2008年01月28日

根拠を示せ!

 NHKは、受信料制度の論拠の一つとして以下の理由を挙げている。

 「視聴者のみなさまに負担していただく受信料を財源とすることで、視聴率や市場原理、あるいは特定の利益に左右されることなく、質の高い多用な放送を行うことが可能になると考えています。」

 これは、テレビ放送開始当初から今日まで50年以上言い続けている文言である。
この間、テレビを取り巻く状況も大きく変わったというのに、相変わらずNHKの理屈はバカの一つ覚えを繰り返す。

 さて、NHKの上記文書を民放に当てはめてみると、「民放は広告収入で運営されるため視聴率や市場原理、特定の利益に左右されながら、質の低い、限られたジャンルの放送しか行うことができない」ということになる。

 「そうだ、そうだ、その通りだ」と言う人もいるかもしれない。
 「そんなことはない、民放の方が分りやすい番組作りをしている」と言う人もいるかもしれない。
 NHK、民放とも番組に対する評価は様々だろう。

 しかし、ここではっきりさせておかなければならない事がある。
 NHKは、上記の理屈を数値化して示さなければならないということだ。
 なぜなら、NHKはそれを論拠の一つとして受信料の額を決め、テレビがあるという理由だけで受信契約を強要する組織なのである。
 であるならば、その理由の根拠を示すのは当然の事である。

 具体的に言うと、民放は広告主の圧力で、或いは市場原理の影響がどの程度番組編成に影響しているのか? 民放の番組はNHKの番組に対してどの程度質が劣るのか? と言うことを、調査方法や調査対象、調査時期を明確にした上で示す必要がある。
 勿論こうした調査は定期的に行わなければならない。

 そしてその結果しだいによってNHKを存続させるべきかを精査する必要がある。

 さらに言えば、民放と同じく広告収入で成り立つ新聞との比較も必要だろう。
「広告」を悪とするNHKから見れば、新聞も「質の悪い」情報源なのだろうか?
 NHKの報道に対して、広告収入に頼る新聞の報道はどの程度「劣る」のか?
 そうした事もきちんと根拠を示した上で説明しなければならない。

 「コマーシャリズムは悪か?」の項目でも書いたが、テレビ放送開始50余年の間、民放は様々な問題を抱えながらも広告主からの圧力にどう対応してゆくのかを模索し続けてきた。
 しかしNHKはそうしたノウハウを全く持っていない。
 「広告がないから公平・公正な番組ができる」ということをお題目のように唱え、一方では予算の執行は国会の決議を必要とし、国会議員の影響を非常に受けやすいという現状に全く疑問を感じないらしい。

 NHKは「選挙で選ばれた国会議員の言うことが民の声」と理解しているフシがあるが、ジャーナリズムの最も基本的な役割である、選挙で選ばれた議員たちの監視ということをすっかり忘れているようだ。

 さてもう一度、冒頭のNHKの見解を見て欲しい、その結びの言葉は「…と考えています」だ。
 何の根拠もなく「考える」だけでテレビのある世帯から金をむしり取る。
 そんな組織をこれからものさばらせておいてよいのだろうか?
 視聴者は黙って受信料を払い続けるのだろうか?


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2007年02月13日

トップの言葉

 組織のトップの発言は重い。それは、個人の意見というよりその組織そのものの意思を表わすものだからだ。
 当然、巨大組織NHKの会長の言葉も重いはずなのだが、あまりにも軽率な発言が多いのに驚かされる。

 その一例を紹介しよう。

 2006年1月12日の記者会見において、衛星放送のスクランブル化についての質問に対して 「スクランブルを解除しても見たいという人は、相当、限定的になると思う」 と語っている。

 NHKは誰もが一番公平だと評価するスクランブル化に強烈に反対しており、会長がスクランブル化に否定的なコメントを述べるのは当然なのだが、通常企業のトップならばこのような言い方は絶対にしない。

 「相当、限定的になる」というコメントは、言い換えれば「ウチの番組は支持されていない」と言うのに等しいからだ。

 企業のトップが「ウチの製品は消費者に支持されていないから買う人は限定的になるだろう」などと言えば、商品開発の社員、製造工場の従業員、販売店の店長や店員はたちまち意気消沈してしまうだろう。

 では、NHKの番組はスクランブル化したら、会長の言うように契約者は「限定的」になるような質の悪いものなのだろうか?
 私個人の意見としては、NHKの番組は技術力・企画力どれをとっても三流であり、視聴に値しないと思っているが、その評価は個人により当然違う。NHKを熱烈に支持している人も大勢いることは事実だ。NHKはそうした人たちを大切にしてゆかなければならない。

 それなのに会長は 「スクランブル化すれば契約者は限定的になる」 とNHK支持層にも配慮を欠いた発言を平気でする。
 よほど番組の質に自信がないのだろうか?

