2008年03月13日

さらば神戸

とうとう、本当に神戸から離れる日が近づいてきた。

今日は、NTTの人がネット用のレンタル機器を回収しに来るので、僕たちのインターネット環境は、シャットダウンされることになる。

沖縄でも、光回線を使いたいと思って、2月の上旬に電話したのに、3月になって、「忘れてました。ごめんなさい」という電話があった。今から申請しても工事がかなり先になるらしく、3月中はネット環境を構築することが難しい状況にある。

他のことは、だいたいスムーズに行っているので、一つくらいはこういうこともあるんだろう。

ところで、4月になれば、自分のことを学生主夫などと名乗っている場合ではないので、このブログは一旦終了することになる。

夫婦の楽しさを綴ると言っておきながら、あんまり綴れていなかったかもしれない。3年間夫婦というものを経験してみて感じたことは、夫婦を一般化してしまうことはできないということだった。

例えば、僕は奥さんのおならが好きで、奥さんが面白いおならをするたびにお腹を抱えて笑っている。本当に3年間飽きることなく笑っている。

「ご飯できたよー」

「ぷっ」

みたいな、すごいタイミングでおならを出す奥さんと一緒にいるのは、とても楽しい。奥さんは三段跳びみたいなおならを出すこともできる。

でも、これは僕たち以外の人にとっては、どうでもいい話だろうし、僕たちもあえてこういうことを自慢しようとは思わない。共感してくれる人がいれば嬉しくないことはないけど、気持ち悪いという人がいても全然かまわない。

これは、僕たち夫婦のとても個人的な楽しみだからだ。そして、あらゆる夫婦は二人だけの楽しみを持っているんだと思う。たとえそれが、僕の目から見て気持ち悪いものであっても、その夫婦がその楽しみによって幸せな時間を過ごすことができるならば、それは肯定されるべきものだと思う。

ここで、間違ってはいけないことは、僕はそのことを好きになる必要がないということだ。そのことは肯定されるべきだろうけれど、僕は相変わらずそのことを気持ち悪いと思っていいはずだと思う。

みんなが同じように、好きだとか嫌いだとか、良いとか悪いとか、価値判断を共有しようとするから世の中おかしくなっているんだと思う。


おっと、話がずれてきた。


夫婦は閉じられているからこそ、二人だけの楽しみを共有することができるけれど、閉じられていることで危険なこともある。

僕たちも、周りの人たちが想像できないようなケンカをしたりする。家庭内暴力とかそういうものは、決して他人事ではないと痛切に感じる。妻が夫を殺したという事件が起こっても、「そういうこともあるよなぁ」と思う。
一人の人間が、病気にかかるように、夫婦という閉じられた共同体が病を抱えることもある。僕たちもきっと何か、病というか爆弾というか、不安定な要素を抱えているように思う。でも、きっとそれ自体が悪ではない。その病を二人で背負って、二人でその病とうまくつきあおうとすることで、僕たち夫婦の絆はもっと深くなっていくんじゃないだろうか。

夫婦として3年間、神戸で暮らして、いろんなことを教えてもらったような気がする。海と山に守られて、なんとか乗り切った3年間だった。

沖縄に行って環境が変わるけれど、二人でゆっくり、時にぶつかり合いながらでも、前に進んでいけたらいいと思う。

沖縄で家族が増えることもあるかもしれない。そうなれば、また楽しいだろうなとも思う。

このブログを読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。
このブログは、ここで終わりたいと思いますが、また何か始めたらここでお知らせしたいと思います。

では!


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2008年03月09日

引越し準備もちゃくちゃくと。

とうとう、荷物を持っていかれるのが明日になった。

10日に荷物を引き渡して、僕たちが神戸を離れるのが14日。冷蔵庫がないし、洗濯機もない。電話もないし、このパソコンもない。文明の利器に浸かりきった僕たちには、厳しい4日間が待っている。

家には、ダンボールが山のように積まれ、逆に本棚から本が消えた。洋服もほとんどない。こんな状況だけど、イマイチ沖縄に行くという実感は湧かない。現実味がない。たぶん、周りの人たちのほうがもっと実感してくれている気がする。

昨夜は、三宮にあるレストラン『レ・グラース』に行く。神戸に来ていろんな人たちとの出会いがあったけれど、その中でも最も不思議な出会いの一つは、このレストランのシェフとの出会いだろう。

