2013年12月27日

安倍総理の靖国神社参拝

が国内外に波紋を起こしています。つまり、国内外に波紋を起こすことを十分承知し、織り込み済みでの参拝です。

131227安倍

現職総理としては2006年8月15日の小泉首相以来7年4か月ぶりの参拝で、小泉総理もその前年の2005年には、郵政解散総選挙を控え、参拝は自粛しました。

これは政権が安定している、ことを示しています。

また、2020年オリンピックの東京招致も実現し、国際課題は山積なものの、人気をなくすとまずい国際問題は特にない、ことを示しています。

安倍総理は官房長官時代に、北朝鮮の拉致被害者に対する、きっぱりした対応で名をあげて、頭角を現したいきさつがあり、対中、対韓でも弱腰ではない、ところを誇示したかったのでしょう。

あるいは、ぎくしゃくしている東アジア、中国、韓国、日本を傍観し、放置している感がある、アメリカへのけん制かもしれません。

131227オバマ

沖縄県の仲井真知事が米軍普天間飛行場の移設に向けた名護市辺野古の埋め立て申請を承認

したタイミングとの関係も見逃せません。

外交には「相互主義」があります。

相手国がするから、自国もする、というものです。

東西冷戦時代に、ソ連は日本の外交官の活動範囲を、モスクワの40km範囲に限定し、その範囲外への移動を制限していました。

そこで、日本もソ連の外交官の活動範囲を東京の40km範囲に限定していました。限定する意味はないのですが、相手国がするから、自国もする、というものです。

また、漢字の読みを韓国については、金大中(キム・デジュン)のように韓国読みにするのに対し、

中国については習近平(シュウキンペイ)のように日本語読みにするのは、このためです。

131227日中

外交と世論、この複雑なバランス


外交は世論を十分に踏まえた上で、なされるとしても、世論は時として(特に選挙の前は)、国際情勢、現実を無視した「勇ましい世論」が国内で展開され、外交がそれに惑わされる、のは、最近のアジア情勢でもよく目にするものです

世論の陥りがちな様々な危険性を回避するためにも、より客観的現実に基づいた事実を把握するには、国内からの視点だけで捉えるのではなく、外からの目線が必要であり、円熟した世論形成が重要である。

民主政治という制度からして政府は国民の考えに従うのは当然です。これは外交政策についても例外でいいはずがない。外交は世論に従うのは当然だ、それ以上議論する余地がない、という考え方があります。

国際関係の基本は、自分の国の利益をできる限り大きくしながら同時に安定を維持していくことですが、国際間で信頼関係が保たれる、ということはある安定には違いありません。

そうすると、世論に外交が従うべきだという考えは、場合によってはこの伝統的な国際関係の安定を壊してしまう可能性があるわけです。この問題は今に至るまで何度も具体的問題として現れています。

つまりこの問題は出口のない問題なんです。


131227幣原

















外交とは可能性の芸術である。状況が激しくうねる中で、一瞬のチャンスを捉えて可能性を追求する


昭和初期の日本は軍部主導で、日米開戦のまっしぐらのような印象がありますが、実は日米開戦前夜まで、日米双方で開戦回避の努力もされていました

第1次世界大戦では、セルビアでのオーストリア皇太子暗殺事件が引き金となり、複雑な各国の同盟関係により、ヨーロッパ各国は戦争回避へと懸命の努力をしたのにもかかわらず、ヨーロッパを戦場をする大きな戦争になってしまいました

その教訓は十分に承知しながらも、必ずしも望まない当事者同士が戦争せざるを得ない状況に追い込まれる。これは今も当てはまる教訓です


コラボレーション:あなたが変えると、あなたも変わる?


複数の人間が集まると、自然に行われてしまうのが「序列つけ」であったり、会議でも、対話でも、打合せでも、話し合いの場で、人々が一番気にするのが、

「自分の考えを他の人々に説得し、話し合いの結果として、自分の主張が通ったか?」

だったりします。

これは「意地と面子」の文化です


131227外交

上記のように、日米開戦前夜まで、日米双方で開戦回避の努力もされていました。

日米両国の国力の圧倒的な差を知っていたのは、ほかならぬ陸海軍、特に海軍であったでしょう。

ところが、当事国同士がいくら戦争を回避しようとしていても、戦争してもらいたい国もあります。

ヨーロッパでドイツ・ナチスはパリを占領し、ロンドンにミサイル攻撃を加えていました。

日本軍がイギリス、フランスの植民地がある東南アジアに進駐しましたが、両国に援軍を派遣する余力はなく、アメリカの参戦を望んでいました。

また、日中戦争で手を焼いていた中国もアメリカの参戦を望んでいました。

事実上のアメリカからの最後通牒となった「ハルノート」は、日本が、特に陸軍の「意地と面子」が到底、受け入れられない内容で、日米開戦となってしまいました。


ほんのつまらないことから、「意地と面子」の問題になり、抜き差しならない事態に発展し、とんでもない結果を招く、のは、社会のいたるところで見ますが、国際関係では避けてほしいものです。


「外交とは可能性の芸術である。状況が激しくうねる中で、一瞬のチャンスを捉えて可能性を追求する」という言葉で締めくくります




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