2009年03月28日
固いーメモ

建築は固い。
言い換えれば、柔軟ではない。
重いし、徹底的に不自由だ、と最近よく思う。
物質的にもそうだし、むしろ社会的産物として非常にハードである。
一度そうと決まれば、なかなか可変・変更することは難しく
変更可能だとしてもそこには経済的価値基準が付随する。
人間は柔らかい。
言い換えれば、強固ではない。
軽いし、徹底的に自由だ、なんてことは前からわかってる。
物質的にもそうだし、むしろ社会的事象に影響されやすいソフトな存在である。
ある瞬間ではそうだと思えば、次の瞬間からは違うことを知覚する
価値観の流動するマージナルな存在である。
相対する二つの事象、これらが共存する環境が都市という器である。
矛盾を包括する抽象性
矛盾を繋ぎとめる多層性
変わらない建築、変わる人間。
そうした振れの中で
それらを串刺す時間という普遍性を手に入れた瞬間
建築は強くなるのかもしれない。
なんて考えること自体
固いな。
2008年10月19日
日常会話の同語反復
だいぶ前の話。チェルフィッチュの「フリータイム」を見に横トリまで。
「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を読んで以来の岡田利規で、
しかもタダで見れるということで、なんとしてもという感じで結構意気込んで行きました。
昼の部の整理券をとりにいったら既に満席ということで入れなかったものの、
夜の最終部にはなんとか滑り込み、とっぷりと観覧。
ファミレスでの30分。
あまりにも「普通」な日常会話をひたすら反復するという行為。
序盤、退屈すぎてどうしたものかと思ったけど(他寝てる人多数)、
その普通過ぎる日常会話が他者の視点や言葉を介して反復されることで、
そこに微妙な差異が生じ始め、
あまりにも単調な日常会話の中に潜む形式性みたいなものが徐々に浮かび上がり始める。
普段、何気ない日常空間の中で勝手に耳に入ってくる他人同士の会話に自分の会話を滑り込ませるような、
今となりにいる無関係な他者への誇大妄想で無理矢理自分とそのひととを接続するような刹那的感覚を、
微妙なニュアンスでの一人語りと自己言及的で奇異な行為によって顕在化する。
日常に横たわる言語が帯びる意味の希薄化。
それを30分の出来事を90分に引き伸ばすことがもつある種の言葉の「質量」。
今隣にいる他人への想像という無意識の意識。
社会(外部)と切断された非日常的に浮遊する空間感。
その視点に呆気にとられ、圧倒されました。
見終わった後に、ある種の読後感のようなものもあり、
ここまで妄想的でありながら理性的な作品はあまり見たことがないので、非常に良かったです。
あと、他の作品ではマリオ・ガルシア・トレスは、個人的に良いと思いました。
2008年08月25日
撮影と埋没ーメモ

またしても撮影立ち会い。
リアル働きマンを前に丸一日もの撮影は、さすがに体にこたえます。
メディアとはあくまでも演出であり、ケーススタディーなのだという事実。
それとは別に、建築は主役でなく背景としてあるべきでなのでは、
やっぱりそうだよなという実感は、自分にとって大きい財産だった。
建築は骨であり肉であり皮ではあるが、魂ではない。
主体性とは時代性であり、時代性とはメディアである。
ロケーショナルアーキテクチャーは主体性の相殺である。
そしていかなるときでも寡黙でなければならない。
マラパルテがそうであるように。
http://www.asahi.com/national/update/0823/TKY200808230244.html
幼少期の純粋性は作為的な芸術性を初々しく超えるもの。
ただ埋めるという行為そのものの純度の高さ。
掘り返すという逆説的行為の前提への想起と想像、関根信夫的反転。
功利主義的建築のアートへの逃がし方とうとう。
アートとはまたニヒリズムである。
2008年08月17日
レディメイド-メモ
http://jp.youtube.com/watch?v=SSulycqZH-Uジョン・ケージ。
既成概念の再構築と反即興的に計算された演出性。
正装。左手にタイムウォッチ。
ステージにバスタブの記号性。
今見ると大いにハッとさせられる。
芸術と笑いはあまりに近い。
あとアイキャッチがグー。
2008年08月15日
多視点
少し早起きをして、自転車で川べりをぐるぐる。この暑さだと風を切るというよりは熱風を被ってるよう、猛疲。
結局一日冷気満タンの室内オリンピック。
これがまたつまらない。
どのチャンネルを回しても同じ話題。
実況も感想も分析も基本コピペで飽和している。
北島はもう満腹である。
12chの多様性を享受しきれないファシズムメディア。
馬術やトライアスロンやクレー射撃の魅力を、
粛々と濃密に描写する突起な番組でもひとつぐらいあったほうが
この世の中では正常だと思うのだけれど。
そんな特異性を持ったメディアなんか
島国の全体主義からは排他されるのだろうね。
とことん同じ方向に向くのが好きな国だナァ。
でも、馬術の人間と馬の挙動描写なんかを見てても
自分だったらこんなアングルで描くのに、とか
勝手に演出のシュミレーションするのが楽しかったりする。
こんな感じの脳内オリンピックは結構飽きない。
2008年08月14日
頭の余白

