2012年06月03日

ちょっと建築には関係のない話なんだけれど

最近、ネット経由で「貧困」に関するニュースをよく目にするようになった。僕は最近テレビも新聞も見ないけれど、それでもネット経由で芸人さんの生活保護関係のニュースは良く目にする。正直、僕には何が悪くて何が悪くないのかも分からないのだけれど、それと関係するかしないかは別にして、どうにも息苦しさを感じて仕方ない。特に震災以後の、何かに向けて国民の多くが一気に盲目的に向かってしまう感じ、特に「お金」が関係すると我先に、無我夢中になって犯人探しをする。それでは全く問題解決していないにも関わらず、それで納得してしまう感じ。とても嫌な感じだ。

「貧困は再生産される」っていう考え方があって、それは「教育を満足に受けられなかった人は概ね所得が低くて貧困化しやすい。そしてそういう家庭に生まれ育った子どもは、やっぱり充分な教育の機会を与えられず、将来的に貧困化しやすくなる」というようなもので、結局は「一生、貧乏から抜けられない」っていうことになってしまって、お金持ちと貧乏人という階層がはっきり分かれてしまう。それ自体が良いことなのか、悪いことなのかは簡単には結論が出ないかもしれないけれど、やっぱり良いことではないよなって思う。

建築の世界では、震災以後「縮小社会」とか「国や市町村の間の意思決定機関」みたいな言説が増えてきている。例えば震災復興にしても「国からのトップダウンではダメで、市町村単位でもエリアが広すぎる。ボトムアップ的に、自分たちの地域のことは自分たちで考えたい」というようなこと。僕はそういうのっていいなって思うし、行政のするべきことは「民間の邪魔をしないこと」っていう意見にも基本的に賛成なんだけれど、ではさっきのような「貧困によって満足に教育を受ける機会がなかった人」が増えてくると、簡単にボトムアップなんかできるのだろうか、という風に考えてしまう。生活保護の話とか聞いてると、本当に短絡的で、目の前の問題すら解決できそうにない人たちが、中・長期的な視点でまちづくりなんかできるのだろうか。

そう考えると、やっぱり教育の問題って大きいと思う。もちろん貧困の問題も。これから日本が縮小社会に向かうのか、それとも拡大路線に進むのか予想もつかないけれど、どちらにしても国民全体の教育レベルがあまりにも低下してしまうと、どちらにも対応できなくなってしまいそう。そして今回の「お金」関係のことを見ても、やっぱり経済的に貧しくなると心に余裕もなくなって、結局は精神的にも貧しくなってしまう。経済成長が絶対の正義ではないけれど、この経済的にどんどん厳しくなる状況を安易に受け入れてしまうのにも限界が来ているような気がしている。みんなはどう考えてるのかな?



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