2015年06月23日

「日本・アジア・アメリカ 国際社会を生き延びる」@東大、藤崎一郎前駐米大使

という案内が来ました。

IMG_20150622_163258754

日米パートナーシップは極めて重要なものですが、ペリーの黒船による浦賀来航以降、太平洋戦争をせざるを得なくなったり、

戦後は日米同盟が日本外交の基軸となる、など、多くの変遷を経ています。

パートナーシップ:複雑で、常に動き、変化する生態系

で振り返りながら、簡単に復習します。


クリミア戦争から考えるウクライナ情勢


1853年にペリーが浦賀に来航し、日米和親条約、1858年に日米修好通商条約を締結したアメリカですが、1861〜65年には国内で南北戦争があり、日本の対応どころではなくなりました。


終戦の日を迎えて グローバル社会とパートナーシップ


1894年から1945年の太平洋戦争終戦までの、わずか50年に日本は日清戦争、日露戦争、第1、2次世界大戦という大きな戦争を経験しています

これは日本だけの問題ではなく、世界中が一触即発の状態であり、その状態を嫌ったアメリカ大統領ウィルソンの提案で、第1次大戦後、国際連盟が提唱されるものの、アメリカの議会で承認を得ることができず、アメリカが不参加、という状況でした

このような状況下では、1国では自国の安全保障は難しく、他国とのパートナーシップは鍵となります

be3b9cf1

日清戦争により、「眠れる獅子」と恐れられていた清王朝が弱体化し、アジアにおいてはロシアが新しい脅威となりました

ロシアの南下を恐れるのは日本だけでなく、インドなど東南アジアに植民地を持つイギリスも同様でした

日清戦争後の遼東半島をめぐる、ドイツ、フランス、ロシアのいわゆる三国干渉も、ロシアに対する不信感を増大させました

この時の、日本の選択肢として、南下を伺うロシア自体とパートナーシップを結ぶ「日露協商」と、同じくロシアを警戒するイギリスとの「日英同盟」の2つがあり、日本は後者を選択しました

「日英同盟」は、ロシア・バルチック艦隊が極東に向かう際に、イギリス巡洋艦隊が追尾し、途中寄港地での中立国の燃料、食料の中立違反諜報など、日露戦争における日本の勝利に大きく貢献しましたが、日露戦争における日本の勝利の結果、日英同盟の意味自体も薄れました

ただ、イギリスにとっても、ロシア太平洋艦隊消滅後、アジア地区を日本艦隊が受け持つことにより、自国艦隊をアジアから欧州に回すことにより、海軍経費を削減する、日本にとってもヨーロッパ列強との同盟ということで、第1次大戦まで継続されました

第1次大戦では、日本は駆逐艦を地中海戦線まで派遣するなど、貢献し、また、ドイツ植民地だった南洋諸島を得たり、中国山東省の権益を得る、その結果、日本は国際連盟の常任理事国となる、など、世界の一等国となり、フィリピンに植民地を持つアメリカと利害が対立するようになり、アメリカは日英同盟を妨害するようになります。

40a7fb64

アメリカの思惑通りに1921年にアメリカ、イギリス、フランス、日本による「四カ国条約」が締結され、この条約の締結により日英同盟は「発展的解消」され、日本は国際的に孤立し、12年後の1933年には国際連盟を脱退し、後の日米対立、日英対立と太平洋戦争への布石となっていきます

イギリスの歴史家イアン・ニッシュは「同盟がひとつの状態にとどまっていることはありえない」と言います



外交と世論、タイミングと順番、相互主義なんと複雑!


外交とは可能性の芸術である。状況が激しくうねる中で、一瞬のチャンスを捉えて可能性を追求する

3ef80030

昭和初期の日本は軍部主導で、日米開戦のまっしぐらのような印象がありますが、実は日米開戦前夜まで、日米双方で開戦回避の努力もされていました

第1次世界大戦では、セルビア人学生によるオーストリア皇太子暗殺事件が引き金となり、複雑な各国の同盟関係により、ヨーロッパ各国は戦争回避へと懸命の努力をしたのにもかかわらず、ヨーロッパを戦場をする大きな戦争になってしまいました

その教訓は十分に承知しながらも、必ずしも望まない当事者同士が戦争せざるを得ない状況に追い込まれる。これは今も当てはまる教訓です



コラボレーション:あなたが変えると、あなたも変わる?


