[廈門通信-7]

2007年10月30日

[廈門・509天] 小事情

特殊な事情がありまして、幹部の多くが台湾人、スタッフのほとんどが中国人。もちろん比率は圧倒的に中国人が多い。台湾人に共通しているのが口うるさいこと。私の席のとなり、彼はまだ若い幹部。彼が中国人スタッフを呼び出し、仕事の内容にとやかく言っている。席が遠いので内容は聞き取れないが、どうやら一つのことについて長々と説教している様子。長い、なにしろ話が長い。

ある時、呼び出されたスタッフに一言声をかけてみた。「どう?仕事の内容は」、彼「万全です!」。苦笑するわたしを見るや、彼、態度一変する。突然にわたしの手を強く握りしめ、早口で語り始めた。「小事情( xiao3 shi4 qing2 )、小さな事なんです。こーんな小さな事をとやかく言うんです。それも何度も何度も」。わたしは幹部である。幹部に下手な答えはできない。それを、わたしの苦笑する様に、彼はわたしが事情を理解してくれているのだと、息せき切って話したのだ。

麗江の若造、ここ廈門に来ては麗江のスタッフに電話をかけまくっている。これがまた長い。そして苦情をたらたらと述べている。一度話せば済むだろうと思うも、彼もまた繰り返し繰り返し叱りつけている。そのくせ、こっちに来ると電話代がかかるかかると愚痴っている。当然だろうにと思うも、原因は自らにあるとは思ってもいない様子だ。

台湾人がそうなのか、中国人は違うのか、事情はわからないが、彼らは実によく話す。ああいうとこういう。話が激高して、手が震え出す者もいる。わたしは、彼と話すときはどこを押せばいいか、どの部分にさしかかったら話題を変えればいいか、なぞ理解して話をしている。ただ予期せぬ反応が返ってくることもある。女性技術者に、アナタの書いた図面はこれこれこうで、だからこうなって、結果こうするべきではないか、と説得しているうちに、彼女の目つきが変わってきたりして、ありゃまどうしましょう、なんて事もあったりした。

あれこれ愚痴らしきことを書き立てているものの、やはりわたしは東アジアの旅を、ひと一番楽しんでいるのかもしれない。

[ 写真: 今日もまだ写真ありません。日が短くなり、帳が下りたと思ったら、夜空に満月が見えていたのは、確か数日前だったか。ムーラン・ルージュだった。でも写真はありません。 ]

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2007年10月29日

[廈門・508天] 先行き

この一ヶ月、明日はどうなるのだという状況を切り替えるに十分の時間だった。トップの、あらぬ言いぐさの犠牲になったり、緊縮財政へと、表向き動き始め、不可解な体制と、人員整理、この十月末までに何人もの方々が去っていくことになっている。気分は最低、仲間うちの顔つきも目つきも正常ではなくなっていた。

組織替えと共に、わたしの仕事量は激減、それを見ていた仲間の一人、「仕事なければさっさと去るけどなー」と聞こえるように陰口をたたく。その彼、今では本来の仕事がほとんどなく、やらなくてもいい他の人の仕事に手を出している。アナタの仕事ではないではないか、と話すと、ボソッと口を開く。「財務なんてできないんだよなー、大口だって叩けないし・・・」。去るべきはキミではないのかな。

麗江の若造が煙草を吸おうと外に引き出す。グジュグジュしているので「何?」。ボスがわたしの書いた農村計画の考察を高く評価した。全中国農民ナンジャラ大会に提出したかった、といっていた。なぜ早くオイラに見せてくれなかったのだ、と愚痴る。知るか、オマエがこの計画、我が社には厄介者だ、金をせびられるだけだ、ボスはそういっている、検討は適当にしといてくれ、といったではないか、と言い返した。みなボスの一言から抜けだせられないでいる。

あたしは好きな仕事ができれば、どんなものでもいいのであり、農村計画の考察は、あたしのライフワークの延長線上だったし、視点を開発会社の立場で見てみるとどうなるのか、という手法で分析しただけなのだ。ボスがこの論文のどの部分を評価したのかわからない。おそらく、誰も、”会社にとって”、という視点で物事を見ていなかったのだろうと思っている。日本ではごく当たり前のことが、ここではそれが見えてない。みな、”アタシと上の人間”、それに腐心している。「拍馬屁」 ( pai1 ma3 pi4 )、馬の尻に手を合わせる、おべっかだけが全てなのだ。

あたしが会社を去るという気配は消え去ったようだ。一気に仕事量が増え始めた。

[ 写真: 今日も写真ありません。池の鯉が総入れ替えし、小さな小さな鯉の群れを撮ろうかと思っていたものの、見とれて撮影を忘れてしまいました。 ]

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2007年10月28日

[廈門・507天] 持続させることの難しさ

ひと月以上の空白。去年の空白と違い、今年は別に特別な話があったわけではない。イヤ、むしろ小さいものの、いろいろな出来事に有り余るほどでくわしていた。夏の、くたびれたような暑さと、長引く喉の痛み、そして単調な毎日。この空白のひと月は、そんな状況をいかに消していくかが、もしかしたら頭の片隅にあったのかもしれない。それにしても一つのこと、たとえばblogを持続させることのなんと難しいことか・・・。

賄いオバサンを雇い、余計な生活感を軽減させたり、週末にはガッコの先生と茶館で雑談をしたり、時に大枚をはたいて夜の町へと出かけてみたり、日本・韓国・中国のはやり歌なぞダウンロードしては、仕事中イヤフォーンをかけて聞いてみたり・・・。何かと変化のある生活環境を積極的に考え、実行してみた。

この試みは成功したのかもしれない。ある時、二人の女性、昔の秘書とまもなく臨月の若き妊婦から、「若返ったみたい!」と、ほぼ同時期に言われた。変化が若返りを演出するとは考えても見なかった。ほー、適当な刺激って必要なんだ・・・。シンさんが、日本からのメールでさかんにわたしに伝えてきたことは、「運動したまえ!」。キミに不足しているのは運動だ。運動は試みなかったものの、カラオケで歌いまくるのも運動の一部だと思うことにした。

台湾人が言うように、オマエにはプレッシャーがない、と、自らの至らなさを棚に上げ、わたしを見つめるのを横目に、プレッシャーとは、自ら消し去ることが必要なのだ、たまには自前の金でカラオケぐらい行ってみろ、と言いたいほど、彼らの表情はどんどん暗くなってきている。人から受けるプレッシャーを傍らに置き去ることもできないでいるのだ。

ワォ、なんと愚痴の多いこと!

おっと、一言大事な話を言い忘れてしまった。新しい中国語のセンセが来週からやってくる。話はできるものの、発音がいい加減だったり、言い回しがめちゃくちゃだったりと、オマエは一年以上ここにいてなーんもマスターしていないではないか、という台湾人の言いぐさへの対応策だ。確かに自分でもそれがわかってきたので、カラオケ屋で新しい曲を披露するため、歌詞を正確に発音できるよう、日々訓練に励んでもいる。昔の秘書が四六時中諭してきたように、口元をはっきり変化させてしゃべることも始めた。

[ 写真: ありません。このところシャッター押していません。今後この件も積極的にやってみます。 ]

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2007年09月22日

[廈門・471天] 気が楽になったこと

自由市場前回、賄いオバサンが来るようになったことを書いた。おかげで帰宅すると料理がすぐに出てくる。不思議な感覚を味わっている。そんなことを期待したことなぞいままでなかったが、さすがに一人の生活が長引くと、いいものだと思ってしまう。多くの方々がそうしてきたのだろうが、勝手気ままに暮らしてきたわたしにはなかったものなのだ。

オバサン、五十ちょっとすぎ。北の都市で、国営会社に働き、定年を迎え、亭主に暖かく綺麗な都市での生活を提案するも、断られ、離婚届を出して廈門にやってきたらしい。わたしにとって、ある意味危険な存在である。我が家にやってきて二日目、どうだろう二人は相性がいいかどうか試してみては、とお誘いを受けた。いや、実に自分の意見をはっきりと表現する。合衆国の韓国系アメリカ人、台湾にやってきていた中国系アメリカ人、彼らも意思表示がストレートだった。その分対応に苦慮せず、付き合いやすくてよかった。

ちなみに、国営会社の定年は、男六十女五十だそうだ。退職後一般の方々はどのような毎日を過ごしているのか聞いてみた。子供と住んで、孫の面倒を見、小区(コミュニティー)の仲間同士でバトミントンをしたり、麻雀をしたりなどなど・・・。

定年かー、どんな感覚なのだろう。

まあそれはさておき、その後、オバサン、普通に対応してくれている。会社から戻って、暇は十分にあるのだが、炊事洗濯家事全てを一人でこなすのは何かとおっくうだし、かといってほっとくのもいやだし・・・、オバサンの存在でわたしはかなり気が楽になった。それになにより無駄遣いが少なくなった。食材を無駄に買い込むこともなくなったし、残り物もしっかり使い回してくれるし、仲間と値の張る食い物屋に出かけることも今のところない。仲間に声をかけ、家で食わないかと誘い込む。悪くない今日この頃である。

[ 写真: 部屋のテラスから見下ろすとこんな感じ。古い廈門の残る数少ない街区。オバサンはこの一角で共同生活をしている。右側斜めに走る街路の両側は魚介類専門の市場。夕刻には買い物客でごった返している。オバサン、家に来る前ここで食材を買ってくる。安いのだ。 ]

