が劣化した人」は排除され、このようなリスクを伴うオープンコミュニティーは次第に避けられ、代わって、「コミュニティー内部の者が責任をもって紹介した者」「友達の友達」を誘うようになります。



「感情が劣化した人」いわゆる「問題児」が来てしまい、雰囲気が壊されてしまう、ことを避けるため、リスクを伴うオープンコミュニティーは次第に避けられ、代わって、「コミュニティー内部の者が責任をもって紹介した者」「友達の友達」誘うようになります、と書いたのですが、それだけでもないようです。

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楽しい読書、から、ゾクゾクする、人生に食い込む読書へ




単なる「楽しみ」ではなく、人生に深く、食い込んで、関わり、変えるような影響を持った書物は?


と書きましたが、書物と同様、人とのつながりでも、表面上を「つるっと」流れるだけの関係ではなく、インタラクションがあり、お互いに「食い込む」、時には「ひりひり」するかもしれない、「つながり」が求められているのではないでしょうか?

mixi、Twitter、FBなどのソーシャル・メディアでも、それぞれ一時期、当事者同士に「食い込む」ようなインタラクションが行われるような「場」であったことがあります。

ただ、「感情が劣化した人」が入ってきて、荒らす、あるいは、インタラクションが衝突まで進むこともあり、それを避けるため、RT、ふぁぼ、いいね、感嘆は賛辞、など、近況報告には適しているが、表面上を「つるっと」流れるだけのメディアになっている感もあります。

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そこで、

コミュニティーデザイン、人がつながり、活動する仕組みとは?


人が集まる「場」の重要性が見直されてきています。

ネットの時代だからこそ、リアルな「場」が大切だったりします。


家庭でもない、職場でもない、「第3の場 サードプレイス」とは?


家庭でもない、職場(企業・学校)でもない、「第3の場」

家庭や職場から離れ、多様な他者とゆるやかにつながり、対話・交流する中で、改めて自分の仕事の意味を問い直したり、新しいアイデアや気づきを得るための場。

それが、「学びのサードプレイス」です。


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と書いたように、リアルな「場」に、表面上を「つるっと」流れるだけの関係ではなく、インタラクションがあり、お互いに「食い込む」、時には「ひりひり」するかもしれない、「つながり」を求めているのではないか、そんな気がします。

まだ仮説段階なので、検証したいです。



2015年03月28日

日比谷図書館カレッジ「読書の愉しみ」小林康夫先生

という案内が来ました。

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小林康夫先生が講師ですが、テーマは哲学でもフランス文学でもありません。漱石、一葉など日本近代文学がテーマです。

Youtube、スマートフォーンのおかげで個人でも映像、動画が手軽に扱うことができるようになりました。

映像は鮮明でわかりやすい反面、逆に人間が想像する機会を奪ってしまったのかもしれません。

映像があふれる今こそ、小説から言葉を紡いで、イメージし、自分だけの世界を創り上げ、主人公の体験を疑似体験する、想像も大切かもしれません。

これについては、いくつか考えてきたことがあります。

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まっとうするものの言葉 Resilience 朝吹真理子さん


・小説を書く動機をよく聞かれるが、「書きたいテーマ、伝えたいことはない」からスタート。何かを伝えたくて小説を書くことはない。

・文学は文字により、読者に想像を引き起こす。絵画、写真、映像がない分、それぞれの読者に独自の強いイメージを描かせることがある

・小説を書くというよりは、モノを創っている。手段、媒体が文字。あなたに向けて手紙を書いている

・絵画、彫刻はすべて同時に鑑賞されるが、小説、音楽はある時間の経過と共に、伝わり、初めと終わりが同時に鑑賞されることはない

・読者は小説を自由に読む立場、傲慢な存在で構わない。どんな名作であっても、自分にフィットしない日は3行で飽きることがある

・読者と全く違う場所、空間、時間にいる作者が書いたものが、読者に深い感銘、懐かしさを引き起こす、時空を超えた共鳴現象が起き得る不思議がある

・瞬間瞬間に移り変わる水面に映し出されるものが「真実」。ちょっと前とちょっと後で全く異なることがあるが、それぞれが真実。

・生を受けるとは、本来、両親の生殖行為の結果であり、本人の意思とは全く関係がない、受動的なもの。しかし、受動的に生を受けながらも、主体的に生きていくことになる

・「なぜ小説を書くのか?」という問いかけは、答えがない問いかけ。「なぜ生きるのか?」と同じもの


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文学、言語による表現の可能性、無限性


文章とは言語という媒体を使って、自分が表現したいことを表現するアート、ということができます。

アートとは音楽、絵画、写真、彫刻などの媒体を使って、自分が表現したいことを表現するもの、でしょうか?

作品を作る時は自分の概念を具現化させて自分の世界を構築させようという出発点から始まる

無から有を生む、というものよりも、既に自分が抱いている、持っているコアをベースに未知のものを創造していく

作品が重視されがちだけれども、アーティストにとっては、作品以上に創造するプロセスが重要であったりする

研究も既存の研究成果(自分、他者を含めて)をベースに、ある特定の分野を掘り下げて、探究し、真理を発見したり、仮説を構築し、何らかの手法で検討したりして、未知のものを創造して、自分の世界を構築していく

文章を書く場合、絵画、写真のように、風景、人物、モノ、事象を、言語という媒体を使って、表現する場合があります。

この場合、風景、人物、モノ、事象を忠実に観察し、その結果を言語を使って表現することになります。

これはサイエンスの観察、観測に似ています。

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写真の場合、同じ被写体であっても、写真家によって、全く異なる印象を受けるように、同じ風景、人物、モノ、事象の記述であっても、筆者により、全く異なる記述になる場合が少なくありません。

風景、人物、モノ、事象を記述するだけでなく、自分の考え、アイデアも言語という媒体を使って表現します。

上記のように、無から有を生む、というものよりも、既に自分が抱いている、持っているコアをベースに、

いくつかのものを組み合わせて、新しいアイデアにする。これは工学に似ています。

あるいは、既にあるものを改良する。これは農学に似ています。

文章は言語が主体ですが、言語だけでなく、写真、イラスト、動画、音楽なども使うことができます。

文章には、読者がいて、読者に理解してもらうことが前提の文章(広告、企画書、ポスターなど)、自分のために記録する文章(ノート、日記など)があります。

文化、思想を表現する媒体が、言語ですから、外国語のように、異なる言語体系で表現される文化、思想も当然異なるものになります。

異なる言語体系で表現される文化、思想を翻訳することは、単なる言語の置き換えではなく、文化、思想の背景を踏まえることが必要になります。


と書いたとおりです。

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さて、小林康夫先生から、どんなお話が伺えるのかしら?早速出たお話をまとめます。

・「人生の1冊は何だったか?」という問い。いろいろな書物から影響を受けているが、あえて1冊を選ぶとすれば?最も影響を受けて、人生を変えた書物は?

・単なる「楽しみ」ではなく、人生に深く、食い込んで、関わり、変えるような影響を持った書物は?