 こういう場合、 「スクランブル化しても経営できるだけの契約者を確保できる質の高い番組はできるが…」 というような言い回しをしておかないと、現場のスタッフや出演者、アナウンサーなど番組制作にかかわるすべての人の仕事を否定することになってしまう。


 当然、現場からは会長のこの発言に対しては異議が出るはずなのだが……??……異議が出たという話しは聞いたことがない。
 これはどういうことなのだろうか? スタッフや出演者のレベルでもNHKの番組の質はこんなもんだと思っているのだろうか?
 それとも 「公共放送」 だから視聴率は無視…を決め込んでいるのだろうか?

 この例一つとってみても、NHKはトップから末端まで仕事に対するモチベーションも創造力もない組織だと言うことが解る。
 受信料という何の努力もしなくても、どんな不祥事を起こしても確実に集金できるシステムを持つ組織の実態なのである。



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2007年01月12日

追加された一文

 NHKの公式ウェブサイトに、意見や問い合わせを受け付けるページがある。
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/index.html
 ここに昨年(2006年)まではなかった一文が追加されているのに気が付いた。
 それは「NHKからのお答えについては、お客さま宛てのものであり、許可なく回答内容を転用、二次使用することは固くお断りいたします。」というものである。

 なぜウェブ開設以来なかったこのような表記をわざわざ載せたのだろうか?
 いや、載せざる得ないような都合の悪いことが起こったのだろうか?

 公式ウェブサイトから意見や質問を送信し、それに対する返答が来た場合それは公式な回答と考えてよいだろう。
 それを「お客様の宛てのものであり許可なく回答内容を転用、二次使用することは固く…」などとはどういうことなのだろうか?

 NHKは自らを「公共放送」と呼んでいる。「公共」という限りそこから発信される情報は「公的」なものであるはずだ。
 「NHKからこのような情報を得た」とか「NHKからこんな回答が来た」とかいうことを他人に言ってはならないというのだろうか?
 プライベートな通信を許諾なく転用したり二次利用したりすることは許されない、しかし何度も言うがNHKは自らを「公共放送」と言っているのだ。

 こうしたウェブサイトの窓口からNHKに質問するのは、一般の市民だけでなくウェブジャーナリストなどプライベートな活動としてNHKの動向を調べている人も多いのだろう。
 そうした人たちが記事を書こうとするとき、NHKからの回答を引用するにあたって一々許可を得ろというのは「検閲」にあたるのではないか?

そうした人たちの口封じをしなければならないくらいの状況に、今NHKは陥っていると考えてもよいだろう。

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2006年12月13日

大麻所持事件から見えたNHKの体質

 2006年12月11日のNHK職員大麻所持事件が発生、容疑者の猪瀬公昭は教育番組のディレクターだ。
 このディレクターがどのような番組制作に携わっていたのか興味を持って12月13日NHKコールセンターに電話して みた。
 猪瀬ディレクターの所属していた制作局青少年子ども番組部のH氏が出て対応してくれた。
 しかし即答はしてくれなかった。
 相談して後から電話するからと言って一旦電話を切り、数分後電話がかかってきて「公表できない」との返事。

 これはおかしい? 映画でも番組でも最後(又は最初)にスタッフテロップは必ず出る、つまり番組放送 と同時に主なスタッフは公表されているものである。すでに公表されているはずのものが言えないとはどういうことか? 問いつめてみた。

 すると答えは、「NHKでは大型番組ではスタッフテロップは出すが、ほとんどの番組では出していない」との事。
 私も認識が甘かった、最近はNHKの番組を見ることがないので気がつかなかった。
 しかし、ここから別の大きな問題が浮き上がってきた。

 スタッフテロップを出さない理由を聞いてみると「番組は大勢で作るものであり、個人で作っているわけではないから」というにべもない返事。

 NHKとは本当に特殊なところだ。
 映画の世界では監督(ディレクター)は現場では絶対的権力があり、監督の名前で映画を見に行くということもよくある。
 民放の番組制作においても、現場を仕切るのはディレクターでありその表現における責任を負っている。
 だからこそその責任の証としてスタッフタイトルを出すのである。

 しかしH氏は「大勢で作っているのだからスタッフタイトルを出さない」と言う、それがNHKの方針なのだそうだ。

 「大勢で作っている」とは聞こえはいいが、要するに責任を分散させているだけのことである。
 (但しプロデューサーの場合は公表すると言っていた。つまりディレクターやその他のスタッフは責任をとるに値しないということなのか?)

 映像の世界では、ディレクター、撮影、照明、録音、美術・・・すべてのスタッフは己の感性や技術を駆使して仕事を行い、スタッフテロップによってその責任の所在を明らかにする。これは古今東西における映像業界の常識である。

 …NHKで世間の常識が通用しないのはこの件だけではないので話しを進めよう…

 私が、猪瀬ディレクターの担当番組を聞きたかったのは、大麻所持の容疑者が制作した番組を大勢の子どもたちが見ていたというわけで、当然視聴者に対してはそのことを公表する義務があるはずだし、容疑者の関わった番組なのだからその内容や子どもに与える影響なども精査されなければならないと思ったからである。
 そこで、猪瀬容疑者の関わった番組を聞き出し、それをウェブで公表することは公共の利益になると考えたからである。

 それに対してH氏は、「番組と犯罪は関係ないことだから公表できない」と言う。
 つまり、制作費流用のような特定の番組に関わる犯罪なら番組名は公表するが、直接的な結びつきがない場合は公表しないというわけだ。

 しかし、大麻所持は万引きのような「出来心」ではない、精神面に深く関わる犯罪でもある。
 当然精神面は番組制作における「演出」に影響を与える。

 そんなディレクターが子ども向けの番組を作っていたのである。このことをNHKはどう受け止めているのだろうか?

