さて、今回もダラダラと長くなり、3ページに分けてしまった。

実は今回一番書きたかったのは、高須力弥氏についてである。



2年前、このエントリに書いたように、

高須克弥が差別発言をすると、それを戒めるツイートをしたりする力弥氏は、父親に似ずリベラルな人なんだな、良かったなぁと、筆者は思っていたのだ。
つい数日前までは。



正直、彼のこのツイートをめぐる気持ち悪い動きに、力弥氏に対する考えを改めようかと思い始めている。
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なるほど、「父親はアレだけど、それとクリニックの方針は違う」と明言してるのだな、いつもの力弥氏らしいな、と安心したのだが。

これに対し、疑問を呈するツイートがいくつか寄せられた。
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言われてみれば確かに。本心から「同一視されては迷惑」と思ってるのなら、ツイッターでつぶやいてオシマイではなく、HPに何らかのメッセージを載せてもよかろう。

ところがその後、力弥氏は上のツイートを削除したのだ。
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高須克弥はその後、こんなツイートを。
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…もしかしたら力弥氏は、漫才のボケとツッコミのように、父親の過激な言動を諌めるフリをすることで対外的なイメージを中和する、そんな役目を忠実にこなしているだけではないのか…?


そんな風に思い始めていたら、ズバリ「絶妙のバランス」と褒めている人がいた。

力弥氏はそれを否定せず「意見の対立は存在していない」「ありがとうございます」と答えている。
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もし力弥氏が、本心から父親の差別発言に嫌悪感を抱いているのなら。

それを諌めた発言に対し「絶妙なバランスがとれている」と評されて、「ありがとうございます」などと言うものだろうか。









これは掲載していいものか、迷ったが。

高須親子について、今後はそうさいさい書くこともなかろうと思うので、この機会に載せよう。
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部落民の子供が紙芝居のおじさんに追っ払われたことと、幼い高須克弥がその子らに石を投げられることが、どうつながるのか。

「少し違います」どころか正反対の話ではないか等々、疑問は浮かぶが、このエピソードが事実かどうかは知りようもない。

問題はそのことではなく、力弥氏が「えた」の語を使っていることだ。



「えた」は漢字で「穢多」。「穢れが多い」という、江戸時代以来の、被差別部落民への蔑称である。
なぜ力弥氏はここで「部落民の子」(もしくは「部落の子」)と書かず、「えた」と書いたのか。しかも、不特定多数が目にするツイッター上で。

単に力弥氏に、そうした配慮をする知識がなかっただけなのか。



…いずれにせよ、これまでの力弥氏に対する「父親の差別発言を諌めるリベラルな息子」というイメージは、筆者の美しい幻想に過ぎなかったようである。