2005年08月11日

「土の中の子供」を読んで

この作品は第133回の芥川賞受賞作品で、中村文則という人の作品です。
主なテーマは幼児虐待です。だと思います。多分・・・
ストーリーは、幼少期のころに虐待を受けた主人公(27)が、それを克服するといった感じです。


ざっと読んだんですが、チープな印象を受けましたね。テーマのわりにストーリーや描写がチープな気がします。多分、作者の主観が入りすぎてるんじゃないでしょうか。虐待というテーマを使うにあたって、そこには一般が認めるような客観的な事実が必要だと思うのですが、この作品は作者の主観に頼りすぎてる気がします。その主観が独創性に繋がるタイプのものならいいんですけど、僕はあまりそれを感じませんでした。いくつかの文章には確かに引き込まれるものがあるんですけど、全体としてみるとちょっと…って感じです。


まだ自分の中で評価が固まっていないんですが、あまりお勧めできる作品ではないと思います。普段本を読まない人は全部読めないと思います。内容が暗すぎるし、飽きちゃうんじゃないですかね。それでも読んだ人がいるなら感想が欲しいです。なんでもいいんで。


PS
ハードカバーって何であんなに高いんですかね。情報量の多い文芸春秋のほうが安いっていうのはおかしいですよね。しかも文芸春秋ならいろんな人の批評読めるし。


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「The Catcher in the Rye」を読んで

この本を書いたのはアメリカ人のJ・D・サリンジャーという人です。野崎孝が「ライ麦畑でつかまえて」という邦題で昔訳したものを、村上春樹が「The Catcher in the Rye」というタイトルで新訳しました。
時代は第二次世界大戦くらいで、ホールデン・コールフィールドという高校生の男の子が主人公です。


最初読んだとき、この本は相当面白いと思いました。ホールデンの言動や思想がこの年代の若者の心をうまく代弁していて。いつの時代も高校生の考えることは変わらないなって感じです。


でも2回目に読んだときは少し嫌悪感を覚えました。ホールデンのがきっぽさとか自分勝手さとかに。ある程度大人な人は読んでもつまらないかもしれません。逆にいうと、この本を面白いと思う人は子供で、つまらないと思う人は大人なのかもしれません。


ちなみにジョン・レノンを殺した人は警察に捕まったときに、ぼろぼろになったこの本をずっと読んでたらしいです。「The Catcher in the Rye」を読んだ人なら、この本が原因で殺人が起こっても不思議じゃないと考えるのではないでしょうか。


この本はそういった、ある種の魔力というか、エネルギーを持った作品なので、人生の中で一回は読んだほうがいいと思います。

PS
野崎孝の訳って分かりずらいですよね。
そろそろ彼が訳したものの新訳を出すべきじゃないでしょうか。



キャッチャー・イン・ザ・ライ




サリンジャー戦記―翻訳夜話〈2〉


↑これを読むとより深く理解できます


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2005年07月30日

「北斗の人」をよんで

この本は司馬遼太郎が書いた千葉周作の偉人伝です。千葉周作は江戸後期の剣豪で、馬医者の倅から一代にして剣道の一大流派、北辰一刀流を築き上た人です。


この人のすごいところは剣術に技術革新をもたらした点らしいです。つまりそれまでの木刀でたたきあう修行体系から、面・籠手・竹刀を使用する今の剣道のような体系にした点です。それにより本気で叩き合う実戦形式の稽古が可能になりました。
ちょっと驚いたんですが、面・籠手・竹刀を使って修行するほうが強くなるらしいです。なんでも反射神経が以上に鍛えられるとか。


司馬遼太郎の本をはじめて読んだんですが、この人がなんで人気があるのか分かった気がしました。
第一の理由として、読みやすいし分かりやすいってのが挙げられます。これは句読点のタイミングのうまさからくるものでしょう。
第二の理由として、昔の話をうまく現代の感覚に落としている点です。周作の新流派は古い流派と対立するのですが、これを現代人が直面するであろう新旧の対立とうまくリンクさせてます。なにか新しいことに取り組もうとしていて、古い勢力に悩まされてる人は、それが何の分野であれ周作に共感を覚えるでしょう。
第三の理由は、偉人伝において読者がどんなときに感動を覚えるか、を熟知している点です。千葉周作のどういう行動で読者が喜び、どういう偉業で読者が感嘆するかってことをよく知り抜いていますね。