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2007年09月18日

[廈門・467天] 書きそびれていたこと

九八の花火この一ヶ月、書きそびれていた部分のメモ・・・

・先日韓国の歌手、ハ・ユスン嬢の消息が途絶えているらしいといった矢先、セカンドシングルのMVが登場していた。AVの雰囲気を濃厚に漂わせていたものの、曲自体はどーってことがなかった。また、「Question」のMVは韓国で放映禁止になっているらしいと記したが、このMV、別バージョンがあった。基本的に変わったところはないが、ぎりぎりの部分が長めに映っていた。

・会社の内部組織をガラガラポン、と始まった騒動、いっとき人があちこちに移動したものの、結局また元に戻ってきた。一体何だったんだということだ。影のボスの指令で動いていた人間、彼らですらそう感じている。わたしが「女がいるいないを探って報告することに何の意味があるんだ、そんな部門なぞなくしてしまえ!」と文句を言ったら、いわれた本人、「そうだよなー」としきりに考え込んでいた。まあ、脅しをかけてきたと思えば理解もできるが・・・。

・八月はひどく落ち込んでいた。人事騒動に巻き込まれたり、ひどい咳に長い間悩まされたり、暑さと体調不良で外食する気にもならず、夜食のメニューは自炊で二種類、という毎日を送っていたら、更に落ち込んでいく気がしてきた。同僚でカミさんが仕事の関係で香港住まいの若造、デブチャン、ダイエットに夜の町を歩き回るという習慣をつけていた。それに付き合って歩いていたら体調もよくなってきた。さらに一緒にあれこれ異なるメニューの食い物屋に出入りしていたら元気が出てきた。

以前は元秘書が毎日のようにこれでもかといっぱい総菜をつくってくれていたものの、諸般の理由で解任して以来半年、実に単調な生活をおくっていたことになる。今更ながら、食い物は大切だと、人に紹介してもらい、賄いのオバサンに来てもらいはじめた。それに会話の練習にもなっている。オバサン、北の人間、巻き舌である。今までは南の人間との会話がほとんど、台湾人に似た話し方、理解しやすかったが、北の人間のはなかなか解らない。始終反復してもらっている。

この先どれほどここでの生活が続くか解らないが、とりあえず軌道修正ができつつある。

[ 写真: 古ネタ写真です。九月八日は花火の日。昨年はどこかに出かけていて、家にたどり着く前、轟音を聞かされ驚かされた。今年は家の寝室から。高層マンションの影から火の玉が飛び出してきた。 ]

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2007年09月17日

[廈門・466天] 自拍

ソンヘギョ最近わたしは中国版youtubeに凝っている。家に戻り、一人パソコンに向かい、面白ビデオを探し回っている姿は、自分で思い浮かべても異様だ。お気に入りはもちろん「自拍」。my videoのジャンルだ。youtubeの影響はここ中国でも大きい。多くのウェッブサイトも自拍ものに力を入れている。電脳に若いうちから慣れ親しんでいる若者たち、積極的に投稿してくる。特徴的なのは、若き女性たちの投稿。自らを売り込みたいためか、惜しげもなく彼女たちの知られざる側面を覗かせてくれる。

意図的な演出で場を盛り上げてくれるお嬢さんもいる。シリーズものである。彼女、自らを「愛人」だと称し、ポップな曲に合わせ、インターネット先の聴衆を扇情してくる。全四部。顔は出さない。プチプチとした、いかにも若そうな肢体を、ジャネット・ジャクソンばりの振りで肉体を露わにする。このシリーズは大当たりしたらしく、シリーズ終了後、このビデオ、実は登場者は二人で、わたしはその片割れと分析してみせる子が登場したり、地方のテレビ局が特集を組んだり・・・。ところで彼女、もう一年間姿を現わしていない。どこで何しているんだろう・・・。

もう一つはMSNやSkypeでのビデオチャットものの投稿。チャットの模様を録画したものを投稿してくる。相手に了解とっているのか、脇で見ていても心配になってくる。ビデオカメラの前で、イヤイヤ胸元を開いていく様なぞ、オイオイどうなっているんだ、このビデオ一生ネット上をさまようんだぞ、など人ごとながら叫んでしまう。それにしても裕福そうなアラブ系留学生はかわゆかった!

ここ中国の現状を憂慮するも、インターネットが確実に新しい表現媒体として機能しているからすごい。時にはやりすぎの場面もしばしば見られるが、官憲が潰しても潰してもまたどこかから顔を出してくる。廈門でこの夏おきたデモのさい、政府が携帯メールを使ってデモをコントロールしたように、インターネットと共に、この二つは情報操作の最も有効な手段となったのだ。

しかしこれらのネタ、あたし、無理して探し出しているわけではない。ビデオニュースを見ようと、安部さんが辞任した会見シーンを見ようと、ウェッブサイトを開けば、目の前で見てくださいと誘っているのだ。日ごとメディア研究に勤しんでいるといいたい。えらいえらい、いい結びになった。

[ 写真: もちろん私のお気に入りなソン・ヘギョの予告編もある。彼女が脱いだというので話題になったが、場面が暗すぎで判別不能、掲載はあきらめた。 ]

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2007年09月16日

[廈門・465天] ヒップホップだって聞いておるのだ!

ハ・ユスンたまには買い物に出かける、買い物に付き合う、デパートだって繁華街だって見て歩く。まあ一人で、というわけではないが、まもなく臨月を迎える若き妊婦が、出産後に着る衣装を夢見るのを手伝ったりもする。そんな場所でしきりに流れていた軽快な一曲を偶然ネット上で見かけた。韓流ヒップホップのライブだ。キュートな彼女を見て、わたしは気に入ってしまった。早速下載(download)。家で、職場で、イヤフォンをつけ、聞き、見ている。jijiだってヒップホップは好きなのだ。

早速日本にご滞在の韓流師匠にその旨伝え、ビデオクリップを送った。師匠は知らなかった、彼女を、この曲を。知らなかったが、わたし同様、即座に気に入り、ついつい繰り返し聴いてしまった、と返事が来た。歌手の名前が知らなかったわたしに、師匠は丁寧に解説をくわえてくれた。このカワユイ歌手、一体どのようなお嬢さんなのか知りたくなった。いつもの癖である。自宅に戻っては、真夜中までネット上をさまよう結果となる。

「ハ・ソヨン−AV女優ハ・ソヨン歌手デビュー」。
http://franklloyd.paslog.jp/article/161519.html
と教えてくれたblogがあった。

名前を [ハ・ユスン 하유선 河佑善 Ha U-Sun] 。曲名は [Question] 。のりのいい曲と、軽くAVの雰囲気を盛り込んだ振り付け、そしてなにより笑顔がいい。

ライブはこちら:
http://jp.youtube.com/watch?v=JGqKpmubhTo
MTVはこちら:
http://jp.youtube.com/watch?v=Wgmqo2zaUcs
この曲に合わせ、カリフォルニアあたりで腰を振る日本人らしいお嬢さんのビデオはこちら:
http://jp.youtube.com/watch?v=J8Du7phtjQI

ところが、ハ・ユスン嬢、それから一年、ウェッブ上には現れていない。それに、ビデオクリップ、韓国では放映禁止になっているらしい。あるblog上でも語られていたが、AV嬢が転職で成功するのは至難の業だそうだ。日本では飯島愛氏だけだとか。今でも儒教感の強い韓国ではなおさらなのだろうか。もしそうだったら至極残念なことだ。みなこの曲を聴き、キュートな彼女を見、(昔のAVのDVDは放っておき)ミュージックCDを購入し、再び魅力溢れる踊りが見れるよう、韓国に圧力をかけてほしい。jijiのささやかな夢であります。

(曲自体は一年以上前のものであり、古ネタだったりしている可能性があります。ただただ私めが無知だったのかもしれません。その節はご容赦ください。)

[ 写真: 人間の根源的な刺激は歌と踊りに反応するものであり、人類発生以来、この二つは切っても切り離せない関係で・・・どうでもいい、一度見てほしい。 ]

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2007年09月06日

[廈門・455天] これがバブルでなくてなんなのだ

蘇州博物館の庭二週間前の金曜日、密かに会社を抜け出し廈門空港に向かった。蘇州を訪れるためだ。昼飯を終えると、運転手が待っていた。日曜日に戻るよ、というと、では出迎えます、イヤいいよ家族サービスしなさい、イエイエ構いませんです、ハイ。特権乱用である。

上海の虹橋空港では、蘇州のオバサンが待っていた。本来なら、運ちゃんだけだったはずだ。彼女、この機会を利用して、久しぶりに上海の友人宅で美味な食事を取ることにしていた。市内ど真ん中の高級マンションでテーブルを囲んだのは、五十近いというのに肢体完備、美しき肌つやの主と若きご亭主、仕事に追われながら駆けつけ一杯、白いご飯をほおばっていった四十過ぎで、香港で色違いのベントレーを四台購入、アルマーニの服を棚の端から端まで持って行ったという方。そして我々二人の計五人。

ここの主の素性は聞かなかったが、部屋のあちこちに、有名人と一緒に写った写真が所狭しと目についた。コン・リー、チャン・ツーイー、トニー・レオン、ジャッキー・チェンなどなど・・・。蘇州のオバサンが語ってくれた。部屋の主を除いて、集まった人間はみな四十から四十五歳、八十年代の解放政策と共に時代を歩いてきた人たちだという。そして「時代」が我々に特別な機会を与えてくれた。その結果、多くの富裕層がこの世代に生まれたというのだ。

