工場裏の秘密基地

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この一ヶ月、『この世界の片隅に』関連エントリで手一杯だったため、例の森友学園の一件に全く乗れずじまいだった。
 
とは言え、連日の報道で詳しく報じられているし、アンティファ系の方のツイートでも、実に的を射たツッコミにあふれているので、今さら筆者ごときが書くことは何もない気がする。
 

 
この一件が、このまま何事もなかったかのように終息するのか、それともこの先どう転ぶのか、まだ現在進行形ではあるが。
 
少なくとも首相以下現政権が、見苦しい詭弁と恫喝を繰り返すしか能のない集団であることを、マスコミが白日の下に晒した効果は大きいだろう。

すっかり手なずけられていたかと思われたマスコミにも、まだ「王様はハダカだ」と口にする勇気は残っていたということか。


 
さて、こちらのフリーライター・赤澤竜也氏のツイートがなかなかの名文だと思った(変な意味でなく)ので、勝手ながら連貼りさせて頂こう。

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うわぁ、優しいなぁ…口汚い筆者はこういう文章を見習わなきゃいけないなぁ…

あ、でも筆者は籠池を「籠池理事長」なんて絶対呼びませんけどね(^_^;)



確かに、あの証人喚問での肝の据わりぶりを見ると、何だか立派な人物のように錯覚してしまいそうだ。
取材対象と身近に接していると、ついつい情が移ってしまうこともあるかもしれない。
 
そうだとしても、籠池が「悲劇の一民間人」というのはどうなんだろうか。


 
最近はすっかり取りざたされなくなったが。

籠池が極右ヘイト幼稚園で、何も知らぬ幼児に軍国主義思想や中韓ヘイトを刷り込み、児童虐待に近いことをしていた恐るべき糞レイシストであることを、忘れてもらっては困るというものだ。

(おまけに安倍っちとその連れが、そこの教育方針を絶賛していたこともね。)
 

 
もちろん赤澤氏は、こういう記事を書かれていたのだから、忘れてなどいないだろうけど。
森友学園ヘイト文書配布(赤澤竜也) - Yahoo!ニュース



ともあれ連日、その場の思いつきの行き当たりばったりでゴマカシ続ける、こんな醜悪な政権が、自分達に都合の良い法律を立て続けに作り、いよいよ共謀罪で国民の自由まで奪おうとしてることに、もっと多くの人が危機感を持って欲しいものだ。

「自分からドツボにはまった」は、この方の仰る通りですな。 

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 ※注意
〇ネタバレ全開です
〇「こんな素晴らしい作品にケチをつけるのは許せない!」という方は、
このブログをお読みにならないことをお勧めします。
 
『この世界~』で描かれなかったことこそ、忘れられてはならない

映画のラスト。終戦から数ヵ月後の広島で、すずと周作が、戦災孤児の少女を家に引き取るエピソードが描かれる。

このシーン、劇場ではあちこちで洟をすする音が聞こえた。筆者も思わず、目頭がジワッと来てしまったことは正直に書いておこう。

最後の径子のセリフ「晴美の服じゃこまいかねぇ…」も泣かせる。エンディングでは、少女がその後幸せに暮らすことが暗示される。救いのある、大変に良いラストシーンだ。




こんな良いシーンにケチをつけるとは、なんて根性のひん曲がった奴だと、自分でも思う。
だがこのエピソードが映画のラストを締めくくり、「ああ良かったね」と「いい話」に回収されて終わってしまうのだとしたら、筆者はいたたまれないものを感じる。

ヒロシマを描きながら、原爆投下後から始まった、現代にも続く悲劇〈被爆者差別〉が、その片鱗すら感じさせることもなく終わってしまうからだ。




もちろん『この世界~』が、そういうことを訴える作品でないことは分かっている。そういうシーンを入れるべきだなどとも思わない。

もし『この世界~』が、特に大きな話題になることもなく上映終了し、「知る人ぞ知る良心的な傑作」といったポジションに落ち着いていたなら、筆者もこんな長文の批判ブログなど書かなかったろう。

しかし大ヒットし(それ自体は無論喜ばしいことだが)、「戦時下の描写がリアル」だの「反戦メッセージがないから良い」だのと絶賛される状況には、やはり異を唱えたい。



『この世界~』批判で、こういうことを書く人も他にいなさそうなので、筆者が書くことにしよう。
もちろん、そうした〈戦後の負の過去〉に興味も関心も無い方は、読み飛ばしてくださって構わない。





広島に原爆が投下された直後、惨状を知った多くの市民や兵隊が、各地から救援に駆けつけた。
それから数日を経て、人々の間に不気味な噂が広まり始める。

救助活動で爆心地に来ていた、健康でピンピンしていた者が、やがて髪の毛が抜け始め、嘔吐と下痢を起こしてバタバタと死んでいくという。

爆発の後、現地一帯に“黒い雨”が降り、無傷だった者も、その雨に打たれてから同じような症状で死に始める。
米軍が爆弾と一緒に、何か伝染性の病原菌でもバラまいたのではないか…



かろうじて、落とされた爆弾は〈原子爆弾〉で、人体に有害な〈放射能〉が撒き散らされたことを一部の人々が知り得たが、その放射能とはどういうものなのか、殆どの人は知るすべがなかった。


それから10日後に広島、7日後に長崎は終戦を迎える。

だがその重要な数日間、軍部も報道機関も混乱状態にあり、残留放射能の危険も、正確な知識や防護方法も知らされることはなかった。

その間も、被災者の救護や、家族の安否確認などで爆心地に入った多くの人が二次被爆してしまい、やがて癌や白血病を発症することとなる。

しかもそうした原爆の被害の実態は、GHQの検閲によって長い間伏せられてしまった。




二次被爆の症状である、激しい倦怠感・めまいから〈ぶらぶら病〉などと呼ばれたが、恐れをもって広まった言葉は〈ピカの毒〉である。

被爆した者がどういう扱いを受けたか。『はだしのゲン』の、画家志望の青年・政二のエピソードは最も凄惨だ。
©中沢啓治・汐文社
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かくして、一次被爆はもとより、外見に全く異常のない二次被爆者も、そのことを他人に伝えたとたん「ピカの毒がうつる」と、接触を避けられるようになる。

無知と偏見による被爆者差別が始まったのだ。

~被爆者(原爆症患者)に対して非被爆者から行われた進学・就職・結婚・市民生活上での差別行為を指す。

具体的には「銭湯で自分が被爆者である事をもらしたら、一斉に浴客が湯舟から上がって出た」とか「被爆者である事を知られて婚約が破談になった」といった事例がある。

これらの背景となったのは、原爆症というものが伝染したり遺伝したりするものだといった誤った認識が昭和20~40年代あたりまでの日本全体の社会通念としてあった事があげられる。

https://sites.google.com/site/proj149/12wa-ketsuban-mondai/kenkyuu/1-1より


当ブログでも、かつてこちらのマンガを紹介したことがある。
マンガで描かれた差別「あした青春!」


これらは昔の話なのだろうか。いや、「ピカの毒がうつる」は形を変えて、再び現代によみがえっているのだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170128-00010003-chibatopi-l12より
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ある原告の子どもは、事故後に県内の中学校へ転入した際、「何で福島から来たんだ」「放射能がうつる」などと言われたとされる。