・「物語」と「小説」の違い

・物語:必ずしも本だけでなく、出来事、考えを「語る」こともある。

・小説:自分がいる時空間とは違うが、つながっている、似たところがある、リアルな世界がある。作家が想像、創造した世界で、自分と掛け合わせながら、疑似体験する

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・小説は冒頭が大切、ここから始まる、読者を引き込む「場」

・小説は交響曲のように、モチーフが繰り返される。このモチーフを読み解く。

・小説の世界を、自分の頭の中に映像化できるか?が、ポイント

・小説は、あらすじを読むのではない。

・小説とは、人生の症状、異変を書いている。

・テーマをいくつかの事例で示そうとする。

・小説を書くことにより、人生を問い続ける

・すぐに結末を求めるのではなく、イメージを創って、疑似体験する

・小説には、手触り、触感がある世界が書かれており、疑似体験することができる

・映像、音声があふれている世界だからこそ、イメージ、映像化が大切

・言葉はイメージをつくることができる。想像力が一つの世界を創り上げる、最大の力

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書物を読む、と言っても、最近では小説よりも、ビジネス書を読む機会が増えています。

すると、短時間に、ななめ読みで、要旨だけつかむ、ことが大切で、小説のように、一つ一つの言葉、文体をゆっくり味わい、主人公が置かれている世界を想像し、味わう、ことが減っています。

小説には映像、音声がない分、それぞれの読者が独自のイメージを描いて、手触り、触感がある世界を生み出すことができます。

太宰治の小説に、自分の人生を掛け合わせたり、谷崎潤一郎の倒錯のエロスの世界に入り込む人も少なくない、と思います。

さて、「人生の1冊は何だったか?}という問い、あえて1冊を選ぶとするならば、楽しい読書、ではなく、食べることも、寝ることも忘れて、むさぼるように読みふけった、人生に深く、食い込んで、関わり、変えるような影響を持った書物、だったりします。

もう少し考えてみたいテーマです。




2015年03月27日

卒業式のシーズンです。

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毎年この季節には、卒業生へのエールを

社会に巣立っていく卒業生の抱負

社会に巣立っていく卒業生へのエール

有志による自主卒業式のすすめ

卒業式は学生から社会人への、大切な節目の儀式

卒業式は学生から社会人への、大切な節目

のように書いています。

繰り返しになりますが、今年もエールを述べることにします。

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皆さん、卒業おめでとうございます

今、希望に満ち溢れながらも、まだよく知らない社会へ旅立つことに、多少の不安もあるかもしれません。

もちろん、これから皆さんが進む道は順風満帆ではないでしょう。

うまくいかないこと、思うようにいかないこと、つらいこと、がたくさんあることと思います。

そのチャレンジングな課題に対し、皆さんの若い力で、一歩一歩解決していくことが、これからの社会の進歩につながっていきます。

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毎日のように会っていた友達とは、残念ですが、しばしのお別れになってしまいます。

でも、友達はいつまでもたっても友達です。

いや、時が経つにつれ、ずっと重みが出てきます。

4年間に、語り合い、笑いあい、時には喧嘩し合った、友達とのつながりはいつまでも大切にしてください。

母校は、いつでも、皆さんを温かく迎えます。卒業してからも、時にはキャンパスを訪れて、後輩たちとのひと時を楽しむのもよいのでしょう


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「TAK」さんが卒業した東大では、例年、入学式は武道館、卒業式は安田講堂なのですが、ここ数年は安田講堂が耐震改修工事で使えないために、有明コロシアムでの開催となっていました。

有明コロシアムでは、味気ないので、本郷まで戻ってきて、記念撮影など、煩雑だったのですが、今年は安田講堂の耐震改修工事が完了し、本郷キャンパスで卒業式に加えて、友達との記念撮影なども行えるようになりました。

振り返ると、4年前は卒業式の直前の3月11日に起きた、大震災の影響で、多くの大学が卒業式を取りやめざるを得ませんでした。

その時には、

有志による自主卒業式のすすめ

を書いています。

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卒業式とは人生に一度しかない節目であり、社会に旅立つ前に、同じ時期に同じ学校で学んだ同級生、先生方と、大学での最後のイベントを行うことは、とても大切です

「TAK」さん自身を振り返っても、今も深く大学に関わる身でありながら、自分の卒業式は、大切なよい思い出であり、いつまでも心の中に残っています

「TAK」さんが卒業した数年(数十年?)前は、その時から数えて、さらに十数年前の学生紛争による安田講堂占拠の影響で、まだ安田講堂が使用できず、工学部は学科毎に卒業式をやりました

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学科の卒業式、その後、学内で簡単な謝恩会、その後、全学で神保町の学士会館での卒業パーティー、その後、すぐに別れ別れになってしまう、仲の良かった友達で夜通し4次会、と、朝から次の日の明け方まで、卒業セレモニー一色の1日だった、と記憶しております

卒業式の感慨は、参加している時、謝恩会の時も感じますが、それとは、また違った感慨が、数年後、数十年後に込み上げてきたりします。

留年したので、知っている友達があまりいない、などの理由で「卒業式に出ない」という学生さんを散見しますが、卒業式は学生から社会人への、一生に一度の大切な節目の儀式です。必ず参加することを勧めます




2015年03月24日

経済成長からキャリアを考えるとわかりやすい

キャリア構想と社会の進展のギャップ




人々は技術の進展、社会の変革は十分に認識しつつも、一方では、キャリア構想は「高度経済成長期」から、それほど進歩がない。官庁、大企業に就職し、組織内で出世して、高いポジションを得ること、と考えている。


と書いたのですが、これ以外にも、人々の想いと現実社会にギャップがあって、そもそもスタートからずれてしまっているケースがたくさんあることに気づきました。

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社会をよくする、課題を解決するには、まず現状を確認することが大切なのですが、ここで、想いと現実に「ずれ」があってはうまくいきません。

このような、人々の想いと現実社会のギャップの事例をいくつか挙げてみます。


●研究開発、技術開発は自分で頭を使って、汗を流して行うもの、インベント・ヒア

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東大知的資産新ビジネス塾「知財戦略はめまぐるしく進化する」




かつての知財戦略と言えば、競合他社よりも先んじて技術開発し、それを特許出願し、権利化し、権利を防衛すると共に、ライセンス収入を得る、というものでしたが、オープン・イノベーション、国際標準化の流れの中で、あえてリスクの高い新規技術開発を自ら行うことなく、技術、知財ごと買収する、というのが現在のトレンドでしょうか?


と書きました。

新規技術の開発には、大学とのコラボレーションの開始、試験設備の導入、研究者の雇用、育成などに、多額の資金、費用だけでなく、少なくとも3〜5年程度の時間がかかります。

ところが、スピードが速い社会では、3〜5年程度の時間を費やしていたのでは、事業の機会を逸してしまいます。

そこで、あえてリスクの高い新規技術開発を自ら行うことなく、技術、知財ごと買収する、というのが現在のトレンド、です。

ところが、新規技術の開発を行う担当者は、以前、研究者だった人が数多くいます。

すると、上記のように、研究開発、技術開発は自分で頭を使って、汗を流して行うもの、他人が行った研究開発、技術開発を、金で買うなんて、とんでもない、という意識の人が少なくありません。

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産学連携、シーズとニーズのマッチングからオープン・イノベーションへ




日本企業はNIH(ノット・インベント・ヒア)自社開発主義が強すぎる。世界的には、技術の知財ごと買収が一般的に。


と書いたとおりです。

もっとも、NIH(ノット・インベント・ヒア)という英語にあるように、日本だけでなく、研究者を経験したことがある人には、受け入れがたいことなのかもしれません。

スピードが速い社会では、技術をビジネスにするには、自分のコア技術は大切ですが、一から研究開発するのではなく、有望な技術を知財ごと買収する、スピード感、スケール感が大切です。


●お金は自ら創造した価値の対価としてもらうもの、株、債券、為替で稼いだ「あぶく銭」には価値がない。

「銭は額に汗を流して稼ぐもの」とは昔の映画「男はつらいよ」で渥美清さんが演じるフーテンの寅さんのせりふだったでしょうか?深く日本人の心にしみついているようです。

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金融緩和時こそ、金融経済と実体経済の格差、が大切




経済には、株、債券、為替などの金融経済と、賃金が支給され、生活財、娯楽費など消費する実体経済があります。

世界的な金融量的緩和により、実体経済ではお金が要らないので、お金はますます金融経済に流れ込んでいます。

それゆえ、金融緩和状態では、資本伸び率 > 経済成長率、で資産家が利益を得る構図になっています。

つまり、金融緩和時こそ、トマ・ピケティ『21世紀の資本』金融経済と実体経済の格差、が大切なのです。


トマ・ピケティ『21世紀の資本』金融経済と実体経済の格差を利用する 


資本伸び率 > 経済成長率、とは、株、債券、為替などの金融経済の伸び率の方が、労働し、賃金が支給され、生活財、娯楽費など消費する実体経済の伸び率よりも大きい、ということです。

言い換えれば、株、債券、為替などの金融経済で大きな収益を上げ、それを実体経済の消費に使うのならば、賃金が上がらない、残業代がつかない、などの実体経済での悩みなど、取るに足りないものになります。


と書きました。

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<待って>、<遅れて>、<つまず>いて:希望・時間・挫折




人々は、市場経済メカニズムなど、よくわからずに、いやおうなしに、市場経済の中に置かれています。


と書いたように、あなたがどんなに「いや」でも、あなたは金融経済と実体経済の渦中から逃れられません。

原油価格は変動するし、為替によって、輸入品が高くなったり、安くなったりします。一方で、どんなに頑張っても、給料はそんなに上がるものではありません。

それならば、背を向けているよりも、正しく理解して、活用した方がよさそうです。

ところで、資本家が稼いだお金には価値がないのでしょうか?