 このブログの中で、私はNHKが「教育」に関わることへの危険性をことある毎に指摘してきたが、大麻所持容疑者の作った子ども向け番組を公表しないNHKは、また新たな「危険」を孕んでいる実態を浮き彫りにしたと言えるだろう。

 今回のH氏とのやりとりの中で、もう一つ気になることがある。
 制作局青少年子ども番組部に所属するH氏なら、猪瀬容疑者の担当番組など簡単に分かるはずである。それを即答せず、相談して「公表できない」としたわけだが、その「相談」した相手とは広報部である。

 つまり広報部の圧力(NHKは「圧力」という言い方を極端に嫌っていたが)により、本来公表すべき情報も言うことができなかったのである。
(何度も言うが、番組のディレクターはその作品の責任を明確にするために公表するのが常識である。スタッフテロップのないCMでも業界誌などで、ディレクターはすぐに知ることができる)

 この件に関して、広報部への接触も試みたがNHKの鉄壁の守りにより、電話すらすることができなかった。

 今回の事件で、減っていた受信料不払いもまた復活するかもしれない。
 NHKへの異議申し立ての手段として、不払い・契約拒否を行使することは、市民とNHKとの間の最後の健全性を保つことであると言えるだろう。
 

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2006年11月10日

NHKに対する不快感

多くの人がNHKに対して「不快感」を持っている。
NHKが「公平負担」と称する受信料である。
受信料に対しては、誰も公平だとは思っていない。

「見ていないから払わない」などと言うと、一昔前なら「ウソ」と決めつけられていたが、最近はそうでもない。本当に見ていない人が多いのである。
そうした人たちはNHKから「法的処置」などと言われ犯罪者扱いされるという最高度の「不快感」を持っている。

受信料は払っているがNHKはほとんど見ないと言う人も多い。
「しかたない」と税金的感覚で払う人。
納得はいかないが横柄な集金人とのトラブルを避けるために払う人。
払っていないことをネタに子どもがいじめに合うからと払う人・・・
動機は様々であるがその人たちは「なぜ見ないのに払わされるのか?」といった強い「不快感」を持っている。

受診料は払っているしNHKの番組も好きだという人も大勢いるだろう。
その人たちは実質テレビ税とも言える受信料を払わない人、そして払わない人から徴収できないNHKに対しての「不快感」があるだろう。

こうした問題を一気に解決できるのはスクランブル化であるということはそうとう以前から言われ、地デジではそれは技術的に簡単にできるし、それにかかる設備投資も現制度の集金にかかわる経費に比べればはるかに少なくて済むということは周知の事実である。

しかしNHKはスクランブル化に強固に反対する。
「公共放送として福祉番組、教養番組、災害報道といった視聴率に関係ない番組制作をやらなければならないため、スクランブル化ではどうしても視聴率のとれる番組編成になりがちである」「払える人と払えない人では情報格差が出てしまう」といった理由をあげている。

だがこれは、「福祉」「教育」「払えない人(低所得者)」「災害」と言った誰もが否定しがたい項目を並べ、これらを受信料制度を守るための隠れ蓑にしているのだということは多少の想像力のある人ならすぐに見破ってしまうだろう。

今日のように、衛星も含めれば100ch以上の放送がなされ、ウェブサイトからも動画情報が配信され、次世代大容量DVDが話題になるような時代において、どのメディアに負担金を出して情報を得るかは視聴者の選択権ではないだろうか?

特に「福祉」分野では視聴者の状況は1人1人違うため既存のテレビ放送からの情報提供は不向きである。また、福祉を必要とする人の経済的負担が大きいということであれば、それはまさに福祉政策の問題として対応しなければならない。現在のように「NHKがあるから福祉は全部任せとけ!」といったことがシステム化されることの方が大きな問題ではないだろうか?

