前回の続き。Youtube動画溜池Now 第1回都市伝説サミット『アニメ編』にて、この“となりのトトロと狭山事件のデマ”を、どこかのバカが得意げにしゃべっている姿が視聴できる。岡田斗司夫氏が同席していながら、なぜこんなウソ八百の話にツッコマないのだろうか。

ソフト化もされない幻の作品であれば、この手のデマが発生することもあるだろう。しかし「となりのトトロ」は十数回も放送されている上、観ようと思えばいつでもDVD等で視聴できる作品ではないか。
疑問があれば簡単に確かめられるのに、こんなデマが何年も流れ続けるのは本当に奇妙な現象だ。


上のYoutube動画のタワゴトを丸々引き写してるブログも膨大にあるが、以下でまとめられている主張を検証しておこう。
本当は悲しくて怖い『となりのトトロ』
サツキとメイはすでに死んでいた - なおすけの都市伝説と雑学 

①池に浮いていたサンダルは、直前にメイが履いていたものと色も形も同じ。
②物語後半、メイの影が物語前半の時より、明らかに薄くなっている。
③サツキがメイを探しているシーンで一瞬お地蔵さんがフラッシュバックし、コマ送りで見るとメイと書かれている。そして、メイが一人で地蔵の横に座っているシーンがある。
④何故か二人はお母さんと直接会わず、とうもろこしだけを置いて帰る。二人はあの世に行ってしまったから。
⑤サツキとメイはすでに死んでおり、この話はお父さんの「こうあって欲しかった」という空想の物語。お父さんが作中で書いていたのはその原稿。
⑥宮崎監督はとなりのトトロ記者発表の際「この映画はサツキとメイの魂の解放なんです」と、意味深な発言をした。
⑦お母さんが入院していた七国山病院は、実際にあった八国山病院という名前の病院がモデル。
⑧1963年5月に狭山事件という事件があった。ある姉妹の妹が誘拐され、姉は必死に探し回ったが、妹は数日後にバラバラ死体として発見された。その後姉が錯乱状態で「化け猫を見た」とか「大きな狸にあった」などと答えた。
⑨トトロのモデルとなった北欧の妖精トロールは死神で、人を霊界へ連れて行く。トトロが見える人は死期が近い人。カンタにはトトロが見えない。
⑩サツキは最初トトロが見えない。「妹が一人で泣いているの。妹のところへ連れていって」と言った瞬間サツキはトトロが見えるようになる。つまり「妹のところ」とは「あの世」。
⑪最後のエンドロールは、まだサツキとメイが生きていた頃の回想シーン。




①池に浮いていたサンダルは、直前にメイが履いていたものと色も形も同じ。
これは画像を見比べれば一目瞭然。メイが病院に向かうシーンで履いていたサンダル。
「となりのトトロ」(C)1988二馬力・G(以下同)
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おばあちゃんが差し出した、池に浮いていたサンダル。全く別物だ。
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おまけに迷子になったメイは、ちゃんと両足にサンダルを履いている。また、
②物語後半、メイの影が物語前半の時より、明らかに薄くなっている。
とのことだが、メイの座っている辺りにはちゃんと影が落ちてるように見えるが?
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メイが迷子になって以降、時間帯は薄暮から夜になっている。背景が暗いので陰が見えない、または描く必要がないだけだ。それをこじつけられてもたまったものではないだろう。
影についてはこちらの画像も。サツキがメイを探し始めた頃はまだ夕日があり、影が長い。
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しばらく経つと完全に日が落ち、道は山陰に入っている。この状態で足元に影が落ちる方が不自然だ。
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『宮崎駿の時代 1941~2008』(鳥影社)のあとがきでは「半露出の撮影が時間的に困難なので省略された」と書かれているが、これは久美薫という著者のデタラメ。
このシーンではメイの捜索をしている人たち全員の影がない。山陰の中にいるのだから当然の描写である。一連の影の描写は、むしろ時間経過を巧みに表現している。




③サツキがメイを探しているシーンで一瞬お地蔵さんがフラッシュバックし、コマ送りで見るとメイと書かれている。そして、メイが一人で地蔵の横に座っているシーンがある。
と「溜池Now~」で語られているが、そんなフラッシュバックシーンは1カットもない。完全なウソ。

メイが地蔵の横に座っていたのは事実だが、その部分をハイコントラストにして調べても、文字らしきものは全く見当たらない。
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④何故か二人はお母さんと直接会わず、とうもろこしだけを置いて帰る。二人はあの世に行ってしまったから。
二人にとっては「お母さん笑ってるね」と無事が確認できたので、それでOKな訳である。逆に会ってしまうと「大人の足で3時間かかるのにどうやってここまで」と、ややこしいことになってしまう。
物語の終盤にゴタゴタさせたくなかったのと、ファンタジー作品として、そうしたリアルな反応は“ナシ”としたのではないか。