とある飲み屋さんで出会ったシェフは、いろいろあって、僕たちの結婚保証人の一人になってくれている。ちなみにもう一人の結婚保証人は『とある飲み屋さん』のマスターだ。

予算だけ伝えて、いざレストランへ。うちでは作りたくても作れない、たとえ作れたとしても作ることを断念するような手の込んだ料理の数々。ただでさえおいしい料理だけれど、作っている人のことを知っていると、料理はもっとおいしくなる。
関西にいる人は、ぜひ行ってみてください。イケメンシェフがあなたを待ってます。


今回の引越しではとにかくいろんなものを捨てたり、売ったり、あげたりしている。ベッドも、オーディオも、冷蔵庫も、食器棚も、ソファも、食器も、金魚も。今住んでいるところに引越したときに、互いに持ち寄ったものを手放している。
足りなくなるものが出たら、二人で相談して買う。今の家は、それぞれの独身時代を継ぎ合わせたようなところが多くて、統一感に欠けていた。最初は、そういうのも楽しくて、それぞれの考えや趣味を理解して、お互いを見つめ合うにはとてもよかったと思う。
でも、段々、そういう時期を抜け出すときが来ているようにも感じている。家族としてこれから先のことを二人で見つめる時期が来ている。二人で同じ方向を見なくちゃならない。
就職で沖縄に引越すというのは、そういう意味でもとてもいいことだ。思い切って、いろんなものを手放すことができる。手放して、二人のこれからをもっと充実させることができる。

引越し先は、夫婦としての僕たちの本当の新居になる。
楽しみだ。



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2008年03月07日

コンピューターおばあちゃんにあやかりたい

『コンピューターおばあちゃん』という歌が今でも時折、頭の中で流れ出すことがある。なんでも知ってるおばあちゃんを、万能なコンピューターに見立てて褒め称えるという素敵な歌だ。「僕のおばあちゃんはコンピューター並にすごいんだぜ!」という孫の心情を素直に歌い上げている。

この歌は1981年に作曲されたというから、僕が生まれる前にはできていたことになる。この曲には、コンピューターという夢の機械への好意的な感情が、溢れる期待が感じられる。

まさか、「おばあちゃんの知恵袋」でさえ、インターネット検索できるようになるなんて、その当時は思わなかったんじゃないだろうか。皮肉な話である。

僕は毎日、パソコンに触っているし、メールをしたり、ニュースを検索したり、こうやってブログを書いたりしているけれど、実際のところ、この『箱』の中で何が行われているのか、考えたことがなかった。

いや、考えたことがなかったのではなくて、考えたくなかったのかもしれない。僕が本格的にパソコンなるものに関わり始めたのは、大学生になってからだった。今から7年くらい前になる。その頃には、パソコンの主要なアプリケーションはちょっとした使い方さえ覚えれば誰にでも使えるようになっていたし、プログラミング言語とか、javaとかhtmlとか、属性とかクラスとか、そういうものを知らなくても、十分サービスを享受することができるようになっていた。
『箱』の中身を知らなくても、そこに何かを入れたり、出したりすることができる。実際にはルールを知らなくても、そこにある法則性を見つけて知っているように振舞うことはできる。

正直に言って、『箱』の中身を理解することはとても面倒なことに思えた。通り過ぎてもいいんじゃないかと思ってた。でも、このままでいいのだろうかと考えるようになった。就職が決まってから、その思いは強くなった。なんとなく避けては通れないような気がしただけなんだけど。

大きな企業や公的機関に就職が決まった友人たちは、入社前研修のような形で、宿題のようなものをやっていた。でも、僕にはなんの宿題もない。たぶん適当に自分で探せということなんだと思う。だから僕は、パソコンとかインターネットの仕組みを勉強しようと思った。自分に与えた課題は、ブログにLightboxを実装すること。こういう機能を自分のブログなんかにくっつけることを実装するって言うらしいです。

知っている人たちからすると、「なんだよ、それくらい」と思われるようなことだと思うけど、僕は知らなかったんだからしょうがない。解説のページを見ても、ある程度の知識を持った人たちが対象なので、最初は良く分からなかった。よく見かけるJSがJavaScriptの略だということにもしばらく気がつかなかった。でも誰だって、最初は知らないところから始まるんだから、そんなことは気にしない。

そうやって、いろんな解説ページを見たり、JavaScriptやCSSのことを勉強するうちに、新しい知識が身についてくる。最初に見た解説のページが、分かるようになる。そうやってたどり着いた答えは、ライブドアブログ(無料版)では、Lightboxは実装できないという単純なものだった。なるほどねー、できないと思った。でも、なんでできないのか分かっただけでも、大した収穫だと思う。「cssやjsといった拡張子のファイルをアップロードできない」からなんだということに気づいたときは、なんだか嬉しかった。gifファイルもアップロードしたら勝手に名前が変更されてるし。