「教育」に関しては、政府の干渉が特に強いNHKにこれをゆだねるのは非常に危険であるということはことある毎にこのブログでも指摘している。

「払えない人はNHKを見られないから情報格差が・・・」という論理は何をか言わんやである。
確かに所得が少なければ情報収集にかけられる金額は限られてくる。しかしそれをNHKに払うのか、ネットの接続料に使うのか、或いはDVD等のメディアの購入に使うのかは視聴者が選択する権利を持っている。
その当然の権利を踏みにじり、理屈上受信料を払わなければ民放も見てはならないという放送法最大の不備を利用してこれまで受信料のぼったくりをやっておいて「払えない人は情報格差が・・・」などと本当によく言うものだ!。

「災害」報道に関しては、阪神淡路大震災のとき地元民放やミニFMなどの方がNHKよりはるかに役立つと言うことは証明されているし、放送法では民放にもこうした報道は義務づけているわけだから、NHKが受信料制度を守る口実にするにはあまりにも稚拙過ぎると言わざるを得ない。

まだまだあるが、このようにNHKが現受信料制度を維持するために揚げている「理屈」は、NHKと数少ない民放しかなかった時代の話であり、今日ではまったく通用しない事は誰の目に見ても明らかである。
おそらくエリート集団であるNHKにもそれはよく分かっているのだと思う。しかし、受信料制度の目的が「放送」ではなく「体制維持」となった今日では、なんとしてでもそれを言い続けなければならないのだろう。

だがそれは、NHKへの「不快感」をますます助長させている。

今NHKは受信料徴収を公権力を使って行うことに踏み出した。
これはまさに権力に支えられるNHKである。
「みなさまに支えられるNHK」のキャッチフレーズをかなぐり捨ててのなりふり構わぬ行動であるが、これで支払者数と契約者数は増えているのだという。
しかし、増えた分NHKに対する「不快感」も確実に増加している。

次のステップは放送法改正による「義務化」である。
しかし、なんの努力もしないで金を稼げる組織は必ず腐敗してゆく。そしてそれは「不快感」を頂点まで増幅させてしまう結果となるだろう。

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2006年09月27日

権力との距離

NHK営業部より、以下の内容のメールが来た。

【以下、NHKから来たメール】
メールありがとうございます。また、一連の不祥事について、深くお詫びいたします。
現在NHKでは信頼回復を最優先に、コンプライアンス(法令順守)の徹底など不祥事の再発防止や経営改革に全力で取組んでいます。

「民事手続き」へのご意見をいただきました。
NHKは、平成18年1月に「NHKの新生とデジタル時代の公共性の追及」と題した今後3ヵ年の経営計画をみなさまに公表いたしました。
そのなかで、「平成18年4月以降準備ができ次第、民事手続きによる支払督促の申立てを実施します」と表明しており、準備が整い次第、視聴者に約束を果たさなければならないと考えています。
国民の代表である衆参両議院の同意を得て総理大臣が任命した委員によって構成される経営委員会において、9月26日に「民事手続きの今後の進め方について」基本的に了承されました。

実施にあたっては、経営委員会の指摘を踏まえ、細部を詰める必要があると考えています。まとまり次第、公表いたします。
受信料をお支払いいただいている視聴者のみなさまからは「NHKは公平負担のためもっと努力すべきだ」というご意見をたくさんいただいています。このため、お支払いいただけない方には受信料制度の意義を誠心誠意丁寧にご説明し、ご理解を求め、お支払いをお願いする活動を行ってきましたが、それでもなお、お支払いいただけない方々に対して、最後の方法として、民事手続きによる支払督促を実施したいと考えています。

また、テレビを設置しているにもかかわらず受信契約をNHKと結んでいない世帯・事業所に対しても、訪問や文書などを通じて受信料制度の意義などをご説明し、契約と支払いのお願いをしています。それでもなおご契約していただけない最後の方法として、民事訴訟の実施に向けた準備を進めていす。

 NHKは、災害等の緊急時をはじめ正確で公正なニュースをお届けしたり、質の高い番組を視聴率に左右されることなく、視聴者のみなさまの立場立って放送することが、公共放送の使命だと考えています。

こうした公共放送の使命を果たすための財源と して、受信料制度は最適だと考えています。
今後とも受信料制度を守っていくため、みなさまから受信料を公平にご負担いただくよう、一層努力していきますので、よろしくお願いいたします。  
NHK営業局
                       【以上】

 さて、NHK職員が書いたにしてはずいぶん稚拙な文章である。
 あまりにも論理性がない。本当に職員が書いたものなのだろうか?

 最も稚拙と思ったのは以下の文節である。

「NHKは、平成18年1月に『NHKの新生とデジタル時代の公共性の追及』と題した今後3ヵ年の経営計画をみなさまに公表いたしました。
そのなかで、『平成18年4月以降準備ができ次第、民事手続きによる支払督促の申立てを実施します』と表明しており、準備が整い次第、視聴者に約束を果たさなければならないと考えています。」


 勝手に都合のよい「約束」をして、それを「果たさなければならない」とは、既得権益を守る口実にしてもあまりにも幼すぎる。
 己に都合のよい文章はまだある。

「受信料をお支払いいただいている視聴者のみなさまからは『NHKは公平負担のためもっと努力すべきだ』というご意見をたくさんいただいています。」

 スクランブル化や民営化に対する意見も相当あるはずなのだが、そうした意見は切り捨て、受信料制度を守るのに都合のよいことだけを視聴者が言っているかのように言い切れるのはいったいどんな倫理観を持った人が書いたのだろうか?

