2015年01月30日

東大の教養教育について、

知をひらく、知をつなぐ。『知の技法』新たな普遍性をもとめて

に書いたばかりですが、

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東工大シンポジウム「進化する教養教育」

という案内が来ました。


東工大は2016年4月より、教育プログラムを大幅に変更し、「卓越した専門性に加えて、リーダーシップを備えた理工系人材の育成」を目指し、その一環として教養教育の充実を行う。


ということです。

同様のシンポジウムが以前にもあり、その様子は、

理工系大学こそ、リベラル・アーツが大切

に書きましたが、一部を再掲します。


東工大は理工系のトップクラスの大学ですが、人文、社会系の研究部門が少ないため、KJ法の川喜田二郎氏、江藤淳氏、橋爪大三郎氏ら著名な人文・社会の研究者を招へいしてきました。


日頃から、このテーマについては、いろいろ考えるところがありますので、シンポジウムの内容を書く前に、ポイントをあげると、

・高度に専門化し、専門ごとに分化しがちな理工系だからこそ、リベラル・アーツが大切

・リベラル・アーツは学んでいる時には、「実用的でない。役に立たない。それゆえ、学ぶこと自体が無駄」と感じる人も多いが、ある時を過ぎてから、アイデアの基盤となり、視野を広げ、俯瞰的な思考のベースとなる、大切なものであることに、振り返って気づくもの

会場の若い学部学生から、

「実用性を考えると、リベラルアーツ、教養って役に立つのですか?無駄じゃないですか?小説を読んだり、クラッシック音楽を聴くのって娯楽じゃないですか?」

という質問がありました。

この質問に対して、パネリストがどう答えるのか?楽しみだったのですが、残念ながら、あまり明快なものではありませんでした。

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この質問は、リベラルアーツ、教養がテーマである場合、かなりの頻度で出る質問です。

「TAK」さんの回答としては、

リベラルアーツ、教養って、若い、学んでいる時は「役に立たない」と思われることが多いが、ある時を過ぎてから、アイデアの基盤となり、視野を広げ、俯瞰的な思考のベースとなる、大切なものであることに、振り返って気づくものかもしれない。

というものです。

大切さを経験した人は、まだ経験していない人に対して、何とか伝えようとするのですが、残念ながら、うまく伝わらない。

そして、経験していない人が、ある時に「こういうことだったのか」と悔やむことになる。

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東大も駒場の人文・社会科学の幅広い、豊富な人材、講義が非常に素晴らしいのですが、

駒場の時はその良さをわからずに講義をさぼってしまい、

大学院、あるいは社会に出てから、必要性、重要性に気づいて、聴講に来ることがよくあります。


「高度に専門化し、専門ごとに分化しがちな理工系だからこそ、リベラル・アーツが大切」

についてですが、もちろん、数学、物理などの理工系は大切です。これがあることが前提です。

東工大の学生は、数学、物理などの理工系は、難関の入試を突破する以上、日本のトップクラスであることは間違いありません。

これが確保された前提で、最先端の研究活動を行うには、アイデアの基盤となり、視野を広げ、俯瞰的な思考のベースとなる、リベラル・アーツが大切、ということです。


さて、

東工大ホームカミングデー2014に行ってきました

にも書いたのですが、

法、経、工、理、医学部を持つ総合大学の東大の駒場の人文・社会科学の豊富さ、層の厚さに比べ、理工系大学の東工大の教養教育は、はるかに見劣りするのは、否めません。

もっとも、東工大は日本の理工系大学のトップとして、東大と向き合う立場が宿命ですから、その特徴を活かしてほしいところです。

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では、早速出たお話をまとめます。


理工系大学では、文系科目は「不要」と考えられ、何が学びたい、何が大切、よりも、楽に単位が取れる科目が選択されている。

リベラルアーツ、人間的に魅力がなければ、科学者、研究者、技術者としても厳しい。

科目にリベラルアーツを充実させても、学生が理工系だけで多様性が出るのか?文系学生との交流が必要では?

理工系大学トップとして東大と競い合う訳だが、東大駒場の人文・社会科学に比べ、明らかに層が薄いのでは?