その後、学校に行けなくなり、転校したという。

https://www.youtube.com/watch?v=-A-DepakA-Eより
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http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201612/20161223_73036.htmlより
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http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3947/1.html より
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「隣の同級生が物を落としたので拾ってやろうとしたら、放射能がうつるから触るなと言われた」
「『汚い』『お金もらってるんでしょ』などと言われた」。

女性(東京)
“「あの家は、福島から来たやつらで汚い」と言われた。”

90代女性(埼玉)
“あなたたちは、俺たちの税金で暮らしてんだよなーと声をかけられた。
心が震えました。”

父親
「他の人たちに被災者だと知れ渡ったときの怖さが出てしまう。今でもそうですけど、福島の人間だっていうのは出さないように。
今でも『絶対に言わないように』って、お互い確認し合いながら生きている。」

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3947/1.html より 


違いは、原爆と原発事故ということだけだ。戦後70年以上経った現在でも、放射能への無知と偏見はドス黒く横たわり、生き残った被災者を責め苛んでいる。






『この世界~』のラスト。
すずは擦り寄ってきた戦災孤児の手を取り「あんた…よう広島で生きとってくれんさったね」とささやく。
北條家の人々も(シラミには閉口しつつ)、少女を家族の一員として暖かく迎える。

素晴らしいラストである。「そうあって欲しい」という観客の願望をかなえるこのラストは、この作品にとってこれでベストなのだ。

だが、現実はどうだったか。恐らくこれと正反対の光景が、そこかしこにあったのではないか。



この少女は「ピカの毒がうつる」と避けられることはない。すずは、少女が広島にいたことを知っているのに。

二通りの解釈ができる。 一つは、すずが二次被爆のことを知らないか。もう一つは、知っていて「ピカの毒がうつるなんて迷信じゃけ」と、差別心なく少女を受け入れたのか。
(個人的には後者であって欲しいが。二次被爆したすずの妹との会話シーンを見る限り、前者の可能性が高そうな気もする。)



こうの氏は広島出身で、『夕凪の街 桜の国』を描かれた方である。被爆者差別についてご存じないはずがない。

このシーンを描くときに、それは頭をよぎらなかったのだろうか。そうしたことが全くなかったかのような描写をすることに、何か思うところはなかったのだろうか。





こうの史代氏キャラデザイン・片渕須直監督による短編アニメがある。

『この世界~』制作中に作られた、ある意味パイロットフィルム的な作品だ。NHK
『みんなのうた』で何度もオンエアされたので、ご覧になった方も多いだろう。

東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」。
http://kai-you.net/article/35767より
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「花は咲く」がアニメになりました。
何気ない暮らしの何気ないひとこま。
そこにも人と人のつながりがある。
今の時代にこそ、
大切にしたい気持ちを描きました。 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm28387053より
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無論、こうした支援ソングなどの善意のプロジェクトを、否定はしない。

否定はしないが、あえて言わせて頂ければ、あまりにも現実を見ていなさ過ぎではないか。
復興支援ソングアニメに参加されるのも良いが、『夕凪の街 桜の国』を描かれたこうの氏ならば、今現在、被災者たちがおびやかされている、もう一つの残酷な現実に対し、何かメッセージを発信してほしい。

こうの氏ならばこそ言える事があるはずであり、こうの氏はそれが出来る人ではないか。





このエントリを書いている最中にも『この世界~』は、キネ旬ベストワン、日本アカデミー賞など、多くの賞に輝いている。

『この世界~』は今後、『はだしのゲン』や『火垂るの墓』が敬遠されて顧みられなくなるのに代わり、「グロシーンが無い、子供に安心して見せられる戦争アニメ」として流通するのだろうか。

そしてゆくゆくは、若い世代や子供たちに戦時下の暮らしを伝える、教材的なポジションを得るのかもしれない。

もしそうなら、この作品に描かれなかった負の歴史も、同時に伝えてゆく努力が必要とされるのではないだろうか。

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こうの史代氏と小林よしのりの親和性

10年以上前に、こうの史代氏の『夕凪の街 桜の国』を知人の勧めで読んだことがある。

淡々とした語り口で〈戦後の被爆者〉の、ささやかな幸せや苦悩を描いた、胸に沁み入る作品であった。
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そのこうの氏が、小林よしのりの雑誌『わしズム』にマンガを発表していたと知ったときは、少なからぬショックを受けた。

あんな、弱者に寄り添う優しい作品を描かれた方がなぜ?、と驚いたのだ。



やむを得ず、いったん横道に逸れる。
小林よしのりが『ゴーマニズム宣言』で大ブレイクした頃から、20年近くを経ており、彼がどういう男か、今ではよく知らない方も多いのではないかと思うからだ。

(いちいち言われなくても知ってるよ、という方は、以下の部分読み飛ばしてください。)





小林の論理のメチャクチャさと醜悪さを、ここで揚げ始めたらキリがなくなってしまうので、ほんの一例だけにとどめよう。


マンガによるエッセイ『ゴーマニズム宣言』は、初期の頃は切り口もユニークで、社会的弱者の側に立った秀逸な回もあり、雑誌『SPA!』での連載を、筆者も毎回楽しみに読んでいた。

だが雑誌『噂の真相』とのケンカや、薬害エイズ問題関連のトラブルにおいて、小林は「サヨク嫌い」を頻繁にアピールするようになる。


その後『新・ゴーマニズム宣言 (3) 』(1997)で、従軍慰安婦問題を採り上げ始める。

同じ頃に、歴史修正主義団体「新しい歴史教科書をつくる会」ともネンゴロになり、小林はみるみる極右アジテーターと化していった。

『新・ゴー宣 (3)』は、小林が腐れウヨとして大きく右旋回した、ターニングポイントの巻である。
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小林が主張する従軍慰安婦問題は、この部分に尽きる。
「新・ゴーマニズム宣言」第3巻特別編より
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「新・ゴーマニズム宣言 第29章」69Pより
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強制連行の有無という、全体の中の一箇所だけをことさらに強調して「証拠はない」「だから(強制連行は)なかったとしか思えない」とし、その一点を全体に拡大して、従軍慰安婦問題そのものを「捏造」と断じる。

歴史修正主義者お得意の〈一点突破〉の手法だ。
「新・ゴーマニズム宣言」第3巻特別編より
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『新・ゴー宣 (3)』の慰安婦捏造論は、小林が「~つくる会」の主張を受け売りし、マンガで絵解きしたものに過ぎない。

それらは今に至るも、ネトウヨらにコピペされ、拡散され続けている。『新・ゴー宣』・『戦争論』等々、小林の著作はネトウヨの教科書なのだ。



その中に、こんな描写がある。
「新・ゴーマニズム宣言 第24章」21Pより
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「強姦されて自殺したり、泣き寝入る女は日本の誇り」なのだそうだ。

ならば小林は、実際に強姦されて、泣き寝入りしている女性に向かって「キミは日本の誇りだねぇ」と言ってみてはどうか。



こうした箇所を批判された小林は、表向き「レイプは最低」などと言いつくろいながら、コマの欄外に「そこら中の女、犯して妊娠させて認知せずに逃げたいわ」と書いた。
「新・ゴーマニズム宣言 第29章」69Pより
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50以上の市民グループによる『新・ゴー宣』への抗議が来たときは、そのグループ名をズラリと並べて「抗議が来たぞ、キャッホー!」とマンガのネタにした。

