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出店のお知らせ(文学フリマ東京36)および御礼

文学フリマ東京36、無事終了致しました。
当ブースに御足労くださった方々、お買い上げくださった方々に御礼申し上げます。
次回は、当選すれば夏のコミックマーケットに出店予定です。
***(2023年05月21日 追記)***


2023/5/21(日)開催の文学フリマ東京36に出店します。


 出店名: Studio120
 ブース配置: お-06 (第二展示場 Fホール)
 イベント詳細: https://bunfree.net/event/tokyo36/

会場が二つに分かれていますが、当ブースは第二展示場の2階にあります。
ご来場の折りには当ブースにもお寄りいただけますと幸いです。 

新刊は「ドーキングの戦い」の予定です。
これは、1871年にイギリスで出版され、侵攻小説のはしりとなった
“ THE BATTLE OF DORKING   REMINISCENCES OF A VOLUNTEER ”
(ドーキングの戦い ある義勇兵の回想)
の翻訳です。近未来にイギリス本土が外国の軍隊の侵攻を受けるという内容で、普仏戦争でフランスが敗れた直後に出版されたため、大きな議論を巻き起こしました。

富士の砲身冷却装置について(補足)

この記事は過去の記事「富士の砲身冷却装置について」の補足です。

「日露戦役実験摘録」中の「日本海海戦に於て実施したる事項」(*1)の中に、日本海海戦時に12インチ砲に砲身冷却装置を取り付けた旨の記述がありました。下の画像の赤枠の部分です。
--(抜粋)--

七.砲身冷却法

(イ)

前後砲塔砲は各前後甲板の「ファイヤメーン」吐水孔より革(?)製「ホーズ」を導き砲眼に近き部に於いて二枝に分れ各砲身の上面に沿ふて数個所にて固縛し先端を嚢状になし砲身に沿える部には径約三密米の数多の孔を穿ち発砲中「ファイヤメーン」に送水することにより絶えず砲身に注水し大に其過熱を防ぐを得たり。
----

スクリーンショット 2023-04-01 0.22.11
「日本海海戦に於て実施したる事項」(*1)より砲身冷却法

 また、富士の戦時日誌には、明治38年5月25日の午後に砲身冷却装置を取り付けたという記録があります。(*2)
 
 ☆ ☆ ☆

過去の記事と合わせると、日本の戦艦4隻はいずれも12インチ砲に砲身冷却装置を取り付けて日本海海戦を戦ったと考えられます。

ただし、艦によって細かい所が異なっていたかも知れません。小穴を多数うがった消火用ホースを砲身の上面に沿って取り付けた点は共通していますが、三笠ではさらに砲身全体を覆うカバーが取り付けられ、敷島ではホースの上を細長い木綿片で覆っています。
 
蛇足ですが、富士には主砲の爆風から木甲板を保護する金属板が前後甲板の一部に張られていましたが、日本海海戦よりも前にこれを撤去した可能性があります(アジ歴の資料の中で、撤去を上申する書類を見た記憶があるのですが、それが認可されて実際に行われたのかは未確認です)。 
ーーーー
*1:「日本海海戦に於て実施したる事項」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09050783300、日露戦役実験摘録(2) 軍艦 吾妻 浅間 八雲 富士 千鳥 真鶴 明治37~38(防衛省防衛研究所)

*2:「軍艦富士戦時日誌2止(7)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09050349400、軍艦富士戦時日誌2止 明治38.1(防衛省防衛研究所) 

出店のお知らせ(コミックマーケット101)&御礼

****

C101、無事終了しました。当スペースに御足労くださった方々、お買い上げくださった方々に御礼申し上げます。

よいお年をお迎えください。(2022年12月31日追記)

****

下記の通り、コミックマーケット101に出店参加します。
ご来場の際は当スペースにもお寄りいただけましたら幸いです。

出店日:2022年12月31日(土)
開催時間:10時30分〜16時
場所:東京国際展示場(東京ビッグサイト)
スペース:東地区(東3)“イ”ブロック-15a

新刊は「巡洋艦ロシアズ・ホープ」(ロシアの希望)の予定です。
ロシアズホープ表紙


原著は1886年にロシアで出版された架空戦記『Крейсер «Русская надежда»』(巡洋艦「ルースカヤ・ナディアシュダ(ロシアの希望)」)で、 18xx年の近未来に勃発した英露の戦争をロシア巡洋艦による通商破壊の見地から描いたものです。
原著者はロシア海軍退役士官のアレクサンドル・コンケヴィッチで、当時のロシア海軍のイギリスに対する認識と戦争に対する考え方が語られています。
邦訳版は、1888年に出版された英訳版『The Russia's Hope』から翻訳したものになります。