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中堅エンジニアから技術経営層への脱却するには工学部の再構築が不可欠

技術者のキャリアモデルの再構築を




日本とアメリカの技術者のキャリアストーリーが違いすぎるんです

日本では、技術者は大企業に就職して、生涯その会社で勤め上げ、社内で昇進して、定年前に、技術担当役員になり、年収2000万円程度、というのが、上々のサクセスストーリーでしょうか?

アメリカでは、大企業の技術者がいとも簡単に大企業を辞めて、起業します。

起業して、うまくいかなければ、その大企業に戻ったりします。日本ではあり得ないことでしょうか?

ベンチャー起業した人が、年収数十億円以上になり、資本家となり、ベンチャーに出資する側になる「技術者→起業家→資本家」というサクセス・キャリア・ストーリーが珍しくありません。

日本では、好きな技術の仕事をするのに対し、アメリカでは、好きな技術の経営をする、のが技術者のキャリアなのです。

このアメリカで大企業を辞めて起業する技術者はアメリカ人に限りません。中国、インドなどアジア出身の技術者も同じキャリアを進みます。

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「「工学部を解体せよ」〜さらば工学部 」を回避するには、技術者のキャリアモデルの再構築が欠かせないのかもしれません


と書いたように、資本家が稼いだお金は、ベンチャーなどの新規、萌芽技術に出資され、新たな技術開発に活かされています。

「これってアメリカの話でしょ」と言われそうですが、日本でもITバブルと言われた時代に100億円くらい稼いだ、ミニ資本家が新たな技術にエンジェル投資している事例がいくつかあります。


●こんなに苦しい環境下で頑張っているんだから、必ず良くなる。

太平洋戦争の末期、空襲を受けての、防空訓練、アメリカ軍の本土上陸に備えて、竹やりなどによる、対上陸訓練が行われていました。

このような状況下で、「こんなに苦しい環境下で頑張っているんだから、日本は必ず勝つ。」

と信じている人が少なくなかったそうです。

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「日本再発見」構造が変わる時、合理化、効率化は延命策に過ぎない、新たな価値を見出すこと




エネルギーの石炭から石油への流れ、海外のコストの安い露天掘り、などの影響を受け、多くの炭鉱が合理化、効率化を進めようとしました。

ところが、「仕事は特に頭は使わず、簡単で楽で、給料がよく、労働者は好況時にはストライキなど尊大な態度」から急に転換できるものではありません。

炭鉱はいつかは復活するのではないか、という漠然とした期待があったようです。しかし、現実は厳しく、弱者から廃業し、最強の数社だけ生き残りました。

しかし、徹底的な合理化、効率化を行った、最強の三井三池炭鉱でさえ、石炭から石油への流れ、海外露天掘り採掘の低コストには勝てず、やがて閉山します。


も同様な事例でしょうか。

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最適な行動と実際の行動のギャップ




被験者の動きを、第三者的立場で観察すると、本来のゴールから、かけ離れたところで、悩み、決断していることがよくわかる


と書きました。

今の立場を少し離れて、俯瞰してみて、果たして、今行っている「努力」が適切なものなのか?見てみることも大切かもしれません。




2015年03月23日

ホーキング博士「人工知能の進化は人類の終焉を意味する」


ホーキング博士「人工知能が自分の意志をもって自立し、そしてさらにこれまでにないような早さで能力を上げ自分自身を設計しなおすこともあり得る。ゆっくりとしか進化できない人間に勝ち目はない。いずれは人工知能に取って代わられるだろう」


が衝撃を巻き起こしています。

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ロボット、人工知能は、大きな出力、繰り返し作業は得意だが、

・「巧みの細かい作業はできない」とされていましたが、今では3Dプリンターで製作

・「1か所の判断はできても、複数、大局の判断ができないので、将棋、チェスは初級レベル」だったはずが、名人、世界チャンピオンを破る

・「瞬時、とっさの判断は難しいので、自動車の運転アドはできない」とされていましたが、自動運転は実用段階

と、人間しかできない、人間の方が得意、とされていた分野で人工知能が上回っています。

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身近なことでも、例えば、休日の行動を決める(テニスなどに外出するか?雨なのでうちにいるか?)天気予報。

以前は早朝のテレビの天気予報の気圧配置、アメダス、予報から判断していましたが、今では、ネットの雨雲の動きの予想で決めます。

数時間前からの時系列データと現在のデータに基づく予想ですから、人間の判断よりもはるかに精度がよいです。もちろん外れることもありますが。

インターネットの株、FXなども、人ではなくソフトウェアで運用している人が多い、と聞きます。

激しく値動きする複数の株を運用を人間がすること自体、もやは不可能で、ソフトウェアで運用するしかないのかもしれません。

もっとも、先日のスイスフランとユーロの1ユーロ=1.2スイスフランの比率を堅持撤廃により、大損するリスクもありますけれど。

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人が判断するのではなく、コンピューターが判断する社会は間違いなく、進んでいきます。

人は、どうしても、表面に見える情報をもとに、過去にうまくいったパターン、自分が知っているパターン、「直感」で解こうとします。

一方、コンピューターはデータをもとに、高速大量演算を行い、その結果を示します。

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「そもそもソフトウェアは人間が作成したものなのだから、人間の知恵を超えるものではない」と思われるのですが、

バーチャルな世界での出来事をリアルな世界で再現ー3Dプリンターの衝撃




・コンピューターで単純なルールを繰り返すことで、人間には意外に見えることを表現することができる。

・コンピューターと協働するデザイン、コンピューターの論理的計算処理量と速度の優位性は、人間の知的能力には予測不能なことをもたらす。

・コンピューターの大量高速演算でもたらされるもの、人間にはルールはわかるが、結果は予測不能。

・コンピューターが単純に相当回数繰り返した結果を、3Dプリンターで出力すると、人は「凄い!」と感じる。

・人間の試行錯誤、コンピューターはすべてのパターンから瞬時に検索する。


と書いたように、人間が設定したルールを、1秒間に数万回、演算、検索すると、人間にはもやは予測不能な結果がもたらされます。

加えて、上記のように、人間は試行錯誤、表面に見える情報をもとに、過去にうまくいったパターン、自分が知っているパターン、「直感」で解こうとしますが、

コンピューターは、瞬時にすべてのパターンを検索します。

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最適な行動と実際の行動のギャップ




人の行動はどのように決められるのか?インセンティブ?モティベーション?


ゲームの理論を実際に被験者に試してみると、ゲームの理論から導かれる最大値、最適理論とは、異なる戦略を人々が選択していることがわかった

感情に流されて不合理な行動をするのではなく、理論的に考察して、合理的な、最適理論に基づく行動をとることで、例えば、経済的な損失は防げるのではないか?