このお宅に出向く前、時間に余裕があったので、新天地の再開発地区に入ってきた。古い、上海形式の住居を利用したショッピングモールである。四年前にも来たことがあったが、今では質のいいお店と洒落たデザインとで、上海の観光名所になっていた。開発当初、テナントは僅か二軒、今では店を手に入れることも難しいという。小綺麗な洒落たホテルも完成し、予約は一年以上先まで埋まっているらしい。

上海中心地にあって、新天地を取り巻くマンションにしろ、店にしろ、何年前はいくらだったものが、今では十倍以上する物件だらけだと、蘇州のオバサンが語ってくれた。投機的な面も大きいが、だからといって、土地の下落もなく(土地は借地権という中国の事情がある)、人口の流入は止まることなく、外地(上海以外の場所)の金持ちはビジネスチャンスが転がっている上海を目指してやってくるし、高級物件を言い値で購入しているし、あと十年はこの状態が続くこと間違いないと話してくれた。

絶対旨いといわれた割には、甘口の料理が多く、わたしには一寸という感想を述べて蘇州に向かった。蘇州まで一時間あまり、車中でも、彼女はいっときといえども携帯をおくことがなかった。ビジネスチャンスを逃すことはないのだ。その横顔を見ながら、四年前に初めてあった彼女、てきぱきと段取りを組み、いうことはいう、非常に魅力的だった事を思い浮かべていたが、四十をすぎ、一寸顔の肉が落ち、目がくぼみ、いささか期待から遠くなっていた。

[ 写真: 翌日第一目的の蘇州博物館を訪れた。外観の使われた花崗岩は気にくわない。表情が硬く、蘇州という場所に合っていない気がした。北京の香山飯店のように、厚い瓦を加工したもののほうが合っていると感じた。ところが、あとで知ったのだが、現在の香山飯店、白い外壁を、瓦の粉末が雨で流れ出し汚していた。これで花崗岩を使ったわけが解った。 ]

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2007年09月05日

[廈門・454天] 空白

蘇州の庵確か昨年もそうだったような気がする。一ヶ月全くblog更新をしなかったことが。今回の理由はいろいろあるものの、決定的な言い訳にはならないことばかりだ。blogも、中断が長引くと、それなりによしとしたりしてしまう。しかし拙いわたしの文章を読んでいてくれる人もいる。そんな方からメールが届いた。”・・・どーしている?と思う人はそれなりに存在している・・・”のだよと、心配していただき、切っ掛けをもらったので、改めて続けてみることにした。

・言い訳その壱・・・確かにひと月以上前、激しい咳を伴った風邪を引いた。これが意外と長引き、実は今でも喉が痛む。咳はすでに引いたものの、いい気分ではない。一寸空調が効きすぎる場所に長くいると喉が痛んでくる。腫れているのだ。みな医者にいけという。医者の息子である。自分の体ぐらい自分で解るとうそぶいている。

・言い訳その弐・・・暑さのせいだ。昨年は何とか乗り切れたのが、今年はいささか事情が違う。帰宅して食事を取るとすぐに横になることが多い。そのまま真夜中まで眠りこけることも少なくない。体温調整がうまくいかなくなっているのだろう。年のせいだ。食欲はあるものの、何かに集中しようという気力も衰えている。これは会社の仕事のやり方が原因だ。

・言い訳その参・・・会社の組織替えが一方通行で進められていた。筋の通る展開なら納得するものの、会社内での覇権争いみたいなものだったりするから疲れる。特に中国語を母国語としないわたしは、それだけの理由で、紙風船のようにあちこちたらい回しされた。いっとき、ボスの命令だろう、仕事上で誰もわたしを捜さないときがあった。結局、わたしでなければできないことが多すぎ、また声がかかるようになった。疲れるのだ。

・言い訳その四・・・実にこの会社は面白い。脇から見ている時間が他の人間より多いので、なおさらおもしろさがよく見える。同じ仕事をする部門が二つ存在している。一つのジョブを二部門が手をつける。お互いを牽制させるつもりらしい。その分物事の決定も二重手間になる。そのくせ、金にセコい。時間の無駄、金の無駄、結局あれやこれや出ていくお金は同じなのだ。嫌気がさす。だから疲れたのだ。

・言い訳その五・・・人事異動が頻繁に行われる。それに伴い、権謀術策が始まる。わたしなぞ、ひとのいい人間は簡単にこの餌食にされる。”・・・あいつはわたしが辞めれば一緒に辞める。日本に帰って会社を再開するそうだ・・・”なぞいうひとがあれば、できるわたしを絡めて辞職を避けようとするものもいる。”・・・彼が不十分な中国語を、わたしが補って、二人組んで仕事を進めるのはどうであろうか・・・”。

そんないやなところなら辞めろって。声が聞こえてきそうです。わたしがそこまで踏み切れない最大の理由は、廈門があまりにもすばらしいから。生活環境として、今のわたしに最も合っておるのです。わたし自身も厄介なのだ。

[ 写真: ということで、気晴らしに蘇州まで出かけていた。四年前、ここで仕事をしたとき厄介をかけたオバサンが、いろいろ段取りしてくれ、最高の週末を過ごしてきた。詳細は後日。写真は蘇州博物館を設計したI.M.Peiさんが、博物館の敷地内にご自分で宋時代の庵を自分なりに解釈して建てたもの。 ]

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2007年08月07日

[廈門・425天] ん?博物館で絵画展

文化中心サインボード風邪もひとまず収まった、というので先週末の土曜日、こちらのガッコの先生と博物館に出かけてきた。ガッコの先生と日本においででインドフリークの我が畏友シンさんとは、先生が日本留学中の友人。はるか昔にわたしとガッコの先生、シンさんの展覧会を廈門で開いてみてはと話が盛り上がったことがあった。シンさん、その話しに半信半疑の様子だった。

先生はこちらで顔が広い。あらゆる分野で知人がおいでだ。どういうきっかけだったのかは知らないが、博物館の館長さんと展覧会の話を進めてしまった。では、というので出かけてきた。出かけたのはいいが、場所は現在廈門市政府が建設を進めている文化中心のまっただ中にある。今年の三月、すでに開館。といっても展示場はまだ内装工事中。建前上、オープニングは済ませたということだ。

館長さん、この博物館、もともとコロンス島にあって、移転に際して抜擢された方。その前は骨董を扱って名を知れた方。いわゆるビジネスにたけた方というわけだ。博物館の今後の運営のノウハウを買われたに違いない。月給は公務員扱い、決して高額ではない。それでも引き受けたのには、きっとわけがあるのだろう。

展覧会の件はさっとすまし、話題はもっぱら廈門本島のとなりで進められていた化学製品製造工場建設にまつわるあれこれ。わたしの会社と無縁ではない話。実にわたしの会社の内情に詳しい。いろいろと教えてもらった。

しかし、この博物館のとなりでは、やはり立派な美術館も建設中。絵画の展覧会ならこちらのほうが筋だと思うのだが、それはそれである。それに展覧会予定の場所はやたら広い。作品展数百点以上が条件。シンさん、いつもはささやかに、目黒の小さな展示場とか、横浜山の手の画廊とか、瀟洒な会場を選んで開いていた。

さて、この話どう転んでいくのか、大いに期待したい、と思うも、センセと館長お二人、投資用にマンション購入したいのだが、という話が盛り上がり、結局、昼食をご馳走になったあと、マンション見学と相成ったのであります・・・。

[ 写真: 美術館も図書館も科学技術館も博物館も表面はガラス張り。似たような建物だ。どれがどれだか全く特徴がない。サインボードを見なければ、何が何だか全く解らない。それにしても壮大な開発である。 ]

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2007年08月06日

[廈門・424天] 踏んだり蹴ったり

薬の山喉が痛いな、と感じたのが二週間以上前のこと。それからひどい咳と痰に見舞われるまで一週間を必要とした。その間、体がだるく、あれこれ動くのもおっくう、物事に集中できないでいた。そして巡ってきた突然に襲う強烈な咳、そして切れない痰。これはもしや・・・重い病ではないかとさえ思ってしまった。

思えば思うほど病は進行する。そういうものなのだろう。病はまさに気から。結局会社を二日間休んだ。家でただただゴロゴロと眠りこける。徐々にだが、体調は回復、週末には人と会うことができるまでになった。しかし強烈な咳のおかげで、喉の血管を痛め、鮮やかな血が混じった痰を見るのは気持ちのいいものではない。

今のは踏まれた部類の話し。次にお話しするのは、強烈に蹴られた話し。

ある日元ボスから呼び出しがかかった。元ボス、影のボスからプレッシャーを受け続けているという。暗に会社を辞めてはどうかということらしい。話の内容は、大筋あちこちから聞かされていたので驚くものではなかった。ただただわたしは、上部の考えやおやりになることには関わりたくありません、と答えるのみである。

そんなわたしの素っ気ない対応に腹を立てたのかもしれない。ある日、ある人から連絡が入る。「会社を辞めて日本に戻るんですって?」。話の出どころは元ボス。死なば諸ともということらしい。そういえば先日こんな話をしていたっけ。「ホテルの董事長が辞めたとき、彼女が連れてきた幹部はみな辞めさせられた。この会社はそういうところなんだよ」と。まあ、わたしを引き込んだのは元ボスだし、筋を通せば諸ともかもしれない。一寸面倒くさい展開になってきている。

