お願い:
 本ブログには「公益財団法人 三笠保存会」の許可を得て取材させて頂いた内容が含まれています。従って、記事を商業目的で利用される場合は、同保存会に連絡を取り、三笠に関する情報を商業利用する許可を得てください。また、非営利であっても記事の内容や画像を許可無く利用することはおやめください。

補足(軍事画報)

この記事は過去の記事

 三笠全般の考証その2:日本海海戦のZ旗は二度目だった?

の補足です。 
軍事画報(第五巻、明治37年8月、冨山房発行)には、明治37年6月23日の旅順港外の海戦の模様を描いた絵があります。

M380623
【「旅順港外 夜襲の壮観」と題された絵。三宅克己 画】

絵の左の注釈を見ると、水雷艇隊への夜戦を指示する際に
「皇國の興廃此一挙に在り各位奮励努力せよ」
と信号を発したとあります。
caption
【注釈の拡大】


 類似の信号は明治37年2月の旅順港外での戦闘でも発信されています。そのときの報道記事をまだ確認できていませんが、「皇国の・・・一層奮励努力せよ」という信号が明治37年8月までには一般大衆に報道されていたことがわかります。 

朝日や敷島の砲身冷却装置

この記事は過去の記事「三笠の兵器の考証その1:砲身冷却装置」の補足です。

写真帖「日露戦役海軍写真 朝日の光」(*1)には、戦艦「朝日」の12インチ砲に砲身冷却装置が取り付けられているように思える写真があります。

asahi_1905_05_27_aft_1
【明治38年5月27日、敵艦隊に向かう途中で「朝日」にて撮影されたもの】

上の画像の楕円部には「朝日」の主砲の一部分が写っていますが、砲身の上に白っぽい帯のようなものが縛り着けてあり、また砲座の上に平たくなった消火用ホースらしきものが見えます。

asahi_1905_05_27_aft_3
【楕円部の拡大】 

5月28日撮影のものには、砲塔の天蓋に平たい状態の消火用ホースなどが乗っているように見えます。 
ロシア艦隊が降伏した後ですので、砲身に取り付けていたものを外したところかも知れません。

1905_05_28
【明治38年5月28日の敵艦隊降伏時の撮影】
 

asahi_1905_05_28_aft2
【砲塔部分の拡大。矢指部に消火用ホースと砲身にかぶせられていた帯らしきものが見えます】

 「朝日」の戦闘報告(*2)には砲身冷却装置への言及がありませんが、「三笠」や「敷島」の報告に比べて合戦準備のことがさして書かれていませんので、砲身冷却装置のことは報告されなかったのかも知れません。

「敷島」の戦闘報告には、砲身冷却装置について以下のような言及があります(*3) 

〔「前部砲塔の損傷並びに状態」の項において〕
――戦闘当日は当初より冷却法を施し砲身の外部楯より外に露出せる部分は前甲板砲塔の直前にある吐水口より「ファイアメンホーズ」を導きて砲身の上面に沿いほとんど砲口に達するまで延長してこれを縛著しその下面に約5インチ毎に小孔を鑚穿して海水を噴出せしめ尚砲全部に流水を普及せしむる為め「ホーズ」上に木綿片を二重にして縦長にこれを覆わしめ以て連続外部を冷却し――

report_shikishima2
【「敷島」の砲身冷却装置に関する記述】 

 「三笠」「敷島」については、戦闘報告から日本海海戦で砲身冷却装置を備えたことがわかり、「朝日」は上掲の画像から砲身冷却装置を備えていたと思われます。
 
「富士」については今のところ不明ですが、筒発の問題は四隻の戦艦に共通のものですので、同様に砲身冷却装置を備えていたのではないでしょうか。

ーーー
*1:明治38年12月発行、博文館、撮影:関重忠
 日露戦争当時「朝日」の機関長を務めた関重忠が撮影した写真から制作されたものです。
 国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。
  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774271

*2:第5号 朝日艦長海軍大佐野元綱明の提出せる軍艦朝日日本海海戦戦闘報告
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110085500、「極秘 明治37.8年海戦史 第2部 戦紀 巻2備考文書第1」(防衛省防衛研究所)」

*3:第3号 敷島艦長海軍大佐寺垣猪三の提出せる軍艦敷島日本海海戦戦闘報告
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110085300、「極秘 明治37.8年海戦史 第2部 戦紀 巻2備考文書第1」(防衛省防衛研究所)」 4コマ目

若き日のアドミラル・ヘイハチ・トーゴー(参考文献)

記事名:Admiral Haihachi Togo as a Youth.
筆者:Rev. A. D. Capel 
収録誌:The Strand Magazine (ストランド・マガジン)、 1905年4月号
閲覧:Internet archive (*1)で閲覧、ダウンロード可能


若き東郷平八郎がイギリスで最初に師事した方が書いた記事です。
下記のサイトで記事の和訳が紹介されています。
「シャーロック・ホームズの世界」サイト(http://shworld.fan.coocan.jp