一方で、何が起こるか、予測がつかない中、事前に、理論的に考察して、合理的な、最適理論を導き出して行動することなど、実際には不可能です。

観察された「人の行動」とは、それほど、とっさの判断が求められるものではありませんが、興味深いものでした。

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・人間は理論的な最適経路よりも、自分がわかりやすい、近く見える経路、あるいは直感的に近いと考える経路を選ぶ。

・パターンの固定化、直面する問題に対する解を考える、よりも、むしろ、過去にうまくいったパターン、自分が知っているパターンで解こうとする。そのプロセスで、正しいゴールを見失っている。

・直感で判断、とは、これまで自分が蓄積した知識、経験に照らして、合理的に判断、というよりは、表面に見える情報をもとに、過去にうまくいったパターン、自分が知っているパターンで解こうとする。

・ゴールへの道筋がわかると、感情に動き(うれしい)があり、行動が早くなる。

・被験者の動きを、第三者的立場で観察すると、本来のゴールから、かけ離れたところで、悩み、決断していることがよくわかる

これまで自分が蓄積した知識、経験に照らして、合理的に判断、という「直感」よりは、表面に見える情報をもとに、過去にうまくいったパターン、自分が知っているパターンで解こうとする「直感」、になってしまい、金槌でボルトを抜こう、とするように、正しいゴールを見失っていることがあります

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電車を乗り継いで、どこかへ行く場合、予め、乗り換えのプランはありますが、スマートフォーンの路線検索を念のため調べると、思いもかけなかった、ずっとよい乗り換えプランが提供されて、びっくりすることがあります。

理想の、合理的な取るべき行動と実際の行動のギャップについて、もう一度考えてみるとよさそうです。


と書いたように、実際の人間の判断、行動は必ずしも合理的ではなく、感情に流されてしまうことが多いようです。


拡張現実と予感のセンシング、インターネットからセンサーネットの時代へ





複合現実感技術、リアル世界とバーチャル世界の融合




・Google検索、世界の事はわかるが、自分のことは検索できない。「昨日何を食べた?」「1週間前に会ったあの人の名前は?」など。これが自動的に記録され、必要な時に引き出せると、人間の機能が驚異的に向上する

にあるように、カメラ付きのメガネで視線が追ったもの、食べたものをを自動的に記録する、簡単なイア・センサーで聞いた音、話したことを録音する、など、

人間の行動が自動的に記録され、かつ、検索できる、可能性ではないか?と思います

さらには、思ったこと、考えたこと、感じたこと、などが、自動的に、記録され、検索が可能になれば、人間の行動、生活は劇的に変化する、と思われます

SFの世界ですら、起こり得なかったことが、現実化しつつある


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自分の脳波を常に計測、可視化できたら?




脳波の測定は可能です。ただ、計測器の重量が重くて、価格が高価な、いわゆる「ヘッドギア」タイプの装置を、装着します。

そのため、測定作業自体がストレスで、通常の生活行為での脳波は計測できません。

この計測器を大幅に軽量化してヘアバンドに、制御部を携帯電話、iPod、ヘッドホンに組み込むことができれば、通常の生活での脳波の状態が計測、記録できます。

すると、自分がイライラしているのか?ゆったりしているのか?自分の脳波を見て、確認することができます。


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「政治学と脳認知科学の融合のフロンティア」に参加しました




MRI(Magnetic Resonance Imaging)による脳の機能計測技術が急速に進んだおかげで、脳の活動の活発なところに、血流が多く流れて、酸素化ヘモグロビンが増えているところを見つければ、脳は部位毎に視覚、聴覚などの機能に対応しているので、どの機能が働いているのか?わかる


直感、勘、感覚など、これまで「計測できない」「ブラックボックス」とされていたモノが計測できる、そしてコントロールできるようになれば、人間の生活、行動が大きく変わってくる、と考えられます。


上記のように、人工知能、ロボット、コンピューターは人間の感情、感覚などは、これまで「扱うことができない」「計測できない」「ブラックボックス」とされていました。

ところが、人間の感情、感覚が計測できる、そしてコントロールできるようになれば、大きく、深く、人間に踏み込んできて、人間の生活、行動が大きく変わってくる、ことになりそうです。

カメラ付きのメガネで視線が追ったもの、食べたものをを自動的に記録する、簡単なイア・センサーで聞いた音、話したことを録音する、など、センサーデータをリアルタイムで処理しながらのSFのような生活がすぐそこまで来ています。

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では、人間は人工知能に取って代わられて、やることがなくなるのでしょうか?

ソーシャルラーニングとこれからの人材育成




小学生の65%は、今はない職業に就く


と書きました。

コピー機が普及する前は、カーボンコピーなるものがあり、人間が人力で複写していました。

自動改札ができる前は、駅員が切符をはさみで改札していました。

コンピューターが導入されてからも、しばらくは、手書きを入力するタイピストがいました。

一方、インターネットが導入されたのは20年前の1995年で、インターネット関連の仕事は、それ以前は、ほとんどありませんでした。

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「人間が人工知能に取って代わられて、やることがなくなる」「人間が人工知能と競争する」よりも、人間は人工知能が得意なことを利用、活用して、「人間が人工知能と協奏する、協創する」時代が訪れる、と考えています。

どんな時代が来るか?予測するよりも、時代を協奏、協創していくことになりそうです。




2015年03月17日

「まず音楽、つぎが言葉」とはアントニオ・サリエリのオペラのタイトルにありましたが、

哲楽遊戯「まず音楽、つぎが言葉」

という案内が来ました。

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案内文によると、


生命は様々な形で音やリズムと関わっています。

私たち人間も、必ずしも意識しませんが、自然の法則に従って日々の生活を送ります。

言葉を超えて生命を支配する響き、あるいは言葉の響き、とはいったい何か?


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以前もこれに似た公開講座がありました。その様子は、

人に感動を与え動かす、語り、そして音楽




様々なシンポジウムなどで演奏してきましたが、それはまたそれで一過性のイベントという性格が強かった。

そうではない、きちんと継続的に探求する意図を持って、しかし社会に開かれた形で、学問芸術の本質を突き詰める、そのような真剣な場をこそ、私は求めていました。

「詩」を目で追って黙読して、何か感じるところがあるかもしれません。

詩を声に出して朗読して、感じるものがあるかもしれません。

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自分で声に出して歌ってみて感動を覚えるということがあるかもしれない。

また人が歌っているのを聞いて感動することもあり得るでしょう。

はたまた、その歌のメロディを楽器で演奏しているのを聴いて、歌詞を思い出すことがあるかもしれません。

さらには、伴奏つきでその歌を歌うのを聞いて覚える感動というものもあり得るでしょう。

そういうすべての「感動」の質の差を考えたいのです。

私が表現するのではなくて、そこに立ち上がる場、響きという現象を奏者も聴き手も共有し、「作曲者」なるものも謙虚にそれに耳を澄ませる、という、共有したスタンスで音楽と向き合っています。


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文字だけではなく、映像など、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など五感を活用した取り組みが行われるようになっています。

スマートフォーンが広く活用されるようになって、写真、動画などの映像は、マスメディア、広告代理店だけでなく、個人でもソーシャル・メディアなどで手軽に発信されるようになりました。

一方で、音、リズムは、身近なものでありながら、個人が手軽に発信、という段階にはなっていません。

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リズム感と音楽の進化生物学的基盤−作曲家と動物行動研究者の視点から考える




・ヒトは外から与えられたリズムに合わせて身体を動かすことができる。音楽に合わせて身体を動かす。複数で作業をする時に声を合わせる。行進曲に合わせて歩いて入場する。

・声まねとリズム同調、感覚情報を運動情報に変換する。

・リズム同調は声まね能力がもたらした副産物。

・フィギュアスケート、ダンス、伴奏曲と演技の相乗効果、伴奏曲なしでの演技では感動を生むのは難しい。

・勉強、トレーニング、自分の好きな曲が流れてくると乗ってくる。 

・映像に音楽をつける。乗ってくると、映像+音楽、というよりも、映像×音楽、になってくる。 

・映像につける音楽、視聴者が知っているリズム、メロディーであることが大きな要素。

・歩行、拍手、多くの人で行う場合、次第に合ってくる。

・受動的音リズムを聞く場合でも、運動系の脳領域は活性化する。


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目は中心だけでなく、周辺でも見る、耳だけでなく全身で聴く




「聴こえない超高周波が脳を活性化する」

可聴域を超える複雑な超高周波は、脳の活性を高め、多様でポジティブな効果をもたらす。しかも、それは耳ではなく体表面で感じている。

音楽のLPからCDへのディジタル化に伴い、人が聴こえない22kHz以上の超高周波音がカットされた結果、音質が悪くなったように感じられた。脳波、脳血流を計測したところ、超高周波音は耳ではなく、全身で聴き、感じていることが分かった。

という講演がありました。

つまり、耳だけで聴くのではなく、全身を使って聴いているのです。


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技術、製品から音楽、アート、料理など文化のグローバル化へ




・日本歌曲、日本語による芸術的な詩や短歌に西洋音楽による曲をつけて、結果、国内だけでなく、世界に広まった。

・ソフトパワーとは政治力(現在)、技術(将来)、文化力(過去からの蓄積)