今日から遅めの盆休み。頭を休める。
休みの日、だからこそ早起きをする。
掃除をする。部屋に余白が生まれる。
散文読書。森達也の視点。
二度寝る。電話が鳴る。
車に乗る。暑さに町が溶け出している。
薄暮の奥沢。群青にまどろむ空下で尾無林。
欲しい物が見つかる。古きものこそ新しき。
多摩川に行く。月を見る。
頭の隅にも余白が生まれる。
と次の瞬間から頭は既に動き始めている。
頭は休みを知らない。
2008年08月10日
盆前
午前は鎌倉。夕方までボチボチと新しい住宅の撮影に立会い。
夜は院飲み@渋谷。先輩達とひさびさに談義。
皆未来の話をしない。現状を肯定的に捉えている。
当たり前の実感として、組織に属すると将来に対する積極性と危機感みたいなものが
漠然とした安定性の中に担保されて気付かぬ間に研磨されていくものなのかな。
素直すぎるのだろうか、馬鹿演じるぐらいでもいいからもう少し熱のある話を、と。
この温度差はなんなのだろう。もうこんな話をするのは止めにしよ。
2008年08月09日
これこれ-メモ
http://jp.youtube.com/watch?v=ldMUEJBA1tk
もしやと思いきや、やっぱりだ。
無関係な二つがここで架橋した。
好き者同士は引き合うものなのダネ。
自分の感覚的直感はまだまだ鈍っちゃいない。
もしやと思いきや、やっぱりだ。
無関係な二つがここで架橋した。
好き者同士は引き合うものなのダネ。
自分の感覚的直感はまだまだ鈍っちゃいない。
2008年08月08日
強度-メモ
裏と表を同時に意識すること。裏も表もない状態なんてありゃしないことは、
眼前の自分の肉体を見ればすぐに気付く。
内臓があって、皮膚があって、口がある。
裏を意識しながら表を意識すること。
混沌を意識しながら虚構を意識すること。
絶望を意識しながら可能性を意識すること。
主役を演じながら背景を意識すること。
2008年08月03日
Ctrl+CとCtrl+Vの思索
後ろを振り返ればもう8月、暑い。こんな野暮ったい時期には、やっぱりクーラーのリモコン片手にサイレントポエツと読書です。
フジロック不参加への憂さ晴らしを読書行為に代替して全身全霊注ぎ込む。
申請memoなんてゴミ箱に捨てて、建築知識なんてお風呂に浸して、
やっぱり夏は活字です。
ノルウェイをトラン・アン・ユンで映画化するなんて話題になりましたが、
実際のところ本は本として、文字は文字としてというところなんけれど、
でも青いパパイヤの香りを知る人からすればかなり期待しちゃうけど
まあ、そんな話は置いといて、
ウィリアム・バロウズ。
このひとの本を読んでいるといろいろインスピレーションが沸いてきます、
と、いうよりも頭の中がぐちゃくちゃになる感覚が心地良い。
中でも「カットアップ」について。
このエディティングな思索は、僕の頭の中の構造とよく似ている。
物事を順序だてて体系的に思索する論理的構造とは対照的で、
何も関係ない何かがふとした瞬間に架橋する恍惚感てやつ。
ブルトンのいうシュールレアリズムもそうだし、コラージュもそう。
過剰さと過激さの先にあるミニマリズムみたいな。
ミニマリズムの中にあるミニマリズム、反転された過剰さみたいな。
普段あまりにも合理的な世界に生きている自分にとっては、
こんなひとたちのような論理を飛躍させる衝突が、何だかほしい。
2008年05月13日
今だから欲しいもの-メモ