でも、せっかくちょっと理解したんだから、使いたい。そこで、昔作って放っておいたもう一つのブログ(FC2ブログ)に、実装させてみることにした。やってみれば、驚くほどあっさり出来た。ルールを一つ理解した瞬間だった。

ハワイイどたばた新婚旅行』がそれです。二週間分の記録を書くはずが、途中で飽きてストップしている。最悪だ。
そこにテスト写真をアップしてみた。もし良かったら見てください。ハワイイと神戸の空が写ってます。


コンピューターおばあちゃんの話に戻る。おばあちゃんがすごいのは、うまくコンピューターを操れるからじゃない。コンピューターに匹敵する能力を自分の中に持っているからだと思う。
僕はどうだろうか。パソコンやネットに頼り切っていないだろうか。あらゆる知識も思考方法もレシピでさえも、依存してないだろうか。パソコンの勉強は一つのステップだ。自分の中の引き出しを増やしておかなくてはいけない。パソコンなしでもどうにかやれるというレベルになれば、今よりももっといい関係がパソコンと僕の間に生まれるような気がする。
おばあちゃんにあやかりたい。


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2008年03月04日

子どもの質問

僕たち夫婦は、三宮に出かけるときにはバスを使う。バス停がマンションの目の前にあるし、大体座れるし、電車よりのんびりしているところがいい。
3日ほど前、奥さんといつものようにバスで三宮に向かっていると、後ろに座った親子の会話が聞こえてきた。

小さな男の子が母親に質問する。
「なんで高速道路はお金がいるの?」

おお、その歳にしてそのようなところに目が行くとは、政治的な少年と見た(聞いた?)

母親が答える。
「道路をつくるためにたくさんのお金を使ったから、そのお金をみんなから集めているのよ」

模範解答である。しかし、その後の少年の質問が母親を黙らせた。

「じゃあ、お金が集まったら高速道路はタダになるの?」


現在、道路の問題と言えばガソリンにかけられた暫定税率だが、ちょっと前までは道路公団の民営化だった。猪瀬直樹がやたらとメディアに顔を出しては、道路公団の借金について語っていた。

民営化したことで、高速道路が無料になる日が近づいたのだろうか。話はそんなに単純じゃない。そもそも猪瀬が主張していたのは、「道路公団の借金がなかなか減らないじゃないか、民営化すれば借金はもっと早くなくなるぞ」ということだったように思う。その先に高速道路無料化があるとかないとか、そういうことはほとんど考慮していないように感じた。

また、普通に考えて、民営化するということはネクスコは、一般企業として収益を上げねばならず、株式会社なので配当まで出さなくてはいけない。「借金を返済したので解散します」とはいかないのである。ちょっと調べてみるといい資料が見つかった。民営化される直前の平成17年度の日本道路公団の決算書(記者発表資料)である。ここには面白いことが書かれている。

特徴












株式会社と違って、利益配当も納税もないので、利用者が払ったお金をしっかり借金返済に充てることができると書いてある。また、道路はもともと借金で造られてるんだから、借金が多いのは当たり前やとも書いてある(ように読める)。

あれ、もしかして(民営化に比較して)公団のままが(一般市民にとっては)よかったんではないかという気がしてくる。でも、公団のままだったらずーっと、借金が減らないようなことをみんな言っていたような気もする。そのあたりはどうなんだろうか。
これも資料を見てみよう。

収益費用

















収支率










えーっと、この資料から読み取れることは、道路公団が黒字経営をしていたということだ。(14)なんかは非常に分かりやすくて、100円稼ぐために使ったお金は、高速道路で39円、有料道路で57円となっている。ちゃんと借金も返している。

あれ、じゃあこのままちゃんとやっていれば、道路公団のままでよかったんじゃないだろうか。解散もできるだろうし。

結局のところ、僕たちは猪瀬直樹にいっぱいくわされたのかもしれない。道路公団に巣食うお金まみれの役人は確かに問題だった。彼らは道路公団の黒字経営の上にあぐらをかいて私利私欲にまみれていた。そこにつけこんだのが猪瀬直樹だった。「これは優良企業になる!」と思ったのかもしれない。国民の高速道路だったはずが、いつの間にか私企業の道路へと変わってしまっていた。悲しい話である。

「高速道路はタダになるの?」と質問した少年が、老人になるころになっても、高速道路がタダになることはないだろう。民間企業らしい「サービス」として、ETCによる割引やサービスエリアの拡充、高速道路ラジオの多チャンネル化とかいろいろやるだろうけれど、企業としての最も大きな収入源である通行料を無しにしちゃうようなことはしない。株主もそれを認めないだろう。
株主に外資が入ってきたら、値上げもあり得る。猪瀬直樹は、もしかしたらもうネクスコの株をたくさん持っているかもしれない。