・国境の壁を越え、世界に普及した事例、フランス料理、イタリアオペラ。言葉と様式の壁を超える。チャネルを持つ。市場を知る。

・人はもらったものは大事にしますが、創ったものは忘れてしまう。(戸口幸策)

・文化事業は一時のブームではなく、ロングテール。 

西洋音楽という「国際標準化」により、世界中での適用性を確保し、その中で、「日本らしさ」を伝える。日本の文化を発信する手がかりを得た気がします。


と書いてきました。

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音楽と言うと、クラッシック音楽のコンサート、あるいは端末での鑑賞、あるいはカラオケで歌う、バンドなどでの演奏、と考えますが、もっと幅広い活用法、楽しみ方があります。

ディジタル化、ネットワーク化の時代にもかかわらず、音楽については、まだ、アナログ的、受動的な活用法が主体です。

この講座のように、知識を学ぶだけではなくて、実際に体感することにより、もっと音楽を活用できれば、と思います。






2015年03月10日

最近の川崎の少年殺人事件、淡路島洲本市の集落での殺人事件など、では、コミュニティーの問題が背景としてあります。

コミュニティーについては、

・昔の、地縁血縁でがんじがらめのムラ社会

から、

・都市化、ソーシャルネット化が進み、ゆるやかな加入・離脱が可能な複数コミュニティーへの部分参加

と考えられ、人々は、リアルな社会だけでなく、ネット社会で、居心地がよいコミュニティーを探して、滞在する、

と考えられていました。

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この辺の事情は、

コミュニティー、縁も「必修と選択」?




・ムラ共同体から選択縁の社会へ、包括帰属ではなく部分帰属

・選択縁とは知縁、情報縁、志縁、結縁、媒介縁など、加入、脱退が自由、強制力がなく、包括的コミットメントを要求しない。脱(地、血、社)縁の人間関係 

・マルチ帰属型アイデンティティー「人格」とは所属する中間集団における役割の総和。帰属集団の間のコンパートメンタリゼイション(隔離と操作)アイデンティティーのリスク管理「あっちがダメなら、こっちがある」これができない学校、ムラ社会でイジメが起こる


と書いたとおりです。

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しかしながら、

コミュニティー継続のポイント「無理に仲良くしないこと」


コミュニティーの変遷 ムラからマチ、そしてリアルとバーチャル融合型へ

農耕文明から産業文明に移行すると、人はムラからマチに移り住み、会社、工場に勤務することにより、生活の糧を得るようになります

農業社会においては、家族は全員農業に従事せざるを得ませんでしたが、産業社会においては、家族はそれぞれの生活ステージに応じた生活をします

地域においても特に共同で何かを行う必要もなく、地域コミュニティーは、隣に住む人とはあいさつを交わす程度の希薄なものになります

ここまでは従来型のコミュニティ論で説明がついたのですが、インターネットが発達して構造が複雑化しました

インターネットの発達初期は、学校、職場、などのリアルなコミュニティーで既に知っている人たち同士が、メールで連絡を取り合うなど、従来型のコミュニティーが効率化した程度のものでした

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ところが、ブログで個人が広く社会に情報発信できるようになり、Twitterで知らない同士がつながるようになると、ネット上でリアルなコミュニティーを超えて結びつき、そのバーチャルなコミュニティーがリアルで会ったりして、逆にリアルコミュニティーを形成したりするようになります

このようなコミュニティーでは参加には条件が付く場合がありますが、参加は強制されず、脱退は自由です

コミュニティーが急に発生したり、人気があったコミュニティーが急速に衰退したりします

また、知識、スキル、活動が豊富な人はひとつのコミュニティーにとどまらず、複数のコミュニティーを自在にあやつります

このあたりの話になると、まだまだ未知の世界でこれから切り拓いていくことになります


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個の自立とコミュニティーという他者依存のバランス




・「個人の自立」と言うが、個人は他人に依存することにより、生活が成り立っている

・「個の自立」の時代と言いながら、コミュニティーという他者依存の場がクローズアップされる矛盾

・他人同士がお互いの価値観をまともにぶつけ合うと、衝突、対立が不可避。それゆえ、衝突、対立を避けるために、個人の内部に撤退し、妥協することになる

・根底に他者への不信と不安があり、なるべく、他者と向き合い、衝突することを避けた結果として、合意が形成される

・イノベーションには多様性が不可欠、と言いながら、「他人同士がお互いの価値観をまともにぶつけ合うと、衝突、対立が不可避。それゆえ、衝突、対立を避けるために、個人の内部に撤退し、妥協することになる」

・「他者との非暴力的な関係が政治の始まり」国と国、人と人でも、良好な関係が築ける場合もあれば、そうでないこともあります。しかも当事者間だけでなく、周辺との関係も大きく影響します


と書いたように、

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「個人の自立」「ゆるやかな加入・離脱が可能なコミュニティー」と言いながらも、人が集まるところでは、衝突、対立は避けられません。それゆえ、衝突、対立を避けるために、個人の内部に撤退し、妥協することになったりします。

「参加可能」なはずのコミュニティーがたくさんあるのに、人々は居場所を得ることができず、分断され、孤立化してしまいます。

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宮台真司氏講演「循環する時間と成長する時間」に参加しました




・社会よりも、まず自分。社会が持続するよりも、まず自分が持続すること。

・多くのシェアハウスが閉じるか、あるいは閉じずとも、インターネットから見えないようにしている。感情が劣化した者が来ると大きなダメージを受ける。コミュニティー内部の者が責任をもって紹介した者しか入れない。

・インターネットはフレームワークツール、しょぼい人間がしょぼいことを隠して、ネット上で威張っている。ネットだけを居場所とする人はしょぼい。匿名で攻撃する人はしょぼい人。

・ネット上に書かれた批判を額面通り受け取るのは馬鹿げている。

・人々が分断され、孤立化し、感情に振られやすくなる。

・カルト集団、まず鍋パーティーに誘う。ここは暖かい居場所、ここがなくなると、困る。まず、ディフェンスのバリアを取り除いて洗脳しやすくする。

・スーパークレーマー、75歳以上の独居男性老人。下手に関わると、付きまとわれ、刃傷沙汰になってしまうおそれも。

・人間は千差万別と言われるが、少数のパターンにおさまる。

・現代はひとりでは対応しようがない、仲間が必要

・マクロなコミュニケーションを行うためには、ミクロのコミュニケーションが不可欠

・顔の見えるコミュニティー、感情が劣化した人を排除する

・「我々」の作り直し


書きました。

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ソーシャルメディアを通じて、普段は知り得ないような、多様な人々が集まる、オープンコミュニティーが行われるようになりました。シェアハウスなどはその例です。

ところが、オープンでだれでも参加できるため、宮台真司氏の言うところの「感情が劣化した人」いわゆる「問題児」が来てしまい、雰囲気が壊されてしまうことがあります。

例えば、数人のワークショップなどで、一人で場を占有し、話し続け、他の人が口を挟もうとすると、怒り出したり、居合わせた他の人々に「命令」する人がいたりします。

このような「感情が劣化した人」とは、基本的に関わらないことです。ワークショップなどで一緒になってしまったら、何かの機会を見つけて離れることです。

「感情が劣化した人」と関わることが業務であるならばともかく、そうでないならば、基本的に関わらないことを勧めています。

私たちは有限の可処分時間、労力を、いろいろな活動に分配します。「感情が劣化した人」との対応に、貴重な時間、労力を費やすだけでなく、極めて不快な気分になります。

ただし、「感情が劣化した人」はモンスター、スーパークレーマーとして、関わらないようにしても、関わってくることが少なくありません。

こういった場合の対応は、また別の機会に検討します。

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「感情が劣化した人」は排除され、このようなリスクを伴うオープンコミュニティーは次第に避けられ、代わって、「コミュニティー内部の者が責任をもって紹介した者」「友達の友達」を誘うようになります。