「北斗の人」が結構面白かったので暇があったら司馬遼太郎の本をちょくちょく読んでいきたいと思います。それにしてもこの題名どうにかなんないんですかね。「北斗の人」って絶対ダサいですよね。題名のダサい偉人伝はちょくちょく見受けられるんですが、「北斗の人」はやりすぎです。



北斗の人


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2005年07月26日

「ダ・ヴィンチ・コード」を読んで〜ルーブル美術館のピラミッドに関する考察〜





I・M・ペイは言う。
 「ルーブルにガラスのピラミッドを置こうと思ったときに、私ははじめて強く歴史を意識した。そのとき初めて、歴史を意識しながら建築を考えたのです。」






パリを訪れた人や、建築に興味がある人なら僕がこれから話すピラミッドの存在を知っていると思います。
ルーブル美術館の前に聳え立つ、あるピラミッドの存在を・・・
そのピラミッドは21世紀を代表するある建築家によって建てられました。その建築家は中国系アメリカ人で名前をイオ・ミン・ペイ(I・M・ペイ)と言います。
現在このピラミッドは訪れる人々の間で様々な物議を呼んでいます。「このピラミッドは古き時代と新しき時代が見事につなぎ合わされているすばらしい建築物だ!」あるいは「これはまったくルーブル美術館に合っていない!いったいI・M・ペイは何を考えているのだ!」など、この三角錐にたいしての評価は正に賛否両論に分かれています。
ですが人々は、賛成している人も反対している人も、ルーブル美術館の前の建築物がいったい何を意味しているのか分かっているのでしょうか。なぜこのような形、つまり古代エジプトの王族の墓と同じ形を取っているのかということが。
この問題の答えを出すにはいくらかの予備知識が必要になります。

まず話さなければいけないのはキリスト教と聖杯伝説の話です。
キリスト教も聖杯伝説も、われわれ日本人にとってはあまりなじみの無いことのように思えます。キリスト教の大まかな概要くらいは知っていると思いますが、聖杯伝説の方はまったくと言っていいほど知られていないのではないのでしょうか?
しかし西欧人にとっての聖杯伝説は、日本人にとっての桃太郎や浦島太郎のように馴染みの深いものらしいです。ではここで「聖杯」について軽く説明しておきたいと思います。
聖杯とは一般的に、「最後の晩餐でイエス・キリストが使用した杯」と解釈されています。このことはなんとなくではあっても、僕ら日本人も知る所だと思います。
しかしルーブル美術館に飾られているレオナルド・ダ・ヴィンチ作の「最後の晩餐」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Lastsupr.JPG
はそれとは別の解釈で見ることができます。そしてその解釈こそ僕がこのレポートで最も主張したい部分となります。
しかし、その解釈を正確に理解するには、キリスト教に対する正しい認識が必要になります。
ここで初期のキリスト教、そしてキリスト教の始まりについての大まかな歴史を話したいと思います。

後期ユダヤ教の時代、宗教官僚主義と貴族主義の社会の中で、人々は抑圧され、苦しんでいました。イエス・キリストは、これらの人々に「神の国」を説き、多くの人々を引き寄せました。これにより、ユダヤ教祭司貴族たちの不安と不興をかい、迫害され、ついには、処刑されました。
キリスト教の起源は、紀元一世紀(余談ですが、紀元1世紀は西暦元年、つまり西暦1年から100年までの100年間を指します。西暦0年は存在せず、0世紀もありません。これは、西暦がヨーロッパで出来た時点では、まだ零の概念を知らなかったためです。0の概念が生まれたのは7世紀くらい)、イエスの死後に起こった弟子の運動(初期キリスト教運動)からだと言われています。
現在キリスト教は、最も権力のある宗教の一つに数えられています。しかし初期のキリスト教徒の生活は決して楽なものではありませんでした。4世紀初頭までのキリスト教の歴史は迫害の歴史といっても過言ではありません。ローマ皇帝ネロ(在位54〜68)、ディオクレティアヌス(在位284〜305)による迫害が有名です。
しかし、その迫害にもかかわらず、キリスト教の奉仕、援助、介護、施しなどの活動は、抑圧された民衆にとって新鮮であり、大いに指示され広まり、ついには権力側も抗しきれなくなりました。(1〜3世紀)。
そして西暦313年、そんなキリスト教徒にとって大きな転機が訪れます。
ローマ帝国のコンスタンティヌス1世は、4世紀初めの、ディオクレティアヌス帝による大迫害のあと、もはやキリスト教徒を敵としてはローマ帝国の統一が困難となり、キリスト教徒を帝国統一に利用しようとしました。
西暦313年はキリスト教にとって、最も大きな転機のうちの一つと言えるでしょう。
この年、ローマ帝国が定めた「キリスト教」という概念が今日の我々のキリスト教に対する概念の基礎となっています。
ローマ帝国は帝国統一に都合がいいように「キリスト教」という宗教を規定したのです。
この年より前は、イエスは人間としても扱われていましたが、西暦313年を境に帝国統一戦略の一環として、イエスはまったくの神として扱われるようになりました。
コンスタンティヌス1世は、イエスを人間として扱っている書物を焼き尽くし、これ以降に出される書物はすべて、イエスを神と同等の存在として描くことになります。
(また、十字架がキリスト教の象徴になったのもこの年を境に、つまりコンスタンティヌス1世によるらしいのです。他にも現在僕たちが抱いているキリスト教の概念が、実はコンスタンティヌス1世の仕業だった、というのがたくさん出てきそうですが、本題とはあまり関係ないので省かせていただきます。)