共産党のしんぶん赤旗には、興味深い記事が出ていた。
猪瀬副知事が呼ばれてもいない会議に出席するために、税金を3300万円も使っているらしい。彼は権力欲が強いのかもしれない。こんな副知事をもって東京都民の人たちは大変だ。石原慎太郎が勝手に呼んできてるし。お金がかかって仕方がない。


あんまりお金、お金って言いたくないけど、沖縄に行くとなると車が要るし、有料道路も通るだろうし、ちょっと気になる。役人さんや、猪瀬のような国民側にいるようでいない人達がお金を欲しがるのは構わないし、贅沢したいなら好きにすればいいと思うけど、こういう人たちがいるとちょっと困りますね。

あの少年が、疑問を抱えたまま大人になってくれるといいなと思う。それがこの国の希望になる。


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2008年03月03日

パントマイムのたつじん

神戸を離れるにあたって、いろんな人たちに会う。お世話になった人や友人たちと別れの儀式をする。

先日は、奥さんの友人のお宅へ招待された。そのお友達には二人のお子さんがいらっしゃって、二人とも大のポケモン好きである。お兄ちゃんはカードを1500枚くらい持っているらしい。これは、最近の子どもたちには当たり前のことなのかな。妹さんも、お兄ちゃんと共にポケモンカードから好きなカードを見つけて遊んでいる。

二人とも初対面の僕に、おじけず話しかけてきてくれる。僕は久しぶりの子どもということで、一人だけテンションがおかしい。仕事で子どもたちと接する機会の多い奥さんは、さすがに慣れた感じだった。

今度の4月から小学校に通うという妹さんが、「このポケモンかわいいよ」と教えてくれる。そう言う妹さんのかわいらしさについつい目が細くなる。

楽しく談笑しながら夕食をいただく。げに美味なり。大勢で囲む食卓は楽しいもんです。家族が多いとご飯がおいしくておいしくて、豆ご飯を3杯もおかわりしてしまう。

談笑中、二人のお子さんが百人一首を丸暗記していることが話題になる。ほー、そりゃすげぇ。二人とも良い顔相をしているし(いや、よく分かんないですけど、いい顔をしてるなと思いました)、将来有望な子どもたちであると感じた。

そして、なんかの話のついでで、僕がパントマイムを習っていたよという話になる。流れからして、「壁」をやることになる。やらないわけにもいかない。別に減るもんでもないし、もったいぶるほどの技術を持っているわけでもないので、やらせていただく。

お兄ちゃんはそれを一瞥して「おーすげぇ」と言ったまま、ポケモンカードの山と格闘し始めた。むむむ、あんまり楽しくなかったのかなと心配していると、お兄ちゃんの「あった!」の声。彼は何かを探していたのである。

出てきたのは、とあるポケモンカード。その名は『バリヤード』
バリヤード

なんと『くうきのかべ』なる技を持つ、ポケモンマイマーだ。


説明には『パントマイムのたつじん』とある。











説明文「みぶりてぶりで つくったかべは やがて ほんものに なるのだ。」とも書いてある。

「パントマイムはかべだけじゃないのに…」と思ったけど、実際に僕もかべとかやっちゃったし、文句は言えない。こういうのを契機にしてパントマイムに興味を持ってもらえると嬉しいなと思う。


なるほど、お兄ちゃんは、楽しくなかったわけではなくて、このカードを探してくれていたんだね。おお、なんと良き子どもたちであることよ。お兄ちゃんはこのカードを二枚もっているらしく、一枚いただくことにする。大切にします。

次に会えるのは、いつになるだろうか。僕を覚えていてくれるだろうか。
まぁそれはともかく、あの子たちの未来が明るいものであるように祈りたいと思う。
政治家や官僚の方々、その他権力に群がる魑魅魍魎たちが、国民のお金を奪ったとしても、あの子達の未来までは奪いませんように。


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2008年02月25日

困難な状況におけるコミュニケーションの可能性

僕が通っていた大学院には、YLP(Young Leaders Program)コースというのがあって、アジア各国のエリート行政官10数人が1年間、大学院に留学している。授業は全部英語で行われるので、この人達は日本語が全然できなくても大丈夫ということになっている。

でも、授業だけじゃなくて1年間住むとなると、どうしても日本語の知識が必要になるし、いろいろと不便だ。だから、YLPの生徒さんにはチューターという学生がついて、銀行や役所の手続きなんかをお手伝いすることになっている。