そういう男である。物書きとしての知性や誠実さの、欠片も無い男だ。



ネット上でも、相変わらず下劣な発言を撒き散らしている。最近は特に中国人ヘイト発言が増えている。
外国人観光客は目障りだ  

これなど、災害時の虐殺煽動以外の何物でもない。「何を起こすか分かったものではない」のは小林らの方だ。
新千歳空港の暴動は将来の予行演習





ネット上の発言と言えば、この一連の流れには失笑してしまった。

小林が、宿敵(?)宮台真司氏のブログを採り上げたときのことである。 まず宮台氏の、ブログでの発言がこちら。

(従軍慰安婦問題は)国が関わっているからいけないのではなくて、国がもっと真剣に関わらなかったからいけないのです。

戦時下において国が(慰安所に)積極的に関与するべきなのは、現地で反発されないようにして占領政策を行いやすくするという観点からでもあり、また、現地の女性たちへの被害を最小化できるようにという人道的な観点からでもあります。
http://www.miyadai.com/?blogid=1&catid=1より



宮台氏のこの意見がどういう真意で書かれたのか、それはここでは置くとして。

小林はこれを「恐るべき意見」と言うのだ。
http://yoshinori-kobayashi.com/8050/より
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えぇ!?アータだって『新・ゴー宣 』で同じこと言ってるじゃん!?

(統帥権を握った軍部が内閣を支配していた、当時の〈軍〉と〈国家〉はイコールだ。)
「新・ゴーマニズム宣言 第26章」より
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「新・ゴーマニズム宣言 第30章」80Pより
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はたまた、宮台氏には「恐るべき意見」といきり立っておきながら、今度は同じことをファンの女性が言ったら、デレッと180度態度を変えるのだ。
http://yoshinori-kobayashi.com/8253/より
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「どっちなんだよ!」であるが。


そうかと思えば、『この世界の片隅に』の感想がコレである。
http://yoshinori-kobayashi.com/12149/より
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「女を何だと思ってるんだ」って、おまゆう?(^_^;)。

しかも「女性の尊厳を無視する男は嫌いだ」と書いた、その次の行ですずのことを「夫のいる身で、別の男によろめいて不潔だ」である。

もう、コイツ頭おかしいんじゃないの?としか言いようがない(だいいち、あのシーンは別に「よろめいた」訳ではないと思いますけどねぇ)。

昨日言ったことが今日、いや数秒後に変わる男である。小林の脳内に矛盾という言葉は無いのだ。







さて、長々と横道に逸れてしまった。

『夕凪の街 桜の国』を描かれた方が(しかも女性作家でありながら)、これほどの女性蔑視ミソジニスト兼・極右アジテーターの本に寄稿された事への、筆者の驚きを、バクゼンとでもお分かり頂けただろうか。


こうの氏のデビューは『ゴー宣』の大ヒットと同時期である。

その頃にマンガ業界にいた方が『新・ゴー宣』や、小林がどういう主張をしている人物かを、知らなかったとは思えない(それくらいの大ヒットだったんですよ)。

しかも『わしズム』は小林が編集長の個人雑誌で、氏は本人直々の原稿依頼を受けている。
そこに描くことで自分にどういうイメージが付くか。そのプラスマイナスを、こうの氏が考えなかったとも思えない。



『わしズム』掲載マンガは、こうの氏のエッセイ集『平凡倶楽部』に収められている。
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特段、主義主張を押し出したマンガ作品は載っていないが。この中に【戦争を描くという事】という4ページのエッセイがある。

これは、こうの氏の作家性の一端が窺えるという意味で、無視できないものだ。

「(夕凪の街~の反響の大きさについて)
〈戦争もの〉さらに〈反戦もの〉として捉えられた事にもっと驚いた」

「原爆を描いて以来、わたしはたまにお涙頂戴作家と勘違いされている」

平凡倶楽部 平凡社(2010) 10・12Pより

ストレートな表現は一切していないが、どうも趣旨としては「自分の作品に反戦マンガのレッテルを貼られるのがウザい」ということのようだ。


「~見聞きした戦争ものは大抵こんな結論に導かれる。

『戦争で死んだ人達はこんなにかわいそうでした。戦争は愛してる人やものを奪います。世界の人はみんな等しく素晴らしいのだから、だれ一人戦争なんかで死なせてはいけないね』。

それに対しわたし達は『不謹慎』という言葉に縛られて質問もせず、空気を読んで『わたし達は恵まれています。こんなことは二度とあってはならないと思いました』と、決まった答えを不自由になぞらされる事になる」

平凡倶楽部 平凡社(2010) 11Pより


…どうやらこうの氏自身が、いわゆる「反戦メッセージの押しつけ」がお嫌いなようである。『この世界~』が、そうした人たちの共感を得るのは当然なのだ。

(もっとも、嫌いになる気持ちも分からなくはない。広島出身の方が、子供時代に反戦平和スローガンをやたらと押し付けられ、ヘキエキしたという話はよく聞く。)



(9)で言及した〈二箇所の独白〉と、〈太極旗のシーン〉のセリフが、すずのキャラクターとかみ合わず、取ってつけた印象を受けるのは、
「やっぱりこういうモノを入れておかないと、またうるさい人が文句をつけてきそうだ」
的な忖度で入れたに過ぎないからでは、と邪推してしまうのだが。



これなど、最初はどこのネトウヨの書き込みかと思ってしまった。
法華狼の日記『この世界の片隅に』そしてさらにその片隅に より
まあでも、山口氏の文章でいちばん意外だったのは、実は、日本に暮らしながらこの国を好きでない人がいる、という事でした。


こうの氏はネトウヨなどではない(と思いたい)が、やはりご本人は、反戦・反日、いわゆるサヨク的なものに嫌悪感をお持ちの方なのだろう。

↓こういうことを書いている小林の雑誌に寄稿するのは、不思議でも何でもなかったのだ。
「新・ゴーマニズム宣言 第30章」81Pより
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反戦・反日 反体制 日本人のくせに日本を悪と見ることを喜ぶ そんなサヨクがわしゃ嫌い!