それでは問題の、聖杯及び聖杯伝説の話に移りたいと思います。
聖杯伝説とは一般に、聖杯を求める物語全般のことを指し、アーサー王物語やテンプル騎士団の物語などがあります。ヒトラーも聖杯を探していたのではないか、という説までありますが、ここではテンプル騎士団の話を重点的にしていきたいと思います。
テンプル騎士団は、1118年、プレウリ・ド・シオン団(シオン修道会)の軍事・行政部門としてユーグ・ド・バイヤンが創立しました。彼らの名目は聖地巡礼ルートの警護、及び建国間もないエルサレム王国の治安維持だったのですが、たった9人でそんなこともできるはずもなく、そもそもやりませんでした。じゃあ、彼らはエルサレムで何をしていたのか?神殿の周りでせっせと穴を掘っていたのです。何を探して・・・?
そう、彼らは聖杯を探していたのです。そして聖杯を見つけ出したテンプル騎士団はクレヴォーのベルナール(騎士団員の一人、アンドレ・ド・モンバルトの甥で、当時権力を持っていた修道院長。その力は教皇に対しても影響を与えた。後の聖ベルナルドゥス。)に報告し、次に教皇とフランス国王、エルサレムにいる他の騎士団に手紙を送り、彼らはすぐに聖地から戻りました。そして1128年、テンプル騎士団はローマ教会から宗教的な軍事団体として正式に承認され、国際的な影響力を持つ組織となっていきました。
ではなぜテンプル騎士団は聖杯を見つけただけでここまでの力を持つようになったのでしょうか。結論から言うと、「聖杯」とは杯ではなくある人物を指す暗喩で、彼らが力を持ったのはその人物を見つけたからです。その人物とはキリストの妻、つまりマグダラのマリアです。正確に言うと彼らが見つけたものは、彼女の墓とその生涯を示した文書、そして初期の子孫を網羅したキリストの系図です。
彼女が「聖杯」という暗喩を使われた理由はいくつかあります。キリスト教初期の時代、イエスはコンスタンティヌス帝によって神として扱われるようになり、その人間性を示す証拠は消し去られました。キリストに妻や子供がいたと分かっては都合が悪くなります。そのためコンスタンティヌス1世はその一切の証拠を消し去りました。
このことは歴史的に見て最近浮上してきた新説で、その信憑性は疑わしいものがありますが、最近の研究によってある程度明らかになっていきました。
通説では、テンプル騎士団がここまで大きな組織になったのは、単に治安維持が評価されたからとなっていますが、どちらが本当なのかは自分には判断出来ません。
このレポートでは前述の方を正しいと仮定して話しを進めていき、その説が正しいと証明出来るような証拠を提示したいと思いますが、まずはテンプル騎士団の繁栄と衰退について話したいと思います。
聖杯を見つけたからなのか、治安維持が評価されてか、ヨーロッパではテンプル騎士団は急成長します。1139年にローマ法王インノケンティウス2世の勅令によって、この騎士団は法王以外のどの世俗権にも服さずという特権を得ます。つまり、王や公爵、高位の聖職者などにまったく忠誠を尽くす必要のない立場となったのです。
国際的な自治団体となったこの騎士団に折からの十字軍熱に浮かされたヨーロッパ中の貴族の子弟が殺到、その莫大な寄付金に支えられ、彼らは大きな政治勢力となっていきます。
各国に支部がおかれ、寄付による広大な所領をヨーロッパ各地に有し、金融業を営んで巨万の富を得ました。テンプル騎士団は聖地の広域に渡って活動し、約二世紀の間存続しました。
その期間中彼らは巨万の富を蓄積することも、数多くの拠点にその富をしまっておくことも可能でした。多少の手数料と引き換えに、テンプル騎士団の建物内に金を保管しておくことができたのです。料金がかかったとはいえ、テンプル騎士団の下に置かれた金は盗難からは極めて安全で、さらにそれら資金の受領書を得ることもできました。この受領書があれば、どこのテンプル騎士団の金庫からでも払い戻しを受けることが可能だったのです。
例えば、パリのテンプル騎士団に金を預けた貴族がはるばるキプロスまで旅をした際に、受領書を提示することによって現金化することができるという具合に。
(現在の銀行業はテンプル騎士団のこの行為から始まっています。)
このようにして栄華を極めたテンプル騎士団ですが、その幕切れはあまりに突然すぎるものでした。
その悲劇は端麗王として知られるカペー朝のフランス国王フィリップ4世が、自分の推すクレメンス五世の教皇就任に成功した際に、政治的・経済的理由から騎士団を排除する計画を立てたところから始まります。
14世紀初頭の十年間は、フィリップのその陰謀は実行されませんでした。しかし1307年10月30日の金曜日、ついにその計画が実行に移されます。(13日の金曜日が不吉とされているのはここからきているらしいです)
フランス国内にいる数千人のテンプル騎士およびその同志が逮捕されたのです。このタイミングは完璧でした。というのもテンプル騎士団の総長ジャック・ド・モレー含む高位のテンプル騎士の大半がこの時フランスに滞在しており、そのため彼ら全員が獄中の身となったからです。誰もフィリップの策謀を予期した者はおらず、逃れ得た騎士もごく僅かだった点からしてもこの策謀が非常に効果的だったことが分かるでしょう。
フィリップはこの騎士修道会に対して突飛で根拠のない異端者という非難を向け、テンプル騎士団自体と団員個々人は、偶像崇拝・男色・高利貸・魔術などの名目で告発されました。
その後数年間に渡って、テンプル騎士たちは拷問にかけられ、自白を強要されました。拷問の内容も当時の基準から考えても極めて残忍なものでした。教皇クレメンス五世はフィリップの行為にある程度までは抗議の意思を見せ、テンプル騎士たちが教会裁判における告発から合法的に免除されうる可能性も見えました。しかし騎士修道会にとっては不幸にも、フィリップは教皇クレメンスによる審問の結果に左右されることなく、多くのテンプル騎士が異端者として火刑に処されることになったのです。クレメンスも結局はそれに屈しました。フィリップがクレメンスに対してどれだけ力を持っていたかが分かります。
このようにして1312年4月3日、教皇クレメンス五世によってテンプル騎士団は公式に解散することになり、その歴史を終えることになりました。

