2011年07月

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参考文献・資料(8)/ お詫びとお礼

(16)連合艦隊1905
    2011年8月15日 発行
    発行:イカロス出版
    定価:1,800円

 最近発売されたムック誌です(
8月15日発行となっておりますが、既に発売されています)。
主な内容は以下のとおりです。
  ・イギリスの観戦武官パケナム大佐の撮影した写真
  ・日本海海戦に参加した日露双方の主要艦艇の解説
  ・記念艦三笠各部の写真と解説
  ・日露戦争の兵器の解説

 記念艦三笠の写真の中には、普段立ち入る事が出来ない箇所の写真もあります。他に三笠の断面図や舷側の図面も収録されており、三笠に関心のある方には非常に有用な一冊だと思います。

【お詫びとお礼】
連合艦隊1905」につきましては、ブログを読まれた方からメッセージを頂き、発売を知ることができました。ありがとうございます。
 実は、私はこのブログを開設以来、ブログの編集画面しか見ておりませんでして、メッセージや拍手コメントを頂いていることに、つい先日まで気がつきませんでした。誠に申し訳ありません。遅ればせながら、暖かいメッセージと拍手コメントを頂きましたことに、お礼申し上げます。

三笠後部の考証その7:後部甲板の艤装品−3

mikasa-reception2


(9)通風筒
中甲板の平面図には"VENT & ENTER TO STEERING COMP
" 、下甲板の平面図には"ENTRANCE AND VENT TO STEERING COMP"と書き込まれているようですので、人力操舵用の舵輪と舵取り用のエンジン、キャプスタン用のエンジンのある区画への通風と出入りを兼ねた通風筒と思われます。(7)の通風筒とは形が異なり、必要の無い時にはフタをしておいてもよいものだったようです。 


(10)俯角制限用カム
何かの理由で主砲が下を向きすぎて、自艦の船体に向けて砲弾を発射することを防止するためのもののようです。

(11)何かのフタ? ー> 索を綰ねた(わがねた;細いものを曲げて輪にした)もの(2011/07/25追記)
enban
【フタのまわりの拡大】

拡大してみますと、グレーチングのすぐ近くに大小の円盤が見えます。円盤の下に穴があるのかと思ったのですが、記念艦の上甲板には穴の跡は見あたらず、真下の中甲板の区画の天井を見ても、グレーチングの近くにフタに見合った穴があった痕跡がありません。また、グレーチングの穴の直近に大きな穴を開けるのは、強度の点で無理があると思います。これらの円盤の使用目的と本来この場所にあるべきものかどうかは、もう少し調べないと、結論が出せません。
ーーー(2011/07/25追記)ーーー
桜と錨様から、「舷梯ダビットからの索の余端を綰ねたものでしょう」というご助言を頂きました。甲板上に余った索を置く場合は、このように綰げておくのが船乗りの躾けであるそうです。
確かに舷梯ダビットからの索がこの「円盤」につながっているようです。他に類似の写真がないか探してみたところ、下のような写真がありました。

mikasa_wa
【三笠の後甲板】
奥(上)の矢印が、問題の箇所と同じ場所です。手前(下)の矢印も綰げた索です。綺麗ですね。

saku
【上の写真の上の矢印部分の拡大。舷梯ダビットからの索が甲板上に延びて、丸く曲げられているのがわかります】

以上のように、問題の「円盤」はフタではなく、余った索を曲げて輪にしたものでした。
考証を進める上で、写真に写っているものが何なのか解釈するためには、もっといろいろ知っておくべきことがあると、実感いたしました。

桜と錨様、ありがとうございます。
ーーーーー(追記ここまで)ーーー

enban2
【問題の箇所の真下、記念艦の中甲板の区画。グレーチングの周囲の天井には、穴の開いていた痕跡がありません】


(12)昇降口(第八ハッチ)
他の昇降口よりも大きいです。中甲板や下甲板の図面では、この位置に大きなハッチが描かれており、"TORPEDO HATCH" と書き込まれていますので、この昇降口を使って魚雷の搬入が行われたようです。
残念ながら、現在の記念艦では、その隣の排気用の通風筒とともに、再現されていません。

三笠後部の考証その6:後部甲板の艤装品−2

mikasa-reception2

(5)昇降口のハッチ
二つの階段が昇り降りの方向を変えて並んでいます。
hatch_skl_cp
【中甲板後部の階段。写真の左の矢印の筒は、チェイン・パイプ、右側の矢印の先には、スカイライトの跡が見えます】

 (6)チェイン・パイプ、(7)通風筒
チェイン・パイプは、上甲板の口と錨鎖庫を結ぶパイプで、錨鎖が通ります。 
 chainpipe
【記念艦のチェイン・パイプの跡。現在では通風筒として使われているようです。その左奥に見えるのが、通風筒跡です】

(8)スカイライト
一時的に取り外されてフタがされています。下のような姿でした。
sklt


現在の記念艦ではこの位置にスカイライトはありません。(5)の写真のように、中甲板の天井に跡が残っています。
また、(4)のキャプスタンの陰になっている所に同じようなスカイライトがありました。skylt


