2011年02月24日

香川建築・展覧会ツアー2011/「坂出人工土地」のこと02

階段を登ると、そこには「大地」が広がっている。この風景を見たときに、坂出人工土地という名前の「人工土地」とはこういうことだったのか、ということが一瞬で理解できた。一般的な屋上広場や、ペデストリアンデッキと「人工土地」とは何が違うのか。色々とあると思うけれど、僕の理解として「人だけでなく車やバイクも走り、家庭菜園や路地までもがある」ということ。つまり、地上と同じものが、どういう存在であっても許されている場所。そしてそれを地上から数メートル持ち上げる、それが「人工土地」なのだろう。

実際、大きな車は無理かもしれないけれど、小型車であれば普通に駐車されているし、街路も車が走る場所と、人だけしか入れない路地のような場所もある。例えば、いつの間にか他人の土地に入ってしまって、家の裏庭に出てしまったかのような、つまりプラベートが外部に滲みでてしまったような空間もあったりする。しかもそれらが、どこまで計画されたもので、どこからが住民の手によるものかも分からない状態になっている。もっと特徴的なのが、各住棟は小規模なクラスタの集合になっているのだけれど、全てが南を向いているわけではなく、東向きもあれば西向きもあるし、階段状にセットバックした構成となった住棟もある。これらがひとりの建築家の手によるものだとは到底思えないほどの様相だった。

つまり、多様性。完全に計画され、コントロールされたものが「都市」だと言えるだろうか。都市とは、多様な主体が多様な価値観でつくるからこそダイナミックで面白いものであって、ひとりの建築家によって完全にコントロールされたものが、美しい風景になるとは限らない。五十嵐太郎氏の著書「景観を笑う」でも例に挙げられていたけれど、それはつまり「北朝鮮の風景である」と。

ある規模を超えた建築や建築群、都市というのは「計画」できるのか、ということは、ここ数年のテーマとして挙げられていた。それは都市だけでなく、建築の設計でさえも、いかに計画のない計画を行うか、ということが主題となっている。完全にコントロールできないものをコントロールすること。その矛盾を都市は孕んでいて、まだ方法論としては確立できていない。

しかしこの建築では、建築家の考えたことと、そして多くの住民の手によって「コントロールされた多様性」が実現していた。それは時間によってできたことなのか、建築自体のちからによるものなのか、それともその両方からなのか。少なくとも僕は、建築家が「多様性を認めるコントロール」を意識していないと、こういうものはできないのではないかと思う。そういう意味でも、この建築から学ぶべきことは多い。


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posted at 19:34

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