  →「ストランド・マガジンの中の日本人」
    →
「若き日の東郷平八郎大将」

記事の中では、東郷の英語の出来や振る舞い、器用さ、忍耐強さなどが紹介されています。

togo_strand_april_1905
【ストランド・マガジンの記事の一部】
 
誌面の中に英語と日本語の東郷の署名があります。
英語のものは  Haihachi. Togo となっていて、平八郎を縮めて、英語で正しく発音できるような綴りにしているようです。
日本語のものは「東郷實良」と書かれているようです。「實良」は元服したときにつけられた実名(じつみょう)で、日常で使われることはないものです。

ただ、私の見識不足のせいだと思いますが、上の誌面からは「良」のはずの字が「信」のように見えるので、調べてみたところ、以下のように、東郷平八郎の文字の下に「實良」と読める印が押してある書類が見つかりましたので、「實良」で間違いはないのだろうと思います(汗) 。

東郷の書類

【「實良」の印が押された書類(*2)】

inkan_saneyoshi
【矢指部の拡大】 
 

ーー
*1:https://archive.org/details/TheStrandMagazineAnIllustratedMonthly/TheStrandMagazine1905aVol.XxixJan-jun/page/n481/mode/2up

*2:件名表題「5月26日 天珠艦受渡の義御届」(正しくは天城艦です)

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10101395400、明治17年 受号通覧 巻17 6月分(防衛省防衛研究所)」2コマ目

他、参考文献:
「東郷元帥詳伝」 小笠原長生編著、春陽堂、大正15年
「図説 東郷平八郎」 東郷神社・東郷会、平成5年

三笠艦上の写真

下の画像は三笠の前部甲板で撮影されたものです。*1


mikasa
【三笠艦上の写真】

 艦橋や操舵室が白く、煙突には識別用の白い帯が見える一方で、艦橋甲板よりも下の構造物や砲塔や砲身が濃い灰色のように見えますので、開戦に備えて艦を塗りかえている途中なのかも知れません。

 主砲の砲身の間には伏見宮博恭王殿下、伊地知艦長、秀島副長の姿が見えます。

officers
【向かって左に伏見宮博恭王殿下、右に伊地知艦長、間に秀島副長

ーーー
*1:雑誌「海軍」第二巻第五号(光村合資会社出版部、明治40年)より
 この写真の存在は、ブログを読まれた方から教えて頂きました。あらためて御礼申し上げます。おかげ様で細かいところを知ることができました。
 この雑誌は国会図書館などで電子データとして閲覧できますが、写真などの細かいところを見るためには実物を入手する必要がありました。なお、この写真は雑誌に綴じ込まれていないため、古書によっては抜け落ちている場合があります。

明けましておめでとうございます

良い年になりますように。
写真は新春つながりで「春日」です。
kasuga


 

良いお年をお迎えください

新型コロナによる状況はすぐに好転しそうにはないですが、来年は訳出本の頒布の機会が多くなることを願っております。

煙草盆と灰皿

下の画像は過去の記事でも紹介しました、「三笠」の中部上甲板での喫煙風景を写した絵葉書です。
kashi_kitsuen
【中部上甲板での喫煙風景】

絵葉書には煙草盆と呼ばれるものが写っています。木の箱の内側に金属の板を張り、取っ手をつけたものです。
tabako_bon
【煙草盆】

また、「三笠」の後甲板を写した絵葉書(*)には士官用と思われる灰皿が写っています。 
jujitsu
【三笠の後甲板】

officers_ashtray
【円部分の拡大。士官用と思われる灰皿】

手持ちの資料では、1901年5月18日付の The Graphic の記事に「朝日」の士官用灰皿が描かれています。
graphic19010518
「The Graphic の記事」
 
asahi_ashtray
 
イラストの右下には「後甲板にて。士官の灰皿とパーマネント・マッチ」と注釈があります。

他に日本画家の村田丹陵が描いた士官の喫煙風景にもこの形の灰皿が描かれています。
pict_murata
【「決死隊談合の図」軍事画報 第壱号、郁文舎】

他にも、士官の喫煙風景の写真にはこの形の灰皿がよく写っています。
ただし、下の画像のように下士や水兵が使用している場合もあります。
german_magazine
【ドイツ語の雑誌(*2)から。「課業後の甲板にて」と題されています。】

この艦の艤装や砲を見ると日清戦争の時代に近い艦のようです(服装から時期を判断できるとも思いますが関連資料が行方不明のため今は分かりません)。当初は士卒共通で使用していたものが、のちに士官用の灰皿と下士・水兵用の煙草盆に分かれたのかも知れませんが、喫煙具に関する規定などの資料を見つけられていません。

百年ほど前の海洋小説では煙草は船乗りにとってかけがえのない物(場合によっては食料より重要)として描写されていて、軍艦においても重要な品であったと思いますが、現今の海上勤務ではどうなっているのかは存じません。

陸においては喫煙に対する規制や風当たりがキツくなっていますが、紫煙を嗜む文化は何らかの形で残って欲しいと思います。

ーー
 * :艦の姿から、明治41年に浮揚して以降の撮影です。この絵葉書は本ブログを読まれた方から教えていただいて入手することができました。改めて御礼申し上げます。

*2:雑誌名は不詳ですが、「Japans Wehrkraft zur See(日本の海上防衛力)」と題された記事にあるものです。記事中にポーツマスで撮影された「三笠」の写真がありますので、日露戦争のころに発行されたものと思われます。
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