2018年11月
2018年11月20日
日産 ゴーン会長を逮捕、日本に到着した直後に
役員報酬虚偽で立件は異例 ゴーン容疑者、高額で悪質
有価証券報告書の作成は会社が行うもので、会社とそれを見過ごした監査法人にその責任がある、
何故ゴーン会長及び社長がピンポイントで逮捕されたのだろうか?
ゴーン氏からの強い指示があったと言うことなのだろうか?
日産・ルノー、カルロス・ゴーン氏逮捕のニュースは日本だけでなく、世界中に衝撃を与えました。
ゴーン氏が赤字再建に乗り込んできた頃の日産は
名作経済小説『労働貴族』のモデル塩路一郎氏死去。日産経営危機の“元凶”元労組リーダー死去「社内にスパイがいて悪口はタブー」
にあるように、組合書記長の権力が社長のしのぐような状況で、赤字は1兆円を超え、破たん寸前でした。
日産に限らず、当時の、日本の大手メーカーは、系列と呼ばれる、下請けメーカーに部品を作らせ、納品させていました。
当初は、それが品質を担保していたのですが、やがて粗悪品を割高で引き取る慣習となります。
それよりも、標準品の部品を広く市場から調達した方が、安くて、品質が良いものを、早い納期で手に入ります。
今考えれば、当たり前のことですが、当時の大手メーカーには強い反対、抵抗がありました。
経済成長からキャリアを考えるとわかりやすい
に
>
GDPが伸びている時は、市場が伸びているため、工場などの生産設備を増強し、会社の組織も大きくなっていきます。
雇用は安定した「終身雇用」で、役職、収入も年齢と共に上がっていきます。
工場はたくさんの労働者を必要とし、家族も含めると数万人の規模に達し、「企業城下町」と言われるようになりました。
製鉄の釜石、北九州、室蘭、石炭の夕張、いわき、造船の播磨、長崎、下関などでしょうか。
すると、会社のコミュニティーと地域のコミュニティーが、ほとんど同じになります。
さらに「終身雇用」ですから、同じ人々と同じ地域で、しかも家族ぐるみで、数十年、一緒に暮らす、ことになります。
コミュニティーの一体感を強化するために、運動会、お祭り、社員旅行などが、やはり家族ぐるみで行われます。
会社は儲かっていますので、社員に安心して働いてもらうために、手厚い福利厚生を行います。
「会社のコミュニティーと地域のコミュニティーが、ほとんど同じ」「家族ぐるみで、数十年、一緒に暮らす」ため、コミュニティーの秩序を壊さないように、人事処遇制度は年功序列、横並び、になります。
さて、仕事ですが、市場が伸びて、会社の組織も大きくなっているので、とにかく、いろいろな仕事があります。
さて、成長していたGDPは頭打ち、後退を迎えます。
生産拠点は日本国内から労働賃金の安い中国、東南アジア諸国に移転し、国内の工場は縮小、閉鎖となります。
希望退職者を募ったり、レイオフがあったりして、雇用は不安定になり、収入も減ります。
工場長など、管理職は自分の職が、なくなる、統廃合される、おそれがあるだけでなく、労働者に他の場所への異動、レイオフを告げなければなりません。
人間関係は殺伐とし、とても運動会、お祭り、社員旅行など家族ぐるみの付き合いができる状況ではありません。
手厚い福利厚生も削減され、これまで会社が負担してくれるのが当たり前だったものが自己負担となり、収入が減っているのに、さらに支出は増えます。
これまではある年齢になると、課長、部長、工場長などに昇進し、収入も上がっていくのが当然だったのですが、収入減だけでなく、将来のキャリアも見えなくなります。
>
不採算部門の閉鎖などのリストラは、しがらみのない、外部から来た人でないと難しかったりします。
地域祭りの時の、系列子会社の社員の家族の顔など、思い出していたら、リストラはできません。
オープン・マインド 日産自動車 VP&CIO 行徳 セルソさん
>
日産自動車と言えば、まず、頭に浮かぶのが、CEOのゴーン氏ですが、そのゴーン氏にスカウトされたVP&CIOの行徳セルソさんからお話を伺いました。
行徳さんは、日系 3 世としてブラジルに生まれ、大学(土木工学)を卒業して銀行に就職。
システム・アナリストを振り出しに、米国系のコンサルティング会社(アンダーセン)、日系半導体販社(東芝)やソフトベンダーなどを経て、ゴーン氏にスカウトされ、日産自動車に入社。
実は、その時、マイクロソフト社への転職が内定していたそうです。
グローバル化を進める日産では、製造・販売拠点を次々に海外に設立しています。
そうした中で日本人社員も異なる価値観を受け入れ、世界に目を向けることは、自らの可能性を大きく広げる絶好の機会だと思います。
