2016年07月19日

夏目漱石没後100年記念事業「ゆかいに漱石ー100年読まれ続ける魅力を探る」講師, 茂木 健一郎氏@早稲田大学大隈講堂

という案内が来ました。

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文学、言語による表現の可能性、無限性




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東京大学で「一葉・漱石・鴎外」を読む

明治時代は西洋文明が急速に日本に入って来た時代で、文学の分野も例外ではありませんでした。

哲学がデカルト、カント、ショーペンハウエルなどの思想を導入し、教壇で講義されるだけ、なのに対し、自然科学は導入後、独自の進化を遂げ、随所で活用されていきました。

そのせいか、文学でも、思想を展開するよりも、事実あるいは自分の心の動きを、観察し、客観的に記述する文体が主流となったのかもしれません。


と書きました。

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夏目漱石、森鴎外は日本を代表する文豪ですが、若い時期に漱石はイギリスに、鴎外はドイツに留学しています。

明治のころの世界最先端はヨーロッパ諸国、この頃、世界最先端のものを見聞した経験が、後の旺盛な文筆活動につながっている感があります。


インターネットという、都市を捨てて、本を読もう


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インターネットが世の中に普及し出したのは1995年、それからわずか20年。

スマートフォーンに至っては、普及し出したのは2010年、それからわずか5年です。

ほんのわずかな期間ですが、あっという間に普及し、今では、インターネット、スマートフォーンがない生活など、

想像もできないし、後戻りもできません。

インターネットの世界には、おびただしい情報があふれていて、情報の検索、であれば、本はネットにはかないません。

加えて、SNSの普及により、世界、社会全般の情報だけでなく、

各自の周辺の情報もネットにあふれています。

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ただ、インターネットの普及により、失われてしまったのが豊かな想像力でしょうか。

必要な情報を、わずかなクリックで得られるため、想像力を育む、働かせる機会、場がなくなってしまったかもしれません。


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インターネット、スマートフォーン、SNSの登場で、それに費やす時間も相当なもので、すっかり本を読む時間は少なくなってしまいましたが、表題のように、100年読み継がれている、夏目漱石の作品には、「必修」と言っていいくらい、読む価値がある作品があります。

ただ、作品の数が膨大なので、「必修」を絞るとすれば、「三四郎」「坊ちゃん」「吾輩は猫である」「草枕」「それから」

読む場合は、この順番で読むとよいでしょう。できれば、中学、高校のうちに読んでおくとよいでしょう。

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「三四郎」は、熊本の第五高等学校から、東京帝国大学に進学した三四郎の物語ですが、

一緒に遊ぶ仲間である与次郎、恋をしてしまう、都会の女性、美禰子(みねこ)、分野が異なる理学の専門家、野々宮君、それに広田先生など、

大学生活を送るために、必須のキャストが勢ぞろいで、繰り広げる物語は、必読です。

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「坊ちゃん」は東京物理学校を卒業して、社会人となり、松山の中学に赴任した「坊ちゃん」が赤シャツ、山嵐、うらなり、などの同僚との生活を描いています。

当時の体制、社会の理不尽、不合理、矛盾を描いています。

実は漱石は「坊ちゃん」ではなく、最もいやらしく描いている、体制側の弱いものを搾取する、赤シャツです。

つまり、今は体制側となった漱石が、学校を卒業したばかりの社会人が直面する理不尽、不合理を、自らを客観視しながら、描いています。

「草枕」の冒頭の

「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。」という一文に始まり、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と続く冒頭部分

など、内容が陳腐化することなく、今にも通ずるものです。

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「吾輩は猫である」は夏目漱石と寺田寅彦の時代の風刺を、飼い猫の立場で第三者的に描いたものです。それゆえ、中高生には少し難しいかもしれません。


青春時代を形成した読書は?

に書いたことを抜粋して再掲します。


読書とは、自分が生活する世界とは、違う世界の中で、、主人公が体験し、考えることに、自分自身を掛け合わせつつ、疑似体験することができます。

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これらは、

楽しい読書、から、ゾクゾクする、人生に食い込む読書へ




単なる「楽しみ」ではなく、人生に深く、食い込んで、関わり、変えるような影響を持った書物

自分がいる時空間とは違うが、つながっている、似たところがある、リアルな世界がある。作家が想像、創造した世界で、自分と掛け合わせながら、疑似体験する

小説には、手触り、触感がある世界が書かれており、疑似体験することができる

言葉はイメージをつくることができる。想像力が一つの世界を創り上げる、最大の力


と書いたとおりです。

自分の人生は、ひとつだけ、自分の周辺、範囲、例えば家族、友達、学校、職場などの時空間だけです。

ところが、小説では、自分の時空間を超えて、小説の世界の主人公の生活を疑似体験できます。

自分の時空間を超えて、と書きましたが、自分とある部分で共通点を持つ主人公だと、浸りきって疑似体験でき、さらに、その疑似体験が、自分を形成していきます。

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アーティストの表現と受け手の共感、想像




映像による描写は、わかりやすいのですが、反面、これまで、言葉の表現が、受け手にもたらしていた想像を薄くしてしまった感もあります。

一方で、言語だけでは伝わりづらかったものを、映像によって、ぐっと伝わりやすくなり、受け手に新たな想像をもたらすこともあります。

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楽しい読書、から、ゾクゾクする、人生に食い込む読書へ




小説には映像、音声がない分、それぞれの読者が独自のイメージを描いて、手触り、触感がある世界を生み出すことができます。

太宰治の小説に、自分の人生を掛け合わせたり、谷崎潤一郎の倒錯のエロスの世界に入り込む人も少なくない、と思います。


自分と共感できるポイントを持ちつつ、そこから、新たな想像をもたらし、「別の自分」を体現できる、小説が求められている、そんなことを感じました。
と書きました。


ゾクゾクする、人生に食い込む読書は、できれば、人生を形成していく青年期までに行いたいものです。

また、後になってから、振り返るのも楽しそうです。




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