2016年02月11日

清原容疑者逮捕に見る、キャリア・パスの難しさ、周囲とのインタラクションの大切さ、セカンドキャリアについて

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で、

(1)どれだけ傑出した才能、能力を持っていても、自分だけではコントロールできないキャリア・パス

(2)実力は周囲とのインタラクションにより発揮される。周囲とのインタラクションの重要性

(3)アスリートのセカンドキャリア

など、キャリア形成、構築、継続の難しさについて考えてきましたが、それ以外にも、いろいろありそうなので、さらに考えてみます。

あらためて番号を振ると、

(1)自分がコントロールできないハードルを乗り越え

(2)実績を出して、あこがれのキャリアをゲット

(3)しかし、こんなはずではなかった

という感じでしょうか。

一つずつ、考えていきます。

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(1)自分がコントロールできないハードルを乗り越え

入社して初めての上司、3年目くらいの仕事経験が大切、と言われても




自分がコントロールできることは、ほんの一部で、本人にはコントロールできない要素が伴う環境下での対応、となります。

キャリアとは、本人にはコントロールできない要素が伴う環境下で、事前にはよくわからず、結果としてわかる状況で形成していく、ということでしょうか。

さらに付け加えるならば、事前にある程度のキャリア計画はあるとしても、刻々と変化する時代、状況に合わせて、計画も修正していかなければなりません。

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人生とは、何かを計画しているときに起きてしまう「別の出来事」である




人生とは、何かを計画しているときに起きてしまう「別の出来事」である (シリア・ハンター)

人生は、「計画」をいつも超えていきます。

だからといって、「計画をしないこと」が知性的態度とはいえないのですが、人生を愉しむためには、一方で「計画」をしつつも、他方では「計画を超えること」を受け入れ、新たに変化することを厭わぬ姿勢が求められます。


と書いたとおりです。

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後から振り返って、「あれがターニング・ポイントだったな」と感じることがあります。

ただ、その当時は、「たまたま」だったりすることがほとんどです。

つまり、重大な人生の決断、よりも、「たまたま」がターニング・ポイントだったりします。

もちろん、振り返ったときは、いろいろな理由をつけたり、説明できたりします。でも、その時は、「たまたま」だったりします。


(2)実績を積み重ね、あこがれのキャリアをゲット

キャリアアップと「夢を持って、自分のやりたいことをやる」について


「自分のやりたいことをやれ」という言葉を信じて、一生懸命、自分のやりたいことができる企業を探すわけです。

そして、撃沈して、傷ついていくという構造があります。

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キャリアアップとは「自分がやりたいことを形づくるプロセス」


キャリアアップというと、以前は、大企業で、同僚よりも早く出世して、高いポジションに付き、大きなプロジェクトを任される、

大企業が窮屈になると、転職、起業して、大企業の歯車では、なし得なかった夢を実現する、という感じでしたが、

キャリアアップとは「自分がやりたいことを形づくるプロセス」

と考えれば、別に転職、起業しなくても、会社内でも、いろいろなパターンが考えられます。

あるいは単純に、しっかりと結果を出し、実績を積み、信頼を重ね、ネットワークを広げていくことが、次の仕事に連鎖的につながり、「自分がやりたいことを形づくるプロセス」になるのかもしれません。


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しっかりと結果を出し、実績を積み、信頼を重ね、ネットワークを広げていくことが、「夢を持って、自分のやりたいことをやる」へつながっていきます。


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(3)しかし、こんなはずではなかった

清原容疑者逮捕に見る、キャリア・パスの難しさ、周囲とのインタラクションの大切さ、セカンドキャリアについて


PL学園高時代、5季連続で春夏の甲子園に出場し、甲子園で計13本の本塁打を放った。春、夏とも歴代最多で、今も破られていない。

1985年秋のドラフト会議で巨人を志望したが、巨人は大学進学を表明していた桑田さんを指名。直後の会見で涙ぐみながらも、交渉権を獲得した西武へ入団した。1年目から31本塁打を放って新人王を獲得。87年には巨人と日本シリーズで対戦し、日本一を目前にした試合終了前に涙を流した。名実ともに主砲となり、8度のリーグ優勝、6度の日本一と西武黄金時代を担った。

1997年にフリーエージェント(FA)で巨人に移籍。


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ドラフト会議では、希望していた巨人の指名を受けることはできず、西武へ入団し、自分を指名しなかった巨人を破って、日本一となり、西武の主軸打者として、西武の黄金時代を築き、FA権を取得し、満を持して、あこがれの巨人へ移籍。長島監督は4番、ファーストのポジションで迎え入れました。

ここまでは、難しいハードルを乗り越え、実績を積み重ね、自分のあこがれのキャリアをゲット、でした。

ところが、ここで大きな想定外、誤算が生じます。

清原選手は4番打者として迎え入れられましたが、「名実ともに4番」ではなく、「名ばかりの4番」でした。

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主軸打者の座は、人気、実力ともに、急成長したゴジラ・松井選手に奪われていて、ファンの関心も松井選手に集中し、清原選手は脇役となっていました。

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上記ブログに書いたように、松井選手がつくったチャンスを、清原選手がつぶす、というパターンがよくみられました。

相手チームの投手にしてみれば、「松井選手にホームランさえ打たれなければ、ヒット、四球でチャンスを広げても、清原選手で打ち取ればいい」と戦いやすかったのでしょう。

応援団は一時、清原選手の打席では、応援演奏を取りやめ、シーンと静まり返っている、という異様なシーンがありました

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PL学園時代、西武時代とずっと、主役で、ファンの注目を一身に集めていた清原選手にとって、主役はゴジラ・松井選手、自分は脇役、という状況は面白いはずがありません。

でも、これが現実でした。

あんなに、あこがれていた、巨人に入団し、4番打者の座を射止めたのですが、主役の座は奪われ、脇役に追いやられてしまいました。

「こんなはずでは」清原選手の偽らざる感情だったのではないでしょうか。

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「両雄、相並び立つ」のが難しいのか、というと、巨人はこれが伝統的に得意で、王貞治選手と長嶋茂雄選手のON砲を主力に9連覇を成し遂げました。

先行した長島選手を、王選手が急激に追いかけ、ホームランでは王選手でしたが、得点圏打率、打点では長島選手

相手投手は、王選手に豪快なホームランを打たれる、また、何とか打ち取っても、次の強敵、長島選手に痛打される、あるいは、王選手を敬遠したいけれども、次の長島選手を考えると、それもできない

など、苦しみました。

この時の巨人は「ONの後の5番打者がいないというぜいたくな悩みがありました。

ということで、長島選手は、猛追する王選手に簡単に抜かれることなく、時には、差を広げ、良きライバル同士でありました。内実はどうかわかりませんが、はたから見る限りそうでした


いろいろ発散気味ですが、この事例は、キャリア形成を考える上で、興味深いものです。



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