僕は、マレーシアの政府機関で働いている人のチューターをやっていた。この人について、区役所や銀行や郵便局に行って、手続きを手伝うわけだけれども、外国の人が日本で住むのはとても大変だということが分かった。
外国人登録や外国人のための健康保険加入は、日本語が分からないと手続きがとても難しい。銀行から、マレーシアの銀行にお金を送金するのも一苦労だった。

でも、そのような過程を通して、僕とマレーシアから来た学生さんのアブさんとの関係は良好なものになっていったことも事実だ。もしも、チューターなんか必要のないくらい、あらゆるサービスがアブさん一人で、(例えば専用の端末みたいなもので)楽々使えたとしたら、快適だっただろうけれど、僕とアブさんの仲は形式的なものでしかなかっただろうと思う。時間と手間がかかったとしても、苦難を二人で乗り越えたという連帯感は生まれることが無かったんだろう。

今日は、そんなアブさんに誘われて、パキスタン料理のお店に二人で行ってランチをご馳走になった。イギリスに半年いたおかげで、なんちゃって英会話もできるようになったし、アブさんのお手伝いでなんちゃって通訳みたいなこともしたから、英語を使う能力もちょっとアップしたかもしれない。
これは、日本の様々な機関が、適切な外国語サービスを提供していないが故の、幸運である。なんとなくこれはこれでいいような気もする。
なんらかの結果に至るまでの過程の中に、人と人との関係を豊かにしていく契機が埋め込まれている。世の中でよく言われるコミュニケーション能力というのは、「コミュニケーション能力向上」という結果だけを求めていたら、決して身につくことはないんじゃないだろうか。よく分からんですけど。


帰りに本屋による。今年の確定申告についての本を探すためだ。今年から、収支内訳書なるものも提出しなくちゃいけないらしくて、そこら辺を書いてある本を探していた。結局本はなかったので、ぶらぶら立ち読み。
大きく平積みしてある本に『効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法』なるものがあった。「僕もサラリーマンになる故、効率とかそういうものも意識せねばならないのではないか…」という思いから手に取る。いきなり「情報をもってない人から、情報を持っている人へお金が動くんだ!」みたいなことが書いてある。いかに有意義な情報を集め、その情報をもとにビジネスを無駄なく行うのかというような話らしい。
おお、なんというリアリズム。きっと確かにそうなんだろう。著者はビジネスの荒波を乗り越えてきた猛者なので、彼女の言うことはきっと正しいのだろうと思う。お金を稼ぐとか、ビジネスを成功させるとか、そういう側面からして彼女は間違いなく正しいことを言っているんだろうと思う。

でも、彼女の言っていることは、世の中には勝てる人と勝てない人がいて、今の時代は情報を持っている人が勝ちだから、この本を読んで勝てる人間になりましょうよということだろう。格差があって、勝ち組と負け組があるんだから勝ち組になりましょうよと。
彼女は、勝負に勝っているけれど、情報化という現実にはひれ伏し、負けているんじゃないかと思う。まぁ、みんな現実を変えようなんて思っていないと思うけど。
世の中に彼女のような考え方を持った人がいることはいいと思うけど、世の中の半分くらいの人が彼女のような考え方になった国はさぞかし住みにくい国になっているだろうとも思う。
この本は、格差を拡大させることはしても、格差を縮小させることはしないだろう。
そんな社会に僕は住みたくない。自分が負け組になりそうだからとかじゃなくて、なんだか冷たい社会になってそうだからだ。

でも効率も大事だからちょっと読んでみようかな、どうしようかな。効率の良さと効率の悪さ、両方のいいところと悪いところをきちんと知っておきたいと思うけど、彼女のような考え方と自分の人生をどう折り合いをつけていくのかって結構難しい。

人生を豊かに生きるためには、まだまだ修行が足りませんなぁ。




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2008年02月23日

別れの気配

大学入学を機に神戸に来てから、もう7年が経とうとしている。
思ったよりも長く住むことになったし、思いがけず結婚までしてしまった。

大学受験の時、九大に行きたくないという理由だけで、神戸大学を選んだけれど、あのときの選択は間違っていなかったと思う。高校の教室の後ろに貼られていた大学の偏差値ランキングで、九州大学の隣に神戸大学があったから、僕は神戸に来た。

もちろん、九州大学に行ったとしても素敵な出会いがあり、尊敬できる友人を得て、楽しく暮らしていたと思う。そして、「九州大学に来てよかった」と言っていたんだろうとも思う。その自信はある。人生には数多くの分かれ道があり、選択肢があるけれど、その選択肢自体に正解も不正解もなくて、何かを選択した後の自分の行動が事後的に、自分の選択の良し悪しを決定するんじゃないだろうか。
たとえ、九州大学や他の大学に進学していたとしても、僕はその土地で自分の選択がベストだったと思えるように行動するだろう。とすると、人生が一回限りのものであることを考えれば、他の選択肢との比較考量は不可能であり、どのような選択も自分にとってベストの選択ということになる。