「受信料制度の意義を誠心誠意丁寧にご説明し、ご理解を求め、お支払いをお願いする活動を行ってきましたが、それでもなお、お支払いいただけない方々に対して、最後の方法として、民事手続きによる支払督促を実施したいと考えています。」

 「理解を求め」と言われても、理解できないものをどうしろというのだろうか?
 「民事手続きによる支払督促」というのは、集金に権力を行使するということである。
 これは「限りなく国営放送」のNHKが、「実質的国営放送」になることを意味する。
 確かに受信料は国庫に入ることはなく、これは税金とは言えないが、その徴収から運用(国会の承認が必要)まで権力が関与するということは国営放送そのものに他ならない。

 さて、この短いメールの中に指摘すべき箇所は山ほどあるのだが、こんな幼稚なものにいちいち付き合うのも時間の無駄である。しかし、この文章の中にNHKと権力との距離を如実に表わしている箇所がある。それはどうしても見過ごすことはできない。

「国民の代表である衆参両議院の同意を得て総理大臣が任命した委員によって構成される経営委員会において、9月26日に『民事手続きの今後の進め方について』基本的に了承されました。」

 というくだりである。
 この文節は、NHKと権力との距離を如実に現している。
 ジャーナリズムの最も基本的や役割は「権力の監視」に他ならない。
 つまり、私たちが選挙で選んだ「国民の代表(議員)」の動向を逐一監視することはジャーナリズムの役割からすれば「イロハ」の「イ」の部分なのである。

 当然NHKもジャーナリズムの一員であり、政治・行政に対する取材活動は日常的に行っている。
 この場合、ジャーナリストが常に問われるのは権力との距離をいかに保つかということだ。
 距離を取りすぎたのでは取材はできない。しかし、近づきすぎると利用されたり取り込まれたいすることもある。

 しかしNHKは、先に述べたように予算は国会の承認が必要であり、その成り立ちから権力と密接に関わらざる得ない宿命的構造を持っている。
 であるならば、NHKは他の新聞や民放以上に権力との距離の取り方には慎重にならなければならないはずである。
 しかるに「衆参両議院の同意を得て総理大臣が任命した委員によって構成される経営委員会において・・」など、権力とNHKが密接に結びついていることを隠すでもなく、堂々と誇らしげに、はたまた受信料という既得権擁護の口実にまでしているのである。

 このメールを本当にNHKの職員が書いたものであるならば、彼らの報道機関としての感覚は完全に麻痺しているとしか言いようがない。






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2006年06月28日

反NHKは反中反韓?

 自民党有志が立ち上げた「NHKの民営化を考える会」を始めとするNHKの受信料関連のBBSへの書き込みは、反中国・反韓国と思える人々からのものが非常に目立つ。

 NHKの番組が「中国・韓国寄りの偏向」「中国に不利な報道はしない」「韓国ドラマを相場以上の値段で買っている」といった指摘にからめて、「売国放送局には受信料は払えぬ」という論理である。

 NHKはかなり以前から、海外からの情報を欧米に偏りがちにならないようにとアジア重視政策をとり、「シルクロード」という大型番組を皮切りに中国に注力し、最近では韓国ドラマの輸入に力を入れている。

 前述の人たちが指摘するとおり、中国と韓国からの情報は非常に多く、「アジアは中韓だけか!」という指摘も外れてはいないものの、日本との人的交流や貿易、また領土問題を始めとする様々な国際問題を量的に他の国と比較すれば、中韓からの情報が多くなるのも無理からぬことだし、また番組輸入にしても、韓国以外で制作されるテレビ番組は、政治色・宗教色が強すぎ、なにより技術レベルが極端に低いため商品にならないという事情もある。

 では、こうした状況をふまえて、この人たちが指摘するように「NHKは親中・親韓」であり「反日放送局」であると断定できるのだろうか?
 結論から言えば、人によってそう思うし、反対に非常に右翼的放送局と思っている人も少なからずいるということも事実である。

 およそマスメディアは、「公共」と言われるものであろうが、政党や宗教団体が運営していようがその編集権はメディア側にある。
 つまり、己の信条に従って自由に報道し、表現できるということが保証されていることが近代国のマスメディアなのである。
 そして発信された情報をどう受け取るかは視聴者が個々に判断することが大前提である。

 大切な事は、同じ問題も様々なメディアから出来るだけ異なった視点からの情報を受ける環境を作ることこそ、視聴者にとって最も利益になるということだ。

 NHKは自らの番組を「みなさんの判断のよりどころとなる情報」とか「情報格差をなくするために」などと言って、まるでNHKさえ見ていれば他の情報源はいらないとの態度をとり続けている。

 民放を「広告があると公平公正な報道はできない」とさげすみ、ウェブにいたっては「不確実な情報が氾濫」と切り捨て、視聴者に対しては「都合のより情報だけを受け入れる傾向にある」とまるで情報判断力がまったくないがごとく衆愚扱いする。

 こうした考えの上に成り立つのがNHKの言う「公共放送」の正体であり、そしてそれを受信料徴収のよりどころとしている。

 先のBBSへの大量書き込みを見続けていると「NHK受信料制度への疑問」イコール「反中・反韓」とも錯覚してしまいそうになる。
  「偏向報道」への指摘は、それぞれの立場から意見表明することは自由だし重要だが、受信料問題の本質は見失わないようにしなければならない。

