お願い:
 本ブログには「公益財団法人 三笠保存会」の許可を得て取材させて頂いた内容が含まれています。従って、記事を商業目的で利用される場合は、同保存会に連絡を取り、三笠に関する情報を商業利用する許可を得てください。また、非営利であっても記事の内容や画像を許可無く利用することはおやめください。

戦艦「スワロフ」沈没の絵葉書?

日露海戦に関する絵葉書の中には、「旗艦三笠ヨリ見タル砲烟中の‘スワロフ’」と注釈のついたものがあります。

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【「スワロフ」を写したとされる写真が入った絵葉書。明治39年4月30日付のスタンプが押されています】

しかし、当時「三笠」で「スワロフ」を撮影したという記録が見当たらず、不思議に思っていたところ、雑誌「海軍」に同じ写真が掲載されているのを見つけました。
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【雑誌「海軍」(明治42年5月)に掲載された画像】 

この写真の注釈では「スワロフ」が沈没した瞬間を撮影したことになっていますが、そのとき「三笠」は「スワロフ」から離れた場所にいましたので、絵葉書にある『「三笠」から撮影した』というのはあり得なくなります。
また、写真の撮影が午後5時頃となっていますが、「スワロフ」が沈没したのは午後7時30分頃ですので、注釈の内容に誤りがあります。そのため、この注釈をそのまま信じることはできません。

さらに雑誌「海と空」にも同じ画像が掲載されています。
 
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【雑誌「海と空」昭和8年海軍記念日号より】 

(この画像の注釈では、写真は「スワロフ」が沈没した時のもので、白煙が騰がっているところが沈没した所とされています。しかし、これも誤っているようです)

この画像には「軍艦出雲より山本大尉の実写せる貴重な写真である」との注釈があり、「三笠」から撮影したものではないと判りました。「出雲」の山本大尉というと当時第二艦隊の参謀を務めていた山本英輔のことになります。

そこで、山本英輔の著書「七転び八起の智仁勇」を読んでみますと、193ページに以下のような記述があります。

…… 私は「スワロフ」の近傍千七百米の近距離に接近砲戦のとき、白黄黒各種の煙に包まれ、進退自由を失せる「スワロフ」の写真を写せり。 之が砲戦中撮影せる唯一の写真にて、その後三笠より見たる敵旗艦「スワロフ」として記念絵葉書として発刊された。……

この記述から、問題の絵葉書の写真は「出雲」から山本大尉が撮影したものということが判ります。

また、この時の「出雲」の行動報告(*)を読むと、(明治38年5月27日)午後6時20分頃に「スワロフ」と「カムチャッカ」を右舷約三千メートルに見て航過する際に、「スワロフ」が残存する艦尾の小口径砲で戦闘を継続していたので、これに対して数発の砲撃を加え、午後6時29分頃に友軍の第一艦隊の砲火を認めてその方向に直進した、という旨の記述があります。したがって、問題の写真は(明治38年5月27日)午後6時20分〜同30分頃に撮影されたことになります。(2017/07/13取り消し)
*** 2017/07/13追記***
写真を撮影した「近傍千七百米の近距離に接近砲戦」は夕方ではなく、午後3時34分頃に「スワロフ」らしき敵戦艦を発見し、わずかな時間、砲撃したときのことです(資料(*)の23コマ目の記述に「左舷わずかに千七百米の所に迫って砲撃を加えた」という旨の記述があります)。
上述以外の機会にも「スワロフ」に砲撃を行っていますが、その際の射距離はいずれも千七百メートルとは異なっています。 
*************

それゆえ、問題の絵葉書の写真は、後の雑誌に掲載された際の注釈のように「スワロフが沈没したところ」ではなく、まだ浮かんでいる状態を撮影したものです。 

そうなりますと、「スワロフ」は画像の中央から少し左に写っている艦なのでしょうか?
これについては確信が持てません。

☆ ☆ ☆

この絵葉書とは別に、山本英輔には無線電信に関する功績があります。彼の考案で、日本海海戦にあたって「出雲」では無線電信の架空線を前後マストの桁の間に横架式に張っており、無線電信の受信機のみを防禦甲板下の弾薬通路に移して戦闘中でも受信可能にしていました。そのため各方面の通信を全て傍受して記録することができました。この記録は「日本海海戦無線電信誌」として残され、複製(?)が記念艦「三笠」で展示されていたかと思います(また、三笠保存会のサイトではありませんが、ネット上で公開しているサイトがあります)。

