2007年10月13日

観音様と私 9

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彼女がソーシャル・ワーカーをしていたことを私達は全く知りませんでした。

それで、、私は合点がいきました。彼女の住むアパートは、さまざまな家庭の問題を抱えた町の若者達が毎晩、パーティをして騒ぎ、度が過ぎると、けんか沙汰にもなる噂をよく聞いていました。

一人住まいをしている寂しい若者が多く住むアパートとして、町ではよく知られ、このインでハウスキーパーとした働いている人々もそのアパートの住人だったからです。

シャスタ山は、聖なるエネルギーに満ちてはいますが、それだけで、すべてがO.K.と言うわけではありません。その気に触れたら、自分の嫌な所が拡大されて見える、そんな浄化の働きも大きくて、この地で暮らす厳しさも私達は十分知っています。

私は、日本の大学を卒業後、すぐに高校の教師になりました。ずっと以前の話です。高校生が家庭の問題でどれほど悩み、それを解決するすべがなくて荒れ、自分を見失い、自暴自棄になる現状を間の当たりにして、カウンセリングを真剣に学ぶ為にアメリカの大学院に留学しました。それがそもそもこの国に住むきっかけとなりました。

シャンバラの理想郷を求めてはるばるアメリカ大陸を横断してきたその女性は、きっとどこかで、自分の社会的な役割を感じ、ここにとどまる決心をされたのでしょう。

話し終わった後、彼女は立ち上がり、私にそっと差し出してくれました。「これをあなたに」それが、ネイティブ・アメリカンの女性を描いた自作の絵だったのです。(9月23日ブログ上で「観音様と私4」にご紹介した絵です。)

私は、胸が熱くなりました。まるで、観音様のよう、、ここにもまた一人、シャスタ山の呼ぶ声を聞いてやってきた魂の仲間、、再会している喜びが沸きあがってきました。




stoneybrookinn at 00:17│Comments(0) スサナのシャスタ物語 

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