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2025年10月11日発行
柳画廊

『藤田嗣治からレオナール・フジタへ』

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      今の美術業界を考える(その1104)

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藤田嗣治からレオナール・フジタへ  2025年10月11日
ランス美術館コレクション         軽井沢安東美術館 
                  2026年1月4日まで               
              
先週の土曜日に軽井沢安東美術館の開館3周年記念企画としての
式典に参加してまいりました。今まで、安東美術館は所蔵の作品
を陳列してきましたが、今回はフランスのランス美術館の協力を
えて、ランス美術館のコレクション46点を日本で公開するとの
ことでした。

Facebookで理事長の安東さんが、‘作品の陳列が大変だ!’との
コメントを出されていたのが理解できるほど、今までにない程の
大リニューアルというか大幅な展示替えだけでなく、椅子などの
家具なども移動されておりました。

今回の展示は、戦後の藤田の活動を中心に、藤田嗣治がパリで
洗礼を受けた事実を企画のテーマとして、安東美術館とランス
美術館の共同企画としての開催だそうです。

ランスといえば、藤田の礼拝堂が有名です。シャンパーニュのオ
ーナーが藤田のパトロンで、藤田は1959年にランス大聖堂で
藤田嗣治は君代夫人とともに、洗礼を受け、Leonard Foujitaに
なられました。

藤田嗣治は1950年にパリに戻り、モチーフとして少女たちを
描きました。その少女たちは、モデルがいたわけではなく、藤田
が想像して描いたこども達だそうです。藤田は生涯こどもがおら
ず、描くこどもたちは、自分が愛する対象として描かれたのだそう
です。

さらに宗教画の制作とシャペルのフレスコ画の依頼をうけて、最
晩年に全身全霊を注いで描いたのが、Foujitaの礼拝堂です。
このシャペルのフレスコ画を描くために、Foujitaは多くのデッサン
を描いています。そのフレスコ画の一部を原寸大で再現し、今回
の展示では、一部屋をシャペルに見立てて、そのデッサンとともに
紹介しています。藤田嗣治はこのシャペルを完成させた翌年に病を
得て亡くなられたということですから、まさしく最晩年の大仕事
といえる作品です。

改めて藤田嗣治の人生は、多くの辛酸をなめ、2度の戦争体験をして
人生を絵画に捧げて、最後は芸術を愛する町で死を迎えるという、最後
まで芸術家として生き抜いた方だと思います。

日本という国は、素晴らしい才能を持った芸術家が生まれても、それを
育てる社会的土壌がないため、海外で評価された芸術家を高く評価する
という構造は今も、変わっていないように思います。

藤田嗣治のように、芸術家として生きていくためにフランス人になった
というストーリーは当時の時代背景を考えると理解できる選択だと思い
ます。これからの社会は、多くの日本人が芸術家を大切にする社会に
していきたいと思います。

              
                       文責  野呂洋子
                       銀座柳画廊
                       http://www.yanagi.com
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