「今、そこの松の木でサツキとメイが笑ったように見えたの」このお母さんのセリフがある意味“死亡説”蔓延の元凶だろう。あちこちで「笑ったような気がした」と誤記されてるが「見えた」である。

一瞬サツキたちが見えたことも、その後の「おかあさんへ」メッセージ付きとうもろこしも、本当なら父や母もビックリ仰天のはずだ。

だがそれまで父や母も、そうした超常現象?をすんなり受け入れる人に描写されている。

お父さんは「メイはきっとこの森のヌシに会ったんだ」と言い、お母さんは、トトロについて書かれたサツキの手紙を、微笑みながら読んでいる。普通なら「あの子ちょっとストレスがたまってるのかしら」とでもなるところだ。

この通りおばあちゃんとの再会シーンがあるのに、なぜ「二人があの世に行った」という話になるのか。全く不可解だ。
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⑤サツキとメイはすでに死んでおり、この話はお父さんの「こうあって欲しかった」という空想の物語。お父さんが作中で書いていたのはその原稿。
「ドラえもんは植物人間ののび太が見た夢」類の話だ。そんなことを言い出したら、全ての作品は「この話は主人公の見た夢」で片付けることが可能だ(笑)。

ただ、そのお父さんが書き物をしているシーンは、少々不可思議な描写がされている。

トトロが魔法?で育てた大木の上で一同は笛を吹いて遊ぶが、お父さんがその笛の音に気づいて(!?)外を見やる。
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本編ではこのカットの後に笛を吹く二人が写るので、まるでその姿をお父さんが見たかのようだが、この視線の角度では目に入るはずがない(もっとも、大木のイリュージョンは猫バス同様、大人には見えないと思われる。実際、一同が大騒ぎの最中、お父さんはチラリと庭を一瞥するが無反応)。
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そしてその、本来聞こえるのはおかしい笛の音に、お父さんは穏やかな笑みを浮かべるのである。ファンタジー作品とは言え、ちょっと「あれ?」と思ってしまうシーンだ。
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実はお父さんには笛の音ではなく、フクロウの鳴き声に聞こえたと絵コンテには書かれている。そうだとしても、樹上のトトロたちの笛の音が聞こえるとは、どうやらお父さんは(この作品世界での)一般の大人ではないようだ。

トトロの話を疑わずに信じたりと、サツキたちと同じ子供の感性を持ったヒトと解釈するしかなさそうである。考古学者という設定も浮世離れした感じだ。
こうした描写は、ラストのメッセージ付きとうもろこしに驚かないのを、不自然に思わせないための配慮なのだろう。

なお、お父さんがここで書いているのが空想の物語ならば、その後病院からの電報の件で、父とサツキが連絡を取り合うシーン等の説明がつかない。




⑥宮崎監督はとなりのトトロ記者発表の際「この映画はサツキとメイの魂の解放なんです」と、意味深な発言をした。
いかにも宮崎監督が言いそうなセリフだが、ソースが全く見当たらない。どれだけ検索しても「そう言ったらしい」としか書かれていない。これも“狭山事件で死んだ姉妹へのオマージュ”の根拠にされている。

宮崎監督は自作の意図やテーマを、これでもかと言葉で語る人である。もし氏の著書などでそういった発言が書かれてる箇所をご存知の方は、ぜひご教示頂きたい。

ロマンアルバムのインタビュー、133ページで氏は「トトロが存在してることだけで、サツキとメイは救われてるんですよ」と語っている。しかしこれは文脈的に「母親のいない寂しさから救われてる」程度の意味で、「魂の解放」などと大それたものではない。

それに、詳しい方はご存知であろうが、当初「~トトロ」の主人公は姉妹でなく一人の少女だったのだ。下は初期に作られた宣伝ポスター。サツキが劇中でおんぶしているはずのメイがいない。少女もサツキより幼い感じだ。
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ご存知の通り、姉妹の設定は尺の延長に伴い、急遽作られた設定なのだ。それなのに「この映画はサツキとメイの魂の解放」とは、ずいぶん取ってつけた話ではないか。
「魂の解放」云々の発言は、まず99パーセントデマと思われる。もしくは、同時上映作品「火垂るの墓」関係のコメントと混同したのだろうか?