欲しい。
合間を縫っては毎日このデモばかり眺めている。
chessから相当ソフィスティケートされている。
音を感覚的につくりだせること。
音符が必要ないこと。
見えない音を視覚化していること。
なによりレイヤーによるサンプリングの可能性を無限に拡張している。
音と映像によるヘテロフォ二ーの多重生成。
それが単なるパフォーマティブなエレクトロに着地せず、
楽器として自立しているのがすごい。
これはやばい。
2008年05月06日
2008年04月18日
start
フォリオをつくる日々がやっと終わりました。と思ったら、いつの間にか社会人になってしまいました。
実は、今週の頭あたりから、とある事務所で働き始めています。
話をした人達はわかると思いますが、その事務所です。
学部の後輩達の卒業式の謝恩会で今村先生にふとその話しをしたことがきっかけで、わざわざ本人に直接連絡までしていただき、後日初めて会い、分厚いフォリオが効いたのか高く評価をして頂き、その場で採用が決まるという急展開ぶり。一時間後には所員になっていました。
一度決まっていた就職先をお断りしてからというもの、自分の選択への迷いと漠然とした不安で精神的に不安定な日々が続いたけれど、尊敬する先輩や友人に多くのアドバイスをいただきながら、再び自分の選択した道へと歩み出すことができて本当に良かったなと今は思えています。これからも自分の決断に嘘をつくことなく、強い意志と感性をもって、誠実に頑張っていこうと思います。いや、頑張るしかない。
それと職場は広島ではなく新宿で働けることになったので、みなさん引き続きよろしくお願い致します。
2008年04月12日
節目
先日二つの結婚式に行きました。ひとつは中高時代の親友の結婚式、そしてもうひとつは兄の結婚式。
どちらも素晴らしい式で、感動的な瞬間に自分が立ち会えることの幸せと、時の流れの速さを感じずにはいられませんでした。やはり一瞬一瞬を懸命に生きている人というのは、生きた自分の言葉を話すし、いくつになっても変わらず輝き続けている。常套句ではあるけれどそれが素直な感想です。常に高い傾きを保ち、明確な目標を積極的に意識して、自分の意思と感性で上り続けられるように。
2008年03月31日
nagano
修了打ち上げの後、そのまんまのノリでみんなで卒業旅行にいってきました。










終始あまりにもうまく行き過ぎたので、セーゴくんがハプニングのひとつでも起こすんじゃないかなあ、逆にハプニング起きたほうがおもしろいんじゃないかなあ、むしろハプニングのひとつでも起こそうかなあ、なぁんて思いながら、後部座席でipod片手にイワサワ師匠とモリモっちゃんを巻き込んで無駄に踊ってました。めちゃくちゃ楽しく素晴らしき一時でした。あの熱い夜のことは一生思い出に残るのだろうなあ。さあ、次はキャンプの準備しないと。










終始あまりにもうまく行き過ぎたので、セーゴくんがハプニングのひとつでも起こすんじゃないかなあ、逆にハプニング起きたほうがおもしろいんじゃないかなあ、むしろハプニングのひとつでも起こそうかなあ、なぁんて思いながら、後部座席でipod片手にイワサワ師匠とモリモっちゃんを巻き込んで無駄に踊ってました。めちゃくちゃ楽しく素晴らしき一時でした。あの熱い夜のことは一生思い出に残るのだろうなあ。さあ、次はキャンプの準備しないと。
2008年03月29日
春の風情