このようにして歴史の表舞台から姿を消したテンプル騎士団ですが、フィリップの計画が実行されたときにフランス以外の国にいて、逮捕を免れたテンプル騎士団のその後はかなり興味深いものがあります。
ある者はその資金を使って彼らは地下に秘密結社を作り(フリーメイソンはここから始まったと言うものもいます)、またある者は1314年にイングランドと戦いを続けていたスコットランド王ロバート一世に仕えたなど伝えられています。実際の彼らの運命がどうであったにしろ、これはフィクションの格好の素材となっています。
その中の一つに、彼らはシオン修道会という、「聖杯の秘密を守り、しかるべき時期が来たらそれを公表する」ことを目的とした秘密結社を創設したのではないか、というものがあります。この説はかなり信憑性があり、その証拠もいくつかあるので、単なるフィクションでは片付けられないものがあります。
最近その存在を示す史料が見つかり、それにはこの修道会の歴代の総長が記されていました。その中には、ニュートンやレオナルド・ダ・ヴィンチがいました。歴代の総長を以下に記述しておきます。
ジャン・ド・ジゾール(1188-1220)
マリー・ド・サン=クレール(1220-1266)
ギョーム・ド・ジゾール(1266-1307)
エドアール・ド・バール(1307-1336)
ジャンヌ・ド・バール(1336-1351)
ジャン・ド・サン=クレール(1351-1366)
ニコラ・フラメル(1330-1418)
ルネ・ダンジュー(1418-80)
イオランデ・ド・バール(1480-1483) ボッティチェリ(有名なルネッサンス画家)としての名前の方が有名。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1510-1519)
コネラブル・ド・ブルボン(1519-1527)
フェルディナン・ド・ゴンザーグ(1527-1575)
ルイ・ド・ヌヴェール(1575-1595)
ロバート・フラッド(1595-1637)
ヨハン・ヴァレンティン・アンドレア(1637-1654)
ロバート・ボイル(1654-1691)
アイザック・ニュートン(1691-1727)
チャールズ・ラドクリフ(1727-1746)
マクシミリアン・ド・ロレーヌ(1780-1801)
シャルル・ノディエ(1801-1844)
ヴィクトル・ユゴー(1844-1885)
クロード・ドビュッシー(1885-1918)
ジャン・コクトー(1918-)
ダ・ヴィンチが、彼の作品の中にいくつか聖杯の秘密を暗号として書いていたのでは、という説があります。最後の晩餐(レポートの3枚目の下図)の真中にいる人物がキリストで、そのすぐ左にいる人物がマグダラのマリア(通説ではヨハネ)で、この絵はキリストとマグダラのマリアが婚姻関係にあったことを示しているというものです。
この説を唱える人は、この絵を次のように解釈しています。キリストの左にいる人物は一見して女性のように見えるし、キリストとその左横の人物との間が不自然に開きすぎている。これは彼らの腕がつくる∨という形を強調したいが為のものだ、と。
∨という形は記号象徴学的立場から「杯」や「子宮」、「女性」などを暗示するものとされています。ちなみに∧は「男性」や「男性としてのシンボル」を暗示しています。
つまり∧と∨が同時に使われている場合、それは男女の結びつきを示す暗示となります。
この説を唱える人によると多くの優れた芸術作品は聖杯の秘密、つまりイエスとマグダラのマリアの結婚を暗示していると言います。
それの範囲はクラシック音楽からディズニー映画にまで及ぶと主張していて、実際その証拠となるシーンもいくつか見られます。
そして聖杯の物語や聖杯を暗示する作品はフランスに多く見られます。これはイエスの死後、迫害を恐れたマグダラのマリアや、その子供達がフランスに逃れたためだと考えられています。
I・M・ペイの作品は、そういった歴史を踏まえた上で建てられたのではないでしょうか。