(9)以降は次の記事にします。

三笠後部の考証その5:後部甲板の艤装品−1

後部甲板の艤装のうち、私が興味深いと思った艤装について、記念艦の写真も交えて確認してみます。

mikasa-reception2
【明治37年7月17日の三笠の後甲板】

(1)フェアリーダーの上に突起が二枚、取り付けられているのが見えます。 左舷側にもあります。
この突起は現在の記念艦にも残っています。
tume
【記念艦の艦尾のフェアリーダーの突起】
昭和造船史の図面を見ますと、近くのスカイライトの側面から、スターンウォークのキャノピー(天幕)に向かって線が描かれていますが、その線がこの突起の間を通っているように見えます。キャノピーを吊るための索を保持するための「溝」の役目を果たしていたのだろうかと想像しています。


(2)スカイライト
skylight
【記念艦の艦尾にあるスカイライト】


(3)ライディング・ビット(
係船ビット)
rb
【記念艦の艦尾から艦首方向を見て撮影】
このビットは通風筒の機能も兼ねていたようで、通風筒の雁首が取り付けられた状態の写真もあります。


(4)キャプスタン
鎖や索を巻きとるためのものです。
cpstn
【記念艦の後甲板のキャプスタン。上部にある四角い穴は、人力でキャプスタンを回す必要がある場合に、棒をつっこむ穴のようです】

capstan_jiku
【記念艦の中甲板後部のキャプスタンの軸。隣には艦内神社があります】

キャプスタンの周りには木板が敷かれていました。当時の写真を拡大してみますと、うっすらとですが木板の境界が見えます。
キャプスタンのむこう側の煙突のフタと思われる丸い物の周囲まで、木板が取り囲んでいたかははっきりしませんが、写真で見える範囲では、「凸」を逆さにした形に見えます。

capstan

明治37年7月17日の写真のキャプスタン周りを拡大したもの。矢印の先に境界線らしきものが見えます】
(キャプスタンに手を置いている人の足下に、斜めに線があるようにも見えますが、その線は不規則にぎざぎざしているので、その線より艦尾側の木板が傷んで薄くなっているために見えている境界線と思われます。)

※このキャプスタンの周囲の木板は、日本海海戦よりかなり後に撮影された写真や大正時代の記念艦の写真では、形状が異なっています。日本海海戦時の形状については、その時の写真が出てこない限り、判断できそうにありません。(2011/07/24追記)
※写真の見方によっては、竣工時から大正時代に至るまで、同じ形状だった可能性が出てきました。詳しくは、新しい記事「三笠後部の考証その11:後甲板のキャプスタン周りの形状」をご参照ください。

記事が長くなりましたので、(5)以降は次の記事にします。
 

資料のクロスチェックその3:三笠の図面

三笠の図面で出版物になっているものといいますと、
「日本海軍艦艇図面集(昭和造船史別冊)」(日本造船学会編・原書房刊) 
に収録されている、一般配置図があります。
ただし、考証に使う場合は、元になった図面の折り目の所で船体の長さが縮んでいたりしますので、注意が必要と思います。

試みに、この平面図の後部甲板の部分をスキャンして、図面の縦横比が変わらないように注意しながら縮小し、ハセガワ製三笠のキットの後部甲板の部品と比較してみました。

hikaku
【三笠の平面図とハセガワ製キットの後部甲板の比較。艦尾近くの輪郭が大きく異なっています】

キットと平面図とでは艦尾に行くほど、輪郭のズレが大きくなっています。
これだけですと、どちらが正しいのか判りません。

そこで、「平賀 譲 デジタルアーカイブ」に収録されている三笠の線図を使って平面図とキットを比較した所、キットの形状の方が正しいとわかりました。キットの後甲板の部品が線図の示す輪郭にぴったり合致するのに対し、平面図の方は、前後方向にはみ出してしまいます。

三笠の後甲板線図
【後甲板の輪郭の比較。赤が平面図、水色が線図の示す輪郭。縦の点線は(左端のものを除いて)線図に示されている、垂線間長を20等分した線】

また、記念艦三笠艦内に展示されている断面図から、後甲板上のスカイライトやキャプスタンの位置をチェックしてみた所、キットの後甲板部品の首尾線上にあるモールドは、概ね断面図に描かれている艤装品の位置と一致しました(若干、ズレが見受けられますが、これは私が比較した際の誤差かも知れません。最終的に判断するには、記念艦に行って確かめるしかないと思います)。

従って、もしも、図面集の平面図を鵜呑みにしてキットの後甲板の改造を行うと、艤装品の位置が実艦のそれよりも大きくずれてしまうことになります。もちろん、三笠の後部の考証その1 と 三笠の後部の考証その2 で示しましたように、キットの後甲板部品上のモールドが全て正しいわけではありませんが、キットの改造をなさる方は、写真や断面図等の資料を照らし合わせたり、記念艦を訪れて実際に検証される事をおすすめします。

※蛇足ですが、図面集の上甲板の平面図近くには、長さ10メートルに相当する「物差し」が描かれています。この「物差し」を使って、図面の艦首前方にあるFPから艦尾近くのAPまでの長さ(垂線間長)を測りますと、なんと136メートルを超えます。実際の三笠の垂線間長は400フィートちょうど、つまり、121.92メートルですので、図面ではなぜか船体が約15メートル、長く描かれていたことになります。(というよりも「物差し」が正確に描かれていなかったと見なすべきかも知れません *** 2017/08/29 追記 *** )
このようになった理由は全く判りません。しかし、このことを以て、現在の私たちが、当時の図面集の編纂にあたった方々を責めるのは、全くフェアではないでしょう。図面集として記録に残してくださっただけでもありがたい事です。
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