どんな選択肢を選んでも、それが主観的にベストの選択であるのならば「あのときの選択は間違っていなかった」と言うこと自体がナンセンスかもしれない。でも、僕はあえて「神戸を選んで正解だった」と言いたいと思う。

なぜなら神戸に来なければ会えなかった人達がいるからだ。
神戸以外の土地でいくら楽しく暮らせたとしても、ここで出会った人達とは会えない。これはとても当たり前のことだけれど、でも、それはやっぱりすごいことなんじゃないかと思う。
大学の寮で出会った友人や先輩や後輩、パントマイムのいいむろさんと、いいむろさんのところで出会った面白い人達、そして大学院の友人たち、その他僕と神戸で知り合いになってくれて、なおかつ親しくしてくれた人達。もちろん僕の奥さんも含めて、みんなみんな神戸に来なければ出会うことがなかった。
一度出会ってしまえば、この人達と出会わない人生なんて考えられない。みんな僕の人生にとって必要不可欠な人ばかりだ。

僕は、別に自分の友人や知人を自慢したいわけじゃない。彼らは、万人にとって特別な存在というわけではないからだ。彼らと僕の個人的な関係が、もっぱら僕にとって特別な意味を持っているということが、僕という個人にとって非常に重要であるという、とっても個人的な話をしているだけです。

僕は、今の自分が結構好きだ(前からだけど)。でも、そう思えるのは自分の好きな人たちに囲まれているからだと思う。大学院の友人もいい人ばっかりで、すごく楽しかった。大学院に入ってよかったとつくづく思う。


昨日、修士論文の口頭試問が終わり、僕の大学院での研究は全て終了した。やっと終わったという思いが強いけど、「終わっちゃったなー」と少し寂しく感じる。神戸を離れる時がいよいよ近づいて来たからだ。僕も25年間生きてきて、別れと出会いをいくつか経験してきた。
親しい人たちと別れるときはとっても寂しいけれど、新たな出会いがあり、新しい人達と新しい関係を結んでいくことで、別れの寂しさが少しずつ消えていき、親しかった人達のことを思い出す時間が段々短くなっていく。新しかったはずの人たちとの関係が日常になり、その生活が「いつもの」日々になっていく。

こういう経験則は、ちょっと安心だし、ちょっと切ない。
とても親しい人達のことを少しずつ考えなくなっていくんだろうなぁと予測してしまう自分にハッとする。自分の中に別れの気配が忍び寄っている。

そして引越しの日には、別れの気配は新生活への期待に呑まれてしまうだろう。
もう少しだけしんみりとした気持ちを味わっていたいと思う。

でも、もちろん、これで一生のお別れでないことも知っている。なんといっても、現代は情報化社会だし、連絡を取り合う方法はいくらでもある。次に会うのは何年後か分からないけれど、そのときに胸を張っていられるように、沖縄で頑張りたい。

いい人たちとたくさん知り合うことができて、僕はとても幸せです!


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2008年02月08日

いきなり優良ドライバー

先日、免許を取りに行った。
教習所を卒業したものの、試験を受けるモチベーションが低く、また論文以外のことに時間をとられるのが嫌で、全然行かなかった。
でも、行かないわけにもいかないので、一昨日受けてきました。

試験会場には300人くらいの受験者。なぜか友人と連れ立って受けに来ていたり、何を考えたのかカップルで受けに来ている人たちもいる。いや、まぁ仲が良いのは素敵なことだけれども、当日に合格発表があるような試験は、一人で受けた方がいいんじゃないだろうか。
などと考えていると、僕の前に座っていたカップルは、男の子が合格し、女の子が不合格になっている。あぁ、だから言ったのに!(言ってないけど)。
先に帰るとか、待ってるとか、ややこしいことになっている。幸運にも全員合格のグループもあれば、散り散りになるグループもあるようだ。
気丈に振舞う友人を、ちょっと哀れみながら(そして自分の合格の喜びを押し殺しながら)何も言えずにいる男の子の姿もある。