こうの氏はこうの氏で、小林のマンガをベタ褒めのご様子だ。
http://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar845887より
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こちらは小林の『この世界~』への賞賛。シンパシーを感じる者同士の、エールの交換ということか。
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jocm4etxd-14 より
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「多くの日本人が観るべき」の気持ち悪いウヨワードはともかく。
上に貼った通り、この9日後には同じ口で、主人公を不潔だなんだと言ってるんだけどねぇw
「この世界の片隅に」を見たよ - 小林よしのり公式サイト







『この世界~』の構成は非常に巧みである。

特に〈昭和〇〇年〇月〉と、日付がサブタイトルになっているのは秀逸だ(映画ではテロップとなっていて更に分かりやすい)。

劇中の人物は自分たちの未来を知らないが、観客の私たちは、昭和20年8月に何が起きるかを知っている。
毎日の暮らしが過ぎていく、それ自体が悲劇へのカウントダウンなのだ。

こうして観客は、言うなればサスペンスをも共有することになる。そのクライシスは、庶民の穏やかで幸せな日常が丁寧に描かれてるほど、より対照的なものとなる。




こうの氏は『この世界~』について、エッセイでこのように語っている。

「(略)登場人物が〈死ぬかどうか〉ではなく〈どう生きているか〉に重点を置いた。
戦時のかれらの〈生〉に沿うだけの漫画である。 題は『この世界の片隅に』と決めた」
平凡倶楽部 平凡社(2010) 12Pより

これなどはちょっと毒を感じますな。
「残虐におかわいそうに死ぬ美男美女が見たいだけのお方は、最後まで読んでさぞやがっかりすることだろうな、と思った」

平凡倶楽部 平凡社(2010) 12Pより

https://www.youtube.com/watch?v=mEo6cmCCQcoより
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「彼らは彼らなりに工夫して幸せに生きようとしたということを、この作品で追いかけてつかみたいと思った」

しかし、そういうものが表現したかったのであれば、空襲や原爆を絡める必要はないではないか。

それこそ『サザエさん』のように、すずのオッチョコチョイぶりや、戦時下の人々のささやかな喜怒哀楽を描くだけで、そのテーマは充分に表現可能のはずだ。

〈反戦メッセージのジレンマ〉からも逃れられたはずである。



結局『この世界~』は空襲や原爆を、そうした「戦時のかれらの〈生〉」を際立たせるための、道具立てとして利用してるのではないか。

「お涙頂戴」や、「残虐におかわいそうに死ぬ美男美女が見たいだけのお方」は他所へどうぞ、とばかりに否定しながら、原爆の戦災孤児を描くのはOKなのか。






筆者は『夕凪の街 桜の国』を傑作だと思ったし、『この世界~』を含め、こうの氏の作品に感動された方も多いだろう。

こうの氏が、これから作家として「どの方向」に行かれるかは分からないし、そもそもそれは自由だが。
願わくば、その人たちの感動をないがしろにしない方向へ進んでほしいと思う。
(つづく)





※―今回のエントリで、小林よしのりのマンガの画像を引用したが。
〈引用〉は、その要件を満たす範囲内である限り、著作権侵害にあたらないのでお間違えなく。

ちゃんとそういう判決が出て、 裁判に負けたし、SAPIOに謝罪文まで載せたもんねぇ、小林センセイ?

「脱ゴーマニズム宣言」における民事訴訟 

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「『加害の描写が無い』と憤る人達」とは?②

今回は『この世界~』という作品に対しての批判ではない。ネット上のとある「感想」に対する批判である。

なぜそんなものを書くかと言うと、ブログタイトル【『この世界の片隅に』大ヒットに感じる不安】の一つを、まさにこの「感想」が招いている状況だからだ。




「『加害の描写が無い』と憤る人達」が、この記事をきっかけに、憎悪のターゲットとして“生産”されているのである。長くなるが検証したい。

映画「この世界の片隅に」-韓国からの批判に思う

「この世界の片隅に」と、「加害」又は「韓国」で検索すればトップに出てくる。作者は水口洋介という弁護士さん。


この記事、全体としては(ネットでは珍しく)大変リベラルである。

最後などは「日本は100%侵略をしたのだから謝罪は当然」と締めくくっている。保守系の人なら、間違ってもこんなことは書かない。

水口氏の過去の、ヘイトスピーチや従軍慰安婦関連の記事を読んでも、大変誠実で、まっとうなご意見を書かれている方とお見受けする。




だが今回のこの文章は、よく読むと、おかしな箇所がいくつも目につく。
まず冒頭部分を引用しよう。

ところで、韓国の人から「この世界の片隅に」については、日本の侵略と加害責任を描かず、侵略を支えた側にいるヒロインの「すず」を被害者としてのみ描くのはおかしいとの批判がなされているようです。

「なされているようです」と、なぜ語尾が曖昧なのだろうか。

そのような批判がもしネット上にあるなら、引用するかリンクを貼ってほしいのだが。


あるいは水口氏が、知り合いの韓国人から直接、そういう批判をされたのだろうか。
だとしたら、普通は「なされているようです」とは書かないだろう。




まずこの時点で、本当にそんな批判があったのか、何だか怪しげである。

この後『火垂るの墓』や、各エピソードに対して「このシーンがこういう風に批判されている」という意味合いの文章が続くのだが、

(『火垂るの墓』について)

~韓国や中国の人々から見れば、この高畑勲のアニメも、(中略)加害と侵略の責任をうやむやにする映画であると批判することだろう。

(太極旗のシーンについて)

~でも、韓国や中国の人々にとっては、(中略)加害責任をぼやかしていると思うのでしょう。

(同)

~韓国や中国の人には理解が困難で、あいまいでうやむやにしていると思うのかもしれない。

(原爆の被害について)

~これらの悲惨な被害実態も、(中略)韓国人や中国人からは「被害者ヅラをして」と批判を免れないことになるようだ。

「することだろう」
「思うのでしょう」
「思うのかもしれない」
「なるようだ」

等々、一読すると、さもそういう批判があったかのように思ってしまうが、実は全てこの方の〈想像〉なのだ。

しかも、そんな〈想像上の批判〉に対して、

日本の侵略性を認める日本人でさえ、「またか」って思ってしまう。

批判の仕方としても、もうすこし工夫があっても良いだろう。

すずも軍人も一緒くたにして、加害者側とストレートに批判することで、その批判者が得るものはなんだろう。

と、「そういう批判はもういい加減にしなよ。大人気ないなぁ」とばかりに、半ば呆れ気味に戒めているのだ。 これではまるで自作自演ではないか。

こうなると冒頭の「なされているようです」で終わる〈批判〉も、この方の想像なのではないか?と、疑わしくなる。





そもそも「韓国の人から(の批判)」と言うが、『この世界~』はまだ海外で上映されていない。
現時点で14ヶ国での上映が決定しているが、その中に韓国は含まれていない。
『この世界の片隅に』海外配給決定


そうすると水口氏の言う「韓国の人」とは、日本国内の韓国人ということになる。

ならばその韓国人が映画を観て批判したのだとしても、それは単なる一個人の意見に過ぎないはずだ。

それを【韓国からの批判に思う】と、あたかも韓国国民全体から批判されたかのようなタイトルをつけているのは、いかがなものなのだろうか。






ちなみに記事中の【「はだしのゲン」との比較】なる文章も、非常に怪しげだ。

~当初、中国・韓国から<被爆者の被害者性だけを延々と描いて、軍都でもあった広島の侵略と加害の責任を描いていない>と批判されたという。

そこで、途中から侵略・加害の責任を強調するように描いた。これは原作者の中沢氏がインタビューで「批判に答えて修正した」と述べていたのを読んだ覚えがある。

これは100%ウソッパチである。
まだ原爆投下シーンにも至らない、連載初期の頃のエピソードからすでに、中岡ゲンの父は、日本の加害や反戦のセリフをまくしたてているからだ。

しかも、単行本の出版は連載終了から数年後であり、「途中から」「批判に答えて修正した」など、有り得ない話である。

中沢氏のそんなインタビュー記事が実在するなら、ぜひお教え頂きたい。






案の定この記事は、嫌韓まとめサイトに「韓国ブチギレ」等の扇情的なタイトルで貼られ、タイトルしか読まないネトウヨが「またチョーセンジンが文句をつけてるのか!」と沸き立っている。