終身雇用制が崩れつつある今、会社が社員になしうることは、外の世界で通用する知識や技術の習得の機会を与え、経験を積ませることです。
日産で残念に思うのは、入社時にはやる気に満ちていたのに、次第にそれが衰えていくこと。
会社での経験を基に自らの進路を見定め、会社の方針と合わなければ、転職して自己を実現することが、社員にとっての幸せです。
●傾いた企業に乗り込んで経営を立て直す経営者はまず、ムダ、コストを削減し、赤字を減らし、経営状況を改善する。
その後、魅力的な商品を開発し、利益を生み出す。順番はこの通り、逆ではダメ。
●業界トップを狙う商品と、お付き合いする商品がある。日産の場合、前者が電気自動車、後者がハイブリッド・カー
>
ゴーン氏の赤字からのV字回復、早くからの電気自動車の開発(トヨタ、ホンダは当時は次世代自動車は燃料自動車をターゲット)、ルノー、三菱との提携、などの手腕は見事だっただけに、
本当に今回の件は残念です。
今後どのような真相が出てくるのか、見守ることにします。
役員報酬虚偽で立件は異例 ゴーン容疑者、高額で悪質
有価証券報告書の作成は会社が行うもので、会社とそれを見過ごした監査法人にその責任がある、
何故ゴーン会長及び社長がピンポイントで逮捕されたのだろうか?
ゴーン氏からの強い指示があったと言うことなのだろうか?
日産・ルノー、カルロス・ゴーン氏逮捕のニュースは日本だけでなく、世界中に衝撃を与えました。
ゴーン氏が赤字再建に乗り込んできた頃の日産は
名作経済小説『労働貴族』のモデル塩路一郎氏死去。日産経営危機の“元凶”元労組リーダー死去「社内にスパイがいて悪口はタブー」
にあるように、組合書記長の権力が社長のしのぐような状況で、赤字は1兆円を超え、破たん寸前でした。
日産に限らず、当時の、日本の大手メーカーは、系列と呼ばれる、下請けメーカーに部品を作らせ、納品させていました。
当初は、それが品質を担保していたのですが、やがて粗悪品を割高で引き取る慣習となります。
それよりも、標準品の部品を広く市場から調達した方が、安くて、品質が良いものを、早い納期で手に入ります。
今考えれば、当たり前のことですが、当時の大手メーカーには強い反対、抵抗がありました。
経済成長からキャリアを考えるとわかりやすい
に
>
GDPが伸びている時は、市場が伸びているため、工場などの生産設備を増強し、会社の組織も大きくなっていきます。
雇用は安定した「終身雇用」で、役職、収入も年齢と共に上がっていきます。
工場はたくさんの労働者を必要とし、家族も含めると数万人の規模に達し、「企業城下町」と言われるようになりました。
製鉄の釜石、北九州、室蘭、石炭の夕張、いわき、造船の播磨、長崎、下関などでしょうか。
すると、会社のコミュニティーと地域のコミュニティーが、ほとんど同じになります。
さらに「終身雇用」ですから、同じ人々と同じ地域で、しかも家族ぐるみで、数十年、一緒に暮らす、ことになります。
コミュニティーの一体感を強化するために、運動会、お祭り、社員旅行などが、やはり家族ぐるみで行われます。
会社は儲かっていますので、社員に安心して働いてもらうために、手厚い福利厚生を行います。
「会社のコミュニティーと地域のコミュニティーが、ほとんど同じ」「家族ぐるみで、数十年、一緒に暮らす」ため、コミュニティーの秩序を壊さないように、人事処遇制度は年功序列、横並び、になります。
さて、仕事ですが、市場が伸びて、会社の組織も大きくなっているので、とにかく、いろいろな仕事があります。
さて、成長していたGDPは頭打ち、後退を迎えます。
生産拠点は日本国内から労働賃金の安い中国、東南アジア諸国に移転し、国内の工場は縮小、閉鎖となります。
希望退職者を募ったり、レイオフがあったりして、雇用は不安定になり、収入も減ります。
工場長など、管理職は自分の職が、なくなる、統廃合される、おそれがあるだけでなく、労働者に他の場所への異動、レイオフを告げなければなりません。
人間関係は殺伐とし、とても運動会、お祭り、社員旅行など家族ぐるみの付き合いができる状況ではありません。
手厚い福利厚生も削減され、これまで会社が負担してくれるのが当たり前だったものが自己負担となり、収入が減っているのに、さらに支出は増えます。
これまではある年齢になると、課長、部長、工場長などに昇進し、収入も上がっていくのが当然だったのですが、収入減だけでなく、将来のキャリアも見えなくなります。
>