修了式。
わざわざ後輩達が僕らM2のために、花束と寄せ書き付の手作り修了証書をつくってくれました。「たまらないギャップ学」の学位取得です。フォトアルバムまでついてます。あまり時間を共有することができなかったにも関わらず、研究室皆で最後まで気持ち良く贈り出そうとしてくれたその優しさと心意気に、只々感動でした。
先生、先輩、後輩、友人、そして家族、つくづく周りの人たちに恵まれていると思うのだけれど、たとえそれが瞬間的な出会いだとしても、共に過ごした時間や交わした会話など、その一瞬一瞬が自分の中の確かな経験として蓄積されて、僕の未来に向ける寄す処として生かされていくものなのだなと、今は実感しています。
そして何より、自分が環境に恵まれているということに気付けていることもまた、とても幸せなことだと思うのです。皆様のこれからのご活躍を心から願っています。感謝。
2008年03月07日
原風景再考

REによるインスタを見るため、ひさびさの東京カテドラル。
原風景のひとつ。というのも教会の真隣に母校があるので、ここに来ると、昔よく部活の帰りに一人で来た思い出がよみがえってくるわけです。太陽光に反射して光り輝くリブ状のステンレス外皮、縦方向にギュッと絞られたコンクリート剥き出しの滑らかな曲面壁、大理石の床面と足音の良く響く静謐な内部空間、天井部のクロス梁は力強くていつ見ても良い、まさにサブライム。もはやこうした空間自体の自立性が強固なので、インスタ自体の感想はここでは割愛。にしても1000円は高い。
2008年03月03日
豚というか何というか

ここんとこ四六時中フォリオ。
なのに一向に終わる気配がない。
統一感がない統一感、というコンセプト。
そろそろ一区切りつける予定、でいる予定。
夜はタカイ邸にて最後の一夜。
コセキの修士設計お疲れ会と社長の再出発祝い。今更だけど、入学当時を思い返しても、まさかこの面子で6年後にひとつ屋根の下、酒を酌み交わしているなんて、思いもしなかったな。自分の恵まれた御縁に感謝。
そのままSカワさんの引越しの手伝い。
そのお礼にということで、新宿のジランドールでご馳走してもらったのですが、まあとにかく何もかもが美味しくて、至福の一時を過ごさせていただきました。贅沢三昧。もう豚がさ、なんか「豚」じゃないのよね。お腹一杯幸せ一杯。こうしてまた自分の恵まれた御縁に感謝。
2008年02月28日
2008年02月21日
距離

大平さんにいつも連れて行ってもらう事務所近くのカフェが結構良い。
客が入るのを拒むかのように、大通りとは逆向きの路地に面して入り口がある。
だから客も少ない、しかも超広い。いや、無駄に広い。だからこそ居心地が良い。
何時潰れるかわからない不安と何時までも残っていてほしい期待の振れ中で、
少し高めのランチを食す幸福感。
そんな中でも、少し低めのソファからくる机の高さの違和感に気付く男が一人。
当たり前に、一見見過ごしてしまいそうな些細な認識を再確認するこの姿勢は、
いつもながら勉強になります。
2008年02月17日
そらとだいち
建築はアートとは違い、多層的な与件が要請される。その結果として、アウトプットされた建築物は、自分が初源的に着想した着地点と誤差が生じる場合が多い。その誤差の捉え方によって、作品としてあるいはイメージとしての純度が保たれているかどうか、というコンセプチュアルな認識的特性をもつのではないかと思う。先日サルちゃん、イワサワ両氏に誘われてKAIT工房の内覧会に行ってきました。旧M2メンバーとも久々に再会。いろいろと話題性の高い作品だったので、心して見に行きました。
はじめは自分が来る前に抱いてたバイアスとの誤差に少々戸惑ったけど、ああこういうことなんだ、という気付きの多い建築だと思います。例えば見る側の場所、角度、高さ、心理的状況、あるいは周囲の気候条件などによってその都度見え方が変わる富士山のように、一点では全体を捉え切ることのできない微視的な視点の積み重ねによってできているような、そんな感じ。その一方で、現象的なシーンをつくりだしているランダムな柱の形状と配置とは対照的に、家具や植栽の置き方がその空間にカチっとフィックスされているような感覚を抱いて、またそこから石上さんの意思の強度を垣間見た気がします。
何事も「ハッキリ」させない石上さんの指針は、あからさまな明示よりも強い魅力を引き出すのだなあ。要は解釈の多様性。これからいろんなところで批評され続ける作品だと思うけれど、それに耐えうるだけの強度を持った建築であることは間違いないな、と思いました。
2008年02月16日
掃除
近頃回顧的な日々。論文中タイミングがあわず会えなかったひとたちと四六時中酒を酌み交わしてたら、あっという間に一週間が過ぎていた。先週まで論文で頭が一杯だったのに、終わってしまえばもう次のステップへと加速度的に日常が流れてゆくのだね。
この数ヶ月間の体調管理を疎かにしていたツケか、無駄に肥沃になった体は食欲に比例して大きくなるばかりで、それに加えて飲む量も増えるという負(腑)のスパイラル。いつからこんなヘビーデューティーな胃に育ったんだろ。。。
週末はこの冬の間ずっと放置していた自分の部屋を久方ぶりに掃除しました。まず身の回りを落ち着けてから次の一歩を、といったところ。しかしまぁ本の量がこの一年で半端なく増量したので、その整理だけで四苦八苦、資料のファイリングを含めて丸一日がつぶれてしまい、少し苛々。
翌日は気分転換にと久々の映画館。早稲田松竹のカウリスマキ特集があったのを思い出し、最終日にぎりぎり駆け込み。その帰りに渡なべでラーメン食って、ひたすらにのんべんだらりん、と日常のスピードを徐々に落としていく。そんな感じ。
2008年02月09日
修了