そんな糞まとめサイトにいちいちリンクは貼らないが。




水口洋介さん。あなたはどういう意図をもって、この記事を書かれたのでしょうか。

筆者は、随所に書かれた「被害者が批判するのは当然」「将来の和解に繋げたい」等の、リベラルなご意見が、あなたの本意であると信じます。

しかしあなたが、存在するかどうか定かとも思えない〈批判〉を元につけたタイトルが、要らぬ誤解を招き、結果的に記事そのものが嫌韓ヘイト煽動に利用されていることを、どう思われますか?
(つづく)

 ※注意
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〇「こんな素晴らしい作品にケチをつけるのは許せない!」という方は、
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「『加害の描写が無い』と憤る人達」とは?①

このようなまとめがある。
アニメ「この世界の片隅に」が日本を加害者として描いてないと憤るいつもの人達【反戦思想】  

〈いつもの人達〉からして、「また反日サヨクがギャーギャー騒いでるぞ」的なニュアンスを感じるタイトルだ。

しかし、この中に特段「『日本を加害者として描いてない』と憤っている」ツイートを、筆者は見つけることができないのだが…

それに近いのは〈太極旗のシーン〉のセリフ変更に苦言を呈しているツイートだが、あれは(8)で書いた通り、ニュアンスの変更であって、セリフ自体が削除された訳ではない。



では『この世界~』を観て、〈「日本を加害者として描いてないと憤る」人達〉は、そんなにたくさんいるのだろうか?

ネット上の、大量のレビュー全てに目を通すなど不可能だが、筆者はできる限り目を通してみた。
確かに、中にはそのような意見も見かけたが、絶賛レビューの方が量的にはるかに凌駕しており、全体としてはごく僅かだった。




以下、私見。
『この世界~』は決して、〈日本を加害者として描いてない〉作品ではない。

詳しい方はご存知の通り、原作の二箇所にこのような独白がある。
一つは単行本下巻・P13~15の独白。
©こうの史代・双葉社/
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発動機のうなり
うたごえ
このちいさな浦に満ちるいとなみ

それは確かに誰かの夢

誰かの夢であり

同時に誰かの悪夢でもある

これは、若かりし頃の周作の父が〔~いそしむ技術にこもれるは 世界平和の光なり〕と、誇らしげに広工廠歌を歌う場面にかぶさっている。

背景には、呉鎮守府の兵器製造部門で作られる、戦艦や飛行機などが描かれている。


単純に解釈すれば、こうして日本の軍備が増強されていく様を〈誰かの夢〉と例えているのだろう。

しかしこうの氏は、それを〈同時に誰かの悪夢でもある〉と書いている。これは充分に、日本側の加害をイメージさせる独白であろう。


(ただ、この独白の次以降のページで、米軍のB-29による空襲が描かれており「悪夢」とは「誰にとっての」ものなのか、いささか不明瞭だ。
この時期の米軍は、ロクな反撃もできなくなった日本をいたぶるように空襲していたのだから。)





もう一つは同じく下巻・P93~94の、例の〈太極旗のシーン〉での独白とすずのセリフ。
©こうの史代・双葉社/
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飛び去ってゆく

この国から正義が飛び去ってゆく

「………ああ」
「暴力で従えとったいうことか」

「じゃけえ暴力に屈するという事かね」

「それがこの国の正体かね」

「うちも知らんまま死にたかったなあ……」


「この国から正義が飛び去ってゆく」は、どちらにかかっているのだろうか。

すずが片腕を失いつつも「そんとな暴力に屈するもんかね」と、負けん気を吐いたばかりなのに、あっさり日本が降伏したことへの「その程度のものだったのかよ!」という失望なのだろうか。

それとも、太極旗を見て、自分達も「暴力で従えとった」ことへの失望なのだろうか。

この独白、太極旗を見て慟哭する前に入っているが、見ようによっては、太極旗を見ての独白と見えないこともない。



このように、少々意味が取りづらい独白ではあるが、少なくともこの二箇所は原作者が〈加害の視点〉を盛り込もうとしたのであり、その配慮は、これだけでも充分酌みとれる。



何度も書いてる通り、筆者は基本、『この世界~』を「こういう作品もあって良いのでは」と思っている。

戦争映画を観ていちいち「加害が描かれてないからダメだ」とは思わないし、むしろ不要と思っている。

一つの作品の中に加害側や被害側だのの、多角的な視点を盛り込むのは、よほど上手にやらない限りムリだし、そもそも『この世界~』はそういうテーマの作品ではなかろう。

(筆者が主に批判しているのは、美化された戦時下の描写と、それが絶賛される現在の空気の「気持ち悪さ」であってね。)



ただしこの独白、映画ではカットされてる上、セリフもボカされてストレートさがなくなっている。
映画だけを観た場合、〈加害を描いてない〉と感じる人が現れるのは仕方がないだろう。

もし仮に筆者が『この世界~』をアニメ化したとしても、同じように、この二箇所の独白はカットするかもしれない。
すずのキャラにはそぐわないし、何より、作品全体から非常に「浮いている」からだ。

(8)でも書いた通り、この独白に対応するすずの行動が描かれていないので、どうしても「取ってつけた感」が拭えない。



なぜ「浮いて」いて「取ってつけた感」が拭えないのかは、どうも、こうの史代という方の、作家性に由来することなのではないかという気がする。それについては(11)にて後述する。





さて、〈加害を描いてないと憤る人〉の評価の中では、こちらのコメントが少々物議を醸したようだ。
十文字映画祭のチラシに掲載された、脚本家・映画監督・雑誌『映画芸術』発行人の荒井晴彦さんのコメントが凄い。  

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またずいぶん、上から目線というか、筆者が読んでも不快を感じる文章だ(だいたいオタクと、改憲派2/3と何の関係が?)。

『この世界~』に対しては、筆者も批判している立場なので、あまり人のことは言えないのだが。

少なくとも〈加害描写〉については、ちゃんと描かれてるものを「無い」と、荒井氏が誤読しているに過ぎない。

ズブズブのオタク蔑視といい、こうした人にとって、アニメ映画は所詮、実写映画より何ランクも下の「マンガ映画」でしかないのだろう。


もっともこの文章は、恐らく、わざとケンカを売って挑発することで、逆に関心を惹こうとしているだけなのかもしれないが。
いずれにせよ、ムキになってとりあう程のものではない。






『この世界~』を絶賛する方の中には、〈加害を描いてないと憤る人〉に対して〈憤る〉ご意見がある。
そしてなぜかそれらには、親の仇か何かのような、攻撃的なトーンが感じられる。

多くの著名人も絶賛の感想を寄せた、その中の代表として、こちらの劇画界の巨匠のツイートを載せよう。
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(この順序で載せると、まるで荒井氏のコメへの反論に見えてしまうが。荒井氏のコメは、小池氏のツイートから一ヵ月後のもの。)



多くの作品で楽しませてもらった御大の発言に意見するのは、いささか気がひけるのだが。
「『八月の狂詩曲』も『この世界~』も、個人の物語だ」と仰るが、この2作は全く違う。