そんな悲喜こもごもの風景を眺めつつ、自分の合格を確認する。
次は合格者講習というものがある。メインは新しく出来た中型免許の概要説明。担当のおじさんが、今日免許をもらう僕たちと、以前から免許を持っていたはずの僕たちの両親世代とのジェネレーションギャップという形で、免許システムの変更を説明している。
おじさんは、きっと毎日同じ説明をしているのだろう。同じような話で同じような笑いどころをもってきて、同じように強調して、同じように話をはしょって、同じように怖い顔をして、同じように笑ってみせるのだ。
そんなルーティンのけだるさが、そのおじさんから滲み出ているので、聞いている僕たちもけだるくなってくる。合格者講習全体を重たい空気が包みこむ。

そんな講習が終わると、写真撮影だ。みんな顔に気合を入れ直している。鏡をのぞくのは、もう女の子の専売特許ではないらしい。マルイの通販雑誌から飛び出してきたような服を着ている男の子たちも、鏡で前髪の流れ具合、襟足のなびき具合を確かめている。そうやって見ていると、彼らには共通したドレスコードが存在しているようだ。制服を脱いだ後も、同じ系統の服をまとうことで、仲間意識や帰属意識を再確認しているのだろうか。

僕は丸襟のセーターを着ていた。しかも、靴下の色がズボンと全然あってない!彼らには僕が異質の者に見えているのかもしれない。そんなことを考えていると、写真の順番が回ってくる。そのときは、人の多さと、若者独特の熱気にやられて僕はひどく疲れていた。出てきた免許を見たら、少し笑おうとして笑えていないニヒルな顔の僕が写っている。やっちゃったねこりゃ。

そしてよく見ると、いきなりゴールド免許である。「優良」という印字もある。まだ車を一人で運転したことも無いのに!どうやら原付で5年間無事故・無違反だかららしい。免許の更新期間が延びたので、それはよかったのかもしれない。
でも、ちょっとプレッシャーでもある。沖縄に行ったら、練習しなくちゃいけない。優良ドライバーですからね。


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2008年02月04日

論文・沖縄・ANAびいき

1月31日の朝一番で、修士論文を提出する。
論文の題目は『リサイクルについての一考察‐「リサイクル資源」の国際移動を出発点に‐』となった。
書き足りないこともあるけど、書きたいことを概ね書けたように思う。よかった。

論文を提出して、すぐに神戸空港へ。那覇へ飛ぶ。
沖縄はずーっと曇り、そしてすごい雨。一緒の飛行機にオリックスの選手ご一行が乗っていたけれど、あの人たちはキャンプ地でちゃんと練習できているのだろうか。室内練習ばっかりじゃ楽しくないと思う。

僕と奥さんは、ウィークリーマンションに着くとすぐに、不動産屋さんへ。引越し先を決めなくちゃいけない。僕が勤める会社のある国際通り近くの安里というところのアパートを見せてもらった。2LDKになるはずだったけど、キッチンが狭くなるという理由で、一つ壁をなくし、1LDKになったというもの。
面白すぎる造りだったけど、自分が住むには不便そう。友達の家なら楽しいはず。
というか、造りながら設計図を書き換えるという、あまりにフレキシブルなやり方は、ここでしか通じないのではないかと思った。

いろいろ見て、最終的に南風原(はえばる)町というところに、家を借りること。地名がかわいい。引越し先が決まって一安心。宿泊先に帰る。
論文執筆の終盤は、睡眠時間を3時間くらいにしていたので、すぐに眠る。気持ちいい。

翌日は、奥さんと僕は別行動。奥さんは、沖縄での仕事関係であいさつ回り。僕は空港へ両親を迎えに行く。そう、両親も沖縄へ。
両親のお店の経営に関しての議論に参加して、勝手なことを言う。会社を経営するって大変だとつくづく痛感。僕は会社員になったら何ができるだろうか、会社のために。
午後に、ちょっとだけ両親を連れて会社訪問。毎月1日は、全体ミーティングが行われているらしくみんな忙しそう。ちょっと待たされる。それでも、社長さんやら社員のみなさんが、「待たせてごめんね」と声をかけてくれる。
そんな会社の雰囲気に、両親も嬉しそう。連れてきてよかった。
ミーティング終了後、誕生日とか、入社何年目とか、いろんなお祝いが始まる。楽しそう。案の定、僕と両親も前に出され、ちょっとスピーチ。
僕と母は、無難に終えたが、父が会社の素敵な雰囲気に呑まれたのか、少し涙ぐむ一幕も。

一旦両親とは別れて、僕は奥さんと合流。そして奥さんと共に、両親と両親の知人が待つ、お洒落な沖縄そば屋さん「ほりかわ」でみんな集合。
この知人の方は、何度か電話でしゃべったことがあるだけで、初対面だけど、最初から下の名前を呼び捨て。いきなり相手の懐に引き寄せられるような感じがする。「もう親戚みたいなもんだから」ということらしい。おー、this is ゆいまーる(かな?)。
この日も帰宅早々に就寝。