辞めるのもよし、留まるのもよし。しかしこちらに来てまだ一年一寸、ここを離れるには早すぎる。先日お会いしたガッコの先生、もし何かあったら廈門随一の開発会社をご紹介しますよ。そのもし何かあったらが現実味を帯びてきた。しかしわたしには面倒くさい話なのだ。それに年を取ってガラガラと環境を変えるのは体によくない。死期を早める。まだここ中国の片田舎で過ごしてもいないのだ。猫と暮らしてもいないのだ。

[ 写真: 会社の医務室、女医さんが選んでくれた処方薬。飲むタイミングを間違ってばかりいた。帰りのバスで同席した女医さんに、まだ喉が・・・と伝えたら、彼女、煙草辞めたら(医務室に)いらっしゃい!と事も無げにいわれてしまった。でも親身に考えてくれているんだと思うことにした。 ]

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2007年07月28日

[廈門・415天] 没有好消息

二人の映画人日本で避暑生活をおくっている方からメールの返事が届いた。「咳コホンコホンのジジイはゴメンこうむりますデスヨ!」と。なにしろひどい咳が出まくっている。喉をやられるような風邪は、今まで記憶がなかった。それがこちらに来てからは、風邪というと喉。空気が悪いのか、それとも化学プラントから流れ出る廃棄の影響か。

一人孤独な生活をおくっていると、そんなときには世話を焼いてもらえる人間がそばにいてほしくなる、と気軽に書き込んだら、「私には世話?面倒見てくれるイケメン先生達がイッパイいるから彼らに嫌われ無い為にもせっせと磨いております!」と事も無げにいわれてしまった。最後には、「もう少し明るい前向きなニュースをお待ちしております!」。

そういわれても、このところ明るい話しも前向きな話しもないのだ。憂鬱な話しだらけなのだ。その上この暑さ、うだるような暑さ、へばりつく湿気、何とかこれらを振り払おうと、老頭子の誘いにのって、久しぶりに珈琲店に出かけてきた。気晴らしのつもりが、やはりここでも怖ろしげな話ばかり語ることになってしまった。没有好消息である。長い人生、ときにはこんな時期もあるのだ、なぞ思ってみている。

そういえば、全く関係なく話が動くが、先日、サハリパンツを買った。軽く肌触りも履き心地も良さそうだった。一つ日本から持ち込んでいたが、換えがほしかったのだ。早速足を通してみた。暑苦しい。百パーセント綿だぞ、なぜなんだ。仕方なく日本製に履き替えた。厚手の生地だが、すっきりする。なぜだろう。あーやはりいい話はないなー。

おっと、今日は土用のウナギの日ではなかったかな・・・。

[ 写真: 出かけることもないので、インターネットからあれこれ写真を探し回っている。この写真は古い。張芸謀とコン・リー。どこかの映画祭でのショットらしい。わたしはこの二人がなぜか好きだ。 ]

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2007年07月27日

[廈門・414天] 美麗人生

モデルサッカー河北のスカ友は、blogタイトルに「醜い豚小屋」、ニックネームに「美麗人生」。相反する言葉で何かを語ろうとしている。若いからできることかもしれない。わたしなら、醜い豚小屋にどっぷり漬かってしまうところだろう。

廈門に来た目的が何だったのか、この一年考えたことはなかった。それがこのところなぜか反芻するように登場する。面白い仕事、一寸余裕のある生活、東アジア最後の旅・・・。読めば美麗人生そのものかもしれない。しかし現実は豚小屋だった、という実感か。

わたしは三国志を読んだことがない。多くの人が面白いという。何か権謀術策の雨あられのような感がしないでもない。だからいやなのだ。しかしここは中国である。三国志を知らずして人生を語るなという現実に直面してしまった。

一人の人間を陥れるための権謀術策、一つの部署がそれに全力を挙げた。しかし、陥れることはできたものの、その影響は大きすぎたようだ。親密な人間関係、楽しげな会話、協力し合う姿勢、そして本来の目的である仕事を効率よく進めるはずの手入れはできなかった。むしろ悪影響の方が大きかった。打ち合わせ内容が伝わらない、全ての案件の行程までもが狂ってしまった。そんな様をみて、陥れられた人間は、密かにほくそ笑んでいることだろう。ざまあみろと。

その影響で、わたしの部署が吹き飛んだ。まあ、本来おかしな系列にぶら下がっていたので、正常に戻ったといった方がいい。わたしは席を失い、昔の系列に戻ることになった。いざ戻るとなると、相応しい場所がない。仕方なく、デスクの配列がえに手をつけた。手をつけてみると、今までがなんとデタラメだったのか、驚かされた。

いやいや、近頃何か気力が萎えたのは、暑さのせいかと思っていたが、原因は他にもあったのだ。

[ 写真: 中国トップモデルの変わり種写真。「新風潮」とでも訳すのか、ウェッブ上のタイトルから見つけた。こんな調子でアジアカップを戦っていたら、きっとサウジなぞに負けなかっただろうに・・・などと妄想してみた。 ]

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2007年07月26日

[廈門・413天] 何もかも面倒だ

JY私は暑さに弱い。部屋の中だろうが、木陰の芝生だろうが、暑いとやたら眠くなる。今年の廈門は異常に暑いらしい。部屋の中は人が溜まるといっぺんに空調が効かなくなる。先日の会議だってそうだ。ホテルの管理システムについてプレゼンを聞いている最中でも、気がつくと説明の頁が先に進んでいたりする。一瞬気絶しているのだ。食欲もどこか出かける意欲もなくなっている。面倒くさのだ。

・このところ、若き妊婦と若き人妻が、私をあれやこれやからかうのだが、どーってことない話なのに、やたら気に障る。構わないでほしいのだ。それでなくてもこの暑さだ。

・暑さが手伝って、健忘症にもなっている。会社でやけに尻が軽いなと思いきや、財布を忘れていた。

・空調機の調節が旨くできずに風邪を引いた。会社の医務室で薬をもらい、女医さんから薬を飲む時間について何度も何度も念を押された。食前食後とあるのを間違えた。これも暑さのせいに違いない。どれもこれも面倒だ。

・まな娘にメールで手紙の転送が確実にできているか確認した。強烈な文句が帰ってきた。転送していないのは電話なのだ。暑さでボケが回っている。

・夕食の準備で料理の手順を間違えた。これも暑いからだ。

本当に暑いのです、今の廈門は。外に出てクラッとくるぐらいならまだしも、ドバッと汗が噴き出す。これがあと四ヶ月も続くのかと思うと、ガクッとくる。ここまでくると、快楽なぞ望む気もしなくなる。ビールの一口だって望まなくなっている。あとしばらく、体は休め休めさせながら動かないと、頭は適当に働かせないと・・・。

[ 写真: しかしこいつ=昔の秘書は暑さも関係ない。ヒョコッと家に現れては、おしゃべりして帰って行く。本心は分からないが、表面的には幸せそのものの表情だ。 ]

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2007年07月24日

[廈門・411天] クラブカラオケサウナに茶館

ヘリコプター廈門滞在一年以上、悦楽を提供する場を訪れたことがなかった。一度は覗いてみたいものだと思っていても、事情通でもなし、誘ってくれる人間もなし。要は周りの人間がケチなのである。ケチが悪いわけではないが、ときにはバカ騒ぎもいいと思うのだが・・・。

ここ数週間で、なぜか急にカラオケとクラブへと足を運んできた。事情通が誘ってくれたのだ。カミさんが里帰りしているときにしか、夜出かけることができない。一挙に店に出かけたのだ。不満解消ではないだろうが、違う世界もまたいいのだと、思っているに違いない。

廈門随一のカラオケ店は、エンターテイメントはここしかないという。それだけ自負しているだけあって、支払いは破格である。外国人といっても、そう易々と出かけられるものでない。そこで、先日はトップランクから一段落とした店に顔を出してきた。ステージあり、ボックスあり、個室あり、と一応揃っている。トップとの違いはスケール。こぢんまりとしている。ステージ上でダンスも歌もあるものの、学芸会の域を出ないが、そこはそこ、雰囲気は出している。なにしろカジュアルなのだ。気軽なのだ。

ホールは天井も低く、設備の配管はむき出し、黒くペイントが塗りたくってあるだけ。大昔、流行の先端は新宿からという時代に登場したディスコに似ている。店の女性もやたらと若く、私についた女性はなんとまだ高校生、十八歳、この九月に卒業予定という有様。ホールのボックスには、手ごろな価格も手伝ってか、若造の姿が目につく。いやほとんどが若造であり、白髪頭のjijiなぞ見当たらない。そういう人間は個室で静かにマイクを握っているのかもしれない。

週末に事情通の家を訪れた。彼が話してくれた。この手の店は、他にもいろいろあって、カラオケの他にも、いわゆるナイトクラブ、それにサウナ、そして茶館でも特別なサービスが行われているという。中国茶をたしなみながら、となりに座った女性との会話を楽しむこともできるのだという。茶館では、トランプあり麻雀ありなぞなぞ、なんでもOKなのだそうだ。

