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2026年08月29日発行
柳画廊

『ニューヨークの藤田嗣治』

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      今の美術業界を考える(その1150)


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ニューヨークの藤田嗣治      2026年8月29日
軽井沢安東美術館       2027年1月11日まで 

軽井沢の安東美術館で開催しているニューヨークの藤田嗣治という
企画展示を拝見してきました。こちらの美術館は藤田嗣治を中心に
作品展示をする美術館で、非常に珍しい美術館だと思います。

そもそも一人の作家に絞って企画展示をしようとすると、企画を
考えるのが非常に難しいにもかかわらず、この美術館では次々と
興味深い展示を拝見させてもらっています。

その中でも、今回の‘ニューヨークの藤田嗣治’は私にとって、
とても勉強になり刺激的なものでした。私の大好きな安東美術館
所蔵の‘猫の教室’1949年作 の作品も、このニューヨーク
時代に描かれたものです。

藤田嗣治は戦争画を描いたことで、その後、日本の画壇との距離を
感じて戦後はパリに戻ることを決意するものの、敗戦国となった
日本からはなかなか渡航がかなわなかったようです。そうした中で
言葉が出来たことから戦後、GHQの関係者との通訳などをした事
から帰国したGHQ関係者からのオファーでニューヨークの美術学校で
絵を教える非常勤講師のような職を得て、ニューヨークに渡ります。

そのニューヨーク滞在中の1949年11月にマシアス・コモール
画廊にてニューヨーク滞在中の作品を発表され、大成功をおさめて
います。その時に描かれたのが、動物を擬人化したシリーズである
‘猫の教室’やポーラ美術館所蔵の‘ラ・フォンテーヌ頌’などが
あります。この2点が同時に展示されるのは、実にポール・ペトリ
デス画廊での個展以来、76年ぶりとのことです。

10ケ月のニューヨーク滞在を経て、パリに戻った藤田は有名な話
ですが日本には二度と戻ることはありませんでした。時代に翻弄され
ながら、世界で活躍された藤田嗣治氏の人生は日本人のスケールを
大きく超えたものだと思います。

私の個人的な感想としては、語学にたいする柔軟性もあると思います。
外国語だけでなく、日本語もあまりしゃべらない日本人絵描きが多い
中で、日本語と英語だけでなくフランス語も操ることのできた藤田は
大きなアドバンテージがあったと思います。

勿論、その理由のひとつにフランス人女性との結婚もあげられると思
います。郷に入れば郷に従えという言葉通り、藤田嗣治の生き方その
ものが、芸術や哲学を語るのに充分に値するものなのだと思います。
  

 
        
                       文責  野呂洋子
                       銀座柳画廊
                       http://www.yanagi.com
           03-3573-7075