長くてすいません。
これを全部読んだ人はいるのでしょうか・・・




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「ダ・ヴィンチ・コード」を読んで

今僕は明日のテストである西洋美術史の勉強をしています。
それにちなんで「ダ・ヴィンチ・コード」の感想を書きたいと思います。


この本はちょっと前にそうとう話題になりました。
本屋さんで大々的に宣伝してたので、興味をそそられて買ってみました。
内容をたいして確認せずに・・・


まあそんな感じで買った本なんですが、予想に反して結構面白かったです。
キリストやキリスト教に関する秘密を小説形式で暴いていくんですが、すごく引き込まれるものがあります。
まだ読んでない人は読んだほうがいいと思いますよ。
言ってくれれば貸します。


ただ、キリスト教に関する部分は面白いんですが、それ以外の部分は微妙ですね。
歴史小説としてみれば一流だと思いますけど、純粋なストーリーのほうは結構お粗末な感じです。
まあでも読む価値のある本なので、暇な人は読んでみてください。
そして感想を下さい。


あと、これに関するレポートを書いたので、次回あたりに乗せておきます。
「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだことある人は感想を下さい。



ダ・ヴィンチ・コード〈上〉


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2005年07月25日

「エデンの東」を読んで・3

「エデンの東」は結構宗教がかった小説らしいですね。名前の通り。
新訳版を読んだときにはあまり感じなかったんですが、野崎孝が訳した旧約版を読むとそれが感じられます。
やっぱり原文を読まないと小説ってのはしっかり理解できないんですかね。


