先日ネットで見かけて、笑ってしまった画像。
http://blogs.yahoo.co.jp/shonan_kajiya/28328607.htmlより
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神奈川県のイチゴ専売所で、なぜか火の用心を呼びかけるシュールな看板。かなり前に
『ナニコレ珍百景』というテレビ番組で紹介されたとか。

この脱力なダジャレに不覚にも受けてしまったのと、ケムール人の語にオールド特撮オタとして「語りたいスイッチ」が入ってしまったので、今回はちょっとケムール人のデザインの考察を。
特撮カテゴリを書くのは久しぶりだなぁ。

(当ブログは元々、こういう、どうでもいいネタを書く雑記帳だったんですけどねぇ。ここ半年程はすっかり“反日ブログ”(笑)と化してますが。)




ウルトラQ第19話【2020年の挑戦】に登場した宇宙人、ケムール人。
((C)円谷プロ 以下同)
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イケメンですね(^_^)
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ゆっくり走っているのにパトカーが追いつけない…半世紀経っても、素晴らしいセンスオブワンダーな映像だ。
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ケムール人には正面に二つの目と、背面にもう一つの目がある。つまり一つの頭部に三つの目が付いている。背面の目が確認できるショット。
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ケムール人の正面、横、背面を図解したイラスト。
http://members.jcom.home.ne.jp/usaq/km.htmより
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筆者は昔、背面にも目がある理由を「同時に後ろも見れてそりゃ便利だなぁ」とバクゼンと思っていたのだが、これはデザイン上、実にユニークな仕掛けなのであった。


白い縦筋が入っている面を顔の正面と解釈すれば、三本入っている縦筋の左右に両目が配置される。つまりケムール人の顔は、どの角度から見ても正面顔なのである。
 
実物の造型はちょっといびつで分かりにくいので、シンプルに図解。
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ディープな特撮マニアにはとっくに常識の知識であろうが、筆者がこれを知ったときは目からウロコだった。
 
初期ウルトラシリーズで、あまたの名怪獣をデザインされた成田亨氏いわく「会心のデザイン」というのも納得である。
http://www.pen-online.jp/news/art/tohl-narita-fukuoka-art-museum/より
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ケムール人の頭部は、彫刻家であり芸術家の成田氏による、キュビスムの立体表現であった。
 
もともとキュビスムは、平面の絵画の中で立体を再構成する手法で、それをさらに立体に、というのはややこしい言い方だが。
 
(キュビスムについては、こちらのページのサイコロの例え話が大変分かりやすい。)
あなたの知らないアートの世界: 悪名高きキュビスムを徹底解説


キュビスムを自身の手法として推し進めた画家、ピカソの作品。横顔なのに目を二つ描いている。
http://yoi-art.at.webry.info/201202/article_3.htmlより
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ピカソはキュビスムを、エジプト壁画からヒントを得たと言われる。

エジプト壁画はよく見れば不思議な描法がされている。体は完全に正面で顔は横顔、ところがその横顔に描かれている目は正面向きなのだ。まさに元祖キュビスムである。
http://www.yane-pro.com/diary.cgi?no=501より
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ところで、以下はまぁ、真偽不明なヨタ話なのだけど。
 
ケムール人はなぜ『ケムール星人』とは呼ばれないのだろうか。ウルトラシリーズの宇宙人は『〇〇星人』の呼称が基本フォーマットなのに、ケムール人だけは『ケムール人』である。

本編では「ケムール星から来た~云々」と語られているのに。

 
実は【2020年の挑戦】の脚本は初期段階で、ケムール人の正体を「2020年の未来からやってきた地球人」と設定していたのだそうな。(あと4年やんか…)。
 
ところが、それではあまりに恐ろしい話になるということで「外宇宙からやってきた宇宙人」に変更したのだとか。


最初はこの話、トトロ都市伝説のようなネタ話のたぐいと思ったが、そう考えるといろいろな点が腑に落ちる気がする。

ケムール人は「自分たちの肉体が衰えたので、若い人間の肉体に生命を移植する」ために地球人を誘拐する、という設定なのだが、そういう目的で他所の星の生物をさらうのは、いくらなんでも無理があるのではないか。
 
また、本編中で、ケムール星について「2020年という未来の時間を持つ星」なる説明があるが、意味不明である。
この辺りのセリフも、妙に取ってつけた感を感じるのだが、気のせいだろうか。

 
 
脚本は本番用に何度も改稿される。初期設定が何らかの形で決定稿まで残ることは、ウルトラシリーズではよくあったことだ。
 
何故かいまだに『ケムール星人』とは呼ばれない理由も、もしかしたらその名残りでは…?と、うがってしまうのだが。
これについて、お詳しい方がおられたら、ぜひご教示を。