なんとか発表も終え、無事修了が決まりました。発表練習に何度もつきあってくれた研究室の皆様、
セジ研の皆様(特にイワサワ・キタザワ両巨星)には本当感謝感謝です。
安堵感と解放感と達成感が体から湧き出て、
ちょっと感情を抑えることができません。
近年稀にみるハイテンションで、みんなもちょっと引き気味でした。
でもそんなことも無視で、そのままヒヨウラで打ち上げに直行。
一次会、二次会、三次会、四次会…といきたいものの、
皆揃いも揃って徹夜続きにより、もはや意識朦朧、
ビール一杯で死亡するサルちゃんを横目に、
こっちはこっちで胃の中をほぼ全て酒で満たそうと、
ナカムラ、シュクともうよくわかんなくなるまで豪飲。
東横線のホームまでは記憶にあるものの、
気付いたら家の玄関で横になってたという始末。
迷惑かけたみなさん、ごめんなさい。。
異なる環境を選んでから丸2年、
無知で未知なるこの選択に対する自問自答の日々を簡単に振り返ってみても、
やはり最後に残るのは、たくさんの人たちとの大切な「出会い」に尽きると思います。
この素敵な関係を、かけがえのない日々の思い出ともに、
ずっと大事にしていきたいと思います。
みんなほんとにありがとね。
2008年02月05日
想いの一冊
1月中は何をしてたんだろう。もうほんの少し前のことすらよく思い出せない、
ネットリした重たい感覚が頭の中を反芻している。
先程本論を提出。
今回、初めて論文という類のものに手を触れてみて、いくつかわかったことがある。
粛々と情報を集め、それを比較検討し、他人と議論を重ね、自分の責任で決定する。
そしてそれらを全て一人で遂行する。
そこには個の自立と行動規範を前提とした、近代的思考が伴わなければならない。
これは結構辛いことだった。現に僕の場合それができなかった。
いろんなひとたちに助けてもらった。
まだ今の自分には、持論を滔々と披瀝することなんてできやしなかった。
でもそんな当たり前のことを知ることができたのは、論文に手を触れたからに他ならない。やってよかった、と最後に思えてよかった。
あとは三日後の発表のみ。気を引き締めないと。
なんて表現したらいいのかわからないけど、
でも今は、ただただ、達成感と喪失感で胸がいっぱいです(提出直後)。









どこまでシンプルに研ぎ澄ませるか。ピュアな素形だけが浮かび上がるように。でもコンセプチュアルにはしたくない。どこを付けたし、どこを消去するか。そしてどこまで手垢を残せるか。
あけましておめでとうございます。