不採算部門の閉鎖などのリストラは、しがらみのない、外部から来た人でないと難しかったりします。
地域祭りの時の、系列子会社の社員の家族の顔など、思い出していたら、リストラはできません。
オープン・マインド 日産自動車 VP&CIO 行徳 セルソさん
>
日産自動車と言えば、まず、頭に浮かぶのが、CEOのゴーン氏ですが、そのゴーン氏にスカウトされたVP&CIOの行徳セルソさんからお話を伺いました。
行徳さんは、日系 3 世としてブラジルに生まれ、大学(土木工学)を卒業して銀行に就職。
システム・アナリストを振り出しに、米国系のコンサルティング会社(アンダーセン)、日系半導体販社(東芝)やソフトベンダーなどを経て、ゴーン氏にスカウトされ、日産自動車に入社。
実は、その時、マイクロソフト社への転職が内定していたそうです。
グローバル化を進める日産では、製造・販売拠点を次々に海外に設立しています。
そうした中で日本人社員も異なる価値観を受け入れ、世界に目を向けることは、自らの可能性を大きく広げる絶好の機会だと思います。
終身雇用制が崩れつつある今、会社が社員になしうることは、外の世界で通用する知識や技術の習得の機会を与え、経験を積ませることです。
日産で残念に思うのは、入社時にはやる気に満ちていたのに、次第にそれが衰えていくこと。
会社での経験を基に自らの進路を見定め、会社の方針と合わなければ、転職して自己を実現することが、社員にとっての幸せです。
●傾いた企業に乗り込んで経営を立て直す経営者はまず、ムダ、コストを削減し、赤字を減らし、経営状況を改善する。
その後、魅力的な商品を開発し、利益を生み出す。順番はこの通り、逆ではダメ。
●業界トップを狙う商品と、お付き合いする商品がある。日産の場合、前者が電気自動車、後者がハイブリッド・カー
>
ゴーン氏の赤字からのV字回復、早くからの電気自動車の開発(トヨタ、ホンダは当時は次世代自動車は燃料自動車をターゲット)、ルノー、三菱との提携、などの手腕は見事だっただけに、
本当に今回の件は残念です。
今後どのような真相が出てくるのか、見守ることにします。
2018年11月18日
サイバー担当なのにPC使ったこと「ない」 桜田五輪相
「最強のセキュリティー」 桜田五輪相、PC出来なさすぎて海外で「大人気」に
桜田氏「従業員や秘書に指示してやってきたので、自分でパソコンを打つことはない」サイバー攻撃対策について「私の事務所や国が総力を挙げて総合的にやること」
PCを触ったことがない桜田氏を「システムエラー」「ある種の最強のセキュリティーだ」海外主要紙が相次いで取り上げるなど、「大人気」ともいえる状況
経団連会長執務室、ついにPC、メール導入について
に
>
アメリカのトランプ大統領をはじめ、多くの各国首脳が情報発信にTwitterなどのSNSを駆使しています。
部下任せではなく、トップ自らが情報収集、発信を行うのが、ネット、デジタル時代の特徴でしょうか。
人工知能、Iot、Society5.0の時代に「経団連会長執務室、ついにPC、メール導入」とは、凄いものです。
>
と書いたばかりですが、ネット、デジタル時代のサイバーセキュリティー担当相がPCを使ったことがない、とは、あきれた大臣人事で、世界中の笑いものになっています。
上記ブログ、
働き方革命、意識せずに2度の革命を経験している?
に
>
実は、40歳を超える中高年の人々は、2度の働き方革命を乗り越えていることに気づきます。
1度目は1980年代後半の、紙からPC、への革命。
2度目は1990年代後半から2000年代前半の、ネット革命。
面白いことに、1度目の「紙からPC、への革命」に、乗れない中高年が多かったのですが、
2度目のネット革命により、乗れない中高年も乗り越えてしまいました。
>
と書いたように、ほとんどの中高年も、1990年代後半から2000年代前半の、ネット革命の時に、人によっては、苦手だったPCをマスターしました。
シニア、中高年の働き方が論じられていますが、1990年代後半から2000年代前半の、ネット革命の時にPCをマスターしたか、どうかが、大きな分岐点です。
PCをマスターしなかった、シニア、中高年はネット、デジタル時代に働くのは大変難しくなっています。
2000年代後半からは、スマフォが急速に普及し、シニア、中高年でも使う人が多くなっています。
メール、SNSの受信、簡単な発信、あるいは情報の検索ならば、PCでなくても、スマフォでできるようになりました。
スマホ世代の若手社員はパソコンを使えない!?