ーーーーー
*:件名:第2編 日本海海戦/第1章 5月27日の戦闘(第1合戦)
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110084400、「極秘 明治37.8年海戦史 第2部 戦紀 巻2」(防衛省防衛研究所)」の26コマ目、「出雲」の報告から
 

坂の上の雲ミュージアム訪問

先日所用があって愛媛県の松山市に行ったので、坂の上の雲ミュージアムも訪問してきました。

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【坂の上の雲ミュージアム】


現在の企画展は明治20年代初頭の秋山好古、秋山真之、正岡子規についての展示となっています。
秋山好古については「フランス留学と旧松山藩」「フランス騎兵に学ぶ」
秋山真之については「海軍兵学校時代の真之」「エルトゥールル号遭難事件と真之」
正岡子規については「「子規」の誕生」「子規が見た近代日本」
といったテーマで展示がなされています。
  
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館内には細かいところまで作り込まれた見事なロシア戦艦の模型も展示されています。
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ロシア戦艦「ボロジノ」の模型(1/100)】製作・寄贈:小俣昭治氏

館内の売店で今回の企画展および過去の企画展「バルチック艦隊と真之」の冊子やタオル、メモ帳と携帯ストラップを購入して帰りました。
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【企画展の小冊子】
 
「バルチック艦隊と真之」の冊子には、バルチック艦隊に関係したさまざまな報道記事や解説があり、また「秋山真之の作戦関係資料」と題して連繋水雷に関した連隊機密文書や図面の写真があります。アジア歴史資料センターでは白黒でしか閲覧できませんが、カラーで見ることができます(*)。


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 【メモ帳としおり、携帯ストラップのセット。ストラップのキャラクターは秋山好古や正岡子規のものもあります】

ーーーー
(*)件名:連隊機密(11)「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09050629600、連隊機密(防衛省防衛研究所)」。この中の連隊機密第259号の3の付図(コマ番号 0545および0546)など。

 
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連隊機密第259号の3の付図より
これは連繋機雷による攻撃(敵艦隊の針路前方に連繋した複数の機雷を投下する)の戦策の一例を示したもので、敵艦隊が針路を変更した場合にもこれを捕らえられるように考えられています。

雑感「最新日本史教科書」?

本屋で「最新 日本史教科書」(英和出版)というムック本を見かけて購入しました。表紙には「昭和生まれ\ビックリ/の「認定」「変更」「改訂」、あなたの知識はもう古い?」などの文言があり、最新の情報が得られるかなと思ったのですが。。。

自分には個々の記事を論評できる見識がありませんが、一点、85ページの日露戦争の記事で「連合艦隊旗艦、戦艦三笠」と注釈のついた写真が、実際にはロシア戦艦の写真になっていました。そこは間違えて欲しくなかった。。。

参考文献(27)/ books for reference #27

最近、古書店で「聯装砲塔砲身平行調査表」と題された資料を見かけて入手しました。

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青焼きで内容は9ページ、大正2年に連装砲塔を持つ軍艦の砲の長さ、砲と砲の間隔、八千メートルに於ける弾着間隔などを調査した結果を表形式で記述したもののようです。

ただし、表の横に「海軍」の文字があるものの、作成者や来歴がまったく不明なため、正確な資料であるか今のところ判断できません。

表の一部三笠
【表の一部】

興味深いことに、「三笠」については、前部と後部の砲で砲身全長が3センチ異なるようです。

表の来歴や内容が正確なものかについては、今後調べていきたいと思います。

記念艦「三笠」訪問

5月27日は日本海海戦112周年記念式典が記念艦「三笠」にて挙行されましたが、当日行けそうになかったので前の週に駆け足で訪問してきました。

Mikasa_2017_May_21
【 5月21日の三笠】


記念艦「三笠」の HPで告知されていたように、後部右舷の甲板が張り替えられて立派になっています。

 http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/information/20170330.html