翌日は、奥さんがお世話になるNPOへ挨拶へ出かける。僕も着いて行く。
なんだかすごい話になる。これはまた別の機会に。

それからいろいろとありつつ、暗くなってから車で帰宅しようとしたら、すごい雨の洗礼を受ける。那覇市内はなぜか道路の車線とか横断歩道が薄くなっていてすごく見えづらい。運転していた奥さんいわく「ぶつけることは覚悟した」とのこと。「なんとか命だけでも助かれば」と本気で考えていたらしい。
しかし、なんとか(奇跡的に)生還。ぶつけもしませんでした。

そして昨日、帰神。行きはJALで、帰りはANA。JALとANAでは、チケットレスサービスに違いがあるので、ちょっと分かりにくい。JALは事前にwebチェックインが必要だけど、ANAにはその手続きが要らない。ANAの方が、分かりやすい。
奥さんいわく、カスタマーセンターの電話対応もANAはすごく良くて、JALはそんなに良くないらしい。
CAの人たちも、ANAの方が優しそうな気がする。これはもう気のせいかもしれないけれど。
そんな訳で、僕たち夫婦はANAびいきです。

いろいろと、沖縄に向けて決まってきてる。まだまだやることはあるけれど、楽しみだー。


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2008年01月19日

古紙偽装が示唆するもの

大手製紙会社が再生紙における古紙配合率を偽装していたというニュースが出た。
そんなニュースに対して、産経新聞は

各社は異口同音に「古紙品質が低下し、現在の技術レベルでは要求された品質維持が困難」と弁解した。コピーやプリンターの普及で、白さや薄さ、強度が求め られる印刷用紙の品質要求が厳しくなったのは事実だが、「法令順守の努力が足りなかった」との次元を超えた消費者軽視の業界体質が露呈した形だ。

と、記事を締めくくる。
果たしてそうだろうか。
各社は、品質低下を恐れていたのであり、どちらかと言えば、これは企業努力の結果だという見方も出来る。
製紙会社が消費者を軽視していたと記事は訴えるが、再生紙を求める消費者は環境保護を真剣に考える、全くの善なる存在だろうか。

僕はこの事態を、消費者によるリサイクル技術の軽視だと考える。
再生紙は確かに紙を無駄にせず、新たなパルプの投入を節約できるかもしれない。しかし、日本の高度なリサイクル技術をもってしても、古紙投入による品質低下は免れられず、しかも、新しい紙を作るよりも石油を多く消費する。新品の紙よりも再生紙の方が、CO2排出量は大きいのである。そして、古紙と石油の値段だけ、新しい紙よりもコストが高い。
(吉田文和 『循環型社会』 中公新書 2004 p67)

再生紙はリサイクルの優等生ではあるが、リサイクルをしても必ずしも環境負荷は下がらないという事例としても有効だろう。それだけではない。
リサイクルは物理的な問題と共に、経済的な問題もはらんでいる。

例えば、日本の古紙が中国に流れているという現状があり、2007年4月のニュースでは、経済成長を続ける中国への古紙流出が止まらず、「(買い取り価格を)値上げしないと、古紙を確保できない」という日本製紙の苦しい状況を伝えている。現在でも、状況はそれほど好転していないだろう。
古紙の価格が値上がりし、最近の原油高も重なって、再生紙の生産は困難な状態にあることが推察される。どの製紙会社も再生紙の生産は経営の重荷になっていたはずである。古紙の年賀はがきは55円では元がとれないのではないか。
中国のバブルがはじければ、また国内に古紙が出回るかもしれないが、別の国が大量に欲しがったらどうするのか。

今回の騒動は、リサイクルが抱える問題を凝縮したような事例といえる。それだけに、産経新聞の記事にあるような、通り一遍のなんら生産性のない意見が主流になって欲しくないと思う。

確かに、黙ってやってた製紙会社も悪い。いまさら品質うんぬんをぬかすくらいなら、「ごめんなさい。できません」と先に言っておけばよかったのにと思う。そのほうが、「え、なんで」という消費者の関心を呼び起こすことができただろうに。

だが、やはり問題は消費者にもあると僕は思う。リサイクルがなんたるかを知らずに、リサイクルすればいいと思っているのなら、それは認識が甘いと言わなくてはいけないだろう。リサイクル活動は環境を汚すこともあれば、資源を浪費することもある。

これを機にリサイクルについての国民的な議論が起こることを切に望む。



追記:毎日新聞の朝刊には再生紙偽装:「環境重視」に製紙技術は追いつかず 』っていう記事がありました。



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