さて、前回の続きなんですが、プレゼントを受け取ってもらえなかったキャルは、アロンに母親を紹介してしまいます。
キャルとアロンは、母親は死んだと聞かされていました。でも本当はよその町で娼館の女将として財を築いていたんですよね。
それをキャルから明かされたとき、アロンはその事実に耐えられず人生を捨ててしまいます。そしてアダムはそのショックで病気になります。
アダムはキャルを憎むんですが、結局キャルを許します。そして許しの言葉とともに息を引き取ります。


このアダムが死ぬシーンなんですが、ここも宗教のにおいを感じますね。まだ自分の中でうまくまとまっていないんですが、このシーンでスタインベックが伝えたかったことは、原罪からの人間開放らしいです。


とまあ「エデンの東」はこんな感じの話なんですが、この小説のよさはストーリーからそれたところにあります。アダムの友人で知恵者であるサム・ハミルトンの、哲学的で本質を突いたせりふとか、使用人・リーの言動や考えとか。


うまくストーリを伝えられないんですが、「エデンの東」は何回よんでもあきません。
ぜひ皆さん読んでみてください。
読んだことある人は感想ください。


P・S
明日(今日?)からテストが始まります。
授業に出てないんでやる気がおきません。
今年は単位きついです。かなり。
今冷暖房設備の勉強をしてるんですが、こんなもん何の必要があるんですかね。
サム・ハミルトンはこう言ってます。
「もう万能の哲学者はいなくなる。知識の総量が大きすぎて一人の頭脳に吸収できないからだ。これからは、一人の人間がたった一つの知識の断片しか知らないけれども、そのひとつをよく熟知しているといった時代がくるだろう」と。


冷暖房設備は僕が熟知するべき分野じゃないです。


なんで建築入ったんだろう・・・




エデンの東〈下〉


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2005年07月22日

「エデンの東」を読んで・2

「エデンの東」は4部構成からなる、スタインベックの長編小説です。ストーリーは、アダム・トラスクの幼少時代から始まり、彼の死で終わります。ただし最後の2部は主人公がアダムの息子、キャル・トラスクに変わります。物語の基本テーマは、父と子の葛藤はなぜ繰り返されるのかということで、アダムが幼少時代に父親と起こした葛藤を、息子キャルとの間にも繰り返します。というのが大まかなストーリーなんですが、いかんせん話が長すぎるので今回は第4部のキャルとアダムの間の葛藤について書きたいと思います。


キャルは双子で、アロン・トラスクという弟(兄かもしれないです。どっちか忘れました。)がいるんですが、アダムはなぜかアロンのことをより深く愛するようになります。二人の性格を簡単に説明すると、アロンはまじめに学校に行き、将来は牧師になろうと考えるような人間で、キャルはやりたいことも見つからず、ぶらぶら町をさまよい歩くようなタイプです。まあ親からみるとアロンのような人間を愛するようになるのは当然なのかもしれないけど。


まあそんなキャルなんですけど、父親のことは大好きなのでどうにかして愛情を得たいと考えています。そんなある日、父親が事業に失敗して資産をほとんど無くしてしまいました。キャルは普段ぶらぶらしているけど結構商才のある人間なので、知り合いの事業家の力をかりて、お金を作ることにします。キャルはアメリカの参戦を見越し、食物の栽培で100万ドル(1千万円)稼ぎます。キャルはそれを父親への誕生日プレゼントにし、その日を首を長くして待ちます。しかし父親は戦争で稼いだお金は受け取れないといって、それをアダムに返します。一方アロンは婚約を発表し、それを父親へのプレゼントとします。


このシーンでのキャルの描き方はすごいですね。さすがノーベル賞作家です。アロンの婚約を父親はすごく喜ぶんですよね。一方キャルのプレゼントは受け取ってももらえない。まあ当然といえば当然なんだけど。キャルのアロンに対する嫉妬や、父親に受け入れてもらえなかった悲しさがすごく巧みに描かれています。結局キャルはその100万ドルを燃やしてしまうんですけど、このシーンの描写は誰にも真似できないでしょうね。僕は岩井俊二の映画を見てるような感覚に教われました。キャルがほんとに切なそうで。


まあそんな感じのキャルなんですが、とうとうアダムがご臨終を迎えるときがきます。このシーンのアダムとキャルのやり取りでも、スタインベックはその才能を遺憾なく発揮するのですが感想はまた今度書きます。


