2011年06月02日

東大五月祭特別講演 船曳建夫 教授「人間の住むところ」

に参加します


船曳建夫 教授(東京大学大学院 総合文化研究科 文化人類学)は東大教養学部で新しいテキスト「知の技法」を作られたり、ゼミにホリエモンが参加したり、と以前から興味深い先生でした

今日のテーマは「人間の住むところ」


農業文明から産業文明に転換しつつあるこの二百年、人口は村から町に移動している。

しかし、知り合いと対面しながら住むムラと、見知らぬ顔の人と社会的関係を取りながら共に住むマチとは、たんに村落部と都市部という地理的に異なる空間のことではない。

それはライフスタイルのことでもある。村にもマチが、町にもムラがあるのだ。

私たちは、いま、生まれてから死ぬまでの住むところを、ムラ的な生活とマチ的な生活のあいだで、漂いながら模索している。


というのが案内文です

以下は先生のお話の紹介というよりも、先生のお話をベースに「TAK」さんが考えたことを書きます



農業を生活の糧とする、とは、一か所への「定住」を意味します。

農業は定住する必要があり、また、農作業には人手がかかります。

すなわち、農業生活においては、家族とは生計を立てる上で必要な労働力集団、をも意味します

さらに、田植、稲刈り、などは、家族だけの労働力では足りず、地域コミュニティーが輪番で、今日はAさんの田んぼ、明日はBさんの田んぼ、というように、協力し合いながらの生活でした

自分の田んぼの田植、稲刈りはみんなに手伝ってもらったのに、他の人の分は手伝わない、なんて許されません

そういった場合、村八分という仲間外れにされる制裁がありました

というように、ムラ社会のコミュニティーは地域、生活に密着し、逃れられない濃いものでした



農耕文明から産業文明に移行すると、人はムラからマチに移り住み、会社、工場に勤務することにより、生活の糧を得るようになります

農業社会においては、家族は全員農業に従事せざるを得ませんでしたが、産業社会においては、家族はそれぞれの生活ステージに応じた生活をします

地域においても特に共同で何かを行う必要もなく、地域コミュニティーは、隣に住む人とはあいさつを交わす程度の希薄なものになります

一方、会社に対しては、逃れられず強制的な参加を余儀なくされます

家庭に対しては、「家庭内の活動が活発な時期」と「社会活動が活発な時期」で参加の程度が異なります

例えば、子供は幼児期はほとんど家庭にいますが、成長に伴い、家庭で過ごす時間、家庭への依存は減少し、社会での活動が増えていきます

親も同様で育児に手がかかる時期は、家庭で過ごす時間、家庭の重要性が高いですが、子育てから手が離れると、社会での活動が増えていきます



ここまでは従来型のコミュニティ論で説明がついたのですが、インターネットが発達して構造が複雑化しました

インターネットの発達初期は、学校、職場、などのリアルなコミュニティーで既に知っている人たち同士が、メールで連絡を取り合うなど、従来型のコミュニティーが効率化した程度のものでした

ところが、ブログで個人が広く社会に情報発信できるようになり、Twitterで知らない同士がつながるようになると、ネット上でリアルなコミュニティーを超えて結びつき、そのバーチャルなコミュニティーがリアルで会ったりして、逆にリアルコミュニティーを形成したりするようになります

このようなコミュニティーでは参加には条件が付く場合がありますが、参加は強制されず、脱退は自由です

コミュニティーが急に発生したり、人気があったコミュニティーが急速に衰退したりします

また、知識、スキル、活動が豊富な人はひとつのコミュニティーにとどまらず、複数のコミュニティーを自在にあやつります

このあたりの話になると、まだまだ未知の世界でこれから切り拓いていくことになります

「リアルとバーチャル融合型コミュニティー」はどうなるのか?楽しみです









「TAK」さんstakeid at 15:53│コメント(0)トラックバック(0)このエントリーをはてなブックマークに追加

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