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2006年05月31日

NHKのゆがんだエリート意識

NHKは「すべては視聴者のみなさんのために」と言いながら、実は開局から今日に至るまで、視聴者を見下すようなゆがんだエリート意識を持ち続けている。

NHKは「公共放送の使命」として「何人からの圧力や働きかけにも左右されることなく、放送の自主自律を貫き、みなさんの判断のよりどころとなる情報や豊かな文化を、いつでも、どこでも、誰にでもわけへだてなく伝えます」と言っている。

では「みなさんの判断のよりどころとなる情報」とはいったい何なのか?
「豊かな文化」という抽象的表現をどのように受け止めたらよいのか?

本ブログの「公共の意味を考えよう」でも書いたが、NHKは自らを「公共放送」と言っている以上、その情報が「よりどころ」となるものなのかどうか、「豊か」なのかどうかは、すべて、100パーセント、全面的に、漏らさず、その判断は視聴者にゆだねなければならない。

「公共」とは、様々な思想や信条の人々の集合体であるわけだから、NHKが発する情報が「よりどころ」となるのか「豊か」なのかは個々により受け取り方が異なるのは当然のことであり、それを押しつけがましく「よりどころとなる」などとしていること自体、すでに「公共」の意味を取り違えているばかりでなく、その主体たる視聴者を見下し、先導さえしようとしている。

すなわち「視聴者は衆愚である」という前提がそこにある。
だからこそ、視聴者が求める求めないにかかわらず「誰でもわけへだてなく伝えます」と情報を押しつける。

今日、私たちは様々なメディアから情報を得ることができる。
しかしNHKは、その様々なメディアの情報の信頼性をことごとく否定し、NHKだけが唯一正しい情報を伝えているといろいろな場面で主張している。

一例を紹介しよう。
「NHK新生プラン」の中で、「NHKだからできる番組をさらに充実します」という項目があり、そこに「情報がはんらんする中で、確かな指針となるニュースや大型企画番組」の制作を揚げている。

 「情報がはんらん」とは、不確実な情報が満ちあふれていることを示す意味であろう。確かにその通りなのだが、だからといってなぜNHKだけが「確かな指針」なのだろうか?
情報には、明らかな風説もあるが、人により受け止め方の違うビミョーなものも多々ある。なぜNHKが伝える情報だけが「確かな指針」と言い切れるのだろうか?

「広告収入でもなく、税金でもなく、視聴者のみなさんに受信料を広く負担していただいている公共放送だからこそ、NHKは、視聴率や特定の主義主張にとらわれることなく、ニュースの取材や番組制作を行うことができます」
これはNHKがことある毎に受信料徴収の口実に使う文言であるが、広告収入のあるメディア(民間放送、新聞、雑誌など)から発される情報の信頼度を一方的に否定した文言である。

NHK、民放、新聞などの各メディアの情報信頼度調査でもやったのだろうか?
 「公共放送だからこそ」と言い切るのであれば、その根拠を示してほしいものである。

NHKウェブサイトの「NHK関連報道に対する見解」というページで、「2005.10.14  日本経済新聞『NHKに関するインターネット調査』の報道について」という項目がある。

「NHKがなくなっても困らないと答えた人が57%あった」と報じたことに対するNHKの反論である。   

 「NHKの見解」として「この調査は、日本経済新聞が調査会社に委託して9月30日から10月1日にインターネットで行われたものですが、国民全体を代表するように無作為に調査対象者を抽出して行う世論調査の方法とは異なる手法で行われています。
この調査は
1. 調査対象者がインターネットユーザーに限定されている。
2. 調査会社のホームページ上で協力者を募集して応募者を登録し、それらの人々の中から調査対象者を選んで質問状を送信し、回答してもらうという方法で行われている。
以上の理由からNHKでは、掲載された調査結果は国民全体の意見が正確に反映されたものとは異なると考えています。」
とある。

日本経済新聞は、調査方法を明記した上「NHKがなくても困らない人57%」という数字を出しているだけの事であるのに、なぜ故「国民全体の意見ではない」などと敏感に反応するのだろうか?

NHKは視聴者のみならず、インターネットに対してもかなり蔑んだ意識があるようだ。
副会長がNHKの優越性を説明するとき、インターネットには不確実な情報が氾濫しているとの趣旨の例を出し、「NHKはみなさまのよりどころとなる」を繰り返すことがしばしばある。

インターネットの情報が玉石混合であることは誰でも分かっている、それを承知で使っているのである。
むしろ、不確実な情報が多いからこそネットユーザーは情報のスクリーニング能力が向上するとは考えられないだろうか?
無条件に「NHKの伝えることがすべて正しい」と思いこむ方がはるかに危険ではないだろうか?

