とある人物から脅迫行為を受け、事件にまで発展してから一年が過ぎました。
いつかはきちんと説明しなければいけないと思っていたのですが、変に頭に血が上った状態で書くと、証拠の録音データや時系列の証拠メールなども一緒に公開したくなります。それで多くの人に事実を伝えられたとしても、逆にこちらが訴えられる可能性もあったため、伸ばし伸ばしになり、一年も経ってしまいました。
その間、沢山の人にこの件について聞かれました。
話しても問題のなさそうな身近な人にはきちんと話してきましたが、あまり話す時間のない時や最近は、一々説明するのも面倒で、適当に誤魔化すようになってきていたため、一部には誤解が生まれていたかもしれません。
当時、相談したほぼ全ての人が、「そんな奴はどうせすぐ自滅するから放っておけ」「関わるだけ時間の無駄」という意見だったこともあり、結果としては告訴状まで作ったものの、受理していただいたのは被害届になり、それでも結局容疑者側がシラを切り通したことで泣き寝入りになりました。
一年経っても未だ、当然忘れられない出来事です。
当時の資料は全て取ってあり、公表すれば正当性を主張できる証拠も十分にありますが、刑事事件として法的に立件するには証拠不十分ということになってしまったんですね。幾ら間違いなく脅迫だと思われる証拠があったとしても、"思われる"証拠ではダメだということです。
つまり、脅している事実のみならず、危害を加える云わば"予告"がされていないと立証できません。
そもそも「脅迫」や「詐欺」という犯罪は非常に立件するのが難しい犯罪で、なぜなら言った言わないの論争になってしまいがちなため、被害者は多くの場合泣き寝入りする羽目になります。それも、"予告"が鍵になるわけです。現行犯で逮捕できるならいいですが、殆どそういうケースはありません。
そんなわけで警察の方にも、申し訳ないと謝られてしまいました。
容疑者は警察の方にも横暴な態度で接したらしく、刑事さんも非常に腹を立てていました。
こういった事件のように、警察では状況から見て絶対黒だと思われる犯罪に対しても、手も足も出ない事例が後を絶たないそうです。刑事さんの言っていた逸話では、恐喝事件か何かで「絶対に立証するから」と約束したお婆さんに、結局立証できず泣き寝入りさせてしまったことが忘れられないと言っていました。
自分事でまた同じような想いをさせてしまったかな、と少し申し訳なく思ったりもしましたが、こういった問題の根底には警察の不甲斐なさも絶対にあることは否めません。まず絶対的に人が足りていないから、小さな事件にあてる捜査への労力はどう見ても少なくなってしまう。
それから法で裁くことのできる立場にいる人間、例えば入り口である検察や裁判官なども殆どが、直接的に事件に関与した人間から話を聞くでもなく、又聞きで他人から聞いた話を元に、事件を客観的にしか判断できないことも問題だと思います。
人の裁きに客観は必須だとしても、犯罪で苦しむ人は"心"を痛めているのが事実です。
言い換ええれば、心というのは感情なんですよね。
そして、感情と言うのは主観で、被害者が最もその犯罪に心を痛めているんです。
この世のどんな犯罪も、人の心を傷つけるものであり、だからこそ問題で、それを救うための「法」であるべきなんです。システマティックに書類上で流れを見るだけで、被害者の感情がどれだけ伝わるでしょうか?重犯罪なら想像もし易いかもしれませんが、軽く見られるような犯罪でも、だから放置していいと言うなら、この国は終わりです。
人は傷つけ合いながら生きていく生き物です。
でも、できれば誰もが少しでも幸せな気持ちで生きていけるようになって欲しい。そういう意識が育っていって欲しい。この一年は、ずっとそんなことを考える毎日でした。人が生きていくためには社会が必要で、社会が生きやすくなるにはそういった意識が必要なんだと、この一件で俺は学びました。
世の中とか社会とか口にする奴はろくでもないなどという輩もいます。
自分と自分の身の回りだけ幸せにできればいいなどと、尤もらしい事も言われています。でも、本当はそうじゃない。世の中の誰もが幸せになれるような社会を目指さなかったら、必ずどこかで誰かが不幸になることを容認しているだけ。そして、その誰かは、自分かもしれないんです。