スマフォの普及に伴い、かなりのことがスマフォでできるようになったため、小さいころからスマフォを使っている、若い世代にもPCを使えない人が増えてきました。
スマフォだけ使っている人と、PCも使う人には、大きなギャップも感じます。
大規模データの分析、論文の作成、などは、スマフォでは難しく、PCが必要です。
逆に言うと、PCを小さいころから使っている人は、大規模データの分析、論文の作成、などできますが、スマフォだけ使っている人は、できないことになってしまいます。
PCのクラッシュ、を考える
に書いたように、PCを更新したときには、ネット、メールなどの設定が必要なのですが、工学部の学生ですら、これらの設定ができない人が多いことに驚きました。
ネット、デジタル時代には、当たり前だと思っていた、PCが使えることの意味について、あらためて考える機会になりました。
「最強のセキュリティー」 桜田五輪相、PC出来なさすぎて海外で「大人気」に
桜田氏「従業員や秘書に指示してやってきたので、自分でパソコンを打つことはない」サイバー攻撃対策について「私の事務所や国が総力を挙げて総合的にやること」
PCを触ったことがない桜田氏を「システムエラー」「ある種の最強のセキュリティーだ」海外主要紙が相次いで取り上げるなど、「大人気」ともいえる状況
経団連会長執務室、ついにPC、メール導入について
に
>
アメリカのトランプ大統領をはじめ、多くの各国首脳が情報発信にTwitterなどのSNSを駆使しています。
部下任せではなく、トップ自らが情報収集、発信を行うのが、ネット、デジタル時代の特徴でしょうか。
人工知能、Iot、Society5.0の時代に「経団連会長執務室、ついにPC、メール導入」とは、凄いものです。
>
と書いたばかりですが、ネット、デジタル時代のサイバーセキュリティー担当相がPCを使ったことがない、とは、あきれた大臣人事で、世界中の笑いものになっています。
上記ブログ、
働き方革命、意識せずに2度の革命を経験している?
に
>
実は、40歳を超える中高年の人々は、2度の働き方革命を乗り越えていることに気づきます。
1度目は1980年代後半の、紙からPC、への革命。
2度目は1990年代後半から2000年代前半の、ネット革命。
面白いことに、1度目の「紙からPC、への革命」に、乗れない中高年が多かったのですが、
2度目のネット革命により、乗れない中高年も乗り越えてしまいました。
>
と書いたように、ほとんどの中高年も、1990年代後半から2000年代前半の、ネット革命の時に、人によっては、苦手だったPCをマスターしました。
シニア、中高年の働き方が論じられていますが、1990年代後半から2000年代前半の、ネット革命の時にPCをマスターしたか、どうかが、大きな分岐点です。
PCをマスターしなかった、シニア、中高年はネット、デジタル時代に働くのは大変難しくなっています。
2000年代後半からは、スマフォが急速に普及し、シニア、中高年でも使う人が多くなっています。
メール、SNSの受信、簡単な発信、あるいは情報の検索ならば、PCでなくても、スマフォでできるようになりました。
スマホ世代の若手社員はパソコンを使えない!?
スマフォの普及に伴い、かなりのことがスマフォでできるようになったため、小さいころからスマフォを使っている、若い世代にもPCを使えない人が増えてきました。
スマフォだけ使っている人と、PCも使う人には、大きなギャップも感じます。
大規模データの分析、論文の作成、などは、スマフォでは難しく、PCが必要です。
逆に言うと、PCを小さいころから使っている人は、大規模データの分析、論文の作成、などできますが、スマフォだけ使っている人は、できないことになってしまいます。
PCのクラッシュ、を考える
に書いたように、PCを更新したときには、ネット、メールなどの設定が必要なのですが、工学部の学生ですら、これらの設定ができない人が多いことに驚きました。
ネット、デジタル時代には、当たり前だと思っていた、PCが使えることの意味について、あらためて考える機会になりました。
2018年11月12日
10年前に
開成中学・高校合同大同窓会
に
>
開成中学・高校合同大同窓会なるものが開催されました。
高校の同窓会って、通常3年生の時のクラスで行われます。
でも、仲のよかった友達は1、2年生の時に同じクラスだったりして、同窓会に行っても仲のよかった友達はあまりいないから、どうしよう?なんてこともあります。
そんなことを考えてか?学年全体の同窓会をやる、という案内がきました。
1クラス50名、8クラスありましたから、計400名、それに先生を加えると、連絡がとても大変、どうするのかしら?