出店のお知らせ(文学フリマ東京35)&御礼

***2022年11月20日追記***

文学フリマ、無事に終了しました。

雨の中、御足労くださり、当ブースにお越しくださった方々、お買い上げくださった方々に御礼申し上げます。

次回は、年末のコミックマーケットに出店の予定です。
新刊が出せるよう、がんばります。

*****

下記の通り、文学フリマ東京35に出店参加します。ご来場いただけますと幸いです。

開催日時:2022年11月20日(日曜)12:00〜17:00
開催場所:東京流通センター第一展示場 & 第二展示場(Eホール)
(東京モノレール 流通センター駅)

詳細は下記の公式サイトをご参照ください。


出店ブースは「第一展示場」の「N−34」です。

「ティーカップの歴史」、「ロシア帝国海軍(1)(2)」、「日本帝国海軍」、「東郷とともに」、モーガン・ロバートソンの短編小説などを頒布します。

詳しくは、以下のリンクをご参照ください。

 

「軍艦三笠引揚写真」(参考文献)

先日、ブログを読まれた方から、三笠の引揚作業を記録した写真帳のことを教えていただきました。
宮内庁の書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されています。

目録名称:軍艦三笠引揚写真/明治

cover
【写真帖のカバー。宮内庁書陵部所蔵


下記サイトから閲覧ができます。

 https://shoryobu.kunaicho.go.jp

上記webページの画面右上の検索欄に 三笠 と入力して検索。
検索結果一覧の中に目録名が表示されるので、それをクリック。
資料詳細のページが表示されるので、下の方のサムネイル画像をクリック。

収録されている写真をざっと見て、引揚作業の様子の他に、三笠の姿について以下のことがわかりました。
・上甲板、前部煙突の隣にあるウィンチの姿

winch
【前部煙突の脇にあるウインチ。宮内庁書陵部所蔵】

・後部ボイラー室の後部通風筒の形状
  ※円柱の形状で、艦中央の構造物に接続していた。

・機関室前部通風筒の下部の形状
  ※上甲板からボートデッキに伸びる途中で、少し外舷方向に張り出していた。

・前部艦橋甲板の手すりの形状(軽速射砲の俯角を得るために変形していた部分)

・上甲板ボイラー室への出入口の屋根は、スカイライト付きの開閉式のものであったこと。

・第七ハッチ(後マストの直前にあったはずのハッチ)の位置についてのヒント

・エンジンハッチの囲いの側面に(この時期においても)リールを保持するための金物がついていること。

他にも興味深い点が多々あります。後ほど、個々に記事にしたいと思います。

この資料の存在をお教えくださった方に、厚く御礼申し上げます。

日本海海戦後の空中線

日本海海戦後(6月初め)に撮影された写真を調べたところ、空中線が写っていました。


mikasa_1905_6
【日本海海戦後の三笠。応急修理が一段落したころか】

この画像のカラーを調整すると、前部トップマストのガフ(斜桁)から後部艦橋に向けて空中線(四条線)が伸びていることが分かります。下の画像の丸の部分に四条線を保持するための十字架が見えます。

mikasa_1905_06_2
【カラーを調整したもの】

cross_1
【前部トップマストのガフの部分の拡大】

cross2
【中間の丸の拡大】

cross_3

【艦尾寄りの丸の拡大。十字架と碍子らしきものが写っています】

四条部の長さを考えると、後部マストから艦尾に向けて張るための空中線を、前部マストから後部艦橋へ向けて張ったものかも知れません。通常の張り方と同じならば、四条部の後端から折り返す形で一条線が前部司令塔の空中線引込口に向けて伸びていると思われますが、今のところ判別できません。

日本海海戦の初日(5月27日)の戦闘では後部トップマストが破壊されたため、二組の空中線は落下して使用できなくなりました。記録では、前マストのガフに予備垂直線を掲げて午後7時半に通信が復旧しています。その時の空中線の張り方がこの記事の画像の通りだったのかは、未確認です。

日本海海戦時の後部艦橋の手すりの高さについて

これは、過去の記事「日本海海戦時の艦橋の手すりの高さについて」の追加です。
『戦艦「三笠」と日本海海戦』(世界の艦船6月号、No.974)の中に、佐世保での事故の後、浮揚してドック入りしている三笠の写真があります(p.33)。その写真を見ると、後部艦橋の手すりの高さが途中で変化していることが分かります。

手持ちの写真で示すと、黒線のように高さが変化しており、中央部の高さが低くなっています。

aft_bridge_2
【竣工ころの写真に手すりの高さの変化を記したものです】

ドック入りしている写真では、手すりが低くなっている部分が少し波打っているように見えますが、浮揚作業の際に変形したのだと思います。

前部艦橋と同様に、移設した47ミリ軽速射砲のために、手すりを低くしたと思われます。おそらく、これが日本海海戦時の手すりの形状であったと思います。

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