複数の人間が集まると、自然に行われてしまうのが「序列つけ」であったり、会議でも、対話でも、打合せでも、話し合いの場で、人々が一番気にするのが、

「自分の考えを他の人々に説得し、話し合いの結果として、自分の主張が通ったか?」

だったりします。

これは「意地と面子」の文化です


f8eeefc1

上記のように、日米開戦前夜まで、日米双方で開戦回避の努力もされていました。

日米両国の国力の圧倒的な差を知っていたのは、ほかならぬ陸海軍、特に海軍であったでしょう。

ところが、当事国同士がいくら戦争を回避しようとしていても、戦争してもらいたい国もあります。

ヨーロッパでドイツ・ナチスはパリを占領し、ロンドンにミサイル攻撃を加えていました。

日本軍がイギリス、フランスの植民地がある東南アジアに進駐しましたが、両国に援軍を派遣する余力はなく、アメリカの参戦を望んでいました。

また、日中戦争で手を焼いていた中国もアメリカの参戦を望んでいました。

事実上のアメリカからの最後通牒となった「ハルノート」は、日本が、特に陸軍の「意地と面子」が到底、受け入れられない内容で、日米開戦となってしまいました。

ほんのつまらないことから、「意地と面子」の問題になり、抜き差しならない事態に発展し、とんでもない結果を招く、のは、社会のいたるところで見ますが、国際関係では避けてほしいものです。


「外交とは可能性の芸術である。状況が激しくうねる中で、一瞬のチャンスを捉えて可能性を追求する」という言葉で締めくくります


5eaa5524

アメリカ外交、人口増加、経済成長および安全保障の観点からアジア重視

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)、安倍首相の訪米で進展を期待

安倍首相の訪米、ワシントンだけでなく、連邦議会(日本首相で初めて)、ボストン(ハーバード、MIT)、サンフランシスコ(スタンフォード、シリコンバレー)、ロサンゼルス(以前カリフォルニアに留学)など、政府機関なだけでなく、産学を巻き込んだもの

戦後70年談話、中韓だけでなく米も注目

日本の経済状況は上向きだが、構造改革は不十分

日本、政権、首脳が短期間に代わり過ぎ、もう少し長期、安定した政権が必要

日中韓は、歴史認識の改善が求められる

米国内の留学生、かつては日本がNo.1だったが、中韓印ベトナムに抜かれている。他国の留学生は増えているが、日本の留学生は減っている

日米、建前ではなく、本音に踏み込んで話す必要

英語が世界共通語、日本はTOEFL最下位国、特に「話す」が弱い。通訳なしで、会議、交渉を行うのは先進国だけでなく、新興国でも当然

変化の激しい時代に、前例主義、安定主義では対応できない

日米は太平洋をはさんで戦うことになったが、戦後は協調関係を築き、世界、特にアジア諸国の経済発展に大きく貢献した

戦前の振り返りは最小限に。歴史家ではない、政治家が専門外のエリアに踏み込んだ発言をするのはマイナス、歴史の解釈はしばしば変わる

日米のIT、バイオ分野の協力、民間、大学主導でやりやすい

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)、将来的には中韓印も参加する可能性、以前はWTO(世界貿易機関)にすら、参加していなかった。グローバル社会では国際的枠組みへの参加が不可欠

