お願い:
 本ブログには「公益財団法人 三笠保存会」の許可を得て取材させて頂いた内容が含まれています。従って、記事を商業目的で利用される場合は、同保存会に連絡を取り、三笠に関する情報を商業利用する許可を得てください。また、非営利であっても記事の内容や画像を許可無く利用することはおやめください。

記念艦「三笠」訪問

5月27日は日本海海戦112周年記念式典が記念艦「三笠」にて挙行されましたが、当日行けそうになかったので前の週に駆け足で訪問してきました。

Mikasa_2017_May_21
【 5月21日の三笠】


記念艦「三笠」の HPで告知されていたように、後部右舷の甲板が張り替えられて立派になっています。

 http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/information/20170330.html

左舷はこれから張り替えがなされるのだと思いますが、すでにボラードやフェアリーダーの周囲の板が張り替えられてきれいになっています。また、船体の多くの箇所で塗装の塗り替えや補修が行われた跡がありました。

三笠甲板
【三笠の木甲板(就役した頃のもの。この甲板も手入れがなされていました)】

船体も木甲板も日光や風雨に晒され続けるため長く保守し続けるのは大変なことのようで、保存に当たられている方々の苦労がしのばれます。

艦内では展示が一部変更され、映像による展示、また、VRによる日本海海戦の再現映像もありました(VRは時間がなくて鑑賞できませんでしたのでまた今度に)。

また、艦船模型も引き続き展示されていました。

展示
【模型展示の告知】

今回は「三笠」の舷側部で疑問があった箇所を撮影してきました。追って記事にしたいと思います。

駅までの帰り道の途中にこんな食堂もありました。(^ ^;)
Kankore
【酒保 伊良湖食堂、営業時間は 17:00〜 23:00】

参考文献(26)/ books for reference #26

(50)関重忠日記抄 — イギリス留学より日露戦争まで —
  発刊:奥村美恵子(2004年)
  編集:内田四方蔵
  関重忠は日露戦争で巡洋艦「浅間」や戦艦「朝日」の機関長を務め、また戦争中に多くの写真を撮影した人です。その日記の抜粋を彼の孫にあたる方が出版されたものです。

book-seki のコピー
【書影。中央が関重忠、向かって右が次弟の重孝、左が末弟の重光】
(重孝は水雷艇隊の司令兼艇長として鴨緑江の戦闘や旅順のセバストポリ襲撃に参加しています)

この本は単なる抜粋ではなく、関家の来歴や関係者や出来事について当時の写真や雑誌などの図版とともに解説がなされており、関重忠だけについてでなく、当時のことを知るための貴重な資料となっています。

自分の場合では、「With TOGO;東郷とともに」には旅順沖に日本の漁民がいたという記述があり、私は「こんなところに?」と思っていたのですが、「
関重忠日記抄」を読むと1904年(明治37年)6月6日「内地より漁業団、大本営の許可を受けて生鮮魚類販売へ、計50隻来着のはず」とあり、納得がいった次第です。

当時の記録がこうして残されることは素晴らしいことだと思います。

第二十四回文学フリマ東京 出店のお知らせ(と御礼)

***  5月8日追記***
文学フリマ、終了いたしました。
当ブースにご足労くださった方々、お買い上げくださった方々にお礼申し上げます。
海洋・船舶の専門家の方ならびに「東郷とともに」に関心を寄せて頂いた方々からコメントをいただけたことが嬉しかったです。

次回の出典は(当選すれば)夏のコミックマーケットの予定です。
***

第二十四回文学フリマ東京に出店します。

開催日 2017年5月7日(日) 
開催時間 11:00~17:00予定 
会場 東京流通センター 第二展示場 
アクセス 東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分 

文学フリマの詳細につきましては下記のリンクをご覧ください。
 http://bunfree.net/?tokyo_bun24
 
当サークルのブース位置は イ-55(Fホール(2階)) です。

新刊として「東郷とともに 第2巻」を頒布の予定です。

表紙


第2巻は、H.C.セッピングス・ライトの「WiTH TOGO」の後半(第8章から第12章)を翻訳したもので、水雷艇に乗り組んでの遊弋、山にキャンプを設営しての観戦、機雷の捜索、旅順陥落とその祝賀会、開城後の旅順の視察などが記述されています。

