2011年07月04日

六本木・昼夜逆転シェアハウス「トーキョーよるヒルズ」

で開催された

第一回ノマド会議?ノマドってなんぞや!?

に参加しました。

まず、ノマド(遊牧民)社会について解説が必要です


人類は、

・狩猟・採集による移住生活

・農業を営む定住生活

・工場、企業に勤務する定住生活

の順番で生活が推移しています

コミュニティーの変遷 ムラからマチ、そしてリアルとバーチャル融合型へ

に書きましたが、


農業を生活の糧とする、とは、一か所への「定住」を意味します。

農業は定住する必要があり、また、農作業には人手がかかります。

すなわち、農業生活においては、家族とは生計を立てる上で必要な労働力集団、をも意味します

さらに、田植、稲刈り、などは、家族だけの労働力では足りず、地域コミュニティーが輪番で、今日はAさんの田んぼ、明日はBさんの田んぼ、というように、協力し合いながらの生活でした

自分の田んぼの田植、稲刈りはみんなに手伝ってもらったのに、他の人の分は手伝わない、なんて許されません

そういった場合、村八分という仲間外れにされる制裁がありました

というように、ムラ社会のコミュニティーは地域、生活に密着し、逃れられない濃いものでした



農耕文明から産業文明に移行すると、人はムラからマチに移り住み、会社、工場に勤務することにより、生活の糧を得るようになります

農業社会においては、家族は全員農業に従事せざるを得ませんでしたが、産業社会においては、家族はそれぞれの生活ステージに応じた生活をします

地域においても特に共同で何かを行う必要もなく、地域コミュニティーは、隣に住む人とはあいさつを交わす程度の希薄なものになります

一方、会社に対しては、逃れられず強制的な参加を余儀なくされます



最後に「会社に対しては、逃れられず強制的な参加を余儀なくされます」と書きましたが、これについて、会社定住型からノマド(遊牧民)型へ移行するのではないか?というのが、この会議のテーマでしょうか?

会議と言いましたが、型式ばったものではなく、ざっくばらんに話し合おう、というものです。

@aki0211 さん、 @sayuritamaki さん、@Tomohiko_Yoneda さんの3名の方々からノマド(遊牧民)型社会について、プレゼンしていただき、それをネタにみんなで話そう、というものです

議論もまとまる方向と言うよりも、いろいろな意見、見解が出る、という形になります



以下は、この会議で話し合われたこと、と言うよりも「TAK」さんの見解です


「会社定住型からノマド(遊牧民)型」と言っても、

・どの会社、官庁などの組織にも所属することなく、ノマド(遊牧民)型なのか?

・1か所以上、場合によっては複数の会社、官庁などの組織にも所属した上で、そのぞれの組織およびその他コミュニティーをノマド(遊牧民)するのか?


どちらもありですが、私の見解では後者の比率が増えるのでは?という感じがします

組織とコミュニティーを敢えて、別に書いていますが、組織が従来型の会社、官庁、コミュニティーとは参加・離脱が自由でリアル社会だけでなく、ネット上で繰り広げられる集まり、でしょうか

参加離脱が自由なコミュニティーでは、個性は発揮してこそ、存在価値があり、個性を抑制したのでは存在意義がありません。それが地縁・血縁ような参加強制、全面コミットメント強要のムラ社会型共同体と違うところです

この存在価値がないのであれば、ノマド(遊牧民)型は難しくなります。つまり、ノマド(遊牧民)型生活を送るには、それぞれの組織、コミュニティーで価値を生み出すことが不可欠です。単に寄生するだけでは排除されてしまいます

ノマド(遊牧民)的ライフスタイルとは、経済的基盤、社会的ネットワークを維持できる信頼、常に新しいものを生み出すクリエイティビティーが不可欠です。就活がうまくいかない、企業に入りたくない、からのような安易な理由で考えるべきものではありません


研究活動とは美しいアートである

に、


何でも自分の感じたことを表現できる、特に現代アートはいい反面、時にとてもつらくて、何にも表現できなくなることがあります

絵画のようにキャンバスと絵具と筆で二次元で、とか、あるいは、陶芸のように、土を手でこねあげて、それを焼く、のように予めルールが決められて、それにしたがって表現する方が楽なことも多いです


と書きましたが、ライフスタイルも全く同じです。

自由な生き方とは、一見、気楽に思えますが、大変難しいものです。制約がある、決められたことを決められた通りにやる方が、実はずっと楽です


このようにノマド(遊牧民)型生活にはコミュニティーが欠かせません。

参加・離脱が可能なコミュニティーは複数参加してこそ意味があります。

ちょっとおかしくなったコミュニティーからは手を引き、回復するまで待って、もっとおもしろそうなものにコミットします。

一つのコミュニティーにしか参加しないのでは、ムラ、学校、会社のような参加強制共同体とあまり変わらないことになってしまいます


コミュニティーにも、自分が主催者側のものと、参加者側のものがあります

前者では自分が設定した場で、いろいろな人に出会ってもらう楽しさがあります。

ただ、集まる人は自分の知己の範囲で、新しい出会いはそれほどありません。

一方、後者では、自分の専門と少しずれるコミュニティーの場合、思わぬ素敵な出会い、そこから新しい展開があります。

両者の組合せが大切、だと思います


なお、ノマド的生き方を考える:「いいね!」社会

にも、この辺の話が書かれていますので、是非読んでください


ところで、この会議の「場」についての雑感です

この「場」には20名を超える方々が参加されました。全くひとりで参加された方、ある程度知り合いがいる方、男女比率は8:2と男性優位、年代は20代から50代まで、20,30代が多い、という感じでしょうか

全員で議論できる人数の限界は12名程度でしょうか?それを超えると、発言できる人とできない人に分かれてしまいます(場所、発言のタイミング、立場により)

リアルな「場」で発言できない人はtwitterを使うとが発言できます。

ところがリアルな場で行われる議論とtwitter上の議論が乖離したものになってしまっています

これは、今後の課題かな、という気がしました






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