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出店のお知らせ(文学フリマ東京38)

5月19日の文学フリマ東京38に出店します。
ご来場の際は、当ブース(第1展示場 F-29)にもお立ち寄りいただけますと、幸いです。

詳細は下記のリンク等をご覧ください。
今回からは入場が有料となっております。

🕙5/19(日) 12:00〜17:00 開催 (16:55 最終入場)
📍東京流通センター 第一展示場・第二展示場
🚝東京モノレール「流通センター」駅徒歩1分
👥合計1878出店!
📚イベント情報→ https://bunfree.net/event/tokyo38/

出店ブース:第1展示場 F-29

今回は新刊はなく、ドーキングの戦い、巡洋艦ロシアズ・ホープ、タイタンの遭難、ロシア帝国海軍、東郷とともに、などの既刊のみとなります。

ボイラーの構成

 三笠の主ボイラーはベルビル式のものが25基あり、艦の前から横並びに5基(前缶)、同じく5基が2列背中合わせ(中缶)、同じく5基が2列(後缶)の配置になっていました。下の図からは、ボイラーの位置と付けられた番号が分かります。


ボイラー

【缶(ボイラー)室や炭庫、機械(エンジン)室の配置、缶の中部を上から見たもの】(*1)

また、戦闘詳報の中にはボイラーの蒸発管および収熱管の屈曲表があります。

kukkyoku


【37年5月27、8日 日本海海戦後に測りたる軍艦三笠汽缶蒸発管屈曲表】

 
表の左端には、一から二十五の文字が縦に並んでおり、25基あるボイラーの番号と思われます。
 表の一番上の行には、A、B、……H の文字があり、これが蒸発管に付けられた符号と思われます。各管について右と左に分けて屈曲の程度がミリメートル単位で記入されています。この右/左と言うのは蒸発管が斜め上に伸びながらボイラーの手前と奥で右か左に折り返しているために分けられているのだと思います。屈曲の程度をどこで測ったのかは分かりません(調べきれていません)。

 赤の矢印で示すように、三番、八番、十三番、十八番、二十三番のボイラーのみ、Hの部分が空白になっています。これらのボイラーはいずれも、横並びになったボイラー群の中央に位置しています。収熱管の表についても同様です。

 従って、中央にあるボイラーのみ蒸発管、収熱管の数が7本で、その他のボイラーでは8本だったと思われます。

 中央のボイラーのみ管の本数が少ない理由は調べ切れていませんが、ボイラーが横並びになっていると中央ものは両側のボイラーから熱をもらって汽力が上がりやすいので、管の数を減らしても構わないのかも知れません(何かの文献で読んだ記憶があるのですが、文献名を思い出せません)。

ーーー
*1:「戦時機関部記事三笠(5)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09050661000、戦時機関部記事 巻2(防衛省防衛研究所)、最後のコマ

蒸気捨管の鋼笠

 ポーツマスで撮影されたと思われる三笠の写真には、後部煙突の後ろに沿って設けられた蒸気捨管が写っています。
三笠蒸気捨管
【接岸しつつある三笠】

蒸気捨管と鋼笠
【丸部分の拡大。矢指部は蒸気捨管の上端部】

 2本の蒸気捨管から蒸気が噴きだしているのが見えますが、蒸気の流れ方からすると、管の上端の上には何も無いように見えます。竣工が近い時期の記念写真(*1)を見ても、蒸気捨管の上には何も付いていません。

 また、日本に回航後の明治35年6月から7月に撮影されたとされる三笠の写真(*2)でも、蒸気捨管の上端の上には何も付いていないように見えます。

 一方、日本海海戦の前後の三笠の写真では、蒸気捨管の上端の上に笠が付いています。
mikasa_kasa
【日本海海戦後の三笠の煙突部分】

 この笠がいつ設けられたのか正確には分かりませんが、常備艦隊例規に「○蒸気捨管二鋼笠ヲ取附方ノ件(明治35年8月11日達、旗普第1380号)」として、蒸気捨管の上端に図のような鋼笠を取り附けよという指示があります。その目的は、煙突から飛散する灰燼(はいじん、灰と燃えがらの意味)が蒸気捨管に落ち込むのを防ぐことです。

kasa_siji
○蒸気捨管二鋼笠ヲ取附方ノ件(*3)