インターネットユーザーに限った調査結果「NHKがなくても困らない人57%」にこれほど反応するということは、ネットユーザーに対する並々ならぬ敵対心があるのか、それとも蔑んでいるとしか考えられない。

NHKの本音は以下の通りだろう。

「スポンサーの圧力で正確な情報を発しない既存メディアやインターネットのような不確実な情報が氾濫する中で、判断能力の無い人々は自分の都合のよい情報だけを受け入れる傾向にある。そんな愚かな民衆に対して分け隔て無く、情報格差をおこさないようにするために、あまねく判断のよりどころとなる情報を伝える必要がある」

しかし、上記の「NHKの本音」には、「その通り」と賛同する人も少なくないだろう。
「現実には民衆は衆愚であり、衆愚に対するピニオンリーダー的な役割としてNHK、すなわち公共放送は必要」という趣旨の事を訴える文化人と称する人も結構いる。

但し、その考え方は非常に大きな危険を孕んでいる。
公共放送だけが正しい情報源であるとする前提では、意見の多面性・多様性を否定することにもつながる。
また、価値観の画一化、または画一化への押しつけにもつながる。(特に教育番組でそれは顕著)
まして限りなく国営放送に近い現NHKにその役割を担わせるのはあまりにも危険ではないか?

「正しい情報収集のあり方」など存在しないことは承知だが、確実に言えることは一つの事柄に対しては情報源はできるだけ多い方が良い。
その中に不確実な情報があったとしても、それが正しいかどうか他の情報源からも推察できる。
また、多面的に物事を見て判断する力をつけることも大切・・・・・と、思うのだが・・・

この考え方が正しいのか、或いは衆愚にはNHKのような公共放送が必要という方が正しいのか・・・後者の考え方によって現在もNHKは存在し続けているのである。

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2006年05月03日

最後の護送船団と言われる放送業界

 NHKの現受信料制度に対する不満を持つ人は多いが、これがなかなかスクランブル化や民営化といった誰もが納得する形態に移行させる運動に発展しないのは何故か?

 社会の不公平な制度を取り上げ、論評し、世間に公表することはマスコミの重要な役割であるはずで、NHK受信料問題にしてもテレビ黎明期の公共放送論を未だに論拠にして、実質テレビ税とも言える金を「公的負担金」と称し、NHKなど見ていない人からもまきあげる構造は、どう考えても是正しなければならないのにもかかわらず、民放や新聞といったメジャーなマスコミはこの問題にだけは手をつけたくないらしい。

 番組への政治介入報道で、NHKの天敵となったはずの朝日新聞ですら受信料擁護派の意見を「論壇」に大きく載せたり、NHK会長・副会長の見解をNHKをPRするがごとく掲載したりNHK寄りの姿勢が明確に見える。
 明らかことは、大方のマスメディアがNHKの民営化やスクランブル化には反対という立場をとっているということだ。

 放送業界は最後の護送船団業界と言われており、CM収入が分散する結果となるNHKの民営化には民放はこぞって反対するし、スクランブル化も収入減によりNHKの財政基盤を弱体化させ民営化につながるのでこれにも反対する。

 そして資本関係にある新聞も民放の立場をバックアップせざるを得ないというのが実情である。

 テレビによく出演する文化人と称する人たちも、NHKの不祥事や経営効率の悪さなどは指摘するもののテレビ出演の機会が減っては困るという意図なのか受信料問題はあまり口にすることはない。
 それどころか「払っていない人がいるのは不公平だ」などと、「見ないのに払わされる」ことに対する不公平感は完全に切り捨てる態度をとる。
 「公共放送」の四文字を出せば水戸黄門の印籠を出すのと同じようにひれ伏す「文化人」しかテレビ出演の機会が与えられないというのが実態だろう。勿論新聞もしかりである。

 いらないものは買わない(見ない番組には支払いしない)自由、契約の自由といった、資本主義国・民主主義国では当然の権利が奪われる法律を、今日まで放置していることをマスコミが取り上げないのは「怠慢」からではなく、タブーとなっているからである。

 つまり結論としては、「見ない人からも金を取る」現受信料制度を問題にすることをマスコミに期待することはムリ・・・という事だ。

 では理不尽な受信料制度から開放される日は来ないのか? マスコミに頼らずこの問題を広げる方法はないのか?

 今日においてはマスコミは権力の一つと言ってもよく、マスコミ様がイヤだというものは取り上げられることはない。
 例えば受信料制度反対の署名運動で多くの署名を集めたとしても、マスコミはそれを好意的には扱わないだろう。

 しかし、NHKに服従したくない人、NHKに忠誠心を持たない人が孤立無援というわけではない。
 例えば、現在多くの人が反NHKのブログを立ち上げている。本ブログもその一つだと解釈していただいて結構。
 とにかく反NHKの意見を個人レベルで大量に発信し続けることが重要である。