彼はお茶を点て、自分の名前をもじって「クラブリーへようこそ!」と。私はすかさず「女性なしのクラブですねー」。彼即座に答える。「カラオケ店のママに連絡入れてすぐにハケンしてもらいますよー」。続けて、「週末退屈でしたら私に電話ください。誰か行かせますから」。

ここまでくると、私とは全く違う世界だ。知らない世界だけに、味をしめたらハマってしまいそうだ。くわばらくわばら(死語だなー)。

[ 写真: 小型電池で動くリモコンヘリ。ホテルの軽食で食事をしていると、仕事はできないが、この手に目のないデブチャンが持ってきて、ホテルのアトリウムで遊んで見せた。直径僅か二十センチ足らず、正確に離着陸ができる。リモコンも十メートル程度はコントロールできる。優れものだ。早速彼に入手してもらうことにした。夜中に一人遊び、女性が傍らにいなくても退屈することはない。 ]

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2007年07月23日

[廈門・410天] 雑記の続きの続き

戻ってきた鯉・この夏の暑さは、本社の庭園の池の鯉に大きな影響を与えた。五月に気温が上昇、池に大量の藻が発生、呼吸困難になった鯉が数多く死んでいった。会社は、池の循環方式を改善し、水温の上昇を抑える改修工事が行われた。ようやく鯉は戻ってきたものの、馴染めない何匹かが消え去り、代わりに幼魚が今では放されている。

・暑さの影響だったのか、会社の組織に変動が起きた。組織の運営を正常に動かそうと、一人の人間からその職を剥奪する試みが動き始めた。権力争いが頂点を迎えたわけだ。結果、私の所属する部門から、私の課がなくなった旨、通知書が出た。つまり私の立場は宙に浮いてしまったことにになる。そんな私をみて、麗江の若造は、皮肉混じりに私に声をかけた。「昨日はよく眠れた?」。

・私は答える、「よーく眠れましたよ」。なぜなら、この件が書類になる前、すでに私の移動する先は決まっており、なーんも心配する必要は私にはなかったからだ。この動きを仕切った人間が私の耳元で早速とささやいていたのだ。わたしは元に戻ったというだけのこと。厄介だった二人ボス体制から抜け出したことになった。私は麗江の若造にそっと語りかける。「ある部門の人間が言っていたぜ、麗江の案件は問題が多いぞ、と」。かれ、がっくりとしおれきっていた。見るも哀れであるが、年上の人間をコケにしようとする際には注意が必要なのだ。本社の人間の強み、人の話に聞く耳持つ強みを発揮できたわけだ。私も意地悪になったものである。ここではそうでもしなければ、何をされるか解らない。

・元ボスの影響力が剥奪され、元ボスが仕事の体制を二重に敷き、動かしていた人間も、姿を消すか、別の人間の取って代わられることとなった。元ボスが仕切っていた体制の人間は、これから半分に減らされていくことになった。少なくない数である。元ボスの考えていた組織、本来意義のある組織だったが、彼の個人的な思惑から、育て上げることも、有効に働かせることも出来ず、他人に手渡したことになる。

[ 写真: 戻ってきた池の鯉。今のところ元気そうだ。池の水は表面は暖かいものの、下の方は水温は低く、鯉への影響は和らいだことになる。 ]

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2007年07月22日

[廈門・409天] 雑記の続き

三日月と岸壁・日本からメールが届いた。シンさんからだ。近頃私のblogを愛読しているが、ときに長い時間更新が途絶える。そのたびにいささか心配しておるという内容だった。心配していただきうれしいかぎりであり、友とはかくもよきものかと、遠く廈門から感謝させていただく。更新の中断は廈門の異常な暑さのせいであります。気力を半減させるほどの高温多湿なのであります。

・全てが暑さのせいであります。blog更新が滞ったのも、暑さのせいでした。なにしろ毎日が三十五度を超す。頭くらくらと来ておりました。追い打ちをかけるように湿度が上がっていく。もうトルコ風呂のようです。いやトルコ風呂には一度も入ったことはないんですが、映画で見ると蒸気としたたる汗とが印象的でした。毎日がそんな具合でした。部屋に戻るとぐったり、ばったりでありました。

・馴染みの珈琲店、火曜日は買一贈一の日。ピザが二倍楽しめる日。仕事を終え、若き妊婦ご夫妻と訪れてみます。珈琲は注文せず、ピザだけというケチケチ夕食。12インチを一枚注文し、贈一のピザ二枚、三人でも残りがでる。私はその分を持ち帰り、朝食にすることにしたのであります。

・早々と店を出、ウッドデッキが続く真夏の海岸にあるビアレストランに。毛唐の経営らしい。大昔のヒッピーの残党という感ありの男が仕切っています。見るからに汚らしいこの男、見覚えがある。いつもの珈琲店で、ビールで顔を赤らめ、若い中国女性を相手に、なにやら口説いている姿を思い出したのです。彼に儲けさせるのかと思うとなにやら腹立たしくなりました。これも暑さがさせたことであります。

・あー、そういえばカラオケ店に出かけたことは話さずじまいでありました。カラオケなので、普通のお店と思いきや、廈門随一のエンターテイメントな店であります。美女千人が常駐し、大ホールでショーあり、個室あり、店の格の高さは有名らしい。抱える美形は中国全土からやってきているといいます。その分十分に出費させられます。男三人に、女性が三人付き、テーブル係が二人、この女性へのチップと部屋代、酒代、しめて一人平均800元となったのです。日本円で約一万二千円。

・このところやけに出費が多い。先月先々月とケチケチ生活で、貯蓄を始めようと思ったものの、カラオケ店を始め、頻繁に訪れた珈琲店、人を連れだっての外食と、口座の残高は減り続けてしまいました。これもみな暑さのなせる業であります。

では反省して、明日からは自炊の生活、自分で珈琲を立て、ビールはスーパーで購入、空調も入れず、バカ暑くむしむしする気候に順応できるよう試してみることにします。

[ 写真: 海浜公園で見た月。おぼろ月である。 ]

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2007年07月09日

[廈門・396天] 一服

三十五度を超えた。新しく移動した席は、広々とし、嬌声も届かない落ち着いた環境にある。しかし西日をもろに受ける。ブラインドがあるとはいえ、大きなガラスは、否応なしに熱気を吸収する。午後三時をすぎると、暑さで体がぐたっとなってしまう。いっぺんに朝の元気が吹き飛ぶ。電話の受け答えにも顕れるらしく、みな、どうしたの?と聞き返してくる。

とはいえ、家でのんびり休むわけに行かない今日この頃だ。今晩は、カラオケなのだ。一つの大きな現場の所長、といっても若い台湾人と、日本の女性がママをしているというお店に行くことになっている。だるく、眠く、でたくないが、出かけてきます。

今日のブログは写真なしの、簡単報告でご勘弁を・・・。

[ 写真: というわけで写真を探している時間がありません。なーんもないです。 ]

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2007年07月08日

[廈門・395天] 雑記-II

burikineko・そういえばこちらでカラスを見たことがない。南に位置すぎるのかな。夕刻、カラスの鳴き声が聞こえないのは少し寂しい。

・ツバメが姿を現すようになった。俊敏に飛び回る様は見ているだけで気持ちいい。東京ではどうなのだろう、かつてはツバメの餌がたくさんあった東京、今は熱気で死に絶えたか。

・空調をかけ、上半身裸で横になったら腹を下した。昨日事だ。そのまま今日日本語の先生がわりをしに出かけた。昼飯を食べ終えて外に出たらヤバイ、我慢できそうにない。近くの韓国食材点に入りトイレを借りた。ささやかなお礼に韓国インラメと焼き海苔を購入した。しかし下痢はヤバイ、堪えきれないのだ。

・会社をガラガラポンするネタを集めている男から電話が入った。「アナタノ属シテイル部門を潰スカ縮小スルツモリダ。アナタハドノ部門に入リタイカ。」と聞いてきた。夕食の後、彼と話をしてきた。長々と会社の行く末について談じてきた。厄介な会社なのだ。彼はそれに筋道をつけようとしている。可能だろうか、期待したいところだ。

・しかしありがたいことだ。普通なら、勝手に決められて部署を移動させられるものを、私の要望を聞いてから動くことにしてくれた。人社会、笑顔を絶やさず、会話を楽しみ、煙草を交換し合い、つながりを大切にしておくことだ。私は別に意識してそうしたわけではない。これ人徳。

・口うるさき日本の未亡人からメールが入った。私のメールを読んで、老人性鬱病だといってきた。自分でもそんな感じがする。口うるさき日本の未亡人からメールが入った。ボスが私の中国語がまだまだだという伝えに、一番の解決法は、若き男子か、若き女子を友とすることしか方法はないといってきた。自分でもそんな感じがする。適切なアドバイスをくれる優しき未亡人である。

・町を行き来する若き女性、珈琲店の若い子たち、みなヘソ出しのGパンを穿いている。骨格のいい彼女たち、様になっている。中にはオバサンも。オバサンも様になっている。体格の違いか、腰回りが実にしっかりしている。それにしてもみなGパン姿だ。何故だ。

[ 写真: なんのネタもないので、古い写真から引っ張り出してきた。梨風大師からいただいたブリキの猫。 ]

