2014年02月22日 16:06
[posted by strange_days_2009]
■ 雪の日に考えたこと
1973年暮れから翌74年にかけて、トイレットペーパーが全国のスーパー、雑貨店の店頭から姿を消し、消費者が右往左往する騒ぎが続いた。背景にはオイルショックによる物価の高騰や物不足があったが、トイレットペーパー自体の需給には問題はなく、些細な誤解を発端とした買占めが品薄とさらなる買占めを呼び、連鎖的に買占め、売り惜しみを招いた一種のパニックであった。
1993年、日本の稲作は記録的な不作となった。秋ごろから米の価格が上がり始め、政府はアメリカ、タイなどから米を緊急輸入したが、品薄状態は解消せず、国産米はスーパーから姿を消した。米屋の店頭には不人気のタイ米が少しばかり並べられているだけ。コメの売出日にはスーパーに長い列ができるなど、買占め、売り惜しみは翌94年の夏ごろまで続いた。
2011年の東日本大震災の時にはさまざま物資の生産拠点が被災した上、物流が致命的に滞り、地震とは関係のない地域でも意外な物資が入手できない事態が起こった。原油の精製、輸送がダメージを受け、被災地で深刻なガソリン不足が起こった他、例えば僕の住んでいる東京でもなぜかスーパーから納豆やヨーグルトが消えた。これは記憶に新しい。
大雪で東日本の交通網があちこち寸断された週末から週明け、うちの近所のスーパーにはパンの入荷がなかった。ふだんスーパーに行けば欲しいものが手に入るのは当たり前のように思っているが、こういうことがあるとそれは誰かが絶え間なく生産し、誰かが絶え間なく運んでいるからこそ成り立っている危うい綱渡りにすぎないのだということがよく分かる。
それがどこか一カ所でも破綻すればたちまち思いもよらないところに大きな影響が出るのが現代の高度産業化社会。そしてひとたび均衡が崩れると不安が不安を呼んでパニックが連鎖する。快適な生活なんていつでも簡単に崩れてしまうのだということを僕たちたまにしっかり思い出した方がいい。雪の日に考えたこと。
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米不足の年、兼業零細農家である実家に数件の電話があり、そのどれもが「遠い(というより長期間音沙汰のない)親せき」であり、「お米を分けてほしい」であり、しかも「ただで」であったことは父から後で聴きました。古風ですが人の良い父(個人ですが)は送料まで負担して送ってさらに「急に親せきが増えたなあ」と皮肉気味に笑っていました。当然のごとくお礼の贈り物が届く訳も無く、翌年からはまた親せきではなくなったようです(苦笑)。
もちろん極端な例であることは分っていますが、似たことであれば全国のあちこちで起こっていたと思います。
私がこういう事態になった時に思うことは結構多くの日本人が「何かに頼り過ぎである」ということと「ことが起こった後誰かに責任を転嫁しなくてはいられない人たち」が存外多いのだということです。
ちなみに弁当屋さんやファミレスで「当店は国産米を使用しています」と過剰に表示されるようになったのはあの事件以来だなあと思いだしました。国産=安心かどうかは又別問題でしょうがこれで安心する消費者もやはり多いんでしょうかね。
Posted by ほりまさ at 2014年02月24日 20:48
あの時タイに泣きついて、ムリをして送ってもらったコメが全然売れず、最終的に廃棄処分したという話もありました。
人は窮したときに本当の顔が見えるのかもしれません…。
Posted by Silverboy at 2014年02月25日 22:51