コミュニティーや地域資源を活用し、新しい価値を創造




・閉鎖的なコミュニティーでも、関係性が構築された「外の人」ならば、受け入れられる

・Yes,and でとにかく否定しないことが仲間づくりの基本

・「したい」と思うなら、自分でやる


と書きましたが、信頼により、関係性を構築することにより、ネットワークが広がる「顔が見えるコミュニティー」へ移行しつつあるようです。

まだ考えがまとまらず、荒削りなので、もう少し考えてみます。




2015年03月09日

宮台真司氏講演「循環する時間と成長する時間」

という案内が来ました。

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首都大学東京の宮台真司先生については、以下に書いてきました。

傑出した人材を輩出する「場」


話題の首都大学東京の宮台真司先生の20代の頃の論文を見ると、「若い時期によくこれだけ書けたものだ!」と感心するものが多い、そうです。

宮台先生の才能、能力もさることながら、当時、研究会・ゼミの文化があり、このような「場」で、お互いが切磋琢磨する中で、育っていく文化があったそうです。

荒削りの才能同士が、ぶつかり合って、磨きをかけて、傑出した人材へと進化していく、「場」が必要なのです


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伝説の小室ゼミ―社会科学の復興をめざして


経済学、数学、統計学、人類学、社会学、政治学、法学、そのほか、学問全般にわたる小室学の全貌(のごく一端)を紹介し、社会科学の復興にかけた博士の期待を後代の人びとに伝えます。

小室直樹博士は、京都大学理学部数学科卒業後、大阪大学大学院経済学科、MIT、ハーバード大で社会学を学び、その後、東京大学より、法学博士を取得しています。

このように、いろんな分野を学んでおり、ゼミの内容も、専門の垣根を越えて、数多くの人々を輩出しました

この中には、廣瀬和子、今田高俊、橋爪大三郎、宮台真司など、錚々たる名前が並びます

社会学を厳密科学の水準に引き上げようとし、その厳密科学としての社会科学の論理を現実社会に適用しています。

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学問は、その分野の切り口で、現実社会を分析しようとします。

例えば、経済学は経済学という切り口で現実社会を分析しようとし、社会学は社会学という切り口で、政治学は政治学という切り口で

もちろん、それぞれの切り口で分析した現実社会は必ずしも、一致しません。無理にあわせる必要もありません。

ただ、分析する切り口が、「経済学、数学、統計学、人類学、社会学、政治学、法学、そのほか」とあるので、通常では考えられないような発見もあったのでしょう


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日本的未成熟(母性社会・アート・かわいい)をめぐって

「「3・11後の世界」を考える!」宮台真司氏×大澤真幸氏 対談」に参加しました

等に書いてきました。

さて、今日はどんなお話が伺えるのかしら?早速出たお話をまとめてみます。

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・何がよい、何が悪い、と二元論で割り切ろうとするのは、わかりやすいのだが、無理があって、副作用がある。善と悪は絶対的なものではない。

・ナチスの虐殺がなければEUの統合はなかった。絶対王政がなければ、近代民主主義はなかった。歴史は時間軸による評価。

・今、他人の子供に晩御飯を食べてもらうことは難しい。相手の親に事前了承が必要。

・何がやり過ぎなのか?それを学ぶのが大人になること。

・計画が予定通りいかずに、パニックになるのは悲劇、細かすぎないこと。

・転校生は、コミュニティーの長に存在を認めてもらえないと生きていけない。

・失敗が大切な経験とは、後から振り返って感じること。何か初めてのことを行う時は失敗しないように細心の注意をする。このプロセスが大切。

・頭がよくなくても、頭がよい友達がいればよい。けんかが強くなくても、けんかが強い友達がいればよい。

・人々が分断され、孤立化し、感情に振られやすくなる。

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・資本による収益よりも、労働が儲かることがあった。働けば幸せになり、中間層がたくさんできた。そのほとんどが現在は貧困層に戻っている。一度崩壊した中間層がまとまることはない。

・投資による利益率が労働よりも高いことにより、資本主義は回る。

・多くのシェアハウスが閉じるか、あるいは閉じずとも、インターネットから見えないようにしている。感情が劣化した者が来ると大きなダメージを受ける。コミュニティー内部の者が責任をもって紹介した者しか入れない。

・社会よりも、まず自分。社会が持続するよりも、まず自分が持続すること。

・読み書き、数学的能力は臨界能力が高いので、後からでもリカバリーが聞くが、音、光、感情に対する能力は臨界能力が低いので早期にやる必要。

・システムは損得勘定を理解する人が利益を上げることができる。

・共同体での生活は内発的、顔が見えるコミュニティー

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・インターネットはフレームワークツール、しょぼい人間がしょぼいことを隠して、ネット上で威張っている。ネットだけを居場所とする人はしょぼい。匿名で攻撃する人はしょぼい人。

・ネット上に書かれた批判を額面通り受け取るのは馬鹿げている。

・カルト集団、まず鍋パーティーに誘う。ここは暖かい居場所、ここがなくなると、困る。まず、ディフェンスのバリアを取り除いて洗脳しやすくする。

・スーパークレーマー、75歳以上の独居男性老人。下手に関わると、付きまとわれ、刃傷沙汰になってしまうおそれも。

・人間は千差万別と言われるが、少数のパターンにおさまる。

・人間は後悔し、後悔に粘着するため、問題を将来におこうとする。

・どういう質問が適切か?が大切

・現代はひとりでは対応しようがない、仲間が必要

・マクロなコミュニケーションを行うためには、ミクロのコミュニケーションが不可欠

・顔の見えるコミュニティー、感情が劣化した人を排除する

・「我々」の作り直し

・人間が自分のタイムスパンでの利便、快適のために、自然を改変することにより失われるものは大きい。


お話が多方面に及び、まとまりがありませんが、少しずつ検討していきます。



2015年03月05日

東大、早稲田、慶応などの大学院で、経済、金融、企業戦略などを教えている宿輪純一先生の勉強会

宿輪ゼミ「国際経済・金融情勢」

に参加しました。

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さて、前回の参加は

国際テロ危機の中、ヨーロッパではギリシャの経済危機、ウクライナの軍事危機、中国は減速、さて、国際経済は?

で2月中旬の参加でした。

この時は、EUはギリシャによる経済危機、ロシアはウクライナとの軍事危機、中国の景気減速、暴落していた原油に下げ止まり感、日本の国債は金利安で買われずに金利高へ、アメリカはNYダウ、ナスダック史上最高値更新で金融引き締めのため、金利引き上げの予想

でした。

世界的な大きな流れに特段の変化はありません。

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さて、最近の日本で人気なのが、トマ・ピケティ『21世紀の資本』です。

ところが、

ピケティの言う格差上位1%、日本では金融資産だけで少なくとも1億円以上、申告所得のみなら5千万円以上

のように、問題にしている「資本」を「所得」にすりかえ、「所得」を「給与所得」のみにさらに矮小化している事例を数多く見かけます。

これについて、少し考えてみます。

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まず、量的金融緩和策についての復習から始めます。

経済の教科書では、市場に流通する通貨の量を調整するのが、政策金利(昔の公定歩合)であり、好景気の時にはインフレ防止で金利を上げ、逆に、不況時には、デフレ対策で、金利を下げる、というものでした。

ところが、政策金利がほぼセロに近いゼロ金利状態では、これが機能しないため、ゼロ金利の状態で、市場にさらに資金を供給するという政策がとられます。

これが量的金融緩和策です。

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資金量が一定であれば、景気が回復すると、「株が買われ、債権が売られる」、不況時には「株が売られ、債券が買われる」つまり、片方が上がれば他方が下がります。ところが量的緩和では市場に資金が投入されますので「株が買われ、債権も買われる」ことになります。

経済には、株、債券、為替などの金融経済と、賃金が支給され、生活財、娯楽費など消費する実体経済があります。

資本家からの視点と労働者からの視点があります。日本では、収入とは給与として雇用者からもらうもの、という根強い固定観念があります。そのため、金融経済と実体経済が混同され、しかも労働者の視点のみから見られるため、「資本」を「所得」にすりかえ、「所得」を「給与所得」のみにさらに矮小化、される結果になっています。

トマ・ピケティ『21世紀の資本』金融経済と実体経済の格差を利用する 

に書いたとおり、



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資本伸び率 > 経済成長率、とは、株、債券、為替などの金融経済の伸び率の方が、労働し、賃金が支給され、生活財、娯楽費など消費する実体経済の伸び率よりも大きい、ということです。