英語教育、英語で聞き、話す環境に置かれるように教育システムを改革すべきでは?英語が話せない先生に教わるのでは、英語が話せるようにならないのは当然

リーダーシップの意味、高いポジションからの指示、から、コーディネーター型へ

3e5c2ffe

日米パートナーシップ、という二国間の関係でありながらも、他のアジア諸国、あるいはEUなどヨーロッパ諸国の動向も深く受けます

上記のように、日米両国は戦後は協調関係を築いてきましたが、真珠湾の奇襲攻撃、広島、長崎への原爆投下、

東京大空襲など、非戦闘地域への爆撃、など、戦争時点までさかのぼると難しい話がたくさんあります。

非戦闘地域への爆撃に関しては、日本も、偏西風を利用した風船爆弾を上げており、仮に空母、戦闘機が十分にあったならば、ロスアンゼルス、サンフランシスコなど西海岸の街は空爆していたでしょう。

つまり、今後の協調関係を築いていくうえで、過去の難しい話を蒸し返すことは得策ではありません。

発散しがちなのですが、ポイントをまとめると、

・パートナーシップ構築には、周辺国との状況も重要

・今後の協調関係を築いていくうえで、過去の難しい話を蒸し返すことは得策ではない

・イギリスの歴史家イアン・ニッシュ「同盟がひとつの状態にとどまっていることはありえない」

・「外交とは可能性の芸術である。状況が激しくうねる中で、一瞬のチャンスを捉えて可能性を追求する」

IMG_20150622_175335821

いささか、前置きが長くなりましたが、グローバル社会と呼ばれて久しく、人々が国際社会での活躍が求められる今日、こういった近現代の状況は踏まえておく必要があります。


では、早速伺ったお話をまとめます。


国際機関が機能するためには、まず日本がしっかりすること。国がしっかりしていない状況で、国際機関に頼っても無理。

国際社会では単独で生きることは難しく、グループを作って、入ることが求められる。グループは、国連安保理、G7など、一度できると排他的になり、新規参入は難しい。

例えば、国連安保理、新しい常任理事国の参加は、自分たちの特権が、いくらかでも損なわれることを意味する。

蚊帳の中で決められることで、蚊帳の外の者に、都合がよいことはありえない。

多数決ではなく、コンセンサスにより決まる。いくつかの大国が仕切る。

国際社会では、強い国と組むしかない。

米中関係は、振り子のように、行ったり来たり、を繰り返す。

日米関係は、過去に難しい問題はあるものの、それをいたずらに蒸し返すのではなく、前向きの議論を進めてきた

日本は非武装も単独武装も難しく、1950年代の日米安保は先見性のある、現実的な対応だったかもしれない。

フランス、ドイツ、中国など、第2外国語の前に、まずは英語をしっかりすること

世界に情報発信する言語媒体は英語、英語で発信できないと始まらない

城山三郎、司馬遼太郎などの書物だけで歴史を語るのは危険。物語だけでなく、歴史上の事実をしっかり知ること。

o0410025811766825997

日本人が国際社会で活躍するためには、逆説的ですが、日本という国がしっかりしていなければなりません。

そうでなければ、国際社会でも説得力がありません。

国境のない世界、と言われますが、国際紛争の時など、役割を果たすのは、最終的には国家になります。

グループを作って、グループ内のメンバーに優遇する。グループ同士で、綱引きをしたりする。なるべく強い人についた方が有利。

国際社会と言っても子供の社会と変わらなかったりします。

一方で、旧ユーゴスラビアなどは、東西冷戦時にチトー大統領の非同盟運動など、国際平和に大きく貢献し、国際的な存在感も大きく、サラエボ冬季五輪なども開催されました。

ただ、チトー大統領の死後は、分裂、紛争を繰り返すことになってしまいました。

またまた発散しがちなのですが、ポイントをまとめると、

・パートナーシップ構築には、周辺国との状況も重要

・今後の協調関係を築いていくうえで、過去の難しい話を蒸し返すことは得策ではない

・イギリスの歴史家イアン・ニッシュ「同盟がひとつの状態にとどまっていることはありえない」

・「外交とは可能性の芸術である。状況が激しくうねる中で、一瞬のチャンスを捉えて可能性を追求する」

となりそうです。




トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
livedoor プロフィール

「TAK」さん

最新記事
Archives