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2007年07月07日

[廈門・394天] 雑記

七夕夜景・日本では今日七夕か。テラスに出て空を仰ぐも星は何も見えない。町全体を贅沢に照らす照明が原因だ。

・河北の友は新しい仕事場に馴染めないでいるようだ。体調がよくないという。先日、何故近頃連絡をくれないのかとSMSが入った。あなたのblogが以前のように活き活きしていないから、故意に連絡を入れなかったのだと答えた。なにやら不満そうな文面が届いた。

・ボスは相変わらず、私の中国語に満足していないようだ。他の人にそう漏らしている。その分しっかりした仕事にありつけないと感じた。これは私にとって辛いことだ。また中国語の会話の授業を始めるか。先生は誰にする。一番大きな問題だ。昔の老師を呼び戻すか、新しく気分一新できる先生を捜すか・・・。

・辣腕総経理が何故去ったのか、まだ誰も知らない。本人が一度私に語ったことがあるものの、私の中文能力では理解できなかった。何か我々の知らないことが彼に身辺で起きていたのかもしれない。なぜなら、最も彼を理解していたボスですら分からないのだから。

・人間引き際が大事だ、日本人の感覚なのか。元ボスの周辺から次々と人が去っていく。見るに堪えられない。ボスは彼から仕事を徐々に切り離している。仕事に取り組まない元ボスを見ての対処だ。言い訳は出来ない。人間引き際が大切だ。

・影のボス直轄の部門がある。会社内部をガラガラポンするネタをつくっている部署だ。このトップがDVDを貸してくれた。今日半日かけて半分見終えた。日本の連ドラ、「ハケンの品格」、台湾版、「派遣員的品格」と、代わり映えしない翻訳だ。。篠原涼子のキャラは、彼女らしくて私は好きだ。

・明日は日本語の先生がわりをする日。会社の行き来と全く関係ない一日。日本語を必死に学ぼうとしているこちらの若者に接するのは楽しい。

[ 写真: 廈門の夜景、ビルの照明、コロンス島の明かり、対岸彰州の工業地帯。何故か豊かさを感じさせる光景。 ]

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2007年07月06日

[廈門・393天] 手助け

チャンツゥイー珈琲店で働く小姑娘二人、仕事探しに必死になっていた。我々幹部がよく訪れるので、何かと会話に入ってきては、きっかけを作ろうとしている。一番人を必要としていたのは、酒店となりでばかでかい工事を担当している老頭子。しかし、彼は若く経験の少ない人間はいらないと常日頃語っていた。せいぜいホテルの幹部に声をかけてあげるぐらいだろう。麗江の若造はほしがっている。しかし彼は危険だ。仕事を超えた人事に関わってしまう可能性がある。

まあ幹部といっても、人事権があるわけでなく、最終的には董事長にお伺いが必要なのだ。事はそう簡単に動かせない。そこで私はホテルに移動したばかりの、交流を最も得意とする元秘書に声をかけてみた。彼女と一度、珈琲店に出向き、面通しをさせた。しばらくして、ホテルの経理から経歴書を持って面接に来てみなさい、と返事をもらったという。

では連絡を入れてみては。彼女、携帯がつながらない、プリペイドカード(ここ中国はプリペイドのみ)が空らしい。きっと金がないのだろう、追加のカードが購入できないでいるのかもしれない。仕方なく、私がもう一人の小姑娘に連絡を入れ、元秘書に電話するようすすめた。

帰宅してすぐ、もう一人の小姑娘から連絡が入る。二人して酒店に行ってきた、元秘書と話をしたところだ、という。二人時間があるので私の家に来て食事を作りますよー。エッ?今晩は元秘書と一緒に珈琲店に出向き、酒店の件を君たちと相談する予定だったのだよ、と告げ、では元秘書共々食事をしよう、とあいなった。

四人、一寸多めの食事を取り、私の家にやってきて、彼女たちの交流が始まった。元秘書と二人の小姑娘、方や珈琲店の内幕を、方や酒店のあれこれをしゃべりまくっている。元秘書、こういうときは活き活きと話をする。特に若き小姑娘に仕事を紹介してきたばかりだ。酒店が駄目なら、もう一つのホテルで面接してきなさい、酒店の彼とは話が付いている、彼は人事担当だ、と姐御気分になっている。気分が良さそうだった。

扶助 ( fu4zhu4 )の精神。ここ中国は人と人、組織をさしおいても人と人の関係が優先される。今の私、組織の中のポジションに関係なく、必要な人間を捜しては一緒に仕事をしている。これも一つの扶助。悪くいえば配下をつくっている。麗江の若造が、体制を語って私の仕事をさせようとする。そうなれば役に立たない組織の論理を振りかざすまでだ。

[ 写真: 記事とは全く関係ない写真。こちらのウェッブ上で探し出した章子怡(チャン・ツ・イ)の映画シーン。着物をモダナイズ、映画を見ていないので何も言えないが、コスチュームがいい。 ]

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2007年07月05日

[廈門・392天] 歩き疲れて・・・

海浜公園一年前のこと、中国東北地方に出張した際、日本のカード会社から電話が入った。あなたのカードが悪用される可能性がある、という。僅かな金額だが、一度使われると、そのあと大金を支払わなければなる、カードを止めていいか。勿論同意、どこの誰がフィッシングしようとしたのか、カード会社ではだいたい見当がついているらしかった。

こちらでクレジットカードを使うことは全くない。まず使う場所がかなり限定されること、つまり不便なのだ。日本にいたとき、私はしばしばインターネットショッピングをしていた。日本で購入できない商品を手に入れるためだ。お店を限定しているせいもあるが、問題は一度も起きていない。

ここ中国ではまだ外国製品を入手しにくい。出来ても関税の関係でかなり高価だ。私はこのところ、ある商品がほしくてたまらない。日本に戻ってまで手に入れたいと思っている。安心してこの地でインターネットショップが使えるだろうか。あれこれ考えてみた。リスクはあるものの、銀行にある金を分散させることで、被害を最小で済ませられるだろうと、昨日銀行に出向き、綱上銀行(インターネットバンク)の手続きをしてきた。

銀行に金さえあれば、つまり現金さえあれば、ショップは銀行カードを一番信用する。銀行のこのサービスを受けることにした。若き妊婦に同伴してもらい、早めに会社をで、まず預金の一部を引き下ろし、この現金を別の銀行に新しい口座を開き、預金する。暗証番号保護のため、この口座は使わないようにする。そして元々の銀行口座を使って綱上銀行(インターネットバンク)を開いた。使えるようになるのは一週間以内だという。一つ楽しみが増えた。

はじめにこの手続きをしたいがどうしたらいいだろうか、若き妊婦に話したところ厄介なことをいう。パソコンを銀行に持ち込み、二度にわたりあれこれ・・・ということだったが、実に簡単、窓口一度で全て片が付いた。彼女もついでに綱上銀行の手続きをしていた。中国もサービスというジャンルに力を入れ始めている。

もう日が落ちかけていた。手伝ってくれたお礼にと、若き妊婦に肯徳基 ( ken3de2ji1 ケンタッキー・フライドチキン ) で鶏腿 ( ji1tui3 ) をご馳走した。彼女と別れ、ひとり海浜公園をゆっくりゆっくり、日没の海岸線を汗を流しながら帰路についた。海浜公園からみる内海の風景は、流した汗を忘れさせてくれた。歩き歩いて家に着くと、そのままベットに横たわり、気がつくと真夜中の三時、十分疲れていたようだ。

[ 写真: 今年初めに開かれたばかりの海浜公園、珈琲店あり、パブあり、スナックあり、スタンドバーありと、夜中はなかなかの賑わいだという。一度訪れてみたくなった。 ]

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2007年07月04日

[廈門・391天] 希比

eagles-1eagles-2こちらに来た当初、私が元ボスからよく言われたのは、「ヒッピーみたいだね」。ヒッピー(希比 xi1bi3"hippie" )なぞ死語かもしれないが、元はといえば、物質文明や既成の秩序に反逆する人間をさしていた。そのうち、愛を語り平和を望み・・・なぞ俗に語られるようになる。

元ボスの意味するところは服装。Gパン、Tシャツ、コンバース。大企業にあってはならない様をさしている。まあ当時はホテルの工事現場が事務所だったので、現場の人間と一緒、格好をどうこうという話は重要ではなかった。

それでも、現場視察に来た影のボスの前に、そんな格好で私は現れた。しばらく一緒して話を聞いていたが、元ボス、私を呼んで「もう下がっていいよ」。工人と間違えるような様で現れるな、ということ。

それから一年、ある時元ボスが私に話しかけた。「君は平和を愛する人間なんだね」。当然である。好んで喧嘩を売るようなマネはしたくない。ボスは意識的に喧嘩を売る類の人間。自分でもいうように、かつてはヤクザまがいだったこともある。のし上がる、仕事を盗る、金を得る、平和主義ではなしえないと思っている。

会議で激論を交わし、自分の意見を頑固に押し通す。人のアイデアを自分のものにする。出来る出来ないはおいといて、自分ならもっといい案を提供できると語る。仕事を盗るにはこの方法しかないと考えている。私は違う。通すべき筋は通す。彼とは水と油なのだ。このところ、彼と会話を交わしたことがない。例えヤクザまがいでも、昔のように、まずやるべきことはやる、口にしたことは実行する、という姿勢が見えないからだ。