片や、平和な1990年代の人物の話。片や、第二次大戦下の人物の話である。その2作を〈個人の物語〉に相対化するのは、いくら何でも無理がある。

後者は〈個人の物語〉であると共に、厳然とした事実を背景にした〈歴史の物語〉でもあるからだ。しかも、歴史考証のリアルさが謳い文句ではないか。



また「加害の歴史を忘れて~」云々は、上記したように、その批判者の勘違い・誤読に過ぎない。

それをポリコレと呼べるかどうかは分からないが。
仮にその描写が無かったとしても、全ての作品は批評される宿命を持って生まれるし、ポリコレを使おうが使うまいが、批判は全くの自由のはずである。



なお、『八月の~』が「アメリカ人が原爆投下を謝罪する『物語』」というのは誤りである。
あれはリチャード・ギアが、別のことで「スミマセンデシタ」と謝るシーンが、「原爆投下を謝るシーン」に曲解されて伝わったものだ。
八月の狂詩曲 - Wikipedia

(ちなみに『八月の~』は、黒澤明監督作品とは思えない〇作なので、別に観なくてもいいです。)




それが理解できないのなら、物語ではなく、ひたすらドキュメンタリーでも見ていればいい

小池先生としては、最近の観客の読解力の低下を嘆いておられるのだろう。しかしこれは、物語造りの巨匠のご発言としては、あまりに暴論だ。


そもそも、小池先生の仰る「それが理解できない人」の前提が、すでに意味を持ってはいないが。

「戦時中の人は反戦なんて思ってなかったはずだよ。だから戦争を正しいと思ってた、当時の人をそのまま描くのがリアルじゃん。 何が悪いの?」

ここまでぶっちゃけてはいなくとも、『この世界~』は、要するにそういう方向性で作られた作品だろう。

「物語ではなく、ひたすらドキュメンタリーでも見ていればいい」と仰るが、これはドキュメンタリーの作り方とどう違うのだろうか。



筆者から言わせてもらうなら。
「『戦争は悪だ』は、後世の人による後付けの価値観の押し付けだ」
だの、
「オレは当時の日本への批判的な描写なんか見たくない。気持ちいいモノだけが見たいんだ」
という人は、それこそ当時のニュース映像でも見て、ウソ八百の大本営発表に「バンザーイ!」と、陶酔していればいいのではないか。

↓こちらに、たくさんあるからどうぞ。
日本ニュース NHK 戦争証言アーカイブス




ところで、この小池先生のツイートに、こんなリプがついている。

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恐らく、こんな批判ブログを書いてる筆者は、この方から見れば「まともに相手しちゃいけない人種」なのかもしれない。

どう呼んで頂こうと一向に構わないが。

もし「慎重に政治的偏りを廃し」ているから良い作品だ、と言うなら、(2)で書いたように〈軍国色〉や〈政治色〉を意図的に排除する作りの方こそ、よほど「政治的偏り」ではないのか?
(つづく)

※注意
〇ネタバレ全開です
〇「こんな素晴らしい作品にケチをつけるのは許せない!」という方は、
このブログをお読みにならないことをお勧めします。
 
変更された〈太極旗のシーン〉のセリフ

さて、問題(?)の〈太極旗のシーン〉である。 玉音放送で敗戦を知ったすずが、太極旗を見て慟哭する。

©こうの史代・双葉社/
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(独白)この国から正義が飛び去ってゆく

「………ああ」
「暴力で従えとったいうことか」

「じゃけえ暴力に屈するという事かね」

「それがこの国の正体かね」

「うちも知らんまま死にたかったなあ……」

このシーン、映画では下記のようにセリフが変更されている。

「海の向こうから来たお米…大豆…そんなもんで出来とるんじゃろうなあ、うちは」
「じぇけえ暴力にも屈せんとならんのかね」


原作者のこうの史代氏と、片渕監督へのインタビュー記事は数多く、全てに目は通せないが。
今のところ筆者が見た限りで、こうの氏本人が、太極旗を描き込んだ理由について語ったものは見当たらない。
片渕監督も「原作にあるので」と、あっさりした答えにとどめている。



こちらのリテラの記事によると。
『この世界の片隅に』は反戦じゃない?

太極旗のシーンは『夕凪の街 桜の国』で、日本の加害描写に触れていないと批判されたことへの「回答」ではないか、とのこと。



つまりこのシーンは〈朝鮮人労働者たちが敗戦によって、日本の支配から解放されたことを祝って太極旗を揚げたところ〉ということなのだろう。

(相次ぐ出兵で不足した労働力を補うため、当時“外地”から、多くの被占領民が徴用されていた。日本に生活基盤を作っていた彼らの一部は、戦後も日本で暮らし続けた。これが在日コリアンである。)


そしてそれを見たすずが、「米軍の暴力に屈した自分たち(日本)が、実は同じように他国(朝鮮・台湾など)を暴力で従えさせていた」ことに気づく場面、ということになるのだろう。



しかしそこへ行くまでに、すずが戦争の動向や、被占領地の人々のことを気にかける描写は皆無である。



「すぐ目の前にやってくるか思うた戦争じゃけど、今はどこでどうしとるんじゃろう」

このようなセリフはあるが、予告編のみの使用で、本編には使われていなかったと記憶する(筆者の間違いであればご指摘を)。



「気にかける描写が皆無」なこと自体は、間違っているとは思わない。まさにそれが当時の「リアル」だろうから。

すずのように、目の前の生活で手一杯な一般庶民にとって、戦争が今どうなっているかは、気にしても仕方ない事だったろう。


しかしそこは、あくまで作劇上のルール(伏線とその回収)として、何かしら入れるべきだったのではないか。

それまで戦争の動向など、気にもかけないようにしか見えなかったすずが、クライマックスでいきなり「国の正義」や、日本の加害性を語るのは、あまりにも唐突である。





セリフの変更について、片渕監督が以下のように語っている。

https://m.facebook.com/konosekai.movie/posts/1264496720279810より
(町山氏の、「太極旗のシーンは映画ではセリフが変えられていますよね?」の問いを受けて)

「それまでのすずさん自身が、朝鮮の方に暴力を振るっている場面があったか?というと無いんですよ。そういうところを彼女は目撃もしていない。

なのに、すずさんが突然そんなことを言っても、拳を振り上げて戦争反対と言っている姿勢とあまり変わらなくなっちゃうような気がして。

僕はもっとすずさんが実感できるもので、自分たちが振るった暴力のことを認識するべきだと思ったんですね。

彼女は毎日食卓を整える主婦なので、食べ物がどこから来ていたのかということを知っている立場なんです。

(中略) そういう意味でも、彼女は当時の食べていたものから、自分たちの行ったことが身に沁みてしまうということにしたかったんです」



なるほど、そういう意味なら、上手いアレンジの仕方かと思う。だがそうだとすると、である。

※監督は「すずは食べ物がどこから来ていたのか知っている」と言うが、劇中に「これはどこそこ産のお米じゃねえ」などのセリフはない。

まるで裏設定のようなことを語られても、劇中に描写されてなければ、観客は知りようがない。(闇市の場面の背景に「〈台湾米〉の張り紙がある」とのネットの書き込みがあったが、筆者には確認できなかった。)



※注―上記青文字部分の記述に対し、コメント欄に以下のご指摘を頂きました。
闇市で台湾米の話が出る場面を失念されているのですか?

