2017年03月13日

東大石井洋二郎元教養学部長最終講義「最終講義という名の最初の講義、迷うことの快楽」

という案内が来ました。

6

会場の東大駒場キャンパスにいきます。

前日の3/10(金)は合格発表、ネットで発表の時代ですが、ことしから掲示板による発表も復活しました。

17190698_1460674013974300_9063801439444606306_n

喜ぶ間もなく、駒場キャンパスでは、入学準備説明会が開催されています。

大学生活、スタートダッシュが大切、乗り遅れないこと

新入生の皆さん サークル新歓イベントに乗り遅れないように




合格発表の3/10前後までは、やきもきしながらも、取りあえずは一段落している時期かと思います。

ところが、あんまりのんびりしている場合でもないのです。

3

4月は連休前までに、クラス・オリエンテーションと仲間づくり、学習科目の履修届、サークルの入部、など、やることが目白押しです。

入学で浮かれていて、友達、通学等の環境が激変する、この時期に、上記のことが、輻輳、複層的に、リアルタイムで進行し、あなたが躊躇していると、あなたを取り残して、どんどん進行していきます。


と書いたとおりです。

8

さて、石井洋二郎先生は、教養学部長としての挨拶が素晴らしいのですが、元々は法学部卒業で、大学院からフランス文学を研究されています。



人間の進歩を可能にするのは、冷静で客観的な「科学」だけではなく、それと同時並行的に、ともすると不合理な偏見や無謀な逸脱へと横滑りし、狂気と境を接するかもしれない「空想」への憧憬だったりする。

リベラルアーツとは、人間を様々な限界から解放するための知識や技芸である。

「迷う」「惑う」とは、複数の甲乙つけがたい選択肢があるということ。

教員には定年があるが学者には定年がない。

など、今日も素晴らしいお話が満載でしたが、これらのベースとなる教養学部長としての挨拶を掲載します。

9

新しい生活が始まる新入生、新社会人へのエール


平成27年度 東京大学学部入学式 教養学部長式辞


リベラルアーツとは、単なる一般教養の同義語ではありません。本来は「人を自由にする学問」を意味します。

「知識の限界」どんなに高度な専門知識であっても、広い展望のなかにしかるべく位置づけられるのでなければ、ただの無意味な断片にとどまってしまう。

大学ではまず飛躍的に視野を広げ、多様なフィールドで「知識の限界」を乗り越えるべく努力しなければなりません。

それこそが、リベラルアーツの出発点です。

8d5f8c81

「経験の限界」皆さんの多くは、異なる価値観に触れる機会は乏しかったのではないでしょうか。

自分と同じような境遇の人々に囲まれて安住する心地よさからいったん離れ、まったく異なる環境に身を置く。

「経験の限界」から自らを解き放とうとする果敢な試みであり、リベラルアーツを実践する場が教室だけではない。

「思考の限界」逆説的に聞こえるかもしれませんが、他者の思考の模倣に陥らないためには、まずその中にどっぷり身を浸してみることが必要です。

64071a83


大学院の卒業式にあたる、学位記伝達式での式辞

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞


も素敵なので、併せて掲載します。

ニーチェ『ツァラトゥストゥラ』

「きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。

きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!」

b812a3ba

自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。

そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。

自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。


10

教養とは、よくわからずに学んで、後から学び直すもの


深く迷い、高く跳べ


駒場の二年間で「教養課程」は終了し、その後は「専門課程」でもっぱら特定分野の勉強をするのだと思っている人がいたら、まずはその先入観を捨ててください。

「教養」と「専門」の関係は前後関係ではなく、ましてや上下関係でもなく、車の両輪のように連動した同時並行的・相補的な関係です。





トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
livedoor プロフィール
最新記事
Archives