2011年07月31日

劇作家、岸井大輔氏トークイベント「芸術ジャンルに潜在する、愛と空間を探ってみる・プロローグ」

に参加します

110730東京の条件


トークイベントであったお話はこんな感じです


・思い出すことは、時として困難だけれど、何かの拍子に思い出すことがある。この瞬間にしゃべって、引き出すことが素晴らしい

・演劇のうまい役者は、予め決まっているせりふを、あたかも今思いついたかの如く話す。しばりがあるのだが、自由にやっているという矛盾。観客は既にわかっているのに感激する

・音楽では楽譜は決まっている。演劇でもせりふは決まっている。しかし、観客の前での演奏、演劇はその場1回きり

・言葉と行為によって、私たちは自分自身を人間世界の中に挿入する

・アクションとは始めることである。「活動する」とは「始める」「創始する」という意味である

・言論を伴わない活動は、その主語を失う。どういう人か?わからない

・パイプオルガン奏者は独奏のパートよりも、コーラスを引き立てているパートで充実を感じる

・多種多様な人がいるということは、活動と言論が成り立つ基本的な条件であるが、平等と差異という二重の、矛盾した性格を持っている

・欧米では対話だが、日本では鍋を囲むと、わかりあえる文化がある。ただ、よい対話と悪い対話、よい鍋と悪い鍋、がある。

・欧米の演劇では、劇作家、俳優が共演者から離れて一人でまとめる作業をすることがある。


「拡張するパーティカルチャー 〜ソーシャルメディア時代の新たなシーンの作り方〜」に参加しました

で、


パーティーは、主催者のシナリオをベースに主催者と参加者が一体で創りあげていきます。

その意味で演劇に通じるものがあります。

演劇であるならば、必ずしも現実ではなく、フィクションの世界を創ってもよいことになります

つまり日常とは少し違うフィクションの世界をパーティーで創ってみても面白いかもしれません

この場合、参加者は観客ではなく、劇を演じる役者になります

参加者は自由に振舞うのではなく、主催者のシナリオにしたがって、役どころを演じる、のかもしれません

固定的にシナリオ通りにもできるし、リアルタイムで参加者を巻き込みつつ、フィードバックしながら、も可能です。

シナリオ通りにする場合でも、演じる役者は、観客の雰囲気を感じます。そして、その感じた雰囲気を自らの演技にフィードバックします

最近は、リアルタイムで観客を巻き込みつつ、役者と観客が一体になって演じる演劇もあります

パーティーはこれに近いのかもしれません

そして「役者がカッコいい」から「参加者が楽しい」への流れがあるのでは、という感じがします


この辺を伺うと、

・講演会、セミナーの質疑応答パートで、質問すべきか?すべきでないか?悩み、葛藤し、結局しない場合がよくある。これは講演会、セミナーに参画している、のである

・観客が参加するのが演劇、参加しないのが映画

・演劇とは、劇作家、俳優と異なる物語を持ち、自由意思で集まった参加者が織り成す一つのストーリー。シナリオ、せりふ、という予め決められた「しばり」をもって、リアルタイムでフィードバックしつつ、創り上げていく

・かつて、演劇の観客の時、本来受けるべきせりふで周囲が受けているのに、つまらなくて体育座りをしたことがある。次のせりふを言う役者と目が合い、厳しい口調のせりふとなったことがあった。もちろん、せりふは決められているけれど、その時の雰囲気、状況でそれをしゃべるのが役者

・演劇には観客も参加していた。観客が演劇がつまらなかった、という時、実は、その観客がいなければ、楽しく面白かったのかもしれない

という回答がありました



































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