でも、とにかく開催されたのです。幹事の皆様方、本当にご苦労様です。
>
と書いてから、10年が経ちました。
また、開成高校40周年同窓会が開催されました。
高校の卒業40周年同窓会は、万障繰り合わせの上、参加したいものです。
もしかしたら、会うのは、今回が最後かもしれません。
そんな状況を反映してか、百数十名の卒業生が集まりました。
>
みんな変わらない、と言いたいところだけど、これだけ集まると、仲のよかった、クラスが一緒だった人しか、名前と顔が一致しません。みんな、それなりに年を取りました。それが、時の流れでしょうか?
>
日頃会う機会がある人以外は、街で遭ってもわかりません。名札がないとわかりません。
さて、開成高校の卒業生だからといって、全員が社長、経営陣、重役ではありません。
順風満帆の人生を送ってきた者など、ほとんどいないでしょう。皆、艱難辛苦を乗り越えて、ここにいます。
不況の影響は、開成卒業者にも例外なく、襲い掛かります。
卒業10〜15年の同窓会では、お互いが、自分の活躍を競い合います。
20年たつと、開成高校卒業生といえども、出世コースから外れる人が出てきます。こういう人は同窓会に来なくなります。
ところが、30年、40年たつと、そういう肩の力も抜けてきます。
互いの出世、活躍を競い合うよりも、久しぶりの再会を喜び、昔を懐かしみ、人生100年時代の折り返しを語り合います。
昔の仲間だけでなく、大切なのが先生です。
仲間はせいぜい前後1年くらいなのですが、先生は数十年のスパンで卒業生に触れています。
それゆえ、SNSに写真をアップすると、幅広い年代から反響があります。
音信不通になっていた、仲のよかった友達とも、ネットワークの回復ができました。
あっという間の、懐かしいひと時でした。
集まった皆様、幹事の皆様、ほんとうにご苦労様でした。
開成中学・高校合同大同窓会
に
>
開成中学・高校合同大同窓会なるものが開催されました。
高校の同窓会って、通常3年生の時のクラスで行われます。
でも、仲のよかった友達は1、2年生の時に同じクラスだったりして、同窓会に行っても仲のよかった友達はあまりいないから、どうしよう?なんてこともあります。
そんなことを考えてか?学年全体の同窓会をやる、という案内がきました。
1クラス50名、8クラスありましたから、計400名、それに先生を加えると、連絡がとても大変、どうするのかしら?
でも、とにかく開催されたのです。幹事の皆様方、本当にご苦労様です。
>
と書いてから、10年が経ちました。
また、開成高校40周年同窓会が開催されました。
高校の卒業40周年同窓会は、万障繰り合わせの上、参加したいものです。
もしかしたら、会うのは、今回が最後かもしれません。
そんな状況を反映してか、百数十名の卒業生が集まりました。
>
みんな変わらない、と言いたいところだけど、これだけ集まると、仲のよかった、クラスが一緒だった人しか、名前と顔が一致しません。みんな、それなりに年を取りました。それが、時の流れでしょうか?
>
日頃会う機会がある人以外は、街で遭ってもわかりません。名札がないとわかりません。
さて、開成高校の卒業生だからといって、全員が社長、経営陣、重役ではありません。
順風満帆の人生を送ってきた者など、ほとんどいないでしょう。皆、艱難辛苦を乗り越えて、ここにいます。
不況の影響は、開成卒業者にも例外なく、襲い掛かります。
卒業10〜15年の同窓会では、お互いが、自分の活躍を競い合います。
20年たつと、開成高校卒業生といえども、出世コースから外れる人が出てきます。こういう人は同窓会に来なくなります。
ところが、30年、40年たつと、そういう肩の力も抜けてきます。
互いの出世、活躍を競い合うよりも、久しぶりの再会を喜び、昔を懐かしみ、人生100年時代の折り返しを語り合います。
昔の仲間だけでなく、大切なのが先生です。
仲間はせいぜい前後1年くらいなのですが、先生は数十年のスパンで卒業生に触れています。
それゆえ、SNSに写真をアップすると、幅広い年代から反響があります。
音信不通になっていた、仲のよかった友達とも、ネットワークの回復ができました。
あっという間の、懐かしいひと時でした。
集まった皆様、幹事の皆様、ほんとうにご苦労様でした。
2018年11月02日
文藝春秋11月号。大学入試の国語に記述式が加わるが、読まされるのは駐車場の契約書などで、高校の国語は高2高3は「文学国語」か「論理国語」のどちらかしか選択できなくなる、入試を考えてほとんどの高校が「論理国語」を選択するだろう。高校から文学作品が消えようとしてる。 via @arapanman
というポストがありました。
これについては、いろいろな考えがあるでしょう。
「TAK」さんとしては、
高校の国語「文学国語」「論理国語」などに分割するよりも、契約書などの文章も、文学作品も含む形で「国語」として学びたい
契約書、取扱説明書などを正しく読んで、理解することは大切です。
ただし、それだけではなく、夏目漱石「坊ちゃん」「三四郎」森鴎外「舞姫」川端康成「伊豆の踊子」谷崎潤一郎「痴人の愛」
さらには、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」スターバック「赤い子馬」ドストエフスキー「白夜」ツリゲーネフ「初恋」
などの文学作品を中学高校で味わっておくと、大学生活がぐっと広がり、深まります。
