2024年09月28日発行
柳画廊
『田中一村展』
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今の美術業界を考える(その1051)
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田中一村展 2024年9月28日
奄美の光 魂の絵画 東京都美術館 2024年12月1日まで
田中一村さんはNHKでよく取り上げられていたこともあり、晩年を
奄美で活動され独特の画風を作られた作家として認識しておりまし
た。何度も、奄美まで田中一村記念美術館にも行ってみたいと
思っており、何故か旅行が中止になるという事が重なっておりまし
た。今回、東京都美術館で田中一村の全貌を拝見できる展覧会が
開催されるということで、楽しみに伺いました。
まず驚いたのは、数えで8歳(今の6〜7歳)の時に父親から
雅号を贈られて描かれた作品のレベルの高さにびっくりしました。
会場に入って、最初の部屋でしたが、まさしくピカソの幼少期の
才能を見て、親が驚いたように、田中一村の父親も息子の才能を
一番最初に見抜いたに違いありません。
あれだけの作品を8歳の頃から残されているわけですし、18歳の
時に現役で東京美術大学(現在の芸大)に合格されていらっしゃる
わけですから、自分でも絵で生きていこうと決めていらしたのだと
思います。また芸大に入ってからも2ケ月で家庭の事情で退学され
ています。理由については、多くは語られておりませんが、残った
資料から読み解くと、既にそのころから多くの支援者がおり、絵を
描くことで生計を立てていくことが可能だと思われていたようです。
不遇といわれながらも、支援者には恵まれ、いわゆる画壇と言われ
る場所での評価は今一つのようでした。40歳を過ぎてから、日展、
院展に出品するも入選せずに、また個展というものは生前には実施
することが出来なかったようです。芸術家の仲間で推薦してくれる
ようなお付き合いをされていらっしゃる方がいなかったようです。
しかしながら、今回の展覧会を拝見してもわかるように、多くの
肖像画や襖絵などを描いており、周りの方からの注文で画を描いて
いたことは明らかであり、スランプというか、絵を描かなかった
時期は殆どなかったように思われます。
奄美にいらしたころには、日本画の材料費が高いために、紬の工場で
働いて、ためたお金で材料費をねん出されたと記録に残っています。
ゴッホもそうでしたが、自分で自分の才能を認め、良い画を残してい
くことを考えると、画材の費用がかさむのだと思います。
この作家の一生を見ても、芸術家という方々は才能を持って生まれて
しまったがゆえに、その道を選んでしまったがために、多くの苦しみを
得ることになるのは、現代の画家にも通じる普遍の心理なのだとしみ
じみ思います。運とご縁が非常に大切な厳しい世界です。
文責 野呂洋子
銀座柳画廊
http://www.yanagi.com
03-3573-7075
今の美術業界を考える(その1051)
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田中一村展 2024年9月28日
奄美の光 魂の絵画 東京都美術館 2024年12月1日まで
田中一村さんはNHKでよく取り上げられていたこともあり、晩年を
奄美で活動され独特の画風を作られた作家として認識しておりまし
た。何度も、奄美まで田中一村記念美術館にも行ってみたいと
思っており、何故か旅行が中止になるという事が重なっておりまし
た。今回、東京都美術館で田中一村の全貌を拝見できる展覧会が
開催されるということで、楽しみに伺いました。
まず驚いたのは、数えで8歳(今の6〜7歳)の時に父親から
雅号を贈られて描かれた作品のレベルの高さにびっくりしました。
会場に入って、最初の部屋でしたが、まさしくピカソの幼少期の
才能を見て、親が驚いたように、田中一村の父親も息子の才能を
一番最初に見抜いたに違いありません。
あれだけの作品を8歳の頃から残されているわけですし、18歳の
時に現役で東京美術大学(現在の芸大)に合格されていらっしゃる
わけですから、自分でも絵で生きていこうと決めていらしたのだと
思います。また芸大に入ってからも2ケ月で家庭の事情で退学され
ています。理由については、多くは語られておりませんが、残った
資料から読み解くと、既にそのころから多くの支援者がおり、絵を
描くことで生計を立てていくことが可能だと思われていたようです。
不遇といわれながらも、支援者には恵まれ、いわゆる画壇と言われ
る場所での評価は今一つのようでした。40歳を過ぎてから、日展、
院展に出品するも入選せずに、また個展というものは生前には実施
することが出来なかったようです。芸術家の仲間で推薦してくれる
ようなお付き合いをされていらっしゃる方がいなかったようです。
しかしながら、今回の展覧会を拝見してもわかるように、多くの
肖像画や襖絵などを描いており、周りの方からの注文で画を描いて
いたことは明らかであり、スランプというか、絵を描かなかった
時期は殆どなかったように思われます。
奄美にいらしたころには、日本画の材料費が高いために、紬の工場で
働いて、ためたお金で材料費をねん出されたと記録に残っています。
ゴッホもそうでしたが、自分で自分の才能を認め、良い画を残してい
くことを考えると、画材の費用がかさむのだと思います。
この作家の一生を見ても、芸術家という方々は才能を持って生まれて
しまったがゆえに、その道を選んでしまったがために、多くの苦しみを
得ることになるのは、現代の画家にも通じる普遍の心理なのだとしみ
じみ思います。運とご縁が非常に大切な厳しい世界です。
文責 野呂洋子
銀座柳画廊
http://www.yanagi.com
03-3573-7075