どうやら筆者のセリフ聞き漏らしミスがあったようなので、その旨加筆しておきます。





また、監督は「すずは朝鮮人への暴力を、振るってもいないし見てもいない」と語るが。なぜそんなことを監督が把握してるのか不思議だ。

単行本三冊分に描かれているのは、すずの人生を切り取った“部分”に過ぎないはずだが。

ましてや「暴力を振るってもいないし見てもいない」なら、すずが「自分たちが振るった暴力のことを認識」できる訳がないではないか。





結果的に太極旗のシーンのセリフは、変更前も変更後も、どこかギクシャクしたままなのだ。監督の説明も、心なしか苦しそうである。



ちょっと嫌らしい言い方だが、原作の当該シーンは、まるでアリバイ作りのように入れられた感を受ける。
「はいはい、ちゃんと加害の責任を感じてるセリフを入れておきましたよ。これでいいでしょ」的な。

いっそ旗のコマなど入れず、すずが敗戦のショックで慟哭するだけの方が、よほどスッキリしていたと思う。






なお、無粋なツッコミではあるが。すずが〈太極旗を見て自分たちの加害に気づく〉というのは、考証的に無理がある。

すずは、1925年生まれの設定である。

日韓併合で朝鮮(当時の国号は大韓帝国)という国が消滅し、日本の領土となったのは1910年。すずが生まれる15年も前なのだ。

それから敗戦までの間、日本国内で太極旗を揚げるのは、反乱とみなされ、治安維持法違反で逮捕・拷問された行為である。

すずは生まれてから、太極旗を見たこともないはずだし、ましてパッと見て、それが朝鮮の国旗で、日本が「暴力で従えとった」関係性まで悟るというのは、いくら何でも出来すぎであろう。


まぁ、生々しくない形で加害に気づくシーンを入れようと思ったら、そのくらいしかやりようが無かったのかもしれないが。



ちなみに原作マンガの太極旗は、デザインが異なる戦時中のものでなく、現代のものが描かれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97より
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大韓民国臨時政府※で使われた太極旗の一例(1919年 - 1945年)
※―日本統治時代に、朝鮮独立を目指した運動組織 

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大韓民国の太極旗(2007年 - 現行)







エントリの(5)で筆者は、この作品が「大ヒットしたのがこんな状況下でなかったら~」云々と書いた。

〈太極旗のシーン〉には、さぞや嫌韓ネトウヨ共がピラニアのように食いつくだろうとは思ったが。
なんぼ何でも「朝鮮進駐軍デマ」が出てくるとは、予想のはるか斜め上だった。
『この世界の片隅に』の太極旗は「その後の朝鮮進駐軍の暴挙」を表してる!……のか?  

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ネトウヨは、自分が無知無教養であることが自慢なので、何を言ってもムダであり、相手にする必要は無い。



しかし一般人で、この一瞬映る太極旗とすずのセリフを元に、↓こちらのように、まっとうな受け取り方ができる方は、相当の注意力と、歴史の(マトモな)知識を得ている方に限られるだろう。

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そうした歴史を知らない、知ろうともしない人には、意味不明で不快なシーンでしかない。


朝鮮進駐軍デマを持ち出すほどのバカは一部だとしても。案の定〈太極旗のシーン〉は、嫌韓ヘイトをウジャウジャ呼び起こしている。

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それにしても、作品の最後の方で韓国の国旗が突然旗めいたのには正直驚いた。韓国の勝利??を描きたかったのであろうか。

この国はことあるごとに日本に対して自虐と謝罪を要求してくる国であることは言うまでもないが、現在日韓関係は完全に冷え切りイライラした嫌韓感情が日本に広がっているのも事実。

この作品は厄介なものを抱え込んだものだ。作品に拍手する韓国人、涙する日本人、そんな構図はご免こうむりたい。

http://eiga.com/movie/82278/review/01474886/より


「馬鹿チョン」などを連呼する下品な文章よりも、このように平易で穏やかな口調で、実はヘイトべったりな文章の方に、筆者はより陰湿さと不気味さを感じる。

「この作品は厄介なものを抱え込んだものだ」は、筆者も同感。ただし、この方が書いているのと、逆の意味でだ。



支配と被支配の構図が何一つ描写されないまま、突然ポンと太極旗だけを出しているこのシーンは、どんな読み取り方もできるだけに、今後も妙な意味づけを生み出す危険を孕んでいるのではないか。
(つづく)

※注意
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〇「こんな素晴らしい作品にケチをつけるのは許せない!」という方は、
このブログをお読みにならないことをお勧めします。
 
「反戦メッセージがないから良い」?

『この世界の片隅に』を賞賛する人たちが、「それに比べて…」という感じで、テンプレのように引き合いに出す二つの作品がある。

『はだしのゲン』と『火垂るの墓』である。

この世界の片隅に 面白かったわ。はだしのゲンや火垂るの墓のような偏狭な左傾反戦平和映画じゃない。そう見たらつまらない。

人は時代や政治やイデオロギーやアクシデントなど全く関係ない。強く地道に楽しく生きなきゃなあと思ったよ。

https://togetter.com/li/1048335より

『この世界の片隅に』は観て楽しめて、観終わったら戦争ってこわいし嫌だなと思える映画だったので良かったなと思った。

つらさで引っぱたいてくる『火垂るの墓』とか、もう面白さのコードが変わってしまった『はだしのゲン』にかわるものが現れてくれたというか。

https://twitter.com/truetomb/status/811344239476867072より

片隅観てきたけど、おもろかったよ! 戦時中が舞台のアニメ映画でほっこりしてクスクス笑える映画なんて初めて。

悲惨な場面は多少あっても火垂るの墓とかはだしのゲンみたいに悲惨で鬱々しい感じはほぼ皆無で観やすいよ。オススメ!

https://twitter.com/bitterdrop_s/status/811553920027762688より


同じく、この2作品に絡めて言われるのが「『この世界~』には反戦メッセージがないから良い」という謎?評価だ。 その手の感想のまとめ。
映画やフィクションで反戦思想を押し出すべきではない理由


代表的な意見がこちらのツイートだろうか。
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「反戦イデオロギーさえ打ち出してりゃ評価にブーストがかかる」なんて現象を、筆者は見たことも聞いたこともないのだが…



それはともかく。『はだしのゲン』少年ジャンプ連載は1973年で、今から44年前である。
アニメ映画『火垂るの墓』公開は1988年と、これも30年近くも前だ。

「反戦思想を押しつける作品ばかりでウンザリだ」みたいな事を言う割には、なぜそんな大昔の2作品を、ことさらに引き合いに出すのだろうか。

「そんな作品ばかり」と言うなら、同程度の知名度の作品を、もっと他にも揚げてみて欲しいのだが。




こうした声を見てると、まるで『この世界~』登場以前の、戦争を題材にした作品は「声高に反戦メッセージを押しつける作品」ばかりだったかのように思えてしまう。

だが筆者は、少なくとも日本製の映画・アニメなどで、そうした作品に思い当たるフシがない。

「本当は兵器のバトルや、カッチョいい戦争アクションを描きたいだけなんだけど、それだけじゃアレなんで、一応反戦っぽいテーマも匂わせときましたよ」作品や、
「一方的に酷い目に遭わされた私たち日本人って、なんて可哀想メッセージ」を押しつける作品は、たくさん見たが。