言語での表現は、国語だけでなく英語もあります。
大学教養課程では、実用英語に加えて、科学論文を大量に読む、と査読に通る論文を書けるようになる、
というのが見解です。
「TAK」さんは、東大、東工大、慶應義塾、早稲田などを拠点としているので、エリート学生に焦点が集まっての見解です。
ことばの表現が生まれる舞台裏
文学、言語による表現の可能性、無限性
>
文章とは言語という媒体を使って、自分が表現したいことを表現するアート、ということができます。
アートとは音楽、絵画、写真、彫刻などの媒体を使って、自分が表現したいことを表現するもの、でしょうか?
作品を作る時は自分の概念を具現化させて自分の世界を構築させようという出発点から始まる
無から有を生む、というものよりも、既に自分が抱いている、持っているコアをベースに未知のものを創造していく
作品が重視されがちだけれども、アーティストにとっては、作品以上に創造するプロセスが重要であったりする
研究も既存の研究成果(自分、他者を含めて)をベースに、ある特定の分野を掘り下げて、探究し、真理を発見したり、仮説を構築し、何らかの手法で検討したりして、未知のものを創造して、自分の世界を構築していく
文章を書く場合、絵画、写真のように、風景、人物、モノ、事象を、言語という媒体を使って、表現する場合があります。
この場合、風景、人物、モノ、事象を忠実に観察し、その結果を言語を使って表現することになります。
これはサイエンスの観察、観測に似ています。
写真の場合、同じ被写体であっても、写真家によって、全く異なる印象を受けるように、同じ風景、人物、モノ、事象の記述であっても、筆者により、全く異なる記述になる場合が少なくありません。
風景、人物、モノ、事象を記述するだけでなく、自分の考え、アイデアも言語という媒体を使って表現します。
上記のように、無から有を生む、というものよりも、既に自分が抱いている、持っているコアをベースに、
いくつかのものを組み合わせて、新しいアイデアにする。これは工学に似ています。
あるいは、既にあるものを改良する。これは農学に似ています。
文章は言語が主体ですが、言語だけでなく、写真、イラスト、動画、音楽なども使うことができます。
文章には、読者がいて、読者に理解してもらうことが前提の文章(広告、企画書、ポスターなど)、自分のために記録する文章(ノート、日記など)があります。
文化、思想を表現する媒体が、言語ですから、外国語のように、異なる言語体系で表現される文化、思想も当然異なるものになります。
異なる言語体系で表現される文化、思想を翻訳することは、単なる言語の置き換えではなく、文化、思想の背景を踏まえることが必要になります。
>
語り、紙、マスメディア、ネット、通信媒体の変化に伴う文芸、コミュニケーションの変化
>
最近では、通信には電話よりもメール、LINEなどのSNSが使われ、音声よりも文章による通信が主体になってます。
通信を含めた情報の受信、発信は、個人がプライバシーを保ちつつ、行われ、受信、発信される情報は、文章が主体で写真などを伴います
このように文章を読む、書くことの重要性が高まっている状況では、文学の役割は、文学作品を鑑賞する、文学作品により、主人公の人生を疑似体験する、だけではなさそうな感がします。
>
文章を書くことは、物事の理解と自分の理解を深めてくれます。今まで分からなかったこと、はっきり意識しなかったことが分かるようになります。それができると、いろんなことへの関わり方が変わります。つまり、人生が変わります。
時々、文章が溶けるように誰かの身体の一部になることがある。誰かの言葉が溶けるように私の文章になる時がある。
文章という表現、コミュニケーション手法について
語と図表、写真、動画を活用して、自らを表現し、それを他の人々に伝える、ことを日々行っています。この場合、想像力がポイントになります。
思いを素直に文章にする習慣は大切なこと
というポストがありました。
これについては、いろいろな考えがあるでしょう。
「TAK」さんとしては、
高校の国語「文学国語」「論理国語」などに分割するよりも、契約書などの文章も、文学作品も含む形で「国語」として学びたい
契約書、取扱説明書などを正しく読んで、理解することは大切です。
ただし、それだけではなく、夏目漱石「坊ちゃん」「三四郎」森鴎外「舞姫」川端康成「伊豆の踊子」谷崎潤一郎「痴人の愛」
さらには、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」スターバック「赤い子馬」ドストエフスキー「白夜」ツリゲーネフ「初恋」
などの文学作品を中学高校で味わっておくと、大学生活がぐっと広がり、深まります。
言語での表現は、国語だけでなく英語もあります。
大学教養課程では、実用英語に加えて、科学論文を大量に読む、と査読に通る論文を書けるようになる、
というのが見解です。
「TAK」さんは、東大、東工大、慶應義塾、早稲田などを拠点としているので、エリート学生に焦点が集まっての見解です。
ことばの表現が生まれる舞台裏
文学、言語による表現の可能性、無限性
>
文章とは言語という媒体を使って、自分が表現したいことを表現するアート、ということができます。
アートとは音楽、絵画、写真、彫刻などの媒体を使って、自分が表現したいことを表現するもの、でしょうか?