左舷はこれから張り替えがなされるのだと思いますが、すでにボラードやフェアリーダーの周囲の板が張り替えられてきれいになっています。また、船体の多くの箇所で塗装の塗り替えや補修が行われた跡がありました。

三笠甲板
【三笠の木甲板(就役した頃のもの。この甲板も手入れがなされていました)】

船体も木甲板も日光や風雨に晒され続けるため長く保守し続けるのは大変なことのようで、保存に当たられている方々の苦労がしのばれます。

艦内では展示が一部変更され、映像による展示、また、VRによる日本海海戦の再現映像もありました(VRは時間がなくて鑑賞できませんでしたのでまた今度に)。

また、艦船模型も引き続き展示されていました。

展示
【模型展示の告知】

今回は「三笠」の舷側部で疑問があった箇所を撮影してきました。追って記事にしたいと思います。

駅までの帰り道の途中にこんな食堂もありました。(^ ^;)
Kankore
【酒保 伊良湖食堂、営業時間は 17:00〜 23:00】

参考文献(26)/ books for reference #26

(50)関重忠日記抄 — イギリス留学より日露戦争まで —
  発刊:奥村美恵子(2004年)
  編集:内田四方蔵
  関重忠は日露戦争で巡洋艦「浅間」や戦艦「朝日」の機関長を務め、また戦争中に多くの写真を撮影した人です。その日記の抜粋を彼の孫にあたる方が出版されたものです。

book-seki のコピー
【書影。中央が関重忠、向かって右が次弟の重孝、左が末弟の重光】
(重孝は水雷艇隊の司令兼艇長として鴨緑江の戦闘や旅順のセバストポリ襲撃に参加しています)

この本は単なる抜粋ではなく、関家の来歴や関係者や出来事について当時の写真や雑誌などの図版とともに解説がなされており、関重忠だけについてでなく、当時のことを知るための貴重な資料となっています。

自分の場合では、「With TOGO;東郷とともに」には旅順沖に日本の漁民がいたという記述があり、私は「こんなところに?」と思っていたのですが、「
関重忠日記抄」を読むと1904年(明治37年)6月6日「内地より漁業団、大本営の許可を受けて生鮮魚類販売へ、計50隻来着のはず」とあり、納得がいった次第です。

当時の記録がこうして残されることは素晴らしいことだと思います。

第二十四回文学フリマ東京 出店のお知らせ(と御礼)

***  5月8日追記***
文学フリマ、終了いたしました。
当ブースにご足労くださった方々、お買い上げくださった方々にお礼申し上げます。
海洋・船舶の専門家の方ならびに「東郷とともに」に関心を寄せて頂いた方々からコメントをいただけたことが嬉しかったです。

次回の出典は(当選すれば)夏のコミックマーケットの予定です。
***

第二十四回文学フリマ東京に出店します。

開催日 2017年5月7日(日) 
開催時間 11:00~17:00予定 
会場 東京流通センター 第二展示場 
アクセス 東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分 

文学フリマの詳細につきましては下記のリンクをご覧ください。
 http://bunfree.net/?tokyo_bun24
 
当サークルのブース位置は イ-55(Fホール(2階)) です。

新刊として「東郷とともに 第2巻」を頒布の予定です。

表紙


第2巻は、H.C.セッピングス・ライトの「WiTH TOGO」の後半(第8章から第12章)を翻訳したもので、水雷艇に乗り組んでの遊弋、山にキャンプを設営しての観戦、機雷の捜索、旅順陥落とその祝賀会、開城後の旅順の視察などが記述されています。

当時出版された雑誌などではあまり触れられていない水雷艇隊や特務艦の活動が記述されているほか、機雷によって沈没した戦艦「初瀬」の中尾大佐(当時「関東丸」を指揮)や陸軍の一戸将軍との面談など、興味深い記述があります。

また、言葉が簡単に通じない状態でのキャンプの運営や、元旦の行事やすき焼きに込められた意味について外国人の目から面白く描写されています。

contents
「東郷とともに 第2巻」

連休最後の日の開催ですが、ご来場いただけますと幸いです。 
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