東工大生、人間に興味がない、人間味がない、人間を論じるとき、ロボットを論じるかのように、システムとして論じ、当事者の人間としての視点がない

東工大生、話すのが苦手というよりも、話す内容がない、教養がない

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教養=知識ではない、自分ではない、他者、相手の立場に立ってみる。ユーザーの立場に立った研究開発

物理学は「なぜ?why」よりも「どうなっているのか?how」目的よりもメカニズムを追求

文科系は目的を追求し、理科系は目的よりもメカニズムを追求する。ここで、文科系と理科系が乖離する

製品は提供しているが、使い方はユーザー任せ

理系は研究開発に集中すると、「なぜ」「目的」を置き去りに

社会を知らないと技術を社会に適用できない。技術が技術のまま、終わってしまう。

20歳前に社会のことを知る、考えるのは難しい

自分の興味、関心、これらはくるくる変わっていくのだが、これらを追求していくと、社会につながる

東工大生、基礎能力は高い。難しい問いにも、投げ出さずに、何らかの答えが返ってくる

入学者が多様であるとしても、多様な教育を提供できるか

自分の好き嫌いによる選択メニュー、お気に入りの多様は、本当の多様ではない。

自分の嫌いなものと付き合うか?多様性を求めるために、チャレンジするとは、嫌いなもの、気の進まないもの、に踏み出せること。効率主義とは反する

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理系の前提、古典物理学、ユークリッド幾何学、などを成立するのが前提というブラックボックスではなく、なぜ成り立っているのか?理解することが理系にも大切

読書、読むべき本を推薦してくれるように頼まれることが多いが、このような効率主義ではなく、乱読し、ダメなものを読むから、いいものがわかる

「正解」が一つである前提で、効率的に求めるのが時代のトレンドになっている

教養は「メタ」自分の状況が「絶対」ではなく、他の状況とのかかわりの中で、俯瞰して位置づけられる。

普遍と個別のカオスの中で、どう自分を位置付けるか?

試験で高得点を取るための得意と、面白いか?楽しいか?は違う

3年生全員に文系卒論を課す。単位が取りやすい科目だけでは書けない。自分が興味、関心があり、ストーリーを紡ぐ

大学の講義にすべてを求めても無理、大学の講義で刺激を受けて、大学以外でも学ぶ

提供するプログラムに沿いつつも、寄り道したり、外れたりして、想定外のことを身に着ける

枠に当てはめても意味がない

東大に比べて、層は薄いが、コンパクトなことによる、機動力のよさ、フレキシビリティーを活かす

東工大生は、素直で先生の言うことをよく聞く。東大生は、もう少し斜に構えている


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シンポジウムを振り返りながら、考えてみました。

リベラルアーツ、教養の大切さをまだ理解できない、学生が教育の対象です。

上記のように、東工大生は、素直で先生の言うことをよく聞く。東大生は、もう少し斜に構えている

すると、東工大生は、最初は及び腰でも、一度、やる意義を理解すれば、一生懸命取り組みます。

つまり、教養の先生にとっては、「やりやすく、成果がすぐ見えるので、楽しい」学生だったりします。

上記のように、東工大は理工系のトップクラスの大学ですが、人文、社会系の研究部門でも、KJ法の川喜田二郎氏、江藤淳氏、橋爪大三郎氏ら、現在も池上彰氏がいます。

マイノリティーなのですが、他方、希少価値もあります

しかし、東工大は人文、社会系の研究を進めるのに適した研究環境とは言えず、新進気鋭の教員は他大学へ転出するのを、よく見かけます。

この先生たちをひきつけておく大学側の取り組みも課題です

「TAK」さんの見解としては、リベラルアーツ、教養、人文、社会系の教育について、東工大内でまかなおうとするよりも、

この分野に豊富なスタッフを有する、東大、慶応などと単位交換制度などを活用して、コラボ、交流する方がよいのでは、と考えるのですが、

「日本の理工系大学のトップ」としての「意地と面子」もあるようです。

「理工系のトップ」として、活躍、展開していくためには、リベラルアーツ、教養が大切、という、一見、逆説的な話でした。






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