 そうしたものをいかに有機的に結び付けられるかというのは課題ではあるが、意図的に結びつけるのではなく、自然にNHKに対する包囲網を作っていくことが望ましい。

 1950年、放送法が出来た頃、一般的には「契約の自由」などといったことは意識もされなかっただろうし、放送法そのものはその時代においては意味のある法律であった。
 しかし、民衆は愚かではない。
 現代人は「契約はお互いが納得した条件で行うもの」といった当然の権利意識を持っているし、それを否定する放送法が時代に合っていない事は多くの人が認識している。
 そして、さまざまなメディアが混在する今日において、NHKの言う「公共放送」が単なる組織維持のための口実でしかないことは誰でも理解できるだろう。

stsrdrnpr at 17:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2006年03月15日

「公共」の意味を考えよう

 NHKは自らを「公共放送」と称し、それを論拠に受信料制度を「理想的」とし、多くの人が望むスクランブル化や民営化に強固に反対をしている。
 しかし「公共放送」と言うにしては、NHKはその運営の姿勢にかなり多くの問題を抱えたまま放送を続けている。
 先に発表された「NHK経営計画」の中にも問題記述が多々見受けられる。

 揚げればきりがないが一例を紹介しよう。
 「安全で安心していただける情報や番組を格差なくお届けしていくという公共放送の原点としての役割は、ますます重要になると思います。」というくだりがある。

 一見「どこが問題なの?」と思われるだろうが、非常に大きな問題が潜んでいる。

 「安全で安心していただける情報や番組」とはいったいどんなものなのだろうか?
 日本語としてもおかしな言い回しだが、「確かな情報」と言いたいのだろう。

 勿論、NHKであれ民放であれ、新聞や雑誌にしてもマスメディアであればすべて共通だが、伝える情報は正確でなければならないことは言うまでもない。そして、番組制作者は正確な情報を伝えるべく、一つの事柄に関して様々な角度から取材し、裏をとり、確証を得たものだけを情報として伝える。

 そして、その伝え方や論評の仕方も、政党や宗教団体の発行する特定のイデオロギーに基づく新聞などは除いて、一般的には不偏不党、公平公正、複数の意見があるときはできるだけ多くの見解を紹介するなど、定められた基準に添ってその情報は編集される。
 しかし、それだけ精査されていても配信される情報のニュアンスは微妙に違うし、受け手も様々なとらえ方をする。
 例えば、多くの人が左寄りと評価するA新聞にしても、人によっては右寄りと見る人もいる。S新聞のような逆パターンもある。

 NHKの番組はどのように見られているのだろうか?
 NHKをテーマにしたウェブサイトのBBSを見ると、「反日的」「韓、朝、中寄り」といった大量の書き込みが目に飛び込んでくる。
 「NHKは左寄りと見られているのか?」と思っていると、「NHKはかつて番組開始冒頭に日の丸を背景に君が代を流していた」「NHKの伝える年号は元号が基本、ウェブサイトもほとんど元号」と言った、右っぽい意見も聞かれる。

 要するに、どのようなメディアの情報であっても、それが一定の基準の編集指針で作られたものであっても、伝えられる情報は違ってくるし、人によって受け取り方も違うということでありそれが当たり前という事だ。
 もし、どのチャンネルの番組を見てもニュースは同じような論評がされ、どの新聞を読んでもレイアウトが違うだけで記事は同じということであったら、その方がよほど気持ち悪いだろう。

 今日我々は、一つのニュースを様々な情報源から伝え聞くことが出来る。
 勿論、アヤシイ情報も多くある。特にウェブの世界では玉石混合である。
 しかし、それでも現代を生きる我々は、それらの情報を己の価値判断に従ってスクリーニングし、解釈をする。
 それがごく一般的な情報の得かただ。

 ここでもう一度NHKの文言を読んでみよう。

 「安全で安心していただける情報や番組を格差なくお届けしていくという公共放送の原点としての役割は、ますます重要になると思います。」

 情報を発信する立場としては「安全で安心な情報」なのかもしれないが、それが「安全で安心」かどうかを判断するのは視聴者であるという視点が完全に抜け落ちている。
 とりわけ自らを「公共放送」と言っている限りは、発信する情報の評価は全面的に視聴者にゆだねなければならない。
 なぜなら、「公共」は、様々な価値観、人生観、世界観などすべて異なる人々が対象になるからだ。

 その様々な人々に対し「NHKの情報は安全で安心」そしてそれを「ますます重要になる」とは、「他の放送局や様々なメディアの情報はアテにならない、唯一信用できるのはNHKだけ」と言っているようなものなのであり、「情報の判断をすべてNHKにゆだねなさい」と押しつけているに等しい。

 食堂のおやじさんが「うちの定食はうまいよ!」と言うのは自由だし、番組制作者の立場で「これは良い番組ですから見て下さい」と言うのも自由だ。しかし、「公共」を冠する放送局であるNHKが、本来視聴者にゆだねなければならない番組の評価を自ら「安全で安心な情報」とか「ますます重要になる」などと自画自賛するというのは本当に「公共」の意味が解っているのかと疑わざるをえない。

 そして、NHKは自らの解釈する「公共放送」をよりどころとして、テレビを置いただけで見なくても徴収する理不尽な現在の受信料制度の上に安座しているのである。


stsrdrnpr at 21:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!