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2024年09月21日発行
柳画廊

『銀座柳画廊と小磯良平先生』

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       今の美術業界を考える(その1050)

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銀座柳画廊と小磯良平先生       2024年9月21日
               
 今年で銀座柳画廊も30周年も迎えますので、少し銀座柳画廊の
 歴史を感じさせる内容のコラムを書いてみようと思います。
 銀座柳画廊は1994年に 梅田画廊の3代目の野呂好彦と結婚
 したばかりの、私(野呂洋子)の二人で立ち上げた画廊です。

 私自身は、美術のことを知らないまま、IBMを辞めたばかりの状態
 で画廊経営に参加いたしました。小磯良平先生は、私が画廊経営
 に携わるころには、既に鬼籍に入られており、夫の実家である梅田
 画廊と縁の深い作家であるという認識でした。

 実は私自身は、美術の素養は全くないまま育ったものの、私の実の
 母親が芸大を2度受験しており(2度とも失敗しています)、母が
 高校時代に芸大の夏の夏期講習で小磯良平先生に教わったことが
 あるというのが自慢でした。

 母親の憧れの作家ということもあり、当時はまだバブルが崩壊した
 とはいえ、絵画の値段はまだまだお高い時代でしたので、小磯良平
 先生の油彩画は銀座柳画廊では到底、手の届くものではありません
 でした。

 しかしながら、社長のお母さまや妹さん、そして社長のおば様なども
 小磯先生のモデルを務められ、さらには梅田画廊の女性スタッフを
 モデルとした多くの作品を小磯先生は描かれており、何より社長の
 お父様が、小磯先生がご存命の時は昵懇の仲で梅田画廊の主要作家の
 おひとりでした。また、当時は社長のお父様が長い間、小磯良平鑑定
 委員会の委員長を長く務められており、小磯家の遺族とは常に連絡
 を取り合っておりました。

 そういうご縁もあり、油彩は難しくとも版画は扱いたいという事で、
 銀座柳画廊としては多くの小磯良平先生の版画を扱ってまいりました。
 小磯良平先生は、芸大で版画教室を長年受け持っていたこともあり、
 多くの版画を研究材料としても制作されておりました。
 私達、銀座柳画廊ではご遺族が所有されていた小磯先生の版画を多く
 譲り受けるチャンスがあり、その中には小磯先生のサインがなかった
 ものもありましたので、ご遺族の方と相談してアトリエスタンプを
 作成して、真贋の保証をしつつ、小磯先生の版画作品を常設の時は、
 かならず紹介するようにしています。

 最近では、小磯先生を知らない方も増えているように感じております
 が、梅田画廊にとっても、銀座柳画廊にとっても大切な作家の一人で
 あることは、間違いありません。
  
 
              
                       文責  野呂洋子
                       銀座柳画廊
                       http://www.yanagi.com
           03-3573-7075