作品を作る時は自分の概念を具現化させて自分の世界を構築させようという出発点から始まる
無から有を生む、というものよりも、既に自分が抱いている、持っているコアをベースに未知のものを創造していく
作品が重視されがちだけれども、アーティストにとっては、作品以上に創造するプロセスが重要であったりする
研究も既存の研究成果(自分、他者を含めて)をベースに、ある特定の分野を掘り下げて、探究し、真理を発見したり、仮説を構築し、何らかの手法で検討したりして、未知のものを創造して、自分の世界を構築していく
文章を書く場合、絵画、写真のように、風景、人物、モノ、事象を、言語という媒体を使って、表現する場合があります。
この場合、風景、人物、モノ、事象を忠実に観察し、その結果を言語を使って表現することになります。
これはサイエンスの観察、観測に似ています。
写真の場合、同じ被写体であっても、写真家によって、全く異なる印象を受けるように、同じ風景、人物、モノ、事象の記述であっても、筆者により、全く異なる記述になる場合が少なくありません。
風景、人物、モノ、事象を記述するだけでなく、自分の考え、アイデアも言語という媒体を使って表現します。
上記のように、無から有を生む、というものよりも、既に自分が抱いている、持っているコアをベースに、
いくつかのものを組み合わせて、新しいアイデアにする。これは工学に似ています。
あるいは、既にあるものを改良する。これは農学に似ています。
文章は言語が主体ですが、言語だけでなく、写真、イラスト、動画、音楽なども使うことができます。
文章には、読者がいて、読者に理解してもらうことが前提の文章(広告、企画書、ポスターなど)、自分のために記録する文章(ノート、日記など)があります。
文化、思想を表現する媒体が、言語ですから、外国語のように、異なる言語体系で表現される文化、思想も当然異なるものになります。
異なる言語体系で表現される文化、思想を翻訳することは、単なる言語の置き換えではなく、文化、思想の背景を踏まえることが必要になります。
>
語り、紙、マスメディア、ネット、通信媒体の変化に伴う文芸、コミュニケーションの変化
>
最近では、通信には電話よりもメール、LINEなどのSNSが使われ、音声よりも文章による通信が主体になってます。
通信を含めた情報の受信、発信は、個人がプライバシーを保ちつつ、行われ、受信、発信される情報は、文章が主体で写真などを伴います
このように文章を読む、書くことの重要性が高まっている状況では、文学の役割は、文学作品を鑑賞する、文学作品により、主人公の人生を疑似体験する、だけではなさそうな感がします。
>
文章を書くことは、物事の理解と自分の理解を深めてくれます。今まで分からなかったこと、はっきり意識しなかったことが分かるようになります。それができると、いろんなことへの関わり方が変わります。つまり、人生が変わります。
時々、文章が溶けるように誰かの身体の一部になることがある。誰かの言葉が溶けるように私の文章になる時がある。
文章という表現、コミュニケーション手法について
語と図表、写真、動画を活用して、自らを表現し、それを他の人々に伝える、ことを日々行っています。この場合、想像力がポイントになります。
思いを素直に文章にする習慣は大切なこと
立教大学中原淳先生が
あなたの職場に不足しているのは「主体性」なのか「ビジョン」なのか?