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言い換えれば、株、債券、為替などの金融経済で大きな収益を上げ、それを実体経済の消費に使うのならば、賃金が上がらない、残業代がつかない、などの実体経済での悩みなど、取るに足りないものになります。

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高度経済成長時代でも、庶民、当時のいわゆる中流階級が一生懸命に貯金をして家などの不動産を購入しようとしても、不動産価格のインフレによる上昇に追いつかない、という事態がありました。

ただし、大昔から、巨万の富を築いた人は、金融経済で大きな収益を上げ、それを実体経済の消費に使うという「格差」を巧みに活用してきました。

古代の東西貿易では、それぞれの場所では安価だが、よそへ持って行くと高く売れるもの(東洋の塩、コショウ、絹、西洋の鏡などの工芸品)

、つまり、安いものを買って、高く売れる場所で売る、ことにより、莫大な利益を上げました。財産である、商品を積んだ船は難破で沈むリスクがありましたが、これを回避するために作られたのが保険です。

江戸時代の両替商は、江戸の金貨、大阪の銀貨、各般の藩札を両替し、手数料で大きな利益を上げました。


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世界的な金融量的緩和により、実体経済ではお金が要らないので、お金はますます金融経済に流れ込んでいます。

それゆえ、金融緩和状態では、資本伸び率 > 経済成長率、で資産家が利益を得る構図になっています。

つまり、金融緩和時こそ、トマ・ピケティ『21世紀の資本』金融経済と実体経済の格差、が大切なのです。


やさしい経済学、資本主義のすすめ


商業とは、安くものを仕入れて、高く売れるところで、売って、利ざやを稼ぐ、というものでしょうか?

これにさらに、海を越える、国境を越えるために、船が必要、のような障壁が加わったものが、貿易でしょうか?

ヨーロッパに胡椒を手に入れるためのインド航路の発見、嵐の中を江戸にみかんを運んだ紀伊国屋文左衛門などなど、「商業とは、安くものを仕入れて、高く売れるところで、売って、利ざやを稼ぐ」で大儲けした人が昔からいます。

東西の交易の中心は栄えてきました。織田信長は、この交易からの収入に目をつけて、楽市・楽座を奨励しました

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産業とは、資本家が大規模な機械、設備を購入し、安い労働力を集めて、製品を製造し、原料費、労働費を上回る金額を、商品の売り上げにより得る

労働者の賃金は、他との競合で決まるのでしょうか?人手不足であれば高賃金、余っていれば低賃金、ということでしょうか?


銀行などの金融業は、上記の商人、企業が商品、原材料などを仕入れるゆとりがない場合、いろいろなところから集めてきた資金を融資し、後で、彼らの儲けから、利子をつけて返してもらう。


極めて簡略化した資本主義とは、このようなものでしょうか?

つまり、基本は「安くものを仕入れて、高く売れるところで、売って、利ざやを稼ぐ」です。

高く売れるためには、それをどうしても必要とする人がいて、他にない、まねされない、ことが条件です。

また、今、高く売れるものが、いつまでも高く売れる保証はありません。

例えば、胡椒は食品の保存に使われましたが、冷蔵できるようになると、香辛料の役割だけになり、価値が大幅に下がりました。

ものには「情報」も含まれます。

ただ、「情報」は自分以外の人に渡した瞬間に、コピーされてしまうかもしれません。取り扱いは慎重に。

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金融自由化、インターネットの普及により、国際為替、株の取引に個人も参加できるようになりました。

為替の乱高下は、少しでも高い利ざやを求めて、お金が、まるで、世界中を彷徨うジプシーのようです。

原油、食物市場の高止まりは、行き場を失い、ついにリスクの高い商品市場にも手を出さざるを得なくなった、資金の運用の現状でしょうか?

これを「安くものを仕入れて、高く売れるところで、売って、利ざやを稼ぐ」に当てはめてみましょう。

・「安くものを仕入れられる場所」「高く売れる場所」を見つけて、世界中の金が彷徨っている

・小豆、大豆などの商品相場は「危ないから素人が手を出してはいけない」と家訓で言われていたが、手を出さざるを得なくなった

・情報は、インターネット上にすぐに配信されてしまうから、取って置きの情報は「インサイダー情報」しかない。

というところでしょうか?

すると、天才的なプロフェッショナルは別として、素人は、まぐれ当たりすることはあっても、コンスタントにヒットを打てるものではない、ということになりませんか?

確実に儲けているのは、「参加する場を設定し、儲かった参加者からも、大損した参加者からも参加手数料、取引手数料を取る」金融・証券機関だけかもしれません。


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さて、金融緩和の復習、トマ・ピケティ『21世紀の資本』、やさしい経済学、資本主義の話はこれくらいにして、ゼミの話をまとめます。

金融市場の「ふれ」が以前よりも激しい。市場は「材料」を探している。

政権崩壊の原因のかなりの部分はインフレ、例えば、フランス革命、ドイツのナチ台頭

景気は政府、物価は中央銀行、という責任分担

固定相場では、実体とのギャップが生まれ、やがて崩壊する。時間の問題。

社会、時代、人間は変動する。固定よりも変動相場。

経常収支、貿易収支なのの実需は国際経済の2%に過ぎない。ほとんどが投資

利子率が上がれば預金が動く。成長率が上がれば株価が動く。資金が一定であれば、預金と株価の片方が上がれば他方は下がる。ところが量的緩和状態では預金も株価も両方上がる。

日本人は株式投資家が少なく、また消費思考でないため、株が上がっても消費に回らない。

地政学、世界的政策(金融緩和、バブル時の不動産投資など)に着目しておく

市場は値そのものよりも、予想との差、で動く

仮想通貨(ビットコイン)、現在の使用者はほとんど中国人、通貨から価値への移転、物々交換に近づく

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EU・ヨーロッパ

EU経済の比率、ドイツ30、フランス20、ギリシャ3、この100分の3の扱いでもめている

ギリシャ

EUから4か月の猶予

ギリシャのEUとの約束、富裕層への徴税、脱税、密輸入を取り締まる→本来、当たり前のこと

ギリシャは納税率が低く、徴税も難しい。

ギリシャ政権は対EU強硬論で選挙に勝っており、簡単に妥協すると、国内で暴動の恐れ

ユーロ離脱は、EU離脱を意味し、関税が高くかかってしまうことから、あり得ない

ウクライナ

インフレで金利30%、ロシアはガス供給制限でエネルギー危機

アメリカが介入する前に、ドイツ、フランスが介入し、停戦協定を結んだが、EU未加盟のため、援助を受けにくい

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原油

原油暴落は一段落し、50ドル台で底値安定


アメリカ

金融量的緩和が終了し、利上げの時期を世界中が注目している

NYダウ、ナスダックは史上最高値を更新、そろそろ金融引き締めの時期

雇用統計:失業率5.6%、非農業分野増加数25万人(通常10万人、景気回復時20万人)、グリーンスパンは5.6%で金利引き上げ

イエレン議長は雇用の質(レイオフされた重役がパートタイムは雇用でも質が低下)を見るため、賃金上昇率の着目

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日本

国債が入札不調。一旦、市場に出た国債を日銀が買う。金融機関が低金利、マイナス金利のため買わない。

日本国債の金利が低いのは日銀が買っているからで、海外からの信頼によるものではない。

株価、東証時価総額がバブル時の90%にまで回復

日本株、公務員共済30%、年金GPIF20%は資金を日本株で運用。国債から株式へのシフト。

国債から株式へのシフトに伴い、企業はROEを重視し、株価を上げようとする。実体経済よりも資本経済。

日銀の出口戦略は「ない」日銀が国債を買うのを停止すると、値崩れし、金利が上昇


中国

8%の成長率維持は難しく、7%前半に下げる。

不良債権バブル、不良債権の引き締めを行う

上海、鉄道、道路などのインフラが整備され、公共事業の余地がもうない


ブラジル

景気が悪いが、インフレを抑制。インフレを抑制しないと、輸入品物価が上がる。

緊縮財政、増税で財政再建

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当面の金融市場

為替:対円でドル高、ユーロ安

円が買われるのはEUの金融量的緩和、ギリシャ危機

株式:米やや高、日やや高

国債(金利):米やや安(株式買いのため)、日やや高(金利が安すぎて値崩れ、マイナス金利では買わない)