この人たちの言う「反戦メッセージ」とは、具体的に何を指してるのか。「戦争はいけない」などのセリフのことだろうか。


その意味なら確かに、『はだしのゲン』は「声高な反戦メッセージ」に満ちている。
当然である。そういう目的で作者が描いているのだから。

しかし『火垂るの墓』はどうか。作中の誰一人「戦争はいけない」などのセリフは口にしない。むしろ、主人公の父親は海軍将校で、清太はバリバリの愛国少年である。

監督の高畑勲氏も「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と、何度も語っている。




『火垂る~』は『この世界~』同様、清太と節子兄妹の日常を淡々と追うだけの映画である。
違いは、『この世界~』の晴美は“鬼畜米英”の爆弾で死ぬが、『火垂る~』の兄妹は、同じ日本人が手を差し伸べなかったために餓死するところだ。


このシークエンスを見る観客は「別にオレのせいじゃないのに、こんな悲惨なものを見せられても」と、良心の呵責にチクチク苛まれる気分になるだろう。

そうした、悲惨な戦災シーンを見せられて感じる「過去の、今さらどうしようもないことで、オレたち観客を責め立てるなよ」といった不快感や苛立ちを、手っ取り早く忌み嫌うためにつけた呼び名が「声高な反戦メッセージ」なのではないか。




要するにこの人たちの言う「反戦メッセージ」とは、別に「戦争はいけない」とかのセリフのことではなく、「観客に一方的に反省を迫るかのような、押し付けがましい悲惨さ」のことではないか。

それにはもうウンザリだ、と考えれば、このまとめで言われている「反戦メッセージ」の意味がすんなり理解できそうだ。
映画やフィクションで反戦思想を押し出すべきではない理由





確かに、両作品とも読んで(観て)いて楽しい作品ではない(個人的に『はだし~』は、あのアクの強い絵柄が少々苦手というのもありますが)。

『火垂る~』に至っては正直、辛すぎて、二度と観るのはゴメンと思ってしまう。

だがそうした「辛すぎて、二度と観るのはゴメン」なものこそ、作者や監督が伝えようとしたものではないのか。


戦時中の日本という、殺戮と暗黒の時代を題材にした作品が、明るく楽しいものになりようがなかろう。
そこにわざわざ明るさだの楽しさだのを求めるのは、寿司屋でカレーライスを注文するようなものだ。






ところがここに『この世界~』という作品が現れた。

拙エントリの(2)(3)に書いた通り、見て嫌な気分になるダークサイドを排除し、可愛い絵柄のキャラが〈戦時下の日常をけなげに生きる〉作品が生まれたのだ。

「声高な反戦メッセージ」を嫌う人たちが、待ってましたとばかりに『この世界~』を絶賛するのは、至極当然のことである。

上で引用した「『はだしのゲン』にかわるものが現れてくれた」という感想は、その意味でも象徴的だ。



観るべき作品
戦時中を描いた内容ではあるが、『はだしのゲン』や『火垂るの墓』が“闇”ならば、『この世界の片隅に』は“光”。すずさんの健気な生き方に希望すら感じさせられる。

老若男女を問わず、日本人なら観るべき作品かと思います。

http://eiga.com/movie/82278/review/より

別に、この感想を書いた方にケンカを売る訳ではないけど(削除要請があれば応じますよ)。
「日本人なら観るべき作品」という、ウヨ気持ち悪い物言いはともかく。


中沢啓治氏や、野坂昭如氏、高畑勲氏ら、実際に戦争の時代を体験された方々の作品を“闇”呼ばわりし、戦後生まれの人たちが資料と想像だけで作った作品を“光”というのは、何なのだろうか。

とにかくもう、自分が気持ちいいモノしか見たくないのか。





ちなみに、2013年に、在特会ら極右チンピラの手によって、『はだしのゲン』は一度
抹殺されかけたのだ。

このとき、『図書館の自由に関する宣言』の精神に基づいた人たちの反対が無ければ、この作品は現在もなお、事実上封印状態にされたままだったろう。

手前味噌だが、そのときの当ブログの関連エントリ。
中沢啓治氏死去とこの国の腐臭
「はだしのゲンを撤去せよ」とのたまう人々(1)
「はだしのゲンを撤去せよ」とのたまう人々(2)



一方の作品は「反戦メッセージに満ちている」と、その命を狙われ、もう一方の作品は「反戦メッセージがないから良い」と絶賛される。

ちょっと何か、あらゆるものが、不気味な方向に歪み始めている気がしてならない。



さて、筆者はこちらの、チラ裏はフォースと共にI♡GBさんと同意見なので、ツイートを引用させて頂いて、この項を終わりたい。

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(つづく)

※注意
〇ネタバレ全開です
〇「こんな素晴らしい作品にケチをつけるのは許せない!」という方は、
このブログをお読みにならないことをお勧めします。
 
感銘を受けたシーン
 
延々と連続で『この世界~』に難癖をつけており、我ながらひねくれたブログとは思っているのだが。

今回は珍しく?、感銘を受けたシーンについて書きたい。もっとも筆者の感動ポイントは、いつも人と違う、変なところなのだけど。
 
 
すずたちが畑仕事をしていたら、突然敵襲が始まるシーン。
https://twitter.com/tamaya8901/status/800350372501995528/photo/1より
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このとき、対空砲弾が炸裂する色とりどりの爆煙を見て、すずは思わず
 
「今ここに絵の具があれば…!」
 
とつぶやくのだ。
 
このセリフは映画オリジナルで、原作にはない。つまり片渕監督が独自に脚本に追加したセリフである。



筆者は映画を観ても、原作を読んでも、すずというキャラクターに感情移入できなかった。
何ら主体性がなく、ただ状況に流されるのみで(もっとも、この当時の女性の多くが、そういう生き方を強いられていた訳だが)、行動の一つ一つに共感を感じなかった。
 
だがこのときの「今ここに絵の具があれば…!」は、それまで(筆者にとって)存在感の薄かったすずという女性が、一気に真に迫ったリアルな存在として、ズン!と来たのである。
 

 
戦時中の体験談を読むと、落下する照明弾や夜間の空中戦の「この世ならぬ美しさ」に、身の危険を忘れて見とれた、という話がよく出てくる。
 
片渕監督は「すずさんなら、この場面で何を思うか?」と、考えたのだろう。原作ではセリフのない場面なのだから、そのままでも良かったはずなのだが。


 
すずという女性はきっと、現代ならば、画家やイラストレーターや漫画家などを志望していた人なのだろう。

そういう人がああいった光景に遭遇したとき、普通なら「おいおい、そんなこと言ってる場合じゃないだろ」なセリフを発してしまうのは、筆者には大変リアルに感じられたのだ。


 
片渕監督はすずというキャラクターを、「どのくらい自分で息づいて感じられるか」掘り下げたという。そうして思いついたのが「今ここに~」のセリフだったのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=mEo6cmCCQcoより
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このシーンで、片渕監督の深い洞察が見事に成功していることを、素直に賞賛したい。



(とは言え、この後また難癖エントリに戻ってしまうんですけど…)。
(つづく)

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