いつかはきちんと説明しなければいけないと思っていたのですが、変に頭に血が上った状態で書くと、証拠の録音データや時系列の証拠メールなども一緒に公開したくなります。それで多くの人に事実を伝えられたとしても、逆にこちらが訴えられる可能性もあったため、伸ばし伸ばしになり、一年も経ってしまいました。
その間、沢山の人にこの件について聞かれました。
話しても問題のなさそうな身近な人にはきちんと話してきましたが、あまり話す時間のない時や最近は、一々説明するのも面倒で、適当に誤魔化すようになってきていたため、一部には誤解が生まれていたかもしれません。
当時、相談したほぼ全ての人が、「そんな奴はどうせすぐ自滅するから放っておけ」「関わるだけ時間の無駄」という意見だったこともあり、結果としては告訴状まで作ったものの、受理していただいたのは被害届になり、それでも結局容疑者側がシラを切り通したことで泣き寝入りになりました。
一年経っても未だ、当然忘れられない出来事です。
当時の資料は全て取ってあり、公表すれば正当性を主張できる証拠も十分にありますが、刑事事件として法的に立件するには証拠不十分ということになってしまったんですね。幾ら間違いなく脅迫だと思われる証拠があったとしても、"思われる"証拠ではダメだということです。
つまり、脅している事実のみならず、危害を加える云わば"予告"がされていないと立証できません。
そもそも「脅迫」や「詐欺」という犯罪は非常に立件するのが難しい犯罪で、なぜなら言った言わないの論争になってしまいがちなため、被害者は多くの場合泣き寝入りする羽目になります。それも、"予告"が鍵になるわけです。現行犯で逮捕できるならいいですが、殆どそういうケースはありません。
そんなわけで警察の方にも、申し訳ないと謝られてしまいました。
容疑者は警察の方にも横暴な態度で接したらしく、刑事さんも非常に腹を立てていました。
こういった事件のように、警察では状況から見て絶対黒だと思われる犯罪に対しても、手も足も出ない事例が後を絶たないそうです。刑事さんの言っていた逸話では、恐喝事件か何かで「絶対に立証するから」と約束したお婆さんに、結局立証できず泣き寝入りさせてしまったことが忘れられないと言っていました。
自分事でまた同じような想いをさせてしまったかな、と少し申し訳なく思ったりもしましたが、こういった問題の根底には警察の不甲斐なさも絶対にあることは否めません。まず絶対的に人が足りていないから、小さな事件にあてる捜査への労力はどう見ても少なくなってしまう。
それから法で裁くことのできる立場にいる人間、例えば入り口である検察や裁判官なども殆どが、直接的に事件に関与した人間から話を聞くでもなく、又聞きで他人から聞いた話を元に、事件を客観的にしか判断できないことも問題だと思います。
人の裁きに客観は必須だとしても、犯罪で苦しむ人は"心"を痛めているのが事実です。
言い換ええれば、心というのは感情なんですよね。
そして、感情と言うのは主観で、被害者が最もその犯罪に心を痛めているんです。
この世のどんな犯罪も、人の心を傷つけるものであり、だからこそ問題で、それを救うための「法」であるべきなんです。システマティックに書類上で流れを見るだけで、被害者の感情がどれだけ伝わるでしょうか?重犯罪なら想像もし易いかもしれませんが、軽く見られるような犯罪でも、だから放置していいと言うなら、この国は終わりです。
人は傷つけ合いながら生きていく生き物です。
でも、できれば誰もが少しでも幸せな気持ちで生きていけるようになって欲しい。そういう意識が育っていって欲しい。この一年は、ずっとそんなことを考える毎日でした。人が生きていくためには社会が必要で、社会が生きやすくなるにはそういった意識が必要なんだと、この一件で俺は学びました。
世の中とか社会とか口にする奴はろくでもないなどという輩もいます。
自分と自分の身の回りだけ幸せにできればいいなどと、尤もらしい事も言われています。でも、本当はそうじゃない。世の中の誰もが幸せになれるような社会を目指さなかったら、必ずどこかで誰かが不幸になることを容認しているだけ。そして、その誰かは、自分かもしれないんです。