笠
【鋼笠の図(*3)】

 この指示は明治35年8月に出ているので、恐らく日露戦争以前に鋼笠が取り付けられていたと思われます。

 なお「軍艦三笠引揚写真(宮内庁書陵部)」を見ると、上図の通りに作られた笠が取り付けられていることが分かります。

hikiage
【浮揚作業中の三笠。右方向が艦首】

k2 k1   
【矢指部の拡大。右が前部煙突のもの、左が後部煙突のもの】

 蒸気捨管の上端部から4本の細い棒が真上に伸びて笠を支えていることが分かります(*4)

 なお、日露戦争当時のロシア艦の写真をいくつか見ましたが、蒸気捨管に笠が付いたものはありませんでした。となると、ロシア海軍とは異なる(笠が必要な)事情が日本海軍にあったのかも知れませんが、それについては調べきれていません。

ーーー
*1:大和ミュージアム 資料データベース 資料番号 PG049445  
   この画像の右上に、後部煙突の後についた蒸気捨管が見えます。

*2:「日本軍艦写真集」高木宏之、光人社刊、2008年、p.014

*3:「第2節 艦政」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C18010087800、常備艦隊例規(第11版)全 明治37.11(防衛省防衛研究所)

*4:日露戦争時の三笠については、これ以外の形状のものは(自分が調べた限りでは)見つかりませんでした。

茶壺式水雷防禦法(雑記)

 日露戦争ではロシアの機雷によって大きな被害を受けましたが、その対策として、茶壺式水雷防禦法が考えられ、日本海海戦直後に試験されていました。茶壺と言っても本物の茶壺ではなく、茶壺のような円筒形のブリキ缶を舷側の内側の空間に多数詰め込んだものです。水雷の爆発を茶壺が潰れることによって和らげようとするものでした。


茶壺0




茶壺1



茶壺2

【茶壺式水雷防禦に関する史料*1】

この防禦法がその後の日本の軍艦の防禦法にどのような影響を及ぼしたのかは分かりません(調べていません)。

考案者がジーメンス事件に関わっていますが、時期を考えると、それがこの防禦法の成り行きに影響してはいないと思います。

*1:「造修、試験、据付、取外、位置変更、制式(3)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06091659400)の後半から 「造修、試験、据付、取外、位置変更、制式(4)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06091659500

ブームス(予備円材置場)

軍艦三笠引揚写真」(宮内庁書陵部所蔵)には、三笠の中部上甲板やボートデッキが写っています。

下の画像では、矢指部に円材(ブーム)等を置くためのブームス(予備円材置場)と思われる枠のようなものが見えます。なぜかは分かりませんが、手前の前部煙突の脇にあるものは断面がU字状で、奥の後部煙突の脇にあるものは断面が凹の形をしています。煙突の右舷側にも同様のものがあります。

ブームス
【三笠の中部を前部艦橋の左舷から後方に向かって見たもの。宮内庁書陵部所蔵

 この場所には円材が積まれていたと思いますが、戦時日誌には日本海海戦で『海上通常標的を「ブームス」に格納中敵弾のため亡失した』という記録があります(*1)。また、円材の類は艦載水雷艇のクラッチ(日本海海戦時には空いていた)にも置かれていました。

ーーーー
*1:「軍艦三笠戦時日誌4(6)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09050340900、軍艦三笠戦時日誌4 明治38.5~38.7(防衛省防衛研究所)、これの26コマ目。

出店のお知らせ(文学フリマ京都8)

下記の通り、文学フリマ京都8に出店します。

 開催 2024年1月14日(日)
 時間 11:00〜16:00 (最終入場15:55)
 入場料 無料
 会場 京都市勧業館みやこめっせ 1F 第二展示場ABCD面
 ブース:か−45
 web カタログ https://c.bunfree.net/c/kyoto08/!/%E3%81%8B/45

新刊は「日本海海戦時の三笠の姿に関するメモ」で、当ブログの記事や新しく判明したことの抜粋です。コピー冊子となっています。
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他に侵攻小説の先駆けと言われる「ドーキングの戦い」、ロシア海軍士官の著した架空戦記「巡洋艦ロシアズ・ホープ」の翻訳などを持って行きます。


あけましておめでとうございます

コミックマーケットで当スペースに御足労くださった方々、お買い上げくださった方々に御礼申し上げます。また、ブログについてさまざまなご助言を頂きましたこと、御礼申し上げます。

宿題になっていることがまだ残っていますので、順次完成させていきたいと思います。
本年もよろしくお願い申し上げます。

八坂八郎


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