商品(金):やや高(国際的危機のため)




2015年03月03日

東大共生のための国際哲学研究センター・小林康夫先生退任シンポジウム

という案内が来ました。

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知をひらく、知をつなぐ。『知の技法』新たな普遍性をもとめて

に書いたように、

小林康夫先生は、東大駒場の教養学部の「基礎演習」のサブテキスト『知の技法』をつくられた方です。

知をひらく、知をつなぐ。『知の技法』から20年


東大駒場の教養学部のカリキュラムは、人文科学、社会科学、自然科学が幅広く、内容も豊富で、講師陣も多様です。

特に、人文科学、社会科学は優れたもので、これだけの陣容を誇るのは、東大ならでは、です。

ただ、20年前までは、ほとんどの授業は、「確立された知」を先生が、学生に教える、ものでした。

この『知の技法』は、学問のやり方、を教えるもので、「知」をもとに、考える、議論する、活用する、という、当時としては画期的なものでした。


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なお、小林康夫先生については、

「確立された知」を教わるだけでなく、知をひらく、知をつなぐ

小林康夫先生には、科学技術インタープリター養成プログラムでもお話を伺い、その様子は、

知ること、考えること、説明すること

「自分さがし」か?「自分つくり」か?

「実際の事」と「想像上の事」の組み合わせ

読んでもらえるエッセイとは?

に書きました。

退官記念インタビュー(前編)

退官記念インタビュー(後編)

も興味深いです。

小林康夫先生は、『知の技法』だけでなく、共生のための国際哲学研究センター(UTCP)のリーダーもされていました。

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理工系大学こそ、リベラル・アーツが大切




会場の若い学部学生から、

「実用性を考えると、リベラルアーツ、教養って役に立つのですか?無駄じゃないですか?小説を読んだり、クラッシック音楽を聴くのって娯楽じゃないですか?」

という質問がありました。

リベラルアーツ、教養って、若い、学んでいる時は「役に立たない」と思われることが多いが、ある時を過ぎてから、アイデアの基盤となり、視野を広げ、俯瞰的な思考のベースとなる、大切なものであることに、振り返って気づくものかもしれない。

というものです。

大切さを経験した人は、まだ経験していない人に対して、何とか伝えようとするのですが、残念ながら、うまく伝わらない。

そして、経験していない人が、ある時に「こういうことだったのか」と悔やむことになる。

東大も駒場の人文・社会科学の幅広い、豊富な人材、講義が非常に素晴らしいのですが、駒場の時はその良さをわからずに講義をさぼってしまい、大学院、あるいは社会に出てから、必要性、重要性に気づいて、聴講に来ることがよくあります。


「高度に専門化し、専門ごとに分化しがちな理工系だからこそ、リベラル・アーツが大切」

もちろん、数学、物理などの理工系は大切です。これがあることが前提です。

東大、東工大の学生は、数学、物理などの理工系は、難関の入試を突破する以上、日本のトップクラスであることは間違いありません。

これが確保された前提で、最先端の研究活動を行うには、アイデアの基盤となり、視野を広げ、俯瞰的な思考のベースとなる、リベラル・アーツが大切です。


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専門を深化する工学と俯瞰し、つなげる人文・社会科学




工学が、個々の専門の技術を深化させる

その進化した個々の技術を、

社会的なニーズに基づいてつなげるのが、経済、社会、法学などの社会科学

自分の中で、ある考えに基づいて、再構築するのが哲学などの人文科学


と書きました。

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この問いに関する答えもかねて、小林先生を中心に、会場からも有意義なお話がありましたので、まとめてみます。


・人文科学の源泉としての哲学を、紙面上で言語で表現される思考ではなく、身体を媒介して現場に適用できるものに。人文科学とはカッコつきの「教養」ではなく、学問、研究を深い次元で結びつけるもの。学問は人と人の付き合いだから長く継続する。組織同士の付き合いだと変化で消滅する。

・ひとつの場から出発して、いろいろな経験、大変なことがあったけれど、すべて自分のためになっている。自分が楽しいと周りも楽しい。

・哲学は現場には役に立たない、紙面上の観念的なものだけではない。高度な思考は紙面上でなければ展開できないが。コンセプトだけではなく、現場に結びつくもの、身体を媒介して実行する。

・思考が育つ場所、哲学は自分一人だけでなく、他者と対話して築いていく。他者の存在が不可欠。

・大学教員は専門を超えたアウェイのことをやってこそ、意義がある。

・ビッグネーム、偉い人を呼んで、お祭り的に講演をやっても、一方的なもので、対話は生まれない。

・相手の言うことを単に認めるのではなく、批判するのでもなく、対話により、思いがけない価値を築いていく。

・ビッグネーム、偉い人を呼んで、話を伺うのは昔の学問のやり方。自分から外に攻めていく。語学力だけでなく、外の人に聞いてもらえる意義、内容が大切 

・英語で論文集を用意しておく。これがないと、外に攻めていけない。海外とのコミュニケーションが成立しない。

・組織に頼らない、人と人とのつながりで始まる。組織の付き合いは変化で消滅するが、人と人の付き合いは、1回こっきりではなく、長続きする。 

・人文科学を「」付きの「勉強」「教養」にしてしまってはいけない。現場から遊離してしまっては、意味がない。

・異なる言語間でどれだけ対話が成立し得るか?文化的背景をどれだけ踏まえることができるか?

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・哲学はギリシャ哲学から始まるものではなく、宇宙誕生から始まる。

・学問は自由に行うだけではなく、時として、望まないものを強制的に学ぶことから、あたらしいものが生まれる。「自分の専門ではないから」と枠の中に閉じこもっていては、勉強にならない。

・英語は下手でも、相手が興味を持ってくれれば通じる。用意したものを読むのではなく、その場に応じたやり取りがコミュニケーション。それが伝わった瞬間に通じる

・身体のリズムがコミュニケーションの源泉、教育は場、身体、リズムが作る。

・言語はハイブリッド(日、英、仏、中など)で活用するが、統合はできない。 

・弟子の準備ができた時に師が現れる。(河合隼夫)

・人はどう生きるべきか?倫理は問い続けなければならない。

・「現場へ行く」という言い方。「現場」は自分とは離れた場所、通常関わることはないが、ある時だけ関わるというニュアンス。実際には、自分がいつも関わっている「現場」がある。

・ビジネス最前線の「現場」とアカデミアの「大学」の「ずれ」(視点、立場)が有効だったりする。

・学問、ビジネス、生活はお互いの境界を侵さないように行われてきた。今後は、境界を超えていくことにより、あたらしい価値を創っていく。ただし、衝突は避けられない。

・現場が「対象」で、研究者が表現するのではなく、現場の当事者が自ら表現する場をつくる 

・哲学は哲学者ごとに異なる。正解は全くない。 

・知識を蓄えた老教授ではなく、常に新しいものを求める学生であり続ける。

・「場」は自然にはできない。意識しなければ作れないし、維持するにはパワー、労力が必要 

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それぞれに含蓄があって、まだ消化しきれていないのですが、これらの中で、今の時点で、特に興味深く検討したいのが、

・組織に頼らない、人と人とのつながりで始まる。組織の付き合いは変化で消滅するが、人と人の付き合いは、1回こっきりではなく、長続きする。 

・学問は自由に行うだけではなく、時として、望まないものを強制的に学ぶことから、あたらしいものが生まれる。「自分の専門ではないから」と枠の中に閉じこもっていては、勉強にならない。

・身体のリズムがコミュニケーションの源泉、教育は場、身体、リズムが作る。

・ビジネス最前線の「現場」とアカデミアの「大学」の「ずれ」(視点、立場)が有効だったりする。

・学問、ビジネス、生活はお互いの境界を侵さないように行われてきた。今後は、境界を超えていくことにより、あたらしい価値を創っていく。ただし、衝突は避けられない。

・「場」は自然にはできない。意識しなければ作れないし、維持するにはパワー、労力が必要 

でしょうか?

折に触れて、検討していきたいと思います。



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