当時出版された雑誌などではあまり触れられていない水雷艇隊や特務艦の活動が記述されているほか、機雷によって沈没した戦艦「初瀬」の中尾大佐(当時「関東丸」を指揮)や陸軍の一戸将軍との面談など、興味深い記述があります。

また、言葉が簡単に通じない状態でのキャンプの運営や、元旦の行事やすき焼きに込められた意味について外国人の目から面白く描写されています。

contents
「東郷とともに 第2巻」

連休最後の日の開催ですが、ご来場いただけますと幸いです。 

左舷後部舷側の当て板

現在の記念艦の左舷後部舷側には、小さな鈑金が当てられています。

patch-1
【記念艦の左舷後部】


拡大してコントラストを調整すると船体の他の部分と同じく、リベットで取り付けられていることが判ります。 
patch-2
 【矢印部の拡大】

 したがって、「三笠」が現役であった時代に損傷した外鈑を「つぎ当て」して修理した跡の可能性があります。こうした「つぎ当て」は艦の数カ所に残っています。

1904年8月10日の黄海海戦での損傷の記録(*1)を見ると、矢印部分の弾痕について、「弾片のため凹傷を生せり(弾片不詳)」とあります。また、医務衛生の記録の図(*2)を見ると、14番6インチ砲のすぐ後方にある「事務室」の舷側外鈑に弾片が当たったらしいことがわかります。

黄海海戦左舷弾痕図

【黄海海戦の左舷の弾痕図、「卅五」と数字のついた弾痕】(*1)


被害
【「事務室」の舷側外鈑に弾片が当たったと思われる記録】(*2)


黄海海戦では左舷後部の士官室にも砲弾が命中し、舷側に大きな穴をあけましたが、その修理の痕跡は現在の記念艦には見当たりません。これは、大きな穴があいた外鈑を取り替えたためでしょう。

 
修理

黄海開戦時の「三笠」の損傷を修理した記録(*3)の一部。大きく破損したものは取り替えて、一部の弾痕のあるものは凸凹破片を取り去り同種の材料を補足してリベットまたはネジによって締め付けたとあります。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

以上のことから、この「当て板」が黄海海戦時の損傷を修理したもの、という可能性があります。ただし、写真による確認ができていません。手持ちの資料には、この部分が鮮明に写っている写真がないためです。

ーーー
*1:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110049800、「極秘 明治37.8年海戦史 第1部 戦紀 巻6付表及付図」(防衛省防衛研究所)」の2コマ目 および7コマ目

*2:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110138400、「極秘 明治37.8年海戦史 第7部 医務衛生 巻2」(防衛省防衛研究所)」16コマ目

*3:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110121400、「極秘 明治37.8年海戦史 第5部 施設 巻13」(防衛省防衛研究所)」の77コマ目
 

第一回文学フリマ京都 出店のお知らせ(および御礼)

 ***** 2017/01/22  追記 *****
文学フリマ京都にご来場くださり、また、本を手にとってくださった方々、お買い上げくださった方々に御礼申し上げます。
自分が訳出している時代の海事についてさまざまな方々から関心をお寄せ頂いたことが嬉しかったです。

********************************
下記の通りの開催となります。

当日は寒く、雨か雪になりそうですが、ご来場くださいますと幸いです。

開催日  2017年1月22日(日)
開催時間 11:00~16:00
会場   京都市勧業館 みやこめっせ 地下第一展示場

ブース位置は【う−20】です。

詳細は下記のリンク(第一回文学フリマ京都 開催情報)からご覧ください。

http://bunfree.net/?kyoto_bun01

「東郷とともに」第1巻と、これまでに発行した海軍関係の書籍の翻訳、ならびにアメリカ人作家モーガン・ロバートソンの短編小説の翻訳を持って参ります。
「東郷とともに」第2巻(第8章から最後まで)は間に合いませんでした。申し訳ございません。

セマフォ信号機(補足)

過去の記事「セマフォ信号機 : Semaphores 」で後マスト上のセマフォを取り外した時期について、「三笠」の戦時日誌に記述がありました。
日誌によると、明治37年10月3日に取り除かれています。
 

明けましておめでとうございます

昨年はさまざまな方々から考証のアドバイスを頂き、また同人誌をお買い上げ頂きました。ありがとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。 
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