>
管理職の8割は、社員に「主体性がない」という
社員の8割は、管理職には「ビジョン」がないという
>
と書いておられました。
大手製造業へのAI導入の体制の現実
に
>
みんな、よくわからないので、社長から担当取締役、部長、課長、担当者から業者へと「丸投げ」の連鎖が起きます。
さらに、よくないのが、社内担当者は市場、社会よりも、本部長、部長の評価ばかり気にします。
「丸投げ」で、仕様については、具体的な指示はないのに、出来上がった製品の本部長、部長の評価に一喜一憂します。
>
と書きました。
製造業に限らず、大企業と言われる組織の人々と話していて感じるのは、本部長、部長の意向、考えに無意識に同調してしまうこと、でしょうか。
さらに、上記のように、市場、社会よりも、本部長、部長の評価ばかり気にします。
経済成長からキャリアを考えるとわかりやすい
のように、右肩上がりの経済成長の時には、
高速で回転している物体が、多少の外乱があっても、安定して回転し続けるように、このように「うまく回っている」時は、多少のトラブルがあっても、うまくいってしまいます。
「右肩上がりの経済」が崩れると、雇用、収入、働きがい、職場など、すべてが一気に崩れ出します。回転が遅くなった物体は、ちょっとした外乱でも、不安定になります。
「自分たちは負けていない」という間違った現状認識によって、日本の電機産業は衰退した
>
「自分たちは大丈夫。全く問題はない。世界の競合のはるか先を走っている」という錯覚。ところが現実は違っており、海外ではもっとダイナミックな新しい動きが起こっていた
>
変革を拒むのは、かつての王者、あの栄光をもう一度、は絶対にない
>
最近、衰退産業、斜陽産業と言われる業界に伺うことがあります。
世界的なシェアの減少、売上、利益の低下は明白なのですが、なぜか、示されるのが、局地戦では勝利した事例です。
都合の悪い情報は棄却して、都合のよい情報のみ取り入れ、明らかに間違った判断をしています。
そして、「まだまだ、頑張れる」ということになり、精神論が幅を利かせ、「いつか必ずよみがえる」と言わなければ非国民とされるような、恐ろしい雰囲気があります。
>
一見、安定しているように見える大企業が、崩れだすともろいのは、この暗黙の同調性によるのかもしれません。
あなたの職場に不足しているのは「主体性」なのか「ビジョン」なのか?
>
管理職の8割は、社員に「主体性がない」という
社員の8割は、管理職には「ビジョン」がないという
>
と書いておられました。
大手製造業へのAI導入の体制の現実
に
>
みんな、よくわからないので、社長から担当取締役、部長、課長、担当者から業者へと「丸投げ」の連鎖が起きます。
さらに、よくないのが、社内担当者は市場、社会よりも、本部長、部長の評価ばかり気にします。
「丸投げ」で、仕様については、具体的な指示はないのに、出来上がった製品の本部長、部長の評価に一喜一憂します。
>
と書きました。
製造業に限らず、大企業と言われる組織の人々と話していて感じるのは、本部長、部長の意向、考えに無意識に同調してしまうこと、でしょうか。
さらに、上記のように、市場、社会よりも、本部長、部長の評価ばかり気にします。
経済成長からキャリアを考えるとわかりやすい
のように、右肩上がりの経済成長の時には、
高速で回転している物体が、多少の外乱があっても、安定して回転し続けるように、このように「うまく回っている」時は、多少のトラブルがあっても、うまくいってしまいます。
「右肩上がりの経済」が崩れると、雇用、収入、働きがい、職場など、すべてが一気に崩れ出します。回転が遅くなった物体は、ちょっとした外乱でも、不安定になります。
「自分たちは負けていない」という間違った現状認識によって、日本の電機産業は衰退した
>
「自分たちは大丈夫。全く問題はない。世界の競合のはるか先を走っている」という錯覚。ところが現実は違っており、海外ではもっとダイナミックな新しい動きが起こっていた
>
変革を拒むのは、かつての王者、あの栄光をもう一度、は絶対にない
>
最近、衰退産業、斜陽産業と言われる業界に伺うことがあります。
世界的なシェアの減少、売上、利益の低下は明白なのですが、なぜか、示されるのが、局地戦では勝利した事例です。
都合の悪い情報は棄却して、都合のよい情報のみ取り入れ、明らかに間違った判断をしています。
そして、「まだまだ、頑張れる」ということになり、精神論が幅を利かせ、「いつか必ずよみがえる」と言わなければ非国民とされるような、恐ろしい雰囲気があります。
>
一見、安定しているように見える大企業が、崩れだすともろいのは、この暗黙の同調性によるのかもしれません。