仲間うちに話す。元ボスは辞める辞めるといっていっこうに辞める気配がない。我々が去った後でも、きっと彼は辞める辞めるといい続けながら居続けるだろうと。

[ 写真: ヒッピー・ジェネレーション末期に登場したロック・グループ、イーグルスの若き頃と三十年後の彼ら。最近は YouTube で、しばしば「ホテル・カルフォルニア」のライブをみている。MTV全盛期の、好きなビデオクリップが、今ではウェッブでみることができる。孤独な夜を一人過ごすにはうってつけだ。 ]

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2007年07月03日

[廈門・390天] 老頭子密かに策す

夏空最近、とみにあたしと親密さを増している台湾老頭子、こちらに来てまもなく一年を迎える。はじめは何故か孤立していると感じたり、総経理だと威張る風情を見せていた。それも辣腕総経理に取って代わられ、ショボンとするわ、仕事が動かないわで、気持ちが追いつめられていた。彼に原因があるわけでなく、二人のボスの権力争いに巻き込まれたのだ。

今年、確か春節以降だったろうか、彼、居直った。ボスから能なしといわれ、台湾に戻れといわれ、彼は「ハイ」と答えたのだ。ボス、今すぐとはいわん、ということで、肝がすわった老頭子、ボスに左右されることなく、自分の考えで仕事を始めた。以降、おどおどとした素振りがなくなった。駄目なら駄目、できることしかできない。徐々に彼の仕事はボスに評価されるようになった。反面、反目の相手、元ボスは、そんな彼の、ボスに顔を向ける態度に腹を立て、始終罵るという。

能なしが何十人いても仕事にならん、十人で十分だ、老頭子はいい始めた。もともと元ボスが集めた人間、仕事もないのに現場事務所でぶらぶらしている。イヤ、ないわけではない、元ボスが仕事に集中しない、したくない仕事に手を出さない。結局何もすることがないのでぶらぶらしている。

人事権は権力者の手の内にある。かれはこれに挑戦し始めた。ケチなボスは彼に聞く。「何故こんなに大勢の人間がいるのだ、彼らは何をしているのだ」。老頭子はボスの一言を理由に、人員削減に取り組み始めた。

職員は毎年、労働契約を更新する。老頭子、どうやら役立たずの名前をボスに伝えたらしい。手始めに九人の職員、ボスの同意がなく、契約更新できず退職していった。他にも何人かは任意退職している。もし昔の、あたしの秘書がここにいたなら、確実に首になっていただろう。それを察知し、亭主に不倫の疑いをかけられた女性が拾い上げ、ホテルへと移動させたばかりだった。

老頭子、別に改革に取り組んだわけではない。自分の仕事をしやすくするために考え、それを実行しただけだ。結果、元ボスの配下にあった連中が去っていく。この出来事を元ボスはどう感じているのか。大企業にはそれなりの文化がある。この文化を変えるのは至難の業ではない。老頭子のように、居直ってこそ、少しづつだが、変わっていくのかもしれない。この様子を脇で見るあたしは、依然第三者であり続けている。あたしこそ明日がないのかもしれない。

[ 写真: 本当の夏空だ。澄んだ空、白い積乱雲、夏なのだ、廈門は。 ]

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2007年07月02日

[廈門・389天] うるさいのだ!-II

騒音夏のうだる暑さ、へばりつく湿気、それだけで疲れてしまう。一寸詰まった仕事を終えて帰宅、食事を取り終えるとバタッとベットに倒れ込んでしまう。と、突然大音響。重機関銃が爆裂したようなドッドッドッという響が寝室にまで届く。はっと飛び起き、何時かと、携帯を見やると夜中の十時。音源とおぼしき先を探しにテラスに出る。目の前で道路工事が始まったのだ。

どうもこちらでは、公共工事は二十四時間構わないらしい。昼夜明け方お構いなし。機材が揃えば、工人が集まれば仕事を続ける。常識らしい。だからみな何も言わない。お上の仕事に口出しはしない。だから夜中に突然地響きのような音が響き渡る。これ常識らしい。

では、民間工事はどうだ。前に住んでいた高級住宅地。高級マンションをにょきにょきと建設中だ。民間も国に習って追い込みになると二十四時間体制。高層から廃材を下に投げ捨てる。ドーンという音があたりを揺るがす。それも早朝。誰も文句は言わないのか。

これも以前住んでいたマンションの話し。上の階の大家、半年にわたって自宅を改装していた。週末をゆっくり休もうと思っていても、突然ドリルの音が。これがずーっと続いていた。ドリルのバイブレーションに酔しれたのではと思ってしまう。ときにはコンクリート釘を打ち込む音。さすがに夜の十時過ぎには終えていた。私は文句を言わなかった。言おうにもどう表現したらいいのかも分からなかった。

もう一人の老頭子と若き妊婦、彼らは同じマンションに住んでいる。このあたり、国際船の発着が可能な大埠頭を建設していた。それに伴い、周辺は大開発中。となりで超高層マンションを建設中。ある日ある晩、彼女が眠りについた途端、甲高い金属音が鳴り続いたという。いわゆるキーキーという、頭に触る音。亭主は出張中ということで、若きご婦人一人、現場に乗り込むわけに行かず、電話をかけたそうだ。現場の人間曰く、「文句を言ってきたのはあなた一人ですよ」。で、またまたカチンと来て持ち前の強気な発言で黙らせたらしい。

かつての日本、高度成長期の東京はどうだったろうか。今でこそ、工事時間は法で決められ、真夜中にうるさい音はなくなっているはずだ。みな同じ路を通り過ぎていくのだろうか。

[ 写真: 廈門は岩の島である。一寸掘るとばかでかい岩が首を出す。大きな工事現場では、ハッパをかけ、砕いて運び出すが、人通りの多い路の脇なぞでは、重機を使い、時間をかけ、小さく小さくして運び出す。 ]

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2007年07月01日

[廈門・388天] 戻ってきた友

ジャスミン河北のskypeの友が戻ってきた。戻ってきたといっても、彼女のblogが再開されたということ。失業後、新しい職場に移つった彼女の心境が述べられていた。まだ馴染めないのか辛そうで、疲れたと書かれていた。全て昔の辛かったことを忘れて新天地に向かったわけだから、そこでの成功を祈るより他ない。

どうも彼女、愛哭 ( ai4ku1 泣き虫 ) らしい。チャットのなかで、泣顔の絵文字を使うことが多い。新しい職場の総経理との面接の席で、ある話題になって泣いてしまったという。自分でもなぜだか分からないと書いていた。昔からなのかは知らない。

私の中文読解能力は高くない。それでも、彼女のblogを覗くのは楽しみだ。実に感性豊かに自分を表現している。外国人に読む気にさせるだけでもすごい。分からない単語や、文節にぶち当たると辞書を引かせる。中文を勉強させてくれる。わたしにとって、すばらしい中国語の教師である。

感性の豊かさは、一寸したことにも反応して見せてくれることでも分かる。先週、私が日本語教師のまねをしてきたことを話すと怒っていた。何故?と聞き返すと、私だけの日本語の先生でなくなったから、と答えた。うれしいかぎりである。

私が彼女と知り合ったのは、skypeを開いていたとき。あるチャットが入った。そこには、「廈門で孤軍奮闘中、ヒャヒャ!」という一文。わたしのプロフィールの自己紹介を冷やかしていた。面白いアクセスをしてくる人がいるな、というところから始まった。チャットはごく普通の会話から始まったが、内容がとても素直だった。付き合っていけそうに感じた。率直なのは、チャットに反応しないでいると、「返事がない・・・」、絵文字で涙顔を送ってきたり、冗談で「アホ!」と書き込むと、「傷ついた」と返答してくる。

彼女とは一度会って話をしてみたい。屁理屈好きな私も、きっと率直に対応できそうな気がする。

[ 写真: 昨年、嫉妬に駆られた亭主と戸惑った彼女の仲裁に入った後、道端で購入したジャスミン。冬場に向けて枯れるのではないかと心配していたが、今は鮮やかな緑に。二人の関係も新しい芽をふいてもらいたいものだ。 ]

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2007年06月30日

[廈門・387天] internet live

F1liveどんどん日にちが過ぎ去っていく。何故これほど早いのか。私には死期が早まっているとしか感じられない。すでに今日は六月最後の日。そしてF1フランス予選の日。中国はF1上海開催国である。F1サーカスはテレビで見れるだろうと期待していたが、いくらチャンネルを探し歩いても見つけることができないでいる。周りでF1を知っている人間もいない。探しようがない。

実はインターネット上にF1文字実況のウェッブがあるのだ。レース内容が秒刻みで書き込まれていく。勿論中文なので、西洋人の名前も中文、なかなか分かりにくい。それでもライブだ。順位がくるくると変わっていくのが手に取るように分かる。無料であるし、いち早く結果を知りたい、私のような人間には好まれていることだろう。

こちら中国に来て、インターネットがエンターテイメントに使われているのに実に驚かされる。例えば、アップルストアからお金を出してポップスをダウンロードしなくても、あるウェッブで、あるソフトを突っ込めば聞くだけでなく電脳に納めることができる。かなりの映画がダウンロードできる。それも外国ものは中文の字幕までついている。韓国の連続ドラマだって見ることができる。これらがどんな仕組みで可能なのかは問わないことにする。

会社で私の席は一番後ろ。他の人たちが電脳に向かっている様子が一目で分かる。彼ら、仕事の手が空くと、まずチャット。更に時間があると、小説を読むか、ヘッドフォンを耳に音楽か映画鑑賞、実に有益な一日を過ごしている。