※「となりのトトロと狭山事件」のデマ(6)にて訂正。

⑦お母さんが入院していた七国山病院は、実際にあった八国山病院がモデル。
「八国山病院」という名の病院は実在しない。


⑧1963年5月に狭山事件という事件があった。ある姉妹の妹が誘拐され、姉は必死に探し回ったが、妹は数日後にバラバラ死体として発見された。その後姉が錯乱状態で「化け猫を見た」とか「大きな狸にあった」などと答えた。

「トトロ」の都市伝説そのものは他愛ないものだが、狭山事件とこじつけるのはハッキリ言ってタチが悪い。

事件の発端はNさん宅に届けられた脅迫状であり、その時点で家族は誘拐事件と判断しているのだ。そしてその夜「もう妹は殺されている」と、父親と抱き合って泣く姉の姿が目撃されている。ただちに警察の張り込みが始まっており、「姉が必死に探し回った」という事実はない(姉は後に自殺)。

妹はバラバラ死体になどされていない。中には「16分割されていた」などというデマもあるが、被害者の年齢の16歳から連想したのだろうか。もっとひどいのになると、1988~9年に起きた宮崎勤事件と混同している話まである。
「真実を求めて」解放出版社 2006年より
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(この絵には描かれてないが、実際はパンツが両ひざまで引き下ろされていた。だがその状態での強姦は不自然ではないだろうか。犯人が強姦殺人に偽装した可能性がある)

「化け猫」「大きな狸」も、「トトロ」とこじつけるための作り話。お姉さんのそんな証言は一切残っていない。




⑨トトロのモデルとなった北欧の妖精トロールは死神で、人を霊界へ連れて行く。トトロが見える人は死期が近い人。カンタにはトトロが見えない。
劇中でサツキが「トトロって絵本に出てたトロルのこと?」と言っており、そこから派生したようだが、この死神説もデマと言っていいだろう。

北欧のトロール伝承では様々な種族がおり、中には人間に悪さをするものもいるが、死神のような邪悪な存在ではない。
(ちなみに有名なアニメキャラ、「ムーミン」のフルネームはムーミントロール。これも余談だが、トトロの声をあてた高木 均氏は、ムーミンパパの声優。(^_^))

むしろ人間に幸せをもたらすとされており、トロール人形は北欧でおみやげ品として売られている。死神がマスコット人形として売られるだろうか?
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また、カンタにはトトロが見えないと言うが、そもそも劇中でカンタがトトロに遭遇するシーンはない。ラストの猫バスの疾走シーンでも、カンタの姿は描かれていない。




⑩サツキは最初トトロが見えない。「妹が一人で泣いているの。妹のところへ連れていって」と言った瞬間サツキはトトロが見えるようになる。つまり「妹のところ」とは「あの世」。
「溜池Now~」でバカ男がそう語っているが、とても本編を観て話しているとは思えない。しっかりバス停で会っているではないか。

サツキが木の根につまずいて穴に落ちたらトトロがいただけで、上のセリフは会ってからのものである。しかも「妹のところへ連れていって」とは一言も言っていない。「メイを捜して」だ。




⑪最後のエンドロールは、まだサツキとメイが生きていた頃の回想シーン。
これも、ちゃんと絵を見ればあり得ない話と分かるはずなのに、なぜ何年も流れ続けるのか、本当に謎である。
お母さんが退院してタクシーから降りてくるところ。周りには落ち葉が舞っている。また「父と母が若返っている」との話もあるが、別段そんな風には見えない。
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回想でなぜ、お母さんとサツキらが、引っ越してきた家の風呂に入っているのかw
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二人の服に小トトロのアップリケがついている。生前の回想?ならあり得ない絵のはずだ。
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初夏から夏の話だった本編の後、ちゃんと秋の収穫が描かれている。
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おばあちゃんとは引越ししてから会ったはずである。それがなぜ秋の風景の中で、生前の回想に現れるのか。
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まァ、筆者は無粋なことをしているのかもしれない。古くは“口裂け女”や、“ベッドの下の斧男”など、現代版の怪談として都市伝説を楽しむのは結構だし、いちいち目くじらを立てることもなかろうと思う。
“口裂け女”の不在証明は不可能だが、しかしこちらは明らかに、誤った情報がデマとして流されている訳だ。しかも現実に発生した殺人事件と混同して語るというのは、ちょっとあまりにも恥ずかしいのではないか。

「サツキとメイは死んでいた」「トトロは狭山事件のオマージュ」これらの話を信じ込むのはご自由である。これは創作のストーリーで、解釈の仕方は人それぞれなのだから。
だが狭山事件云々を得々とブログに書いたり、人前で話して恥をかかれても、それもその方のご自由であろう。