2012年4月に新社会人となった。
愛知県で生まれ、育ち、自身の人生の大きな変化点となった大学時代を金沢で過ごした。


次なる場所は、京都だった。
この年の総合職の新卒入社は、合計で208人だった。
文系が約70人、それ以外は理系、モノづくりメーカーである京セラだからこそ、
この割合での採用だろう。


最初の10日間は、京都本社での新入社員による集合研修だった。
出来る限り多くの人たちと関り、多くのことを学びたいと思っていたので、
この期間の土曜日を利用して、非公式(会社ではなく有志による)の飲み会を開催した。

仲の良い人たちの小規模な飲み会ではなく、
会社が催す画一化されたものではなく、気軽に話し合える場所がないと感じていたので、
新入社員208人が参加できるような飲み会を行おうとした。

事前に会社が用意した内定者SNS及びFacebookを利用して、参加者を募り、
まだ引っ越してもいないのに、会場視察のために、京都の貸切できる飲み会会場を探しに、京都へ訪問し、コンテンツも考えた。


準備は滞りなく進み、数人の同期が積極的に手伝ってくれた。
研修中の空き時間を利用して、再度アナウンスさせてもらった。





結果としては、約180人が参加してくれた。



個人として、せっかく208人が同じ場所にいて、“同期”という共通点があるのだから、単純に楽しい(いろんな背景の人がいて、いろんな話が聞けるから)。



一方で、今後会社でどう関わるか分からないので、社内における人脈は形成しておいたほうがいいという、割と打算的な気持ちもなくはなかった。



そのおかげで、同期180人ぐらいと話すことができ、感謝。
その後、色々と仕事にも貢献しました。




そして、この年は研修の最終日に配属発表だった。

一人一人、配属が発表される。

最上階20階にある大ホールにて、新入社員208人一人一人、
人事部から口頭で発表されていく、
事業部単位でのセグメントであり、事業部内での異動は多いが、事業部間での異動はあまりない。


そんな情報が新入社員の間で回っていたので、この配属発表が、
少なくとも、今後の自分の10数年のキャリアを決定づけるといっても過言ではなかった。

発表されると同時に、返事をしなければいけなかった。

自分の希望部署であれば、喜んで「はい」というが、そうでなかったら…

気持ちの整理と状況の理解で頭が一杯で、返事などできるのだろうか。

そんなことを思いながら、いつの間にか、自分の隣の人が返事をするぐらいまで、
順番が回っていた。

次は、自分だ…

そして、呼ばれた。「金原竜生、●●事業部」、


頭がよく理解できず、反射的に、「はい」と言った。
ホールに自分の声がこだまする中で、ようやく理解できた。



自分の配属部署は、『ファインセラミック事業部』だった。

自分の第一志望の部署だった。

ファインセラミック事業本部は、京セラ株式会社の最初の事業だった。
そのファインセラミックのモノづくりの技術が多角的に展開して、
今日の複数の事業部が存在するに至った。

創業当時の源流であり、この会社の根幹の精神があると思った。
そして、ファインセラミックという素材を利用した部品で、色々な業界にアプローチができる、部品メーカーだからこそ、多くの業界と付き合えると思った。

なによりも、内定時に行われた志望部署のヒアリング時に、
参考にしていた資料に「セールスエンジニア」という単語が目に入っていた。

「セールスエンジニア」とは営業でありながら、お客様と設計などの協議をすることができる、つまり、営業でありながらも、モノづくりの最初のステップから関われることができる。その言葉が、この部署の説明にだけ存在した。


創業当時の考え、多種多様な業界に関われる可能性、何よりも(通常は営業だとどうしても既製品を売るということに縛られるが)自分がモノづくりの最前線で関われるのに、大きく魅力を感じた。


そして、研修後、志望部署へ配属された。


だが、この段階では、国内営業なのか、海外営業なのか、そもそも、本社配属なのか、すら、分からなかった。


続く。