若き妊婦は仕事をしたがっている。それでもチャットや小説を読んだりしている。ある時、彼女の元に行くと、涙を流している。どうした?!と聞くと、小説を読んで泣いたらしい。インターネットは感性までも豊かにしてくれる。不思議なメディアである。

[ 写真: F1フランス予選の最終シーン。久しぶりにフェラーリがポールポジションを取った場面。続いてハミルトン、ライコネンと続く。どれが誰の名前か、推測してみるのも暇つぶしにはいい。 ]

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2007年06月29日

[廈門・386天] 道に迷う

老街道に迷う。いろいろな意味で使われている。恋の道、悪の道、人生の道、そして単純に道に迷う。今回のお話しは、単純に道に迷って酩酊した話しであります。

先週末、会食の誘いがあり、電話で店の場所を伝えてきた。湖濱南路と湖濱中路近くの深海魚を食わせる店だ、と。了解、では何時にそこに行きますです。しばらくしてまた電話。路を伝え間違いましたです、正しくは湖濱中路ではなく湖濱東路であるのです。はいはい分かりましたです、と答えた。

時間に遅れず、正確に店に着く、誉れ高き日本人の良き見本とばかりに出かけた。タクシーを拾い行き先を告げる。運ちゃんが聞き返した。東路?中路?。私ここで不安に駆られた。発音が正確でなく、「東」と「中」とを聞き間違えられている。中路であります、運ちゃん、ハイヨ。週末ながら路は空いており、約束の時間はるか前に交差点について下車した。

ん?いくら探しても目当ての店が見当たらない。時間がどんどん過ぎていく。店に着いたらしい友人から電話が入る。一寸まって、店が見当たらない。中路のどこそこだよね、と答えると、アホ東路だ!。はいよはいよ、まもなくつきますですよ。歩き始めたものの、なかなか東路までいきつかない。店では私以外の方々がすでに揃っているらしい。麗江の若造から電話が入る。どこにいるの?わたし、何々ホテルの前。何考えてんの、まだまだ先でありんすよ、歩いては夜が明けてしまうですよ。

廈門市は島にある。小さな島である。地図を見ても、端から端まで簡単にいけそうな気がする。だからといって歩いたこともなければ、車で端まで行ったこともない。先入観が道を間違えさせた。道に迷ったのだ。夜とはいえ、真夏の廈門。歩くほどに汗がしたたる。タクシーをつかまえるほどの距離ではないと、思えば思うほど歩いてしまう。更に汗がわき出る。

結局、店に着いたのは五十分遅れ。みなに詫びを入れる代わりに、駆けつけ三杯、それもビールに白酒を注いで一気飲みした。知らなかったが、ビールと白酒は相性がいい。口当たりがいい。旨い。実際旨かった。一気に酔いが回ってしまった。

あまりにもミックスビールが旨かった。いい気分で食後にみなで珈琲店に。気が大きくなったついでに、ボスを呼び出そうと提案するも、誰もが尻込みする。ではあたしが・・・と携帯を叩いた。ボス、不審そうに聞き返す。「ブリキネコさんか?」、「はい、そうです。ボスの住まいの隣の珈琲店にいます。」、「え?誰とかね?」、「麗江の若造と、誰々と、なにそれと・・・」、一寸間があってから、「かけ直すわ」。

しばーらくして私にではなく、麗江の若造の携帯が鳴った。若造、ボスからと分かると、ホテルの医院の董事長に投げるように渡した。昼間怒鳴られ、ここでまた何を言われるか分からないと思ったのだ。受け取った董事長、女性である。ボスは彼女には優しい。彼女、楽しそうにボスに嘘八百を並べ上げて話している・・・

私はかつて電話魔と言われていたことがある。酔うと電話をしまくる。丹下健三さんのお弟子さんの家で酒を飲んでいた。悪い癖が出た。何人かに電話しまくった後、「丹下さんを呼び出そう!」。お弟子さん、「そそそれだけは辞めとけ!」

[ 写真: マンションからは、旧市街、老街が見渡せる。老街の中は細く曲がりくねった路。ここも道に迷う。 ]

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2007年06月28日

[廈門・385天] 嫉妬(吃醋)

裏窓嫉妬( 吃醋 chi1cu4 )とはかくも激しいものなのか。自制心がない、周りが見えない、一途に嫉妬する。ある種の狂気としか考えられない。端から見ているとただただ驚かされるばかりである。昨年元ボスとの関係を亭主に疑われた彼女に、またまたこの問題が起こってしまった。

昨夜、家について食事の準備をしていると、身辺整理がついたのか、身軽になったらしい元秘書からSMSが入った。「今晩の食事は何ですかぁ?」、「辛白菜麺」、「私も食べたいです」、あたし「早う来い!」。麺は彼女が作ることになった。足りない食材を、近くのスーパーに買いに行くかと玄関口に立ったとき、彼女の電話が鳴った。相手は大声で、泣きながら叫んでいるのが、私にまで聞こえてくる。

この電話の先には、元ボスとの関係を亭主に疑われた女性がいる。元秘書が必死に対応している。どこか外にいる様子。居場所を一生懸命聞き出そうとしている。元秘書、彼女を捜しに出かけることになった。飛び出す前、簡単に話をしてくれた。亭主が女房の携帯のログから、上司の経理の名を探り出した。亭主はこの経理を疑ってかかったらしい。その後、亭主は、毎日のように女房の仕事場、ホテルロビー脇に何時間も車を止めて中を覗いていたという。

今日、亭主が切れたらしい。女房に問いつめたようだ。身に覚えのない彼女、再三の問いつめに家を飛び出した。元秘書には、「・・・あたし死ぬからママによろしく伝えてくれ・・・」と言ったそうだ。元秘書も必死だ。駆け出すように出かけていった。私も心配だ。昨年は私が女房に付きそって家にまで出かけたのだ。今回は元秘書がその役割を担うことになった。

夜遅く、元秘書に連絡を入れるもずーっと話し中。心配は募るばかりだ。しばらくしてSMSが入る。「何もないから安心して。今日は彼女の家に泊まる。詳細は明日」。とりあえず一安心したものの、なかなか寝付くことができなかった。

それにしても亭主の嫉妬心は激しい。それに周りが調整に乗り出しても、亭主は女房に話すのとは違う答えをする。調停のしようもないのだ。昨年と同じだ。女房も辛いだろうと、昨年、あたしが調整に付き添ったとき購入した居間のジャスミンを見やった。青い葉が出そろい、なんとか元気を取り戻していたジャスミン、この後どうなるのだろうか。

[ 写真: 主寝室からの眺め。超高層マンションからはみな内海が見渡せる。 ]

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2007年06月27日

[廈門・384天] 日本語学校に遊ぶ

虹スカイプの友の一人、日本語が達者な廈門にお住まいの方からあるお誘いがあった。週末は何をされていますか?の問いに、暇していますと答えると、私の塾で日本語のコーナーがあるという。彼女の日本語の先生が催しているという。おしゃべりするだけでいいので参加してみませんかとのこと。わたし、時間がとれればゼヒと答えた。

是非と答えたのには一つの思惑があった。例の珈琲店の一人の若い子、彼女、高校卒業後、日本語の専門学校に通ったという。しかしいい加減に授業にでていたので、ちゃんと話せない。使える日本語を勉強したいと。じゃうちに来て料理作ってくれる?会話はみんな日本語で、といったものの、彼女、一度も顔を出したことがなかった。その彼女に連絡を入れてみた。彼女、大喜び。日曜の早朝、一緒に塾に行ってみることにした。

塾はある小区のマンションの一室。といっても広い。教室は三つ。ここの一室にスカイプの友、日本人の経営者、若い先生、それにあたし。生徒は十人を超えていた。日本人が経営する石材の貿易会社に勤める子は、さすが日本語は達者だった。石材の多くは、日本に送られるのだ。ボスは中国語が話せるのか?と聞いてみる。一人はほとんど駄目と、一人は実に達者だと。ボスは共に若く大阪の人間だという。

スカイプの友は韓国系中国人、いわゆる華僑である。十八まで韓国に住んでいた。韓国語は勿論、日本語も全く問題なく話し、字が書ける、それも上手にだ。日本語は、日本語を学ぶにはここしかないという大学でみっちり学んできた。卒業後も日本語を話す機会を探したようで、今では通訳をしているという。

ここで私は先生のかわりをしてきた。若い男女と、あの話しこの話と、教科書にない題目を探してみた。なかに一人十代の女の子、北朝鮮生まれ。彼女は私に質問する。「朝鮮や中国は日本の植民地だったのですか?」。この話は厄介だ。しかし誤魔化すわけにはいかない。私の知っている歴史の知識で答えるより他になかった。

ところで、私と同行した珈琲店の若い女性はというと、なにやら若き男生徒と話が盛り上がっている。それも二人とも日本語での会話である。彼女を連れ出したのは一応成功だったと言えそうだ。

日曜日を日本語学校で遊んできた。それなりに面白い体験であった。

(注:高校、大学に第二外国語があると、それは英語か日本語だそうだ。えっ日本語?と聞き返すと、東北地方には多いらしい。しらなんだ。)

[ 写真: 早朝のテラス。超高層ビルの合間、日の出と共に霧が立ちこめ、虹が浮かんでいるのを目にした。 ]

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