2007年05月13日14:47道徳教育の内容の曖昧さ5
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22ed629a.jpg 昨夜,来高した旧知の研究仲間と道徳教育の今後について語らいながら,一献傾けました。友人は既に本務にかかわる懇親会を経てのことなので,かなり饒舌になって胸襟開いた楽しい語らいとなりました。その中で,共通した思いが幾つかあったので,少し話題にしてみたいと思います。

‘仔舛了間の教科格上げ案という誤解
 青少年の規範意識低下を受け,一部の誤った主張として道徳の時間の時間の格上げ案が取り沙汰されています。しかし,よく考えていただきたいと思います。各教科は,毎時間確実に指導すべき内容が定まった内容的目標によって成り立っています。ゆえに,それが滞ると既習知識もしくは次なる学習へのレディネス(readiness:学習準備性)がないままに授業だけが進展するという積み残し現象を引き起こすわけです。ところが,道徳の時間,特別活動,総合的な学習の時間は,教育課程上の位置付けとしては教科外教育となります。総合的な学習の時間は教科横断的な「知の総合化」,学びを支える「学び方を学ぶ」ための「時間」としての位置付けです。道徳の時間と特別活動は,改訂教育基本法の第1条にも謳われている人格の完成を目指して行われる「よりよく生きる」ための資質・能力や善く生きることを志向するための「領域」と称される教育活動です。ゆえに,内容的目標を前提とする教科教育と異なり,人間としての生き方を志向する方向的目標をもって行われる教育活動であるわけです。よって,刹那的な教育成果を当初より求めるような教育活動ではありません。
 ところが,「道徳の時間教科格上げ論」の主張には,このような根本的な教育学的な視点がありません。だから,領域の教育活動より,教科が格上だと論ずるわけです。メディア関係者の中にも,こんな暴論を根拠にされている方もおられ,とても口惜しい限りです。教科は学習目標到達度について試験等の間接的な評価を定量的に行うことができます。しかし,領域の教育活動は人間の生き方や生きる態度と言った内面的資質の育成を目指して行われますので,個々のパーソナリティのプライベートな部分にまで踏み込んだ質的評価が求められます。
 このような違いを踏まえても,教科「道徳」を創設するのでしょうか。教科書はどうするのでしょうか?教科教育として指導をすると言うことは,指導と評価の一体化を標榜する今日の学校教育にあっては,やはり評定にまで至る評価が必要であるとは思いませんか?てぎれば,私立中学校の受験対象教科,高校入試の合否判定材料にもしてほしいと思いませんか?
 こんな自明な道徳教育の本質をどうしてねじ曲げようとしているのか,よく事情が飲み込めません。

道徳の内容の不透明性から生ずる誤解
 道徳の時間や学校における全教育活動で取り上げる道徳の内容は,実に多岐にわたります。それこそ,「いただきます」・「ごちそうさま」と言ってからご飯を食べるといった躾(文字通り,身を美しく整えるのが躾である),「人にあったら挨拶する」,「人に何かをしてもらったら,ありがとうと言う」等々の社会的な人間関係に根ざしたマナーやエチケット,公共のルールを守るとか,物を大切にするとか,他の人に迷惑をかけないようにするといった習慣やしきたりとしての社会的慣習(social convention),「友情とはどうあるべきか」,「正義とは?公正さとは?」等の本来的な意味での道徳的価値(moral value)と,道徳教育には様々な内容が盛り込まれています。なぜなら,対象とする子どもの発達的な視点があるからです。
 就学前教育や小学校教育の低学年で対象とする幼児や児童は自己中心性が抜けないので役割取得して思考・判断することは発達という部分で難しいわけです。そこに,道徳的価値を持ち込んでも意味をもたないでしょう。むしろ,躾や社会的慣習にかかわる指導を中心に行い,子どもの発達的自律に応じて道徳的価値への自覚化を促すような指導へとシフトしていくようにすることが,教育的営みとしては意味をもつと考える方が妥当でしょう。子どもたちの規範意識低下を嘆き,その抜本的対策をという世論の前提になっているのは,どうも「躾」や「道徳的慣習」という範疇のことという気がしてなりません。仮に,「道徳的価値観形成」という毅然たるものが前提であるとしたら,昨今のわが国の大人社会の実情を踏まえると性急な実効性は期待しようもないように考えます。

C羈惺察高等学校における教科「道徳」の難しさ
 仮に百歩譲って教科「道徳」を創設したとします。さて,指導は誰が行うのでしょうか。教員養成はすぐにはできません。教科「道徳」の指導にいちばん近い位置にいるのは社会科教員でしょうか?国語科教員でしょうか?第一,中学校・高等学校教諭「道徳」1種免許状等を取得する学生がいるのでしょうか?例えいたとしても,そう多いとは思えないのですが・・・。
 今春より茨城県内の全県立高等学校1学年で「道徳の時間」が実施されているという報道をご存じの方も多いと思います。あれは,まさに教科外の一角をなす「総合的な学習」から時間を運用しているために指導資格上の問題が生じないわけです。また,教科外ゆえ,教科書の問題も生じていません。仮に,現在は他の様々な資料と併用している急作りの指導資料集(35時間分)の内容を精査したら,とてもそのまま教科書にとはいかないことは疑う余地のないところでしょう。

 教育は国家百年の計。人材育成は,古い例えですが「人は石垣,人は城」そのものです。国家の屋台骨を形成する教育改革,人倫によって成り立つ国家作りのための教育改革であってほしいと願うばかりです。

★本日の画像は,今春,所用で出かけて「いちばん美しい春景」と得心した高知県高岡郡日高村国道33号線からの眺めです。

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