すいません。


ねむいです。


おやすみなさい。






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2005年07月20日

「エデンの東」を読んで

ある日僕は
「お前の読んでる小説は文学じゃない」
見たいな事を母親に言われました。


じゃあいったい文学ってなんだろうと考えました。そこで当時母が学んでいたスタインベックなら文学といえるだろう、と思い「エデンの東」と「赤い子馬」を借りてきました。


今まで僕は、文学的すぎたり古すぎる小説(三島由紀夫とかヘミングウェイとか)は読めなかったんですけど、「エデンの東」はさらっと読めました。その理由として、物語がはっきりしてるのと、訳者が土屋政雄っていうわりと最近の人っていうのが大きかったです。


スタインベックは人物の描き方が本当にうまい。なんていうか登場人物が適度に浅はかなんですよね。浅はかさの残し方が絶妙。TBSの「渡る世間は鬼ばかり」に通じるところを感じます。「渡鬼」も浅はかな人が多いですよね。登場人物のほとんどが、何でそんなことでってことで喧嘩したり悩んだり。まあ「渡鬼」あんまり見たことないんでイメージなんですけど…。
スタインベックが書く人間もそんな感じの人が多いです。


ところで文学小説と大衆小説の違いなんですが、こんな感じの分け方でいいですかね。内面を描くのが文学小説で、外面を描くのが大衆小説。何か事件が起きてそれを自分の心の中で処理するのが、あるいは処理しようと努力するのが文学小説。それに対し、自分の体を使ってあるいはまた別の力によって処理するのが大衆小説。


こんな感じですかね。


あんまり「エデンの東」の感想が書けなかったのでまた書きます。
ところでミドリカワ書房って歌手の「顔」って曲持ってる人いますか?いたら貸してください。東秀でチャーハン食ってるときに流れてました。歌詞がめちゃくちゃ熱い曲です。

エデンの東〈上〉


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2005年07月19日

「池袋ウエストゲートパーク」を読んで

僕は趣味で結構本をよむのですが、その感想を言える人があまりいないのでとりあえずブログを書いてみようと思いました。
 

第一回目は「池袋ウエストゲートパーク」です。さっき読み終えました。誰にも感想を言えなかったのが悲しくて、ここで感想を書かせていただきます。


この本を読もうと思ったきっかけは、同じ石田衣良の作品「娼年」をよんでつまんなかったからです。前から石田衣良には興味があって、偶然友達に借りた「娼年」を読んでつまらなかったんですよね。それでこの人は本当にこんなものなのかなと思い、「池袋ウエストゲートパーク」を買ったんですが、これは買って正解でした。結構面白かったです。


人物の描写や起こる出来事がすごく新鮮で、月並みなんですが、本当に「今」を書いてる感じがしますね。それでいて、ところどころに文学的な描写が織り交ぜられていて、すごくバランスがいい小説に仕上がってます。
 

ただドラマと比べると設定がかなり違います。マコトがいろんな女の子と関係を持ってたりとか、マサの登場シーンがめちゃくちゃ少なかったりとか…。まだまだたくさんあるんですが、ネタばれしそうなのでやめておきます。
 

そういった面で見るとドラマのほうが小説より面白いですね(先に小説を読んでたら逆だったかも知んないけど)。アニメより漫画のほうが面白いように、ドラマより小説の方が面白いと僕は思ってるんですが、さすが工藤官九郎ですね。うまく話を膨らませてます。


ちなみにこの本で一番感動したせりふは、サル(マコトの同級生だったやくざ)がマコトに言った、
「おまえにはわかんないよ。おまえのなかには誰がどうやっても絶対に動かないなんかがある。学校も世間もうちの組が動かそうとしても無駄だろ。ときどきマコトが水みたいに冷たいやつだなと思うときがある。でも、そんなにクールなのはお前の心のどこかが開けられないドアみたいになってるのかもな」
というやつです。
僕の友達にマコトみたいに面倒見?がよくて、頼りになる奴がいるんですが、その人にも当てはまってるんじゃないかな、と思いました。


IWGPを見た人ならわかると思いますが、マコトは他人の問題を自分のことのように感じることが出来る熱い奴です。そういった意味で冷たいとは無縁に見えますが、自分の本当に大切な部分は人には見せていないような気がします。うまく説明できないけど。


まだまだ書きたりないけど、長くなりすぎてブログって感じがしなさそうのでやめておきます。


P・S
ブックオフって本当に本が安いですね。「池袋ウエストゲートパーク」は300円でした

池袋ウエストゲートパーク


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